Saint Guardians

Scene 13 Act1-1 打開-Breakthrough- 雪残る頂を超える旅(前編)

written by Moonstone

 西に引き寄せられていく太陽の日差しを受けながら、アレン、リーナ、ルイのパーティーはいよいよハブル山脈に足を踏み入れた。
 山道はドルゴが2匹並走できる程度の幅がある。傾斜は見た目には緩いが、ドルゴで上って行くと後ろに引っ張られるような感を覚えるところから、かなりの傾斜と見て間違いない。見上げると、まさに天を貫くように聳え立つハブル山脈。パーティーがこの向こうにあるジグーリ王国に到達するには、先人達が幾多の苦労と犠牲の末に刻み込んだであろうこの山道を上る以外に選択肢はない。
 パーティーは、アレンとルイが乗るドルゴが前に出る陣形で上る。剣が使えるため即応性が高いアレンは、ドルゴの操縦と共に戦闘時は先陣を切ることが求められる。ハブル山脈にどのような魔物が生息するかなどの情報は何1つない。主教補に昇格してより強固になったルイの結界は健在だが、絶対ではない。

「他に人は居ないね。」
「時期的に人が少ないのか、上る人が途絶えたのかのどちらかね。」

 1つ目の急カーブを抜けたところで、アレンとリーナが所感を言う。
 ファイア・クリスタルをはじめとする希少な宝石の産出国であるジグーリ王国。宝石はサイズに対して多くの金銭的価値を含有できるから、一攫千金を狙う宝石商やトレジャーハンターなどが居ても良さそうなものだが、視界に入る範囲ではパーティー以外山道を登る者は居ない。彼らから直接ファイア・クリスタルを得られる可能性は皆無としても、ジグーリ王国や周辺環境、ひいては山道の情報が得られる可能性は十分ある。この先環境が過酷になることが間違いない山道に関して、魔物の生息ポイントや道の崩落ポイント、山小屋の所在地といった情報が得られれば、安心感はかなり高まる。しかし、その望みも薄いと見られる。パーティーは全て自分達の力で道を探し、切り開くしかない。
 山道は蛇行する個所もあり、道幅も一定ではない。「あるだけまし」と思うべきだろうが、操縦を誤ると転落の危険が高いから、アレンとリーナは気が抜けない。ルイは蛇行やカーブの度にアレンから引き剥がされそうな遠心力に襲われる。アレンから離れてなるものかとばかりにルイはアレンにしっかりしがみつく。その都度アレンは背中に改めて押しつけられる2つの柔らかい感触に意識を引き寄せられそうになるが、手綱をしっかり握ることでどうにか持ち堪える。
 太陽が西に消えようとする頃になると、先手を打つように気温が低下して来た。パーティーは一旦停止して防寒装備−毛皮のコートと手袋と着用する。今の気温ではやや大仰だが、この先夜になって視界が悪くなる。冷え込みが本格的になってから慌てて装着するより、先に装着しておく方が精神衛生上も良い。日が落ちたあたりでアレンはライト・ボールを使用する。出発前に覚えた力魔術の1つで、アレンの称号ではまだ呪文を詠唱しないと使用できないが、カンテラより安定感や持続性は高い。これだけでも力魔術を本格的に習得し始めた価値はあったと言えよう。
 黄昏時を経て空と周囲が暗転する。西の方角にはドルフィン達が滞在するバシンゲンの町があるのだが、パーティーは視認できない。月がまだ出ていないから、ライト・ボールがなければ漆黒の闇だ。ガードレールや反射鏡などないから、ライト・ボールの灯りを頼りに慎重に進むしかない。

「右上の方、灯りらしいものが見えない?」

 急カーブを超えたところでリーナが言う。
 スピードを落として注意深く観察すると、星にしては高度が低過ぎる光がある。山小屋だろう。旅の疲れを癒し、高度に順応するための重要な拠点だ。蛇行も含む危険な山道を長時間ドルゴを操縦して来たアレンとリーナは、一刻も早く灯りの下に行きたい衝動に駆られる。

「見えるよ。急ごう。」

 夜になって気温が急降下して来た。やや息苦しさも感じ始めている。寒さは防寒装備でかなり防げるとは言え、気圧の低下も加わることでパーティーの環境は苛酷さを増している。この気温での野宿は命取りになりかねない。ライト・ボールの灯りを頼りに、パーティーは山道を急ぐ…。

「こんばんはー。泊めてくださーい。」

 リーナが灯りを発見してから約1ジム後。灯りを放っていた山小屋に到着したパーティーは、アレンがドルゴを降りて山小屋の玄関をノックする。
 少しして鍵が外され、ドアが少し開かれる。中から髭面の強面の男性が姿を現す。過酷な環境の拠点を守るだけに、体力はもとより腕っぷしもありそうだ。

「こんな時間に到着とは珍しいな。何人だ?」
「3人です。」
「入りなさい。」

 マクル語が通じたことと、滞在の許可が得られたことで、アレンは胸をなでおろす。待機していたリーナとルイに伝え、ドルゴを消して荷物を背負って山小屋に入る。
 山小屋は過酷な環境に耐えられるようにか石造りで、一般的な民家2軒分くらいの広さだ。玄関を入って直ぐに食堂とキッチンが併設された場所がある。アレンを迎えた男性は、キッチンで何か料理している。食堂には暖炉があり、炎が揺らめいている。時折くべられた薪が弾ける音が、今は安心感さえ醸し出している。

「荷物はひとまず隅に置いて良いですか?」
「構わんよ。食事はまだだろう?座って待ってなさい。」
「ありがとうございます。」

 山小屋の主らしい男性は、歴戦の戦士を思わせる厳つい風貌だが、人当たりはそれほど悪くない。
 木製のテーブルは4組あり、やはり木製の椅子が2脚ずつ向かい合わせになるよう並べられている。ドアは食堂の奥に2つ、キッチン側に1つある。宿泊する部屋の配分などは主が決めるだろうから、今は座して待つのみだ。キッチンと玄関に近い方のテーブルに、アレンとルイが窓側、リーナがキッチン側に着席する。
 ルイが少し苦しそうに眉間に皺を寄せていることに、アレンが気づく。

「ルイさん、具合悪い?」
「ちょっと頭痛が…。」
「高山病?」
「そのようね。見た感じ、重症じゃなさそうだけど。」

 登山開始前にリーナから渡された予防薬を服用してはいるが、効能は体調や罹患しやすさに依存する面がある。予防薬と言えども万能ではない。料理の1皿を運んできた男性は、俄かに騒然とし始めたパーティーを見やって冷静に言う。

「高山病か。だったら服薬して安静にすることだ。それで駄目なら下山するしかない。」
「ベッドを貸してもらえますか?」
「向かって右のドアを入れば、部屋が4つある。鍵は開いているから、寝かせてやりなさい。」
「分かりました。」

 アレンはルイを抱き上げ、部屋へ運ぶ。予想外の動作にルイは一瞬戸惑うが、直ぐ順応或いは安心してアレンに身を委ねる。
 片手で器用にドアを開け、部屋に入ったアレンは、ベッドにルイを寝かせる。アレンはルイのブーツを脱がして掛け布団をかけると、暖炉に薪をくべて火を灯す。ファイア・ボールを使えば薪への着火は容易。冷え込んでいた部屋は徐々に暖かくなる。
 少し落ち着いたところで、アレンは掛け布団を半分ほど捲って、ルイの防寒装備を外す。そして、呼吸が楽になるように礼服の襟元のボタンを2個ほど外し、ベルトを緩める。アレンはどうしても意識してしまうが、ルイが少し楽になった様子を見せたことで、安堵感に変換してやり過ごし、掛け布団を再度かけてこれ以上見ないようにする。

「アレン。薬と水よ。飲ませておきなさい。」
「ありがとう。」

 部屋に入ってきたリーナから、アレンは丸薬と水の入ったコップを受け取る。

「一晩安静にすれば大丈夫だと思うけど、治らないようなら一旦下山するしかないわね。此処で順応できなくて更に高い場所で平気ってことはないから。」
「それならそれで仕方ないよ。まずはルイさんの回復を待つ。」
「嫁に服薬させたら、あんたは食堂に来なさい。料理が出来てるから。」
「分かった。先に食べてて。」

 リーナが退室した後、アレンはルイの頭の下に右手を挿し込んで持ち上げる。やや苦しそうにしていたルイが目を開ける。

「アレンさん…。」
「リーナから薬を貰ったから、これを飲んでゆっくり休んで。」
「御免なさい…。迷惑をかけて…。」
「迷惑だなんて少しも思ってないよ。さ、飲んで。」
「はい…。」

 アレンが差し出した丸薬を、ルイは口に含む。アレンはルイの頭をもう少し持ち上げ、コップをルイの唇に当てる。ルイの唇が開き、水を受け入れる態勢が出来ると、アレンは慎重にコップを傾けて水をゆっくり流し込む。ルイは水を受け入れ、丸薬と共に飲み込む。
 ルイの喉が動いたのを確認して、アレンはコップを離してルイの頭を枕に戻す。アレンは掛け布団の裾を引き寄せてルイの肩まで覆わせ、更に毛皮のコートを広げて乗せる。風邪まで罹患すると状況が更に悪化する。今は温かくして安静にすることで、高山病の解消を待つしかない。

「食事をして来るよ。直ぐ戻るからね。」
「はい…。」

 アレンは後ろ髪を引かれる思いを抱きながら、静かに部屋を出て食堂に向かう。食堂では先にリーナが食事をしていた。男性はキッチンに戻っている。

「嫁は?」
「薬を飲ませた。食べたら直ぐ戻る。」
「容体が急変することはないと思うけど、一晩様子を見るのが賢明ね。それはあんたに任せるわよ。」
「勿論。」

 アレンは取り皿に料理を乗せて口に運ぶ。食材の入手状況や保存の観点から、日持ちしやすい肉が主体だ。リーナにはやや厳しいが、空腹には勝てない。山羊の乳が原料らしいスープで流し込むように、リーナは食事を進める。
 雨風を凌げて暖炉の温もりがある山小屋は、今のアレンとリーナには快適で優雅な豪邸に思える。

「久しぶりの客がこんな若い者同士とはな。どういう関係だ?」
「そっちの男と、高山病にかかった女は夫婦よ。」

 キッチンから話しかけて来た男性に、リーナが応じる。初めての夫婦という紹介でアレンは一瞬固まる。

「何?夫婦?」
「男の左手を見なさい。」
「…指輪か。随分若そうな夫婦だな。」
「2人揃って10代で、最近結婚したばかり。文字どおり新婚よ。」
「ほう10代か。本当に若いな。じゃあ、お前は?」
「監視役よ。新婚の2人が任務を放り出して、その辺で愛の巣を作って住み着かないようにするためのね。」
「それは面白い。」

 男性が笑う。当事者を放置して進行する会話と認知に、アレンは思わず食事の手を止める。だが、此処で照れ隠しでも否定すると面倒なことになりかねないことは、アレンでも分かる。

「旦那。嫁の具合はどうだ?」
「…薬を飲ませました。重くはなさそうですが、食事を済ませたら戻って様子を見ます。」
「そうしてやりなさい。見た目華奢な割に嫁を運ぶ手際はなかなか良かったぞ。」
「ありがとうございます。リーナ。後は頼む。」
「了解。」

 アレンは手早く料理を食べてスープで流し込み、男性に礼を言って足早にルイが居る部屋へ向かう。リーナは食堂と部屋を隔てるドアが閉まるのを一瞥し、食事を続ける。
 1つ前のドアまでは駆け込むように入ったアレンは、ルイが休む部屋のドアは腫れ物を触るように慎重に開ける。暖炉からの放射熱で部屋はずいぶん暖かくなっている。ルイは薬が効いて来たのか、眉間の皺がかなり消えている。アレンの入室に気付いたのか、頭をゆっくりドアの方に向けて目を開ける。

「アレンさん…。」
「どんな具合?」
「かなり楽になりました。」

 アレンは椅子をベッドの脇まで持って来てそこに座る。頭痛は緩和されたようだが、表情に浮かぶ苦悶の色からして、苦痛を与える頭痛の根幹は健在なようだ。
 高山病の症状は酸欠が齎すものだから、身体が順応するのを待つのが基本だ。薬はあくまで対症療法や苦痛の緩和が目的であって、酸欠を解消するものではない。

「お腹空いたり喉が渇いたりしたら直ぐ言ってね。」
「はい。今は大丈夫です。」

 ルイはドルゴを操縦していたわけではないが、操縦によって生じる遠心力や高度の上昇は平等に受ける。むしろ、自分で操縦していない分、遠心力への順応が難しい。車を運転する者と同乗する者で乗り物酔いのしやすさに差が出るのと同じだが、そこに不慣れな高度の上昇が加わったことで高山病を罹患したのだろう。幸い大事には至らないようだが、到着が深夜にずれ込むのを承知で行程を緩やかにすべきだったとアレンは悔やむ。

「アレンさん。…水を飲みたいです。」
「水?ちょっと待ってね。」

 アレンは薬を飲ませた際のコップを持って一旦部屋を出る。程なく水を入れ換えたコップを持って戻って来る。飲み残しの水をそのまま飲ませたくないとアレンが思ったからだ。
 アレンは椅子に座ると、薬を飲ませた時と同じようにルイの頭を右手で持ち上げ、コップを唇に触れさせる。ルイの唇が開いたのを見てコップを慎重に傾けて水を流し込む。ルイは目を閉じて水を受け入れ、一定の間隔で口に含んだ水を喉に通す。コップの水が完全になくなり、アレンはルイを寝かせて掛け布団をかける。

「アレンさん。…手を繋いで欲しいです。」
「手?」

 予想外の依頼にアレンは思わず聞き返す。掛け布団の裾から差し出されているのは、まぎれもなくルイの左手。アレンはこの程度で良いのかと疑問に思いながら−まだまだ鈍さは健在なところもある−ルイの手を両手で取る。アレンの手の感触と温もりを感じ取ったルイは、山小屋到着から始めて表情を緩める。

「これで良い?」
「はい。十分です。」
「こうしてると…、あの時を思い出すよ。ランディブルド王国でルイさんが攫われて、俺が助けに行った時のこと。」

 アレンとルイの関係を決定づけた出来ごとの1つは、シルバーローズ・オーディション本選会場でザギの衛士(センチネル)によってルイが攫われ、監禁された港の倉庫に火が放たれ、アレンが救出のために飛び込んだことだ。
 炎と煙に巻かれながら互いを呼び合い、衛士(センチネル)とホークの卑劣な攻撃から互いを守り合った。アレンは重傷を負ったが、ルイの献身的なヒール使用と看護により、予想を大幅に短縮する速さで全快した。
 アレンは時に魔力が尽きるまでヒールを連続使用し、全快まで終日寄り添ったルイに、ルイは計算も駆け引きもなしに自分を助け守ったアレンに強く心を惹かれ、完全に特別な異性と認識した。
 ルイは食事と就寝と偶の休憩以外ずっとアレンに寄り添い、ヒールの連続使用の他、主治医のシーナにアレンの容体を定期報告し、緊急とまではいかないが臨時の処置が必要な場合は服薬補助やヒールの重点照射1)を行い、食事やトイレの支援−トイレは居室に標準装備なのでそこへ連れて行った−など看護全般を担った。
 この経緯でルイは、リルバン家の使用人やメイド、ひいてはフィリア以外のパーティーの面々とクリスから「療養中の旦那を甲斐甲斐しく看護する嫁」と認識されていたが、この件(くだり)は別の機会に譲ることにする。

「大怪我をした俺に、ルイさんは毎日一生懸命ヒールを使ってくれた。俺は聖職者じゃないし、魔術師としてもまだ初心者レベルだけど、魔法を使うようになって連続でヒールを使うのがどれだけ多くの魔力を必要とするかようやく分かったよ。俺には魔法を使ったあんな凄い治療は出来ないけど、こうして付き添って水や薬を飲むのを助けることくらいは出来る。だから、俺に出来ることなら何でも言って。」
「こうして一緒に居てください。それで十分です。」

 ルイはアレンの両手に包まれた手に力を込める。

「不謹慎なのを承知で言いますね。…私、こんな状態になって最初は不安でしたけど、今は凄く安心してるんです。アレンさんの前では、頭痛で何も出来なくなった私でも良い。水を飲ませてもらったりして甘えても良い。弱ったところを見られても良い。それが改めて分かって…凄く安心できるんです。」

 アレンは、今までルイはいかに気を張り詰めた日々を送っていたか痛感する。
 ルイは確かに今は主教補まで称号を上げた聖職者で、5歳から修行に勤しんできたが、生身の人間であることには違いない。どれだけ健康優良であっても体調を崩す時はある。その上、ルイはホルモンバランスが繊細で微妙な女性だ。しかも月経の開始と定期化が加わり、肉体の変調が起こりやすくなっている。腹痛や頭痛などもあっただろうし、時には横になっていたいと思うこともあっただろう。
 しかし、ルイが若くして称号を上げ、連動して教会での職階や知名度が上昇し、職務が増えたことは、ルイに休息や力を抜くことを許さなくなった。体調が芳しくなくても気力と責任感で職務をこなし、自室に戻って就寝する段階になってようやくベッドに倒れ込むようなこともあった。
 それに比べて、今は無力でも許される。聖職者でなくて良い。アレンに頼めば水や薬を飲ませてもらえるし、無条件で手を繋いでもらえる。無防備な姿を晒しても受け入れられることは、ルイにとって無意識に張り詰める心を洗われ癒されることなのだ。

「だから私、不謹慎なのを承知でこうして居たいんです。アレンさんに一緒に居て欲しいんです。」
「それくらい、お安い御用だよ。…熱とかはない?」

 アレンはルイの額に自分の額を軽くくっつける。ルイは目を見開いて固まる。その視界にはアレンの2つの瞼しか映らない。アレンはルイの左手を覆っている手を離さないがためにこうしたのだが、結果的にルイの体温を高める羽目になってしまう。
 アレンが顔を上げても、ルイの頬から紅潮は消えない。ランプが灯っていないため顔色がよく分からないのは、この場合ルイにとって良いのか悪いのか微妙なところだ。

「微熱がある…のかな?」
「だ、大丈夫です。か、風邪とかはまったく平気ですから。」
「なら良いんだけど、具合が悪くなったらリーナに薬を貰うから遠慮なく言ってね。」
「は、はい。」

 ルイは、アレンが全く意図せずに額をくっつけたと感じ、複雑な心境になる。だが、そこはフィリア曰く「非常にあざとく、しかも強か」なルイのこと。すぐさま気持ちを切り替える。弱ったところも見せられる、甘えても良い、しかも今は夫と言える男性に甘えれば良いのだ、と。

「熱を見るなら、額より唇の方にして欲しいです。」
「唇の方って…。」

 ルイとの交際が親密の度合いを深める今、アレンと言えどもルイの意図は理解できる。躊躇う理由はないが、見られるのは流石に気恥かしい。アレンは部屋のドアを見て確かに閉まっているのを確認してから、ルイとの距離を詰める。ルイはアレンの顔が近づいて来るのを察した段階で目を閉じて、アレンを受け入れる。
 2つの唇が90度傾いた状態で重なり合い、互いの唇を味わうように動きながら吸う。アレンの両手とそれに覆われているルイの左手が、幸福と快楽を表すように、或いはそれが声に出ないように強く握り合う。
 静養中だからか舌の絡め合いこそないものの濃密な時間を過ごすアレンとルイ。その背後でドアが少し開いて、程なく小さな革袋が内側のノブにかけられて静かに閉じられたことに気づく筈がない。ドアを閉めた主−リーナは、ドアを背にして小さい溜息を吐いて食堂に戻る。料理が片づけられ、水の入ったコップに置き換わったテーブルの前に腰を下ろし、もう一度溜息。

「薬は渡してきたのか?」
「新婚がよろしくやってるところに堂々と入れるほどの度胸はないわよ。薬と部屋の鍵を袋に入れて置いて来たわ。」
「おいおい。嫁の方は高山病だろ?随分お盛んだな。」
「予防薬は飲んでるし、早いうちに服薬したから、よっぽど弱ってなけりゃ大丈夫よ。両方10代なんだから。」
「それは結構なことだ。あんたは監視役とはいえ、同年代の新婚の熱愛を見せつけられて羨ましくないか?」
「…ちょっとね。」

 男性の茶化し気味の質問に、リーナはかなりの間を挟んで答える。曖昧な言い回しだが、これまでなら即答で「何とも思わない」と答えていたことからすれば、リーナの心境に大きな変化があったことが分かる。
 更に、今日が初対面の相手に対して、ややぶっきらぼうながらも問題なくコミュニケーションを取れていることは、リーナを知る面々からすれば驚愕ものだ。僅か3名の臨時パーティー、情報が地図以外皆無に等しい状況、治癒担当が一時的だが行動不能、といったことがリーナに無関心や傍観者では居られないと悟らせたのか。或いは、アレンとルイが2人きりにすると新婚さながらの熱愛ぶりを展開することから、自分がリーダー代理として行動するしかないと覚悟させたのか。

「それより聞きたいことがあるんだけど。」

 リーナは男性に質問を投げかける。
 この先の山道にある山小屋の数や場所。
 ジグーリ王国に通じる山道なのに人気があまりにもない理由や推測。
 ジグーリ王国に関する情報。
 管理する山小屋が住居でもあると見て良い男性から、聞き出せる限り情報を聞き出すこと。リーナは当事者として、そしてリーダー代理として、使命感に背中を押されて能動的な行動に出る。

「…なかなか核心を突く質問だな。こちらも腰を据えて答える必要があるな。」

 男性は、リーナの向かい側に座る。その表情は俄かに真剣味を帯びている…。
 山小屋の食堂の灯りが消え、玄関のランプのみが位置を知らせるために煌々と光るだけになった。食堂の暖炉は宿泊者の夜食や時間を問わずに駆け込む山越えの行商などに対応できるよう、ランプが消えた今も炎を湛えている。
 暖炉は誰が設計製造したのか知らないが、一定間隔で薪が奥から滑り落ちてくるようになっている。高度が上がると酸素が薄くなり、燃え難くなる。一度火を絶やすと再着火に時間がかかり、特に冬場は死活問題となる。暖炉の灯りと熱をより多く受けられるように、リーナは椅子を暖炉の前に移動させている。

『リーナ。聞こえるか?』
「問題ないわよ。まずそっちの状況から話して。」
『効率重視だな。ではお言葉に甘えて。こちらは国王が、バシンゲンに向けて和解交渉の使者を送った以外目立った動きはない。此処数日で状況が劇的に変わったから相対的に平穏に映るが、大きな動きだろう。昨日までの推論どおり、国王は俺達パーティーに濡れ衣を着せて追放した一連の事件をマタラ元内相の責任とすることで、穏便な解決を図る方針のようだ。』
「マタラの末路は知ったことじゃないけど、物資ごと沈めてくれた船はどうするつもりかしらね。船がないとこの先どうにもならないんだけど。」
『勿論その辺も織り込み済みで、王国所有の貨物船を無償提供する方針らしい。』
「代替品が貨物船って、舐めてない?」
『否、積載量など実用性を考えれば魅力的な条件だ。この先補給拠点はないから、より多くの物資を積載できるに越したことはない。その点、貨物の運搬を前提に製造された貨物船は有利だ。』

 パーティーがタリア=クスカ王国に入国した際の船−ランディブルド王国国家中央教会提供の船は中規模の客船だった。長期間の航海に耐えられるよう物資の積載は可能だが、物資の積載を専門とする貨物船には劣る。その分居住性はやや劣るが、この世界の造船技術では部屋の広さと内装くらいしか居住性の差は出ない。食料や真水などをより多く積載できるのは、この先の長い航路を考えれば有利だ。居住性もベッドで寝られれば大きな問題はない。取引条件としては、イアソンが言うとおりパーティーに有利と言える。

「ふーん。あたしたちに有利なら良いけど、裏はないでしょうね?」
『物資の積載前の点検や、乗船者の確認は必須だが、それは前の船と同じだ。勿論、こちらの条件を無条件で受け入れるようドルフィン殿が要求するだろうし、国王側も受け入れるだろう。ドルフィン殿のことだ。こちらの要求を1つでも受け入れなければ拒否するだろうし、国家間の大事にするわけにはいかない国王側は余程無茶な要求でなければ受け入れるだろう。』
「これはドルフィンの判断に任せるしかないわね。イアソンの方はそれで終わり?」
『ああ。今日のところは、という条件付きだが。そっちはどうだ?』
「予定どおり…かしらね。ハブル山脈の山越えに入ったわよ。今はタリア=クスカ王国側の山小屋の1つに居るわ。ルイが軽い高山病にかかったけど、今は問題なさそう。旦那と1つのベッドで熟睡中のようだし。」

 食堂の消灯前にリーナが確認に赴いたところ、薬と部屋の鍵が消えた革袋が外側のノブにかけられていた。
 部屋の鍵はきちんとかけられていたこと、時間的に恐らくルイの頭痛も解消されたと思われること、薬と部屋の鍵を持って来た時に熱愛ぶりを展開して居たこと、頭痛が消えた後でルイがアレンを座らせたままにして置く筈がないとの推測から、アレンとルイは1つのベッドで密着して熟睡して居ると推測するに至った(ちなみに実際その通りである)。
 嬌声が聞こえたら病み上がりで元気になる方向が違う、とドアを破壊してでも乱入して説教するつもりだったが、そこまで至っていないのはリーナとしてはやや複雑な心境だ。

『高山病も2人にとってはちょっとしたアクシデント程度か。相変わらず仲睦まじいな。』
「使い物にならない2人に代わってあたしが山小屋の主に色々聞いたんだけど、山小屋は片方の斜面に2か所ずつしかないんだって。つまり、タリア=クスカ王国側には後1か所。今と同じくらい高度を上げたところにあるそうなんだけど、高山病がより心配ね。山頂付近はまだ積雪があるらしいし。」

 リーナが主の男性から聞き出した情報の1つ、山道にある山小屋の数と場所は、不慣れな上に危険が多い山越えに対してかなり厳しいものだった。
 山小屋はタリア=クスカ王国側とジグーリ王国側にそれぞれ2か所。概ね中間地点と山頂近くにあるという。高度が上がるにつれて益々空気は薄くなり気圧も下がる。暖を取るための火もより起こし辛くなるし、なにより高山病のリスクも上昇する。予防薬を服用しても中間地点で軽い高山病を罹患したルイは、より高度が上がるこの先の行程に耐えられるか疑問だ。
 山小屋の主も、高度を上げる速度を落とせば高山病のリスクは下がると言っていたが、それは野宿の必要性と更なる危険が生じる。
 高所での野宿は山小屋より低温に晒される。更に不安定になった積雪が雪崩となって襲い来る危険性がある。更に天候が変わりやすく夜になれば漆黒の闇に覆われることで、道を誤る危険が高まる。これは野宿より遭難の危険が高い。万一遭難という事態に陥っても、救援は絶望的だ。
 今回も夜間の走行はあったが、まだ比較的低高度で、ドルゴを操縦するアレンとリーナが高山病を罹患していなかったことで、冷静な判断と行動が出来たためだ。この先アレンとリーナも高山病を罹患するリスクがゼロとは言えない。高山病に至らなくても、気温と気圧の低下で判断力が鈍り、道を誤る恐れがある。加えて、行き来する人があまりに少ないことで、頂上付近は積雪により山道が識別できない恐れもある。次の山小屋到着を優先するか、高山病のリスク低減を優先するか、判断が難しいところだ。

「高山病は対処療法も限界があるのよね。幸い今回のルイの症状は軽かったけど、次は分からない。あたしやアレンも絶対無事とは言えないし。」
『高山病は重篤になると下山するしかないと聞いたことがある。俺としては強引に高度を上げて途中で断念するよりは、途中の野宿を覚悟で緩やかに上っていって、下りで急ぐことを進めたい。』
「その方が良いかしらね。2人と相談して決めるけど、出来れば山小屋以外での野宿は避けたいってのが本音。相当寒いだろうし。」
『対症療法にしても、実質リーナの薬しかないわけだから、防寒と高地への順応を優先した方が良いな。』
「確かにそうね。それに直接関係ないことだけど、ジグーリ王国から来る宝石商とかが最近まったく来ないらしいわ。何か異変があったらしいけど詳しいことはタリア=クスカ王国側まで情報が殆ど入ってこないから分からないって。タリア=クスカ王国からジグーリ王国に向かう奴も減ってるそうだし、向こうは向こうで不穏な様子よ。ジグーリ王国の西にあるラクシャスって独立都市があるらしいから、そこで探りを入れるのが賢明みたい。ハルガンに加えてもう1つ解決すべき事案が増えた格好ね。」

 リーナが主の男性から聞き出した情報のもう1つは、ジグーリ王国に関すること。
 まだタリア=クスカ王国側ということもあって情報は乏しいが、行き来する人の数に明らかな減少があり、それはジグーリ王国の異変が関係しているらしい。異変が何なのか不明なのが困りものだが、少なくともアレン達パーティーにとって山越え後の行程が安寧とはいかないことは確実と見て良い。出来ればファイア・クリスタルの譲渡交渉に専念したかったのだが、そうは問屋が卸さない。
 一方で、これまでの情報から、ジグーリ王国の西側に宝石商や鉱山労働者、トレジャーハンターなど、ジグーリ王国で一獲千金を夢見る者が集まる独立都市ラクシャスがあり、そこで補給や滞在が可能なこと。そこでは言語がマクル語の他フリシェ語も通じることが分かった。
 ジグーリ王国そのものの情報ではないが、山越えの後補給も休息も情報もなしでドワーフ相手の交渉に臨むよりずっと有益な情報が得られた。ラクシャスに滞在しつつジグーリ王国の動向や異変の原因を探り、解決に向かうことがファイア・クリスタル譲渡交渉に優位に働くと考えられる。否、そうすべきだろう。希少なファイア・クリスタルを譲渡する伝手などない現状では、それに値する対価を作るしかない。それはジグーリ王国の異変を解決することが最も有利で確実なのだから。

『ラクシャスか。そんな独立都市があるとは初耳だ。ドワーフ以外居住を許されないというジグーリ王国が生み出した特別な条件だな。』
「肝心のジグーリ王国に関する情報がまだ殆どないってのが難儀よ。ハブル山脈が隔ててると言ってもタリア=クスカ王国側から陸路で行けるんだから、何か情報はないの?」
『情報入手をそっち方面にシフトした方が良さそうだな。首都ならその辺の情報を得る条件はあるだろうから、明日から早速あたってみる。』
「そうして頂戴。ところであんた、今何処に居るの?」
『今も王城内だ。マタラ元内相が失脚したとはいえ、まだ不確定要素はある。それに、王国に関する情報はやはり本拠地である王城内が最も収集に適している。』
「そう。くれぐれも気を付けなさいよ。軍部の強硬派が何をしでかすか分からないんだし。」
『了解。随分気遣ってくれるな。俺は嬉しいぞ。』
「それは良かったわね。」

 ぶっきらぼうに言うものの、リーナの表情はそれとは裏腹に寂しげで何か言いたげだ。
 ルイの高山病をいち早く察知し、即座に静養と服薬を支援した。無防備でも弱っていても良く、聖職者でなくても良く、無条件に甘えて良いと分かったことは、ルイにとっては大きな収穫だし、アレンへの愛情をより深めたのは間違いない。
 今後の展開や環境によっては、アレンとルイが大きな一線を越える確率が十分にある。リーナは少なくともテント内なら余所でやれと言って叩き出し、今回のように病み上がり直後は元気になる方向性が違うと言って説教するつもりだが、一線を越えようとすることそのものに干渉するつもりはない。
 更に、連日見せつけられるアレンとルイの熱愛ぶり。今日は暗がりではっきりは見えなかったが、横になったルイにアレンが覆い被さる形でキスをしていたのは間違いない。それを終えて今は密着して熟睡しているだろう。主の男性に依頼して2人の部屋から離れた別の部屋を使えるようにしたが、絆と親密さを深め続けるアレンとルイを間近に見続けて、アレンに保護され大切にされるルイに自分を重ね合わせ、リーナは自分の中である気持ちが抑え難いほど高まっているのを感じている。それは今この場で自分が口にすれば望ましい形で解決するだろう。だが、プライドが最後の壁となって喉を塞ぎ、言葉となって発することを頑強に拒んでいる。その壁をどうしたいか、リーナは結論が出せずにいる。

「…イアソン…。」
『何だ?』
「…御免。またの機会にするわ。」
『分かった。ゆっくり休んでくれ。』

 長い沈黙の後にようやく絞り出したのは、先送り。通信を終えたリーナは椅子の背凭れの上部に後頭部を乗せて、深い溜息を吐く。温かい炎を湛える暖炉だけが思い悩むリーナを見つめ続ける…。

用語解説 −Explanation of terms−

1)ヒールの重点照射:ヒールなど治癒系魔法は、対象となる人の全身以外に、特定部位に照射したり、特定部位の効果を強める(逆に弱める)ことも出来る。当然魔力の精密な制御が必要になるが、治癒を急ぐ必要がある部位があるなどの場合にも柔軟に対応できる。

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