Saint Guardians

Scene 10 Act4-1 転機-Turning point- 2人で向き合い、過ごす夜

written by Moonstone

 自身の慰労会を兼ねた盛大な夕食が終わり、入浴を済ませたアレンはあてがわれた部屋で寛いでいた。
夕食の席では、ルイと出逢って初めて出来た空白の時間を埋めるに十分な会話が出来た。肉体労働が大半を占め、礼拝が中心という教会での仕事の
イメージを初日で覆されたこと、東奔西走する肉体労働の後で微動だに出来ない雰囲気が張り詰める礼拝に参加するのは、眠気を堪えるのが大変だったこと
などをアレンは語った。約ひと月半ぶりの祭祀部長復職と同時に多くの仕事があったこと、訪問先で必ずと言って良いほど同時に入村した男性−アレンに
ついて尋ねられたこと、右手薬指の指輪を見せながら「ついて行こうと決めた男性」と応えたことなどをルイは語った。
 自分の素性は関係者以外には何も話していないのに、何時の間にか下働きの間常に付き纏って私的制裁の機会を窺っていた連中までが自分とルイとの
関係を知るに至った理由が、アレンにはようやく理解出来た。情報発信源がルイ当人とは思わなかった。てっきりクリスが広めたとばかり思っていたのだが、
ルイが村人にも誤魔化したりはぐらかしたりすることなく、自分との交際を明言していたことに幸福感と満足感と感謝を覚えた。
 ヘブル村はともすれば血縁以上に地縁が強いと感じる。故郷テルサの町も比較的その傾向が強かったが、隣国ギマ王国との交易中継地点としての認知の
浸透や、ギマ王国からの難民の流入とそれに対応するために、共存と外部開放への変化がそれなりに進んでいた。ヘブル村にはそれがなく、農耕と牧畜を
主産業とする典型的な農村、自給自足を基本とする閉鎖的な社会だ。そんなムラ社会で自分との交際を知られれば、都会に出て男を漁りに行ったなど悪い
噂が流布される可能性もあるし、それが聖職者の職務に支障を来す恐れすらある。だが、ルイは自分との交際を明確な証拠を提示して明言した。右手薬指の
指輪は交際相手の存在を意味する。そしてその指輪は自分がプレゼントしたもの。ルイがどれほど自分との交際を嬉しく、また誇りに思っているかがよく
分かる。
 臨時職としての給与を得たことで、アレンの右手薬指にも光る指輪は名実共に自分が働いて得た金で購入したものになった。未だわだかまりが消えない
フォンに金銭的な借りを作らないためでもあったが、ルイの次の一言を思い返すと、やはり自分で働いて得た金でプレゼントする方がずっとインパクトが
強いと思う。

アレンさんにプレゼントしてもらったこの指輪を填めていたから、私は仕事が出来たんです。
満足に顔を合わせられなくても、お話出来なくても、アレンさんは私の傍に居る。そう思えて…。
失礼な言い方かもしれませんけど、この指輪のために、私のためにアレンさんは臨時職に就いて懸命に働いてくれた…。
その事実があるから、私はこの指輪を填めていることを誇りに思うんです。

 予想どおり、臨時職の仕事は生半可なものではなかった。しかし、アレンは臨時職に身を投じて良かったと改めて思う。ルイへのプレゼントに魂を
込められたこともそうだし、ルイが聖職者の道へと踏み出すきっかけを作ったルイの母ローズの軌跡に一部でも接することが出来たからだ。
 ルイからは、明日の墓参りに同行して欲しいと誘われている。明日は終日休暇で、その一環として母ローズの墓参りをしたいとルイは説明した。アレンは
二つ返事で快諾している。直接顔を合わせることは叶わないが、地獄のような逆境にも屈せずにルイを産み、ルイに聖職者の模範を見せた偉大な人物と
対面したいとアレンは思う。

「そろそろ寝るかな。」

 アレンは剣を枕元に立てかけてベッドに入る。臨時職で寝起きした時に使っていた、大きめの布に藁を詰めた質素な布団と違い、羽毛がふんだんに
詰め込まれた布団35)
の寝心地は最高だ。
 墓参りは午前中、出来るだけ早い時間帯に行うことが慣例になっているとルイから聞いたが、それは故郷と同じだ。臨時職を終えた安心感とルイと存分に
語らえた満足感に浸るアレンは、どうも冴え気味の頭を鎮めて眠りに落ちようとする…。

 部屋を静寂が支配して久しいが、アレンはなかなか寝付けない。夕方まで臨時職に励んでいたし、夕食で十分食べたことで疲労と満腹が重なり、そこに
寝心地の良さや安心感といった眠りへのスパイスが存分にプラスされたから寝るには申し分ない状況が揃っている筈なのに、今まで経験したことがないような
寝つきの悪さにアレンは困惑している。何が原因なのかアレンは分からない、否、そうではないと思おうとしている。そのままだと寝付けない理由が前面に
出てきてしまうと思い、アレンは寝ることに意識を集中させる。

コンコン

 アレンの意識が漸く眠りの沼へ沈み始めた時、部屋のドアが控えめにノックされる。意識が瞬く間に浮上したアレンは内心もしや、と思いつつ、ベッドから
出て応対に出る。
 ドアを開けると、パジャマ姿のルイが姿を現す。その腕には枕が抱えられている。密かな、否、強い期待が現実のものになったことに、アレンは思わず声を
上げそうになる。

「ルイさん。ど、どうしたの?」
「…あの…。こ、此処で…寝させてくれませんか?」

 緊張のあまり声が少し上ずったアレンは、ルイの依頼と寝付けなかった理由の妄想が重なり、卒倒しそうになる。

「ど、どうして?」
「クリスに…追い出されたんです。」

 どうにか意識を保って尋ねたアレンにやや俯き加減にルイが答える。
ルイはクリスの部屋で寝ることになっていた。首都フィルに出発する前夜などルイがクリスの家に泊まる際は必ずそうしていたそうだが、部屋の主でもある
クリスがルイを追い出す理由がアレンには分からない、否、想像は出来るが、妄想と連結しないよう否定に懸命になっている。

「この際だからアレンさんに…その…、夜這をかけろと言われて…、ベッドから突き出されて枕を持たされて、そのまま部屋も追い出されて…。」
「えっと…、クリスの部屋には入れないの?」
「内側から衝立(ついたて)か何かをしたらしくて…、入れないんです。今日は戻ってくるな、とドアの向こうからも言われて…。」

 アレンはクリスの本気を見たような気がする。
夕食の最中、良い具合に酔いが回ったクリスは、両親と待機していたメイドにアレンとルイの邪魔をしないよう申し入れた。申し入れの中には今夜アレンの
部屋にルイを送り込むことや、ルイがアレンの部屋を避けようとしても他の部屋に入れないようにすることも含まれていた。快諾する両親も含めて、他人を酒の
肴にした酔っ払いと雇用主親子への心理的同調圧力があるメイドの冗談話と思っていたが、事前の根回しであるとすると、クリスのしたたかさとクリス親子と
メイドの結束の固さがアレンの推測を凌駕していたことになる。
 ルイがこのような場面で嘘を言うとは考えにくい以上、アレンがクリスを説得しようとしても全く効果を成さないし、さっさと部屋に連れて行けと追い返される
のが関の山だろう。この分だとクリスの母やメイドにルイの「保護」を頼んでも無駄だと考えるのが自然だ。

「…じゃあ、ルイさんはこの部屋で寝て。」
「アレンさんは?」
「リビングのソファで寝るよ。」
「駄目ですよ。風邪をひいてしまいます。」

 そう言ったルイがくしゃみをする。
ヘブル村は昼夜の温度差がかなりある気候で、夏場でも夜はかなり涼しい。風呂上がりな上に着衣が薄めの今、廊下に無防備に立っていれば身体を
冷やす。明日は折角のルイの休みで、墓参りを含めたデートの機会でもある。風邪をひいて1日寝込むようなことになってはあまりにも勿体ない。

「だ、大丈夫?ルイさん。」
「は、はい。」
「こ、此処じゃ冷えるから、ひ、ひとまず中に…。」

 寝付けなかった原因である妄想と現実が直結したことで軽いパニックに陥ったアレンは、ルイを部屋に入れることを選択する。ルイが中に入ると、アレンは
ドアを閉めて部屋の隅に置いていたリュックを漁り、服を取り出してルイに羽織らせる。何の変哲もない普段着だが、1枚重ね着するだけで身体の保温具合は
随分違う。

「温かい…。ありがとうございます。」
「良かった…。」

 ルイの身体の保温は確保出来た。しかし、ルイと夜に2人きりである状況は変わらないし、変えられる見込みがない。だが、このまま立ちっ放しで居ても
事態の打開は望めない。アレンとルイはどちらからともなく、ベッドに腰を下ろす。気まずいとも緊張とも取れる微妙な雰囲気が2人を支配する。そんな中でも、
互いにチラチラと相手に視線を送る。頻度の割にタイミングが合わないのは傍から見れば不思議なことだ。
 早い周期で熱い視線を送り合う割に、2人の距離は拳1つ分ほど空いている。密着したいが現状でそうすると理性を保てるか自信がないアレンと、夜の
密室に男性と2人きりになる覚悟は一応出来ていたが不安や躊躇が残っているルイの心理が合致したせいだが、傍から見れば何とももどかしい。クリスがこの
場に居れば痺れを切らして2人を密着させ、さっさと始めろと焚きつけるだろう。

「…ルイさん。」
「は、はいっ。」
「聖職者の仕事…、どうするの?」
「あ、そ、そのことですか…。」

 アレンからアプローチが始まることを想定したルイは肩透かしを食らい、ほっとしたようながっかりしたような複雑な思いを抱きつつ、平静さを再構築する。

「まだ本決まりではありませんが…、辞職する方向で話を進めています。」
「辞職ってことは…、聖職者じゃなくなるんだよね。」
「はい。でも称号はそのままですし、魔力や資質が向上すれば称号の上昇と効果の強い魔法の使用も可能です。称号上昇の条件を満たしているかどうかは
各国の教会で確認出来ます。そのあたりは比較的柔軟です。」
「5歳から聖職者として頑張ってきたのに…、未練はないの?休職を続けるとか。」
「祭祀部長は重要な役職ですから、長期間休職することは好ましくありません。何時になるか分からない私の復職を待つより、次代の要請を兼ねて後継を
選定する方が賢明です。…総長様などにはそう伝えてあります。それに…、今の私には、聖職者であることに固執する理由はありません。」

 5歳から正規の聖職者として研鑽を重ねて修業を積み、15歳で一村の中央教会祭祀部長にまで上り詰め、各町村の教会の頂点である中央教会総長や
王国議会議員も十分視野に入れられる立ち場にもなったのに、それらをあっさり捨てるのは聖職者の事情に疎いアレンでも非常に勿体ないことと映る。
だが、アレンの父ジルムを捜索する旅に同行する決意を固めているルイには、現在と将来の地位や名誉は足枷でしかない。そうであれば教会側にも早々に
自分に見切りをつけさせ、後継を選定するのが得策と話を進めるのは、ルイの頑固とも言える強い意志が成せる業だ。

「私は…、アレンさんのお父様を探す旅にご一緒したいです…。お父様に…御挨拶したいですし…。」
「俺も…、ルイさんを父さんに会わせたい…。でも…、そのためにルイさんが聖職者を投げ打たせて良いのかな…?」
「辞職は私が自分で決めたことです。ですから…、アレンさんが気に病む必要は何もありません。」

 ルイは静かな口調で明瞭にアレンの圧力を否定する。
ルイは生まれて初めて聖職者以外の人生を見出し、現在と将来の栄誉を全て捨ててでもアレンについて行くことを決意したのだ。そのアレンに誤解されて
聖職者に留まるよう説得されては元も子もない。
 ルイの辞職に関する話題が終わったことで、再び2人の間に沈黙の雲が垂れこめる。気まずいとも緊張しているとも取れる雰囲気の中、相手の出方を窺う
ように互いに視線を送るのは今回も同じだ。
 不思議と向き合わない偵察の視線の送り合いが続く中、アレンの視線がふとルイの横顔から下方向にずれたところに向く。アレンが羽織らせた服は背中を
完全に覆っているが前は無防備に近い。薄手のパジャマを着ていることで元々身体のラインが明瞭に浮き出るし、息苦しくないように襟元が開いているから
胸元が見える。深い谷間を作る豊満な胸元に始まり、薄手の服1枚を着ているだけの無防備な状態、暗がりでより印象的に映る整った横顔、とアレンの視線と
意識を引き付けて離さないもののオンパレードで、アレンの視線の動きが完全に停止し、ルイにくぎ付けになる。
 アレンは男性としての自信を持ったことで好感や親愛による女性の区別が出来るようになり、更には特定の女性、すなわちルイに対する性的関心を率直に
認めるようになった。自分とは明らかに違うものを持つ女性、他の女性には抱かない特別な感情を抱く女性が、手を伸ばせば簡単に届くところに居る。
1週間の空白は夕食時の会話で埋めた筈だった。しかし、無防備に近いルイを間近にしているのを改めて実感すると、それだけでは足りない、もっと
満たしたいという強い欲求が湧きあがってくる。
 視線を送ろうとしたルイがアレンの方を向く。ルイはアレンが自分を見詰めていたことに緊張を強めるが、その視線が厳密には自分の顔だけではなく
下方向のある部分にも向けられているのを感じ取る。

「気に…なりますか?…胸。」
「!あ、えっと…、その…。」

 胸元も注視していたことを勘付かれ、しまったと思ったアレンは急いでルイから視線を逸らして俯く。

「ちょっと…自信はあります…。」

 何処を見ているのか、とか、不潔な視線を向けるな、と叱責されると思っていたが、ルイが発した言葉は意外なものだった。

「男性が女性に性的な関心を向けるのは自然なことだとは…クリスから聞いていました…。私自身…、成長するにつれて胸が大きくなって…、教会の仕事
などで男性が私の胸に注目していると感じることが多くなりました…。男性が女性に性的関心を向けるのは自然なことだとしても…、私はその視線を自然な
ものとは思いたくありませんでした…。男性達が私に視線を向けるのは…、私ではなくて私に付随するものと、私と結婚することで得られるものが大きいから
だと…分かっていましたから…。」

 バライ族でも少数派であるハーフのダークエルフを母に持つルイが、その美貌とは裏腹にこれまで男性と無縁だったのは決して男性や恋愛に興味が
なかったためではない。母と共に激しい差別と迫害を受けた幼少期を生き抜き、聖職者としても女性としても著しい成長を遂げたことで完全に掌を返して
擦り寄ってきた節操のなさを嫌悪して、聖職者の職務に専念することで男性の視線や接近から遠ざかっていたためだ。
 かつて自分を女性どころか人間としても扱わなかったのに、自分が成長して地位や名誉を得たら途端に持て囃されるようになっても、相手が同じだから尚更
疑念や不信感や嫌悪感しか生まない。金や地位が得られるなら相手は自分でなくても良く、それらがなくなったら簡単に切って捨てることなど容易に想像
出来るし、そのような境遇を志願するのはまず居ない。日本で女性誌を中心に男性の女性に対する消極さを嘆き、妻子を養う経済力を付けよと叱咤したり、
女性の理想にそぐわない男性との結婚を妥協と称する向きが顕著であるが、男性にも人格やプライドがあり、女性と距離を置くようになった理由があることを
全く度外視していることと共通項が多い。
 所謂スクールカーストが顕在化する時期でもある異性を意識する思春期に、スクールカーストの中層以下の男性は女性に相手にされなかったり場合に
よっては迫害を受けたりする。その上に、女性を男性と同等に扱わなければ差別であるが女性を保護しなければ男らしくないとする女性のダブルスタンダード
−その中でも様々な種類があるからマルチスタンダードと称すべきか−意識を強めるフェミニズム運動とセクハラやDVの偏向的な拡大解釈が押し寄せ、
女性の気に入らない男性が接近することは犯罪であるとする価値観が広まった。迂闊に女性に接触すれば犯罪者として職も名誉も失うリスクがあるという
認識がインターネットによる情報の高速拡散も相俟って男性に浸透すれば、正社員でなければ(更に言うなら有名企業の正社員か公務員でなければ)人間
扱いされないことも珍しくない男性が失職に伴う収入と社会的地位の喪失を恐れて女性と距離を置くのは自然なことだ。
 女性と距離を置いた男性は仕事や勉学に取り組み、生活していく中で趣味を見出していく。概ね30代半ばを過ぎる頃には、男性は相応の収入を得られる
ようになり、コンビニや外食産業の普及、家電製品の性能向上もあって生活水準も高いレベルで確立出来るようになる。非正規雇用であっても趣味をはじめと
する自分自身に特化すれば、それなりの生活が可能である。
 一方でかつて多くの男性から持て囃された女性は、加齢に従ってその栄光が色褪せていく。また、各種調査でも明らかなように女性の収入はさほど増えず
−増えているのは男性と同様に働く一握りの女性のみであり、誰もがそのような立場の女性になれると錯覚しているのもまた事実−、非正規雇用の多さも
あって生活に限界が見えて来る。他方で未婚率が上昇することにより、経済の循環が鈍化する。それは当然だろう。女性が自由に使っていた資金の多くは、
実は男性の財布から出ていたものであり、専業主婦として何故か夫の給料を全額管理し、幾許かの金を小遣いとして渡すだけだった構図も、実は男性と結婚
しなければ不可能なものなのだから。結婚自体、実はスクールカーストの中層以下の比率が高い男性も含めないと成立し得ないものなのだから。
 女性誌を含むマスメディアの重要な資金源である広告主の企業も利益が伸びなくなり、それが未婚率の上昇や男性の「女性離れ」にあると分かり、これまで
働く女性を至上のものとして「働く女性は人生を謳歌していて、同年代の男性はせせこましく生きている」と揶揄した白河桃子など女性誌向けのライターが
次々と態度を覆して男性への歩み寄りを呼び掛けるようになった。
 しかし、所詮は女性誌や女性向け啓発本など、女性受けする文章を書いたり宣伝したるすることで生計を立てるライターやマスメディアのすることだ。購読者
若しくは視聴者である女性の機嫌を損ねないよう、女性が男性を選ぶものであり、女性が妥協して男性と結婚してあげるという意識は随所に出る。それを
インターネットなどで見聞きした、かつて女性に疎外されてきた男性が、女性に妥協されて選ばれ、結婚していただこうと考えるだろうか?日本における
男性の「女性離れ」は、女性の徹底的な反省とフェミニズム運動の抜本的な見直しを女性側から行わなければ−男性側から行えば差別主義者と糾弾される
のは自明の理−最早現状では解決不能なレベルにあることを、女性誌をはじめとするマスメディアやライターが認識する見込みはない。

「そんな前提があって、尚且つ性的な関心を向けられるのは嫌でした…。でも…、アレンさんと出逢ってお付き合いするようになって初めて…、自分に性的な
関心を向けられることが…嬉しいと思う機会が出来ました…。アレンさんになら…そういう目で見られても良い、と…。」
「…女性の身体に興味があるのは事実だよ…。そればっかりじゃ駄目だけど…。」

 アレンは誤解を生じないようにと混沌としていた意識を鎮め、気持ちと言葉を整理してからルイの方に向き直る。

「俺は…女性になら誰にでも関心を向けるようなことはしない。特に、性的なことについてはね。それまでの付き合い…男女としての付き合いじゃなくて人間
同士としての付き合いで、この人だと話をして楽しいと思えたりとか、そういう感情の違いはあっても…、俺が男性として女性に向ける『好き』っていう気持ちを
持っているのは…ルイさんだけだよ。」
「嬉しいです…。私も同じ気持ちですから…。」
「好きだから…、そういう目でルイさんを見て良いのかって気持ちもある。だけど…、ルイさんともっと触れ合いたいって気持ちも確かにあるんだ…。その
加減が…慣れてないからルイさんから見てどうなのか分からないし、どう思われるのか不安だけど…。」
「待って欲しいと思ったらそう言います。アレンさんがそれを無視して一方的に進めるとは思っていません。女性の扱いに妙に手慣れていて手玉に取られる
より…、お互いの価値観を突き合わせて進められる方が…、私は良いです。」

 ルイの事実上の全面容認の言葉で、ルイの認識に対する不安でその先の一歩を踏み出すことを躊躇していたアレンの意志が固まる。
アレンは目の前の宝物に注意深く右手を伸ばす。アレンの右手がルイの肩を捉えると、アレンとルイは互いに距離を縮める。不安や躊躇を暗示していた拳
1つ分の距離がなくなり、互いの半身を通じて互いの温もりと身体の感触を感じ合う。ルイはアレンの引き締まった身体の硬めの弾力に男性を感じ、アレンは
ルイの弾むような柔らかさに女性を感じる。
 アレンがルイの肩を軽く引き寄せると、ルイは上半身を完全にアレンに委ねる。密着の度合いが更に増したことで、2人の視界には相手の顔以外のものが
映る余地は何もない。ルイの左手がアレンの右腕にかけられる。求めるような顔のルイからは拒否の意志は微塵も感じられない。

「キスの時って…、息をしても良いんでしょうか?」

 アレンが最後の踏ん切りに向けて集中していたところで、ルイが不思議な問いを投げかける。

「鼻で息をするしか…ないですよね?」
「息をしても良いと思うよ。それしか方法はないんだし…。」
「そう…ですよね…。御免なさい。変なことを聞いて…。」

 雰囲気を崩しかけたことに苦笑いした後、その詫びのつもりかルイは目を閉じる。改めて準備と雰囲気が整い、ルイが拒否どころか待機の姿勢にあるのを
確認して、アレンは目を閉じながらルイを引き寄せ、目標と意識を2つの唇に集中させる。

2人の距離と唇を遮るものは、何もない…。

 ルイの瞼が動き、緩やかに開帳する。アレンの胸に手を置き、寄り添う形で寝ていたルイは、眠るアレンの横顔を間近で見て穏やかで幸せそうな笑みを
浮かべる。断続的に短い休憩を挟んで長時間に及んだキスの感触と記憶は、ルイの脳裏に強く焼き付いている。初めて体験する全身が心地良く痺れるような
感覚も、鮮明に思い出せる。そして、愛の行為を交わした相手は隣で安らかな寝息を立てている目の前の事実。ルイにとっては何もかもが新鮮で幸福に
溢れるものだ。

「ん…。」

 ルイが見つめる中、アレンが目を覚ます。少し焦点が定まらない様子を見せた後、ルイの方を向いて瞳には輝きが、顔には笑みが戻る。

「おはようございます。」
「おはよう。」

 短いありふれた朝の挨拶には、2人きりの幸福に溢れた時間を共にした余韻が滲み出ている。キスで終わった夜を明かしてこれだけ幸せなのだから全てを
知った翌朝ではどうなるのかとアレンは仮定の未来に思いを馳せ、先走ってそこまで到達しなかったことに少しばかりの後悔を含めた満足感を覚える。
 昨夜アレンとルイは長時間キスを交わした。断続的に唇を離した際に薄く目を開けて、幸福と快楽に浸りきるルイの顔を見るたびに、更に触れ合いたい、
もっとルイを知りたいという意識がアレンの中で強まった。しかし、あと一歩のところでアレンは思いとどまった。これ以上進んだら残るは夫婦として暮らすこと
のみになる、と思い至ったからだ。
 アレンはルイとの恋愛の先に結婚を描いている。それ自体は否定する理由はない。しかし、今後何時終わるか分からない旅を続けるにあたって、今ルイの
全てを知ったら結婚までセックスだけで繋がる惰性の関係になるのではないか。それでルイとの関係が維持出来るのか。そう考えるとキスに続いてルイを
ベッドに押し倒しパジャマを脱がすことへと進むことは出来なかった。
 身近な先例としてはドルフィンとシーナが居る。2人が今も夜な夜な激しい営みを続けていることは容易に想像出来る。しかし、それは2人が3年も前に婚約
していて、3年もの間生き別れになっても尚互いを求めるだけの深く強い信頼と愛情を構築しているからだ。実際、2人が結婚したとしても何ら不思議は
ないし、事実上夫婦という認識がパーティーでは共通している。アレンとルイはまだその境地には至っていない。にもかかわらず勢いと欲求に任せて突き
進めば、関係が惰性になって破綻する恐れもある。
 そうはなりたくないアレンは、キスを終えた後ルイにその旨を率直に伝えた。ルイは当初こそ少し疑問に思ったものの、アレンが自分との未来を見据えて
理性的な判断を示したことに深く強く感銘し、更に好感を強めた。アレンの優柔不断も、形を変えれば慎重で理性的となる。相互に認め合う関係が好ましい
結果を生んだ好例と言えるだろう。

「今日は最初にお墓参りをしようと思うんですけど、良いですか?」
「うん。墓参りに必要な服装ってある?」
「普通の服装で十分ですよ。『死者を特別視するなかれ。神に召された者を偲ぶに際して神に手向ける儀礼は不要であると知れ』…『教書』の一節です。」

 正規の聖職者らしく「教書」の一節を淀みなく言ったルイは、うつ伏せに近い状態から身体を起こしてベッドに座るような体勢になる。続いて身体を起こそうと
したアレンは、ルイを見て驚きの声を上げそうになる。カーテン越しに差し込む陽光で、ルイの身体が透けて見えるためだ。昨夜は暗闇の上に至近距離で
目を引いた胸元しか見えなかったが、暗闇を飲み込む光によって薄手のパジャマ越しに露わにされたルイの豊満な身体のラインは、アレンから言葉を奪う
には余りある。

「どうしたんですか?アレンさん。」
「…ふ、服が…透けてる…。」
「え?…あっ。」

 アレンの指摘で自分を見てようやく理解出来たルイは慌てて腕で身体を隠し、アレンは視線をドアの方に逸らす。

「ルイさんは…、自分が美人でスタイルが良いってことを…もっと自覚した方が良いよ…。」

 将来を見据えて高まる欲求を抑えても、間近で無防備に女性の特徴を見せつけられては制御を続けられる自信はない。滞在先のホテルで偶然ルイの
下着姿を目の当たりにした時以上の強烈な印象に、アレンは激しく揺さぶられる理性を抑えるだけで精いっぱいだ。
 だが、アレンが場当たり的に発した言葉は、ルイには自分を大切にするよう忠告するものと受け止められる。ルイは笑みを浮かべ、頬を紅潮させて視線を
逸らしたままのアレンに四つん這いになって近付く。

「アレンさんの忠告、ありがたく受け取っておきますね。アレンさん以外から性的関心を向けられるのは嫌ですから…。」

 ルイは、耳元で聞こえた独占欲をそそる言葉で自分の方を向きかけたアレンの頬に軽く唇を付ける。驚いてルイを見るアレンに、唇を離したルイは少し
悪戯っぽい微笑みだけを返す。呆然と頬に手をやるアレンを素早く跨ぎ、ルイはベッドから出る。

「着替えはクリスの部屋にありますから、クリスを起こして着替えてきますね。」
「…あ、うん。」

 ルイはそそくさと部屋を出て行く。ドアが閉まった後、1人残されたアレンは、思いがけないルイからのプレゼントが強い残像を残す頬に手をやったまま、
こみ上げて来たこそばゆい幸福感に思わず顔が綻ぶ。ルイはドアを背にして、自分でも信じられないほど大胆な行為に打って出たことを思い起こして頬を
紅潮させる。頬にキスをするのも初めてだが、昨夜初めて体験したキスに匹敵する、今まで感じたことがない幸福感と充実感に、ルイは身悶えしたくなるような
衝動を懸命に抑える。
 衝動がどうにか収まった後、ルイは静かに廊下を進み、クリスの部屋に向かう。まだ夜が明けて間もない時間だからクリスが起きているかどうかは疑問だが、
アレンに言ったとおり着替えは元々寝泊まりする筈だったクリスの部屋にあるから、ドアを叩いてでも開けさせるしかない。

「おはよー。」
「きゃっ!」

 曲がり角を曲がったところで、パジャマ姿で髪を下ろしたクリスが声をかける。まさかクリスが居るとは思わなかったルイは思わず悲鳴を上げる。

「おかえり、って言うた方がええかな。」
「…き、昨日の夜、私を枕1つ持たせて部屋から追い出したのはクリスでしょ?…た…、大変だったんだから…。」
「ふぅ〜ん。その割にはえらい幸せそうな顔しとるよなぁ〜。全身から『昨日の晩は幸せだった〜』って雰囲気が滲み出とるで〜。」
「そ、そんなこと…。」

 クリスに指摘されてルイは珍しく激しい動揺を見せる。服の乱れを細部までチェックするルイを見て、クリスはしてやったりとばかりににやける。

「さぁてルイさん?独り者のあたしに、昨日の晩のことをたっぷりとご教授してもらへんかな〜。今後の参考にしたいんでさ〜。」
「…な、何も教えるようなことはないわよ。」
「え〜?そんなケチくさいこと言わんとさ〜。」
「何も言わない。教えない。」

 執拗にまとわりついて食い下がるクリスをルイはあしらい続けるが、内心うっかり秘密を漏らしてしまわないかと冷や汗をかいている。そうでなくても、意識して
いないと顔が綻んでくる。こんなことは初めてだが、昨夜のことについて尋問され続けることが不思議と嬉しく楽しく思う自分が居るのが分かる。高揚し続ける
気持ちのままで居ると、何かの拍子で秘密を口から零してしまいそうだ。
 ルイがクリスの部屋に入り、着替えを済ませてもクリスの追及は続く。クリスはまだ起きていないだろうと間を空けて出て来たアレンの登場で、クリスの追及は
更に熱を帯びる。狼狽するアレンと黙秘に徹するルイは、どちらもこみ上げて来る幸せで顔が綻びかけていて、クリスでなくても2人の仲に何か大きな進展が
あったことを察するには十分だ。
 アレンとルイを冷やかし続けるクリスは、ルイが初めて見せる幸せに浸る女性の顔に、ルイが自分で選んだ新たな人生を着実に歩み始めたことを感じて
少しばかりの寂寥感を覚える。クリスもまた長年ルイを護り、家族として接して来た間柄だ。ルイを護る役割がアレンに受け継がれたことは、ルイが自分の
手から巣立つことでもあるのだから…。

用語解説 −Explanation of terms−

35)羽毛がふんだんに詰め込まれた布団:我々の世界と同様、この世界の布団は綿詰めが一般的。羽毛布団は合成が出来ないため高価で、富裕層しか所有
していない。


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