Saint Guardians

Scene 11 Act3-1 混迷-Confusion- 拒む令嬢、追う当主

written by Moonstone

 叙勲式、リルバン家主催の慰労会と立て続きの慶事をこなした翌日、アレン達パーティーにクリスとルイを加えた計8人はフォンの執務室に集合する。
早1週間後に迫った聖地ハルガンへの渡航に向けて情報を共有し、計画を立案し、意見交換をするためだ。
 ハルガンへの渡航経験を持つ者は居ない。最も近い位置にあるクルーシァはドルフィンとシーナが長期の滞在経験を有するが、今はガルシア一派が制圧
しているから接近すること自体大規模な戦闘が不可避。聖地ハルガンからの応答が途絶えているのはクルーシァが原因である確率は高いが、クルーシァの
戦力とは圧倒的な差がある。少なくとも未だ行方不明のドルフィンの師匠ゼントとシーナの師匠ウィーザ、そしてザギを追撃していると思われるルーシェルを
加えるまでは、クルーシァとの全面衝突は避けるべきだ。
 執務室には臨時のテーブルが搬入され、最初からあるセンターテーブルと組み合わされて広大な面積を構成している。その中央にはハルガンと
クルーシァ、ランディブルド王国と地続きのトナル大陸南部を含む南半球の地図が広げられている。

「フィルから聖地ハルガンまでは、直線距離で約12500キームあります。途中無寄港はあまりに無謀です。」

 ロムノがフィルとハルガンの位置にグッス14)の駒を立てて位置関係を分かりやすくする。フィルの位置は地図の右上。対するハルガンの位置は地図の下部。
フィルの広さから類推すれば、無人島も碌にない広大な海原を延々と航海しなければならないことが分かる。手配された船はかなり大型だが、物資の
搭載量はせいぜい1週間分。蒸気機関がまだ存在せず風力しか推進手段が存在しない船で、補給もなしに1万キームもの距離を航行するのはアンデッド
候補の遺骸8体と幽霊船1隻を作りに行くようなものだ。

「そこで何度か寄港する必要が生じますが、トナル大陸南部で我が国と国交を持つ国は限られています。寄港先での十分な補給が必須です。」
「当該地域での国家間紛争や自然条件の問題はありますか?」
「トナル大陸の北部と南部を繋ぐ形になっているこの辺り…、」

 イアソンの質問で、ロムノはトナル大陸の北部と南部を細く繋ぐような形の、丁度赤道が通る辺りの地形を指し示す。

「この地域は先住民と新住民の抗争が続いています。加えて強力な海生の魔物も多く、危険な地域です。」
「その地域でも補給しないといけないんですよね…。」
「はい。この地域で我が国と唯一国交を有するタリア=クスカ王国で十分な休養と補給をするべきです。」

 アレン達は出身地も民族も異なるが、これまでほぼ全員が北半球で生活して来た。旅で移動した距離も相当なものになるが、いずれも北半球の域を
出なかった。今度は最初の寄港先になるタリア=クスカ王国が赤道直下、以降の寄港先は全て南半球になる。レクス王国を出てカルーダ王国、ランディ
ブルド王国と移動して世界の広さを体感したが、それまでの体感部分が実は世界の北半分の一部で、今後は何もかも未知のエリアに踏み込むことになると
分かり、多少の期待と大きな不安や緊張が膨らむ。
 我々の世界で「南北問題」と言われる国家間格差は、キリスト教中心の欧米文化が北半球で展開し、南半球がキリスト教を武器にした欧米に侵略され植民地
として長い搾取の時代を強いられた遺産である。直接侵略や搾取の前科がない日本においても、地理的に北半球に位置していることと明治維新後の脱亜
入欧と富国強兵の推進による「北側」への同化、そして戦後はアメリカの占領政策とそれに続く日米安保条約によるアメリカの出撃基地化−ベトナム戦争でも
イラク侵略戦争でも在日米軍基地、とりわけ沖縄の海兵隊基地が出撃拠点になったことは殆ど知られていない−により、アフリカと中南米は遠い国になった。
 近年新興国として挙げられるBRICs−ブラジル、インド、中国の3カ国に中南米のブラジルがあるが、日本企業の進出が著しい中国やインドと比較して、
ブラジルはせいぜい「サッカーの強い国」「日系人が多い国」くらいの認識だ。だが、中南米は長年のアメリカと自国の二大政党支配から脱却し、アフリカも
飢餓と貧困と民族対立の中から豊富な地下資源を使って徐々に自立へと進みつつある。特にアメリカの多国籍企業や「もう1つの9.11」、すなわちチリの軍事
クーデターをはじめとするアメリカの軍やCIAの介入による二大政党支配や軍事政権を脱却し、アフリカ同様豊富な地下資源を利用して着実に自立を進める
中南米諸国の動きは、日本では「反米」とひとくくりにされるか報道されないかのいずれかだ。
 未だに「在日米軍基地は日本を守る」と信じて疑わない向きが圧倒的−海兵隊が侵略専門の突撃部隊であり、日本は唯一海兵隊の外国基地を「自国の
予算で」賄っている−くらいだから報道しても事実と認識出来る筈がない、とメディアが高を括っている面もあると見るのは穿った見方だろうか。

「言語ですが、トナル大陸の南部全般がマクル語という言語圏に属します。」
「マクル語ですか。私が何とか日常会話が出来る程度です。」
「俺とシーナは断片的に分かる程度だ。他は恐らく未知の言語だろう。」
「税関や内務所の職員を招聘して、マクル語の修練を行ってもらうのはどうでしょう?税関職員は通商の関係で、内務所は国交の関係でマクル語に堪能な
者も居ます。」
「日常会話くらいは全員が出来るようにしておくべきですね。お願いします。」
「承知しました。」

 未踏の地に赴くなら尚更、言語による意志疎通は不可欠だ。何しろ今回の渡航はルイの強い意向もあって航海士は一切同乗しない。フォンの息がかかった
者が居てアレンとの仲に干渉されることを強く警戒しているためだが、そうなると入港手続きや物資購入の交渉などは全て自分達で行わなければならない。
どちらも「自分が使う言葉は相手が理解出来る」と程度の差はあれ期待若しくは当然視しているから、意志疎通が十分でないと感情的な諍いを生じる恐れが
ある。しかも入港手続きや物資購入が絡むと、足元を見られて法外な金額を要求されたり、寄港そのものを拒否される恐れすらある。
 逆に日常会話くらいが出来れば、相手の警戒心をある程度緩和出来る。国交の関係で寄港先がかなり限定されるから、補給を円滑にするためにも日常
会話くらいは全員が出来ておくことが望ましい。様々な文化や言語の知識があるイアソンが何時でもパーティーに居るとは限らないのだから。

「マクル語って1週間程度で出来るようなものなの?」
「文法は今俺達が使っているフリシェ語と似通ってる。言語学用語でいえば独立語ってやつだ。身の回りのものや日常で接するものの単語をフリシェ語との
対比で憶えて、順番どおりに並べれば文章になる。発音はフリシェ語より単純から新たに覚える必要は殆どない。言葉は道具だから反復練習でそれなりに
使えるようになる。」

 フィリアの懸念にイアソンが答える。英語や中国語のような独立語は語順が固定化されている。だから、主語になる名詞や代名詞と、述語になる動詞を
並べれば、S(Subject:主語)+V(Verb:動詞)文法に則った文章が出来る。膠着語である日本語のように、名詞や代名詞に付随する助詞が変わると、例えば
「私は歩く」が「私へ歩く」と文法も内容も大きく変わったり、それを利用して目的語や修飾語を自由に配置しても文章になるようなことはない。
 その分、代名詞で格の変化−英語なら「I, my, me, mine」の変化に代表される所有格や目的格の存在−があったり、動詞が変化して−英語なら「write,
wrote, written」のように現在形、過去形、過去分詞が存在する−その変化が全て規則的ではないことなど、語順が即文法であるが故の厳しい制約が存在
する。だが、言語を道具として使う分には、辞書や単語帳を片手に数個の文法に沿って単語を並べられるようにしておけばひとまず「何も言えない」という
ことはなくなる。
 更に極端なことを言えば、単語を並べれば意思疎通が可能なレベルの文章は出来ることが多い。「私、買う、本」と言いつつ本を示されれば受け手は「この
人は本を買いたいのか」と推測出来るし、受け手はその推測を基に「この本は600円です」と本の価格という会話の続きを相手に伝えることが出来る。
コミュニケーション能力とは会話や文章を通じての相手の意思を推し量りつつ自らの意思を伝え、一致点や合意を図る意思疎通能力であり、実質独占企業が
作ったシナリオを鵜呑みにした「企業の神」を気取る傲慢無能な社員の集団が求めることではない。

「国交を有している各国との間には、外交官の派遣や一般的な貿易はありますが、国民レベルでの交流はかなり乏しいのが実情です。そのため、寄港が可能
でありマクル語が共通言語であり、赤道直下若しくは付近のため相当な気温を覚悟する必要があることくらいしか、現状で提供出来る情報はありません。」
「南半球となると…、これから夏の気候に向かう形になりますね。」
「え?秋から冬になるんじゃないの?」
「南半球では、今まで生活や旅をしてきた、この国もある北半球とは気候が逆になる。赤道付近だと殆ど分からないかもしれないが、赤道から離れればよく
分かる。」
「何だか、鏡の向こうの世界に行くみたいだね…。」
「鏡の向こうの世界とは言い得て妙だな。似たような世界なのに実は彼方此方が異なる、何があるか分からない世界。赤道を鏡に見立てればまさに鏡の
向こうの世界だ。」

 日本人の多くにとっても、南半球は赤道を挟んだ別世界というイメージが強いのではなかろうか?北半球の暦に沿って1月、2月…と数えていけば、それに
沿った季節の流れは春、夏、秋、冬ではなく秋、冬、春、夏であること−Merry Christmas in summerと言うくらいだ−、太陽が西から上って東に沈むことなど、
生活に密着した事象で北半球と逆を進むものが多い。更に、方角や季節を知る指針である星座は北半球に集中する欧米諸国によって88個が決定された
から−ついでに言うなら有名な星座のバックボーンであるギリシャ神話も北半球の産物−、赤道を越えれば北極星は水平線に沈んでしまう。見知らぬ星空を
茫然と見上げるか、南半球の星座で唯一有名と言っても良い南十字座15)を頼りに方角を探るしかない。
 赤道を越えれば様々なことが逆になり、様々なことが変わる。他に何があるか分からない。国境を超えるだけで習慣や食べ物が大きく変わることは何度か
経験したし、そのたびに順応する必要に迫られた。今度は時間感覚に密着する事象でも順応が必要だ。かなりのストレスを伴うことは間違いない。

「通貨はどうなの?」
「通貨は国によって異なります。最初の寄港先であろうタリア=クスカ王国はビジュという単位です。大凡…1ペニーが250ビジュといったところでしょうか。」

 不意にリーナが口を開くが、ロムノはやや驚いた様子を一瞬見せただけで冷静に答える。最近ではリルバン家邸宅における本来の「お嬢様」であるルイを
差し置いての堂々たる「お嬢様」ぶりを如何なく発揮している様子からすれば、この当事者意識に基づくであろう質問はあまりにも意外だ。

「てことは割と物価は安いと見て良いわね。食料と燃料を大量に仕入れて、売りさばいた金か現物で傭兵なり偵察要員なりを雇うのもありね。その手の人間
なんてうじゃうじゃしてるんでしょ?」
「寄港先でもあり首都でもあるキリカを出れば、傭兵を志願する者は多く居ると思われます。タリア=クスカ王国自体、先住民と新住民の抗争が続いている国家
故。もっとも王国を統治する新住民から見て、先住民に物資や資金を供給することになる行為は非常に危険を伴います。それは逆の立場でも同様ですが。」
「あんたねぇ…。そんな簡単に何処の馬の骨ともしれない相手に雇われる筈が…。」
「報酬と引き換えに命を賭けて危険を買う。腕に自信があればその分コストはかかるけど、その分危険な任務を課せる。雇用先が貴族だろうがマフィア
だろうが、報酬が傭兵の判断基準。つまりは、報酬を出せるなら誰でも雇える。それが傭兵って職業よ。」

 懸念を示したフィリアにリーナは冷徹に返す。
自分は常に命令する立場であるとするリーナの自分をヒエラルキーの絶対的な頂点とする価値基準は、通常ではかなりの不快感や反感若しくは崇拝に近い
被支配願望の源泉となるが、時に異論を挟む余地を見出し難い正論や提案を生じさせる。
 傭兵の雇用は報酬次第であることは事実であり、統治側に隠れて募集や取引をするのはロムノの言うとおり政権に敵対し国家転覆を企てているなど非常に
危険な観測の基となるが、抗争が続く国家だから堂々と公募すれば腕に自信のある者を集められるし、そこから選別することも出来る。
 報酬は我々の価値観だと金銭が支配的だが、金銭と交換の必要がない若しくはその手段が乏しい場合は食料や燃料の方が価値を持つ。戦争や内戦が
行われると物資は戦争優先になるし消耗も激しいから、物資は慢性的に不足する。更に激しいインフレを伴うから単位あたりの貨幣の価値は急落の一途を
辿る。1杯のコーヒーを飲む前の価格がトランクケース1個分で飲み終えた後は2個分になっていた、という話が第一次世界大戦後のドイツにあるくらいだ。
激しいインフレがある若しくはその恐れがある国家や地域では、価値基準が不安定で得た分で必要なものと交換出来る保証がない金銭より、確実に使えて
生活や戦争に必須の食料や燃料の方が報酬としてはるかに魅力的だ。

「渡航に必要な分を確保することは絶対条件。その上で確実かつ安全に捌けることが条件になるが、方策としては間違ってない。」
「流石はドルフィン。話が分かるね。」
「ただ、今回は恐らくクルーシァが背後に居る。報酬の分をどぶに捨てることになると見ておいた方が良い。」

 キャミール教の聖地として多数の上級聖職者を擁するハルガンを音信不通にしている元凶はクルーシァと見て良い。最上級の防御魔法と強力な結界で
防衛しつつ籠城しているのか、クルーシァの軍事力に屈したかは不明だが、ハルガンが実質的に封鎖される状況に傭兵を突撃させたり偵察要員を送り
込んでも、音信不通が改善される可能性は極めて低い。

「偵察は必要ですね。何分ハルガンの現状について分からないことが多すぎます。」
「それこそ傭兵に突っ込ませれば良いことじゃない。」
「…ホント露骨ね。」
「あんたほどじゃないわ。」
「2人とも止めろ。だが、イアソンの言うことはもっともだな。フォン卿、ロムノ殿。些細なことでも構わない。ハルガンとの連絡が途絶える前後の状況について
話していただきたい。」
「聖地ハルガンと我が国との交流は事実上の定期航路となっている。聖職者の視察や研修による派遣若しくは受け入れのためだが、その復路の船が予定を
大幅に過ぎても帰還しなくなった。その後我が国から聖地ハルガンに向けて数便出港したが、何れも帰還していない。その予兆らしいもの−たとえば聖地
ハルガンから来訪した聖職者が聖地ハルガンの異変を伝えるといったことは何一つなかったと聞いている。」
「聖地ハルガンとは国家間外交における大使に相当する職務を担う聖職者−常留親使(じょうりゅうしんし)と称しますが、その交換が行われています。我が
国に滞在する常留親使は聖地ハルガンの状況が先行して伝えられるのですが、聖地ハルガンからの応答が途絶える前後で異変の兆候を窺わせるものは
何1つなかったそうです。」
「海賊や魔物に襲われた可能性は?」
「航路を使用する聖職者は大主教16)以上に限られます。常留親使や視察・研修の対象となる称号がそうであるためもありますが、航路ではそれらの聖職者が
強力な結界と防御系魔法を常時展開します。海賊や魔物が攻撃を仕掛けることは不可能です。」
「クルーシァによる奇襲攻撃を受けて防衛に徹しているか或いは、という可能性に絞られますね。」
「恐らくは…。」

 聖職者の魔法である衛魔術は治癒や防御が殆どだから−元々攻撃のために魔法が創造されていない−、炎や吹雪が乱舞する見た目にも効力のほどが
分かりやすい力魔術よりどうしても地味に映り、その分威力も低い印象がある。しかし、上級の魔術師が使える力魔術が町1つどころか国家1つ灰燼に帰す
くらい造作もないように、上級の聖職者が使える衛魔術は欠損した肉体を瞬時に復元したり、力魔術の集中攻撃を難なく防ぐ強力なものだ。ルイがザギや
その衛士(センチネル)の攻撃を完全に防いだり、自分を狙った刺客の凶刃を受けたアレンの傷を一瞬で完治させたことがその端的なものだ。
 海賊は夜討朝駆けも躊躇しない無法集団だが、個々の戦闘力は一般の兵士に幾分劣るくらい。魔物もカルーダ王国とランディブルド王国を結ぶ定期
航路が就航し、その間を魔術師の結界で十分防衛出来ている。非常に強力な印象が先行するが、上級聖職者が多数乗船する航路で海賊や魔物はノイズ
レベルだ。それより、イアソンの推測どおりクルーシァの奇襲攻撃を受け、外部との交流が遮断されていると考えた方が現実に即している。

「ハルガンに近づき、情報を得て状況を把握して対策を講じる他なさそうですね…。」
「はい。何分地域的にも未知の事項が多い故、細心の注意が必要です。特に赤道付近の伝染病は海賊や魔物より脅威であると認識するべきでしょう。」

 伝染病は医療と衛生条件が未発達な地域では、姿なき大量殺人鬼と言える。伝染病は病原菌を媒介する蚊や蝿、鼠などの害獣害虫は高温多湿と
不衛生な環境で大量発生する。高温多湿は熱帯地方の環境そのものだ。下水道があってもせいぜい側溝程度の水準で、ごみ処理は基本的に各家庭で
肥料にするかそのまま廃棄するかだから−ペットボトルやプラスチックケースがなくガラスや陶器だから環境汚染の危険度は低い−、腐敗した生ごみや蓄積
した汚物はまさに害獣害虫と病原菌の温床だ。
 しかも伝染病は伝搬速度が速く、致死率も高い。病名が不明のまま治療を模索し看護をしていたら何時の間にか感染することもある。医師免許を持つ
シーナは伝染病関連の知識や治療法を有しているが、病名を特定する前に感染しない保証はない。ワクチンは非常に高価だし、入手出来る保証もない。
現時点では良好な体調を維持することと害獣害虫を徹底的に排除しそれらが居るようなところに迂闊に近づかないことくらいしか対策はない。

「トナル大陸南部の各国の状況については、内務所がより詳細な情報を把握している可能性がある。それらを可能な限り提供するよう内務所に働きかける。」
「よろしくお願いします。」

 フォンの宣言は内務所にとっては事実上の命令となる。本来国家の内情に関する情報は外交やこの世界では存在しないが他国侵略の決め手となるため、
部外者には秘匿するべきものだ。パーティーはクリスとルイを除いて全員外国人。ふとしたきっかけで漏洩し、王国中枢や敵対する勢力に知られれば重大な
損失になる恐れもある。国政を担う者の1人としてフォンの行為は重大な背信になる危険を孕んでいるが、一人娘のルイが王国関係者を一切排除して
長期間の渡航に出ようとしている以上、その安全を少しでも確実なものにするにはなりふり構っていられないようだ。
 現時点で確実なのはハルガンの位置と多数の困難や危険を伴うことくらい。内務所からトナル大陸南部の情報が得られないと詳細な対策を講じることは
出来ない。今回の会議はこれで終了として、情報の入手など進展があるまでマクル語の習練と体調の維持管理をするのが賢明だ。そう判断したドルフィンに
より散会が宣言される。「用は済んだから良いだろう」とばかりにさっさと退室したリーナを先頭に、パーティーは執務室を出ようとする。

「…ルイ。」

 フィリアが牽制がてら並び、アレンに続いて退室しようとしたルイを、フォンが呼びとめる。ルイは足を止め、訝しげに振り向く。

「…少し話がしたいのだが。」
「…出来る限り手短にお願いします。」

 距離の取り方を懸命に探るフォン。フォンの接近を警戒するルイ。同極を向けた磁石のような1組の親子、否、人間関係は、それに至る過程に長年接して
来たロムノには心苦しい。だが、外部からの干渉は厳禁だ。アレンと交際を始めて間もなく、そのアレンがパーティーの多くと遠巻きに見ていた使用人や
メイドの前で、フィリアの強迫にも屈せず自分が好きだと公言するなど、今までにない幸福感に酔いしれている。それは今までの生活、すなわち聖職者の
職務に明け暮れていたことから脱却して初めて得られたものだ。聖職者は応答が途絶えて久しいハルガンの状況把握と可能であればその解決を果たせば、
辞職すれば良い。だが、それに代わってリルバン家後継の足枷が加われば幸福を奪われるとルイは非常に警戒している。

「此処ではどうしてもリルバン家としての話になってしまう…。場所を変えたい。」
「…構いません。」

 そうは言うものの、ルイは警戒心を露わにしている。アレンとの交際について僅かでも干渉の意図を滲ませれば、即座に今後一切の断交を宣言して以降は
交渉の糸口すら掴ませないという気迫すら漂わせている。
 身分だけで言えば、ランディブルド王国の建国神話にまで遡る歴史と、国王や教会幹部と並んで国政に深く関与する権力と、全国に展開する小作地からの
莫大な収入を持つ一等貴族の嫡子と、遠い異国の平民の子息とでは到底釣り合わない。地方レベルではあるが評議委員会の一員として行政に関与した
ことで、国王と教会と一等貴族による強固な統治体制とその身分や後継の維持継承のシステムに接して来た経験を持つルイは、リルバン家や聖職者は
それらに組み込まれる条件であり、アレンと引き裂かれる結末に繋がると即座に連想する。その連想は決して大袈裟とか被害妄想とかで一笑に伏せるもの
ではない。
 ルイはやり取りを聞いて足を止めたアレンに微笑んで目配せして、フォンに続いて執務室を出ていく。ルイの意志の強さはアレンもよく知るところだが、残り
時間が1週間ほどとなったところでついにフォン自ら引き留め工作に乗り出して来たか、という推測と同時に警戒を強める。
 フィリアは最後となったパーティー参加の意志表明に続きアレン奪還を宣言した相手である宿敵ルイが席を外した隙にアレンへのアピールを始めようと
するが、アレンの目と意志は全てルイに向けられているのをその横顔から感じる。この状況でアレンにアピールしても空回りするだけだし、強引に自分に
関心を向けさせるのは逆効果だ。アレンの好みのタイプが明瞭になった以上、これまでのような幼馴染としての振る舞いを脱却し、アレンの関心を惹く
アピールに徹しないといけない。もっとも、10数年の蓄積を投げ捨てるのは人間関係でも容易ではない。

「…そんなにリルバン家に留めたいのかな…。」
「…親子になりたいから、じゃない?」

 アレンの呟きにフィリアが乗る。人間関係を模索し、その糸口を探っているのはルイとフォンだけではない。

「ルイのお母さんがルイを身籠っていたことを、フォンさんは知らなかった。ルイのお母さんとの再会は叶わなかったから、せめてその忘れ形見のルイを迎えて
親子になりたいんだと思う。」
「…今更…。」
「歩んできた人生が全く違うから、一筋縄じゃいかないとは思う。ルイはなかなか頑固みたいだし。だけど…ルイのお母さんが居たことは共通してる。そこが
糸口になるかもしれない。」

 オーディション本戦前にルイから事情の説明を聞いたことで、アレンのフォンに対する感情は未だに悪い。ルイと実質両想いだったところに想い人から想い
人の立場や視点での事情の説明を受けたのだから、想い人に甚大な辛苦と悲哀を齎したフォンに好感を持てる筈がない。ルイと親子になりたいとフィリアは
言うが、結局それはルイをリルバン家に取り込みたいがための方便でしかないと穿った見方しか出来ない。
 だが、ルイがフォンとの話し合いに臨むことを止めるつもりはない。その結果として、ルイがフォンと親子関係を構築することを望むのなら、それを止める
つもりもない。今までずっと自分を押し殺し、村人のため、母のために生きてきたルイ。ようやく可能になった意思表示や判断を抑圧する資格は誰にもないこと
くらい、アレンは分かっている…。
 フォンが話し合いの場に選んだのは、ピクタの大樹がある中庭。かつてフォンとルイの母ローズが人目を避けて逢瀬を重ねていた場所であり、フォンがルイと
初めて親子になるべく向き合おうとした場所でもある。
 ルイはフォンと距離を置いている。フォンが何を言うのか全く分からないこと、アレンとの交際に干渉してくるのではないかという強い疑念と警戒が物理的な
指標となって表面化している。

「…最初に言っておきたいことがある。」

 ルイにとっては固く、フォンにとっては重い時間が流れた後、フォンが口火を切る。

「君の交友や交際について…指図や干渉をする意図は有していない。」
「…。」
「信用出来ない、か…。」
「残念ながら…。」
「あの時とは…違う。」

 表情に険こそないものの冷徹に信用に値しないと断じられたフォンは、苦悩の溜息を吐いた後打開への糸口を改めて探る。

「リルバン家当主である今…、リルバン家における問題へのあらゆる干渉を退けることは容易だ。それは当主に関連することだけではない。」
「…それは今の私には適用されません。私は…リルバン家の人間ではないんですから。」
「!」

 ローズが居た時代のように当主の意向次第で全てが決まる時代ではない、逆に当主の権限であらゆる干渉から保護される「安全」をアピールしたが、その
「安全」はリルバン家に入家することが前提となる。現在はむしろ、リルバン家へ入家させるためには当主の権限を行使出来るし、それは外部の反対や抵抗を
一切寄せ付けない状況にあると受け止められる。
 そしてそれは、ルイにとって母ローズの二の舞になることを意味する。「安全」をアピールして糸口を手繰ってみたら、編みかけの編み物を全て解いて
しまったようなものになってしまった。

「違う。そのような意図を持っての言葉ではない。」
「…信用出来ません。」
「…。」
「それに…、仮に貴方に干渉の意図がないとしても、貴方が干渉を退けられることには疑問を呈せざるを得ません。貴方が…母を守れなかったのは事実
なんですから。」

 ルイの不信はフォンの本心にも及ぶ。あの時代、結果としてローズとリルバン家継承を秤にかけ、リルバン家継承を選んだのは事実だし、ローズとルイが
塗炭の苦しみに喘ぐ人生を強いられたのも事実だ。
 当主となったことでアレンとの交際の容認とリルバン家に関する課題の選択を迫られた際、ローズの時と同じようにリルバン家を優先し、自分の意志や想い
人を捨てるよう迫るのではないか。ルイのフォンに対する根深い不信は、フォンの言葉を不信を増幅するものとして受け止め、不信を増大させ更に不信
増幅の感度を増すフィードバックループを形成してしまっている。

「貴方は…私がリルバン家を継承するかどうかしか考えていない…。所詮私は…リルバン家の系譜に名を残す候補でしかない…。そのような考えに立脚して
いる以上、アレンさんとの交際に干渉しないと言われても…到底信用出来ません。」
「…。」
「一等貴族の一家系であるリルバン家の継承は、当主である貴方にとっては重要でしょう。その価値観は否定しません。ですが…、その価値観を私に押し
付けないでください。私が欲しいものは…リルバン家当主の座ではありません。母がそうであったように…。」
「…。」
「失礼します。」

 立ち尽くすフォンを尻目に、ルイは足早に立ち去る。落ち着いた口調である分、フォンには一言一言が痛烈な批判となって突き刺さった。言葉でも上手く
意志疎通が出来ない。不信に基づく穿った見方が不信を増幅させる。一刻も早くリルバン家、否、ランディブルド王国を出奔せんと急ぐルイの心を
リルバン家、否、ランディブルド王国に繋ぎとめる錨(いかり)を、フォンは何処にあるかすら見出せない。
 当主としてリルバン家を取り仕切り、国政に深く関与する立場のフォン。人生でもあった聖職者を辞職してでもリルバン家との繋がりを忌避するルイ。2人の
隔たりはあまりにも大きい。リルバン家という重厚な歴史と強大な権力が、2人を引き離したばかりか関係構築の巨大な障壁となっている。もはやフォンには、
ルイがアレンと共に出奔するのを黙って見送るしか残されていないのだろうか…?

用語解説 −Explanation of terms−

14)グッス:チェスに似たこの世界におけるボードゲーム。駒は王、親衛隊、騎士、槍兵、弓兵、歩兵で、移動の範囲と軌跡が駒ごとに異なる。将棋と違って相手陣地に自分の駒が入ることによる成駒はないこと、将棋と同じく持ち駒の概念があること、将棋では反則である二歩に相当する配置が許されていること、自陣地で得た持ち駒を一定の条件で相手と交換出来る「捕虜駒」のルールがあることなどが、チェスや将棋と異なる。

15)南十字座:我々の世界と同じ、南半球でよく見える星座、通称「南十字星」「サザンクロス」。ちなみにこの世界では、星座を構成する星と名称は概ね統一されているが、国や地域によって差異がある。

16)大主教:聖職者の下から12番目の称号。ルイの現時点の称号である大司教より4つ上。

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