雨上がりの午後
Chapter 23 年の瀬の新たな舞台へ向けて
written by Moonstone
翌日の夕方、俺は4日ぶりのバイトに向かう。
身体はすっかり元通りになったが休みが長かった分ちょっとした違和感を感じる。
まあ、軽いサボり癖のようなもので、夏休み明けに学校へ行くのが億劫に感じるのと同じ感覚だ。
ドアを開けるとカランカランと軽やかなカウベルの音が響く。
この音を聞くとバイトに来たんだな、という実感が沸いてくるのは不思議だ。条件反射みたいなものかもしれないが。
「こんにちは。」
「おっ、よく忘れずに来れたな。」
正面に居たマスターが言う。多少億劫には感じるが忘れるわけはない。
生活がかかってるのもあるし、昨日井上と約束したんだから。
明日からはバイトに行くからって・・・。
「あら、祐司君。もう具合は良いの?」
「ええ。もうすっかり良くなりました。」
潤子さんが客席の方からやって来た。
ドアを開けていきなり目に入るマスター、その後でトレイを抱えて来る潤子さん。この出迎えも何だか随分久しぶりのように思える。
「晶子ちゃんはもう来てるわよ。今、準備中。」
「あ、そうですか。」
「おいおい〜、折角土日で良い関係になったのに、ちょっと無愛想すぎるんじゃないか?」
「べ、別にそんな・・・。」
「ん〜?じゃあその辺の詳細は相方から伺いますかね。」
復帰早々これか・・・。
まあ、井上がデート先から俺がどうしてるかと電話をしたり、看病のためとはいえ2日連続で泊り込んだりしてるから、
何かあったと勘繰られるのは当然といえば当然か。
程なく井上が奥から出てきた。
髪を纏めて紺のリボンで束ね、ベージュのエプロンを着けている。
俺の顔を見ると安心したように微笑んでカウンターに出てくる。
「安藤さん。具合悪くないですか?」
「ああ、もう大丈夫。」
「じゃあ井上さん。早速なんだが・・・2晩の泊り込み看病はどうだった?」
「マスター!」
「やっぱり店の責任者として、バイトしている君達の生活状況を知っておくべきなんじゃないかなと思ってね。」
嘘ばっかり。要するに2晩過ごした間に何があったか期待たっぷりに聞こうとしているだけだ。
マスターは兎も角、潤子さんも聞きたそうな表情なのはちょっと意外だ。こういう話に興味があるのは珍しいことじゃないってことか。
「看病してた時のことですか?」
「そうそう。何かと大変だっただろうからその体験談を聞いてみたくてね。」
早くも本音が出たな。別に疚しいことは無かった筈だから知られても。
・・・ま、まあ、手に頬擦りしたりとかはしたけど・・・。
あ、頬擦りも一回したな、そう言えば。
まさか・・・そういうことは言わないだろうな?
「体験談って言っても・・・私、ああいうことに慣れてないからなかなか大変で・・・。本当は夜通し起きてるつもりだったんですけど結局、
安藤さんに続いて直ぐに私も寝ちゃいました。自分がやるって決めたんだからもっと頑張らないと駄目ですよね。」
マスターと潤子さんが一瞬固まる。
・・・何だか妙な言い回しというか・・・色々な解釈が出来る言い方じゃないか?
そう思っているとマスターが神妙な面持ちで俺の肩にぽんと手を置く。
「意外と・・・手が早いんだな。」
「?!」
「まあ、井上さんが来て嬉しい気持ちは分かるが・・・、病気のときは多少控えめにした方が良いと思うぞ。」
案の定、妙な意味に取られてしまった。
違う!手に頬擦りとかはしたがそれ以上はしてないぞ!
否定しようとするが声が喉に痞えて出てこない。首を横に振るのが精一杯だ。
「祐司君・・・。本当に病気だったの?」
「ね、熱出してたのは潤子さんも知ってるでしょ?!」
「それはそうだけど・・・。」
「誤解しないで下さいよ!本当に2日間熱出して寝込んでたんですから!」
潤子さんは怪訝そうな顔をしている。
病気にかこつけて井上をベッドに連れ込んだんじゃないかと思われてるようだ。ここは何としても否定しておかないと・・・。
「・・・私・・・何か妙なこと言いましたっけ?」
当の井上は、どうしてマスターと潤子さんがこんな反応を示すのか理解できないらしく、頻りに首を傾げている。
マスターは一転して感慨深げに何度も頷きながら井上に向き直る。
「いやいや、君と祐司君との仲が進んで良かったよ。雨振って地固まる、ってところだな。一時はどうなることかと思ったけど・・・。」
「マ、マスター!だから・・・」
「少なくとも、お互いの気持ちが向いている方向は分かったんじゃないか?」
「ええ、そうですね。」
「・・・。」
「君達はリクエスト演奏のパートナー同士でもあるんだから、意思の疎通は大切にした方が良いぞ。」
それは確かにそうだ。
俺は今まで警戒して遠目から様子を伺うだけで、今の気持ちを吐露したり真意を問うことは殆どなかった。それ故に余計な諍いを招いてしまった。
以心伝心を期待するより前に、言葉にすることが大事なんだと分かった。そして井上の存在の大きさも・・・。
雨上がりの後には太陽が照らし、泥濘を固める。
俺の行く先雨ばかりだと思っていたが、案外そうでもないらしい・・・。
病気明けのバイトも無事終わった。
久しぶりに会うような気さえした常連から、具合はどうか、とかもう大丈夫なのか、とか気遣ってもらえたのは嬉しい。
土日連続して休んだせいか多少今までより疲れを多く感じたが、これまた久しぶりに感じる「仕事の後の一杯」で、
かぐわしいコーヒーの香りと味を吸い込むと、熟成して心地良い充実感になっていく。
気が付けばもう12月。クリスマスなんてものが迫って来ている。
「仕事の後の一杯」の席上でもそのことが話題に上る。もっともディナーがどうとかいう話ではない。
「−で、24,25日と連続でクリスマス・コンサートをやってるんだ。」
マスターが持ち出したのはこの店で催す企画だ。
客の前で店の関係者が演奏を披露するこの店ならではの企画かもしれない。コンサートとか聞くと、何だか高校時代にやった学園祭のライブを思い出す。
「今年は君達二人が居ることだし、もっと盛大に出来ると思うんだ。」
「セッションもするんですか?」
「勿論。普段はあまりないから多めにしようと思ってる。4人居るから組み合わせもいろいろ出来るし、4人全員というのも面白いだろうな。」
「4人で・・・ですか。」
「それに曲も普段やってるジャンルの他に、お馴染みのクリスマスソングやポップスなんかも加えたいから、こちらで候補を幾つか選んでおいたよ。」
マスターが差し出したメモには、「ジングルベル」とか「赤鼻のトナカイ」とか定番中の定番といえるタイトルに混じって、
俺が見覚えのないタイトルも幾つかある。・・・洋楽か?
「・・・あ、『Secret to my heart』もありますね。」
横から見ていた井上が挙げたタイトルは俺が知らない曲だ。
井上はジャズ・フュージョンや一部のロック関係しか聞かない俺と違って、いろいろなジャンルに手を伸ばしている。
実際、井上の家には俺が目もくれないようなジャンルのCDもかなりある。
「おっ、井上さんは知ってるのか。これは今回の目玉の一つにしたくてね。」
「どんな曲なんですか?俺、知らないんですけど・・・。」
「ラジオでもよく流れてるわよ。聞いてみる?」
潤子さんが席を立ってカウンターの奥にあるデッキを操作する。
それまでBGMとして流れていた「RACHAEL」がフェードアウトして−潤子さんのボリューム操作によるものだ−、何だか安っぽいリズムの音色が聞こえてくる。
・・・R&Bなどと今の流行りとしてもてはやされているジャンルだ。
CDが何枚売れたかが即優劣となるこういった「多数派」のジャンルは、音楽を単なる大量生産の商品にしているようで虫が好かない。
「俺も滅多にこの手の曲は聞かないんだが、妙に耳に残ったから今回候補に加えたんだ。たまには良いだろ。」
「うーん・・・。」
「あんまり乗り気じゃないみたいだな・・・。でも、これを井上さんと潤子のデュエットですると面白いと思わないか?」
潤子さんと井上のデュエット・・・。この店の「顔」でもある2人が組むとなれば少なくとも注目度は高いことこの上ない。
だが、潤子さんは専らピアノで歌ったことを見たことはない。
楽器が出来ることと歌が歌えることはまた別物だ。その辺は大丈夫なんだろうか?
でも、音痴な潤子さんは出来れば想像したくない。
「潤子さん・・・。その・・・こんなこと聞くのは何ですけど・・・。」
「歌ならそれなりに歌えるつもりよ。何なら聞いてみる?」
俺の遠慮がちな問いを遮って潤子さんがそう言って席を立つ。
流れていた『Secret to my heart』をフェードアウトさせると、オーディオのデッキの隣にある照明装置を操作して、
既に落ちた客席の照明を少しだけ戻し、ステージの照明は最大にする。口でとうとうと語るより歌そのもので証明しようというわけか。
俺が初めて潤子さんの演奏を聞いたときを思い出す。
それまでキッチンで料理を作ったり客席まで運んだりするのが専門のようだった潤子さんが、俺がバイトを始めて最初の日曜日に
リクエストで指名されたときは内心その腕を疑ったし、盛んな声援も外見の良さ故のアイドル向けのものかと思ってさえいた。
だが、そのピアノの演奏を聞かされただけでその腕に敬服するしかなくなったし、天は二物を与えず、なんて大嘘だと思ったものだ。
「弾き語り用にアレンジしてみたから、それを聞いてもらうわね。」
潤子さんはエプロンを取って椅子にかけると、余裕の表情でステージへ向かう。
潤子さんの歌声がどんなものか・・・。
俺は身体ごとステージの方を向く。ペアを組むことになりそうな井上もやはり興味があるのか、ステージの方を向いている。
潤子さんは自分でマイクをピアノに設営して椅子に腰掛ける。
3人だけの観客の注目の中、潤子さんのピアノが朗々と響き始める。
クイ(和音のこと。楽譜で杭に見えるため)とアルペジオが混在するフレーズが少しの間流れた後、潤子さんがマイクに声を投げかける・・・。
・・・上手い。やはりというか、聞いてみるかと持ちかけるだけの自信を裏付けるに十分な歌声だ。
ピアノの音と主導権を争わず、巧みに調和して一つのフレーズを形作っている。
弾き語りは口と手を同時に動かしてシンクロさせなきゃならないからかなり難しいのに・・・。
今までヴォーカルを披露しなかったのがむしろ不思議にすら思える。
「お試し」のためか潤子さんの演奏は1コーラスで終わる。
高音部を使ったアルペジオで締めくくられると、俺と井上は思わず手を叩く。
勝手に手が動いていると言っても良い。それだけのものを今確かに聞いた。
潤子さんはマイクをステージ中央のマイクスタンドに戻して、鍵盤の蓋を閉めてから戻って来る。
何時もの様子と何ら変わりないが、逆にそれが自信の表れなのかもしれない。本当に上手い人間ほど自分の能力を無闇に誇示したりしないものだ。
「この曲はリズム楽器が主体みたいな感じだから、ソロ用にアレンジするのはちょっと難しかったわ。」
「潤子さん・・・演奏もするんですか?」
「必要ならね。」
「俺は二人並んでステージの正面で歌うのが良いかな、と思ってるんだがな。井上さんはどう思う?」
マスターが話を振ると、井上はうんと考え込む。
ヴォーカル専門の自分を凌駕しているかもしれない潤子さんの歌声と比較されるのは、やはり内心では嫌なのかもしれない。
俺としても、まだヴォーカルを始めて日が浅い井上に余計なプレッシャーはかけないほうが良いと思うが・・・。
「・・・前で並んで歌う方が良いと思います。」
暫くの思案の末に出た井上の答えは、潤子さんとより比較されることを−歌は勿論、見た目も−選択するものだった。
席の位置関係から丁度俺の方を向く感じになった井上の顔は真剣そのものだ。闘志に溢れているというか・・・そんな雰囲気すらある。
「そうか。だとすると・・・演奏は必然的に祐司君になるな。」
「・・・やっぱり?」
「サックスが入る余地はないぞ、多分。アレンジはさっき潤子が言ったけどリズムがないとちょっと辛いかもしれないな。」
「この手の曲はリズム楽器がないと、かなり味気ないものになり易いから・・・。」
「シーケンサ使います?」
「そうだな。急で悪いが、頭と終わり8小節くらいずつギターとリズムのアレンジをラフで良いからやってみてくれないか?
後の流れは原曲と同じ感じで良いよ。リズムはこっちで作っておくから。」
「分かりました。じゃあ俺持ってないんでCDを・・・。」
「私が貸しますよ。シングル持ってますから。」
「じゃあ決まりだな。井上さんと潤子は暫く歌の練習、俺と祐司君で演奏とアレンジの準備ということでよろしく。」
話は呆気ないくらい簡単に纏まった。演奏とアレンジを任された以上、好きだ嫌いだと言ってられない。
偏食気味の俺にはアレンジの幅を広げるいい機会かもしれないし。早速今晩から始めるか・・・。井上からCDを借りて。
俺にとっては初めての試みとなる「Secret to my heart」の演奏とアレンジ担当が決まってから暫く、
マスターが出した演奏候補のメモを見ながら、どれを演奏するかを話し合った。
席上、井上が「THE GATES OF LOVE」を歌うと発表すると、マスターが聞いてみたいと言い出したので、潤子さんと同じように1コーラスだけ披露した。
マスターと潤子さんの反応は上々で、その場で即リストに加わった。
コンサートまでは3週間あるかないかというところだから、かなり急な話ではある。
普段演奏しているような曲は別として、「Secret to my heart」や定番のクリスマスソングみたいに初めて演奏する曲は、
イントロ何小節の次にAメロとかいうように流れだけ決めておく程度で、殆ど即興に近くなるだろう。
何時ものようにアレンジして譜面をメモ程度にでも書いて練習して、なんてやってる時間的余裕はあまりない。
こういう演奏スタイルはジャズでは珍しくない。むしろ即興でどれだけ出来るかで腕が分かるというようなところもあるくらいだ。
だが、普段は大抵ソロだから何と言うか・・・阿吽の呼吸というものが出来るかどうか分からない。何せ4人のセッションなんてものもあるくらいだ。
その曲が「COME AND GO WITH ME」だというんだから、もう笑うしかない。
知っている曲だからやり易いといえばそうかもしれないが、偶然というやつは恐ろしい。
ちなみに俺のギター、マスターのサックス、潤子さんのピアノに井上のヴォーカルという、それぞれの「専門」を担当する編成だ。
「CD貸しますから、私の家に寄っていって下さいね。」
井上にそう言われた俺は、時折寒風が吹きぬける夜道を井上と並んで歩く。
前より−と言っても数日前だが−俺と井上の間隔はかなり近い。半ば密着している。
単に寒いから無意識に、というわけではないんだろう、やっぱり・・・。
俺は井上が住むマンションの前にやってきた。
例の一件で井上と諍いを起こして以来立ち寄っていなかったから、1週間ぶり、いや、それ以上か。
「温かい紅茶、入れますね。」
セキュリティを解除するために手袋を取りながら井上が言う。
こんな寒い夜は・・・温かい飲み物が無性に恋しく思う。
頑丈なセキュリティの向こうにある井上の家。
久しぶりに足を踏み入れたように思うその空間は、相変わらずきっちり整理と掃除が行き届いている。
これで自分の家に帰ると、恐らく別世界に来たような錯覚を−勿論、悪い意味出だ−覚えるだろうなぁ・・・。
井上は上がって直ぐに暖房のスイッチを入れて、コートを脱いで台所へ向かう。
俺は少々戸惑ったが、暖房が行き届くまでコートを着たまま椅子に座る。
湯が沸くまでの間、井上はポットに紅茶の葉を入れて二人分のカップを用意する。この光景も久しく見ていないような気がする。
やがて湯が沸き、ポットに湯が注がれると共に濛々とした湯気と微かな芳しい匂いが台所に舞う。
井上が赤褐色の液体が入ったポットと二人分のコップをトレイに乗せる。
・・・ここで飲むんなら特にトレイに乗せなくても良い筈なのに?
「向こうでゆっくり飲みましょうよ。CDも渡しますから。」
・・・何となく・・・紅茶と今度の演奏曲を餌にされてるような気がしないでもないが・・・。
井上が居ないとセキュリティが解けないから出られないし、俺の選択肢は一つしかないと言うことか。
俺は小さく溜息を吐いて席を立つ。
井上の両手が塞がっているから、俺がリングと此処を隔てるドアを開けてやる。
ありがとう、と言って微かな笑みを浮かべる井上。こうして俺は巧みに罠に向かって誘導されていっているんだろうか・・・?
井上は絨毯が敷かれた床にトレイを置いて、両膝を立てた姿勢で二つのカップに紅茶を注ぐ。
俺が腰を下ろすと同時に再び立ち上がって、CDやオーディオのある棚のところへ行く。そんなに慌てなくても良いと思うが・・・。
店でも聞いたあの曲が流れ始める。
この歌手・・・名前はまだ覚えてないが、改めて聞くと声は細い方だ。井上の声質と割と似ているように思う。
それにしてもこの歌詞も何だかかなり意味深に聞こえる。まあ、歌詞なんて大抵恋愛絡みだから必然的にそうなるのかもしれないが。
井上が床に腰を下ろしてもう一つのカップを取る。
二人で紅茶を飲みながらこういう歌を聴いていると・・・「THE GATES OF LOVE」が流れる中、井上が俺に気持ちを告げたことを思い出す。
あの時井上は、気持ちが抑えきれなくなった、と言っていた。
それもあるだろうが、井上は最悪の結果を恐れず、否、恐れていたかもしれないがそれを乗り越えた。
一方の俺はと言うと、まだあのときの返事をしていない。
井上に向いた気持ちが本当に「好きだ」という気持ちなのか分からないというのは嘘じゃない。
だが・・・それが何時までも引き伸ばす理由になるとは思えない。
単に・・・またあの夜の記憶が再現されるんじゃないか、と心の何処かで怯えながら付き合うのが嫌だから、
良く言えば友達の関係を保ちたい、悪く言えばこのままなあなあの状態にしておこう、としているんじゃないか?
「・・・安藤さん・・・。」
井上が話し掛けてきた。返事に関する自問自答は一先ず後回しにしよう。
「ん?何だ?」
「私・・・負けませんから。」
「?」
「潤子さんに負けないくらい・・・歌えるようになりますから。」
井上の瞳に闘志が浮かんでいる。やっぱり潤子さんを意識してるのか。
「潤子さんがそんなに気になるのか?」
「・・・ええ。あの弾き語りを見せられると、負けられないって・・・。」
「・・・。」
「私、ヴォーカルってことでリクエストしてもらって歌ってるんですよね。なのに今までピアノ専門でヴォーカルがなかった潤子さんが
私より上手だってなると、じゃあ私は?ってことになるから・・・。」
負けられない、という闘志はヴォーカルでステージに立っている者としてのプライドと、切迫感から来たものなのか。
プレッシャーも適度なら良いが、度を過ぎると本番で歌えなくなったりするかもしれない。
「負けたらどうなる、なんて思わない方が良い。間違ってもクビになったりしないから。」
「それは分かってるつもりですけど・・・。」
「そもそも音楽で勝負なんて考えないほうが良い。そういうもんじゃないから。目指すのは良いけど・・・。」
ちょっと説教くさくなったかもしれない。
だけど、今度するのはクリスマスイベントだからというわけじゃないにしても、練習の成果を披露するのはもとより客を楽しませることが第一だ。
勝負事とかを絡めるとそれが疎かになりかねない。
「・・・俺さ、高校時代バンドやってたんだ。」
「え、そうなんですか?」
「ああ。勿論ギターやってたんだけど、ステージ演奏で何が一番難しいかっていったら、聞きにきてる客をどれだけ満足させるかってことなんだ。
幾ら演奏が上手くても難しい曲を弾きこなしても、棒立ち無表情じゃ客はつまらないって思う。初めてのライブのとき、思い知らされたよ。
プロがライブでオーバーアクションみたいなことをしたり、喋りで笑わせたりするのもそういう意味があるからだと思う。」
「へえ・・・。」
「それにさ、客ってのは演奏している奴の感情とかがよく伝わるんだ。ほら、俺と井上がまともに口を利かなかった頃に、
普通どおりやってるつもりでも客の反応がいまいち良くなかっただろ?」
「ええ。何かあったのか、って聞かれたりもしました。」
「人間の耳がどうなってるのかとか、感情が演奏に与える影響とかは分からないけど・・・、演奏する人間はまず自分が楽しんでないと
客を楽しませるなんて出来ないし、それじゃコンサートに行くより家でCD聞いてた方が良いってことになっちゃうからな。」
井上がプレッシャーで自滅したり、ましてや妙な劣等感を植え付けられて音楽が嫌になったら意味がない。
音楽が嫌になったらバイトを辞めることにも繋がりかねない。それだけは・・・嫌だ。
「・・・まあ、かく言う俺だって、あの時は自分の演奏がおかしいなんて思いはしなかったけどな。」
「でも凄く実感篭ってましたよ。ステージ経験が多い人ならではですね。」
「経験から言うならもう一つ・・・。コンサートみたいに連続で演奏するのは結構しんどいぞ。」
「実感篭ってますね。」
俺と井上は顔を見合わせて笑う。これで井上のプレッシャーが少なくなれば良いんだが・・・。
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