雨上がりの午後
Chapter 97 デマとの闘い
written by Moonstone
翌日、晶子は大学のセクハラ対策委員会に訴えた。
行動は決まっていたとはいえ、まさかこんなに早く行動を起こすとは思わなかった。だが、一方で安心していたりする。
晶子が俺との交際の継続と田畑との「決別」を決めた以上、暢気に構えていたら田畑がどんな手段に訴えるか分からないからだ。
訴えたということは、バイトが終わってから何時ものように晶子の家に寄って紅茶をご馳走になった席で聞いた。
セクハラ対策委員会は訴えを受理し、証拠としてあの会話の一部始終を録音したICレコーダーを提出したそうだ。
あれほど明確な証拠があれば、田畑に何らかの処分が下るのは避けられまい。
だが、問題はこれからだ。
「原告」である晶子と「被告」である田畑は、共にセクハラ対策委員会の要請に応じて尋問を受けることになるという。
田畑にしてみれば、自分に気があると思っていた相手がある日いきなりセクハラだと訴えたら驚くだろうし、それこそ逆恨みしかねない。
否、しても何ら不思議じゃない。
それで晶子や俺を誹謗中傷するメールを大学中にばら撒くことも十分考えられる。俺は何を言われようが構わないが、晶子は大丈夫だろうか・・・?
「耐えられるのか?根も葉もないデマを流されたりしても・・・。」
「大丈夫です。それより私は祐司さんにまで被害が及ぶのが・・・。」
「俺は構わない。友人といえば智一くらいしか居ないし、智一だって晶子への想いを捨てていない以上、妙なデマを信用したりはしないだろう。
第一、俺が誰と付き合おうがそれこそ俺の自由だ。他人にあれこれ言われる筋合いはない。それより、当事者である自分のことを優先するんだ。」
「はい・・・。」
晶子は神妙な面持ちで短く答える。
キャンパスセクハラそのものの話を持ちかけられた翌日、即行で訴えたのは良いが、それで田畑が逆恨みしてろくでもない行動に打って出て、
その被害が俺に及ぶことを案じているんだろう。
気持ちは勿論嬉しいが、俺としては晶子は自分のことだけ考えていれば良いと思う。
「昨日わざわざ俺の家に来て、俺に自分の決断を宣言して、それを実行したんだ。もう後には引けない。晶子は自分のやれることをやれば良い。
俺のことを心配する必要はない。俺だって学科じゃ今でも孤立しているようなもんだ。田畑が流したデマを信じて何を言ったところで
大して状況が変わるわけじゃない。」
「私が調子に乗らなければ・・・」
「今更何を言っても手遅れだ。なっちまったもんは仕方ない。それよりこれからのことを考えるんだ。人の噂も75日、って言うけど、その75日、約2ヵ月半、
晶子が周囲からの白眼視に耐えられるかどうかが、俺は一番心配なんだ。」
「私が周囲からの圧力に屈すること・・・ですか?」
「ああ。幾ら晶子が学部で浮いた存在だからって、噂の威力は相当なもんだ。特に色恋沙汰はな。晶子が大学に行くのが辛いと思うようになったら、
学業に支障を来しかねない。」
「悪意のある噂がどれだけ人を傷つけるものか、私は知っているつもりです。」
はっきりした口調で言った晶子の顔は、悲しみに溢れている。過去にそういうことがあったのか?
髪が茶色がかっていることで、記憶力のない教師や質の悪い連中に難癖をつけられ続けたことは知ってるが・・・それ以外にも噂絡みで辛い思いを
してきたんだろうか?
「・・・祐司さんと付き合う前、もっと遡れば今の大学に合格してこの町に来る前に、私は大恋愛をしたんです。」
晶子はやや視線を落とし気味にして言う。
大恋愛・・・。そう言えば晶子も失恋した経験があるんだったな。
俺も高校時代、宮城とは学校中で知らないものは居ないと言われるくらい有名な恋愛関係にあったし。
「その恋愛が周囲に発覚してから、一気に噂が広がったんです。それこそ根も葉もないものに尾鰭がついたものが・・・。私の実家は田舎ですから
余計にそれが酷くて・・・。私とそのときの彼は噂に負けずに一緒に居よう、って約束してたんですけど・・・。結局・・・。」
「・・・ふられちまったのか。」
俺の言葉に、晶子は小さく頷く。
噂に負けてしまったってわけか・・・。俺にその当時の晶子の彼氏を責めることは出来ない。
田舎は兎角保守的で妙なな内輪意識があったりする。何処からともなく飛び出したデマがあらぬ方向にまで拡散して、その圧力に耐えられなかったとしても
仕方がない。その点から見れば、俺は変な言い方だが恵まれていた方だろう。
だが、今度ばかりはそうはいかない。晶子にまた同じ辛酸を舐めさせるわけにはいかない。
俺がしっかりしてなかったら、晶子は大学でも、そしてバイト先でも居場所を失ってしまう。本当に孤独な生活を送らなきゃならなくなる。
それで仮に大学を辞めて実家に帰ろうものなら、また妙なデマの嵐が吹き荒れるだろう。晶子をもうそんな目に遭わせるわけにはいかない。
「・・・俺がその時の彼氏を責めることは出来ない。田舎の噂とその圧力は俺の実家のある地域以上だと思うから。」
「・・・。」
「でも、もう二度とそんな思いはさせない。俺が晶子の心の拠り所にならなかったら、晶子は行き場を失っちまう。それじゃ、俺が晶子の彼氏を
名乗る資格なんてない。」
「祐司さん・・・。」
「デマを信じる奴にはそうさせておけば良い。だけど、晶子の身に危害が及ぶようなら、遠慮なく言ってくれ。俺が叩き潰してやる。
だから・・・晶子は自分のことだけ考えるんだ。良いな?」
「・・・はい。」
晶子はようやく微笑みを浮かべる。しかしその表情から悲しみの色は消えてはいない。
辛い過去の記憶を呼び覚ましてしまったんだから無理もないだろう。
だけど晶子の泣くところは見たくない。泣くならせめて俺の前だけにして欲しい。
そのためには俺がしっかりしてないといけない。これは俺と晶子にとって一つの正念場と言えるだろう。
智一や宮城に割り込まれないためにも、俺がどっしり構えて晶子を受け止めなきゃいけない。
愛する相手の涙は、嬉し泣きの時だけで十分だ。
晶子がセクハラ対策委員会に訴えた日の翌週の月曜日。
店のクリスマスコンサートがいよいよ来週に迫ってきたということで、俺と晶子は一昨日からマスターと潤子さんの家に泊まりこんでいる。
理由は簡単。「俺が実験のレポートとかで忙しいだろうから、食事や起床時間と練習時間を保障するため」だ。
取り計らいは勿論嬉しいが、初日の夜から物音を立てて晶子を「避難」させるようなことはしないで欲しい。まあ、一緒に寝る口実が出来たってもんだが。
眠気が残る目を擦りながら今日の実験がある部屋に入ると、それまでざわめいていた室内が急に静まり返った。・・・何だ?一体。
俺が周囲を見回すと、それまで俺に集中していた視線は直ぐに逸れるが、何やらひそひそと話しているのが彼方此方で見られる。
気味悪さと嫌らしさを感じながら実験器具のあるテーブルへ−今日の実験はトランジスタの特性測定だ−向かうと、智一が血相を変えて俺に駆け寄ってきた。
また「レポート見せてくれ」か?
やれやれと思いつつ一先ず鞄をテーブルに置くと、智一が焦った様子で話し掛ける。
「お、おい、祐司!」
「レポートなら見せてやるよ。」
「それどころじゃない!大学中にもの凄いメールが飛び交ってるぞ!」
メール・・・。その単語で俺は嫌な予感を感じる。否、予感というより確信出来る−したくはないが−予想だ。
智一は焦りを隠し切れない様子で言葉を続ける。
「あ、あの晶子ちゃんが、目に付いた男という男とヤりまくってるっていう、出所不明のメールが大学中に流れてるんだ!」
「・・・だから?」
「だからって・・・。お前、どうにも思わないのか?!それに加えて、お前の名前まで出てて、お前が誰の子かも分からない子どもの父親候補に
されてるって言われてるんだぞ!」
「・・・だから?」
俺が重ねて尋ねると、智一は言葉を失って視線を彼方此方に彷徨わせる。
出所不明も何も、出所は簡単に予想がつく。
それに、誹謗中傷のメールが飛び交うことくらい十分予想範囲内だ。今更驚くこともない。
俺は鞄から先週のレポートと一緒に、今日の実験の目的や実験内容を纏めたレポートと記録用のノートと筆記用具を取り出し、智一に向き直る。
智一は予想外といわんばかりの表情で俺を見ている。
俺が驚いて狼狽するとでも思ってたんだろうが、当事者の晶子に関わっている人物として、それに晶子が訴えた相手の性格からして、
驚くのも馬鹿馬鹿しい。
「・・・今日はレポート出来てるのか?」
「・・・あ、い、いや、分からなかったところがあるけど・・・。」
「写すなら今のうちに写せ。先生が来たら手遅れだぞ。」
「す、すまん。」
智一は気を取り直して俺からレポートを受け取って、自分のレポートと向き合って忙しなく首を左右に動かしながらシャーペンを動かす。
「あ、あの・・・。」
同じグループの残り二人のうち、一人が恐る恐るといった様子で話し掛けてくる。
この二人、実験の時は他所を訪ね歩いて手の空いている奴と談笑しているくせにレポートや口頭発表は俺任せ、というどうしようもない奴らだ。
どうせこいつらも出所不明のメールとやらを見るか聞くかしたんだろう。
学部には個人に割り振られたパソコンがあるから−複数で共有していて、ログイン名とパスワードで個別設定になる−、それでメールを見ていたとしても
何ら不思議じゃない。むしろ暇な奴らだからメールを見ている可能性は高い。
「何だ?」
「そ、その・・・。レポートを・・・。」
「写したけりゃ写しな。何時ものことだろ?」
「あ、ありがとう。」
「わ、私も・・・。」
残り二人も智一の傍に寄って必死にシャーペンを動かす。こうしてまたレポートのクローンが出来上がるってわけか。もう怒るのも馬鹿馬鹿しい。
社会人になったら嫌でも自分でしなきゃならないことがあるのに、今から訓練しておかなくてどうするつもりなんだ?
まあ、そいつの将来なんて俺の知ったこっちゃないが。
周囲を見回すと、何時ものようにざわめいている。
今までと違うところと言えば、時折俺と目が合って直ぐに逸らす奴が少なからず居るということだ。
話の内容は聞かなくても分かっている。聞きたくもないが。しかし、デマがもう出回るとは・・・。流石に手が早いだけのことはある。
だが、デマなんて本人が堂々と構えてれば所詮こんな程度のもんだ。
それに学科の奴とは智一以外は殆ど喋ったことがないし、友達離れを憂える必要もない。
信じたいなら勝手に信じろ。好きにすれば良い。ただ、そのデマを以ってして俺と晶子の関係を壊そうとするなら・・・話は別だがな。
それより問題は晶子だ。様子が分からないだけに心配が募る。
俺と智一は、切りの良いところで遅い昼食を摂りに生協の食堂へ向かう。
他の二人は談笑していた連中と一緒に先に行っちまったが何時ものことだから何も言わない。言うだけ無駄だ。
道中、智一は溜息を吐いて言う。
「しかし、デマメールがあれだけ派手に流れるとはねぇ・・・。」
「そのデマを本気にしてたくせに、よく言うな。」
「ほ、本気にしちゃいないさ。ただ、内容が内容で、それにお前の名前まで出てきたからびっくりしちまっただけだよ。」
「フン、どうだか。」
「ほ、本当だって。」
智一が躍起になっているのを見て、俺は思わず笑みを零す。
智一としては、朝来た俺が周囲の様子が変なのを妙に思い、自分の口から問題のメールについて聞かされて狼狽するか、懸命に火消しに回るかの
どちらかだろうと思っていたんだろう。
だがお生憎様。そんな下らない予想どおりにことは進まない。
「それにしても・・・チャンスを逃したな。」
「何がチャンスだ。デマで俺が狼狽するのにつけこんで、晶子を引っ手繰ろうとでも思ったか?」
「言い方は悪かったが・・・お前がここまでどっしり構えてるというか、噂を意に介さないとは思わなかった。多少は驚くかと思ったんだが・・・。」
「デマの出所もこうなることも十分予想してたさ。」
「てことは、晶子ちゃん、田畑助教授をふったのか?」
「ああ。」
セクハラ対策委員会に訴えたということは言わないでおく。
そこまで言う必要はないだろうし、話を盗み聞きした奴が新たなデマを流す可能性もあるからだ。
「これじゃ、俺の割り込む余地はなさそうだな。」
「あるわけないだろ。」
「いや、前に晶子ちゃんと田畑助教授の噂を聞いたときのお前とは随分違うな、と思ってさ。」
「俺が晶子を信じなくて何が彼氏だ、ってことを十分思い知らされたからな。」
「何だ?晶子ちゃんと喧嘩でもしたのか?」
「ちょっとな。そのお陰で晶子ともっと親密になれたけど。」
「ふう・・・。益々俺の割り込む余地がなくなったな、こりゃ。」
智一が肩を竦めて言う。だが、その表情は呆れたというより敵わないねといった感じだ。
宮城が言った言葉じゃないが、隙が生じれば割り込んでやろうという気はあったんだろう。
だが、そうさせるわけにはいかない。晶子を取られたくないというのもあるし、何より俺がしっかりしてなかったら晶子が心の拠り所を無くしてしまう。
それが一番怖い。
幾ら周囲から浮いた存在だといっても、これまでとは状況が全然違う。
デマメールの内容どおり、目に付いた男という男とヤりまくってる超淫乱女のレッテルを貼られるんだ。
あんな美人が、という驚きもあれば、陰ではそういうことをしてたのか、という冷めた見方もあるだろう。
後者が特に怖い。これは白眼視に繋がるばかりか、田畑を「信奉」する他の学生からいじめを受けることになりかねない。
それこそ大学に行きたくないと思う状況に追い込まれる可能性もある。
だからこそ、俺がしっかりしてないといけない。
晶子の性格だ。衆人環視の前では何とか耐え凌ぐだろう。だが、それから解放されたら一気にやり場のない怒りと悲しみが噴き出すだろう。
それを受け止めるのは俺だ。その俺がぐらついていたら、晶子の精神が崩壊しかねない。
大学でのいじめという話は聞いたことがないが、晶子は髪が茶色がかっているというだけで辛酸を舐めさせられてきたんだ。
そんな高校時代の辛い記憶も重なって、誰かに泣きつきたくなっても全然不思議じゃない。
その時、俺の前でなら好きなだけ泣けるように身構えてないといけない。
「俺としては、『もう私、どうして良いか分からない』『フッ、心配要らない。俺がついてるぜ』『ありがとう、智一さん』なーんて展開が
あるかな、と思ってたんだが。」
「声真似は止めろ。気味悪い。でも、やっぱりそういう考えがあったか。」
「こういっちゃお前には悪いが、そりゃあ多少は期待したさ。でも、今のお前を見ている限り、そういう展開は期待出来そうにないな。」
「させるか。」
「・・・晶子ちゃんも幸せだろうな。四方八方敵だらけになっても、お前が居れば言い方は悪いが泣きつきに行っても良いんだから。そうでないと、
やってられないだろうな。あんなデマメールが大学中に乱れ飛ぶようじゃ。本気にする奴も少なからず居るだろうし。」
「お前もその一人だろ?」
「い、いや、俺は内容に加えて、晶子ちゃんとお前の名前が出てきたからびっくりしただけであってだな・・・。」
「説得力なし。」
俺が言うと、智一は苦笑いする。まあ、この程度なら掴みかかる必要はない。
心配なのは晶子だ。今ごろどうしてるんだろう・・・。それが気がかりでならない。
こういう時同じ学科に居れば、少なくとも同じ学部に居れば、心強いだろうが、こればっかりは仕方ない。
今日から学部を変えてくれ、なんて言えるわけないしな。
とりあえず俺の方はこの調子なら何ら問題ない。やはり問題は晶子だ。今日家に−マスターと潤子さんの家だが−戻ってからの様子を見るしかない。
そこでもマスターか潤子さんが居れば表面に出さないかもしれない。
二人きりになった時こそ、俺の真価が発揮されると言っても過言じゃない。
・・・今日の実験が早く終われば良いんだが・・・。
結局この日も実験終了は遅くなってしまった。
実験そのものは何とか滞りなく完了したんだが、肝心の口頭発表で指名された残り二人がまったく答えられず−そりゃ、実験にまるっきり
タッチしてないのに、実験結果の考察なんて答えようがない−、
「きちんと実験してたのか」と指導教官に説教され−これが結構長かった−、結局俺が9割、智一が1割の割合で答えてようやく解放となったわけだ。
今回智一が多少なりとも答えたのは前進と言えるが、一歩か二歩に過ぎない。残り二人は論外だ。
デマメールに−俺も見たが呆れの溜め息しか出なかった−踊らされたりレポートのクローンを作ってる暇があるなら、予習するなり実験に参加するなり
しろってんだ。
「祐司。不機嫌そうだな。」
「当たり前だろ。もう実験が始まって3ヶ月だぞ?幾らグループだからって、俺や智一に任せっきりでレポートのクローンを作って済ませてきたから、
こんなことになるんだ。もう今後奴らに実験のデータを提供しない。美味しいところだけ取らせてなるかってんだ。」
「まあ、お前の気持ちは分かるけどさ、そんなに腹立てても効果ないって。どのみちこの先嫌でも苦労しなきゃならないんだから。」
「それはお前にも言えることだぞ。」
「うっ、そ、それを言っちゃあ、おしまいよ。」
「自覚があるなら何とかしろ。・・・ったく、入試で実験に対する態度とかも加えりゃ、あんな役立たず共が来なくて済むものを・・・。」
愚痴を言っていると益々腹立たしくなってきた。実験に手を出そうとしない。考察の時に自分の知識を振り絞ってでも回答しようとしない。
そのくせ、他のグループの手の空いている奴と暢気に談笑してる。デマメールに踊らされてあからさまに余所余所しい態度を取ったりする。
ああいう奴が好成績どころか単位を得ること自体我慢ならない。
まだ今日は夕食を食べるにはそんなに遅くない時間帯だし、潤子さんが用意しておいてくれるから良いようなものの、これで先週みたいに
夕食が生協、ってことになっていたら、あいつらをぶん殴っていたかもしれない。
こういう、「まじめな奴ほど馬鹿を見る」っていうシステムはどうにかならないのか?
「でも、お前ってホント、真面目な奴だよな。」
「真面目って・・・これが普通じゃないのか?まあ、少なくともあいつらよりは真面目だとは思うけど。」
「やっぱりお前は真面目だよ。謙遜でもなければ自意識過剰でもないところが特に。晶子ちゃんはきっと、お前のそういうところを見通したんだろうな。」
智一がちょっとしんみりした口調で言う。俺の機嫌を直そうとか、そういうつもりで言ってるんじゃなさそうだ。
真面目といえば、晶子が以前俺のことをそう言ったが、俺は傍から見て真面目といわれるような人間なんだろうか?自覚はないんだが・・・。
「今は真面目な奴ほど馬鹿を見るような時代だけどさ、何時かはお前みたいな真面目な奴が笑える時が来ると思うぜ。」
「どうだかね。体よく利用されっぱなしになりそうな気がするけど。」
「まあ、実験じゃお前の言うとおり、真面目なお前が利用されてるようなもんだけどさ、恋愛ごとに関して言えば、良い方向に働いてるんじゃないか?」
「・・・まあ、そうとも言えるかな。」
「じゃなかったら、晶子ちゃんみたいな良い娘を引き付けられないって。」
「・・・真面目、ねえ・・・。」
俺は空を見上げる。黒く塗り潰された空には、宝石をばら撒いたように星が煌いている。
星を見るのが特に好きというわけじゃないが、冬の星空は他の季節より華やかに思う。
華やかだが派手じゃない。黒い布にきらりと光るアクセントといった感じだ。
初めて一緒に待ち合わせて買い物に行った時の晶子を思い出す。
飾り気のない晶子がイヤリングをつけてきたのは、晶子に関心があるわけじゃなかったあの時でも、良く似合ってたと思う。
「祐司。お前は今の自分を損だと思うか?」
「実験に関してはな。」
「じゃあ、例えば先にやったグループから、実験結果の概要とか口頭発表の傾向とかを聞き出して楽しようと思うか?」
「それじゃ何のための実験だか分かりゃしない。実験と予習をやってりゃ答えられないことはないんだし。」
「お前の真面目さは、もう骨身に染み込んでるもんだな。直しようがない。」
「悪かったな。」
「悪くはないさ。その真面目さが晶子ちゃんを引き付けたんだから。これからにしたって、お前の真面目さがある限り、きっと良いことがあるさ。」
「だと良いがね・・・。」
俺は溜め息を吐く。白い吐息が勢いよく飛び出して広がり、出て来た時とは対照的にゆっくりと闇に溶け込んで消えていく。
実験のあるこの曜日は、どうしても気分が優れない。温かい食事にありつけるだけまだましと考えた方が良いか・・・。
理不尽なことの塊。それが現実社会で大学がその縮図だと思うと、真面目に−自分では意識してないが−やってるのが馬鹿馬鹿しく思える。
智一が例示したようなやり方で乗り切っていけないことはないと思う。
でも、それは俺の良心というか・・・気分的に許せないものがある。
これが俺の本質なら・・・それはそれで仕方ないのか。今から要領良く生きろ、なんて言われても出来そうにないし・・・。
それより晶子、今頃どうしてるかな・・・。
もう帰ってるとは思うが、遅くなる、って電話で告げた相手は潤子さんだったし・・・。
目が届かない分不安が募る。
食がろくに進んでいないんじゃないか?部屋に篭って声を忍ばせて泣いてるんじゃないか?
不安が段々焦りになってくる。
早く帰ろう。晶子に会いたい。
焦りと思いがピークに達した俺は、智一に告げる。
「智一、俺、急ぎの用事を思い出したから帰る。」
「あ、ああ。」
智一の反射的な返事を聞いて直ぐに、俺は走り出す。
空腹や寒さより、晶子のことが気になって仕方がない。
走るにつれて焦りが募ってくる。晶子の悲しむ顔が脳裏に浮かぶ。すると更に焦りが膨らむ。
晶子、待ってろよ・・・。
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