Saint Guardians

Scene 11 Act4-1 予兆-Herald- 混迷極める前途と心(中編)

written by Moonstone

 リーナとの共同作業−実質リーナ指示イアソン作業だったが−と語らいを終えて、当初の目的地であった専用酒場に赴いたイアソンは、入室して直ぐ
感じた異様な雰囲気に思わず足を止める。カウンターに突っ伏し気味に座り、グラスを握り潰さんばかりの強さで鷲掴みにしている1人の先客由来のその
雰囲気は、その人影が見える範囲に居辛い、否、逃げ出したい衝動を覚えさせる。

「…フィリア?」

 ようやく言葉を発したイアソンを意に介さず、異様な雰囲気を醸し出すフィリアは、やおら顔を挙げると鷲掴みにしていたグラスを傾け、入っていたボルデー
酒を一気に飲み干す。フィリアは再び突っ伏し気味になり、無言で空になったグラスを差し出す。バーテンダーは「注げ」という無言の威圧感に圧されて
そそくさとグラスにボルデー酒を注ぐ。
 イアソンは極力フィリアを見ないようにカウンターに向かい、フィリアの左隣に座るクリスの左隣に座ろうとしたところでクリスに目配せされる。

『フィリアを宥めんとあかんで、向かい側行って。』

 イアソンは正直断りたいところだが、フィリアが見るからに自棄酒で暴走しかねないし、出航を明日に控えて無用なトラブルは避けなければならない。
クリスと2人がかりならどうにか抑えられるだろうとあえて楽観的な見方をして、イアソンはフィリアの右隣に座る。

「…ずっと…この調子なんですか?」

 イアソンが尋ねると、バーテンダーは無言で頷く。
現在のパーティーの人間関係からして、フィリアが出航前最後の夜をアレンと過ごそうとしたが、当然ながらルイと過ごしたいアレンか、アレンを(「確保」済みの
ルイに退けられて自棄酒を呷っていると見るのが自然だ。泣き出しそうな表情のバーテンダーに、イアソンは同情の念を禁じえない。

「あたしとルイの違いって何?」

 突っ伏し気味のまま微動だにしなかったフィリアが、姿勢を変えずに低い声で言う。自問自答か両隣への問か分からないし、フィリアが発する異様な
雰囲気に気圧されているのもあって、イアソンとクリスは何も言えない。
 イアソンとクリスが言いあぐんでいると、いきなりフィリアが顔を上げる。般若のような表情に、運悪く真正面に居たバーテンダーは思わず後ずさりし、イアソンと
フィリアも反射的に仰け反る。

「顔?!胸?!尻?!やっぱりあの胸ね?!そうなのね?!掴むと手から溢れんばかりのあの巨乳ね?!ええ、そうですとも!!あたしはあんなに大きく
ありませんよ!!小さくて悪うございましたね!!あの巨乳を武器にしたからアレンを落とせただけなのに、アレンの正妻ぶってアレンを独り占めするな
っての!!ぽっと出の泥棒猫の分際で調子に乗るんじゃないわよ!!絶対何時か痛い目に遭わせてやる!!」

 一気にまくしたてると、再び視線をテーブルに落とす。不気味なまでの沈黙と激しく一方的な物言いは間欠泉さながらだ。
以前もこうしてフィリアが自棄酒を飲んでイアソンとクリスが宥める構図が生じたが、今回はその時よりフィリアの発する嫉妬や怒りが強く激しい。アレンとルイの
性格からしてせせら笑ったりつっけんどんな態度を取ったとは思えないが、ルイに嫉妬の域を超えて激しい敵対心を抱くフィリアから見れば、千切っては投げ
されたような屈辱を感じたに違いない。
 今のフィリアには、ルイの自分への態度は全て、勝者からの憐みの体をなした嘲笑のものだと感じ取れるだろう。言い換えれば、ルイがどれだけフィリアを
刺激しないようにしても無駄ということだ。こんな激しくかつ深刻な対立を抱えて優にひと月以上を要する聖地ハルガンへの渡航が平穏無事に済むとは、
イアソンには考え難い。

「…えーっとさー。フィリアは、ルイが自分の身体を武器にしたでアレン君を落とせたと思っとんの?」
「それ以外に何があるって?」

 長く重い沈黙を破ったクリスの問に、フィリアは視線だけクリスに向けて答える。凶暴な魔物も怯ませそうな殺気の籠った視線にクリスは思わず身震い
するが、ルイの親友として長年孤独な戦いを続けたことで培われた度胸で持ちこたえる。

「ルイとアレン君が接近したんはオーディション本選待ちのホテルに居った時やけど、そん時ルイがアレン君に身体武器にして迫る機会なんてあったか?」
「…その時はなかったでしょうね。だけど…」
「アレン君がルイに惹かれたんは、ルイの身体に誘惑されたからやなくて、ルイと一緒に料理したり話したりする機会をようけ持ったからやと思うで。殆ど丸1日
一緒に居れば何でも話できるし、考え方とかものの見方とかを擦り合わせられるやろ。しかも1日だけやあらへんかったし。」

 思い返せば、ホテル滞在中にアレンとルイは入浴時と就寝時以外はほぼ一緒に居た。絶対安全の筈のホテル内で初日の夜に早速襲撃されたルイと
クリスがアレンたちの部屋に転がり込むと、主導権を掌握していたリーナが部屋から出ない方針を決めた。なし崩し的に料理担当になったアレンとルイは朝昼
晩全てで5人分の食事を作った。
 ガスコンロや電子レンジなどある筈もないこの世界において、竈に火をくべて料理が出来る状況にするのはかなりの労働だ。しかもリーナがメニューの
ローテーションを嫌がり、アレンとルイが手掛けたことがないそれぞれの郷土料理や本で紹介される特産品、果ては通常の料理より手間と時間を要する
デザートまで用意するよう指示したから、アレンとルイは朝から晩まで殆どキッチンに籠る羽目になった。
 それはしかし、アレンとルイが心の距離を詰めるには好都合だった。アレンは旅の目的を、ルイは教会での職務を話し、ランンディブルド王国や
リルバン家に関する謎や情報とルイの出生に関する秘密を共有していった。アレンはランディブルド王国における民族差別やルイを取り巻く状況、ルイは
アレンの強いコンプレックスについてまったく白紙の状態から接したことで、それぞれの心に常駐していた特定の事象に対する警戒心や卑屈さのハードルを容易に乗り越えた上に、2人しか知らない話題や情報を共有することは、心の距離を急速に詰める大きな原動力となった。
 前述のとおり、アレンは女性から1人の男性として認められ、信じられ、頼られることを、ルイは生まれた頃から付き纏ってきた民族差別と自分の立身出世に
伴う欲望と計算に溢れた視線からの解放を求めていた。互いの状況や生い立ちに関する前情報がなく、心理的ハードルを容易に乗り越えて情報や認識の
共有を行ったことで、互いを特別視する意識が無条件に構築された。異性関係で互いを特別視することは恋慕の情に直結する。つまり、アレンとルイが料理
担当として1日の殆どをキッチンに籠ることになったことは、アレンとルイを相思相愛にする最適の環境を準備したのと等価であったと言える。

「…じゃあ、あの時あたしも料理をしてれば、ルイがアレンに言い寄るのを防げたってわけ?」
「その可能性は十分あったやろな。」
「…でも、それだけで?それだけだったら、小さい頃から一緒だったあたしの方がずっと話してるし、一緒に居た時間もずっと長いじゃない。」
「それはそうや。せやけど問題はその中身や。長年一緒に居った言うても、フィリアはアレン君の心を掴めへんかったんやろ?」
「ぐっ…。そ、それはアレンが鈍いからよ!」
「そういうところと違うやろか?フィリアとルイが違うところはさ。」
「どういうことよ?!」
「アレン君を1人の男として、1人の人間として尊重出来るかどうかや。ルイはその点徹底しとるで。アレン君の可愛らしい外見を一度も茶化してへんし。」

 ついにクリスが核心を突いた。
フィリアとルイのアレンへの態度で決定的に異なること、すなわちアレンの強いコンプレックスを刺激するのではなく、1人の男性として、1人の人間として認め、
尊重出来るかどうかだ。
 長年幼馴染として生きてきただけに、共有した時間は圧倒的にフィリアが長い。だが、日常会話の一部としてアレンの外見を「可愛い」「少女的」と持て囃し
続け、ついには感謝祭で実験と称して半ば無理矢理女装までさせた。フィリアにとってはあくまで女性が羨む可愛らしさを見て楽しむ余興程度の認識に過ぎ
なかったが、その可愛らしさをコンプレックスとしていたアレンにとっては、心の深部に屈辱として刻み込むに十分なものだっただろう。長年時間と記憶を共有
したことで、フィリアはアレンを持て囃すことを「この程度のこと」と軽く見て、アレンの心情を思い遣ることが欠落していた。
 1人の男性として認められたいという渇望に近いアレンの希望は、ルイが叶えた。しかもルイは出逢ってから一度もアレンのコンプレックスを刺激していない。
「綺麗」と称賛するのと「可愛い」などと持て囃すのは、少なくともアレンにとっては似て非なるもの。初めて自分を1人の男性と認めた驚きと喜びは、アレンの
ルイへの感情に好感を生じさせ、恋愛感情へと発展させる肥料となるに十分な要因だ。
 ルイがアレンを1人の男性として、1人の人間として尊重したことは、ホテルでの過ごし方にも表れている。なし崩し的に任された料理担当でルイは一度も
傍観者や指示命令、ひいては全面委任の立場にならず、アレンと共に手を動かした。幼い頃から父ジルムに代わって台所仕事を仕切ってきたことで、
アレンの料理の腕前はプロ顔負けのものになった。それ自体はアレンもコンプレックスにしたり不便など感じたりしないが、料理が上手いことで何かと宴会の
料理担当に駆り出されることが多かった。
 宴会だから作る料理の種類も量も多くなりやすい。食器洗い機などないし、村全体の所得水準はさほど高くなかったから、空いた食器を素早く洗って新たな
料理を盛り付けて出すことを繰り返した。これはある程度の人数の他人に料理を振る舞った経験があるものなら分かる、単調かつ重労働だ。その労苦や
他人が宴席で歓談している最中に1人台所に籠る疎外感は、料理への強い信頼があったとしても決して小遣い程度で解消出来るものではなかった。料理
担当にされそうになった時アレンが抵抗したのはそういった経験があったからである。
 フィリアは料理を食す立場からリーナの提案に同調したのに対し、ルイは自ら協力を申し出て、それを実行に移した。ただそれだけの単純なことでは
あるが、男性1人で女性多数だと男性が全ての労苦を担わされることは珍しくない。ルイは途中で抜け出すことなく、最後までアレンと共に料理をしただけで
なく、準備から後片付けまで手掛けた。やはり幼い頃から職務や修行の一環として料理を担って来たことで台所に立つことに何の抵抗もなく、料理の腕前
自体もアレンと肩を並べる水準だったことも幸いしたが、これまで労苦と疎外感を味わう場面だった他人に料理を振る舞う場面で常にルイが共に作業した
ことは、アレンに連帯感を生じさせた。
 アレンが今まで料理の場面で感じたことがなかったその感情は、ルイとそれぞれの得意料理や郷土料理を出し合ったり、経験や技術を生かした創作料理を
手掛けることでより強まり、他の女性ではイメージ出来なかった将来像を漠然とでも抱かせることとなった。特別な異性として意識することに将来像が
加われば、1つの集大成としての結婚を想定させる恋愛感情へと変貌する大きな要因となる。
 ルイの行動はアレンにとって全てプラスに働き、卑屈になっていたアレンの心の懐に飛び込み掌握することに繋がった。偶然の産物ではあるが、ルイが
これまでの女性と一線を画してアレンの側に立ったことは事実だ。コンプレックスを刺激することは、その人には刺激した者を敵とさえ見なすことにもなり得る。
当初からアレンの側に立ち続けたルイをアレンが唯一の味方と認識し、特別な異性と意識することと合わさり、「この人しか居ない」と強い恋愛感情に発展
させたと考えるのは無理のないことだ。

「確かにルイは胸でかいわ。んでも、それでアレン君を落とせたんやない。大体、アレン君がスタイルええなとか言うてルイを口説けるわけあらへん。たとえ
口説いたとしても、ルイ自身そういうの大嫌いやで、そっぽ向かれて終わりや。村の男連中と同じようにな。」
「…。」
「ルイとアレン君の場合、見た目は取っ掛かりの1つでしかあらへん。ルイがアレン君を可愛いとか女の子みたいとか囃し立てとったら、アレン君はルイを好きに
ならへんかったさ。こいつも俺を男と思てへん21)、嫌な奴や、となりゃあ22)、好きになる筈あらへん。ルイにしたって、アレン君が可愛いタイプの超美形やて
ことが好きになった理由やのうて、長年抱え込んできた民族差別や生い立ちへの先入観や予備知識が殆どあらへんまっさらな状態でルイに接したからや。
ルイもアレン君も、それぞれの過去や国の事情とかを殆ど何も知らんかったっちゅう偶然もあったけど、互いに相手のコンプレックスを刺激せんと真正面から
突っ込んでったで、この人ならっちゅう意識が出来たんやと思うわ。」

 飄々とした何時もの口調でのクリスの言葉に、フィリアは反論の糸口を見出せない。
再び思い返してみれば、フィリアはアレンのパートナーを自称し、幾度となくアプローチを仕掛けてきた。と同時に、それこそ幼い頃からアレンを「可愛い」と
持て囃す先陣を切ってきた。それがアレンのコンプレックスを刺激し、クリスが言うようにアレンが自分を男と思っていないと認識することになったとすれば、
認識には至らないとしても心の深部に怒りや憎しみとして蓄積してきたとすれば、幼馴染から恋愛関係への発展は望むべくもない。容姿をからかうという、
言わば恋愛関係どころか人間関係における禁じ手を連発してきたも同然なのだから。
 容姿を貶されることは、自尊心を非常に傷つけられる。容姿は持って生まれたものの1つであり、自我が存在すれば常に個人に付き纏う事象だからだ。
フィリアにとっては女性視点から見ての羨望から「可愛い」と持て囃したことは、コンプレックスから「男らしさ」を渇望していたアレンの理想まで否定することに
なっていたと見ることも出来る。
 容姿を貶される経験を有するのは、ルイも同じだ。民族差別の基となるラファラ族とバライ族を容易に識別する指標は、肌の色だ。ハーフのダークエルフを
母に持つルイは典型的なバライ族の肌の色であり、戸籍上死んだことになっていた母の私生児という特殊な出自と重なり、激しい迫害の嵐に晒された。
今でこそそれらをものともしない社会的地位を得たものの、幼少時から心に刻み込まれて来た辛苦の記憶とそれが結晶化した怒りや憎しみ、悲しみといった
ものの蓄積を解消出来るものではなかった。聖職者としてひたむきに生きることで心の闇の制御を体得したことと、聖職者としての考え方や生き方が染み
込んでいたことで、負の感情の蓄積が暴発するには至らなかったに過ぎない。
 容姿に関する苦い記憶を抱えていたことは、アレンとルイの共通事項だ。その種の記憶があることも無意識に影響してか、アレンとルイは互いの容姿を
決して茶化したりからかったりはしなかった。今までの経験と記憶と比較して、互いの存在は異性では初めてと言うべきもの。異彩を放つ互いの存在感は
一気に高みへと昇り、特別な異性として心を占めた。
 長年の蓄積をも背景にアレンとルイの恋愛関係が成立しているなら、フィリアが割って入るのは非常に困難だ。今まで意識しないにしても怒りや憎しみの
発生原因となってきた、そこまでいかなくとも卑屈にさせる対象であった存在が掌を返して擦り寄ったところで、信用を得ることはまずないどころか、何か裏が
あるのではとの疑念さえ抱かれる恐れがある。
 イアソンはこれまで、フィリアがアレン好みの女性になれば、共有してきた記憶と時間が圧倒的に長い分フィリアが有利と見ていた。だが、クリスの見解を
聴いてその推論は誤りだったと感じる。
 人間関係を決めるのは共有した時間の長さや経験の多さではなく、心と心の同調の度合いだ。現にアレンはフィリアと幼馴染として長く付き合ってきたが、
フィリアのアプローチを全く受け入れなかった。一方、出逢って半年も経過していないルイとは瞬く間に心の距離を詰めて相思相愛になり、カップル成立へと
至った。それは、アレンとの恋愛関係を望むフィリアと幼馴染の域に留まっていたアレンが噛み合わなかったと言えるが、深く考えればそれは、常日頃自分を
「可愛い」と持て囃すだけのフィリアが恋愛関係を求めてアプローチを仕掛けても、アレンがそれを真正面から受け止める気にならず、忌避感が結果的に
鈍さという形になって表面化していたと言えないだろうか?アレンがそこまで深く考えてフィリアのアプローチ攻勢をやり過ごしてきたとは思えないが、アレンの
コンプレックスを刺激し続けたことでアレンが無意識にそうしていたと考えることは出来る。

「アレンのコンプレックスを刺激って…。そんなつもりはなかったのに…。」
「容姿をネタにしてからかったりするんは、相手が反論し難い分嫌われる危険が高いんやで。身体のことは自分じゃどうにも出来へんことやからな。」
「…。」
「あたしはルイがそういう目に遭うて来たんを傍で見て来た。ルイはまったく表に出さへんかったけど、悔しかったし悲しかったし憎らしかったと思う。そんな
生い立ちやで特に男連中に警戒心バリバリやった筈のルイがあっさりアレン君に落とされたんは、同じように容姿をネタに嫌な思いしてきたっちゅうことが
分かって、シンパシーを感じたんもあるんやろな。」

 シンパシーとは言いえて妙だ。これまで独りでコンプレックスや悩み苦しみを抱えて来たところに、同様の境遇にある存在に出会えば連帯意識が生じるのは
自然だ。シンパシーを感じる相手を邪険に扱えば、折角得られそうな味方をみすみす突き放すことになる。アレンとルイが互いに容姿を茶化したり貶したり
しないのは、ようやく得られた仲間を失いたくないという危機感が無意識に働いたためと見ることも出来る。
 元々あのホテルで男性のアレンが滞在していること自体がイレギュラーだった。加えてランディブルド王国入りしたのは、ドルフィンにかけられた呪詛を解除
するためであり、リーナが本選出場を果たしたシルバーローズ・オーディションが終了すればアレンが滞在する目的は完全に消失するところだった。
ごく特殊な状況で偶然出逢った、思い返せば一目惚れだったと言えるルイと仲良くなりたいとは思っても、いがみ合いたいとは思わなかった。
 ルイにしても、今回のオーディション実行委員長と知った実父フォンと会って母ローズの形見の指輪を渡すため、気分転換と取ってつけたような理由を
でっち上げて−それは周囲にはさもありなんと見なされたのだが−出向いただけで、本選の結果に関わらず目的を果たしたら脇目も振らずに村に戻るつもり
だった。一部で嫉妬混じりに囁かれた男漁りなど全く考えなかったし、往路で度々言い寄られたものの丁重に、しかし明確に断り続けた。どうしても男性の
視線に嫌悪感を感じずには居られなかったからだ。
 ところが、イレギュラーな形でホテルに滞在していたアレンと出逢った。クリスが以前言ったように、皮肉にもアレンのコンプレックスの原因だった少女的な
外見のため、男性というキーワードから生じる警戒感や嫌悪感といった心の防御壁が機能不全に陥った。しかも出逢って間もなく降りかかった危機に
真っ先に駆けつけたり、我が身を盾にして凶刃から庇ったりもした。まさか男性に絶体絶命の危機から助けてもらうとは思わなかったルイの心に、アレンは
強烈な印象を伴って焼きついた。この機会を逃したらこれほど自分を理解して助けてもくれる男性は二度と現れないという切迫した危機感や焦燥感が
生じた。
 限られた機会をがっつかず、しかし積極的に生かしたことで、アレンとルイは急速に接近出来たし、これまで誰にも言えなかった心に蓄積していた毒を
中和することが出来たのだ。10年以上の長きに渡ってルイ以上に多くの機会を持てた筈のフィリアは、幼馴染という関係に甘えてみすみす全ての機会を放棄
したようなものだ。しかも、アレンの心に幾度となく傷を負わせるという重大なおまけつきで。

「…じゃあ、どうすれば良いわけ?」
「そんなの分かりゃあ、誰も苦労せんよ。あえて言うなら…、アレン君好みの女になることやろか?」
「…やっぱり髪が長くて胸が大きい女?!髪は暫く放っておけば伸びるけど、胸はどうしようもないわよ!」
「せやから、そこで外見だけに頭が行ってまう時点で、アレン君にアプローチしても分かってもらえへんのと違うか?」
「ぐっ…。」
「確かにルイくらいでかいと、服の張り具合とか胸元開いた服着た時にチラ見えする谷間に目が行くやろけど、それはどっちかっちゅうと付き合い始めてから
前に出てくることや。胸がでかけりゃええっちゅうんなら、ルイやのうても、それこそアレン君とフィリアの故郷の村に居った胸のでかい女をアレン君が好きに
なっとったやろな。胸のでかさに限ったことやないけど、誰かを好きになるっちゅうんは、そういうもんやないと思うわ。」

 何か言い返したいもののどうにも言葉が見当たらず、フィリアは憤懣やるかたないといった表情で炎を吐くような勢いで溜息を吐き、ボルデー酒を一気に
呷ってバーテンダーに無言で突き出す。バーテンダーは呑む勢いのあまりの酷さに一瞬躊躇したものの、フィリアの殺気を帯びた視線に負けて
ボルデー酒を注ぐ。今度は一気飲みしないものの、猛烈な敗北感と何も言い返せない自分への憤りで、グラスを握り潰しそうなほど強く握る。
 クリスの言葉の数々は、イアソンも悉く核心を突いていたと思う。
クリスはルイと長く行動を共にしてきた。その過程で幼い頃から人間の醜い部分と、人物を取り巻く環境が変化することで媚び諂いや求婚という薄皮にして
覆い隠そうとする露骨な打算や駆け引きを目の当たりにしてきた。それらとルイの心の動きを照合することで、心と心のぶつかり合いによる人間関係の成立や
変遷を学んだ。それらはまぎれもなく人生経験であり、恋愛関係も人間関係の1形態である。恋愛経験そのものはクリスにはない。しかし、人間の心は想像
以上に他人の言動に敏感であり、痛手となる場合は行動より言葉の方が痛みの半減期が長いことを経験で知っている。
 ルイを通して人間関係の汚い部分につぶさに触れて来たことで、クリスは故意過失問わず相手を茶化したり貶したりする、とりわけ容姿や出自といった個人
ではどうにもならない事象をあげつらうことを人間関係の構築やコミュニケーションとすることに強い嫌悪感や忌避感を持つようになった。当事者として幾多の
辛酸を嘗めさせられたルイは、その傾向がより顕著な筈。そのような観点からアレンのフィリアに対する心情やルイとの対比を考察した結果が、クリスの意見と
して発露した格好だ。
 何度かボルデー酒を呷ったフィリアは、ついに本当に突っ伏してしまう。かなりの深酒、しかも急性アルコール中毒を引き起こす恐れが高い一気飲みを繰り
返したのだ。万が一の場合は直ちに応急処置を施さなければならないが、今のところ酔いが回って寝入ってしまっただけのようだ。
 専用酒場を支配していた緊張感がようやく緩む。フィリアを挟んでイアソンとクリスは注がれたボルデー酒のグラスを軽く合わせて軽く喉に通す。

「何かええことあったんか?」
「良いこと…か。リーナがちょっとずつ俺のアプローチに向き合おうとしてくれるようになって来てることだな。」
「やっぱし押しの一手に徹する正攻法が良かったみたいやな。」
「そうらしい。妙な手を使うもんじゃないな。フィリアへの意見を聞いていても思ったが、クリスはなかなか人を見る目が鋭いな。」
「18年間生きてきて経験したことは、さほど無駄やなかったかもしれへんな…。」

 クリスはグラスを軽く揺らしながら、少し感傷的な表情を浮かべる。薄暗い店内で普段見られない表情は、クリスらしからぬ艶っぽさを感じさせる。

「ルイはアレン君と一緒に新しい世界に踏み込んだし、あたしも安心して自分のために生きれるっちゅうもんや。何かええことあるとええな…。」
「クリスにとって良いことって言うと、何だ?」
「んー…。色々。」

 やはり珍しく曖昧な言葉を返したクリスは、少し酒を飲んで再びグラスを軽く揺らしながらイアソンに視線だけ向ける。クリスと言えば大酒飲みの大食らい、
男勝りの快活さというイメージだが、アンニュイで落ち着いた雰囲気を漂わせるクリスは、珍しさが先行するものの年頃の女性だと感じさせる。
 艶っぽさを帯びた視線といい、何処か含みを持たせたような物言いといい、萌芽の気配が少し濃くなってきた自分とリーナの関係にクリスが参入を目論んで
いるのではないかとイアソンは思うが、筋骨逞しい男性がタイプで、今はドルフィンに勝利することが生きる目標と以前言っていたクリスがその対象から外れて
いる自分に色目を使うとは思えないし、リーナと良い雰囲気になって来て女性にもてると思い上がりかけている、とイアソンは自戒する。
 酔い潰れたフィリアを挟んでの、イアソンとクリスのこれまでなかった雰囲気の飲み会の時間は、平穏に緩やかに流れていく…。

用語解説 −Explanation of terms−

21)思てへん:「思ってない」と同じ。方言の1つ。

22)となりゃぁ:「となれば」「となったら」と同じ。方言の1つ。

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