雨上がりの午後

Chapter 29 銀幕にまつわる感情の渦

written by Moonstone


「安藤さん。仕度出来ました?」
「ちょっと待ってくれ。」

 ドアの向こうから井上の急かす声が聞こえる。
普通外出の準備は女の方が時間がかかるというが、今回はまるで逆だ。目を輝かせてドアが開くのを待っている井上の様子が想像できる。
俺が井上を待たせているのは、井上より食べるのが遅かったのもあるが、外出用のこんなことになるなんて思いもしなかったし、
バイトは専用の服があるから、外出用の服なんて持ってきてやしない。
まあ、元々服装には無頓着な方だから、家に居たとしても何を着るかで困るだろうが・・・。
 かと言ってあれこれ迷っていてもシンデレラみたく豪華な服を用意してくれる妖精が−魔女だったか?−出てくる筈はないから、
持ってきた服を着るしかない。
手早く着替えてズボンのポケットに財布を突っ込んで、ドアを開ける。
 真正面に立っていた井上の服装は・・・バイトに出てくるときと大して変わらない。
・・・そうか。井上だって俺と出掛けることになるとは、願っていたかもしれないが本当にそうなるとは思ってなかっただろうから、
普段着るような服しか持ってきてなくて当然か。
ほっとすると同時に、あれこれ悩んでいたことが我ながら馬鹿らしく思える。

「待たせたな。服どうしようかちょっと迷ってて・・・。」
「普段着の方が良いですよ。服装が余所行きだと気分も余所行きになっちゃいそうで。」
「・・・そうだな。」
「じゃあ、行きましょ。」

 井上は俺の手を取って走り始める。俺は引っ張られるままに前のめりに走り出す。
井上に主導権を握られてしまっているが・・・それも悪くない。
それに、この機会に言えるかもしれない・・・。延々と引き伸ばしている井上への返事を・・・。

 井上に引っ張られるように、俺は裏口から外へ出る。
暮れも押し迫ったこの時期にしては意外に暖かい。
空気の刺々しさも少なくて、柔らかい日差しが冷気を含んだ風に吹き飛ばされることなく肌に達する。
春の兆しを思わせるような陽気に、本能的に縮こまらせていた体の力を抜く。

「暖かーい。デートには丁度良い日よりですね。」
「デ、デートって、映画見に行くだけじゃ・・・。」
「二人で映画見に行くのもデートのうちですよ。」
「・・・。」
「さ、早く行かないと第1回目の上映に間に合わないですよ。」

 井上は俺の手を引っ張って走り出す。勢いの良さにつんのめってしまうが、どうにか体制を立て直して井上に並ぶ。
手は取り合ったままだ。でも、それに何の抵抗も感じない。頬を撫でるような陽気とは違う柔らかさを伴う温もりが心地良い。
 映画館の場所は知らないから完全に井上任せだが、どうやら何時も通学に使う駅の方向へ向かっているようだ。
途中から何時も通学に使う道に入る。そのまま駅に向かうと思いきや、途中で左に折れる。
何時も電車の窓から見えるか見えないかの線路沿いの通りを進んでいくと−混雑で周囲の人間の頭しか見えない場合が多い−、
大きな現代風の建物が見えてくる。その前にはかなりの行列が出来ている。どうやらそこが映画館のようだ。

「・・・凄い混雑じゃないか?」
「人気の映画なんですよ。カップルお勧めの映画だってラジオで言ってました。」
「・・・カップルねぇ・・・。」
「さ、急ぎましょ。」

 行列に並ぶのは最近だと学食くらいだし、行列が出来るものというのはマスコミが作った一時の人気だというのが俺の認識だ。
まあ、内容を見てみないことには断言できないが・・・。
 行列に近付いてみると、やはりというか殆どがカップルで後は女友達で誘い合って来たようだ。
まあ、テレビか雑誌で評判を見聞きして、話の成り行きで行ってみようかとなったクチだろう。
カップルにしたってこの手の映画を見たいと思うのは大抵女の方と相場が決まってる。俺と井上の場合もそうだし・・・。
 ・・・ちょっと待て。俺と井上はカップルじゃない筈だ。なのに、無意識にそう思い始めている・・・。
俺の気持ちは本物なのかどうか頭であれこれ考える以前に、頭の中ではもう一つの方向に向いているのか・・・?

「1回目じゃ無理かもしれませんね。」

 井上が溜息混じりに言う。見ると確かに凄い行列だ。
係員が出てロープを張って、列を蛇行させているくらいだ。俺と井上が並んだ位置は2回蛇行した後の最後部にあたる。
映画館の広さにも依るが、井上の言うとおり1回だと無理かもしれない。

「1回の上映が2時間くらいとして・・・1回目では入れないと昼過ぎになるな。」
「・・・どうします?」
「どうしますって・・・観たかったんじゃないのか?」
「ええ。でも、待ち時間が退屈じゃないかなって・・・。」
「待ってればそのうち入れるさ。昼は中で食べれば良いし。」

 こういうとき、俺は何故か気長だったりする。
実際、行列は少しずつだが確実に前に進んでいるし、行列の長さからしても2時間くらい待てば確実に入れるだろうと楽観的に考えている。
・・・普段はこういう考え方がなかなか出来ないくせに・・・。
 ふと井上を見ると、俺の顔をじっと見ている。
何かを問い掛けるような瞳に見詰められると、俺が何か悪いことをしたような気になってしまう。

「・・・どうかしたか?」
「ん・・・ちょっと分からなくて・・・。」
「?」
「何で・・・優子さんが安藤さんをふったのかなって・・・。」
「・・・そんなこと、俺より良い男を見つけたからに決まってるだろ。」

 俺は視線を横に逸らす。何を聞くかと思えば・・・。
自分の中で品評会をした結果、俺より「身近な存在」とやらが良かったから、電話一本で俺を捨てたんだ。
・・・まあ、以前ほど腹立たしくは思わないが、思い出したくないことには変わらない。
 左の袖に何かが触れる。そしてその感触は添えられるようなはっきりしたものに変わる。
ちらっと左腕を見ると、井上の手が俺の腕に回っている。
 井上と腕を組んでいる・・・。それだけで心拍数が上がる。周囲の状況を考えれば何も不自然じゃないが・・・。
あの女、優子とは腕を組んだ覚えは殆どない。それどころか手を繋いだこともあまりない。
勿論嫌だったわけじゃない−それなら3年も続かなかった筈だ−。
気恥ずかしさがあったのは勿論だが、地元の高校だったから、繁華街を歩けば誰かに見られるという思いがあったと思う。
 考えてみれば、街中で中高生が堂々と手を繋いでいるのが珍しくなくなったのはつい最近のことだと思う。
優子と付き合っていた頃は、デートも何処か秘め事のような位置付けだった。
 今観ようと並んでいる映画のタイトルの如く、逢瀬の雰囲気を守るか仲の良さをアピールするか、どっちが良いのかは分からないが・・・。
俺にとって女と腕を組むというのは、なまじ慣れてないだけに緊張感で体を硬くするには十分だ。
まあ、一つの布団で手を繋いで寝てからこう思うのも何だが・・・。

「・・・安藤さんの不幸を喜ぶ気は全くないですけど・・・。安藤さんが優子さんと別れてて良かったです。」
「・・・。」
「そうじゃなかったら・・・こうして一緒に出掛けたり、お話したり出来なかったかもしれない・・・。安藤さんが優子さんと付き合ってたら、
私は遠くから見てるだけだったか・・・、もし言ったとしてもふられるか、二人の仲を壊してしまってたかもしれない・・・。
そんなことはしたくなかったから・・・。」
「・・・遠くから見てるだけでも良かったのか?」
「二人の仲を壊して自分が幸せになって良いのか、って思うんです・・・。それで誰かが泣くことになるのは、どうしても罪悪感を感じるんですよ。」
「・・・。」
「選ぶのはその人の自由ですけど・・・選ばれなくて泣く人だって居るんです。私も・・・昔そういう思いをしたから嫌なんですよ、そういうのは・・・。」

 井上の声が沈んでいるのが分かる。
そうか・・・。井上も前にふられたことがあるって言ってたな・・・。同じような傷を抱えた者同士が出会ったってことか・・・。
お誂(あつら)え向きというか、類は友を呼ぶというか・・・。だけど・・・。

「・・・俺は今・・・不幸だとは思ってない。」
「え?」
「あの女と別れてなかったら、井上とこうやって居られなかったんだろうから・・・。」
「・・・。」
「あれはあの女の勝手だからどうしようもない。でも、それで井上と出会えたなら・・・あれで良かったと思う。」

 こういうのをプラス思考というんだろうか?
眉唾物の思想家もどきを信用する気はないが・・・。今は本当にそう思う。

「それにしても・・・勿体無いことしたもんだな。」
「何がですか?」
「天秤にかけたら井上の方が軽く感じたなんてさ・・・。」

 俺の場合は付き合いの価値観が違っていたし遠距離だったから、高校の時だったら自然消滅していたようなずれが埋められない溝になったんだろう。
それは平日ならまず間違いなく顔を突き合わせていた状況から一転して声だけが頼りの状況に変わる遠距離恋愛で陥りがちなパターンだし、
だとするとあの女と切れるのは時間の問題だったのかもしれない。
 だが、智一も言っていたとおり、井上は今時簡単にお目にかかれないタイプだと思う。
自分より相手のことを第一に考えるなんて、言うのは簡単だが実行するのは無茶苦茶難しい。
なのに天秤にかけて軽く感じたなんて、その男も後で悔やんでるかもしれない。あの女の場合はとっくに思い出の一つになってるだろうが・・・。

「・・・そう思います?」
「ああ。」
「私も・・・ふられてて良かった・・・。」

 井上が俺の腕を抱き寄せるように腕を絡ませて体を寄せてくる。
緊張はするし喉に痞えるものも感じるが・・・不思議とその感覚が心地良い。
行列は着実に進んでいくが、もう少し遅くなってくれれば・・・。

 映画館には1回で入れた。複数の映画館が共存するという、今よくあるスタイルで、案内表示が3つもある。
俺と井上が見る映画は中央の通路を進んだ方向で上映されるそうだ。
入り口でチケットのもぎりと引き換えに貰った薄いパンフレットを手に、俺と井上は上映会場に入る。
 中は予想以上に広い。他に2つ映画館があるとはいえ、あれだけの行列を吸い込めただけのことはある。
コンサート会場を思わせるような整然と並んだ座席は前の方からぎっしりと埋まっている。二人分の席は確保できるんだろうか・・・?

「凄い人ですねー。」
「本当だな・・・。兎も角、席を探そう。」

 俺と井上は二人分の席を探して通路を歩く。
前の方は全く入る余地がないが、後ろの方は割と空いている。
こういう場合、前の方から席が埋まっていくというのは確か心理学の講義で話があったな・・・。
 歩いていくと正面やや左寄り、通路に面した席が丁度2つ空いていた。
さすがにスクリーンが多少小さく見えるが、この際贅沢を言っても始まらない。
俺は井上を先に座らせて、続いて横に座る。
 黄白色の照明に照らされた館内には、パンフレットを見ながらの展開の予想や映画とは関係ない会話が複雑に雑じりあって浮かんでいる。
時計を見ると上映までまだ少し時間があるが、売店に行って飲み食いをするには足りない。
まあ、飲み食いしながら観るようなタイプの映画じゃなさそうだから、大人しく待っている方が良いだろう。

「映画観るのって、久しぶりなんですか?」

 井上が話し掛けてくる。そう言えば、井上はこの映画館の場所を知っていたな・・・。何度か来てるんだろうか?・・・誰と?

「高校のとき以来かな・・・。こっちに来てからは一度も観てない。」
「私もこっちに来てからは初めてなんですよ。」
「?じゃあ何で此処を知ってたんだ?」
「此処って線路沿いですよね。通学途中にああ、あそこに映画館があるんだなって。」
「あ、なるほど・・・。」

 言われてみれば確かにそうだ。俺が気付かなかったのは乗り降りの時に出入りする人波に翻弄されるのが嫌で奥の方に入り込む習慣がある上に、
毎度の混雑で外の景色を見る空間的余裕も心理的余裕もなかったからだろう。

「今から観る恋愛ものの映画って好きですか?」
「んー・・・。どうかな・・・。映画自体あまり観ないからなぁ・・・。」
「私は結構好きなんですよ。結末より過程の方ですけどね。」
「・・・過程・・・か。」
「結末に至るまでに出会いから始まって、お話したりデートしたり、喧嘩したり色々あるじゃないですか。
そういう人と人との触れ合いが上手く出ている映画は好きですね。」
「いっぱしの評論家みたいだな。この映画は井上先生のお目に叶うかどうか、要注目だな。」
「からかわないで下さいよ。」

 井上は照れくさそうな笑顔を浮かべて俺の肩に寄りかかってくる。少しドキッとするが、少しも不快に思わない。
上映開始を告げるブザーのような音が鳴り響く。それに続いて照明が落とされる。
闇に包まれた館内に白いスクリーンが浮かび上がる。間もなく上映が始まる・・・。
 最初の数分くらい脈絡のないCMが続いた後、ようやく本編が始まった。
大人のラブロマンスかと思いきや、舞台は高校だ。主人公の男のクラスに美人の転校生が−結構有名な若手女優だ−入って来る。
当然クラスの男は大騒ぎだ。でも、これとあのチケットのデザインとどういう関係があるんだ?
 話は意外に淡々と進んでいく。何処にでもあるような学生生活の中で、主人公とその転校生は何かぼんやりした記憶を思い出すが、
目立った接点もなく日々は流れていく。
退屈といえば退屈な展開だが、その記憶が何なのか、どうしても気になって、居眠りをする気にはならない。
 ちらっと井上を見ると、真剣な表情で見入っている。
始まる前に恋愛ものの過程が好きだといっていたが、かなりお気に召したようだ。

 そのまま話が淡々と進む中で、ある日、主人公が休日にぶらぶらと散歩するシーンに変わる。
そして小高い丘にある1本の巨大な樹に吸い寄せられるように歩み寄る。
その視線の高さには拙い字で転校生の名前がナイフか何かで刻んである。
 主人公はそこでぼんやりとしていた記憶が徐々に明確な輪郭を帯びていくのを感じていくようだ。
セピア色の中で何か大切な思い出があるような・・・。だが、記憶の確信まではどうしても迫れないようだ。

「随分大きくなったものね、この樹も・・・。」
「・・・。」
「何か・・・思い出さない?」

 背後に現れた転校生が思わせぶりなことを言う。
大人の胴回りもあるほどに成長した巨大な一本の樹。微風にざわめく枝葉。
その中で主人公と転校生が見詰め合う。
 その時、左手に柔らかい感触を伝わってくる。
見ると、井上が肘掛の上に会った俺の手の上に自分の手を重ねている。
俺は手の向きを180度ひっくり返して、井上と掌を合わせる。自然に両手の指が開き互いの指をその隙間に入れてぐっと握る。
 何の違和感もなしに自然と井上としっかりと手を握りあう・・・。ほんの数ヶ月前までありえなかったことが今、実行に移っている・・・。
しっかり指の隙間に入り込んだ井上の手が徐々に井上の方に引っ張られていく。まるで俺の手を抱き寄せるかのように・・・。

 俺は手の方に向いてしまう意識を映画の方に半ば無理やり向ける。
木々の微かなざわめきの中、主人公と転校生は無言で見詰め合う。
主人公は記憶を手繰り寄せるように、転校生は記憶が蘇ることを願うように・・・。
 場面は沈黙が長く続く。視点が二人の周りを回るように動き、そこに自然のささやかな効果音が混じるというカメラワークだ。
こうも台詞がないと退屈どころか、逆に何か期待めいたものを感じさせる。

「逢瀬の丘にて・・・再び逢える日を・・・」

 転校生の詠うような呟きが風に乗る。
そこで視点が転校生から何かを思い出したような表情の主人公に切り替わり、一気にアップになる。
 視点が転校生の顔を映した瞳にまで迫ると、今度は一転して画面の色がモノトーンになる。
風景は一見同じだが、樹の高さは半分ほどしかなくて、主人公と転校生が立っていた位置に小学生くらいの子どもが二人居る。
女の子の方が樹の傍に居て、男の子がその後ろに居る。

「明日、行っちゃうんだね・・・。」
「うん・・・。」
「折角友達になれたのに・・・。」
「友達になったら、ずっと友達だよ。」

 女の子は男の子に向かって微笑んで、樹の方に向き直って小さいナイフを取り出す。
そしてその幹に平仮名と漢字が混じった自分の名前を刻む。

「何してるの?」
「あたし達が此処に居たってことを残しておきたいの。」
「じゃあ、僕も・・・。」
「・・・ダメ。」
「え?何で?」
「・・・あたしのこと好きなら・・・今度逢うとき名前を書いて欲しいの。その時まですっと・・・あたしのこと好きで居てくれたら・・・忘れないで欲しい・・・。」
「・・・うん。」

 再び画面がカラーに戻る。主人公の晴れやかな、そして懐かしさと嬉しさが溢れた表情が映し出される。
長い時を経て再開を果たしたのだ。この逢瀬の丘で・・・

「・・・名前、刻んでくれる?」
「・・・ああ。勿論・・・。」

 主人公はナイフで自分の名前を転校生の横に刻む。振り返って向き合う二人・・・。
逢瀬の丘は時を越えた二人の想いの場だったんだ。

 映画はさらに時が流れ、一夜を共にした二人が白みが増してきた空の下、散歩に出るシーンへと移る。
微かな光がカーテンの隙間から差し込む主人公の部屋の中で主人公が目を覚ましたシーンは、以前の自分の状況を見せ付けられているようで冷や汗が出た。
 二人は自然に手を繋いで歩いていく。
優子と付き合っていたときにはあまり手を繋がなかった−キスより気恥ずかしかったように思う−俺は少し羨ましいと思ったりする。
だが、今はどうかというと、俺の左手は井上に抱きかかえられているような状態になっている。
闇に紛れて、というわけではないが、こっちの方が凄いといえば凄い状況だ。
 二人は殆ど会話のないまま、あの丘に向かう。
時にどちらかが言い出したり手を引っ張ったりしたわけじゃない。二人の意思がそのまま丘の方へ足を向けさせたというのか・・・。
台詞がない分、色々と考えてしまう。
 台詞が少ない映画だな、と最初は妙に感じたが、今はその方が銀幕に映る人物の心情を考える余地があって良いような気がする。
むしろ、今の映画やドラマは無意味に台詞が多すぎるのかもしれないとすら思う。

 画面の光がだんだん強まってくる中、二人は丘の上に辿り着く。
ぴったり寄り添ったまま見詰め合う二人の背後から、シルエットを捉えるようなカメラワークを見せる。クライマックスが近いと印象付けられる。

「逢瀬の丘にて・・・再び逢える日を待ち・・・。」
「時の流れが再び交わるとき・・・契りの言葉を交わさん・・・。」

 女から男へ、本当に詠うような台詞が流れる。
そしてそのままプロポーズの言葉が出るのかと思ったがその予想は外れ、二人は再び前を向く。
鮮やかな黄金色の光の中で佇む二人とその横に立つ、二人の名前が刻まれた樹を捉え、カメラはゆっくりと引いていく・・・。

 映画はエンディング曲の流れる中、スタッフロールとなる。
呆気ないといえばそれまでの終わり方だった。だが・・・久しぶりに見た映画がこれで良かった。素直にそう思える。
他の客もなかなか席を立とうとしない。通路を挟んだ隣の席では、泣いている女も結構居る。
 井上はどうだろう?そう思ってちらっと見ると・・・俯いていて、長い髪が顔を隠していて見えない。
だが、俺の手を握る力の強さと微かに震える肩が、井上の感情を物語っている。
・・・小さく溜息をついた俺は、そのまま井上が顔を上げるのを待つことにする。
 館内に黄白色の照明が戻ってその眩しさに目が馴染んだ頃になって、ようやく井上が顔を上げた。
直ぐにハンカチで目を拭ったが、ほんの僅かな時間だけ見えた横顔に涙の筋が煌いていたのがはっきり見えた。
その横顔は相反する感情を抱かせる。見ていたいと思わせるのと同時に見たくないと思わせるという・・・。

「・・・御免なさい。ちょっと・・・。」
「・・・それより、もう、良いのか?」
「ええ・・・。」
「じゃあ、行くか・・・。」

 俺は井上にテンポを合わせるように立ち上がる。半分以上の客は出て、もう次の客が入り始めている。
本当なら新しい客の邪魔になるし、混み合わないうちに急いで出た方が良いんだろうが・・・ちょっと手を引っ張る気分にはなれない。
それより井上の手をしっかり握っておきたい。
痛くないと思う程度に力を込めて握った井上の手は・・・やっぱり弾力があって柔らかい。

 俺はそのまま井上を引っ張るような感じで部屋から出る。
入れ替わりの客でごった返しているが、その間を縫うようにしてまだ余裕のあるロビーに出る。
やっぱり泣いている女が目立つ。女が強い時代と言ってもこの手の映画で泣くのはやっぱり女の方なのは変わらないようだ。
しかし、井上が暫く立てなくなるまで泣くとは思わなかったな・・・。
 時計を見ようとするが・・・駄目だ。腕時計のある左手は井上が握っているから引っ張るわけにもいかない。
まあ、感覚的に昼ぐらいだということは分かるし、そんなに時間を気にしなくても良いか・・・。
 後ろの井上を見ると、眼が充血している上にハンカチを左手に持ったままだ。どうやら完全に泣き止んだわけではなかったようだ。
この表情は痛々しくて見てられない。俺が熱を出して寝込んだときのことを思い出してしまう。
俺は井上の方に向き直って近付き、ハンカチを取り出して頬にまだ残っている涙の跡を拭ってやる。

「大丈夫。綺麗なハンカチだから。」
「・・・。」

 次の瞬間、井上ががばっと俺に抱きついてきた。
俺はその場に立ち尽くして髪を撫でることくらいしか出来ない。一体どうしたって言うんだ?井上は・・・。
 手を繋いでいるカップルは当たり前のような感すらあるし、相手の腰に手を回すように歩いているカップルも
場所が場所だけに周囲の注目を集めるには至らない。
だが、さすがに抱き合っているカップルは少々見回しても見当たらない。当然の如く、周囲の目が俺と井上に集中する。
 さすがに困った・・・。このままだと格好の見世物だし、かと言って強引に井上を引き剥がすのは気が引けるし・・・。
どうにか落ち着かせるしか対策は無いみたいだな。

「井上・・・あのさ、ここだと人目に付くからだな、その・・・。」
「・・・。」
「・・・一旦、離れてくれないか?此処だと・・・目立つから・・・。」

 何だか、人目につかないところなら構わないような言い方だが、兎に角周囲の視線が−男の羨望と嫉妬を強く感じるのは気のせいか?−突き刺さる以上、
一先ずこの状況を終息させるのが先決だ。
これで平然として、さらに見せびらかせるほど図太い神経を、生憎俺は持ち合わせていない。

「・・・無理か・・・な?」
「・・・いえ。ちょっと取り乱しちゃって・・・。」

 井上は自分の方からゆっくりと離れる。多少は状況を理解できるくらい落ち着いてきたんだろうか・・・。
しかし、こんなに取り乱すなんてかなり気がかりだ。
 もしかしたら、前の彼氏のことを思い出したんだろうか?
今でこそ話せるがその時はどうしようもないくらいショックを受けてってことも十分考えられる。
思い出したくないような別れ方だったかもしれない。
だとすれば納得がいく。何せ、俺自身つい最近までそうだったんだから・・・。

「ちょっと何処かで休もう。丁度昼だし。」
「・・・はい。」

 この時間だと館内の食事をする場所は混んでるのは目に見えてるが、かと言って外の目ぼしい飲食店の場所を知ってるわけでもない。
こういうとき行動範囲の狭さを思い知る。
だが、迷ってる心理的余裕は今の井上にはなさそうだし、「どうしようか?」なんて聞くのは優柔不断をひけらかすようなものだ。
 恐らく館内の喫茶店なんかは、映画の余韻に浸っていたりその上に自分達の世界に入っているカップルや女集団で混んでるだろう。
そうなると客の回転は鈍い筈だ。となれば・・・。
 俺は井上の手を引いて外に出る。軽く見渡してもそれっぽい建物や看板は見える。
兎に角今は、井上を落ち着かせることが先決だ。あれこれ考えるより行動に出ないことには・・・始まらない。

このホームページの著作権一切は作者、若しくは本ページの管理人に帰属します。
Copyright (C) Author,or Administrator of this page,all rights reserved.
ご意見、ご感想はこちらまでお寄せください。
Please mail to msstudio@sun-inet.or.jp.
若しくは感想用掲示板STARDANCEへお願いします。
or write in BBS STARDANCE.
Chapter 28へ戻る
-Back to Chapter 28-
Chapter 30へ進む
-Go to Chapter 30-
第3創作グループへ戻る
-Back to Novels Group 3-
PAC Entrance Hallへ戻る
-Back to PAC Entrance Hall-