雨上がりの午後

Chapter 176 年を跨いでの語らい−2−

written by Moonstone


 「Love, Day After Tomorrow」でライブは終わり、「この番組は・・・。」というお決まりの締め台詞が始まったところで耕次がTVの電源を切る。
見ている間にリモコンを晶子から受け取っていたが、TVが見たかったんじゃなくて倉木麻衣が見たかったことがよく分かる。

「ライブ中継も終わったことですし、約束どおり歌いますね。曲は私が決めても良いですか?」
「あ、はい。それは一向に構いません。」
「では聞いてください。」

 面子の視線と関心が一挙に晶子に集約されるのが分かる。
晶子が何を歌うのかは読心術など心得ていない俺には知る由もないから、俺自身関心が高まっているのが分かる。
 晶子のレパートリーの中で、アカペラで歌いやすいものというと・・・、俺が演奏データを作ってる関係もあるせいかあまり思いつかないが、「Kiss」と「Fantasy」、
あと「The Rose」か。
「明日に架ける橋」もアカペラに割と向いてると思うが、あまり歌って欲しくない。
俺と晶子の携帯だけにある着信音のために選んだ曲という思い入れがあるからだ。・・・立派な独占欲だな。
 少しの、しかし長く感じる静寂の後、晶子が歌い始める。・・・「The Rose」だ。
少しほっとしたのもつかの間、マイクやスピーカーを通さない歌声に聞き入る。
練習の時とは違って完全に聞くことに徹することが出来る立場で聞く晶子の歌声は、透明感と存在感が美しく融合している。
 夜、既に就寝している客の迷惑にならないよう考慮してか、やや控えめの声量だ。
それでもメリハリはしっかりついている。ただ機械的に声を張り上げたり潰したりするんじゃなくて、歌詞というメッセージをメロディという流れに乗せて
聞く者に届けている。ヴォーカルとして本当に成長−と言えるほどたいそうな立場じゃないが−したと実感する。
 「The ROSE」の歌詞の内容は、タイトルから連想する「溢れる愛」とは違う。ブックレットの対訳を読んでも分かるが、凄く切ないものだ。
未練と笑うことも出来るだろうが、自分では真剣だった愛を、自分では永遠に続くと思っていた愛を失った傷の痛みを味わった人間なら分かる。
俺もそういう時期があったからそう思う。愛を失ったことを心底「痛く」感じたから。
 晶子が今年のクリスマスコンサートで急遽この曲を加えたのは、その時期激しい対立関係にあった智一の従妹でもある吉弘の心に隠された「何か」を感じたからだろう。
・・・恐らく俺や晶子と同じカテゴリーに分類される経験を。
 俺は詮索するのは好きじゃない。誰だって1つや2つ言いたくないことはあると思っている。
「疚しいことがあるから隠し事をする」という奴が居るが、誰にも理解されない辛さや痛みを感じたことがないからそんな大それたことが言えるんだろう。
生まれた瞬間から24時間365日行動を監視・公表されていても平気なら話は別だが。
 歌声が消えて少しの静寂を挟み、晶子以外の全員が拍手する。否、無意識に拍手したと言うべきだろう。俺も気付いたら拍手していた。

「・・・単なる看板娘じゃないってことがよく分かりました。」
「同じく・・・。」

 何とか言ったという感じの耕次の感想に、渉が同意する。
勝平と宏一は感嘆と神妙が入り混じった表情で拍手を続ける。こういう場面で煽り役を率先して行う宏一でさえ何も言わない、否、何も言えない様子だ。

「合唱部とか音楽関係のクラブに入っていたとか、ピアノを習っていたとか。」
「いえ、音楽の知識は中学のままで、お店で歌うことになるまでその知識もすっかり埃を被っていた状態でした。」
「そうですか・・・。歌唱力もさることながら発音も綺麗でした。聞いてませんでしたけど、学科は?」
「英文学科です。」
「学校英語と言葉としての英語には隔たりがありますが、晶子さんは例外ですね。」

 晶子と問答した耕次は感嘆を深めたようだ。
実際、晶子の英語の発音は流暢だ。元々英語圏の小説を読んでいることは知っているが、読み書きが出来るから話せる、というわけではない。
耕次は中学高校の英語を「学校英語」と言って「ろくに役に立たない」ものの代名詞としているが、その表現はあながち出鱈目とは言えないというのが、
大学の一般教養での英語を受講した経験からの感想だ。ちなみに講師はイギリス人。

「英語の発音を聞いてて『Can You keep A Secret?』も良いなと思ったんだけど、さっきの歌を聞いて『SAKURAドロップス』も聞きたくなったな。」
「それは良いな。雰囲気が出ると思う。」

 宏一の感想を兼ねた提案に、渉が同調する。両方共どんな曲か知らないが、店の客からの要望でよく目にするものだ。
宏一は、倉木麻衣と比較対照にされる−逆の場合もあるようだが−宇多田ヒカルの代表曲の1つとして、晶子の声で聞き比べをしてみたいのかもしれない。

「全員が楽器持ってりゃ、演奏出来たんだけどな。」
「去年のスクランブルライブみたいに、スキー場でやってるイベントの客をとって、主催者側とひと悶着あるだろうな。」

 勝平の仮定に耕次が同調して、笑いが起こる。
去年俺達面子が成人式会場前で行ったスクランブルライブでは成人式の客を取って、主催者の市関係者と応酬を展開して、客からの猛烈な「帰れ」コールで
追い払ったという経験がある。その再現が出来るかもしれない。
面子の演奏技術とかは2年のブランクを挟んでのぶっつけ本番でも存分に発揮されたし、それがあったから、オリジナル曲のみの曲編成にもかかわらず成人式の客を
取れたんだと思う。
 若いうちでないと出来ないことがある、とよく言われる。
年齢的には晶子もそうだし俺達面子も若い方に含まれるだろうが、出来ることを色々しておきたい。
あの時しておけば良かった、と後悔してもその時間は絶対に取り戻すこともやり直すことも出来ないんだから・・・。

「それじゃまた明日、って言ってももう今日か。」
「挨拶に厳密な定義を求めるのは野暮ってもんだ。」
「それもそうだ。ま、兎も角祐司と晶子さん、お休み。」
「お休み。」
「おやすみなさい。」

 渉と耕次の短いが「らしい」やり取りの後、俺と晶子は面子を見送る。
それぞれの手には来た時と同じくビニール袋を持っている。中身も外見は同じだ。しかし、本体は全然違う。
来た時はビールとつまみが別々で当然未開封だったが、今はビールの缶は全部空になって中央がひしゃげ、つまみの袋はすっからかんだ。
 面子が持って来たビールは結構な本数があったんだが、耕次と宏一がかなり飲んだし、勝平と渉、俺と晶子もそれなりに飲んだから、余るんじゃないかという
心配は杞憂に終わった。
晶子が数本飲んだことには面子は少し驚いていた。アルコールに結構強いのもそうだが、缶ビールを傾ける姿に違和感があったんだろう。俺は何とも思わないんだが。
 面子がそれぞれの部屋に入ったのを見届けて、俺は静かにドアを閉めて鍵をかける。
さっき柱時計を見たら2時を過ぎていた。他の客は既に寝ていても何ら不思議じゃないし、そうでなくても不特定多数が存在するところで大きな音を立てるのは
マナー違反だ。
 晶子は畳に湯飲みを2つ置いて、そこに茶を入れている。机は壁に立てかけたままだが、明日起きてから戻しても良いだろう。
畳に湯飲みを置かれることは違和感を抱く範疇にない。晶子の向かい側に腰を下ろす。

「どうぞ。」
「ありがとう。」

 晶子が差し出した湯飲みを満たす、濃い緑色の茶を一口啜る。その熱さと味が、程好く酔って少し浮いた感じの意識の輪郭を鮮明にする。
賑やかなひと時が過ぎた後は、本当に静かだ。柱時計が時を刻む音が静寂さをより鮮明にする。

「お店のステージやコンサートでそれなりに歌い慣れてきたつもりだったんですけど、結構緊張しました。」

 晶子は言う。その頬はほんのり赤く染まっている。

「祐司さん以外で間近で、それにごく少数の人に聞かれる、と思うと声が出なかったんですよ。」
「隣で聞いてた分には、そうは思えなかったけどな。」
「歌う前に小さく深呼吸したんですよ。それと、聞かれるって思わずに聞いてもらおう、て思うようにしたら、自然に声が出て来ました。」
「練習やステージのパートナーじゃなくて完全な聞き手として隣で聞いてて、店に客が来たくなる理由の1つが分かった。」
「祐司さんにそう言ってもらえて嬉しいです。人の前で歌ってそれを褒めてもらえるようになったのは、祐司さんのおかげですから。」
「俺は教えただけだ。当の本人がしないことには幾ら教えても何にもならない。・・・本当に良かったよ。」

 楽譜を読むのもままならなかった時代があったなんて、晶子が店で歌を披露する方針が決まって以来ずっと傍で見て来た俺自身信じられない。
感慨深さより良い歌声を間近で聞けたことの嬉しさが大きい。
 「『先生』と呼ばれたがる奴ほどろくでもない奴はいない」と言う。
俺は晶子を教えたが先生と呼んで欲しくないし、呼ばれるほどのことはしてない。歌うというマスターと潤子さんの提案を受けて、当時邪険に扱っていた
−今だからそう思えるんだが−俺にあれこれ言われながらも、懸命に取り組んだ。
無事ステージデビューを果たしてからも着実にレパートリーを増やしていった。今日初めて聞いた面子全員から文句なしの称賛を得られたのも、その成果の1つだ。
 音楽は文字どおり「音を楽しむ」ことにその魅力があると思っている。
中学時代に始めたギターで音を自分で出すことの楽しさを知った。弾けるようになるにはそれなりに時間を要した。首を傾げることも何度かあった。
でも、出来ないことが出来るようになった時の喜びは今でも忘れられない。
 高校に入って思いがけない形でバンドという、集団での音楽活動を始めた。
最初は正直あまり乗り気じゃなかった。でも、ともすればテストとその対策に忙殺されかねない生活に、変化という大きな活力と潤いを齎すようになった。
今まで片思いかふられるかのどちらかだった恋愛が、初めて公認のカップルとして実を結んだ。それもバンドを通じての音楽がなかったらありえなかったことだ。
 大学に進学しても、バイトという形で音楽を続けることになった。
偶々店の採用条件と俺のタイミングが一致したんだが、通学と勉強の傍ら聴音とデータ作りに勤しむ日々が続いた。
 俺が昼夜共にあまり暇がなくなり、土日が昼間しか身動きが取れなくなったことで、1つの絆が破綻してしまった。
あまりのショックで心は荒んだ。だが、その直後に新たな出逢いが訪れた。コンビニのレジでの晶子との出逢い。「終わりは始まり」と言うが、まさにそうだった。
 晶子との本格的な繋がりは、やはり音楽を通じてのものだった。
今思うと晶子には本当に辛く当たったと思う。晶子には何の責任もないのに、やり場のない気持ちの矛先を晶子に向けてしまった。
だけど、晶子が無事ステージデビューを果たし、衝突を乗り越え、新しい絆が出来た。
 その晶子は、俺との時間を至福のものにしている。
指輪とペンダントとイヤリング。値段から見れば安いものを、落とす可能性があるイヤリング以外は肌身離さず着けている。
俺との絆を何物にも替えられないものとしている目の前の女神の願いに応えるのは、俺だ。俺しか居ない。

「・・・晶子。」
「はい。」
「今年もよろしくな。」
「こちらこそ。」

 2人きりで改めて新年の挨拶を交わす。
間もなく近づいて来る大きな関門。試行錯誤でも良い。泥塗れになっても良い。カッコ悪いと言われても良い。言いたい奴には言わせておけば良い。
今というこの時を大切に生きよう。俺には俺の人生がある。晶子と共に生きるという見果てぬ道が・・・。

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