雨上がりの午後

Chapter 184 穏やかな朝に浮かぶ現在と未来

written by Moonstone


 どれくらい横になったか分からない頃になって、ドアがノックされる。俺は上体を起こして応対に向かう。
念のためドアチェーンがかかっているのを確認してから鍵を外してドアを開ける。全員、ジャケットやコートを着ればスキー場へ迎える服装で固めている。

「おはよう、祐司。起きてたのか。」
「ああ。昨日改めて教えてもらった『黄金の丘』へ行って来て、宿に帰って来たのは・・・7:30頃だったかな?その時食堂には姿が見えなかったから、
部屋に戻ってたんだ。」
「きっちり目標は達成したのか。晶子さんは起きてるのか?」
「晶子は夜型の俺と違って朝早く起きることに慣れてるから、それは大丈夫だ。」
「じゃあ、全員で朝飯を食いに行こう。」
「分かった。ちょっと待っててくれ。」

 俺は一旦ドアを閉めて部屋に戻る。服は朝から外出した関係で着替えているから、着替える分だけ時間のロスは防げる。
俺は座っている晶子に右手を差し出す。晶子は嬉しそうな顔で俺の手を取る。
俺は晶子の手を取って軽くゆっくり引っ張って起こしてやる。こういう時にはやっぱりこれだよな。

「こういうのも良いだろ?」
「はい。凄く嬉しいです。」
「足は痺れてないか?」
「それは大丈夫です。」

 俺の手に引かれて歩く晶子の足取りはしっかりしている。
正座は慣れていると言ってたが、それなりの重さがある俺の頭を乗せてたわけだから痺れても不思議じゃない。心配が杞憂に終わって何よりだ。
 部屋の鍵を持っていることを確認して、ドアチェーンを外してドアを開けて外に出る。面子全員と改めて朝の挨拶を交わしてから、連れ立って食堂に向かう。
廊下やロビーには多くの客が居るが、食堂に入ってみると、晶子と一緒に帰って来た際に覗いた時とは違って、明らかに空席が目立つ。
面子を起こさずに混雑のピークを過ぎるのを待ったのは正解だったようだ。

「で、どうだった?浴びると一生添い遂げられるっていう曰くつきの朝日を浴びてみて。」

 ごっそり空いていた手近な6人用の座席に腰を下ろしたところで、耕次が尋ねる。

「予想以上に綺麗で思わず見入った。冬の夜明けを見るなんて初めてだからな。」
「凄く綺麗でしたよ。」
「行く時は真っ暗だっただろうが、よく迷わなかったな。地図は見せたし道のりもそんなにややこしくないから、昼間なら余裕だろうと思ってたんだが。」
「距離はあったが意外と簡単に行けた。晶子が標識を見つけてくれたのが大きかったな。あれを見逃してたら延々と大通りを歩く羽目になるところだった。」
「嫁さんのナビゲートがあれば完璧だよな。」

 宏一の冷やかしに、俺は照れ笑いを浮かべる。
やっぱりまだ他人に彼女を自慢したり、彼女に絡めての冷やかしを返せる余裕は、俺にはまだ備わってない。
こういうのは1日2日で備わるもんじゃないから、今日から徐々に慣らしていかないといけないな。

「今日で丸1日スキー三昧はおしまいなんだよなぁ。」

 少しして、宏一がぼやくように言う。

「この調子で毎日スキーが出来りゃ、どんなに幸せなことか・・・、って思わねぇか?」
「幸せの概念が宏一とは違うが、スキー三昧が今日で最後なのは名残惜しいのは確かだ。」
「宏一は帰ってから今度は合コン三昧なんだろ?頭はそのことでいっぱいなんじゃないのか?」
「チッチッチッ。スキーをしている時はスキーのこと。合コンの時は合コンのこと。その時に集中するのが通な生き方ってもんだ。」

 耕次の部分的な同調に続く俺の問いに、宏一は何か悟った様子で言ってのける。
こいつがこういう台詞を言っても何故か妙に様になるのは良いのか悪いのか、俺は未だに分からない。

「そう言えば、祐司は合コンに出たことあるのか?」
「ない。俺は1年の4月から今のバイトしてるんだ。合コンをするような曜日の夜は大抵塞がってる。強いて言えば2年までは月曜の夜がバイトが休みだから
空いてたけど、誘われたこともないし出たいと思ったこともない。合コンで出るような話についていけそうにないし。」
「祐司はバイトで生活費補填してるんだったな。じゃあ無理もないか。晶子さんは?」
「私も出たことはありません。私が祐司さんと同じバイトを始めたのは祐司さんより半年ほど後なんですけど、それまでも出たことはありません。」
「晶子さんの学部って・・・文学部でしたよね?」
「はい。」
「今時期だとゼミとかで更に少人数制になってますから、同じゼミの連中や他のゼミとの共同での合コンに誘われたりしませんか?」
「時々誘われますけど、バイトがありますから全部断ってます。私はバイトをしなくてもやりくり出来るんですが、バイトを休んでまで合コンに出て、
祐司さんに疑われたくないので。」
「祐司は結構やきもち妬きですかねぇ。祐司。お前、晶子さんにストップかけてるのか?合コンに行くなって。」
「否、そんなことは言ってない。」

 宏一に言われるまでもなく、俺はやきもち妬きだ。
高校時代に付き合っていた宮城が他の男と談笑しているのを見かけて、腹を立てて割って入ったことも度々あった。
今までふられる確立100%だった俺に初めて彼女が出来たという意識が、少し過剰に働いたせいだろう。言い換えれば、俺の彼女に手を出すな、という意識が。
 去年晶子と田畑助教授の件でトラブったのも、俺のやきもち妬きに起因する部分がある。
晶子が浮気をするような女じゃない、と信じていれば、晶子が田畑助教授と一緒に歩いているところを見かけて白昼猛然と詰め寄り、更には挑発に乗って
殴りかかる寸前−晶子と智一に止められてなかったら殴りかかっていただろう−までいかなかっただろうし、偶々目にした場面で晶子が俺と田畑助教授を
天秤にかけていると即決することはなかった。
 晶子は3年からゼミに本配属されている。元々文学部は各学科の人数が割と少ないが、ゼミだと更に少人数になる。
となると当然、付き合いといったものが絡んでくるだろう。その端的な例が合コンだ。
酔った勢いで他の男と、とは思っていない、否、思わないつもりだし、付き合いもそれなりに必要だろうが、集団見合いの若者バージョンみたいな場には
出て欲しくない、というのが正直な気持ちだ。
 さっきの晶子の回答から、合コンに誘われることは時々あるようだ。
でも、俺と同じバイトを休んだことはないし、唯一休みの月曜の夜は、俺が実験で夜遅くなるということで大学の図書館で待機して、俺と一緒に帰宅して
夕食を作ってくれる。
俺から合コンに行くな、と言ったことはないが、晶子は俺との時間を削りたくないし、去年の経験も踏まえて疑いの材料を作ることは極力避けているようだ。

「まあ、既婚者に手を出す奴はそうそう居ないだろうし、晶子さんの今までの態度とかを見てる限り、合コンに出ても相手の男の誘いに乗ることはありえないけど、
その辺は祐司もちょっと譲ってやるべきじゃないか?晶子さんにも付き合いってもんがあるし。」
「飲み会とかに絶対出るな、って言うつもりはないけど、合コンにはちょっとな・・・。」
「合コンは集団見合いみたいなもんだからな。そんな場に出て欲しくないって気持ちは分かる。だけど、頭数合わせに出る程度なら認めてやるべきじゃないか?
夫婦だからって相手以外との付き合いは一切駄目、なんてのは交友範囲を狭めるし、孤立してしまうぞ。」
「うーん・・・。」

 勝平の言いたいことは分かるつもりだ。でも、頭では分かっていてもすんなり納得とはいかない。
もしかしたら他の男が晶子に、という不安というかそういうものが絶えず付き纏う。俺の目が行き届かない以上、そういう不安はどうしても拭いきれない。

「頭数合わせは合コンを企画する人達の都合ですし、私は祐司さんに疚しいことをしたくないんです。」

 答えあぐんでいた俺をフォローするように、晶子が言う。

「合コンに出る相手はどんな男性(ひと)かと尋ねたら中美林(ちゅうびりん)大学の学生さんとかそういう男性ということでしたし、そういう男性の話は
多少耳にしたことがあります。」
「中美林大学っていうと・・・金持ちの子どもが幼稚園からエスカレータ式で進学出来る私立のお坊ちゃまお嬢様大学ですよね。」
「はい。美形の男性も居るし、こちらの頭数が不足しがちだからということで誘われるんですが、そういう男性に関しては人伝ですけどあまり良い話は聞きません。
曲がりなりにも夫が居る身としては、そういう男性と接触することで祐司さんに後ろめたさを持ちたくないんです。」

 中美林大学は、新京大学とさほど離れていないところにある、高級住宅街の中にある有名私大だ。
幼稚園からエスカレーター式に進学できる上にその学費は半端じゃない。所謂金持ちの子どもがわんさか通う大学で、そこの男子学生は自分の財力を武器にして
近隣の女子学生との合コンを頻繁に企画して、あわよくばものにしようと常に画策している、という話を聞いたことがある。
 頭数を合わせるためとは言え、そんな奴等との合コンに出てほしくはない。結婚指輪を填めていようがそんなことはお構いなし、っていう考えの奴も居るだろう。
そうでなくても、晶子がそういう連中と談笑する様子を想像すると、心の中に何かモヤモヤしたものを感じる。

「私は合コンで男性との交友関係を広げるつもりはありませんし、皆さんとのような気軽な雰囲気の飲み会ならまだしも、合コンには男性も女性も
目星をつけた相手に言い寄って付き合いを持とうという魂胆があるように思うんです。私は祐司さんの妻ですし、交友関係を多少狭めることになっても、
他の男性に手を伸ばしたくはありません。そういうものは本来の人間関係とは違うものだと思っていますし、そこから何も人間関係が生じないとは思いませんが、
参加者が何らかの下心を持って参加している場に出ようという気にはなれません。」
「つまり、祐司に対して何時でも完璧に身の潔白を証明出来る体勢を作っている、ということですか。」
「はい。その場で取り繕った嘘は何時かはばれます。それを覆い隠そうとしてまた新たな嘘をついての繰り返しでも、結局は何らかの形で嘘はばれてしまいます。
その時期が最初に嘘をついた時より時間が経過している分だけ、若しくは覆い隠した嘘の皮が厚い分だけ、相手の心証を著しく損ないます。そうなりたくはないんです。
それは合コンの頭数を合わせるよりずっと重要なことだと思うんです。」

 渉の問いに対する晶子の回答は、俺の推測を確信に変えるものだ。
学科も学部も違うから合コンに出たことを隠すことは出来る。だが、月曜以外では合コンに出ようと思ったらバイトを休まないといけない。
そうすれば俺も疑問に思うだろうし、仮に晶子が合コンに出ていたら、過去を考えれば自分への浮気疑惑への追求は避けられない。
だから自ら合コンと無縁になることで、俺に対して何時でも浮気をしていないことを証明しているんだ。

「祐司がバイトをしているのは生活費を補填するため、言い換えれば雪白な事情があるからですけど、晶子さんはそうじゃないんですよね?」
「はい。」
「文字どおり現金な話ですけど、バイトの給料はどうしてるんですか?」
「今までの分は全額貯金しています。4年の学費を払える額も十分貯まりましたから、その分は学費に充てます。」
「残りは?」
「将来祐司さんと一緒に住む時に必要になる資金に充てます。今の祐司さんの家に住むのも良いですし、他に良い物件があるならそこに引っ越しますが、
そうなるとお金がかかりますから、それに充てようと。」
「なるほど・・・。祐司は生活費をバイトで補填していますから、余裕があるといっても限界が生じますから、その分を晶子さんが補完しようと。」
「はい。」

 耕次との問答で、晶子のこれからの資金繰りの構想がより鮮明になる。
バイトで生活費を補填している俺でも4年の学費を払える分は十分貯まったから、今年急遽大学進学に切り替えた弟とこのままだと学費の負担が増える
親のことを考えて、4年の学費は自分で払う、と前々から言ってある。
 晶子は当初バイトをする気もなく、親への反発で今の大学に入り直して静かに過ごすつもりだった。
それが何の因果か俺と出逢ったのをきっかけにバイトを始めるようになり、今まで休んだ回数は1回だけだ。その1回が、俺が多少姿勢を柔軟にし始めた頃に
晶子が智一のデートの誘いを承諾したことで口論に発展し、晶子が智一とのデートに出かけた時だったりする。

「祐司は大学と生活するための費用をバイトで捻出して、その分余裕がなくなるのを晶子さんがカバーする、っていうことですか・・・。
完全に役割分担が出来てますね。」
「それに祐司さんは、私がバイト先のステージで歌う曲のデータも作ってくれていますから、その分負担は増えるんです。たとえ好きでしていることでも、
大学のレポートは多いですし、ほぼ毎日バイトがあって、唯一バイトが休みの月曜も夜遅くまで実験がある・・・。そんな大変な生活を祐司さんは
送ってるんですから、私は合コンの頭数あわせを考えるより、祐司さんの生活を支援することに専念したいんです。」
「そこまで完璧に行動の裏づけを示されたら、言うことはないですね。」

 耕次はすっかり感心しきった様子だ。勝平も渉も宏一も。
晶子の言葉は俺が聞いても模範解答そのものだ。ここまでしっかり自分のことと俺のことを考えている晶子を泣かせるようなことは、絶対にしちゃいけない。
それが俺の責任だ。

「それに、合コンに誘われたら出なきゃならないってことは少なくとも大学ではないですし、晶子さんが在籍しているゼミでも晶子さんが
既婚ということは周知の事実なんですよね?」
「はい。ゼミだけじゃなくて、文学部の人は大抵知っているんじゃないかと。前に祐司さんに迎えに来てもらった時、周囲に迫られて祐司さんに
講義室に来てもらったことがあるんです。その時は私が所属する英文学科の人が殆ど居ましたし、祐司さんにこの指輪を填めてもらったのが2年の時ですから、
文学部の人なら概ね知っていると思います。指輪は目立ちますし。」
「ですよね。祐司はその指に指輪を填めてから、何も言われなかったのか?」
「いや、特に。晶子が俺の居る工学部とかのある理系エリアの生協に俺の頼みで来てもらったことがあるんだけど、その時丁度月曜の実験の昼休みで、
晶子を見かけた同じ電子工学科の奴らが事実確認に来た時には、指輪と写真を見せた。普段付き合いないからな。」
「写真はそれより前に見せたことあるのか。」
「ああ。偶々大学で仲の良い奴に見せていたら、そのままお披露目みたいになっちまってな。」

 写真のお披露目も結構賑わった。「凄い美人」「モデルか何かやってるの?」とか好評とそれに基づくような問いかけをいくつも浴びせられた。
だが、晶子が俺の代わりに理系学部エリアの生協の店舗に雑誌を引き取りに来た時には及ばない。
 智一が帰って来るのを待っていたら、必死の形相で俺に駆け寄って来て一斉に確認の問いかけをしてきたのには、何事が始まったのかと思った。
確かに理系学部の男女比率は一部を除いて圧倒的に男の比率が高いし、そんな中で晶子のように客観的に見てもスタイルの良い美人がある日現れたら、
注目を集めるだろう。あの反応は幾分過剰だとは思うが、同じ指に同じ指輪を填めていることと、晶子が言ったことを裏づけすることを言ったことを踏まえると当然か。
 美人でスタイルも良い女、というなら同じ大学でも文系学部エリアに行けばそれなりに居るだろうし−俺は行っていた時期に関心がなかったから知らない−、
大学以外では聖華女子大をターゲットにすれば結構見つかるだろう。
バイトの関係で平日の夜そう簡単に休めない俺とは違って、それこそ合コンとか口実を作って顔合わせの機会を作れるだろうし。

「晶子さんを見て近寄ってみたら左手薬指に指輪、ってなればかなりインパクトがあるでしょうね。大学生ですから大学構内に居れば余計にまさか、って
いうこともありますし。」
「はい。指輪を填めてもらってから声をかけられることは激減しました。今では少なくとも学部内では事務的なこと以外で私に話しかけてくる男性は、
教官学生問わず居ません。」

 勝平との問答には、田畑助教授との一件の顛末が含まれている。
田畑助教授に処分が下るまで晶子は本人曰く少し肩身の狭い思いをしたが、言い逃れ出来ない証拠が明らかにされた上に厳重な−俺としては今でも甘いと思うが−
処分が下されたことで、人妻に手を出したのが根本的間違い、という認識に変わったと晶子から聞いた。
晶子に文学部の講義室に誘導された時にも、田畑助教授の処分に言及した言葉があったくらいだ。
 そんなある意味曰くつきの女に迂闊に話しかけたら田畑助教授の二の舞になりかねない、という恐怖感というか威圧感というか、そういうものが
晶子に備わったんだろう。特にセクハラが自分の職を失うことにも直結することもある教官は、晶子との接触に相当神経を使うだろう。
神経質な人だと、私は君を誘うつもりは全くない、と予め宣言するかもしれない。

「今は大学でのセクハラ−正確にはアカハラですが、それに対する認識が浸透し始めてきていますからね。人妻に手を出してセクハラ、プラス不倫なんて
認定されることになったら一発でクビですから、教官は特に神経を使うでしょうね。そうでなくても、その指輪は強力な虫除けになってるようですね。」
「はい。それは間違いありません。」

 耕次の問いに晶子は即答する。
俺がプレゼントした指輪が強力な虫除けになっていることは、去年帰省した時に電話で聞いた。
ショッピングセンターに本を買いに出かけてその途中で声をかけられたが、指輪を見せたら逃げていった、と言っていた。その口調が弾んでいたのは今でも憶えている。

「その指輪に関して一番の疑問があるんですが、聞いて良いですか?」
「答えられる範囲でしたら。」
「妙なこと聞くなよ、宏一。」
「分かってるって。」

 宏一の「分かってる」は信用ならないんだよな・・・。一応事前に釘を刺しておいたら大丈夫だとは思うが。

「どうやって祐司にその指輪を填めてもらったんですか?」
「どうやって、と言いますと・・・?」
「プレゼントされた後で晶子さん自身がその指に填めたとか、そういうことです。」
「プレゼントされたその場で、祐司さんに手を取ってもらって填めてもらいました。」

 晶子の回答で面子は一様に驚いた表情を見せる。
確かに俺が晶子の左手を取って、此処に填めてくれと譲らなかった薬指に指輪を填めた。だが、晶子の答えには、先に晶子の頑として譲らなかった旨が含まれて居ない。
これじゃ俺が指輪をプレゼントするのに併せて晶子に唾をつけたと思われても仕方ない。・・・今となっては大差ないか。

「照れ屋で億手の祐司のすることとは思えんな・・・。」
「大胆且つ強烈なアプローチだ。」
「晶子さんとの関係を決定付けるには最もインパクトがある。」
「何と大胆不敵な奴。俺も見習わなくちゃならねぇな。」
「宏一。お前が指輪を填めさせようとしても突っ返されるのが関の山だ。」

 全員がそれぞれの感想を口にした後、宏一の言葉に耕次が突っ込みを入れる。
彼方此方で女を引っ掛けることを半ば生き甲斐にしているような宏一が指輪を用意しようとしたら、袋詰めにしないと間に合わないだろう。
 それに、彼方此方に指輪をばら撒いたとしても、「いきなり左手薬指は」と尻込みされるか吐き返されるのがオチだ。
まあ、指輪の種類によってはとりあえず受け取っておいて後で質屋に入れて現金に換金するっていうしたたかな、否、狡猾な女も居るだろうが。

「誠実だがいまいち不器用で傍目で見ていて歯がゆい思いをしていた俺達からでなくても、祐司にしては、随分思い切った行動だな。
指輪をプレゼントしたのは何時だ?」
「一昨年の晶子の誕生日だ。付き合い始めて初めて迎える記念日ってことで色々考えた結果、指輪にした。服とかはファッションセンスがない上に
サイズも知らない俺には無理だし、バッグとかそういうものもブランド物だと手が届かなかったからな。」
「たかがブランド、されどブランド。ブランド物なんてものは意外に直営工場じゃなくて下請けで作らせていたりするもんだ。ブランドっていう
ネームバリューで値段を吊り上げてる側面が大きい。その点では宝石もなければ見た目シンプルな今の指輪は、実用性もさることながら、祐司の気持ちを
最大限込めたプレゼントと言えるな。晶子さんは指輪に宝石がついてなかったことでがっかりしたりとかしませんでしたか?」
「いえ、少しも。それより指輪をプレゼントしてもらうことが分かって、早速今の位置に填めてもらおうと決めました。」
「え?祐司からプロポーズを兼ねて填めたんじゃないんですか?」
「はい。私が祐司さんにお願いしたんです。左手薬指に填めてくれ、って。」

 思わず聞き返した耕次に、晶子が答える。
そう。晶子にプレゼントしたペアリングは、蓋を開けて指輪だということを示して晶子に差し出そうとしたところ、晶子は左手薬指に填めてくれ、と言って
頑として譲らなかった。言い換えれば俺が根負けしたわけだ。
あの時の晶子は表情や口調こそ普段どおりだったが、左手薬指に填める、ということに関しては断固譲らなかった。

「逆プロポーズってわけですか・・・。晶子さん、見かけによらず随分積極的ですね。」
「祐司さんとの絆の証が欲しかったんです。祐司さんと私は大学こそ同じですが学部は違いますから、会える時間はバイトの時くらいです。
今傍に居なくてもこの指輪と同じ指輪を填めている男性(ひと)が居る、という安心感が欲しかったんです。」
「祐司からのプロポーズはその時同時に受けたんですか?」
「いえ。まだです。祐司さんからしてもらうことになっています。」

 一緒に外食をしたり遊びに行ったりした時の料金はどんな小額でも必ず自分の分を払う晶子だが、プロポーズに関しては「男性から言って欲しい」という
願いを持っているという点で他の女性と変わらない。それだけ晶子にとってプロポーズは大きな位置づけなんだろう。
・・・かつて愛が途中で破れて辛く痛い思いをしたから、その分ゴールの1つである結婚に繋がるプロポーズにはある種のこだわりがあるんだろうな。

「祐司からのプロポーズ待ち、ですか・・・。まあ、祐司が将来の進路を決めれば、その後祐司からしてもらえるでしょう。今は急かしたりすることなく
じっと待つことですね。焦らせると決断を誤ることがありますから。」
「はい。祐司さんの考えを邪魔しないように待つ心構えで居ます。」

 晶子はやっぱり俺が身を固める、この場合進路を決めることを待っている。
そうすればプロポーズして(されて)勤務地によって新居を決めたり、面子などを招いての結婚式と食事会への招待状を書いたり出来る。
逆に言えば、俺が決めないことには何時までも中途半端のままだ。晶子の決意を無にしないためにも、俺は進路を見定めて決定する責任がある。

「俺達の中で祐司が一番乗りかぁ・・・。」

 宏一が感慨深そうに言う。否、ぼやくと言った方が適切か。

「何かこう・・・不公平な気がするんだよなぁ。」
「不公平?」
「日夜寸分を惜しんで積極的に女性に働きかけてる俺は未だに嫁さんどころか彼女も出来ないってのに、祐司は合コンとかとも無縁なのに
しっかり嫁さん見つけて結婚指輪填めさせるまで進めたんだからよ。不公平って思わねぇか?」
「「「「否、全然。」」」」

 宏一の同意を求める問いに、俺と耕次と勝平と渉が声を揃えて否定する。
高校時代から女好きで名を馳せ、この旅行が終わったら早速地元の女子大生と合コンを実施することと、婚約や結婚とは別物だ。行動力は認めるが。

「宏一が女にどんな理想像を持ってるのかは知らないが、少なくとも合コンのハシゴと1対1の真剣な交際はそう簡単に両立するもんじゃない。
誰か1人に照準を絞って、誠実に接することだな。」
「そうかぁ?俺は合コンでの不特定多数の中から生まれる恋愛ってもんもあると思ってるんだが。」

 渉と宏一の男女交際に関する価値観の相違が明確に浮き上がる。
面子の価値観が違うのは恋愛だけじゃない。耕次が高校時代に「校則=拘束」と称したり「生活指導は学校が定めた一方的な文言に基づく人権侵害」と主張するなど、
頻繁に特に生活指導の教師と対峙する急進派で有名だったのに対し、勝平と渉は「文句言いたいなら言えば」という感覚だった。
恋愛に関しては彼女持ちだった俺は兎も角、耕次と渉は「寄って来たいなら来れば」という態度で、勝平は「来るなら一応歓迎」、宏一は自分から
目星をつけた相手にアプローチを掛け捲る、という状態だった。
 そんな価値観がバラバラで、ともすれば何かの拍子に空中分解しかねないバンドをほぼ3年間ずっと纏め上げたのは耕次の手腕に因るところが大きい。
価値観の相違に基づく議論は大いに結構だがバンド活動ではそういったものは全て脇に置け、という方針だった。
言い換えればバンド活動では全員団結しろ、ということだ。
それが高校で名立たる有名且つ実力派バンドとして、1年の文化祭からステージを大幅に占拠するだけの存在に繋がったと思う。

「まあ、ないとは言いきれないが、自分の大学のネームバリューに引き寄せられて言い寄ってくるのか、本気で興味があって話しかけてくるのかを
見極める必要はあるだろうな。」
「耕次の観点からすると、合コンじゃ大学の名前を出すと妙に相手の目がぎらつくんだよな。やっぱしネームバリューの問題かねぇ。」
「宏一は割と知ってるだろうが、芸能関係のニュースで結婚が報じられたカップルは両方職業持ちもあるが、男の方が年収何千万何億っていう奴で、
女の方は落ち目の女優とか金持ち以外はお断りのマスコミ関係の連中って場合が多いだろう。それは宏一の場合の延長線上だ。」
「ああ、あれか。既に大学の時点から玉の輿を狙ってやがるのは俺も知ってるが、男女平等とか女性の社会進出とか言う割には、そういう女の身勝手な
寄生虫的部分はろくに批判の声が聞こえてこないんだよな。」
「批判したら女性団体から『女性は就職難だから』とか『商業主義の犠牲者だ』とか、1つ言えば百にも千にもなって返されるから、黙ってるしかないんだ。
男の場合、最悪社会的に抹殺されるからな。」

 耕次と宏一は共に有名大学、耕次は将来弁護士の可能性大で宏一は意外に学者にもなり得る。
自治会活動に熱心な耕次は左派活動とも重なる部分が多いという女性運動に関心があるだろうし、宏一は元来の女好きで合コンに明け暮れてるから
女に接する機会が多い。そんな中で女の嫌な部分を実感しているんだろう。言葉からかなりそういうものが篭っているのを感じる。
 宮城にいきなり最後通牒を突きつけられたのは別として、俺はそういった点では非常に幸運だ。
晶子は耕次と宏一が言う「寄生虫的部分」がないし、でしゃばり型の男女平等を叫ぶわけでもない。やや八方美人と感じる部分はなくもないが、
交友関係を広げるという面からすれば、俺が見直すべきだろう。

「耕次さんと宏一さんは、そういうタイプの女性と出会う機会が多いんですか?」
「俺は自治会活動でセクハラ禁止の啓蒙活動も手がけてるんですけど、自分の好みのタイプから声をかけられるのはOKで、好みのタイプじゃないとセクハラ、って
都合よく使い分けてる例も時々あるんですよ。それは本来の男女平等やセクハラの認識を阻害する、って注意したら、個人の価値観の問題に介入するな、って
言い返されたことがありましてね・・・。」
「俺は俺で合コンで顔を会わせた時、最初自分の大学とか素性を話さずに話しかけると嫌な顔をされることがあるんですよ。」
「それは無理もない。」
「渉、口を挟むな。で、合コンの自己紹介で大学や学部を言うと、そいつらの目の色が急に変わって輝きさえするんですよ。」
「此処に来て直ぐに繁華街のお店で飲み会を開いた時、相手の女性が皆さんの大学や学部を聞いて歓声を上げてましたね。ああいう感じなんでしょうか?」
「ええ、あんな感じです。」

 晶子の確認の問いに宏一が肯定の返事をして小さい溜息を吐く。
宏一は合コンの回数や女との接触の機会は俺とは比較にならない数を持っているが、悪いタイプにお目にかかる機会が多過ぎて半ば嫌気がさしているのかもしれない。
・・・その方がむしろ好ましいと言うべきかも知れない、と思えるあたりが悲しいというか何と言うかだが。
 俺の場合、俺が兄さんに似ているということで晶子からアプローチが始まった。
宮城と別れた直後で心が荒んでいたから、その当時は晶子に対して良い印象はなかった。客観的に見て美人とは思ったが、それ以上のものは感じなかった。
印象が変わるに連れて見方も変わっていった。その間、他の女には見向きもしなかったから−ふられて「もう女なんか」と思っている時に合コンにのこのこ
出かける方が矛盾していると思うが−、変わり行く晶子への見方が他の女にぶれることはなかった。

「価値観の多様化って言うけど、所詮はアメリカ型男女平等の信奉か従来の寄生虫型のどちらかの価値観が圧倒的なんだよな。その点でも、晶子さんは
稀有な例ですよ。私が私はと男に限らず他人を踏み台にしてでも前面に出ようとする男女平等を叫ぶわけでもなく、男の地位や金にくっついて自分のものの
ように浪費するわけでもない。」
「祐司と付き合うまでに他の男になびかなかったっていうのが、不思議でならないですね。声は沢山かけられたそうですけど、付き合う気にはならなかったんですか?」
「はい。・・・最初に入った大学が馴染めなくて今の大学に入り直したので、あまり人と関わらずに静かに4年間を過ごすつもりで居たのもあります。」

 晶子の口調がやや鈍る。
晶子が今の大学に入り直したのは、仲が良かった兄さんとの間に距離を作られたことに反発して当時の大学を辞めてのこと。晶子にとっては触れられたくない古傷の筈。

「皆は知ってるかもしれないけど、俺と晶子が同学年なのに年齢は晶子の方が1つ上なのは事情があってのことなんだ。その件に関しては触れないでくれ。」
「ああ、分かった。すみませんね、晶子さん。」
「あ、いえ。今まで私はそのことに関して一言も言ってませんでしたから、仕方ありませんよ。」

 耕次の謝罪に晶子は明るい口調で返す。
・・・晶子には辛い過去を含むことだが、それに事故的とは言え触れられたことを責めずに居られるというのも、やっぱり晶子らしい。

「一つ聞きたいんですが、良いですか?」
「はい。」

 晶子に了承を求めてきたのは、それまであまり口を開かなかった−元々あまり喋らない方だが−渉だ。

「指輪は晶子さんの誕生日に贈られたそうですけど、クリスマスには何か特別なことをしてるんですか?」
「いえ、していません。クリスマスは祐司さんと私が働いているお店でコンサートがありますから。」
「店でコンサート?喫茶店で?」
「話してなかったっか。」

 渉だけでなく一様に頭に疑問符を浮かべた面子に、俺が店のクリスマスコンサートについて概要を解説する。
 毎年12月24日と25日の2日間に店の通常営業を止めて店にあるステージで店のスタッフ−俺と晶子、そして雇い主であるマスターと潤子さんの4人−で
 コンサートをしていること。
 曲は店で演奏するフュージョンや倉木麻衣が主なこと。
 俺と晶子が1年の時から客の入りが増えたからテーブルと椅子を全部撤去してオールスタンディング形式にするようになったこと。
 去年は混雑を避けるためにチケット制にしたが早々と売切れてしまったことなど。

「−こんなところだ。」
「ふーん。随分面白い店だな。クリスマスコンサートをするとは。」

 全員興味深げな顔をしている。我関せず、ということが多い渉も興味深そうな様子を前面に出している。
確かにジャズバーとかそういう店ならまだ考えられないこともないが、喫茶店では随分珍しいだろう。

「大学が終わってからだから、バイトの時間はあまりないんじゃないか?」
「店は夜の10時まで営業してるんだ。6時からだから4時間だな。」
「夜の10時か・・・。チェーン店じゃない喫茶店にしては随分遅くまで営業してるんだな。てことは客層は塾通いの中高生とかが割と多いんじゃないか?」
「渉、正解。」
「だろうな。今時塾に通ってない方が少数派と考えて良いくらいだし。」

 かく言う俺達面子は、全員塾には通ってなかった。通っていたらバンド活動どころじゃなくなるのは勿論だが、俺の家ではその当時は知らなかったが
お世辞にも潤沢とは言えない経済状況に加えて、「自分の勉強くらい自分の家でしろ」という方針だったのがある。現に進路を大学進学に急遽切り替えた
弟も今の今まで塾には通っていない、と前に母さんから聞いている。
 俺達が全員「第一志望校合格」を掲げてそれを成し遂げたことには同期の奴らが驚きの声を上げたが、それには全員塾に通ってなかったという要因も
プラスされていたのが大きかったようだ。
進学校の性というか「塾に通うのが普通」という認識が普遍的だった中で塾にも通わずバンド活動に勤しみ、一方で全員成績優秀というギャップが、
俺達のバンドを生活指導の教師達が歯噛みする中で文化祭とかで1年の時から脚光を浴びる存在にしたと言って良い。

「店のこととかは晩飯の時にでも聞くとして、とりあえず食って出よう。時間が迫ってる。」

 耕次に言われて携帯で時間を見ると、チェックアウトの時間がかなり迫って来ている。話し込んでいる間に食事が運ばれていたことにも気づかなかった。
確かに晩飯の後にでも話は出来る。俺の場合は風呂の時にも話が出来るから、晶子が言いたくないことを隠す形で話すこともよりやりやすい。
 味噌汁と茶がすっかり冷めてしまってるが、こればかりは話し込んでいた俺達の責任だ。冷めたといっても味まで落ちてはいない朝飯を少し急いでかき込む。
此処で終日ゆっくり過ごせるのも今日が最後。その時間を満喫させてもらうとするか。

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