雨上がりの午後

Chapter 153 未来への誓い

written by Moonstone


 翌日。午前中の講義を終えた俺は、智一と一緒に生協の食堂に居る。
水曜は仮配属中の研究室のゼミがある。来年本配属になったら、今度は中心になって説明したりする必要に迫られる。
ゼミは4年が中心になって進め、院生と教官はオブザーバー的立場だからだ。
単に英語の文献を訳して読み進めていくだけなんだが、時によって用語の解説を求められたりする。それに4年が補足する、という格好だ。
 ゼミが少し早く終わったので、研究室を見学させてもらった。
音声のディジタル信号処理の最適化、カクテルパーティー効果(註:複数の音声が混濁した状態である音声のみ認識すること)を利用した雑音下での
音声加工処理など色々。
4年や院生に質問したところ、やっぱりワープロや表計算、データベースソフトは本配属までに覚えておいた方が良いらしい。
そうでないと卒研などに振り向ける時間的余裕がなくなってくるとのことだ。
特にプレゼンテーション用ソフトは卒業研究の発表会で実際に使うから是非とも、と言われた。
 問題のPCは、ほぼ絞り込めた。
今日バイトが終わってからマスターと潤子さん、それに晶子を加えた「仕事の後の一杯」の席上で相談してから決定して、明日にでも発注するつもりでいる。
関連ソフトは後で統合型を買うとして、CPUが高速でメモリを最初から沢山積んでいる機種にするつもりだ。
丁度年末商戦が近付いていることもあってか予算的にも申し分ない。

「それにしても、今日も混んでやがるな・・・。」

 前に居る智一がぼやく。
生協の食堂の昼時の混雑は今に始まったことじゃない。押し寄せる波はそのうち引くのと同じように、ピークを過ぎれば席に十分余裕は出来る。
列だって一時のものだ。昼食のメニューが品切れになったことは今までないから、混雑を見越して作っているんだろうし。

「祐司。お前、今でも昼飯は生協だよな。」
「ああ。」

 急に智一が俺の方を向いて話を振ってくる。思わず生返事してしまった。

「晶子ちゃんに作ってもらわないのか?月曜だって待ってくれてるんだから、頼めば作ってくれるんじゃないのか?」
「晶子だって講義やゼミがあるんだ。昼食の世話まで負担かけさせられない。」
「そういうことか。考えてるんだな。」
「それなりにはな。」

 智一の言うとおり、頼めば晶子は嫌とは言わずに弁当を作ってくれるだろう。
だが、晶子だって学部や学科は違えど同じ大学生。講義もあればゼミもあるし、レポートだってある。
ただでさえ俺のために色々時間を割いてくれているのに、無理をさせるわけにはいかない。
そうでなくても、約一月後に店のクリスマスコンサートを控えているんだ。この時期に体調を崩すようなことはあってはならない。
 列は徐々にだが前に進み、何時ものように流れ作業的に食券を買い、料理の載った皿をトレイに乗せて、空いている席を探す。
この時間帯では虫食い的に空いている席を探す方が手っ取り早い。
たまたま空いた二人分の席に俺と智一は向かって、並んで腰を下ろす。こういう時に座り方や相席云々は言えない。

「そう言えばさ。」

 食い始めて間もなく、智一が話しかけてくる。

「晶子ちゃんって、料理上手いのか?」
「ああ。料理出来ない俺が言うのも何だけど、上手い。」
「レパートリーも豊富なのか?」
「和洋中、主だったものは何でも出来る。自分で魚捌いて刺身も作れる。」
「ふうん。そりゃ凄いな。」
「何でいきなりそんなこと聞くんだよ。」
「順子がお前に絡んで来ただろ?だからちょっと気になってな。」
「そう言えば、彼女も料理出来るんだったな。」
「ああ。だけど、晶子ちゃんみたいに自分で刺身作れるほどじゃない。って、からっきし料理が駄目で、押しかけられて作った飯を一緒に食ってる俺が
どうこう言う資格なんてないけどな。」

 俺は一人暮らしをするにあたって、ひととおり食器や調理器具を揃えてもらったんだが、晶子が使うようになるまで埃を被ってる状態だった。
どんな立派な道具でも、どれだけ道具を揃えても、使われなけりゃただのガラクタだ。その点でも晶子に感謝しないといけない。

「その順子の件なんだけどさ、あいつから何もないか?」
「何もないけど?」
「そうか・・・。」

 智一は難しい表情で相槌を打って食事を再開する。
大学内では他人のふりをしているが、帰宅すれば同じマンションに住む、ガキの頃から一緒の従兄妹という間柄だけに、上手く釘をさせずに困ってる、と
いうところか。
まあ、こういう場合は何もない方が良い。何かある場合は、相手から行動を起こしてくる場合に限られるからな。
 俺も食べかけだった食事を再開する。
混み合っている時間帯にのんびりしていると顰蹙(ひんしゅく)を買う。
飯時くらいゆっくりしたいというのが本音だが、限られたスペースと大学の食堂という性質を考えれば仕方ないだろう。

「ん?こんな時に電話か。」

 半分ほど食べ終わったところで、横の智一がややくぐもった声で言う。食べている最中だったんだろう。
俺は、智一が携帯を取り出すのを横目でチラッと見て食べ続ける。

「俺だ。今昼飯中だぞ?・・・居る。・・・居るだろうな。・・・だから自分で何とかしろって言ってるだろ。くれぐれも言っておくが、妙な真似はするなよ?
・・・それは自分で考えろ。じゃあな。」

 智一の電話は終わる。相手は想像出来るが、昨日から連日智一に何を頼んでいるのかが気になる。
晶子に手出ししなければそれで良いんだが、今回は場合が場合だからな・・・。
かと言ってまた昨日みたいにメールを送るのも何だし・・・。携帯を使うのにもタイミングが必要だ。
 「何時でも連絡が取れるように」と晶子と揃って買った携帯。その携帯が振動しない−大学ではずっとマナーモードにしている−ことが気になる。
結局恋愛に限らず人間関係っていうのは、携帯を持っていれば万事解決、というわけじゃないわけだ。
むしろその気になれば何時でも連絡が取れるからこそ、相手を思いやる気持ちが必要なのかもしれない。

 今日も全ての講義が終わった。終了時刻がずれ込んだから、今日も晶子を迎えに向かう。
・・・先に一度電話してみるかな。
晶子は3コマで講義が終わるから、何時もどおり−慣習になったと言った方が良いか−生協の書籍売り場で待ってるだろうから。
俺は携帯を取り出して電話をかける。コール音は5回目の途中で途切れる。

「はい、晶子です。待たせて御免なさい。」
「いや、良いんだ。今講義が終わったから、これから迎えに行く。何時もの場所だな?」
「はい。入り口のところで待ってますね。」
「分かった。それじゃ、また後で。」
「はい。」

 俺は通話を切る。書籍売り場に居たところで携帯が振動し始めたから、急いで外に出たんだろう。以前と逆の立場とは言え、悪いことしたかな・・・。
携帯を使ってのやり取りに慣れているとは言えないから、この辺の加減と言うか、そういうものがまだよく分からない。

「おーおー、晶子ちゃんにラブコールか。」

 しまった。隣に智一が居たんだった。俺は携帯を畳んで仕舞う。
後ろめたいというか、隠し事をしているような感じだが、照れくさいんだよな、こういうのは。

「待っててくれてるのか。羨ましいねえ。」
「良いだろ、別に。」
「この心凍える季節に、その熱さを分けてほしいもんだ。」
「分けられないから自分で確保してくれ。じゃあ、お先に。」
「おう。また明日な。」

 俺はコートとマフラーを着て、鞄を持って外に出る。
今日は冷え込みが一気に強まって、朝慌ててセーターを引っ張り出した。
こんな吹きさらしの中で晶子を長時間待たせるわけにはいかない。自然と足が速まる。
 夕暮れ色が急速に深まる中で煌々と明かりを点す生協の店舗前に、俺と同じマフラーと茶色のハーフコート姿の晶子が立っている。
俺が駆け寄ると、晶子は表情を綻ばせる。

「お待たせ。行こうか。」
「はい。」

 俺は晶子を連れ立って帰路に着く。
吉弘の晶子への攻撃を警戒して始まった晶子と一緒の通学は、もうすっかり日常生活の一部になっている。
バイト先に行けば会えるのは分かっているが、それとは違う満足感と言うか幸福感と言うか、そういうものがある。

「クリスマスコンサートの候補曲、考えておきましたよ。」
「何にしたいんだ?」
「えっと・・・。」

 晶子は襟元に手を差し込んで携帯を取り出して広げ、ボタンを何度か押す。
見ると、曲のタイトルが列記されている。メモ帳機能を使ったのか。結構活用してるな。

「クリスマスということで『Winter Bells』は必須かな、と思って。それからしっとりした感じのものでは『Can't forget your love』『Stay by my side』
『Fly me to the moon』『愛をもっと』。テンポの良いものでは『Lover boy』『always』を入れて、潤子さんと相談ですけど『Secret of my heart』を
入れようかな、と。」
「去年と比べるとかなり入れ替えることになるな。『Secret of my heart』は人気だし、去年までのことも考えると潤子さんも入れるのに賛成するだろうな。
後は相談だな。俺はそれで良いと思う。」
「お客さん、どのくらい入るでしょうね。」
「一昨年、去年と増えてるし、今年はサマーコンサート以降連日大入りだから、整理券を配布したりするんじゃないかな。」

 店には既にクリスマスコンサートを行うという、潤子さん作成のポスターが張り出されている。
客からもどんなコンサートなのか、とか、今年は誰が何を演奏するのか、とか尋ねられる。
店内にはクリスマスツリーも飾られていて、早々とクリスマスの雰囲気を醸し出している。
 来年はこのまま進級すれば、俺と晶子も卒業研究の最中と重なる。
卒業研究がどんなものになるかは想像の域を出ないが、練習に割ける時間は、減ることはあっても増えることはないと考えた方が無難だろう。
日程次第では参加出来なくなる可能性だってある。・・・どうなるんだろう。

「祐司さんは、今度の年末年始はどうするんですか?」

 晶子が別の、しかし重大な話題を持ち出して来る。
去年は高校時代のバンド仲間との、成人式会場でのスクランブルライブ実現の約束を果たすために、後ろ髪を惹かれる思いで帰省した。
その間晶子とは電話で話をするだけだったし、寂しい思いをしただろうから、俺の動向が気になるんだろう。

「今年も帰って来い、って言われてる。電話じゃ分からないからゆっくり話そう、ってことで。」
「・・・進路のことですね?」
「ああ。だけど、親の意向は十分知ってるし、そんな現状で帰っても押される一方で終わるだろうから、俺としては帰りたくないんだ。この年末年始に
外部からの干渉なしで考えてみようと思ってる。そう言う晶子は?」
「私が今度帰省する時は、結婚を決めた時と決めてます。」

 晶子は静かな口調で言い切る。決意の固さが窺える。

「前にお話しましたよね?私が実家と半ば絶縁状態にあるってことは。」
「ああ。」
「今の大学に合格して今の家に引っ越す時に言ったんです。就職をどうするかは自分で決める、結婚を決めた時まで帰らない、って。その気持ちは今でも
変わりません。」
「晶子の両親は帰って来い、とか言って来ないのか?」
「・・・たまに。でも全部断っています。私の気持ちに変わりはない、って。」

 そう言う晶子の顔は悲しげでさえもある。親との溝は相当深いんだろう。
大学を入り直して今の家に住むようになった経緯は以前聞いたが、その経緯で自分のすることに一切の口出しはさせない、という頑固なまでの気持ちが
出来上がってしまったんだろう。

「大学を卒業してから何処に住むかとかは?」
「・・・4年間は今の家に住むことを取り決めてあります。その後は・・・。」

 晶子は黙ってしまったが、俺と結婚して一緒に住むことを報告しに行くだけ、という腹積もりなんだろう。
やはり晶子は自分を崖っぷちに追い込んでいる。今度こそは掴んだ幸せを離すまい、と決意しているのが分かる。

「俺次第、ってわけか・・・。」
「祐司さんにおんぶに抱っこになってしまっているのは申し訳ないと思ってます。でも・・・今の幸せだけは・・・絶対に手放したくないんです。何があっても・・・。」
「俺がどんな進路を選ぶにしても、晶子を放り出すことはしないよ。絶対に。こう見えても・・・結構しぶといからな。」
「祐司さん・・・。」

 晶子の顔が切なる思いで溢れている。
俺を絶望と憎悪のどん底から立ち直らせてくれたのは晶子だ。今度は・・・俺の番だ。何があっても、晶子の頬を悲しみの涙で濡らすことはしたくない。
耕次が言っていたように、それが晶子に対する俺の責任だ。幸せの対価として背負った責任を全うしなければならない。
 俺は晶子の手を取る。手袋に包まれているから直接の感触は分からないが、手を繋いだことは確かだ。
そして俺の手が握り返される。痛くない程度にしっかりと、強く・・・。その握力に込められた意思と願いをひしひしと感じる。
俺と一緒に暮らすこと。ただそれだけに自分の最大の幸福を見出した晶子のためにも・・・俺がしっかりしないとな。

このホームページの著作権一切は作者、若しくは本ページの管理人に帰属します。
Copyright (C) Author,or Administrator of this page,all rights reserved.
ご意見、ご感想はこちらまでお寄せください。
Please mail to msstudio@sun-inet.or.jp.
若しくは感想用掲示板STARDANCEへお願いします。
or write in BBS STARDANCE.
Chapter 152へ戻る
-Back to Chapter 152-
Chapter 154へ進む
-Go to Chapter 154-
第3創作グループへ戻る
-Back to Novels Group 3-
PAC Entrance Hallへ戻る
-Back to PAC Entrance Hall-