雨上がりの午後

Chapter 14 歌声に込める想い

written by Moonstone


 俺と井上が何時も朝に利用する駅に降りた時には、とっくに空から赤みは消えていた。
俺は駅まで自転車を使って来たが、井上は今日歩いて来たという。
井上も普段駅まで自転車を使っていて、駅までの距離は俺よりあるんだが、それでも歩いて来た理由というのが・・・。

「昼からだったし、電車の時間はそんなにシビアじゃなかったですから。」

 確かにそうだが・・・帰る時間は考えてなかったのか?
そう訝っていたら、次に出て来たのはこんな台詞だ。

「安藤さんの家までゆっくり歩いて行けば良いんですよ。」

 成る程、俺の家に行く為の口実作りだった訳か?
井上が知らず知らずのうちに自分のペースに引き込むのが上手い策士だということを、すっかり忘れていた。
井上は俺が承諾することを、あの得意の笑顔で待っている。
 だが、俺の家は井上の家に比べればそれこそ整理のなってない物置か、そうでなければゴミ捨て場だ。他人に見せられるようなものじゃない。
それに・・・あの部屋に女を入れるのは・・・何か違和感というか、表現が難しいもやもやした気分を感じる。

「俺の家は見れたもんじゃないから・・・。」
「私は散らかってても気にしませんよ。」
「・・・あんまり、人は入れたくないんだ。」

 我ながら含みのある言い方だと思う。というより、自分の部屋に秘密があると仄めかしているようなものだ。
言ってからではもう遅いが、井上が興味をもつのは避けられないだろう。

「じゃあ・・・私の家に来ます?夕飯作りますから。」

 意外にも井上はそれ以上俺の家への「訪問」を強請るとか、どうして入れたくないのか追求するとかいうことはしない。
切替えが早いというか、引き際が良いというか・・・。少なくとも俺には真似の出来ない芸当だ。

「今日は練習は休みだから・・・。」
「でも、それだと夕飯はコンビニのお弁当とかでしょ?」
「そうだな。バイトだったら潤子さんが美味い夕飯作っててくれるから良いんだけど。」
「私の料理も、味のほどは十分分かって貰えてる筈ですけど。」

 味や料理の系統−和食とか中華とか−は別として、井上の料理も潤子さんに引けを取らないものだと思う。
だが、さっきの井上の言葉が若干強めに聞こえたのは気のせいか?

「井上の料理も美味いよ。ただ、用事もないのに邪魔して食わせてもらうのも迷惑かなと思ってさ。」
「いいえ、ちっとも。」

 井上は一向に構わないらしい。
表情を見ると・・・俺の家が駄目なら自分の家で、と強烈に訴えかけられているような気がする。

「・・・じゃあ、井上の家に行く。」

 暗に来て良いと言っているなら、特に気兼ねする必要も無いだろう。どちらかというと俺が根負けしたような気がする。
井上は小さく頷くと本当に嬉しそうに微笑む。
策略の進行を喜ぶというような他意は感じられない。
純粋に来て欲しい、と思っていたのか?

・・・でも、本当は違うんじゃ・・・。

「そうと決まったら早速行きましょうよ。」
「早速って・・・井上の家まで歩くと結構遠いんじゃないか?」
「確かに距離はありますけど、今日は大丈夫です。」
「?」
「後ろに乗せてってくれれば。」

 後ろって・・・二人乗りをさせろというのか?
まあ、後ろはお飾り程度の荷台らしいものがあるし−使ったことはない−、乗って乗れないことはないが・・・二人乗りなんてした記憶を探す方が難しい。

「・・・した覚えが無いからな・・・。ちょっとふらつくかも。」
「ある程度スピードが出れば意外と安定すると思いますよ。」
「・・・やってみるか。」

 どうしても井上相手の押し問答だと俺が折れてしまう。俺に根気が無いのか押しが弱いのか・・・多分両方だ。
こういうところで強く出れないから、良いように弄ばれたりするんだろう。
あの女に捨てられたのは、ある意味必然的なものだったのかもしれない。

 俺はぎっしり詰まった自転車置き場から自分の自転車を取り出す。
自転車ってのは意外に引っ掛かり易くて、隙間なく詰まるとなかなか取れなかったりする。
そうならないように周囲を少しずらしてスペースを確保してから取り出す。
自転車置き場は通路が狭いので、此処でもし二人乗りをして転んだら洒落にならない。
一先ず自転車を押して道路まで出る。
井上は俺の隣ではなく、自転車の後ろに居る。
別に置いて行きやしないのに・・・。そんなに二人乗りがしたいんだろうか?

 自転車を押して駅前の道路に出る。
まだ通勤帰りのラッシュには時間が少し早いこともあって、道路は割と空いている。
混雑していると慣れない二人乗りには緊張の連続になるだろうが、このくらいなら多分大丈夫だろう。
 俺が先に自転車に乗って、後ろの井上に乗るように言う前に、井上が素早く荷台に横向きに座る。この時を待っていたのか?

「・・・早いな。」
「待ちきれなくて。」
「最初揺れると思うから、しっかり掴まってろよ。」

 小さく溜め息を吐きながらハンドルを握った俺は、腰と背中に別の感触を感じる。
視線だけ下に落とすと、二の腕が脇腹を通して俺の腹の上でがっちり結わえられている。
ということは、背中の感触は・・・。

「どうしたんですか?」
「・・・あ、あんまり密着するな・・・。」
「安藤さん、しっかり掴まってろって。」
「な、何もこんなに密着しろとは言ってない・・・。」

 俺も井上もコートを着ているし、俺はセーターやシャツとか結構厚着をしている。
それなのに背中にこの感触を感じるということは、可能な限りくっ付いているに違いない。
後ろの様子はどうにも見えないが、文字通り密着しているんだろう。

「しっかり掴まってないと危ないでしょ?」
「掴まるなら・・・その・・・荷台の端の方とか・・・。」
「この方が掴まり易そうだから。」

 情けないことに言葉の端々に動揺が隠せない俺の説得に−その体を成していないが−、井上は全く応える気配が無い。
そうだ、井上はこの程度で諦めたりする柔なタイプじゃなかったんだ・・・。

「早く行きましょうよ。」
「・・・わ、分かったよ・・・。」

 出来るだけ背中の感触を気にしないようにしながら、俺はペダルに力を込める。
最初こそ少し前輪がふらついたが、直ぐにスピードが出て車体は安定する。普段していなくても意外に出来るものだ。
 井上の家までは何度か起伏があるが、緩やかなものだから二人乗りでも十分行けるだろう。
それよりもこの季節に自転車で辛いのが、スピードを上げるに連れて強まる寒風だ。夏は涼しくて快適なんだが・・・。

「寒くないですか?」
「今日はあんまり風が無いから、まだましだな・・・。」

 それに今日は・・・背中が温かい。あと、腰周りも・・・。
こんなに他人の温もりを感じるなんて、何時以来だろう・・・?
ああ、あの女と寝た時以来か・・・。確か最後は・・・。
 止めよう、こんな時にあの女のことを考えるのは。
背中の感触もあるし、妙な気分になっちまう。俺はそんな事をしたいわけじゃないんだ。
第一・・・そんな関係になりたいなんて・・・思っちゃ・・・。

「安藤さんの背中、温かいですね。」

 不意に井上の声が聞こえる。
普段より幾分控えめというか、浸っているというか・・・。
兎に角、返事をし損なわないようにスピードを少し落とす。声が風で後ろに飛ばされてしまうからだ。

「そうか?」
「ええ・・・。」

 腰の圧迫感が少し強まる。そして背中に何かが当たるような軽い衝撃を感じる。
井上の奴、完全に俺にしがみついた格好になったようだ。
全身が一気に熱くなる。最初からある背中の柔らかい感触が異常に気になる。

・・・兎に角急ごう。


 どうにか井上の家に辿り着いた俺は、居間でぼんやりTVを見ている。
井上は家に上がってコートを片付けると直ぐに夕食の準備を始めた。
本来なら手伝うべきところなんだろうが、俺が包丁を握ったところで野菜か指かどちらが先に切れるかいうレベルだし、
そんなレベルで手伝うなどというのは邪魔なだけだろう。
それに井上が「居間でゆっくりしてて下さい」と言ったし・・・。
 何時もはダイニングで待つんだが、今日は居間で食べましょう、と井上が付け足した。
何をするつもりだ?俺も井上も誕生日じゃないし−前に会話の流れで言い合った−、他に思い当たる節はない。
 今までだと今頃この居間で歌の練習中か、ぼちぼち終わるというところだ。
それに俺はあまりTVを見る方じゃないし、曲をアレンジしたり演奏の練習をしていたりするから、見る方がむしろ難しい。
余所事をしながら練習できるほど俺は器用じゃない。

 TVではニュースをやっているが、まったく頭に入らずに素通りしていく。
意識は既に、奇麗に整頓された部屋に向いている。
もう何度も出入りしているし、目新しいものは入っていないが・・・今日は妙に背後にあるベッドが気になる。
 練習では、そのベッドに腰掛けて俺はギターを弾く。
自分の家でも椅子に座って弾くし、胡座をかいて弾くのはかなりやり辛い。
だから座り心地の良い椅子代わりに使ってきたし−井上が良いと言ったのもある−、何も気にならなかった。
これは・・・俺が井上を教える相手ではなく、女として意識し始めたということ・・・なのか・・・?やっぱり・・・。

「安藤さん。ドア開けてくれますか?」

 ノックの音がしてドアの向こうから井上の声がする。
我に帰った俺は直ぐに立ち上がるとドアを開ける。
井上がトレイに二人分のポタージュスープとサラダを乗せて立っていた。

「ありがとう。もう直ぐ御飯が炊けますから。」
「・・・運ぶの手伝おうか?」
「え・・・、いえ、これくらい大丈夫ですよ。」

 井上は一瞬意外そうな顔をしたが、やんわりと断って再びダイニングへ向かう。
・・・そりゃあ意外だろう。俺が手伝おうか、なんて言うとは俺自身妙に違和感がある。
今まで井上が何かと俺の世話を焼くのは何も意識しなかったし、心の奥底ではこれくらいしてもらっても罰は当たるまい、とすら思っていた。
だが・・・今日はそんなある意味居丈高な気分は何処かへ吹っ飛んでしまっている。
 やはり、相当意識していると分かる。
原因は明らかだ。あんな俺にとっては「挑発的」なことをされては、それこそ悟りの域に達した仙人でもないと意識しないというのは無理だろう。
ベッドが妙に気になるのもそこから派生する欲望の断片だろう。

やっぱり、友達のままなんてことは出来ないんだろうか・・・?

「安藤さん、どうしたんですか?こんなところに突っ立って・・・。」

 再び井上の声で意識が現実に引き戻される。
俺の前に井上が二人分の焼き肉の皿をトレイに乗せた井上が立っていた。

「・・・あ、邪魔だったな。悪い・・・。」
「何かあったんですか?」
「・・・い、いや、何でもない・・・。本当に・・・。」

 そう言って井上に背を向けてテーブルに戻るが、誤魔化しにしてはあまりにもぎこちないと自分でも思う。
何かありますよ、とわざわざ示しているようなものだ。
夕食を食べたらさっさと帰った方が良いだろう。曲を選ぶのは井上一人でも出来ることだし、このままだと自分がどうなるか判らない。
そして今の混濁した気持ちをどうして良いか判らない。

 テーブルで向かい合って夕食を食べたが、結局妙なぎこちなさは抜けなかった。
料理は美味かったし、井上も俺の様子がおかしいことに気付いたのか−やはり気付かれた−度々尋ねてきたので、
何もないから気を使わなくて良い、と答えるのが精一杯だった。
 気を使って欲しくないのは本当だ。
今の状況で井上に気を使われると、俺の中で混濁する気持ちが、ある一つの方向に形成されるだろう。
それだけは絶対避けないと駄目だ、またあんな痛い目に遭いたいのか、という気持ちがブレーキとなっているのがせめてもの救いだ。
だが・・・心の何処かで、もう良いんじゃないか、と問い掛けて来るものが芽生え始めていることに気付いて、慌ててその芽を踏み躙る。
それでも尚その気持ちの芽は消えようとしない。

・・・駄目なのか?もう・・・。
友達やパートナーのままじゃ、終われないのか・・・?

 井上が洗い物を済ませて居間に戻って来た。
邪魔になるのか束ねていた髪を解く。光沢を含んだ長い髪が、絹が折り重なるような音と共に肩から背中へと広がる。
こんな意識の時にそんなラブシーン直前のような行動は止めて欲しい・・・とは言っても、こんな事言える筈がない。
ただ、その悶々とした気分を必死に押え込むしかない。

「・・・CD、かけますね。」

 何かあるのか、と尋ね続けるとしつこいと思われると感じたのか、井上は今日買ってきたCDの封を解いて取り出すと、
プレイヤーにセットしていそいそと俺の横に座る。
最初に井上の家に入った時、同じ様に横に並ばれてどきっとしたが、今日の胸の脈動はその時とは比較にならない。
俺が井上に恋愛感情を持っていたら、間違いなく肩を抱くなりしているだろう。だが・・・

今、その恋愛感情が全くないとは言い切れないんじゃないか?

 聞き覚えのある旋律と歌詞が聞こえて来る。これは・・・4曲目の「COME AND GO WITH ME」だ。
今の俺にはあまりにも意味深な歌詞だ。聴いているとどうにかなりそうだから、俺は意識を無理矢理曲から遠ざける。
 しかし、意識の行き場所など見慣れた室内にそうそうある筈がない。
ベッドに意識が向きそうになって慌てて音の方に戻す。
俺自身持っていて、何度も聴いたこのCDで、どうしてこんなに大変な思いをしなきゃならないんだ?
どうして男と女ってことを意識しなきゃ続けられないんだ?

「・・・前の彼女のこと、考えてたんですか?」

 不意に切り出した井上は、俺の意識を一気に沸騰させる。
こんな状況下でいきなり何を言い出すんだ?まあ・・・今の俺じゃそう思われても無理ないかも知れないが・・・。
俺は言葉を選ぶ前段階として、まず首を横に振る。

「・・・いや、違う。」
「そうですか・・・。」

 井上はそれ以上追求しようとはしない。俺を気遣ってのことだろうか?
何時もなら気にならない井上のそんな行動も、今は無性に意識してしまう。
どうすれば抗うことを許さないとばかりに激しく渦を巻く心を鎮められるんだろう?俺はただそれだけを考える。
どうすれば良い・・・?
どうすれば・・・?



 ・・・そうだ、井上は以前、自分を「注文」した高校生の客に先約がある、とか言ったっけ。
先約がある女を意識するなんて、わざわざ泥沼に嵌まりに行くようなものじゃないか。
先約があるのに、井上は俺にも触手を伸ばそうとしてるんだ。先約が駄目になった時の慰み物にする為に・・・。
 そんなのはまっぴら御免だ。
俺は一度、乗り換えの為の「待ち合わせ」にされて、乗り換えが完了した時点であっさりと捨てられたんじゃないか。
もうあの痛みを忘れたのか?意識するだけ損だ、こんな二股女のことなんか・・・。



 ・・・そう思ってはみたが、心の渦が止まることはない。
それどころか逆に思い込もうとする意志が返り討ちに遭って飲み込まれてしまい、代わりに鮮明な相反する意識の断片と共に再浮上して来る。

先約があったら意識しちゃ駄目なのか?
無理だ。俺に先約に優るものなんてないに決まってる。
過去の痛みにこだわって、新しい可能性を自ら切り捨てるのか?
所詮可能性は、可能性でしかないじゃないか!

傷付いて泣く羽目になるのは、結局俺の方なんだぞ!!

 ・・・ふと、耳に二つの声が染み込んで来る。曲は8曲目の「THE GATES OF LOVE」だ。
片方はスピーカーから聞こえて来る歌声で、もう一つの、少し後から追い駆けるような印象の声は・・・直ぐ隣から聞こえて来る。
横を向くと、井上が歌詞を目で追いながら歌っている。
 透明感のある優しい歌声だ・・・。CDに合わせて追い駆けるように歌っているぎこちなさは全く気にならない。
今まで練習で何度も聞いてきたのに、今日はその声が妙に胸に染み渡るように思う。
歌詞のせいもあるかも知れない・・・。意訳だがそれなりに意味は分かっている。

!もしかして井上は・・・意図的にこれを歌っているのか?

「・・・井上・・・。」

 俺が絞り出すように呼びかけると、歌詞を見ながら歌っていた井上が歌うのを止めて俺の方を向く。
はにかんだような微笑みに俺は思わず息を飲む。胸の鼓動が自分でも分かるほどに肋骨を内側から突き上げて来る。

「はい・・・?」
「それ・・・意味分かって・・・?」
「一応英語は得意な方ですよ。」

 やっぱり井上はこれまで同様に確信犯だった。
疑問が確信に代わった瞬間、全身が一気に熱くなる。
俺は思わず井上から目を背ける。これ以上井上の顔を見ていたら、本当に井上に心を乗っ取られてしまう!

でも、それでも良い・・・かも・・・。
まだ言うか?!まだ懲りてないのか?!
何回痛い目に遭えば、気が済むんだ?!

・・・だけど・・・

 その時、床についている筈の俺の左手に少しひんやりとした、そして柔らかい感触を感じる。
それが何かは直ぐに分かる。だが、それを払いのけようにも体が硬直して動かない。
 俺と井上の言葉が消えた室内に、「THE GATES OF LOVE」の歌声だけが響く。
俺の脳裏ではますます激しくなる心臓の鼓動が、曲におよそ似つかわしくないテンポを刻んでいる。
俺は必死に意識を正面に見える絨毯が敷かれた床に向けようとするが、左手から伝わる感触とその背後にあるものがそれを許さない。
俺はただ、じっとしているしかない。

「この歌・・・歌詞を見たら私の気持ちにぴったりだったんです・・・。」
「・・・。」
「ちょっと遠回しだけど、気持ちを伝えたいなって思って・・・合わせて歌ってみたんです。」
「・・・何で・・・そんなこと・・・。」
「気持ちが持ち切れなくなったから・・・。抱えられないくらいに・・・。」
「・・・。」

 井上の詩的な台詞で、俺の心の中に一斉に疑念が噴き出す。

その気持ちが何時まで続くんだ?
俺より良いのが見つかったら、呆気なく放り出すんじゃないのか?

 でも、最初の頃とは性質が全然違うことに気付く。
あの頃は女憎しの一色で塗り潰されていたが、今は・・・言わば念押しのようなものになっている。
噴き出した疑念の裏を返せば・・・俺はこう聞きたがっている!

本当にその気持ちを信じて良いのか?
今度こそ俺を捨てたりしないのか?

 俺は壊れかけの人形のようなぎこちない動きで、井上の方に顔を向ける。
井上の表情は真剣そのものだ。告白の時に必要不可欠な、想いを口にする勇気を振り絞って躊躇いの壁を破る機会を窺っているようだ。
俺は・・・3年前のあの時と同じく、想いの言葉を聞くのか・・・?

「今は・・・私の気持ちを聞いてくれるだけで良い・・・。」
「・・・。」
「・・・・・・安藤さんのこと・・・・・・好きです。」

 心臓が破裂しそうなくらい大きく、どくん、と一度脈打つ。
とうとう俺は決定的な言葉を聞いてしまった。
凝縮された想いを声で表現したこの言葉を聞いたという事は、俺と井上がもはや単なるバイト仲間や
音楽を通じたパートナー同志や友人ではいられなくなった瞬間でもある。
 否応無しに俺が男であり、井上が女であることを意識しなきゃならないこと決定付けられたわけだ。
もう訳が分からない。
井上の言葉にどう答えれば良いのか、自分の井上に対する気持ちがどうなのか、これからどうしていけば良いのか、
頭の中がぐしゃぐしゃになって何も分からない。

「・・・俺は・・・」

 機械的に動き始めた俺の唇が井上の人差し指で軽く塞がれる。
まるでキスでもするかのように・・・。

「返事は気持ちが整理できてからで良い・・・。だから今は・・・言わないで・・・。」
「・・・。」
「返事は気長に待ちますから・・・。」

 ・・・待つ・・・だって?
再び俺の中で疑惑の濁流が噴き出す。今までより激しく、大きな濁流が・・・。
あの女もかつてよく似たことを何度も言った。

ずっと一緒に居ようね
何時までも大好きだからね

・・・だけど、それは嘘だった。自分の都合であっさり覆した。
所詮絶対とかずっととか、そんなのはその場限りの嘘っぱちなんだ。
恋愛に酔った勢いで口にしているに過ぎないんだ。

もう・・・騙されてなるか!

「・・・待ってられるものか・・・。そんな気休め、止めてくれ・・・。」
「待てる限り待ちます・・・。それでどうですか?」

 井上の顔から視線を逸らして吐き捨てる俺に、井上が言う。
待てる限り・・・か・・・。
絶対待てます、とでも力説するのかと思ったが、意外に現実的とでも言うか・・・。
だが、どうせ出来もしないことを声高に出来ると言われるよりも、俺にとってはその方がずっと良い。

「何れ・・・返事はする・・・。」
「ええ・・・。」

 俺が再び井上に向き直って言うと、井上は柔らかい微笑みを見せる。
俺が井上の想いに言葉を返した時、この笑顔は見られるんだろうか・・・?


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