雨上がりの午後
Chapter 144 3つめの白銀色のペアの品
written by Moonstone
そして日曜日。時間は午後9時過ぎ。
場所はマスターが連れて行ってくれた携帯の店。東門から、という条件付きだが大学に程近い。
大学の周囲は学生を見込んだアパートやマンション、一般住宅が犇(ひしめ)く住宅街。
おまけに近辺には高校や中学もあるという−見たことがないから聞いた話を信じるしかない−。客には事欠かないだろう。
かく言う俺は窓口−銀行みたいだが俺には他に適当な表現は見当たらない−で見せられたサービスの内容と機種の多さに戸惑っていたりする。
マスターが言っていたとおり、一定時間内なら通話料金は基本料金込み、ってな感じのサービスどころか、メールやら何やらも一定量なら基本料金込み、
なんてサービスがあって、まさに選り取りみどり。
更に機種も色とりどりで機能はカメラやら動画作成、編集なんかが出来たりするのが当たり前でこれまた選り取りみどり。
それらがない方を要求するのが無理のようだ。
通話が出来てメモ代わりにメールが使えればそれで良い、と思っていた俺の考えは甘かったようだ。
たかが持ち歩きの電話にこんな機能があってどうするんだ、という気持ちもあるが、それをない方をくれというのが無茶な以上は仕方ない。
必要ないなら使わなきゃ良いだけの話だし。
「ねえ、祐司さん。これなんかどうです?」
尋ねてきた晶子が指差しているサービスのメニュー−一覧というべきか−を見る。
一定枠内は通話とパケットが基準の基本料金込みで、それを超えると基本料金が倍になる程度の天井で一定になる、というやつだ。
利用頻度によって料金が2通りに分かれる、といった感じか。他のと見比べてみても一番妥当そうだ。
通話は時間という分かりやすい料金の基準があるからまだしも、問題はメールだな・・・。
大学で使えるPCのメールは無料だから−金取られたらたまらない−メールの料金基準ってのが感覚的によく分からない。
分からないまま使ってべらぼうな料金を請求されたらたまらない。聞いておくか。
「あの・・・。このサービスだと通話とパケットの量に応じて基本料金が2通りに分かれるみたいですけど、分かれる目安となる通話とパケットの量は
それぞれどのくらいですか?」
「えー、それはですね・・・。通話とパケットの割合でも変わってまいりますし、それぞれのご利用時間によっても変わってまいりますので・・・。」
窓口の女性の歯切れは良くない。改めてサービスのメニューを見てみる。
「一定量ならこのお値段!」とか宣伝文句が書いてあるが、その端に数字を伴う※印がある。メニューの一番下に細かい文字で色々書いてある。
何々・・・。あ、女性の言うとおりだ。通話とパケットの利用割合やそれぞれの利用時間によって変動する、って書いてある。
だが、俺としては明確な基準が欲しい。
この程度なら大丈夫だろう、と思っていていざ請求書を見たらあらびっくり、なんて御免だ。
でも、上回った場合の天井額も固定だし、それでも月5000円もいかないから聞く必要はないかもしれない。
それに、割合や時間によって違うというから女性も説明しようがないということくらいは分かる。それじゃ仮の条件を提示してみるか。
「例えば、通話は毎日2回で各3分、パケットは・・・携帯サイトとかは使わないからメールだけで毎日1回500文字くらいだとして、それだとどうなりますか?」
「えっと・・・。少々お待ちいただけますか?」
女性は少々困惑した様子で脇のPCのキーボードを叩き始める。
こんな条件を提示してその料金を計算しろ、って言ってくる客が来るとは思ってなかったんだろう。
俺だって別に意地悪してるわけじゃない。基準とは行かなくても目安が知りたいだけのことだ。
キーボードを叩く女性の手が断続的に止まる。
待つだけの時間が過ぎていくが別に退屈はしない。時々カウンターに出された携帯の見本を見ながら結果が出るのを待つ。
暫くして女性の視線がこちらに戻る。
「ご提示いただいた条件ですとこちら、ベース1の料金枠内で十分収まる計算になります。」
女性は、問題のサービスが書かれた場所の、基本料金が倍になる前の「一定枠内」の部分を指差す。
「通話されるお時間を1回3分、メールを1回500文字としますと、このサービスでしたら一月あたり通話は100回、メールは200回ご利用いただけます。
500文字というのは相当な量ですので、伝言メモの代わりに使われるようなイメージでしたら、ご利用回数はぐっと増えます。」
「そうですか。」
「メールに限定してお話いたしますと、メールの料金計算は回数もそうですが、1回あたりの送信量にも依存いたします。メールに別のファイルを添付、
特に動画を添付されますと送信量は大きくなりますが、メール単体でしたら非常に小さなものです。伝言メモの代わりのようなイメージですと多くて100文字
くらいですから、ご用件をお伝えの場合は通話よりメールをご利用される方が宜しいかと思います。」
「どうしてですか?」
「通話ですと、相手の方の携帯の電源が切れていたり電波が届かない地域にいらっしゃったりすると、別途お申し込みいただく留守番電話に切り替わるか、
繋がらない旨のメッセージが流れます。メールでしたら送信履歴は残りますし、送信されたメールは全て一旦センターがお預かりしますから、お相手の方が
後でも受信出来ます。弊社のサービスではメールのお預かりに関しましては無料ですから、料金的にも確実性の面からもお得かと。」
晶子の問いに女性が答える。
画像も音声も、コンピュータで記録出来るようにするには何らかの方法で0と1の羅列にしなきゃならない。
所謂ディジタル化というやつだが、その場合、元に忠実に再現しようとすればするほどディジタル化されたデータは大きくなる。
逆にデータを小さくしようとすると元とはかけ離れてしまう。
再現の良さかデータの縮小かのどちらかの選択を迫られるということだが、どちらにせよ画像や音声のデータは、ちょっとしたものでもかなり大きくなってしまう。
文字の場合は対応する文字コードがあるから、それに置き換えれば良い。
置き換えや元に戻すことはコンピュータの仕事だ。置き換えたデータも画像や音声に比べればもの凄く小さい。
女性の説明どおり、伝言メモの代わりに使う程度の量だとそれこそたかが知れている。
だから音声を取り扱う留守番電話は別途申し込みで−こういう場合は大抵有料を意味する−、メールは無料なんだろう。
「お客様の場合ですと、ファミリープランを併用されると更にお得になりますよ。」
女性の言葉を理解するのにタイムラグがあった。この女性、俺と晶子を夫婦と思ってるらしい。カウンターに手を置いているから、左手薬指の指輪を見たんだろう。
「あ、あの、俺と・・・」
「そのプランはどういったものなんですか?」
「こちらになります。順にご説明いたしますと・・・。」
俺の言葉を遮った晶子の問いに、女性は別のメニューを出して説明を始める。
夫婦や家族だと誰か一人が先に提示された基本料金を払うだけで他の分の基本料金は全て割引になる他、プランに加入している夫婦や家族間の通話やメールが
割引になるとか色々「特典」がある。・・・魅力的ではある。
「−というプランです。」
「私達は事情があってまだ入籍していないんですけど、それでもそのプランは適応されるんですか?」
「はい。ご契約期間内に戸籍謄本(こせきとうほん)の写しなど、入籍されたことを証明する書類を弊社支店に提出していただければ構いません。婚約されたお二人が、
記念の一つとして弊社のこのプランをご契約される例が数多くございます。」
「契約期間というのは何年になるんですか?」
「1年単位でして、解約を申し出られない限りは弊社で更新手続きをさせていただきます。尚、このプランをご利用の場合、入籍されないまま解約されますと、
それまでのご利用に相当する料金を請求いたしますのでご注意ください。」
こうしてまた一つ既成事実が出来ようとしている。
晶子が乗り気で−横顔の輝きを見れば分かる−女性もここまで説明したということは、少なくとも女性には俺の説明は通用しないだろう。
それどころか、説明すれば晶子に大恥をかかせることになる。
「祐司さん。このサービスとファミリープランの併用で良いですか?」
「・・・一つ聞きたいんですけど。」
「何でございましょう?」
「今、俺達が使っている金融機関は別なんですけど、それでも大丈夫ですか?」
「はい。弊社とのご契約者様の中には、ご結婚された後もご勤務先などへの届出が大変、或いは金銭管理を区分したいなどのご理由で金融機関や口座が
別のままのご夫婦も居られます。弊社では様々なライフスタイルに柔軟に対応いたします。金融機関や口座などの変更につきましては弊社支店にて随時
お受けいたします。勿論変更は無料でございますのでご安心ください。」
ここまで土俵が固められていてはそこに上らざるを得ない。俺の気持ちを新たな方向から固める材料になるし、何より晶子に恥をかかせたくない。
チラッと晶子を見ると、その目が何を言いたいかを明確に示している。
「それじゃ、このサービスとファミリープランをお願いします。」
「かしこまりました。それではこちらから機種をお選びください。」
次はいよいよ機種選びか。俺は手元にあったメニューを晶子の方に寄せる。
機能が少ないものを探すのが難しい。目立った違いと言えば、せいぜい色やカメラの画素数といった細かいことだ。
新機種の方が性能としては良いんだろうが、性能と使い勝手は必ずしも一致しない。
それに値段との兼ね合いもある。
陳列してあった機種は機能こそ大々的に書いてあったが、どれも値段は書いてなかった。
一応所持金はそれなりに用意してあるが、5万6万となると月曜の朝一番にATMへ直行だ。それ以上は払えない。幾らくらいなんだろうな・・・。
「主にお二人の間でお使いでしたら、同じ色にされると宜しいかと。」
「そうするつもりですけど、色々あって目移りしちゃいますね・・・。」
「今でしたら、こちらがお勧めです。」
晶子が言うと、女性はカウンターに並べてあった見本の一つを取って広げて見せる。
「こちらは先月発売された最新機種でして、カメラの画素数は300万、動画の作成・編集、赤外線通信機能、着信メロディなどにご利用いただけます
同時発音数は64音など、豊富な機能が凝縮されております。」
「色は何色がありますか?」
「こちらですとブラック、ホワイト、シルバー、プラチナブルー、エメラルドグリーン、ショッキングピンクの6種類からお選びいただけます。お客様の指輪に
合わせるのでしたら、シルバーがお勧めですね。」
「あ、さっき着信メロディの説明がありましたけど、それって自分でも作れるんですか?」
「はい。お客様ご自身で作っていただくことも可能です。お作りの着信メロディはメールに添付してやり取り出来ますし、こちらの機種でしたら赤外線通信機能を
ご利用いただくことでもやり取りできます。赤外線通信機能でのやり取りですと料金が発生しませんので、お客様がお選びいただいたプランですとより一層お得かと。」
ふーん。着信メロディを赤外線通信でやり取りか。
そう言えば、何処そこのアーティストの着信メロディが今度携帯サイトからダウンロード出来るとか、そんな会話を大学だったか電車の中だったかで
耳にしたことがあるな。
まあ、ありきたりな電話のコール音より良いかもしれない。
「その機種は幾らですか?」
今現在の俺にとっての最重要課題を挙げる。
乗り気の晶子には悪いが背に腹は代えられない。金が足りなくて払えません、なんて恥ずかしくて言えない。
この質問をした時点で、「手持ちの金に限度があります」って宣言してるようなものかもしれないが。
「こちらは29800円になります。お客様のプランですともう1台の方は2980円になります。」
「そうですか。」
何だ、意外と安いな・・・。
しかし、もう1台の値段が1/10になるっていうのは何なんだ?そんなんで商売やっていけるのか?
会社を乗り換えない限りは安くしておくことや、サービスとかで客を寄せて儲けるという算段か?
・・・こんなこと考えても仕方ないな。今は携帯を買うことに専念しよう。
俺は他の機種の機能や値段を尋ねる。だが、機能もそうだが値段も似たり寄ったり。
こういう場合、現時点での最高性能の機種を買うのがセオリーだが、使い勝手が知りたい。
確実に必要な機能である通話とメールがすんなり出来ないことには、話にならない。
「ちょっと使ってみて良いですか?使い勝手を見たいので。」
「はい。見本ですので機能の実行は出来ませんのでご了承ください。」
女性が差し出した「お勧め」の携帯を受け取る。
折り畳むと掌にすっぽり納まる程度の大きさ。広げてボタンを操作して機能を探る。
通話は・・・このボタンを押して電話番号を入力すればOK、か。
メールは・・・このボタンを押してメニューの中から選ぶわけか。
その他「着信メロディ」やら「カメラ」やら色々ある。シンセサイザーとかと操作感覚が似ている部分がある。いじっているだけでも結構楽しめそうだ。
「どうもありがとうございました。」
「いえ。宜しかったでしょうか?」
「そうですね。この機種にしようかな。晶子はそれで良いか?」
「はい。色は出来ればシルバーが良いです。」
「俺もそう思ってた。」
俺は女性に向き直って見本を差し出す。
「この機種で色は2台ともシルバーでお願いします。」
「かしこまりました。」
女性はサービスのメニューや携帯の見本を手早く片付けると、書類を何枚か取り出してボールペンと共に差し出す。
「サービス申込書」やら「口座振替申込書」やら色々ある。
この辺はレンタカーを借りた時とよく似てるな。ものは違えど契約だから、似ていても不思議じゃないか。
「それでは恐れ入りますが、こちらの書類の太枠内に必要事項をご記入ください。印鑑もお願いします。」
俺と晶子は揃って書類に氏名やら住所やらを書き込んでいく。フリガナと住所を書く欄が少々狭いのは、この手の書類のお約束。
生年月日と満年齢。職業は・・・学生だよな、やっぱり。
で、金融機関の名前と口座番号。その他あれやこれやと書いて「印」とあるところに片っ端から印鑑を押す。朱肉は出されていた。
チラッと晶子の方を見る。晶子が字を書くのを見るのって今回が初めて、か?年賀状は出してないし、レポートを書いてるところも見たことないし。
綺麗な字だな。俺のが余計に雑に見える。
晶子と揃えて書類を差し出す。
「恐れ入りますが、運転免許証などご本人様と確認出来るものをご提示願います。」
本人以外の人間が契約して口座から金を巻き上げさせるわけにはいかないから、当然だな。
俺はズボンのポケットから、晶子はハンドバッグから財布を取り出してそこから持参した運転免許証を取り出す。
親は確実な身分証明になると言ってたし、マスターも警察屋が保証してるものだから最も確実と言ってたが、こういう時になると実感出来る。
顔写真もあるし本籍地も住所もバッチリ記載されているから、確認する側としても一番やりやすいだろう。
女性は俺と晶子が差し出した運転免許証と書類、そして俺と晶子の顔を忙しなく見比べる。一人であれだけの書類の確認をするのか。大変だな。
確認が終了したのか、ありがとうございました、と言って運転免許証を返すと、今度はPCに向かってキーボードを叩き始める。
時折マウスを操作しつつ書類を見ながらだが入力スピードはかなり速い。所謂ブラインドタッチというやつか。
暫くしてPCの操作を終えた女性が向き直る。
「センターに登録いたしました。サービスAとファミリープランの併用とPAC910ASを2機ご購入で、安藤祐司様が32500円、井上晶子様が5350円になります。」
契約書でファミリープランの「代表者」となっていたのは俺だったから−差し出された書類がそうなっていた−料金は俺の方が高くなるわけか。
この程度なら痛くも痒くもない。俺は財布から4万円を出す。晶子は6000円を出す。
女性は釣り銭とレシート、そして・・・番号札?を差し出す。
「こちら番号札になります。現在センターからの返信や電話番号などの設定をいたしておりますので、番号が呼ばれましたら、あちらの窓口へお願いいたします。
それまで掛けてお待ちください。」
何だ、契約完了で金を払ったら直ぐ引渡し、じゃないのか。
まあ、金を払ったから後は待つだけだ。俺と晶子は席を立つ。
ありがとうございました、の声に送られてマスターが座っているソファに向かう。
「お待たせしました。」
「ん?否。後は引き渡し待ちってところか。」
「はい。」
「で、将来の入籍を前提にしたサービスで、機種も色もお揃い、と。」
「何で知ってるんですか?」
「この静かな店内でこの距離なら、十分聞こえるよ。」
俺は周囲を見回す。それほど広いとは言えない店に居る客は、俺と晶子とマスターを含めても10人に満たない。
店内には薄くBCMが流れているが、会話や接客を阻害するには至らない。
待機用のソファは店のほぼ中央にある。ちょっと耳を澄ませば、他所の会話なんかを十分聞き取れる。
今は待つしかないから、俺はマスターの向かいに座る。俺の左隣に晶子が腰を下ろす。
他の客は窓口に居たり陳列されている新機種を見ていたりするから、座るのに特に遠慮は要らない。
「それにしても、祐司君はまだしも、井上さんが携帯を持ってなかったっていうのは意外だな。」
「そうですか?確かに学科やゼミでも携帯を持ってないのは私くらいで、持ってないって言うと珍しがられますけど。」
「この質問は二人に共通するけど、どうして今まで携帯を持ってなかったんだい?」
「持つ理由が見当たらなかったからです。」
「私もです。」
「ということは、それこそ二人専用の新しいコミュニケーションの道具になるわけか。持つことになった経緯は別として、丁度良い機会になったんじゃないか?」
「まだ実感が湧かないです。どんな時に使えば良いのかよく分からなくて・・・。」
「そう難しく考えなくて良い。自分が今何処に居るかを伝えるとか、今から迎えに行くとか、内容は業務連絡のようなものでも、今まで相手を探して
面と向かわないと言えなかったことを伝える手段にすれば良い。そもそも電話自体が、それまで手紙や電報くらいしかなかった通信手段に新たに加わったものなんだし、
それが今度はわざわざ公衆電話を探さなくても何時でも使えるようになった、という程度に思っておけば良い。」
マスターのアドバイスは頭では分かるが、まだ実感とまではいかない。
そりゃあ、あの無闇に広い大学の何処に居るかの目星もつかない相手と何時でも通話やメールのやり取りが出来るんだから、使いようによっては便利だとは思う。
だが、何時でも使える、ということは裏を返せば、何時連絡が入るか分からない、という不安を抱えることにもなる。
電車の中や講義の最中なんかにも携帯で会話したりメールを読み書きしたりしているのは、そういう要因もあると思う。
何時でも連絡が取れる筈なのに応答がないと余計に不安になるんじゃないか?
元々携帯そのものに良い印象を持っていなかったせいもあるんだろうが、これで万事解決か、と疑問に思う。
「1番の番号札をお持ちのお客様。」
女性の呼び声が店内に響く。番号札を持っていた俺と晶子は立ち上がり、揃って先に紹介された窓口へ向かう。
そこには別の女性が立っていて、カウンターには小さめの手提げ袋が2つと銀色の物体が2つ並べられている。
俺が番号札を差し出すと、女性は一礼する。
「お待たせいたしました。こちらがご購入の機種になります。」
俺と晶子は女性から携帯を受け取る。
真新しい銀色をした蝶番(ちょうつがい)の本体を広げると、効果音のような音がして夜景の写真が液晶画面に映し出される。畳むとまた効果音がする。
「こちらがご契約書、お申込書のお客様控え、そして請求書兼領収書になります。電話番号はこちらに記載されております。」
女性は書類を順に広げて見せる。契約したサービスの内容やら氏名やらが記載されている。
女性は俺と晶子の前で一連の書類を折り畳んで、カウンターの下から取り出した冊子らしいものが入った袋の中に入れる。
「今回ご購入いただいた機種の取扱説明書などは、こちらに入っております。充電セットやアダプターなども入っております。電池は予め充電されておりますが、
本格的にご利用される前に、一度完全に充電していただきますようお願いいたします。」
女性は書類を入れた袋を先に出されていた手提げ袋に入れて、俺と晶子に近付ける。俺と晶子は袋を手に取る。
「消耗品のご交換などは当店以外の弊社支店でもお受けいたしますので、お気軽にご利用ください。ご契約ありがとうございました。」
女性が頭を下げると、俺と晶子はつられるように頭を下げてから窓口を後にして、マスターの元へ向かう。
立っていたマスターに先導される形で、ありがとうございました、の声に送られて俺と晶子は店を出る。
「どうだ?携帯を持った気分は。」
「まだ何とも・・・。」
「それじゃ、家(うち)に電話してみると良い。かけ方は分かるだろ?」
「はい。見本を適当に弄(いじ)っていたら直ぐ分かりました。」
俺は携帯を広げてボタンを操作する。
受話器を上げた状態の絵が描かれたボタンを押して、店の電話番号を入力してから−市外局番から入力しないといけないのが面倒だな−十字キーボタンの中央を押す。
耳に当てると普通の電話と同じコール音が聞こえてくる。
「はい、渡辺です。」
「あ、潤子さんですか?祐司です。今、晶子とマスターと一緒に携帯の店の前に居ます。」
「ということは、祐司君の携帯からかけてるのね?」
「はい。普通の電話と変わらないです。」
「電話機を持ち歩いているのと同じ感覚で良いのよ。機種は晶子ちゃんとお揃い?」
「はい。色も。」
「やっぱりね。それじゃ、ちょっと晶子ちゃんに代わってくれる?」
「はい。」
俺は晶子に携帯を差し出す。晶子は携帯を受け取って耳に当てる。
「もしもし。お電話代わりました。井上です。・・・普通の電話と同じ気分です。・・・色はシルバーです。色々サービスがあるんですね。・・・はい。・・・はい。
それじゃ、祐司さんに戻します。」
晶子が差し出した携帯を受け取り、耳に当てる。
「もしもし。祐司です。」
「こっちに戻って来たら一度見せてね。」
「はい。」
「楽しみにしてるわ。それじゃ、また後で。」
「はい。失礼します。」
少し間を置いてプツッと切れる。液晶画面を見ると、受話器を置いた絵の描かれたボタンを押してください、と表示されている。
割合静かに切れるものなんだな。潤子さんが静かに受話器を置いたせいかもしれないが。
俺がボタンを押すと、液晶画面が最初の状態に戻る。
「記念すべき第1回目の通話は、祐司君と井上さんの間にすべきだったかな。」
「それはこれから何度でも出来ますから。」
「井上さんの言うとおりだな。それじゃ、一先ず家に戻ろうか。」
「「はい。」」
俺と晶子はマスターの後をついていく。
まだ便利さという面では実感を持てないが、使っているうちに分かるものだろう。
お揃いの携帯、か・・・。そう言えばそういうシチュエーションがあるネット小説がある、とかいう話を聞いたことがある。
指輪とペンダントに続くお揃いの品。何となく嬉しい。
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