written by Moonstone
「あ、晶子。おはよう。」
「おはようございます。」
「時間は?」
「大丈夫ですよ。私もさっき目覚ましで起きたばかりですから。」
「はい。確かにお預かりしました。」
「お願いします。」
「いってらっしゃいませ。」
「あ、祐司さん。標識がありますよ。」
「ん?何処?」
「ほら、あの街灯の上辺り。」
「あ・・・。」
「綺麗・・・。」
「冬はつとめて、の世界ですね・・・。」
「枕草子の一節どおりだな・・・。」
「見に来て良かったな・・・。」
「本当に良かったですね・・・。」
「一昨年と去年に続いて、縁起物に触れるのはこれで3回目ですね。」
「そうだな。一昨年は月峰神社への初詣。去年は『別れずの展望台』から俺と晶子の名前を書いた札を投げた。そして今年は此処で朝日を浴びた・・・。
念に念を押して、とどめにもう1回、ってところか。」
「あ、祐司さん。石碑がありますよ。」
「石碑?」
「この地にて 朝日浴びとて 絆生まれぬ。
ただひたすらに 己が道を 探すべし。自らが 携わらぬ道に 先はなし。未来欲しくば己が探せ
やがて光が 己を照らさん。」
「・・・此処でどれだけの人がこの石碑の文面を読んだんでしょうね・・・。」
少しの沈黙の後、晶子が語る。「ジンクスがどうやって出来るかは知りませんけど、此処で朝日を浴びることが縁結びになるっていうジンクスが出来た後で、誰かが忠告のために
此処に石碑を建立したんだと思うんです。朝日を浴びたら後は何もしなくて大丈夫って油断しないように、と釘を刺すために・・・。」
「・・・。」
「此処で朝日を浴びてずっと連れ添ったカップルがどれだけ居るのかも知りませんけど、この石碑を建立した人は一度は読んで欲しかったと思うんです。
未来は用意されているものじゃない。自分で作るものなんだって改めて思い直してもらうために・・・。」
「そうだろうな・・・。今の俺がまさにそうだから、それなりに分かるつもりだよ・・・。」
「私は、祐司さんと一緒ですからね。」
少しの間を置いて、晶子が言う。思わず晶子の方を向くと、晶子は今背中に受ける日差しのように温かい微笑を浮かべている。「相手の収入や社会的地位に魅了されてその人の本質を見極められないと、結婚してからこんな筈じゃなかった、ってことになると思うんです。
祐司さんが経済的に不利なことや家事全般が不得手なことも全部ひっくるめて、私はプレゼントしてもらった指輪を填め続けているんです。
あの時の決断は正しかった、って思い返しながら。」
「晶子・・・。」
「私も働きますし、1人だと手に負えないことでも2人でなら何とか出来ますよ。今祐司さんが住んでいるアパートに、私が荷物を持って一緒に住むのも構いません。
祐司さんのベッドがありますから寝るところには困りませんし、料理器具は祐司さんの家にある分に私が持っているもので補足すれば揃います。
元々私は部屋の荷物が少ない方ですから、場所は取りませんよ。」
「ここからは私の推測が入ることを、先に言っておきますね。」
晶子はワンクッション置く。俺は晶子の意向を踏まえて続く言葉に耳を傾ける。「祐司さんの生活は本当に大変だと思うんです。普段の講義のレポートに加えて毎週月曜の実験のレポート。1つ仕上げるためにも、祐司さんがテキストや
図書館で調べた資料を照らし合わせたり自分で考えたり、関数電卓やPCも使った計算結果をグラフにしたり・・・。理工系学部はそういうのが当たり前だと
言ってしまえばそれまででしょうけど、祐司さんは大学だけに専念出来ない。バイトで生活費を補填しないといけない。それで時間を取られて更に演奏用の
データを作ってギターの練習もする・・・。祐司さんにはそれで息抜きになっているのかもしれませんけど、どちらも息抜きになってないんじゃないかと
思う時もあるんです。データ作りの大変さは、去年の年末年始にマスターと潤子さんの家にお邪魔した時にも見せてもらいましたから。」
「・・・。」
「大学関係と生活費関係。それだけでも十分大変なのに、洗濯くらいはしないと着る服がなくなってしまう・・・。平日のお昼ご飯は大学、バイトがある時の夕食は
お店でありますけど、それ以外だとトーストとインスタントコーヒーの組み合わせでも面倒だし、それなりに後片付けとかもしないといけない・・・。
祐司さんは本当にギリギリのところで毎日を暮らしていると思うんです。」
「・・・。」
「祐司さんの力なら、今年の4月で4年に進級出来ると確信してますけど、そうなったら今度は卒業研究があります。私も勿論4年に進級すればありますけど、
3年のゼミ配属から少しずつ始まってますから、祐司さんの暮らしに比べたら比較にならないほど余裕があると思うんです。実験もないですし、
その結果だけじゃなくて前準備のレポートも用意しないといけないなんてこともありません。そのくらいは、去年の11月頃から最低でも毎週月曜
に祐司さんの家で夕食と翌朝の食事を作っていて分かってるつもりです。」
「・・・。」
「祐司さんには無理をして欲しくないんです。世間ではジェンダーフリーだとか男女同権とか言われてますけど、その一方で高給取りの男性にくっついて
優雅な暮らしを送る女性も居る。男性への批判には熱心なのにそういう女性には頬かむり。女性は、女性が、と前面に出る女性を支える男性には一言の賛辞もない。
全てを見ての総論じゃないかもしれませんけど、言葉の表面しか捉えずに他人の生活を批判するのはおかしいと思うんです。夜中に大声を出したり異臭を
出したりといった明らかに社会的に迷惑になる行動や家族への暴力や虐待なら兎も角、夫婦の生活はかくあるべし、という杓子定規を適用すること自体が
おかしいと思うんです。片方がすべきことで手がいっぱいだから片方が他のことをして、結果として得た収入で生計を維持する。それで良いと思うんです。」
「・・・。」
「収入を得る度合いがどんな形であっても、住むところが狭くても、私は良いんです。愛する男性(ひと)と一緒に暮らす。それが私の願いなんです。
だから・・・、無用な遠慮とかはしないでくださいね。」
「・・・分かった。」
「大学で昼に弁当、っていうのは少なくとも俺は見たことないけど・・・、生協の食堂で並ばなくて良いし、晶子が作るものだと俺の好みとか知ってるから、
講義の連続で息が詰まってる時には特に良いかな、って思ったことはあるんだ。だけど、晶子だって講義やゼミがあるしレポートもあるから、これ以上
負担をかけたくない、って思ってた。」
「此処に来てから皆さんとのお話でも、そう言ってましたね。」
「それに・・・、今は時間割どおりの講義の枠にはまってるからある意味目立たなくて済むけど、4年になって研究室に本配属になったら、自分に関係のある
講義以外は大抵研究室に居ることになるから、昼時に同じ研究室の人が連れ立って食事に行くところで俺が弁当を取り出したら何て言われるか、って
思うとちょっと照れくさいって言うか・・・。」
「私は、祐司さんに作ってもらった携帯の着信音が鳴る度に同じゼミの娘(こ)が駆け寄ってくるせいもありますけど、全然照れくさくないですよ。内心自慢してる
くらいですし。」
「晶子は大学で昼飯に誘われたら、弁当を持って来てる、って恥ずかしがらずに言うだろうな。俺は大抵智一と一緒に行くんだけど、最初のうちは
曖昧に言って誤魔化しそうな気がする。」
「祐司さん、私との付き合いに関してはあまり表に出しませんよね。言う時はきちんと言ってくれますけど、必要な時以外は言わないタイプですから。」
「晶子との関係がやましいとか後ろめたいとか、そんな気持ちじゃないからな。」
「ええ。それは今までの付き合いの中で分かってます。」
「晶子はゼミで俺に関係する話をするのか?」
「ええ、時々。きっかけは私からじゃなくて、他の娘からですけど。」
「発端は色々です。誰かが持って来たファッション雑誌とかアクセサリー関係のものとか、話題の小説とかですけど、その途中で私に話が振られるんです。
ファッションとかアクセサリー関係ですと夫と一緒に買いに行ったりしないの、とか、夫ってこういう小説読むの、とか。」
「なるほどね・・・。」
「展開が大きく変わったのは、祐司さんが文学部の講義室に来てくれた時からですよ。」
「ああ、晶子が携帯を使って俺を講義室に誘導した時か。それまでは俺は写真でしか姿が分からなかったのもあるだろうけど、あまり評判が良くなかったんだよな。」
「ええ。それより前は祐司さんに対する否定的な見方が主流だったんですけど、あの時祐司さんが来てくれて、携帯の着信音や指輪とかを披露してくれて、
帰る時に手を差し出してくれたりしたことで、見方が大きく変わったんですよ。見た目は写真より穏やかで優しい感じで、実際思いやりがあって大事にして
もらってるのね、って言われるようになって・・・。」
「服とかアクセサリーとか、そういうものの話はどうしてるんだ?」
「夫と買いに行かないのか、って言われるんですけど、私は夫にプレゼントしてもらった指輪とペンダントとイヤリングがあるからそれで満足してる、って答えてます。
強請ったりしないの、って時々聞かれますけど、私は夫からもらったプレゼントで十分満足してるから、夫さえ居てくれればそれ以上は要らない、って答えてますよ。」
「安上がりとか言われたりしないか?」
「祐司さんに来てもらう前はそう言われたことがあったんですけど、それ以降は夫に大切にしてもらってて良いよね、って羨ましがられてますよ。」
「指輪もペンダントも見せたことがあるんですけど。最初は安っぽいって否定的なイメージが大勢だったんですけど、祐司さんに来てもらって以来、
夫に大切にしてもらってるのね、とか言われるんです。それが凄く嬉しくて・・・。
以前の祐司さんの評価はお金を出し惜しみする
とかそういう感じだったんですけど、今は忙しい合間を縫って心の篭ったプレゼントをくれたり、日頃から大切にしてくれる良い旦那ね、って好評なんですよ。」
「生憎俺は甲斐性の面ではからっきし駄目だからな。でも、ないに等しいセンスで選んだプレゼントを晶子に喜んでもらえると、選んで良かった、って思う。
晶子が値段で価値を決めたりするタイプじゃなくて良かったよ。」
「プレゼントは相手への想いが篭っていることが一番大切なんです。祐司さんがプレゼントしてくれた指輪もペンダントもイヤリングも、真剣に選んでくれたって
ことが伝わってくるんです。祐司さんが言わなくても。だから私は他人に何と言われようと、祐司さんからもらった宝物はどれだけ札束を詰まれても譲りません。
これは・・・私と祐司さんしか持たない、この世に2つとしかない、大切な宝物なんですから。」
「指輪を外す時はないのか?」
「祐司さんに填めてもらって以来、一度も外したことはないんですよ。手入れする時も填めたままですし、むしろ今みたいに少し傷とかがあると、
今までの祐司さんとの記憶が刻まれているようで、より愛着が沸くんです。」
「身体の一部ってところか。」
「ええ。ペンダントもお風呂に入る時くらいしか外さないんです。ペンダントは着ける場所が場所ですから、見た娘はあまり居ませんけどね。」
「今時期は時に、胸元を覗き込むことになるからな。・・・そんなことさせないぞ。」
「私だって、させませんよ。」
「イヤリングは、外では滅多に着けないよな。家だと着けるけど。外で着けたのは・・・去年の夏にドライブに行ったときくらいか。」
「あれも勿論お気に入りなんですけど、指輪やペンダントよりどうしても落としてしまう可能性が高いですから、探せなくなることを避けてるんです。
家ならまだ範囲が限定されてますから探せば見つかりますし。」
「イヤリングは挟んでるだけのようなもんだからな。晶子はピアスの穴を開けてないし。」
「こうやって祐司さんに左手を取ってもらってると、指輪を填めてもらった時を思い出します。」
感慨深げな晶子の言葉。口調は始終柔らかかったが左手薬指に填めてくれ、ということは絶対に譲らなかった。覚悟を決めた俺は差し出された晶子の「晶子の意外に頑固な一面を見た瞬間の1つだな。あれは。」
「ここぞ、という時はそう簡単には譲りませんから。」
「・・・この指輪の意味がなくなるようなことは、絶対しないからな。」
「・・・はい。」
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