雨上がりの午後

Chapter 95 昔との語らい、現在(いま)との語らい

written by Moonstone


 俺は宮城に案内されて、地下街の1軒の飲食店に入る。
俺のバイト先とよく似た、否、それ以上に女性が好きそうなテーブルや椅子が並ぶ、如何にも女性層をターゲットにしているといった感じの店だ。
中は案の定女性客が多くて、男の俺はかなり目立つ。
居心地の悪さを感じつつ、俺と宮城は二人向かい合わせに座る形の席に案内される。
ふと腕時計を見ると11時半過ぎ。昼過ぎに起きて朝食と昼食を兼用する普段の週末から考えれば極めて「健全」な時間だ。
 俺はサンドイッチセット−飲み物には紅茶を選んだ−を、宮城はミートスパゲッティとホットコーヒーを注文する。
注文を受けた店員が去った後、宮城が興味津々といった表情で話し掛けてくる。

「ねえねえ。あの娘(こ)とは上手くやってるの?」
「まあな。」

 いきなり核心に突っ込んできた質問に、俺はどぎまぎしながら曖昧な返事を返す。こっちの事情を知らないのを良いことに・・・。
あ、知らなくて当然か。別れて以来全然連絡とってないし。

「実はちょっと喧嘩とかしてたりして。」
「憶測だ、憶測。」

 こいつ、探偵雇って調べさせてるんじゃないだろうな・・・。
表面上は平静を装っているつもりだが、顔に出てるかもしれない。多分そうだろう・・・。で、宮城はそれを見逃さずに突っ込みを入れてきているんだろう。
誤魔化しが出来ないのはこういうとき不便だ。こういう時は問いかけを反射させるのが一番だな。

「かく言うお前は、彼氏出来たのか?」
「忘れた?あたしは祐司と区切りをつけただけで、諦めたわけじゃないって。」
「・・・いい加減諦めろよ。お前も地元離れてそれこそ距離が広がるんだし。」
「ううん。距離は広がらないわよ。逆に縮まる。」
「何?」
「あたしの職場ね、此処小宮栄にあるの。住む所ももう決まってるわよ。まさにオフィス街のど真ん中。便利なんだけどちょっと手狭でね・・・。
まあ、都心だから仕方ないけど。」

 俺は驚きを隠せない。てっきりこの近辺から離れるのかと思ったら、逆に俺との物理的距離が縮まる小宮栄に来るとは・・・。
ま、まあ、俺は学生だし、宮城は不規則な仕事だって言うし、「接近」を警戒する必要はないか。

「意外だな・・・。地元を離れるって言うから、この近辺から出るのかと思った。」
「就職先も探せば意外にあるものよ。職種を選ばなきゃ、の話だけどね。親は反対したけど、祐司みたいに会社選べる程レベル高くないし、
丁度上手い具合に欠員があったからこれを逃す手はない、ってことで内定取り付けて既成事実作って押し切っちゃった。」
「宮城らしいな。で、何の仕事なんだ?」
「ふふふ。それは秘密。」
「教えろよ。減るもんじゃなし。」
「だーめ。何れ同窓会名簿で分かるわよ。」

 ちっ、肝心なことははぐらかしやがるな・・・。
まあ、確かに何れは分かることだろうし、幾ら宮城を追求したところで体良くはぐらかされるのは目に見えている。此処は引いた方が賢明だな。

「でも祐司は良いよね。何てったってあの新京大学の工学部。会社なんて選り取りみどりでしょ?」
「さあ・・・。まだその辺の情報は仕入れてないから何とも言えない。それに、普通に会社や官庁に就職するって決めたわけじゃないし。」
「何?実家継ぐの?」
「それはない。親もそうさせるつもりはないって言ってるし。」
「じゃあ今流行りのベンチャー企業だっけ、それを立ち上げるとか。」
「それは秘密。」
「ぶー、ケチ。」
「それはお互い様だろ。」

 俺が言うと、二人揃ってくすくすと笑う。何だか昔に逆戻りしたみたいな気分だ。
もしあの行き違いがなかったら、彼氏彼女の関係でこうしていられたかもしれない。
でも、俺にとってはその関係はもう過去のこと。今は高校の同期。それだけの関係だ。
俺には大切な存在が居る。今更過去に戻るなんてのは勿論、考えちゃいけないことだ。少なくとも俺はそう思う。
 そうこうしているうちに注文の品が運ばれてきた。
腹ごしらえをしながら、俺と宮城は話を続けた。
内容はもっぱら互いの現況についてのこと。
俺はバイトと学業の両立が結構しんどいこと、そして晶子との関係は同じバイトをしていることもあって−これは宮城も驚いた−順調に続いているということを、
宮城は短大の講義やゼミが就職活動で殆ど崩壊状態にあること−これは政治と企業の責任だ−、そして就職への意気込み。
一般的ではない業界−この辺が引っかかるが−だけに不安はあるが、それに負けずに頑張るとのこと。
まあ、宮城の性格なら新しい環境にもすんなり適応出来るだろう。
 ゆったりした時間が流れて、食事も済んだ。
俺が出るか、と言うと、宮城はちょっと待って、と言ってコートのポケットからメモ帳とペンを取り出して何やら書いて俺に差し出した。
090から始まる10桁の番号。それは紛れもなく携帯電話の番号だった。

「あたしの仕事、携帯が必須みたいなもんだっていうし、友達も持ってるから前に買ったの。実際今も持ってるわよ。」

 そう言って宮城は胸ポケットから携帯電話を取り出して見せた。
パステル調のピンク色の折り畳めるタイプのもので、カメラ機能も搭載しているとのこと。
今じゃそれが当たり前らしいが、携帯電話を持ってさえいない俺には珍しい代物であると同時に、何か違和感を感じずにはいられないものだ。
携帯電話にはメモリ機能があって、複数の相手先を記憶出来るということくらいは知っている。
それは即ち自分の秘密を持ち歩いていると公言しているようなもので、俺には物騒に思えるし、同時に手が届かない秘密をちらつかされているようで
どうにも不快に感じる。

「このメモ、捨てないでよね。また話す機会があるかもしれないし。」
「学生と社会人、まして宮城は不規則な生活なんだから、電話なんてしないさ。迷惑だろ?仕事中や疲れて家に帰ったところに電話がかかってきたら。」
「仕事中なら手短に済ませれば良いこどだし、それに疲れて一人家に居る時こそ、誰かと話したくなるものよ。祐司だって、一人ぽつんと家に居ると
余計に気が滅入っちゃわない?」
「そうでもないぞ。」
「まあ、今の祐司はあの娘と一緒のバイトで家も行き来してるからそう思うんだろうけど、あたしは今実家に居ても、一人で部屋に居るのが
つまらなくなる時が結構あるのよ。そんな時は携帯で友達と話したり、メールやり取りしたりしてる。」
「ふーん・・・。」
「内容なんてどうでも良いの。ただ話したりメールやり取りするだけでも、自分は一人じゃないんだ、って思えるのよ。そこがポイント。
祐司も就職してあの娘と合う時間が少なくなったらきっと携帯が欲しくなると思うわ。」
「そんなもんかね。」
「祐司、電話そのものが苦手だもんね。でもこれからの時代、携帯くらい持ってなきゃ駄目よ。電子工学科に居るなら興味本位で買っても
不思議じゃないと思うんだけどな・・・。」
「少なくとも今の俺には必要ないし、携帯電話に払う金があるならギターの方につぎ込むさ。」
「ふー、やれやれ。祐司のギター好きは治ってないか。」

 宮城は肩をすくめて呆れたといった調子で言う。
そう言えば高校時代、バンドの練習に夢中な俺に「あたしとギターとどっちが大事なの?」っていう厄介な質問をぶつけてきたっけ。
「優子ちゃんは−その当時はそう呼んでいた−勿論大切だけど、ギターも大切だし、比べようがない」って答えを返したら、「それってインチキ」と怒られたな・・・。
それから時は流れても、俺のギターへの愛着は宮城を呆れさせるほど変わってないようだ。
 宮城からのメモを受け取った俺と宮城は店を出る。勘定は別々に支払った。
もう宮城を離すまいとご機嫌を取る必要もないし、高校の同期に戻ったんだから、片方が勘定を担う必要や義務はない筈だ。
宮城もその点は心得ているようで、自分の分の勘定を済ませた。
 店を出たところで俺と宮城は別れることになる。俺は自宅に帰らなきゃならないし、宮城は一人暮らしの準備で店を回らなきゃならないからだ。
これが恐らく最後の会う機会になるだろう。
此処での別れをきっかけに、俺と宮城はそれぞれの道へ戻って歩くのを再開する。
もう振り返るのは心の中でのみ。それも誰にも話さない秘め事としてのみだ。

「俺はこのまま帰るから、4月からの仕事、元気で頑張れよ。」
「うん。祐司こそ、あの娘と仲良くね。隙があったら学生と社会人の垣根なんて乗り越えてでも割り込んでやるから。」
「そうさせないようにする。」
「じゃあ・・・元気でね。」

 宮城がすっと手を差し出す。俺も抵抗なく手を差し出し、ぐっと握手する。
時間にすればほんの数秒の間に、幾つもの言葉が音もなく、しかし目まぐるしく俺と宮城の間を行き来したような気がする。
自然に手が離れると、俺と宮城は同時に背を向け合い、俺は駅へ向かって歩き始める。
もう振り返らない。旧友とのひと時の出会いはもう終わったんだから・・・。
 俺は切符売り場で切符を買い、中央改札を通って停車中の急行に乗る。
下りのこの便は割と空いているとはいえ、それなりに人が乗っている。俺は空いていた座席に腰を下ろして発車時間を待つことにする。
 コートのポケットに手を差し入れる。中には包装紙の滑らかな感触とそれと幅た違う滑らかな感触の二つが同居している。
今日はこれを、ICレコーダーを買うために小宮栄を訪れた。
思いがけないハプニングはあったが、無事目的のものは手に入れられた。
操作方法は少々面倒な感もなくはないが、シャーペンを使う感覚で使えることが分かっているから、晶子の手にも直ぐ馴染むだろう。

「間もなくー3番ホームからー、月峰神社方面、新京市行き急行が発車いたしまーす。ご乗車の方はーお急ぎください。」

 少々間延びした感のあるアナウンスが流れる。それに続いて、何人かが電車に駆け込んで来る。
それが少し続いたら、車内はかなり混み合うようになった。座っている安心感を狙ってか、朝無理矢理追い払った眠気が倍になって逆襲してきた。
胡桃町駅までは約1時間。眠っていても大丈夫だろう。意外に降りる駅の手前で目が醒めるもんだ。寝過ごす場合もないとは言えないが。

「3番ホームからー、新京市行き急行が発車いたしまーす。」

 眠気をより倍増させるようなアナウンスが流れた後、ホイッスルの音が聞こえ、ドアが閉まる。そして軽い衝撃を伴って電車がゆっくり加速していく。
電車が規則的な心地良い揺れを醸し出すようになると、俺の眠気はピークに達する。・・・大人しく寝るとするか。帰ったら・・・まずは実験のレポートの仕上げだな・・・。

「へえ・・・。これで録音や再生が出来るんですか・・・。」
「ああ。一見普通のペンかシャーペンにしか見えないだろ?」

 その日のバイトが終わって晶子の家で紅茶を飲みつつ、俺と晶子はICレコーダーを話のネタにしている。
晶子は初めて見る−俺も初めて見たが−カセットテープを使わないレコーダー、それもペンかシャーペンにしか見えないICレコーダーが余程珍しく思えるらしく、
手にとってしげしげと眺めている。
 俺がICレコーダーを渡した時は流石に驚いたが、今後の田畑対策のため、と会に行った理由を説明すると、晶子は恐縮して代金を払うと言い出した。
勿論俺は丁重に断った。
これは晶子のためでもあり晶子の彼氏である俺のためでもあるし、何より一方的に田畑との関係を疑って関係断絶まで告げたことに対する
詫びのつもりでもあるからだ。
ただ、宮城と偶然会って昼食を共にしたことは言っていない。新たなトラブルを生む要因になりかねないからだ。
晶子とて決して宮城を楽観視していないだろう。あの夏の夜の俺と宮城との話し合いを立ち聞きしていたんだから。

「試してみて良いですか?」
「もうそれは晶子のものなんだから、使うのは自由だよ。」
「それじゃ・・・。」

 晶子は先に俺が説明したとおり、ペンの頭をカチカチとノックする。
これで録音が開始されたわけだが、晶子はどうも本当に録音しているのかどうか疑わしいらしく、ペンを色々な角度から観察している。

「大丈夫だって。電池が入っているのは俺ので確認してあるし。それより録音してるんだから、何か喋ってみなよ。」
「祐司さんの言葉も録音されたんですか?」
「晶子がそう尋ねた言葉もな。」
「録音してるって雰囲気がないんですよね・・・。サーとかジーとかいう音がしないですから・・・。」
「音声を0と1だけで構成されるデジタル信号に変換して、パソコンにあるのと同じようなメモリに記録してるんだ。晶子はノートパソコン持ってるだろ?」
「はい。」
「それに家計簿や小説を保存する時、サーとかジーとか音するか?」
「いいえ。祐司さんの説明は分かるんですけど、それがこんな小さいもので実現されてるっていうのがちょっと信じられなくて・・・。」
「俺もそれを見た時はちょっと驚いたさ。まさかペン型のものがあるとは思わなかったからな。・・・さて、一度止めて再生してみたら?」
「あ、はい。」

 晶子はペン本体の小さな赤いボタンを押して、ペンの頭を1回押す。すると、録音を始めてからの俺と晶子の会話が鮮明に再現され始める。
晶子は驚きのあまり呆気に取られている様子だ。
会話が途切れたところで、晶子はもう一度小さな赤いボタンを押す。そして再びペンをしげしげと観察する。

「これは凄いですね・・・。」
「それなら普段携帯していても怪しまれることはないだろ?操作はちょっと面倒だけど、慣れればそんなに不自由はしないと思ってそれにしたんだ。」
「そうですね。さっき使ってみた感じではシャーペンと同じ感覚でしたから、特に違和感はないです。こんな良いもの、ありがとうございます。」
「気にしなくて良いよ。それより取扱説明書に書いてあるけど、再生の音声が弱くなってきたら電池を替える頃合だと思ってくれ。いざって時に
きちんと録音出来ないんじゃ、宝の持ち腐れだからな。」
「はい。それは注意します。大切にしますね。」
「使って貰えればそいつも本望だろうよ。」

 晶子はICレコーダーをテーブルの上に置く。その時ちょっと指が動いたような・・・。ま、気のせいだろう。
晶子は俺を見詰めて口を開く。

「祐司さんがわざわざ小宮栄まで行って買って来てくれたのは、私を心配してくれてのことですか?」
「ああ。もうあんなごたごたは御免だし、田畑がこれからどんな手を使ってくるか分からないからな。学校のセクハラ行為は被害者の親告が頼りだし、
加害者が身に覚えはないと言えば処分されないこともままあるらしいから、明確な証拠があった方が、その後の被害を未然に食い止められることになるだろ?」
「元々私が後先考えずに気楽に対応してたのが間違いだったんですよね・・・。でも、祐司さんが心配してくれるのは嬉しいです。・・・ところで祐司さん。」

 晶子の表情が俄かに真剣みを帯びる。
俺は宮城と会って食事をしながら談笑したことに鎌を掛けられるのかと思って、内心冷や汗をかく。

「私のこと・・・愛してくれてます?」

 思いがけない問いかけに一瞬驚いたが、宮城とのことに鎌を掛けられなかったことで内心安堵し、晶子の目を見て率直に答える。

「勿論、愛してるよ。」
「私が祐司さんと田畑先生を二股かけてないって、信じてくれますか?」
「ああ。信じる。あのごたごたは俺の勝手な被害妄想が生んだようなものだからな。相手を信じなきゃ恋愛なんてやってられないって改めて実感したよ。」
「・・・聞きましたからね。」
「?」

 晶子が急に悪戯っぽい笑みを浮かべて、例のICレコーダーを手に取り、小さい赤いボタンを押してからペンの頭を1回押す。
すると、さっきの会話がそっくりそのまま聞こえて来た!晶子の奴、俺に気付かれないように−否、何か怪しげな動作をしていたのには気付いたが−
録音にセットしてたのか!

「来週頭までBGM代わりにさせてもらいますね。」
「き、機能を悪用したな!」
「利用した、って言ってくださいよ。こういう重要な会話なんかを記録するために使うんですよね?この機械って。」
「そ、そりゃそうだけど・・・。」
「じゃあ、さっきの録音は問題ないですよね?」

 俺には晶子の笑みが小悪魔のそれに見えて仕方がない。果たして本当にこんな代物を渡して良かったものか、とちょっと後悔の念さえ感じてしまう。
このまま使われたら、迂闊なことは言えないな・・・。
このICレコーダー、小さい割に感度はかなり高いから隠して録音していても分からない。
まあ、その方が田畑対策には有効なんだが、俺に対して使われることまでは考えてなかった。・・・晶子が策士だってことを忘れてた俺が悪いのか?
 俺は苦笑いを隠すために紅茶を啜る。
一度録音した内容は次の内容を録音すると上書きされてしまって消えてしまうから、さっきの会話は田畑対策に備える月曜日まで残されるだろう。
何だか子どもに玩具を与えて喜んでいるところを見ているような気分だな・・・。
意外に晶子も子どもっぽいというか、茶目っ気というものがあるように思う。
 まあ、晶子のそういう純粋なところが長所でもあり短所でもあるんだが、長所もあれば短所もあるのが人間だろう。
それが出会い、時に波長が重なり時にぶつかって人間関係が築かれていくんだと思う。それを避けていたら・・・何も始まらない。続くものも終わってしまう。
俺は今日の事件でそれを思い知らされたような気がする。

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