Saint Guardians

Scene 12 Act1-1 叫喚-Screaming- 赤道を越えて踏み入る未知の世界

written by Moonstone

 緑に包まれた海岸線を左手に見ながら、1隻の船が空と海に挟まれた世界を航行する。航行の源泉である風を逃さず受けるために3つ連なる帆は向きを
細かく変え、海岸線に近づきすぎないように、同時に見失わないように舵を切る。遠目には単調で退屈で長閑な船旅は、その巨体に見合わない僅か8名の
乗組員で運営されている。

「アレン君。そろそろ交代よ。」
「はい。」

 船体の中腹やや上部に並ぶ乗組員室の1つから、アレンが顔を出す。夜勤に相当する時間帯での役割である船内清掃並びに積載物確認を終えて就寝
していたアレンは、まだ不慣れな生活リズムの影響で眠気が解消しきれていない。今度の役割は厨房。朝と昼を担当したシーナから引き継ぎ、夕食と夜食を
担当する。

「まだ眠そうね。」
「ベッドに入ってすぐ寝たんですけどね…。」
「厨房中央2段目の引き出しに覚醒薬を入れておいたから、それを飲んでみて。」
「ありがとうございます。」

 シーナは引き継ぎの意思確認である軽いハイタッチをアレンと交わし、次の役割である進行方向確認並びに周囲警戒のため操舵室に向かう。クルーシァで
航行訓練の経験があるドルフィンとシーナは役割を多めに配分している。特に体力がパーティー最強であるドルフィンは、3つの時間帯全てで何かの役割を
担う、すなわち20ジム連続勤務という場合もある。それでもまったく疲れた様子がなく、食事の際にはクリスですら避けている−船酔いを招いたり悪化する
恐れがあるため−飲酒もしているし、休憩時間には甲板から釣り糸を垂らしてヌージンなどを一本釣りして食材に加えたりしている。シーナも厨房担当の
時間を中心に食材の仕込みをしたり、消化が良く長時間の保管も可能な夜食のレシピを公開し、保存が効くものは食事と並行して作ったりしている。少ない
人員で船旅自体初の者も居る中、出航から1週間が経過する現在まで大きなトラブルもなく航行を続けていられるのは、ドルフィンとシーナの豊富な経験と
力量に依るところが大きい。
 アレンは廊下を歩いて階段を上り、船体中腹甲板下に位置する食堂に入る。本来数十人を収容出来るスペースには、アレンと同じ時間帯に休憩に入る
リーナとルイが居た。これまでなら珍しい組み合わせだが、ドルフィンとシーナが事前に編成した分担表に従って行動すれば、このようなことは頻繁に発生
する。

「早く寝たいから手早くお願い。」
「楽しみにしてますね。」

 対照的な言葉を受けて、アレンは厨房に入る。まだ消え切らない眠気を消すため、シーナの伝言どおり中央2段目の引き出しを開ける。木箱の中には
緑色の丸薬が入っている。1個飲み込むと、鼻を突き抜けるような強い芳香が口いっぱいに広がる。ハーブを調合して作られた覚醒薬は、アレンの意識を薄く
包んでいた眠気を一気に霧散させる。
 眠気を解消出来たアレンは、早速料理に取りかかる。塩漬けにされたヌージンの切り身を水に浸け、その間にもやしと瓶詰め野菜、ジャガイモとニンジンを
取り出す。竈の火が強くなる過程を利用して少なめに水を張った鍋を加熱しつつ、もやしを投入してヌージンを浸けておいた水を加え、軽く胡椒を加える。
鍋が煮立ったところでフライパンと交換し、細切りにしたジャガイモとニンジンを投入。色が変わったところで瓶詰め野菜を投入して炒める。
 野菜炒めを皿に移してフライパンを布で拭い、続いてみじん切りにした少量のニンニクを炒め、野菜炒めとは別の皿に移してヌージンを投入して蒸し焼きに
する。その間に炒めたニンニクにマスタードを加え、少し胡椒を加えて混ぜてソースを準備しておく。
 裏返しにしてヌージンの切り身に十分火を通して取り出し、まず水をまぶしてフライパンを回すように動かして残った旨みを寄せ集め、沸騰し始めたら
ソースを加えてフライパンを傾け、局所的に加熱してソースを完成させる。スープには少し乾燥パセリを刻んで散らせば料理は完了。ソースをヌージンの
切り身にかけて別の引き出しからパンを取り出して配膳すれば、もやし入りの海鮮風味スープ、野菜炒め、ヌージン切り身のマスタードソースがメニューとして
並ぶ。

「上出来ね。」
「美味しいです。」

 やはり対照的な物言いだが、賛辞は共通する2人からの感想を受けて、アレンは満足感に浸る。冷蔵庫などないため使える食材がかなり限定される
状況で、飽きない料理を作るのはなかなか難しい。保存を優先させるためどうしても塩漬けや乾燥品が多くなるが、塩漬けの食材を水に浸して塩を抜くと
共に、抜いた塩と溶けだした旨みをスープや煮込みの出汁に使ったり、そのままでかなり保存が効くジャガイモとニンジンを炒めたり、千切りにして水に浸して
サラダに使うなど、アイデアと技術でやりくりしている。
 厨房担当は料理が上手いと認められているアレン、イアソン、シーナ、ルイの4人に絞られているのは正解である。「食べられるものが出て来るのか」など
不安に思う必要はないし、貴重で数少ない娯楽の時間でもある食事を台無しにされる恐れがないだけで、ストレスは大幅に減る。その分厨房担当に
かけられる期待は大きくなるが、それぞれの経験や技術に持ち味を加えて信頼を揺るぎないものにしている。
 眠気は消えたものの、寝起きであまり食欲がないアレンは、パンとスープに絞る。窓から見える色は、深みがかり始めた蒼。少しすれば夕暮れが訪れ、
やがて夜になる。普段なら夕食の準備に取り掛かるかどうかの時間帯に起床してこれから夜間を含めて活動する変則的な生活リズムは、非常に規則的な
生活を基本としてきたアレンには馴染みにくい部分が大きい。だが、これから深夜近くまで厨房担当として休憩に訪れるパーティーに食事を振る舞う以上、
キチンと動ける限りは役割を果たすのが船上生活における重要な義務だ。

「船酔いとかは大丈夫?」
「おかげさまで。」
「まったく不安はありません。揺れにも直ぐ慣れましたし。」

 デザートとしてミントの練り飴を出したアレンの問いに、リーナとルイは不安のない答えを返す。ハルガンとの往復に使われるためかかなり安定しているとは
言え、航行する船ならではの揺れは常に存在する。体質や三半規管の適応状況次第で誘発される船酔いは、一度発生するとなかなか収束しない。体調を
崩すと船酔いしやすくなり、悪化の恐れもある。リーナも船旅の経験は浅いし、ルイは今回が初めての船旅。女性特有の生体リズムも重なるため不安要素は
多いが、どちらも問題なく役割をこなして船酔いもしていない。

「あと…1週間くらい?最初の寄港先まで。」
「順調に航行してるそうだから、予定どおり航行すればあと1週間。半分過ぎたところだね。」
「陸地は見えてるのに近づけないなんて変な気分よ。魚になったみたい。」
「寄港先では補給がてら十分休めるから、その時までの辛抱だね。」
「1人で泳いで行くわけにもいかないし、仕方ないわね。」

 不満や愚痴を言うリーナも分担表に従って役割をこなしている。
基本的に船内での役割は単独で行うことが多い。料理が出来ないリーナは厨房を担当しないし−担当したら船内はベッドに伏す者が続出するだろうし
フィリア辺りは薬殺される危険すらある−、進行方向確認並びに周囲警戒はゴーレムを横目に見ながら地図と照合し、時折ゴーレムに指示を出すだけ。
2名が割り当てられる役割の1つである広域警戒は、距離が開いたマストの上で双眼鏡を使って周囲を見回すだけだし、船内清掃並びに積載物確認はする
ことが多いし対象個所は広いが、清掃はモップをかけるだけだし並行して積載物を確認していくことも出来るし、分担すれば時間をかければ単独でもこなせる
内容だ。
 他人と協力することが苦手なリーナも、作業内容を把握すれば退屈するどころかむしろ役割をこなしていれば本を読んだりしても何も言われることがないし、
引き継ぎさえ行えば他人の動向に気を配らなくて良いから、かなり気楽な側面がある。

「ルイさんは清掃と積載物確認だったよね。変わったところはなかった?」
「異常はありませんでした。水を替えたもやしも順調に育ってました。」

 その場に留まっての作業が殆どの役割の中で、最も移動が多いのが船内清掃並びに積載物確認だ。急激な減少は漏れや何らかの不正操作の疑いが
ある。ドルフィンが釣りで仕入れる食材の増量は、その時の船内清掃並びに積載物確認の担当者の許可を得ることになっており、責任が生じる。食料や水の
腐敗がないかしっかり確認し、万一の発生の際は直ちに廃棄することとなっている。することも多く責任も重いだけに、初めての船旅でいきなり重責を担う
ルイの健康がアレンは気がかりでならない。
 幸い長く聖職者の修行に勤しみ、その過程で広大なへブル村を徒歩で移動してきたルイは、見た目以上に体力が高い。清掃は修行と重なる日常生活の
一部だったし、元々好きな方だから全く苦にならないどころか、綺麗になることで満足感を覚える。責任感の強さは積載物の数や残量の詳細な記録となって
次の担当に引き継がれることになり、不正操作が入る余地はなくなった。アレンの心配は杞憂に過ぎないが、「アレンが気にかけている」ことそのものが、ルイに
とってやはり慣れないことには違いない船内生活で生じるストレスを解消する大きな要素となっている。

「もやしが成長するのを見るのって、ちょっと楽しみでもあるんですよ。」
「芽が出るまではちょっと時間がかかるけど、芽が出ると凄く成長が早いよね。」

 フィリアやリーナだと関心そのものがなく、クリスだと食べられる状況かどうかだけしか関心がないようなもやしの生育状況を話題にして盛り上がれるのは、
感覚や嗜好が似通っているアレンとルイならではだ。
 大小の違いがある程度の樽や木箱の状況を確認することの連続である積載物確認は、同じことの繰り返しである側面が強い一方で数が多いため、疲労が
溜まりやすい。その時ちょっとした癒しになるのがもやしの生育状況の観察だ。昼間の時間帯の担当者が水を交換する決まりになっているが、水耕栽培の
もやしは発芽までの状況も目に見えて分かるし、発芽からの成長はかなり早い。次の担当でどれだけ成長しているかを観察するのも、生活リズムは不規則
だが生活は単調な船内生活の数少ない楽しみの1つになり得る。
 もっとも、植物の生育を楽しみに出来るかは感性次第。もやしを単なる食糧と見るか、ちょっとしたペット感覚で見られるかの違いで、話題に上げる形も
異なる。アレンとルイは感性も共通する部分が多いため、もやしの生育状況の観察が共通の話題になり得るのだ。

「次の俺の番は…明日のこの時間帯だったかな。ルイさんの話だとその時は収穫かもしれないね。」

 アレンがリーナに話を振ろうとリーナの席を見ると、その姿は忽然と消えていた。蚊帳の外に置かれたリーナは食事を終えて無言で席を立ったのだ。

「…リーナはさっさと行っちゃったか…。『御馳走様』くらい言っていっても良いのに…。」
「リーナさんがアレンさんの料理に満足したのは間違いないですよ。」

 リーナに配膳された料理は全て食されている。決定的な好き嫌いを持ち、味に五月蠅く、同じメニューの連続やローテーションを手抜きと断じる、厄介な客と
認識されるタイプのリーナが出されたものを全て食するのは、その料理が満足出来るものだったという証明である。
 話題に入れないと言うより話題に加わらないのがリーナの基本スタンスだし、食事という用を済ませられればそれで由とする、良く言えば割り切りが明確、悪く
言えば付き合いが悪いのはリーナの性格。「不味い料理を出して無駄話するな」と料理ごと皿を投げ付けられなければ、リーナの相手は十分だったと考える
べきだろう。
 それに、リーナが自分に構うよう要求するより、食事を済ませてさっさと席を立った方が、アレンとルイには都合が良い側面もある。それは言うまでもなく2人
きりの機会を持てること。3交代のシフト態勢、しかも人数が少ないため安静を要する傷病でもない限り、自分の役割を休めない。この状況では2人きりになれる
機会はおのずと限定される。ドルフィンとシーナが編成したシフトはパーティーの人間関係を考慮してか、アレンはフィリアともルイとも頻繁にペアにならず、
他の面々と同様に役割を分担することになっている。自らも含めて不満の噴出口を極力塞いだ公平さはパーティーの牽引役に相応しい判断だが、当事者の
アレンとルイが2人きりになりたいと思うのは致し方ない。

「私もそうですけど、これだけ広いと寂しくなったりしませんか?」
「誰も居ない時間が長いよね。台所回りを掃除したりして時間を潰してるよ。」

 元々船はハルガンとの往復に使われる専用船だから、乗客である聖職者と乗員合わせて100人は乗船できる。その分台所は収納も食器も潤沢だし
テーブル席は豊富だが、8人しかいない今は全員集合してもテーブル席は半分どころか1/5も埋まらない。リーナが席を立ち、アレンとルイの2人になった
今は、広大な空間が隔絶された世界に居るような錯覚を覚えさせる。
 厨房がどれだけ広くても、どれだけ暇でも役割には違いないから勝手に休業とは出来ない。ネズミや害虫の発生を避けるのも兼ねて暇な時間は仕込みの
他に清掃をすることで時間が過ぎるのを待つしかない。大人数だと次から次へと料理を作り、その間に食器を片づけて次に備えるため目が回るような忙しさに
なるからもっと分散してほしいと思うが、暇だともっと人が来てほしいと思うのは、厨房に限ったことではない人を相手にして成立する職業や役割ならではの
天の邪鬼な願いだ。

「厨房担当も…ペアで出来たら良いですよね…。」
「うん…。」

 静まり返った広大な食堂でアレンとルイは至近距離で見つめ合う。付き合い始めてまだ半年も経過していない上に、公平性を優先して編成されたシフト
勤務のため、2人きりになると気持ちは否応なしに高まる。出港直前に交わしたディープキスを再び、という誘惑もあるから、30セムもない顔の距離を詰める
タイミングを窺う気持ちが逸る。
 ルイが催促か目を閉じ、アレンが距離を詰めることを決意した時、ふと2種類の強い視線を感じる。同じく視線を感じたルイと共に視線の方を向くと、興味
深々でその瞬間を待ちわびる様子のクリスと、今すぐ飛びかかってもおかしくない憤怒露わなフィリアがドアのところに居た。フィリアが飛びかからないのは
クリスが腕をしっかり掴んでいるからだが、乱闘を阻止するためというよりフィリアに阻止されてアレンとルイのキスシーンが見られなくなるのを防ぐためと考える
のが自然だ。

「…あー、あたし達に構わんと続けて、続けて。」
「油断も隙もあったもんじゃないわね…!」

 期待に目を輝かせるクリスにしても、般若の形相で歯を軋ませるフィリアにしても、アレンとルイの意向にそぐわない。アレンはそそくさと厨房に戻り、ルイは
手早く食器を重ねて厨房に持って行く。

「えっと…、次の食事のメニューは何を考えてますか?」
「んー…。早めに考えておくよ。」
「分かりました。それでは…これを。」
「ありがとう。」

 空いた食器を持って行き、厨房の向こう側に渡すだけだが、フィリアとクリスの割り込みの余波かかなりぎこちない。
フィリアの刺すような視線を浴びながらルイは伏し目がちに食堂を後にする。アレンは食器を流しに置き、フィリアとクリスの食事作りを始める。フィリアと目を
合わせまいとしてか、こちらも伏し目がちだ…。

 その日の18ジム。あと2ジムで交代という時間帯の食堂は担当者以外誰も居ない。「夜食=太る」という図式がある女性陣には特に、夜遅い時間帯の食事の
需要は少ない。人数が多ければ次の役割を前に腹ごしらえとか寝る前に飲み物くらいといった需要で多少仕事は出来るところだが、8人パーティーでは一旦
潮が引くと食堂は担当者以外居ない空間となる。
 アレンは暇潰しを兼ねて食材の仕込みや掃除をする。普段は淡々とこなすだけだが、今のアレンは何処か楽しそうというか、待ち遠しそうだ。

「アレンさん。」

 控えめに呼びかける声がする。竈周りを拭き掃除していたアレンは、反射的に手を止めて声の方を向く。声の主は勿論ルイ。アレンの表情が一気に晴れる。

「ちょっと待ってて。直ぐ終わらせるから。」
「慌てなくても大丈夫ですよ。」

 アレンは急ピッチで竈の拭き掃除を済ませ、雑巾を洗って絞り、広げて流しの淵にかける。更に手を洗ってしっかり拭ってからルイを抱きしめる。文字どおり
この時を待っていたとばかりのアレンの強く熱い抱擁にルイは若干息苦しさを覚えるが、幸福感の裏返しと自動変換される上にアレンと同じ心境だから、
同じく熱い抱擁で返す。
 人が来ない場所と時間帯にルイが尋ねて来たのは決して偶然ではない。フィリアとクリスに邪魔されて中断せざるを得なかった時、ルイが食器を返した
やり取りが2人きりになるための合図である。
 役割分担が当日の出航前に発表されたが、アレンとルイは役割分担のシフト表を見て前日に決めた合図をアレンジした。厨房では必ずどちらか一方
のみが担当になるし、空いた食器を片づけることは日常と変わらない。その際にメニューを考えていることを尋ねたり答えたりしても、第三者には次回の
メニューへの楽しみや期待を生じさせても疑問を感じさせる恐れは非常に低い。揃って限られた厨房担当になったことが幸いした格好だが、それを2人きりに
なる合図に適用したアレンとルイの機転もなかなかのものだ。まず怪しまれない合図を決めたと言っても、パーティー内で無用な混乱を避けるために役割
分担の時間帯は微妙なバランスで編成されているから、そうそう機会を作れるものではない。アレンとルイは事前にシフト表を確認し、この時間帯の終盤なら
2人きりになれると踏んで、ルイから合図を出したのだ。
 暫し熱い抱擁を交わしたアレンとルイは、互いの拘束を少しばかり緩めて向き合う。心理的フィルターの影響もあって互いの顔しか視界に入らない。つかの
間の見つめ合いの後、2人は互いの唇を塞ぐ。唇を押し付け合うような熱いキスを続ける中、ルイの両腕がアレンの拘束から少しずつ脱し、脱したと同時に
アレンの首に回る。首に抱きつくことでより密着度が高まり、しかも求愛の意思表示がより強くなる。
 ルイらしからぬ大胆かつ積極的な行動に興奮を高めたアレンは、ルイの口に舌を挿し込む。ルイは口を割って入ってきたアレンの舌を受け入れ、お返しと
ばかりにアレンの口に舌を挿し込む。交差した舌が絡み合うまでさほど時間はかからない。実は乗船以来これがようやく2回目の逢瀬の時間は、初体験の
躊躇を乗り越えたことで刺激となる行為を更に求める心情と、苦心して作りだした久しぶりの機会が重なることで激しさを増す。フィリアの監視が及ばない
ところで、2人は着実に時間と体験を共有し、徐々に愛情と関係を深めていく…。
 フィル出航から2週間。パーティーの船から港町特有の海岸線が見えて来る。最初の寄港先であるタリア=クスカ王国の海の玄関口であり、首都でもある
バシンゲンだ。

「予定どおりね。」

 操舵室に居るシーナは、最初の目標に無事到達することが確実になったことに胸を撫で下ろす。不測の事態に備えつつ長期間の航海に不慣れな6人を
牽引するのは、やはり精神力を消耗する。赤道を越えたとは言え「勢力圏内」には変わりない常夏の暑さと高い湿度は、パーティーの体力を着実に削って
いる。体力を維持するため食料と水の消耗も激しい。多少時間はかかろうとも十分な補給と休養を取ることが今後の安全と健康を確保するためには欠かせ
ない。
 目に見えないコストである安全や健康は、一旦損なわれると多大な損失を生む。ましてや医療や衛生が設備面でも人材面でも不十分なこの世界において、
高温多湿の気候に付き纏う伝染病の罹患リスクは、バイオテロと言っても過言ではない。

「航路を東方向に2ジム変更。速度はそのまま。」

 地図を見ながらのシーナの指示で、ゴーレムは舵を操作する。船はバシンゲンに向けて進む。次第に大きくなってくる港町の風景に、広報警戒担当の
アレンとクリスは双眼鏡で観察しながら到着の瞬間を待ち望む。時刻は丁度夕暮れに差し掛かる15ジム。シフト勤務で混乱する体内リズムを修正するには
もってこいの時間帯でもある。
 港が近づいてきたところで、シーナは操舵室を出て、前方のマストに居るアレンに上半分が赤、下半分が白の旗を掲げるよう指示する。これはこの世界に
おける寄港希望を知らせる信号だ。無線がないこの世界において、遠方の相手に意思表示するには旗が欠かせない。日が落ちると旗が見えなくなり、寄港
そのものを阻止されるため、早めに旗を掲げて寄港する桟橋の指示を受けて船を着実に航行させなければならない。これまで双眼鏡で周囲の風景を眺める
だけに等しかった広域警戒が、寄港を控えて一気に緊張の連続になる。
 寄港希望を示す旗を掲げたアレンは、港の先端に位置する灯台を注意深く観察する。此処に寄港先桟橋の方向と番号を知らせる旗が掲げられるが、旗の
意味までは分からない。下で待機しているシーナに旗の色や形状を正しく伝えて判断を委ねなければならない。

「シーナさん!旗が出ました!色は…明るい青!形は…長方形!数字や文字は…ありません!」
「了解!それだけ分かれば十分よ!」

 アレンから情報を受けたシーナは操舵室に戻り、ゴーレムに減速と南東に直進していた航路の東方向への変更を指示する。
灯台が掲げた旗は「南桟橋の3番目」を意味する1)。現在の進行方向では通り過ぎてしまうため、早々に舵を切って進路を調整しないと間に合わない。
パーティーの船は減速しながら灯台の南側を通り過ぎ、3本目の桟橋に向けてゆっくり進んでいく。桟橋付近に待機していた複数のボートがパーティーの船に
近付き、船体のフックに縄を引っ掛けて南3番桟橋に曳航する。
 パーティーの船は更に減速して緩やかに桟橋に接近し、やがて接岸する。桟橋に待機していた港湾労働者がボートから投げられた縄を括りつける。これで
ようやく到着だ。これまでは乗員任せで良かった寄港・接岸は実は非常に大変なことがよく分かる。
 アレンとクリスはマストから降りる。様々な形で接岸を確認した他の面々も甲板に出て帆を閉じる作業をする。これを済ませないと、万一ロープが外れると
港に船が乗り上げ、重大な事故を生む恐れがある。寄港先、しかも外国の港で事故を起こしたら解決まで多大な時間を要するばかりか、身柄の拘束や
巨額の賠償金支払いも十分あり得る。全ての仕事を終えてからでないと地面を踏めないのが船の乗組員の宿命だ。
 作業が完了し、全員が部屋に戻ってそれぞれの荷物を背負って甲板に出る。ドルフィンが橋桁を桟橋に下ろすと、待ってましたとばかりにクリスを先頭に
橋桁を降りていく。桟橋とはいえ、2週間ぶりの地面は揺れることが常だった船と明らかに違う。当たり前の違いが長期間の航海で疲れていたパーティー、
特に航海自体に不慣れなドルフィンとシーナ以外の6人に強い感慨を覚えさせる。

「ついに到着だな…。」
「地面が懐かしぃ思えるなんてな…。」

 地面を踏みしめてひとしきり感慨に浸ったイアソンは、宿と補給元の市場の所在を探るためにドルゴを走らせる。こういう時、言語力と交渉力に長けた
イアソンは頼りになる。
 シーナを下した後、最後に残ったドルフィンが橋桁を仕舞い、桟橋に飛び降りる。パーティーで最も身体能力が高いドルフィンには、こういったことは
朝飯前だ。

「宿を確保してきました。食料と水の買い付けは、市場の関係で明日にします。」
「お疲れ。まずは食事と休憩だ。買い付けはイアソンと俺がしよう。」

 戻ってきたイアソンを先頭に、パーティーは宿へ向かう。
宿は港に隣接する市場に程近く、繁華街に隣接している。まだ聞き慣れないマクル語が飛び交うのを耳にして、パーティーは遠い異国に足を踏み入れた
実感を強める。
 宿に入り、イアソンが当面の宿泊日程とした1週間分の料金を支払い、併せて両替をする。為替レートは目安こそあっても具体的なレートは交渉次第だ。
交渉力に長けているイアソンなら、長めの宿泊、つまりかなり高額な料金と絡めることで有利な条件での両替を行うことは容易だ。

「部屋は2階の211号室と212号室。男女別としました。211号室は4人部屋、212号室は6人部屋なので、スペースは余裕があるでしょう。食事は18ジムまで
1階の食堂で摂れます。」
「流石だな。全員荷物を置いてから自由行動としよう。ただし、今日は宿から外には出るな。夜が近いし休養を優先しろ。」

 そこそこの大きさと重量がある帆を仕舞う作業をしたため、宿に入った頃には日が落ちていた。これから一気に空の照度が低下し、闇に包まれる。勝手が
全く分からないに等しい地域で夜出歩くのは賊の格好のターゲットになる。ただでさえ疲労が重なり、生体リズムも混乱しているのだから、まずは食事を摂れる
なら摂り、十分な休養を取るのが安全確保の上でも賢明だ。
 パーティーはイアソンの先導で2階に上がり、男性用の211号室、女性用の212号室に分かれて入る。中人数向けの部屋だけあってスペースは十分で、
大きな荷物を置いても足の踏み場がないということはない。各部屋にはテーブルと椅子、箪笥があり、長めの宿泊にも耐えうる環境だ。
 アレン、フィリア、リーナ、ルイは休憩を選び、ドルフィン、イアソン、シーナ、クリスが食事を選ぶ。念のため食事組が部屋の鍵を持って食堂に向かう。1階の
食堂には他の宿泊客が複数居るが、他の客に強い関心を示す様子はない。4人は空いているテーブル席を適当に選び、中ほどの位置にある席に
ドルフィンとシーナ、イアソンとクリスが並ぶ形で腰かける。乾杯用のカーム酒と食事数点を注文し、カーム酒が出されたところで乾杯のためグラスを手に取る。

「ひとまず最初の寄港先への無事到着を祝して、乾杯。」
「「「乾杯。」」」

 ドルフィンの音頭で乾杯し、続いて運ばれて来た食事を食べながら歓談を始める。大食らいのクリスも不慣れな航海明け間もないため、ペースはかなり
鈍い。どちらかと言うと、久しぶりの飲酒と限られた食材でのメニューから脱した料理を楽しむことに重点を置いているためでもある。

「とりあえず、何事もなく到着出来たな。油断は出来んが。」
「航行中に攻撃があることを警戒してましたが、終始平穏無事でしたね。」
「私達がハルガンに向かっているのを察知していないか、或いは…あえて泳がせているか。それが分からないのが困ったところね。」
「ザギ…でしたっけ?あいつが待ち伏せしとるっちゅうより、あいつが居るところにあたし達が出向くような形になっとるんかもしれませんね。」
「そういう見方も出来るか…。否、そう見た方が自然なところもあるな。」

 確かにこれまでの遭遇事例を振り返ると、ザギが待ち伏せしているよりザギが何かを企てているところに何らかの形で関与することの連続だ。レクス王国
しかりランディブルド王国とシェンデラルド王国しかり。となると、ハルガンやまだ決めていないこの先の寄港地、或いはこのバシンゲンにザギが潜伏し、何かを
企てているところに関与する可能性を考えておくに越したことはない。
 2週間の長旅を経てようやく辿り着いた未知の世界への入り口。初日はひとまず平穏に過ぎようとしている…。

用語解説 −Explanation of terms−

1)灯台が掲げた旗は…:色が方角、形が番号を示す。東西南北の順に白、赤、青、黄で1から順に丸、三角、横長の長方形、縦長の長方形、横3本に切った
ものと定められている。


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