「逃げられたか…。」
「申し訳ありません。奴等の中に尋常ではない者が居まして…。」
「まあ良い。船を沈めた以上、事態が余所に知られることはない。奴等も袋の鼠だ。」
爆破された城壁が急ピッチで復旧されている王城の一室で、内務大臣とパーティーを襲撃した軍勢の指揮官が面談している。
「奴等を捜索しますか?」
「首都やカーンの墓に近づかない限り、放っておけ。」
「承知しました。」
「奴等が接近してくるのは、むしろ好都合な面もある。」
内務大臣は不気味にほくそ笑む。城壁の復旧工事が奏でる騒音は、不穏な会話をかき消すには十分だ…。
激動の一夜が明けて、9ジム過ぎにパーティー全員が起床する。夢見心地だったところを強引に起こされたことと、これまでの地道な努力を無下にされた
ような徒労感が、ドルフィンとシーナ、後に起床したイアソン以外の面々の目覚めを悪くした。特に朝早い起床が身体に染み付いている筈のアレンとルイが、
元々朝が弱いリーナと並んで起床が最も遅かったことが、パーティーの心情を如実に反映していると言えよう。
アレンとルイは薬草の手配や薬剤の配給のため、タリア=クスカ王国の全ての町村に出向いた。蛇行したりアップダウンが激しい道にドルゴを走らせ、供給を
受けた薬草をこぼさないように、瓶詰めされた薬剤が破損しないように気を配り、病に苦しむ人々に薬剤を届けた。強い日差しを受けながらのドルゴの操縦は
大変だったが、薬剤を服用して回復した人々の「ありがとう」で、疲労や苦労は大きく和らいだ。
その地道な努力に対して、王国からの回答は「先住民を扇動しての破壊活動」だった。2人で協力して続けて来た活動だけに、配給後などの休憩を含めた
これまでの時間や労力、そしてそれらの上に築かれた思い出を踏み躙られた気がしてならない。
「…これからどうしますか?」
これまでにない重苦しい雰囲気が支配する中での遅い朝食の中、イアソンが切り出す。やるせない気分なのはイアソンも同じだし否定はしない。しかし、
今後を考え行動しなければ南の地で果てるしかない。
「2とおりを考えている。」
ドルフィンは携帯食の1つを食べてから答える。
「1つは、俺とシーナのワイバーンでハルガンに向けて段階的にピストン移動することだ。」
ドルフィンは円を描いて座るパーティーの食卓中央に地図を広げ、手頃な石を地図上に配置する。
「此処、タリア=クスカ王国からハルガンまでは距離があり過ぎる。ワイバーンはそれほど長距離飛行が得意じゃないから、直接は無理だ。搭載人数も3人が
限度だし、荷物の量を考えると2名が無難だ。そこで、トナル大陸の海岸線沿いのこのルート…。イシュタル、ザワン、リンド=ダカルと順に辿ってハルガンに
向かうことを考えている。」
「これらの国は、ランディブルド王国とは国交がないですね。」
「ランディブルド王国と国交がないだけで、そこに住む人間はごくまともだ。食糧や宿は現地調達できることはクルーシァ時代に経験済みだから、その点でも
安全なルートだ。」
ドルフィンとシーナがこのルートを選択したのは、全てクルーシァでの修業の一環である渡航訓練で寄港経験があるためだ。
国交の有無はランディブルド王国側から見たものであり、トナル大陸の南側の国々はそれぞれ国交があり、人や物資の交流がある。我々の世界における
南北問題−地球の北側にある国に先進国が集中し、南側にある国は途上国という図式は、北側、特に欧州諸国による苛烈な植民地支配と収奪で南側
諸国の文明が断絶したことに起因する。
中南米にはアステカ文明やマヤ文明、広義のインカ文明が存在したが、マヤ文明では有名なマヤ歴に代表される高度な天文学が、インカ文明には石の
精密加工や灌漑など高度なレベルに達していた。同時期の欧米の文明があまりにも稚拙に映るほどだ。
天文学と暦は密接な関係があり、長期間の観測による天体の運行周期を基に暦が作成される。日本の暦も国立天文台(本部:東京都三鷹市)が計算して
発表する暦要項に基づいている。毎年春分の日と秋分の日が微妙に異なるのは、暦要項が官報に掲載されることで決定されるためである。それより前に
カレンダーに秋分の日と秋分の日が記載できるのは、やはり国立天文台が観測と計算結果から予測した結果が公表されているためであり(Webなどで閲覧
可能)、それは長期の観測と精密な計算があるからこそ可能である。つまり、精密な暦は長期間の天体観測とそれに基づく精密な計算、すなわち数学の
存在の証明であり、それらが可能なほど長期間政情が安定したことの証左でもある。
また、インカ文明では武器らしい武器が発掘されないことは意外と知られていない。石を建材とする都市構築は、征服した地域の破壊ではなく、拡張や
改良によって発展してきたことを示している。欧州で腐敗したキリスト教支配による苛烈な魔女狩りが行われたことや、180人のコンキスタドール(スペイン人の
侵略部隊)が中南米で破壊と略奪の限りを尽くしたことと比較すれば、どちらが野蛮で下劣であるかは論を待たない。
中南米はスペインからアメリカの支配に代わり、アフリカではエネルギー企業やハゲタカファンドを中心とする北側諸国による収奪が続いているが、中南米は
左派政権が成立した国をはじめ中道・保守政権の国からもアメリカ支配からの脱却が進み、アメリカ支配の総本山として機能して来たOAS(米州機構)でも、
アメリカがラテンアメリカへの介入を宣言した1823年のモンロー・ドクトリンの終結を公式表明するなど(2013年11月)、自主自立と連帯の道を着実に歩んで
いる。アフリカ諸国も内戦や疾患に翻弄されながらも、アパルトヘイトを終結させた南アフリカが新興諸国の代表格であるBRICsの一員に(ブラジル、ロシア、
インド、中国、南アフリカ)名を連ねているように天然資源を基に自立へと進みつつある。
南側諸国が欧州諸国の侵略による深刻な文明の断絶と復興への出遅れを取り戻せば、キリスト教、特にアメリカに跋扈するキリスト教原理主義に基づく帝国
主義に翻弄され、自己責任や実力主義などの美辞麗句で巧みに多い隠される深刻な貧困と経済格差に喘ぐ北側諸国が逆転されるのは時間の問題である。
そこに「愛国」「反日」「売国奴」のスローガンを撒き散らして嫌韓を煽る一方で韓国のキリスト系カルトである統一協会と親密で、統一協会の源泉と言える
CIAが跋扈するアメリカへの隷属を絶対のものとする、やはりCIAが関与して脈々と続く右派政権が牛耳る日本も含まれることはやはり論を待たない。
「現在のパーティーは8人。操縦は召喚したものでないと出来ないから、2名ずつの移動になる。地図での距離とワイバーンの飛行速度から計算して、次の
拠点に2名を移動させるにはおよそ13ジム。4回往復だから移動だけでもおよそ2日半かかる。その間の防御や滞在をどうするかといった問題がある。」
「現地の言葉はマクル語ですよね。」
「そうだ。十分な意思疎通が出来るとは言い難い状況で、全員の移動が完了するまで先発組が滞在できるか、後発組が不安定な状況のこの国で身の安全を
確保し続けられるか、不安要因が大きい。」
攻撃・防御共に格段に高いドルフィンとシーナが移動を担うのは良いが、移動する他の面々だけでは心許ないというのは、パーティー全体の見解だ。元々
パーティーの傾向として攻撃力は高いが防御に難がある。ルイの参入でかなりバランスは改善されたが、ピストン移動によってパーティーが一時的にでも
バラバラになるから、結局攻撃に偏向したものにならざるを得ない。
加えて、ドルフィンは敢えて口にしないが、パーティーが抱える人間関係の問題も無視できない。
カップル関係になってまだまだ熱が上昇中のアレンとルイ。それに割って入る機械を虎視眈々と狙うフィリア。フィリアとの相性が最悪で対人関係全般に
未だに難があるリーナ。この3組4名に加えて、今まで問題を孕む人間関係の傍観的立場だったイアソンとクリスが、リーナに関係する形で参入しかけていると
推測される。
クリスがイアソンとリーナの関係に関心を抱きつつあることには、シーナが先に察していた。
元よりクリスはイアソンと相性が良い。リルバン家滞在時を見ていても、クリスがイアソンと共同のトレーニングをしたり専用酒場で酌み交わしたりと時間を共有
する機会は多かった。リルバン家でも事情を知らない者からは、イアソンはクリスと付き合っていてリーナと二股をかけようとしていると思われていたくらいだ。
時間を共有する機会が多ければ、その分相手を深く知ることになる。認知から好感ひいては愛情に発展することは何ら珍しくない。クリスがリーナに熱心な
アプローチを続けるイアソンを見続けることで、リーナと自分が置き換わったことを思い浮かべたりして、イアソンへの感情が徐々に変化していたとしても、
やはり何ら不思議ではない。
ピストン移動の順番や関係によって、人間関係が更に混迷の度合いを深めることが容易に予想できる。移動中はドルフィンとシーナの統率力も及びにくく
なるし、事態の解決やハルガンへの渡航より前に、パーティーで内戦が勃発する恐れすらある。
「もう1つは、王家の船を借用して出国する。」
「?!」
「ええっ?!」
「先ほどの案と比較して随分極端ですね…。」
「これにはルイが掲げる看板、ランディブルド王国教会全権大使の肩書を利用する。ランディブルド王国教会所有の船が沈められたため、船への破壊活動を
阻止できなかったタリア=クスカ王国所有の船を借用するというシナリオだ。」
突拍子もない手段だが、一応筋は通っている。
ルイがランディブルド王国教会全権大使として此処タリア=クスカ王国に入国したことは各方面に知られている。全権大使の職名は誰でも名乗れるものでは
なく、書状を常時携帯して都度提示することが必要だ。国交を有する相手国から来たそのような重要人物が、自国で任務遂行の妨害に遭ったとなれば
自国の信用は著しく失墜する。だからこそ外交においてスケジュールが緻密に構成され、それを妨害されないように厳重な警備が付く。
火薬18)どころか燃料の搭載もない帆船が自国の港で停泊中に炎上・沈没したのは、明らかに外部の破壊活動によるものであり、外交担当者の責任どころか
元首である国王の責任問題・外交問題に発展しかねない性質のものだ。ドルフィンの第2案はそこを突き、全権大使が乗船する船の破壊活動に対する責任の
取り方として、王国所有の船を奪取して今後の渡航に充てるというものだ。
「交渉を基本とする戦術としては、理に適っていますね。」
「ピストン移動の課題はこちらなら一挙に解決する。勿論、この案にも課題はある。事実上タリア=クスカ王国とは敵対関係に陥った。そこから王国所有の船を
奪取するには、いかにルイの看板があるとはいえども、あまり強引なことは出来ない。王国が船を貸すしかないと認知させる状況に持ち込む必要がある。」
「どうして?強奪しちゃえば簡単じゃない。」
「その船に必要な物資がご丁寧に積載されていると考えない方が良い。」
「そのとおりだ。船はあっても物資がなけりゃ、幽霊船になる船が代わるだけだ。」
性格上短期決着を急ぐ傾向が強いリーナの意見を、イアソンとドルフィンが順に諌める。
王家所有の船は王国の威厳を示すものであると考えるのが自然。近隣の航海以外は使われないであろうし、物資はその時必要なもの必要な分だけ直前に
積載すると考えるべきだ。船を奪ったところで物資がなければその先の航海は不可能だ。積載可能な量や船の設備が長期航海に適したものであるかの
調査やその結果に基づく改装も必要だろう。奪えば解決と考えるのは強盗の利己的な思考でしかない。
「長期的な面では、王国の船を借用するのが良いですね。物資の運搬量の面でも安全の面でも。」
「そうだ。その分、と言うべきかどうかは分からんが、交渉や戦略が必要になる。」
色々考えても、簡単で平和的に解決できる手段は思いつかない。タリア=クスカ王国に見切りをつけてピストン移動を反復するか、絶望的に悪化した関係
から王国所有の船の貸与までこぎつけるかの二者択一は、どちらもパーティーの心理的負担を伴うものだ。特に後者は、敵対関係を抜本的に転換する
方策がなければ、それこそリーナの言うとおり強奪する方がまだ現実的だ。
パーティーの渡航の目的は、タリア=クスカ王国でも暗躍していると見られるザギの企てを粉砕するのではなく、応答が途絶えて久しいハルガンの状況
把握と可能であれば事態の解決。だが、ザギの企てを阻止することがザギの行動原理の背景を把握し、不気味な胎動を続けるクルーシァの謎に近づく
重要な手掛かりになることも事実。パーティーは難しい判断を迫られた格好だ。
「タリア=クスカ王国との関係を改善する方策はありますか?」
「王国との交渉は現状では交戦を招くだけだろう。鍵になるのはやはりカーンの墓だ。」
王国の国民のみならず、抗争を続ける先住民も等しく武器を収め、祈りを捧げる場所であるカーンの墓。事態打開の糸口になるものと言えばやはりそこだ。
カーンの墓を言葉は悪いがどのように有効に利用するかが鍵になる。だが、その有効策は何かと言われても直ぐに出せる状況ではない。
「どちらを選ぶにせよ、拠点は必要だ。この町は地形的にも拠点に適している。」
「首都近辺と比較して高低差がありますから、戦略的に有利ですね。」
「そうだ。その拠点形成は軍事的ではない方法で行える。」
イアソンとのやり取りの後、ドルフィンはアレンとルイの方を向く。
「アレン、ルイ。お前達2人でこの町を回って、当面この辺りに野営することを説明しに行ってくれ。」
「俺とルイさんで?全員じゃなくて?」
「遠路はるばるこの町まで薬剤の配給に来ていたのはアレンとルイだ。顔が知れている2人だけで説明に回った方が住民の不安を煽らずに済む。」
前述のとおり、シーナとリーナが調合した薬剤は、アレンとルイが全国に配給していた。1度ではなく何度も出向いているし、病人が集中していた教会に搬入
したことで必然的に住民とも顔を合わせる機会があった。配給後は長時間のドルゴ操縦の疲労を癒す休憩で−片道3ジム程度かかるし壊れやすい物品の
運搬は疲労を増大させる−、先住民との抗争の前線から遠いためか平穏な町を巡り、
グン19)などの食品を買って食べたり、広場で寛いだりした。
アレンは色白で美少女と見間違う顔立ち。ルイは浅黒い肌と艶のある銀色の髪のコントラストが映える上品な美少女。美形カップルそのものだから−最初は
美少女2人組と認識されていたのはある意味お約束−2人でいれば嫌でも目立つ。娯楽や通信手段が乏しいのは南の国でも同じこと。見慣れない1組の
カップルは、ご多分にもれず病人で溢れかえっていた町の窮地を救ったという強力なインパクトも相俟って、住民の意識に強く焼き付いている。
その2人が事情を話して当面留まることを伝えれば、拒否感は起こり難い。それどころか、「町の窮地を救った異国の若い2人に何という仕打ちを」と王国に
対する疑念や反感が生まれ、密告によって王国の軍勢に襲撃される危険性を減らせる。
「…分かった。食事を済ませたら行って来るよ。ルイさんは良い?」
「はい。勿論ご一緒します。」
これまでの努力を踏み躙られたようで落胆していたアレンとルイの表情に明るさが戻る。またしてもアレンとルイが揃って行動することにフィリアは不満を
感じずにはいられないが、事情が事情故口に出すのは憚られる。
ともあれ、これまでにない困難な状況からの反転攻勢の基礎構築は、アレンとルイに委ねられる形になった…。
朝食を済ませたアレンとルイは、早速行動を開始した。
やはりアレンとルイの知名度と信頼は抜群で、アレンとルイをはじめとするパーティーの所在の秘密保持は勿論、商店街からは食材の供与が約束され、
更には教会から滞在場所の無償提供まで取り付けた。当面の野宿生活を覚悟していたパーティーには予想外の朗報だ。即答で快諾を得られることの
連続で、アレンとルイは当初こそ戸惑ったが、1日がかりの全戸訪問を達成する活力を得た。
薬草の調達と薬剤の運搬・配給をアレンとルイが担当したのは役割分担からの流れだが、2人が困難な道のりを超えて通った努力や苦労は決して
潰されてはいなかった。努力や苦労という種が地道で継続的な活動という肥料を得て、人々の意識に深く根を下ろした結果生まれた強固な信頼という花は、
一度踏まれただけでは枯れず、再び大輪を咲かせた。
全戸訪問を済ませたアレンとルイは、夕暮れを前にパーティーに朗報を届け、野営の準備をしていたパーティーは急いでテントを撤収してヴィルグル町
中央教会に足場を移す。教会には偶に訪れるという行商など旅人のための宿泊場所があり、パーティーはそこに案内される。
聖職者が日々の修行と職務の拠点とする教会らしく、部屋の設備やベッドの寝心地は宿には及ばない。しかし、宿を追われ、広場に隠れるように野営する
しかなかったパーティーには、南国特有のスコールを十分凌げて手足を伸ばして横になれる空間があるだけでこれまでの環境とは雲泥の差だ。
「アレン殿とルイ様からお話は伺いましたが、軍は何を血迷ったのか…。」
ヴィルグル町中央教会総長が苦い表情で溜息を吐く。
夕食を済ませたパーティーのうち、実質的なリーダーであるドルフィンと参謀格のイアソン、そしてパーティーで最も住民の知名度と信頼が高いアレンと
ルイが、ヴィルグル町中央教会の総長ら幹部と会談する。
ルイはランディブルド王国教会全権大使の肩書がある。教会幹部を通じて教会内部ひいては王国の内部事情について何か情報を引き出せるかも
しれない、との思惑がある。特に町の住民にとって救世主とも言えるアレンとルイを含むパーティーを深夜に襲撃し、船も沈めて追い立てた軍や王国そのもの
への怒りや不信感は強い。理不尽な追放劇を背景にした共闘関係が既に形成されつつある。パーティーにとっては怪我の功名と言うべきか。
「アレン殿とルイ様が険しい道のりを辿って薬剤を運んでくださらなかったら、この町は死者の町に成り果てていたかもしれません。そのお2人を含む皆様を
深夜に襲撃した上、あろうことかお使いの船まで沈めるとは…。ことが知れればランディブルド王国との外交関係にも重大な影響が出かねません。」
「王国全体が私達と敵対しているわけではないことは十分承知しています。ランディブルド王国には私から事実を正確に伝え、外交関係に支障が出ない
ようにします。」
「ルイ様のご配慮に感謝します。少なくとも我々を含むヴィルグルの町の者は、皆様が破壊活動を行ったというデマは毛頭信じておりません。そもそも謎の
病の蔓延自体、皆様の入国より前に始まっており、どう考えてもつじつまが合いません。」
「ご理解いただけて幸いです。」
内務大臣は軍を使ってパーティーに濡れ衣を着せようとしたが、いかんせんタイミングが悪い。病の発生と蔓延、パーティーの入国に相関関係が全くない
のは明らかであり、しかもパーティーの入国以降に泥沼状態だった病への対処が劇的に改善された。これでは、幾らパーティーが市民に取り入り油断
させたと前置きしても、先住民を扇動して破壊活動を行ったとの濡れ衣はあまりにも不自然だ。
「実は、今回の事態の背後には、内務大臣が絡んでいるとの証言を得ています。」
「マタラ様が、ですか?」
「ご存知ですか?」
「マタラ様は先住民の徹底的な排撃と共に、病への早急な対処を国王に進言されていたお方です。」
ドルフィンとの会話に続き、総長は内務大臣のマタラについて語る。
マタラは対外的には強硬派、対内的には穏健派というタイプで、大臣の中ではベテランの域にある。軍は内務大臣の管轄下にあり、先住民との抗争が
長期化・泥沼化しているのは軍を管轄するマタラの方針がある。
「マタラ様は王国の安寧には先住民の追放が不可欠として軍に徹底的な攻撃を命じ、その結果先住民の強い怒りを喚起して反撃が激化する構図が
ありました。病の蔓延で軍は勿論、恐らく先住民も実質的に交戦不能になり、我々としては血で血を洗うような泥沼の抗争が一時的とはいえ収束し、鎮魂祭も
行えるようになったことに安堵していたのですが…。」
「…背後の糸の1本が見えて来たな。」
「はい。比較的分かりやすい図式です。」
「どういうことでしょう?」
「明らかに内務大臣がこの事態に関与している。狙うは軍を背景にした地位権力の向上だろう。」
この世界における軍隊は町村に侵入する魔物の迎撃や治安維持が任務だが、管轄・統率する者の意向次第でその範疇を逸脱するのは十分あり得る。
レクス王国でザギの入れ知恵により、軍が国家特別警察と衣替えして「赤い狼」の拠点であるエルスとバードの2町以外を一挙に制圧し、住民を抑圧支配した
ことは、パーティーの半数以上が鮮明に記憶しているところだ。
マタラが先住民との抗争が長期化・泥沼化してでも軍を動かし続けるのは、その公約の成就によって王国内での地位を高めるためと見て良い。その先は
推測だが、王に代わる実権の掌握、更には国王の地位の奪取というシナリオは容易に思いつくし、現実的でもある。それが病の蔓延によって中断し、
結果的に鎮魂祭が開催できるほど平穏が戻ったのだ。カーンの墓の歴史を思い起こせば、先住民と折り合いをつけて住み分けなり共存なりする方が良いと
見て厭戦感情が支配的になるだろう。これまでの先住民の攻撃手法とは打って変わってゲリラ的で唐突な城壁爆破も、厭戦寛恕の広まりを恐れて先住民
への攻撃再開を急いだマタラが軍に指示した自作自演と見れば筋は通る。
「マタラ様がそのようなことを…。」
「現状ではそう考えるのが妥当だ。軍を動かす者はその力を自分と重ね合わせて、権力の麻薬に手を出しやすい。」
「船を沈めた理由は、自分達の悪事が伝わらないようにするためかな?」
「そう見て間違いないだろう。船しか移動手段がなく、それも1隻だけ。トナル大陸を歩いて北上するのは年単位かかる。事実上の口封じだ。」
「一方で、明らかにつじつまが合わない事象を持ち出して、我々に濡れ衣を着せて追い立てたのは稚拙ですね。」
「内務大臣にとっては、病に効果が高い薬剤が軍にも十分行き渡ったことで、俺達は用済みと踏んだんだろう。濡れ衣の出来栄えが巧妙かどうかまでは考慮
しなかった。内務大臣の目的はあくまで先住民の殲滅でありその先の地位権力の向上。俺達の対処は本筋じゃない。ことの良し悪しは兎も角、筋は通って
いると言えるな。」
「シーナさんとリーナさんが暇を惜しんで調合した薬剤が、そのようなことに使われたなんて…。」
「薬剤の責任ではないし、シーナとリーナの責任でもない。無駄に罪悪感を持つ必要はない。」
唐突な城壁爆破と先住民への攻撃再開、そして昨夜の突然の襲撃に纏わる謎はおおよそ解明出来た。しかし、まだ謎は存在する。病そのものとの関連が
見当たらないことだ。
軍を管轄する権力はあっても、病を発生させるほどの医学や魔術の研究開発能力はないだろう。それがあるなら軍を動かすまでもない。病の発生と蔓延、
そして最近見られた変質はマタラとは別の意志で行われたと見るべきだろう。
では、病とマタラは何らの関連もないと断じるのは早計だ。病の発生源−恐らくザギなどクルーシァが絡んでいる−とマタラの意志疎通が円滑でない、
或いは地形的な問題に阻まれて遅延が生じるなどで、先住民だけ狙い撃ちする筈が王国全体に蔓延するアクシデントが発生したとも考えられる。
ザギが背後に居るとすれば、そのようなトラブルが発生するのも織り込み済みだし、マタラに甘言を囁き思いのままに操り、最後には達成したものだけ奪い
取って用済みとして切り捨てる腹積もりだろう。レクス王国やランディブルド王国がそうであったように。切り捨てられるのは悪魔の誘惑に乗ったマタラの自業
自得だが、無関係な人々を巻き込み、実験台にしてまで黒い野望を推し進めるザギを野放しには出来ない。アレンの父ジルムの所在を掴み、救出するため
にも、ザギの野望を打ち砕き拘束することが急がれる。
「当面の間、この町を拠点として事態の解決を図ってください。人々が病に苦しむのは勿論のこと、無意味な戦乱が続くのは御免です。」
「ありがとうございます。我々も事態を看過できません。」
新たな拠点は出来た。地形の理を活かしてタリア=クスカ王国に蠢く黒い野望を暴き、粉砕することがパーティーの当面の目標に据えられた。
世界をまたにかけて様々な実験を遂行するザギは夢見るのは世界征服か、それとも…世界の破滅か?
「こんな夜更けやなくても、一晩休んでからでもええんやない?」
「昨夜の事件から間がなく、向こうもドタバタしている時期。善は急げ、だ。」
その日の深夜、教会前で黒装束に身を包んだイアソンがドルゴに跨る。見送りに出たパーティーのうち、クリスが呆れたような心配そうな複雑な様子。
リーナは何か言いたげだが言い出す一歩を踏み出せない様子。複雑な人間関係が出来つつあることが感じられる。
パーティーの当面の方針が決まったのを受けて、イアソンは首都キリカへの潜入調査を申し出た。出発は夜の深い闇が覆う今。警備は手薄になるし人目に
付き難い。潜入には好都合な条件だが、新たな拠点を形成して直ぐに一般的な生活リズムから逸脱して、絶えず緊張を強いられる現場に潜入するイアソンの
体力や精神力が心配だ。しかも今回は高温多湿という過酷で不慣れな環境も付随する。十分な休息を取らなければ謎の病だけでなく、熱帯地域に多い
伝染病罹患のリスクも高まる。シーナが複数の薬品を持たせたが、不安を解消するには至らない。
「こうした調査諜報活動は、俺の本領を発揮できる場所だからな。それに見えない部分を通常の聞き取り調査で暴くのは不可能だ。」
「それはそうやけど…。」
「アレン。通信機の応答は頼む。」
「分かった。気を付けてとしか言えないけど…。」
「十分だ。」
ランディブルド王国におけるルイを取り巻く黒い影を暴くため、シーナが創造したイヤリング型の通信機が再び役立つ時が来た。遠隔地の通信を行う手段は
限られている、しかも隠密で行うことが大前提の条件で使えるものはファオマくらいだが、生憎ファオマは連れていない。通信機はその点タイムラグも
なければ機密性も高い。分担して謎を探り秘密を暴くための強力な武器だ。
「…イアソン。」
リーナが一件面倒そうに進み出る。しかし、視線が頻繁に移動するところを見るに、それが全てではないことが分かる。
「これ、連れて行きなさい。…ダークシルフ20)。」
リーナが黒を基調とするシルフを召喚する。体長20セムくらい、黒の半透明の羽根を持つ姿態は、色を除いて一般的に知られるシルフと変わらない。
「この男について行きなさい。この男の危機を感じたら直ちに身を隠して敵を殲滅しなさい。」
「承知しました。」
ダークシルフはイアソンの頭上に移動する。
「あたしからの餞別。攻撃と防御が同時に出来る優れモノだから、あんたの本領を存分に発揮することね。」
「これは何ともあり難い…。」
「感動するのは帰ってきてからにしなさい。」
「そうだな。愛するリーナのために大役を果たして帰還する。」
「言うだけなら何とでも言いなさい。」
リーナはぷいっと視線を逸らすが、虚勢を張っているのがよく分かる。イアソンもリーナが気にかけていることを十分感じ取るが、まだアプローチを模索する
段階。リーナのプライドを害すると頭上のダークシルフが牙を向けるから引き際を見極めるのは重要だ。
「限界を感じたら直ぐに撤退してくれ。」
「了解です。…では。」
イアソンは前に向き直り、手綱を軽く叩く。イアソンを載せたドルゴは音もなく地面の上を滑り出し、イアソンの頭上に着いたダークシルフが遅れずに追随を
始める。リーナはそっぽを向いたままで、クリスは他の面々と同じく急速に遠くなるイアソンの後ろ姿を見つめ続ける。
闇に包まれた秘密を暴くのはイアソンのお家芸。謎が暴かれる時、パーティーは何を思うだろうか…?
用語解説 −Explanation of terms−
18)火薬:この世界では力魔術による火力が強いこと、製造技術が未発達なことから、火薬は魔術師が居ない地域での採掘現場における発破や花火への
用途に限られている。
19)グン:一口サイズに切った羊肉に塩をまぶして串に数個通して焼いたもの。羊はトナル大陸南部特有の家畜で、レクス王国やランディブルド王国など
これまで作中に登場した国では飼育されていない。言わば地元の特産品でシンプルな味わいが特徴。
20)ダークシルフ:悪魔に唆されて悪魔側に転向したシルフ。風と暗黒の属性を有する。よく知られるシルフは清涼な歌声と爽やかな風で人や生物を癒すが、
このダークシルフは甲高い声と暗黒の毒気が充満する風で人や生物の精神を蝕み、毒に侵す、通称「クレイジー・ウィンド」で攻撃して来る。また、身に纏う
暗黒の風に包まれると周囲が1ジムほど完全に視界を遮られるため、重大な脅威となる。