Saint Guardians

Scene 13 Act1-4 打開-Breakthrough- 期間限定夫婦と少女の思い

written by Moonstone

 民家も街灯もない世界の夜は、月がなければ漆黒の世界だ。
 真っ暗なテントの中で1つの影が動く。アレンの胸の中で寝ていたルイだ。目を覚ましたルイは、アレンを起こさないように慎重に身体を起こす。少し乱れた髪と服を手で整え、アレンの身体を跨ぐ形で四つん這いになり、出入り口である両開きの布をそっと捲って外の様子を窺う。
 少し下火になった焚き火の近くに、両膝を抱えて蹲るリーナが居る。身動き1つせずに焚き火を見つめるリーナは、顔を上げてはいるが焚き火を見つめる目は虚ろに見える。眠いのだろうか。
 朝型のアレンとルイは夕食後から床に就き、未明から朝にかけて見張りをする。夜型のリーナは逆のパターン。時計がないから正確な時間は分からないが、そろそろ交代の時間と見て良い。

「ん…。ルイさん、どうしたの?」
「アレンさん。そろそろ交代の時間と思って。」

 移動時間短縮のため、激しい高度差を一気に駆け下りるドルゴの操縦による疲労で、アレンは若干眠気が残っている。ルイはアレンの隣で上体を起こした体勢に戻す。アレンは幾分眠たそうだが、何度か深呼吸をした後、ゆっくり起き上がる。
 そしてルイと軽くキスをした後、傍らに置いてある剣を手に取り、テントの出入り口を捲って外に出る。

「リーナ。お疲れ。見張りを交代しよう。」
「…アレンか。嫁は?」
「起きてるよ。」
「そう。じゃあ、交代ってことで。」

 目を開けたまま寝ているのではと思うほど微動だにしなかったリーナは、アレンが声をかけると少しのタイムラグを挟んで何時もの調子に戻る。単に退屈でぼうっとしていただけかとアレンは思う。
 元より称号を一気に上昇させたルイの結界が頑強にテントと焚き火の周囲を覆っているから、ドラゴンでも複数襲撃して来ない限り臨戦態勢を取る必要はない。スマートフォンなどないし、焚き火の灯りは本を読むには厳しい。見張りはリーナには退屈なことこの上ない時間だ。一部を除いて。
 続いてテントから出て来たルイと、立ち上がってテントに向かっていたリーナが、テント前ではち合わせる形になる。

「リーナさん。イアソンさんとの通信で何かあったんですか?」
「詳しくはあたしが起きてから言うけど、向こうの状況は現状維持よ。」
「それは勿論重要ですけど、リーナさんにとって何かあったのかと。」
「…ちょっとね。」

 ルイとすれ違いざまに随分簡略化した回答を呟いたリーナは、旦那と違って妙に鋭いわね、と心の中で呟き、そそくさとテントに入る。
 リーナを見送ったアレンとルイは、並んで焚き火の傍に腰を下ろす。その距離は髪の毛を挿し込む隙間を探すのも難しいほどだ。

「リーナ、何か言ってた?」
「イアソンさんから、現状維持という通信が来たそうです。」
「向こうの動きはなしか。ドルフィンが国王と交渉する段階になるまでは、この調子かな。俺達はあと…2日くらいでラクシャスに到着だから、向こうはドルフィンとイアソンに任せて、これから先のことを考えた方が良いね。」

 ジグーリ王国に着々と近づいていながら、ラクシャスの情報は殆ど得られていない。イアソンから追加の情報が得られたかどうかは、リーナが起きてから伝え聞くしかない。それでもどれだけ得られるかどうか。
 事前情報の少なさは不利な状況を招きやすい。ラクシャスでいきなり食料や宿を得たければ戦闘に勝利しろとはならないだろうが、ジグーリ王国へ通じる事実上の門番と言える独立都市だから、これまでにない独自のルールがあっても不思議ではない。だが、情報が入るまで待機しているわけにはいかない。ファイア・クリスタルを得るには、人間やエルフと非友好的なドワーフとの交渉が必要だが、どれだけ時間が必要か見積もることさえ出来ない。
 しかもドルフィンとシーナを除いてパーティーで最も攻撃・防御の面でバランスが取れるとして臨時パーティーに参入しているルイは、ランディブルド王国教会全権大使という肩書を有する。ドルフィンと国王との和解交渉が順調に進めば、国王は当然ルイとの面会を申し出るだろう。今は幸か不幸かマタラ元内相の命を受けた国軍に船を破壊され、バシンゲンに追われたことを理由に、タリア=クスカ王国への不信感が甚大などの理由づけで不在を覆い隠せるが、それも長期化は出来ない。不在が発覚、しかも護衛という立場のドルフィン達パーティーの庇護から外れて少数パーティーで行動中となれば、一転してドルフィンの立場が不利になる恐れがある。
 戦闘となれば国軍全師団を相手にしてもドルフィンの勝利は決して揺るがないが、タリア=クスカ王国とランディブルド王国の二国間関係に深刻な遺恨を残すことは避けられない。出来るだけ早期にファイア・クリスタルを入手してバシンゲンに帰還する必要があることは、皮肉にもアレンが最も理解している。

「アレンさん。どうしたんですか?」

 アレンの肩に頭を乗せた体勢のルイが言う。

「何か不安なことがあるように見えます。」
「時間的余裕がどれくらいあるのか。これが全てだよ。事実上の外交使節でもあるルイさんは、バシンゲン不在の期間を悪戯に長く出来ないから。」
「私の不在の扱いは、バシンゲンに居るドルフィンさんとシーナさん、そしてキリカで活動中のイアソンさんに任せましょう。アレンさんとリーナさんと私の臨時パーティーの編成と独立行動を承認した皆さんに、何も策がないとは思えません。」
「それは確かに…。」
「私達臨時パーティーは、アレンさんの剣を完全に蘇らせるファイア・クリスタルを確実に入手してバシンゲンに帰還することに専念しましょう。私はパーティーの一員として、アレンさんの妻として、出来ること全てをします。」

 ルイの口から自分の妻というワードが出たことに、アレンは心臓を鷲掴みされたようなショックに襲われる。
 リーナ立ち会いの下で指輪の填め直しをしてから、リーナがアレンに対してルイを指す場合は嫁という単語を使うし、山小屋でもその呼称で通用した。ルイが料理や片づけなど手を使う作業の際、頻繁に左手を見ているのは知っている。だが、ルイが一人称として妻という単語を使ったのは初めてだ。しかも何らの躊躇も気恥かしさもなく言い切った。ルイの中でそれだけアレンとの今の関係性が強く認識されていることの証左である。
 アレンもルイも物心ついた時には両親の片方が居ない家庭環境だった。決定的に異なるのは、家庭環境のレベルだ。
 アレンは母親と死別した父子家庭だが、父ジルムが農作業を、アレンが家事全般と近所づきあいを担い、構成人員2名のクリストリア家という家庭を運営していた。一方、ルイは父親を知らない−母親の死の直前まで明かされていなかった−母子家庭だが、私生児として生まれたルイの戸籍を作る過程で親子揃って教会組織に組み込まれ、そこが家庭という位置づけだった。
 教会組織に組み込まれるまでの約5年も慈善施設の保護を受けていたし、ルイは母親の愛情こそ受けたもののセルフェス家という家庭の一員として育った経験がない。その一方で、ルイは称号の上昇と役職の付与に伴い、他人の冠婚葬祭という人生の節目のイベントに接する機会が増え、近年は自分が主導する役職にも就いた。そこで見た家族とそれに纏わるイベントの数々−1組の家族が生まれ、新たな家族が加わり、大人とされる年齢までの成長、そして家族との永遠の別れは、ルイにとって憧れであると同時に、自分には別世界の出来事と冷めた印象もあった。それは物心つく前から差別と偏見に晒され、成長と共にそれらが変貌した性的欲求や自分を利用する上昇志向やそれを向ける人々への嫌悪感があったためだが、アレンと交際を始め、着実に関係を深めるにつれて、結婚で家庭を持ち、ひいては我が子を産み育てることが自分も可能なことと認識が大きく変わった。
 今の夫婦関係は対外的な対策と提案者のリーナは銘打っているが、この任務が完了したら直ちに夫婦関係解消などルイは毛頭考えていない。この期間は将来に向けた試金石と位置付け、アレンの出方や様子を観察してもいる。結果としてルイはアレンに対する愛情や信頼を更に強め、夫はアレン以外あり得ないと確信するに至っている。ルイが山小屋で下着以外を脱ぐまで身体を許し、今は明瞭に自分を「アレンの妻」と称したのはこのためだ。
 自分を妻と明言するルイを前に、アレンが奮い立たない筈がない。
 ジグーリ王国やラクシャスに関する情報に乏しいのはルイもリーナも同じこと。ファイア・クリスタル入手の交渉の行方が全くの未知数なのもそうだ。ドルフィンをはじめとするバシンゲン駐留のパーティーは、ファイア・クリスタル入手にあまり人員を割けない事情があったとはいえ、平均年齢16歳の3名の臨時パーティー編成と独自行動を承認したのだ。
 しかも今自分の隣に居る女性は、期間限定だが自分の妻だし、女性自身も妻だと明言した。ならば妻と協力し、時に妻を守りながら道を切り開かなくて何が夫か。

「俺もパーティーの一員として、ルイさんの夫として出来る限りのことをするよ。」

 アレンの自分を鼓舞することを兼ねた言葉に、ルイは幸福溢れる笑顔でアレンの左腕に抱きつき、何度もその腕を抱き締める。
 アレンは右手を伸ばしてルイの身体を自分の方に引き寄せる。それがキスの前兆と察したルイは、速やかに顔を上げ、目を閉じながらアレンの唇を受け止める。ルイはアレンの左腕に抱きついたままだからやや首に負担がかかる体勢だが、そんなことにいちいち構うことはない。
 焚き火と未明の星空だけが見つめる中、アレンとルイは唇と舌による愛情の確認と交流を続ける。肌を触れ合わせられない欲求不満を、唇と舌の激しい接触とやり取りで紛らわせている感すらある。
 その頃、リーナは遅い寝床に就いて、目を閉じた状態で溜息を吐く。
 この寝床でついさっきまで、見張りを交代した期間限定の夫婦が密着して寝ていたという事実と、その名残である微かな温もり。リーナは、テントの外で行われているであろう期間限定夫婦の愛の儀式を思い浮かべ、再び溜息を吐く。
 溜息の大きな原因の1つは、見張りを交代すること2ジムほど前、イアソンとの通信で「昨日のことだけど」と前置きして伝えた、昨夜のイアソンからのアプローチへの回答だ。

「御免…イアソン…。時間を頂戴…。」

 リーナの言葉の冒頭でやっぱりかという気持ち9割、落胆1割になったイアソンは、続いた言葉で心が一転して疑問と期待半々になった。

「多分…、あんたが差し出した手を取れば…、あたしはアレンとルイと同じようになれると思う…。あたしが心の何処かで欲しいと思ってたものが…、自分が弱いところや駄目なところも全部受け入れられるって安心感が、手に入るんだと思う…。」
「…。」
「だけど…、どうしてもふんぎりがつかないのよ…。あんたの手を取れば楽になれるって安易に思ってるんじゃないか。アレンとルイの新婚そのものの様子に感化されて、自分もそうなりたいって幻覚を見てるんじゃないか。…違う。あんたの気持ちを受け入れることは、今まであんたのアプローチを散々袖にしてきたあたしが屈服することなんじゃないか、って抵抗する気持ちがあるのよ…。」

 イアソンは、リーナがこれまでになく真剣に、深刻に悩んでいると理解する。
 これまでのリーナであれば、自分のプライドが行動や判断に影響しているなど口にしない。自分の行動と判断は常に自分の強固な意志とプライドに基づくものであり、それに迷いはないという自信があった。
 しかし、今のリーナは今抱えている悩みと、それが自分のプライドによるものだと率直に認めている。自分のアプローチにこれだけ真剣に思い悩むリーナを知り、イアソンは嬉しくもあり、申し訳なくもある。

「だから…、あたしが気持をはっきりさせて、あんたに伝えられるようになるまで…、時間を頂戴。引き延ばしに聞こえるかもしれないけど…、今のあたしには…これが限界なのよ…。」
「いやいや、俺の気持ちに対してリーナが真剣に悩んで考えてくれてるって分かって、俺は嬉しいよ。」

 イアソンの言葉もまた偽らざる気持ちだ。
 これまでなら一蹴されていたし、今回もアレンとルイの進展に乗じて言ってみるか、という軽い気持ちがあったのは事実。それに対してリーナはある意味これまでの自分を否定するかどうかの重大な分岐点に立つまで真剣に思い悩み、止むなく回答の保留を選択した。
 リーナが導き出す結果がどうであれ、自分の気持ちに真剣に向き合っていることが分かり、イアソンはこれまでにない大きな進展と受け止めている。
 結果がNOであっても、それで完全終了ではない。何しろこれまでNOの連続だったのだ。それを思えば、思い悩み保留した末に下したNOであれば、どんな形であれ今後に繋げることが出来る。リーナが止むをえず出した保留という回答は、イアソンにはそれ自体十分納得できる回答なのだ。

「恋愛は、双方の気持ちが向き合って初めて成立する。リーナの気持ちが曖昧なまま、リーナがある意味妥協して俺と付き合ったとしても、そう長くは続かないと思う。それは俺にとってもリーナにとっても不幸だ。リーナが自分の気持ちを見定めるまで、俺は気長に待つとするさ。」
「御免…。ありがとう…。」
「礼は俺が言うべきところだ。十分時間をかけて考えて、その結論を堂々と俺に伝えてくれれば良い。楽しみにしてるぞ。」
「うん…。」

 円満な形の保留だが、リーナには手を伸ばせば手に入ることが分かっている事象をむざむざ保留した自分が嫌で仕方がない。これが自分の根幹と信じて疑わなかったプライドが、これほど疎ましいと思ったことはない。
 自分の前にこの寝床で寝ていた2人は、自分の暗部を曝け出すことを選び、受け入れた結果、今の自分では遠く及ばない領域へ進み、大きな一線を超えるのも場所と時間の問題だけだというのに。
 リーナは重ねた毛布の掛け布団を顔まで被り、思考を強引に遮断して就寝を試みる…。
 草原に時々森が混じる風景をドルゴで疾走するアレン達パーティーの視界に、水平線を埋めそうな壁が見えて来る。アレン達パーティーはこの旅の最初の目標達成が間近に迫っていると確信して、ドルゴの手綱を叩いてスピードを限界まで上げる。
 アレン達パーティーに対して、独立都市という言葉からのイメージとは乖離した巨大都市がその姿を明瞭にしていく。
 魔物や賊から人命と財産を守るため、辺境の村でも高く頑丈な壁が築かれるこの世界。ジグール王国への唯一の通用門である独立都市ラクシャスは、自給自足で細々と営まれる最果ての町ではなく、都市国家と言うべき規模のようだ。
 一様に形成された壁の中で唯一構造が異なる部分である正門の前には、ドルゴに乗った兵士が複数いる。良く見ると、壁の周辺に同様の兵士が散見される。アレン達が入手を目指すファイア・クリスタルや、Wizardと教皇を示す宝石であるスターサファイアなど、希少な宝石の産地であるジグーリ王国に通じる門番の最前線として、不埒なものを入れまいとしているのだろうか。
 兎も角ラクシャスに入らないことには始まらない。アレン達パーティーは門まで数メールとなったところでドルゴを降り、アレンが兵士たちの前に進み出る。

「タリア=クスカ王国から宝石の買い付けに来ました。」
「では、通用口から入りなさい。少し待つように。」

 意外にも尊大でも卑屈でもない平易な口調で兵士は応対し、頑丈な作りの正門の脇にある、1人ずつ入れる程度のサイズの木製のドアに向かう。程なく木製のドアが開き、兵士は元の位置に戻る。アレン達パーティーは兵士に会釈して通用口からラクシャスに入る。
 アレン達パーティーは、ついに重要拠点に足を踏み入れた感慨よりも、町の規模とその雰囲気に驚愕する。
 正門に繋がる大通りの両脇には大小の店舗が軒を連ね、呼び込みややり取りの声は活気に満ちている。両側に伸びる通りに面した建物は住宅だろうか。子どもが遊んでいる光景は、アレン達パーティーがそれぞれの故郷で暮らしていた時に日常の光景として存在したものだ。
 レクス王国では最大の都市ミルマを凌駕し、カルーダ王国の首都カルーダやランディブルド王国の首都であるフィルと肩を並べる規模と、ジグーリ王国への通用門という位置づけや希少な宝石を求める宝石商などが犇めくという情報から抱いていたイメージとはかけ離れた雰囲気に、アレン達パーティーは当惑を隠せない。

「…大きな町だけど、雰囲気はごくごく平穏だね。」
「…意外ね。もっと殺伐としたものかと。」
「国や故郷の束縛や現状に嫌気がさしてこの町に辿りついた人も多いそうですから、ある意味そのようなものから逃れた楽園なのかもしれませんね。」

 単純にイメージとの違いに驚くアレンとリーナに対し、ルイの感想は一歩踏み込んだ観点からのものだ。
 5歳から正規の聖職者として修行と業務に携わり、一方で少数民族の私生児、しかも母親が戸籍上死亡していたことによる迫害、成長に伴う性的欲求の対象や勲章としての粘着や嫉妬に苛まれ続けたルイは、アレンとの将来を描くにあたって国や故郷は束縛であり、躊躇いなく切り捨てる対象でもある。
 イアソンからの情報では、ラクシャスには希少な宝石を目指して訪れた者ばかりではなく、国や故郷で何らかの事情で爪弾きにされ、流浪の旅の末に流れ着いた者も多いと言う。そのような者にとっては、出生や経歴を問われることなく、町の秩序を守る限り自由に暮らせるラクシャスはまさに楽園であり、楽園を自ら汚すことがないよう努めているのかもしれない。
 アレン達パーティーはプラカード・インフォメーションを見て、拠点となる宿を探す。
 イアソンからの情報では、ラクシャスの宿は宿泊料金が非常に安い代償として、食事や掃除などは宿泊者自ら行うシステムだという。プラカード・インフォメーションにはそのような情報は記載されていないが、この町ではそのシステムが普通であれば敢えて書かれることはないだろう。
 アレン達パーティーは部屋の広さと商店へのアクセス、そして料金に重点を置き、幾つかの宿に優先順位を付けてから優先度の高い順に訪ねてみることにする。どの宿も周伯申し込みなど問い合わせは、大通りの一角にある少し大きな建物に集中している。宿泊斡旋所という名称のその建物は、これまでの町村とは異なるラクシャス独自のシステムを統括し、宿の紹介や斡旋、管理や苦情対応などを集約することで、経営者の情報共有や管理の負担軽減にも繋げている。

「すみません。この宿を借りたいんですけど。」

 アレンが窓口にプラカード・インフォメーションからの情報をメモした紙を渡す。窓口の女性は、管理者を呼んで来るからロビーで待てと告げて退出する。
 アレンは外で待っていたリーナとルイを呼んで揃ってロビーで待つ。広いロビーは全く人気がない。窓口の女性はアレンの問い合わせに一瞬驚いた様子だったし、長椅子は多数あるから、元々は多くの滞在者が宿の斡旋を待っていたのだろう。
 宝石関係の出入りが途絶えたのなら、その理由がジグーリ王国にあるのか、或いはラクシャスにあるのか調べる必要があるかもしれない。ファイア・クリスタルの入手が最大の目標なのは言うまでもないが、ジグーリ王国やラクシャスに異変が生じたならそれを解決することがファイア・クリスタルの入手に必要であることも十分考えられる。

「あんた達が、宿に泊まりたいのか?」

 30ミムほど退屈な時間が流れた後、窓口の女性に案内されて大柄な男性が入って来て開口一番、アレン達パーティーに宿泊の意思を確認する。やや興奮気味の口調から、久々の客なのだろうと推測できる。

「は、はい。ジグーリ王国に宝石の買い付けに来たので。」
「そうかそうか。じゃあ、案内しよう。」

 アレン達パーティーは窓口の女性に礼を言い、男性の案内で宿泊斡旋所から大通りに出る。
 宝石商などの出入りが途絶えて久しいと言われる一方、町は活気がある。人種は勿論、見た感じではどうもエルフやドワーフなど、人型の別種族も混じっているようだ。しかし、町の人々は驚いたり訝ったりする様子などなく、他の人々と同様に店なら応対し、飲食店では談笑している。
 ラクシャスは人種の坩堝でもあるとアレン達パーティーは感じる。何かしら事情があったり人種や種族が異なるのは、ラクシャスでは当たり前のことであり、当たり前のことをいちいち取り上げる必要はない。そんな不文律がラクシャスには根付いているからこそ、見た目明らかに若い、揃って属性が異なる美少女と錯覚されかねないパーティーが町を歩いていても好奇心混じりの視線に晒されることはないのだろう。
 店が軒を連ねる大通りの風景は、暫く歩いて行くと住宅が点在するものに移り変わる。繁華街から離れ、畑も遠くに見える光景は長閑で、生活苦や人種・種族の違いによる迫害の空気は此処でも感じられない。
 男性は、郊外の一角にある住宅の前で足を止め、周囲を囲んでいる柵と一体化している門の鍵を開ける。男性に続いてアレン達パーティーは敷地に入る。
 平屋の建物は宿というより一軒家だ。何と井戸や庭があり、小さいながら畑まである。井戸があるから食糧が底を尽きても何とか生命を繋ぎとめることが出来る。畑もあるのだから小規模ながら自給自足も可能だ。これが最大宿泊人数6名で1人1泊10ビジュというのだから、一攫千金を狙う者も多いであろう宝石商などを相手にする宿としては規格外の環境と料金だ。

「さあ、入って中を見てくれ。」

 男性が玄関の鍵を開け、アレン達パーティーを中に入れる。
 やや古びていて少し埃っぽいが、掃除すれば十分使える。間取りは何と6DK。ベッドは3部屋にあり、それぞれシングルベッドが壁の両脇に据えられた形だ。どの部屋にもテーブルやランプ、クローゼットなどがあり、ダイニングはリビングと見間違う広さだ。
 台所にはひととおりの食器や料理器具が揃い、竈や浴室、トイレも完備していて、男性が言うには何と下水道が完備されているという。
 下水道が完備している町村は、アレン達が知る限りではシーナが暮らしていたカルーダ王国のマリスの町しかない。下水道は流路の構築もさることながら、維持管理が欠かせないインフラの1つだ。現に我々の世界でも下水道が完備した都市はごく限られている。実質的な空家にまでもこの世界では豪華なインフラである下水道が完備した住宅が破格の料金で斡旋されるのだから、アレン達パーティーにはラクシャスのシステムが理解し難い。

「知っているかもしれないが、この町の宿では食事や掃除は宿泊者にしてもらう。食材は店で買っても良いし、畑で作っても良い。料金は退出時に一括精算。退出時に俺がひととおり確認して、経年劣化以外で明らかな損害に対しては修繕費を貰うか買い替えてもらう。買い替えは利用中でも良い。それで良いかな?」
「はい。」
「じゃあ、この契約書にサインしてくれ。」

 宿泊に際して契約書というのはこれまでにない手続きだが、一軒家を丸々借用するという観点ではごく普通だ。アレンは念のため契約書の書面を全部読み、不利な条件が隠されていないことを確認して、契約書にサインする。

「契約ありがとう。後は退出まで好きに使ってくれ。不明な点があったら、さっきの斡旋所を通して聞いてくれ。」
「此処で幾つか聞いても良いですか?」
「分かる範囲なら。」
「ありがとうございます。」

 アレンは礼を言った上で、完結に質問を列挙する。ジグーリ王国への入国の仕方。宝石商などの流入の途絶の真偽。ジグーリ王国の状況。この3点は今後を検討する上で必要な情報だ。ラクシャスの住人である男性なら、何らかの事情を知っていてもおかしくない。

「順に回答していこうか。」

 男性は特に訝る様子もなく、アレンの質問に回答する。
 1つ目。ジグーリ王国への入国は、この町を治める統領達宛に申請書を提出し、入国許可証の発行を受けた上で、町の南部にある専用の門から入国する形だ。申請書は大通りにある、役場に相当する町事務所にある。場所が分からなければ誰かに聞けば良い。
 2つ目。宝石商などの流入の途絶は本当だ。おかげで宿の経営者や斡旋所は開店休業状態。生活には特に困らないが、建物は人の出入りがないと痛みが加速する。
 3つ目。ジグーリ王国は現在、殆ど宝石が採掘できない状況だと言う。その原因はドワーフが語らないから不明だが、宝石の価格は暴騰している。宝石商の流入が途絶えた大きな原因は、この宝石の暴騰が収束する見通しが立たないためだろう。まともに相手したら一生かかっても払えない料金を請求されるより、手頃に入る宝石を求めるのは自然の理というものだ。

「−こんなところだ。他に情報が欲しければ、町で誰かに聞くか、機会があれば統領に聞いてみると良い。統領も多くは語らないが、繋がりがあるジグーリ王国の状況には心を痛めている筈だ。」
「分かりました。ありがとうございます。」
「礼には及ばんよ。目的の宝石が買い付けられることを祈ってるよ。では。」

 男性は宿を後にする。
 アレン達がすることはまず宿の掃除だ。設備は揃っているし管理もされているようだが、やはり埃っぽいことには変わりない。布団も一度は干さないと埃っぽくでまともに寝られそうにない。
 掃除はアレンとルイの出番だから、この間リーナは手持無沙汰になる。だが、今のリーナは庭でのんびり日向ぼっこを洒落込む気にはなれない。食材の買い出しと情報収集を兼ねて町事務所に赴き、ジグーリ王国への入国許可証を得るために必要な申請書を取りに行くことにする。
 アレンとルイはリーナ1人で行かせることに安全面から不安を口にするが、リーナはサラマンダーを召喚して護衛させると言う。広い分掃除には時間がかかるだろうし、分担できるならそれに越したことはない。

「じゃあ、リーナには申請書と買い物をお願いするよ。」
「了解。あ、そうそう。部屋はあんたとルイ、それとあたしで分離して。何処にするかは戻って来てから決めるから。」
「え…。男女で分けるんじゃないの?」
「ルイの惚気話を聞かされたくないし、あんた達こそ一緒に寝たいでしょうに。」

 アレンとルイにストレートな冷やかしの言葉をぶつけて、リーナは買い物用の大きな袋を持ち、サラマンダーを召喚して出て行く。
 アレンとルイは顔を見合わせ、今夜を想像したのか同時に頬を赤くする。このままだとリーナが帰って来た時どやされるのは確実だから、気を取り直して掃除に着手する。
 窓という窓を開け、掃除用具を物置から取り出し、当面の拠点の整備に取り掛かる。2人が心の何処かで思い描く、将来の家庭を営む上での予行演習を兼ねる心持ちであることは、今更言うまでもないだろう…。
 その日の夜。久しぶりに宿泊者を受け入れた宿で、久しぶりに新鮮な生野菜を取り入れた夕食が並べられる。
 アレンとルイの共同作業により、リーナの欲求を反映したらしい生野菜が多かった食材は、野菜サラダをはじめ、野菜スープや蒸し肉の香草和えガーリックソースなど、レストランに出しても遜色ない料理に生まれ変わり、3人の腹を満たしていく。

「食事や掃除が宿泊者の責任ってのは、あんた達が居ればかえって快適な生活をしてくれって言うようなものね。」

 リーナは数々の料理を食しながら、満足げに言う。アレンとルイに同行したのは、この点では大正解だったとリーナは思う。
 リーナが申請書と共に多くの食材を半ば背負うように買って帰った時には、宿の掃除は完了していた。埃っぽかった室内は綺麗に拭き掃除まで施され、良好な天候を利用しての洗濯でカーテンまで綺麗になっていた。
 浴室やトイレは勿論、アレンとルイの専用領域である台所も、完全に人が居るが故の生きた空気の流れを取り戻した。
 食材の厳しい制限がなくなった料理は言うまでもなくどれも美味で、リーナが未だに心理的に苦手意識を持つ肉料理も食べやすくされている。ベッドも布団を含めて全ての部屋の分が整えられ、ゆったり足を伸ばして寝られるのは間違いない。

「生活が宿泊者の責任なのと引き換えに、一軒家でも遜色ない建物が1人1泊10ビジュで借りられるのはありがたいよ。」
「当面はこの宿が拠点になりますし、久しぶりに屋内で寝られるんですから、綺麗な環境で過ごしたいですからね。」
「この料金の安さで、借りるくらいならいっそ住んだ方が良いって考えに至った人も居るかもね。」

 リーナが大通りに繰り出して観察したところ、やはりラクシャスには様々な人種が居るし、異なる種族も居る。更にはリーナが護衛で伴わせたサラマンダーも、確かに驚きはされたものの、それも一瞬で終わった。
 聞けば、最近姿を見なくなったが、宝石商などは自分か護衛の魔術師などが召喚魔術を使うし、護衛として同行させるのを見るから特段珍しくないという。驚いたのはサラマンダーという四大精霊の一角を占める上級の存在であることだけ。ラクシャスは「異なる」ことが「普通」であり、他人に危害を加えなければ受け入れられるのだと実感した。
 それに加えて、宿の料金を含む物価の安さ。他の国で暮らせる程度の収入を持ち込めば、ラクシャスなら相当期間遊んで暮らすことが出来るようだ。宝石商なども、危険を冒して宝石を購入したり、剥き出しの欲望に晒されて疲弊するより、ラクシャスで地道でもゆったり暮らすことを選んでも不思議ではない。ラクシャスは単にジグーリ王国に通じる事前審査機関ではなく、国や故郷で行き場をなくした者や疲弊した者が流れ着き、地味ながらも平穏に暮らす楽園の1つなのかもしれない。
 こんな町を統括するという統領達の存在が気になるが、リーナはそこまで情報を得ていない。まずは自分の役割である申請書の取得と買い物を済ませることが先決と思ったのもあるし、安さと新鮮さにつられて特に生野菜を買い過ぎて、重くて身動きがとり辛くなったという現実的な事情もあるが、後者はとても口に出来ない。

「部屋だけど、あたしは西側の南の部屋にするから。」
「西側の部屋って、ちょっと狭くない?」
「夜型人間だから、朝日で起こされたくないのよ。あんた達は東側の東か南のどちらかを使いなさい。」

 この宿は、今アレン達が夕食を取るために集結している台所隣接のダイニングを中心として、東側に4部屋、西側に2部屋あり、2組のベッドはそのうち、東側の東端の部屋と南側2つの部屋のダイニング側、そしてリーナが選んだ西側の南の部屋にある。他は物置や書斎として使うことを想定されているらしい。
 アレンとルイはリーナが部屋を選んでから何処にするか決めるつもりだったが、部屋の広さや日当たりの良さは東側の方に分があるから、てっきりリーナは東側のどれかを選ぶものかと思っていた。

「その方が、毎晩毎晩ベッドの軋む音やルイの喘ぎ声を聞かされなくて都合が良いって理由もあるのよ。」
「!!ちょ、ちょっとリーナ!」
「え…。あ…。それは…。」

 確かにダイニングを挟めば、東西の部屋の音はほぼ聞こえない。宿泊するパーティーの人間関係や気質も様々だからこのような配置なのかどうかは不明だが、東西に部屋を分けたのは防音効果を目論んでのものとも考えられる。
 今のアレンとルイが一度大きな一線を超えたら、年齢的な面と性的自我の高まり、そして期間限定とはいえ夫婦であるという関係性から、連日連夜激しく熱い営みをするだろう。今のリーナの精神状態ではそれに伴う音や声に耐えられる自信はない。リーナが自ら寝室を隔離するのは、睡眠不足への自衛策として賢明と言える。
 パーティーにとってラクシャス最初の夜は静かに、そして様々な思惑を漂わせながら更けて行く…。
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