Saint Guardians

Scene 12 Act2-3 悪意-Malice- 新たな暗雲、見覚えある暗雲

written by Moonstone

 夕食を兼ねた会議が当面の方向性を出して終わる。1つは病への対応を継続すること。もう1つはタリア=クスカ王国からの脱出に備えて、停泊中の船への
物資搬入を開始すること。一見矛盾する方策だが、今後の事態を想定したものだ。
 前者、すなわち病への対応の継続は国王との謁見に向けた環境作り。入国してから主にアレン、リーナ、シーナ、ルイが患者の治療や薬剤の製造指導や
搬送、魔術の指導という形で病に対応してきたことで、聖職者や国民の間で知名度と信頼を獲得している。形も変えて王国全土を蝕む病に、大切な鎮魂祭
まで阻まれたこともあって聖職者や国民の疲弊や不満は強い。しかも、国王など為政者側は聖職者任せで実質放置している。ある意味それらを利用する形
ではあるが、地味で終わりが見えないことだが病への対応を継続することで、国王とのパイプを持つ聖職者や満足にカーンの墓への墓参が出来ない
−流石に何度も高い確率で病に罹患しては及び腰になって来る−国民の信頼を揺るぎないものにすることで、先住民との抗争にのみ顔を向けている国王
などへ圧力をかけることになる。
 為政者が最も恐れるのは国民の団結だ。為政者に兵力があっても数では国民の方が圧倒的に勝る。団結した国民による体制打倒は古くはフランス革命や
ロシア革命、近年では中東諸国における「アラブの春」など枚挙に暇がない。だからこそ為政者は国民に社会的階層を形成して分断を図る。為政者を
資本家に、国民を労働者に置き換えることも出来ることも論を待たない。
 後者、すなわち国外脱出への備えは事態の悪化に備えるため。前者の方策を実施することで国王などに圧力をかけて謁見を求める道筋は開ける
だろうが、同時にそれは先住民と同じく国家≒現在の為政者側にとって重大な脅威と見なされる恐れがある。否、その確率は高いと見るべきだ。国民でも
危険視されることをランディブルド王国教会全権大使のルイが居るとは言え外国人の集団が行えば、先住民と同じく国家体制の転覆を企てる敵対集団と
見なされやすい。今は先住民との抗争に「専念」している状態だが、何時その矛先を向けられるか分からない。
 戦力では互角、否、十分返り討ちできる。だが、パーティーの旅は国家体制の打倒が目的ではない。国王などがパーティーに敵対するなら早々に病への
対応支援を打ち切って脱出するのが良い。それまでに前者の方策で聖職者や国民の信頼を構築しておけば、「実質放置で何もしなかったくせに、外国人と
言えど親身に対応してくれたパーティーを追い出した」と国王などへの怒りを喚起する。その先のタリア=クスカ王国の方向性は国民が決めることだ。
 これらと付帯して決められたのは、ほぼ港地域教会に常駐しているリーナとシーナの身辺警備の配置。リーナは召喚魔術、シーナはWizardならではの
強力な力魔術があるが、即応性に欠ける。病への対処の主力はこの2人だから、国王などがまず目を付けるとしたらこの2人だ。そのため、アレンとルイを除く
フィリア、ドルフィン、イアソン、クリスがパーティーの荷物を置いている宿の確認を2人ペアで交代で行うことになった。
 アレンとルイが除かれたのは、即応性が高いアレンと衛魔術の出張指導も可能なルイのペアであることと、2人がそれぞれドルゴを有するためだ。即応性なら
クリスも高いが、アップダウンがある場所も多いタリア=クスカ王国ではドルゴがないと移動が困難だ。ランディブルド王国教会全権大使という看板を有する
ルイは、各地の教会と容易にコンタクトを取れる。各地に赴いて聖職者や地域住民との信頼を醸成しつつ情報収集するには最適だし、その護衛にはドルゴで
並走出来るアレンが最適だ。当然フィリアは憤懣やる方ないが、彼方此方から合理的な理由を出されては覆しようがない。せいぜいルイを睨みつつ
「抜け駆けするな」と釘をさすのが関の山だが、アレンとカップル関係が成立して久しく、着実に仲を深めつつあるルイにはもはや馬耳東風だ。
 形勢が固定化されつつあるアレン、フィリア、ルイに対して、複雑な様相を呈しそうな関係がここへ来て新たに急浮上してきた。

「夕食会議も終わったことだし、軽くお茶でもしないか?」
「お仲間と好きにしてれば?」

 パーティー専用の夕食場になりつつある宴会場を出たところで、イアソンがリーナを誘うが、リーナは一蹴する。これまでかなり軟化していた態度が一気に
硬化したことに、イアソンは戸惑いを隠せない。
 理由を聞こうにもリーナはさっさと立ち去ってしまうし、そもそも問い質そうとしたら激しい折檻を食らう恐れすらある。会議の場では多角的な視点から推測し
意見を述べるイアソンだが、ことリーナに関してはどうにも推測が及ばない部分が多い。今回は身に覚えがない態度の急変だから、イアソンは完全に立ち
往生してしまう。

「俺、何かしたかなぁ…。」

 困惑した表情で溜息を吐くイアソンと、足早に立ち去るリーナを交互に見たクリスは、何か察した様子でイアソンの肩を軽く叩く。

「ここはあたしに任せときな。」
「任せるって…。」
「当事者やないからこそ分かることもあるんやで。」

 更に事態を悪化させるのではないかと危惧するイアソンに、クリスは自信たっぷりに答えてリーナの後を追う。クリスの出足が早かったことで、リーナに追い
付くのは割と早い。リーナがラウンジに入ったところでクリスが後ろから声をかける。

「リーナ。」
「…何の用?」
「ちょいと時間頂戴な。」

 振り向いた時、何か期待したようなものから落胆、そして険しいものへ戻したリーナの表情の変化を、クリスは見逃さない。その変化自体一瞬に等しいもの
だったが、リーナが酷く不機嫌になった理由を察しているクリスにとっては、推測が確信に変わった瞬間でもある。クリスはリーナの右隣に着く。

「最近分かって来たんやけどさ。なかなかええ男やんねー、イアソンってさ。」

 唐突な内容にリーナは驚愕した様子でクリスの方を向く。クリスは正面を向いている。

「何かと気ぃ利くし、マメやし、博識やで話しとって面白いし、軽そうに見えて結構真面目やったりするし。」
「…だから何よ。」
「イアソンがリーナにぞっこんなんは見てて分かるけど、それがずっと続く保障はないんやで。たとえに出すんは悪いけどフィリアはまさにそれやし。」

 クリスが挙げたフィリアの例は、リーナとイアソンの関係でリーナをフィリアに、イアソンをアレンに置き換えれば、リーナとイアソンの関係の将来、否、末路と
考えることが出来るというものだ。
 フィリアは、アレンが自分と幼馴染から発展して両想いになると信じて疑わなかった。しかしそれはフィリアの思い込みでしかなく、アレンは旅先で出逢った
ルイと一気に距離を詰めてカップルになった。フィリアが幼馴染の関係の崩壊を恐れて正面からのアプローチを躊躇したことも要因ではあるが、最大の
要因は、幼馴染の関係が絶対のものと位置付け、このままの状況が続いてもアレンの心を掌握できているとしたある種の慢心だ。ルイは結果的にその隙を
突いてアレンの心の防御壁を乗り越え、掌握した。それはアレンとルイの出逢いの場所となったホテルで一部始終を見ていたリーナもよく知るところだ。

「イアソンかて他に好きな女が出来へんっちゅう保障はないし、イアソンを好きっちゅう女が出て来んとも限らへん。」

 リーナは思考を巡らせる。確かにイアソンとてこのままリーナを追い続けるとは限らない。イアソンが別の女性に惹かれたら、別の女性から求愛されれば、
イアソンの心は別の女性の方を向く可能性がある。アレンがそうだったように。だが、今そんな危機があるか…?!

「あんた、まさか…。」

 リーナは疑惑と恐怖が入り混じった表情でクリスを見る。クリスは正面を向いたまま視線だけリーナに移し、笑みを浮かべる。思わせぶりで意味深な、そして
勝利を宣言するかのようにも見える笑みに、リーナは生じ始めていた疑惑や恐怖が急速に具体化していくのを感じる。

「さっき言うたやろ?イアソンかて他に好きな女が出来へんっちゅう保障はないし、イアソンを好きっちゅう女が出て来んとも限らへん、って。」
「…何時の間に…。」
「抜け駆けすんな、って思た?んでも、ルイとアレン君とフィリアの関係見とって、ルイに抜け駆けすんなて言うフィリアをどう思う?」
「…。」
「イアソンはまだリーナにご執心やけど、接点はあたしの方がずっとかようけあるし、一緒に酒飲んでしょうもない話も出来るし、本気になればあたしの方が有利
なんと違うかなー。」

 相変わらずの口調で淡々と事実を並べるクリスに、リーナは反論の糸口を見いだせない。フィリア相手の時のように感情に任せて掴みかかることも出来るが、
腕力や瞬発力は武術家のクリスがはるかに上。それより、現状に対する危機感、ひいてはフィリアの二の舞になる恐怖や嫌悪感が勝る。
 リルバン家での口論でアレンがルイを好きだと公言したことでフィリアのアレン争奪戦敗北が確定したが、リーナはその後のフィリアを無様と嘲笑さえした。
しかし、クリスがイアソン「獲得」を仄めかした今、傍から見てもイアソンと気が合う様子のクリスが実行に移せば、イアソンの心変りは現実のものになるかも
しれない。そうなれば次は自分がフィリアに嘲笑されるのは確実。そんな事態は何としても阻止しなければならない。

「…どうしろっていう訳?」
「それはリーナが自分で考えることや。あたしはリーナが高みの見物決め込んどる間に…。」
「この淫乱。」
「淫乱て、2人も3人も付き合うとったらそうやけど、あたしは今まで完全フリーやで?1人の男にアプローチすんのが淫乱っちゅうんやったら、フィリアもそう
やけど、ルイやシーナさんはどうなん?」
「…。」
「きっかけは些細なことやったとしても、そこから始まったり終わったりすることはあるんやで。ルイとフィリアの明暗が分かれたんもそうや。」

 クリスは飄々とした口ぶりで時々重みのあることを言う。
きっかけは常に劇的であるわけではない。振り返ればちょっとした変化だったり、第一印象に残らないような出逢いだったりする。一期一会という格言が
我々の世界にはある。あらゆることは絡み合い繋がっている。それを生かすも殺すも本人次第であり、振り返ってあの時こうしておけば良かった、こう接すれば
良かったと後悔しないように、全ての出逢いを大切にせよと促すのが一期一会だ。
 アレンとルイの出逢いも、ホテルにおけるアレンの存在がイレギュラーだったことを除けば、取り立てて劇的なものではなかった。アレンとフィリアの関係も、
ドルフィンとシーナの関係も、物ごころついた頃から共に過ごして来た典型的な幼馴染だ。ドルフィンとシーナはクルーシァへの渡航や修行の中で着実に
関係を深め、離れ離れになったことでも絆を切らさず、今や実質的に夫婦関係。
 一方、フィリアがアレンのコンプレックスへの理解をおざなりにして一方的なアプローチに終始したことで、アレンとフィリアは幼馴染の域を出なかった。片や
アレンとルイは第一印象こそ強烈ではなかったものの、尊重し合い積極的に助け合い、何度かのアクシデントを乗り越え、互いの心を覆っていた強固な壁を
溶かして相互理解を深めてカップル成立に至った。
 このままイアソンからの一方的なアプローチに甘んじていれば、これ以上のアプローチは無駄とイアソンが察した時点で今の関係は終わる。そこにクリスが
手を上げれば実に呆気なくカップル成立に至らないとは言えない。そんなことが許せるか?否、耐えられるか?
 リーナの心は現状維持を求めるプライドと現状脱却を求める危機感に激しく揺さぶられる。

「率直に言うけどさ、リーナがえろう不機嫌になったんは、あたしとイアソンが仲良さそうにしとったからやろ?」
「…そんなこと…。」
「そういうの、ヤキモチっちゅうんやで。」
「…。」

 少しリーナの方を向いたクリスに対し、リーナは磁石の同極を向けたように顔をクリスから逸らす。

「…からかうなら余所に行って。そういうの嫌いだから。」
からかっとらへんよ17)。自分の気持ちを認めるんが大事なんやで。」
「自分の気持ちって…、別にあたしはイアソンが好きとかそんなこと…。」
「好きか嫌いかやなくて、たとえるなら、全体的には白がちょいと多めの灰色やけど、端っこのあたりは黒やったり、真ん中少し左は白が目立っとったり、色んな
もんが入り乱れとる状況っちゅうあたりか。そういうんも今の自分の気持ちで、そういう気持ちやっちゅうのを認めるんが大事なんよ。即白か黒か区別すれば
ええってもんやない。」

 リーナのイアソンに対する感情は、リーナ自身が認めるのを拒んでいる面が強い。白か黒か判断できない、クリスがたとえたように元々異なる感情が混濁した
状況で、一部ではある感情が強く、別のところではまた異なる感情が優勢という複雑なものであり、その場その時によってもそれが目まぐるしく変化する。
そんな曖昧な状況で自分の現在の心境だと認識することは出来ないとしている面もある。
 ただ、それだけではないことも分かっている。混濁する感情の1つの存在を認めればたちまちその感情一色になる、それはこれまでのイアソンとの関係を
踏まえると、リーナにはイアソンへの屈服に映る。プライドが高いリーナには、他人への屈服は受け入れられないことだ。
 クリスはそんなリーナの思考を理解しているからこそ、好きか嫌いかの判断を求めず、様々な感情が混濁し、刻一刻と変化する今現在の心境がそうであると
認めることだけを促したのだ。好きか嫌いかの判断を強いることは、まさに他人の意見の押しつけでありリーナが最も嫌うことの1つ。そんな分かりやすい
地雷を自ら踏みに行くほどクリスは愚かではない。

「そんで、今の複雑で変化しまくる感情から発生したもんが、ヤキモチや。今はそういう心境やて認める、認めるっちゅう言い方が気に入らへんなら認識する
だけでええんよ。今を認識することと受け入れることは同じやあらへん。」
「…。」
「そういう気持ちや認識を踏まえて、もっとあたしに構って、ってイアソンにアピールすればええんよ。今はイアソンから構って来る恵まれた状況なんやし。
それもせんかったら、そのうちイアソンは打つ手なしって思て諦めるやろな。で、あたしが本気出して終わり、と。」
「…あんた、どうしたいの?」
「んー。どうやろなー。あたしもどうしようかて思とるところなんよ。ただ、今の状況やとあたしの方が有利やし、リーナがこのまま1人でむくれとる間に本気
出してもええけど、それは何かあたしの性格的にスッキリせんから、リーナにアドバイスとかしとこかなーって。」

 言葉をそのまま認識する限り、クリスも気持ちの方向性が定まっていない。だが、リーナと違ってクリスは現状がそうであることを認めている。そして、今は
イアソンの気持ちがリーナ一辺倒なのも含めて、自分の方がイアソンに近いことも理解している。
 このままの状況が続くと、クリスが言ったように本当にフィリアの二の舞になる。それは絶対的優位に立っていると思い込んで気付いた時には手遅れだった
ことであり、フィリアに嘲笑される側になり得る末路でもある。それだけは絶対に受け入れられない。そんなことになるくらいなら、イアソンにアピールする方が
ましだ。

「…イアソンはどうしてた?」
「困った顔しとった。」
「そう…。構ってもらうかな。」

 リーナは呟くように言って足早にラウンジを立ち去る。1人残されたクリスはリーナに見せたものとは異なる笑みを浮かべる。何かをやり遂げたような、
お節介が過ぎたと後悔するような、その笑みからクリスの複雑な感情を読みとることは出来ない。
 クリスが動いたのはリーナをアシストするためか、それとも有利な立場にたってからの宣戦布告か、恐らくイアソンにも分からないだろう。ただ言えるのは、
パーティーの人間関係が更に複雑化する可能性の前兆が浮上したということか…。
 その日の深夜。アレン達パーティーの部屋のドアが激しくノックされる。夢の世界に浸っていたところを無理矢理引きずり出されたことに苛立ちと、切迫した様子でドアの向こうから呼びかける声に不安を覚えながら、男性部屋はドルフィンが、女性部屋はシーナが応対に出る。

「どうかしたか?」
「どうしました?」
「ぐ、軍隊がこの宿に押し掛けてきています!!貴方達が先住民を扇動して破壊活動を行わせた、と!!」
「そう来たか…。」

 ドルフィンは苦々しい顔をする。ただならぬ事態を察した他の面々が窓から外を見ると、多数の松明が宿の前に陣取っている。

「ドルフィン殿!宿の前に多数の軍勢が陣取っています!」
「…従業員は避難してくれ。全員直ちに出発並びに戦闘態勢を取れ。」
「ドルフィン殿、もしや…。」
「急げ!」

 ドルフィンの一喝で、パーティーに知らせに来た従業員は走り去り、パーティーは急いで荷物を抱えて武器を持つ者は武器を手にし、廊下に出る。

「シーナは全員を結界内に包んでフライで脱出。停泊している南桟橋へ直行しろ。」
「分かったわ。皆、こっちへ。」

 ドルフィンを除くパーティーの面々はシーナを中心にする形で固まる。シーナは全員を包む結界を張り、更にフライを発動させる。パーティーを包む結界が
宙に浮かぶと、巨大なシャボン玉に人が入っているように見える。初めての少し神秘的な体験にアレン達は一瞬感嘆するが、それは結界の移動方向で直ぐに
霧散する。

「わっ!」
「きゃっ!」

 パーティーを包む結界の球が、宿の窓を突き破る。ガラスや木の枠の破片が飛び散り、宿への突入準備をしていた軍隊に降り注ぎ、パニックに陥る。夜空に
浮かぶ結界の球は、半透明な表面が松明の光を受けて、火星のように紅く光る。タリア=クスカ王国では聖職者が普遍的に存在するから結界を見たことは
あるが、これほど巨大で、しかも人を複数包みながら宙にも浮かぶ結界は初めて見るものだ。
 Wizardの魔力のほどを存分に見せつけて、シーナは結界の球を港へ向けて移動させる。

「お、追え!逃がすな!」
「貴様らの相手は俺だ。」

 ドルフィンが破られた窓から飛び出す。こちらは結界を張っていない。張る必要がないからだ。軽々と軍勢の背後に降り立ち、愛用のムラサメ・ブレードを
鞘から抜く。多数の松明が作り出す明るさの中で、ドルフィンが鞘から抜いたムラサメ・ブレードが一筋の軌跡を描く。ドルフィンの鋭い眼光も相俟って、軌跡が
死神の鎌のように見える。

「貴様らに聞く。貴様らの真の親玉は誰だ?」
「国王陛下に決まっておろうが!」
「国王に命令されたのか?」
「そうに決まっておろうが!」

 軍勢の中央後方に居る指揮官らしい男が声を張り上げる。
 ドルフィンは数メール程の距離で対峙する軍勢を見やる。軍勢の表情や視線にあるものを感じたドルフィンは、徐にムラサメ・ブレードを鞘に納める。数で
圧倒的に差がある状況の中で、ドルフィンの行動は理解できないか降伏を選択したかのどちらかに映る。

「何のつもりだ?!」
「今更降伏するつもりか!」
「一掃するつもりだったが気が変わった。貴様ら、否、貴様の本音を聞かせてもらう。」

 ドルフィンはそう言うや否や軍勢に向けて突進する。予想外の無謀な行動に思わず軍勢は思わず面喰ってしまう…。

 30ミム後、ドルフィンはフライで飛行して南桟橋に降り立つ。そこには立ち尽くすパーティーの他の面々が居る。ドルフィンは桟橋を見て何があったか即座に
察する。桟橋にあるべきものがない。代わりにシーナのライト・ボールで照らされた、焼け焦げたマストの先端や先端の一部が揺れる海面に漂っている。
パーティーの船が焼けて沈んでいたのだ。それが自然現象ではなく、破壊の意図を以って行われた結果だと考えるには十分すぎる現状がある。

「やられたか…。」
「私達が到着した時には炎上しながらんでいく途中で、手も足も出なかったわ…。」
「犯人らしい輩は?」
「誰も。恐らく火を放って直ぐに逃走したんだと。」

 パーティーの渡航手段が完全に奪われてしまった。ハルガンには船を使わなければ行けない。ドルフィンとシーナがフライを使っても、途中で休憩
しなければ到底たどり着ける距離ではない。しかも、タリア=クスカ王国がある南トナル大陸とハルガンの間には、大陸どころか島もない。わざわざ広大な
サオン海に心中しに行く予定はない。

「ドルフィンさん。軍勢は?」
「全員退散させた。どうやらこの国のトラブルも背後に深い闇があるらしい。」

 クリスの問いへの回答に続き、ドルフィンは軍勢の指揮官から吐かせた情報を話す。
 指揮官は内務大臣からパーティーを捕えて投獄するよう命令を受けたこと。
 パーティーの罪状は市民に取り入り王国を油断させると同時に、先住民に接触して破壊活動を扇動し、王国の内政を混乱させたこと。
 他の軍隊は王城地域の警備と先住民のアジト捜索に投入されていること。

「内務大臣が黒幕の1人と見て間違いなさそうですね。」
「ああ。国王が噛んでるかどうかは知らんようだが、昨夜の王城の爆発は自作自演と見て良さそうだ。」
「ということは、やっぱりこの国にもザギが…。」
「指揮官や兵士の中にそれらしい奴を見たことは居なかったが、可能性は十分ある。」

 遠い南の国にもザギ、ひいてはクルーシァの闇の手が及んでいる可能性が現実味を帯びて来た。しかもやはりその国の支配層に食い込み操っていると
見られる。権力はザギのような闇の手を呼び寄せる性なのか、それとも権力は闇の手を欲したがる性なのか、何れにせよ人間は「教書」などで語られる
「大戦」の時代から進歩しているようで進歩していない、とイアソンは悲観的な見方をせざるを得ない。
 だが、悲観視するだけでは何も変わらない。レクス王国やランディブルド王国で闇の手を握った権力は、最終的には崩壊した。クルーシァの胎動は「大戦」を
思わせるが、今は愚かな時代の反復を阻止できる。闇の手を握った権力を戒め、改めなければ崩壊させる。ザギを走狗とするクルーシァと対峙する以上、
あらゆる手段を駆使して野望を阻止して打ち砕く行動が求められる。

「兎も角、今は改めて休息を取ろう。監視は俺がするから場所を探そう。」
「政権や軍が近いバシンゲンを出た方が良いでしょう。地形的に険しい南がより良いです。」
「そうだな。」

 追撃を撃退するくらい、ドルフィンに加えてシーナも居るから蚊を潰すようなものだ。しかし、事実上内戦だったレクス王国や政権中枢内部の後継争い
だったランディブルド王国と違い、此処はランディブルド王国が国交を有するだけの外国。しかも、政権にルイが事実上ランディブルド王国公認の外交使節を
兼ねていることも知られている。そんな状況で迂闊に戦闘行為に及べば重大な外交問題に発展し、国家間の戦争に繋がりかねない。「大戦」の二の舞を
避けるために南半球に踏み込む長い旅を続けているのに、「大戦」を誘発しかねないことは絶対に避けなければならない。ドルフィンが軍勢を潰さず、情報を
吐かせて退散させた−無論圧倒的な戦力差がなければ出来ない芸当−のは、そういう意識が根底にあるからだ。
 シーナが結界を継続して保護し、ドルフィンが先導する隊列でパーティーは夜空に浮かび、南へ飛行する。夜空が間近に見えて、深い闇にうっすら浮かぶ
街並みのシルエットや王城付近を灯す松明が星のようでロマンチックだが、今のパーティーにそれを味わう精神的余裕はない…。
 激動の一夜が明ける。パーティーが脱出した先は、ヴィルグルの町。パーティーはヴィルグルの町の郊外に降り立ち、テントを張って休むことにした。
これまで場所は違えどベッドで寝る生活が続いて来たから、敷物を敷いたりするが明らかに弾力がなくなった自然に近いベッド、否、寝床は寝心地の良い
ものではないが、贅沢を言える状況ではない。
 ドルフィンは夜通し監視を続けたが、バシンゲンより高所に位置し、そこに至るまでのアップダウンも激しい地形なのも奏功して、今に至るまで追撃は及んで
いない。政権側もまさか渡航の足を奪われたパーティーが空を浮かんで南の高所にある町に移動したとは思わない。偶然だが上手い具合に裏をかく結果に
なった。
 ひとまず当面の安全は確保出来た。しかし長く続くとは思えないし思わない方が良い。何しろ今回も背後に居る可能性が取り沙汰されているザギは正面
勝負を好むタイプではなく、謀略で相手を罠に落とし込んでから意気揚々ととどめを刺しに来るタイプ。その上、共闘する相手もいなければ、腰を据えられる
環境もない。ハルガンに関する新たな情報はないし、ザギと対峙するには状況が不利だ。
 早々に脱出してハルガンに向かうのが最善だが、渡航に必須の船を破壊されてしまった。船を奪うのも手ではあるが、物資の積み込みも必要だし、それが
火種になってランディブルド王国とタリア=クスカ王国の戦争を引き起こしかねない。これからはたしてどう動くか、ドルフィンの思案は終わる見込みがない。

「ドルフィン。」

 背後から声がかかる。テントから出て来たのはシーナ。ドルフィンの勧めで他の面々と共に休んでいたが、クルーシァでの訓練の成果で短時間の睡眠で
疲労を解消できる。

「起きたか。アレン達は?」
「まだ寝てるわ。着の身着のままで脱出して移動したから、精神的にも疲れてるだと思う。」
「当然だな。そのまま寝かせておこう。敵が勘付くのはもう少し先だろうし。」

 シーナはドルフィンの左隣に立つ。草がうっすら生えるだけの、恐らく住宅地か耕作地にする前の空き地であろう郊外の地は、人気もなく鳥の囀りが時折
聞こえる程度で静まり返っている。つかの間の平穏の演出としては出来過ぎだ。

「王国側が俺達パーティーを捕えようとしたのは、明らかに外部の意志がある。先に王城地域教会を介して存在を知らせているし、ルイが全権大使である
こともその際知らせている。いきなり態度を敵対に豹変させたのは、外部の意志があると考えるのが自然だ。」
「私もそう思うわ。ザギがまたしても黒幕と仮定して、目的は…先住民との対立を煽って王国を混乱させると同時に、病のような効果を持つ力魔術の開発?」
「恐らくはそうだろう。王国の視線を先住民に固定しておけば、病の原因を詮索されるリスクは低くなる。カーンの墓には王国の国民も先住民も律儀に墓参りに
来るから、魔法の効果を試すには絶好の材料が向こうから来る。ジャングルに身を隠せば相当の軍隊でも突入させないとアジトは探せない。ザギが好み
そうなシチュエーションだ。」
「それで、王国側に手下を潜り込ませておいて、王国側の視線を先住民に向けさせ、私達の存在を察知して潰させようとした、と…。嫌味なくらい理路整然と
したシナリオね。」
「それがザギのやり方だ。世界各地で手を変え品を変え色々なことを企ててるが、一貫しているのは、自分の手を煩わせず汚さずに他人をとことん利用する
ことと、それを容易にするために支配層や富裕層に食い込み方法を熟知していること。言い換えれば、それらが世界何処ででも通用することを証明している
わけだ。」

 これまでにも何度か推測されて来たが、ザギは自分では直接手を下さず、強権指向や権力を欲する者に巧みに取り入ることで、何かを成すのを容易にする
環境や資金を整備することは一貫している。
 レクス王国では国王に何処からか調達して来た兵力を国家特別警察として組織化して供与し、見返りとして古代文明を滅ぼす要因となった槍ガイノアを
発射する遺跡の発掘・再起動や、劇場を改造した実験施設で強力な再生機能を有する巨大スライムのような生物の実験を行う環境を得た。
 ランディブルド王国では一等貴族リルバン系の後継を目論むホークの顧問としてルイとフォンの抹殺を働きかけることで、成就された後も顧問として
継続的な資金を得ようと企んでいた。
 それと並行して隣国シェンデラルド王国ではランディブルド王国における同胞の不遇や差別を民族対立として扇動し、悪魔崇拝に取り込んでランディブルド
王国に攻め込ませて両国を疲弊させ、死を全く恐れない突撃型軍隊としての悪魔崇拝者の実力を観察していた。
 これらには推測も含まれるが、ザギがこの地で成し遂げようとしていることへの推測の精度や正確性より、ザギが世界をまたにかけて暗躍し、それを受け
入れる土壌が世界各地にある事実を直視すべきだ。
 ザギの戦闘力はアレンとルイとクリスが一体になれば互角になる程度のもの。それより逃走の手段やタイミングを計る能力に長けている。恐らく今度も旗色が
悪くなり、それが決定的になると踏んだ時点で逃走するだろうし、その算段を整えているだろう。嫌味なほど最後まで策を巡らせていると言えるが、行く先々で
多くの無関係な人々もを巻き込み、パーティーの行動をも妨害するザギを早々に拘束しなければ、旅の区切りは見えない。しかし、このままタリア=クスカ
王国に留まって問題を解決しようが、早々に見切りをつけて脱出しようが、現状ではザギを拘束できる見込みは薄い。ザギの企みを潰す一方でザギに翻弄
され続ける状態は、元とは言えクルーシァで鍛錬した身としてドルフィンとシーナは消化不良な感が否めない。

「これからどうするかは改めて決めるとして…、こちらからも何か手を打ちたいところだな。」
「振り回されるばかりってのは、癪に触るわね。」

 太陽が次第にせり上がり、光の量を増す。変わらず世界を満たすこの光はしかし、ザギが作る新たな暗雲を打ち消すにはなり得ない…。

用語解説 −Explanation of terms−

17)からかっとらへんよ:「からかってないよ」と同じ。方言の1つ。

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