Saint Guardians

Scene 10 Act 2-1 胎動-Movement- 忍び寄る悪意と異変の兆候

written by Moonstone

 不気味に響く何かがへし折れる音、何かを貪る音、何かを啜る音。外からの光が急速に減少する中でも視認出来る光景に、イアソンとフィリアは胃袋の
底から猛烈なスピードで高い酸性度のものがこみ上げてくるのを感じる。

「うぷっ!!」

 フィリアは口から嘔吐物が溢れそうになるのを咄嗟に両手で押さえるが、到底目の前の光景に耐えられずに外へ飛び出す。イアソンはどうにか喉の真ん中
辺りで堪えるが正視に耐えうるものではなく、目を背けて後ずさりする。
 暗がりの中で繰り広げられていたものは、人間が人間を貪る光景だった。仰向けに横たわった全裸の人間は腹部を裂かれて内臓を抉り出され、散乱した
内臓と肉片が多量の血を伴って床にぶちまけられている。その全裸の人間を黒いローブを纏った3人の人間が取り囲み、手と口を鮮血で染めながら抉り
出した内臓を貪り食っている。
 生き物が生き物を殺して食べるのは、堅牢な壁で囲まれた町や村を離れれば剥き出しの生存競争が展開されるこの世界ではさほど嫌悪される光景では
ない。だが、人間が人間を動物のように手と口で直に抉って貪り食う様はまず目にかかることはない。その分呼び起こされる嫌悪感や嘔吐感は凄まじい。
「赤い狼」で反政府ゲリラ活動に従事して敵味方問わず人が死ぬ様を何度も見て来たイアソンも、この光景を平然と見物出来るほど神経が麻痺していない。
 イアソンは嫌悪感の要因にファイアボールを連発して外に走り出る。苦手とする火の急進に黒いローブの人間達は金切り声のような悲鳴を上げる。だが、
至近距離からの直撃で避けることすらままならず、貪っていた死体もろとも火炎に包まれて悲鳴の音量を上げながら悶え苦しむ。

「何てこった・・・。」

 イアソンはまだ喉に残る酸性の感覚を何度も唾を飲み込むことで強引に押し戻す。先に外に飛び出したフィリアはその場に座り込み、肩で大きく息を
しながら時折咳き込んでいる。あまりに凄惨な光景を見て嘔吐した後で、まだ口の中に嫌な酸味が充満している。イアソンは念のため剣を抜いてから
フィリアの背中をさすってやる。

「あ、ありがとう・・・。」
「吐いちまっても当然だ。あんな光景、まともな神経じゃ見てられない。」
「あいつらって・・・、シェンデラルド王国に入ってからあたし達を襲って来た奴等?」
「見た感じ、そうみたいだ。」

 手近な家に入って早々に出迎えた地獄まがいの光景からして、シェンデラルド王国は完全に悪魔崇拝者の手に落ちたと断言して良いだろう。
悪魔は人間とは正反対の倫理観を有する。悪魔にとって普遍的なことは人間にとって異常で正気の沙汰ではないものであり、人間にとって称賛の対象に
なるものは悪魔にとって吐き気を催す醜悪なものだ。だが、人間が生活するこの世界において人間の肉や臓器を貪り食うことは異常に違いなく、「価値観の
相違」なる一言で片付けられるものではない。人間と悪魔は住む世界も異なれば、常識も倫理も美徳も悪徳も異なる。悪魔が本来住む世界である魔界や
地獄15)
ではない以上、悪魔は撃退の対象とする他ない。

「住民総出で歓迎か・・・。」

 イアソンは周囲から気配を感じて身構える。半開きのものも混じっていたドアが次々と開き、黒いローブに身を包んだ悪魔崇拝者がぞろぞろと出て来る。
家に移った火に恐れおののくと同時に、中から聞こえる耳を引き裂くような悲鳴と自分達とは異なるイアソンとフィリアを見て憎悪や殺意を強めているらしく、
手にしたナイフを構えて唸るような威嚇の声を上げる。低音を主体とするそれらは決して耳障りの良いものではない。

「フィリア!立って戦うぞ!」
「う、うん・・・。」

 激しく嘔吐して体力を消耗したフィリアは、イアソンの檄で懸命に気を取り直し、咳き込みながら立ち上がる。
此処は決して話し合いが通じない悪魔の僕達が支配する敵地だ。戦わなければ次に内臓を抉り出されて無残に貪られるのは自分自身だ。あの光景に
対する激しい嫌悪感が、フィリアの生存本能に火をつける。フィリアが結界を張り巡らしたとほぼ同時に、フィリアとイアソンを数に任せて包囲していた悪魔
崇拝者達が怒号とも奇声とも付かない声をあげて一斉に襲い掛かる。

「食らえ!」

 イアソンは爆弾を投げつけ、フィリアはファイア・ストームを詠唱して発動する。悪魔崇拝者を爆発と猛烈な火柱が飲み込み、耳を劈(つんざ)くような悲鳴が
上がる。爆弾を食らった者は粉々に吹き飛び、火柱に飲み込まれた者は骨もまともに残されずに焼き払われる。相手が死ぬか自分が死ぬかどちらかの
結末に至るまで戦闘を仕掛けてくる存在だ。吹き飛ばすか焼き払うかして絶対攻撃出来ないようにするのが最も手っ取り早く、安全だ。
 悪魔崇拝者達は、自分達が襲い掛かった敵−若しくは獲物−が火を伴う強烈な反撃をしてきたことで手を出しあぐむ。彼らが火や光を苦手とすることは
実証済み。嫌悪感を根こそぎ振り払おうとフィリアが強力な火系魔法を行使したことが奏功した格好だ。

「一先ず脱出するぞ!」
「分かった!」

 フィリアは爆弾で悪魔崇拝者の壁を破壊するイアソンをファイアボールの連射で援護しながら後に続く。
シェンデラルド王国への潜入の目的は王国の内情調査であり、悪魔崇拝者の殲滅ではない。ランディブルド王国との国境に近いかなり辺境の町でこの有様
だから、今後は更に熾烈な戦いが続くと考えるのが妥当だ。イアソンの爆弾には限りがあるし、フィリアの魔力も適度に休憩を取らないとやがては枯渇する。
戦闘不能になってみすみす悪魔崇拝者の餌食になる前に、戦闘を打ち切って脱出すべきだ。
 悪魔崇拝者は発生する爆発と次々迫る火の玉の餌食になり、残った者もフィリアの結界に阻まれて攻撃出来ない。悪魔崇拝者は数に任せた力押しの戦闘
しかしない。見た目の醜悪さを克服出来れば、王国兵士や道中の魔物より攻撃力は低いから結界で十分防御出来るし、逆に強行突破で弾き飛ばすのも
ありだ。
 日が落ちて闇が急速に深まっていく中、イアソンはフィリアを引き連れて町を脱出する。ある程度走ったところで振り向くと、悪魔崇拝者の姿はない。生物の
本能の1つである縄張り意識のせいかは不明だが、いたずらに体力や精神力を削られるより逃げおおせた方がずっと良いに決まっている。

「逃げ切れた・・・?」

 フィリアは額の汗を拭いながら確認する。思い返すだけでも胃液を口に向かって噴出させそうな光景を演出した悪魔崇拝者とこれ以上係わり合いになりたく
ないが、追ってくるなら徹底的に排撃しなければならないのは確実。フィリアは今更ながらシェンデラルド王国への潜入捜査に名乗りを上げたことを後悔
する。だが、国境近くの町1つに踏み込んで、悪魔崇拝者の人肉を貪る様子に気持ち悪くなって帰ってきました、ではフィリアの維持とプライドが許さない。
 それに、潜入の主役であるイアソンはこの結果だけで満足しない。交流が途絶えているという王家の安否確認と、悪魔崇拝者の根城を突き止めるくらいは
達成しないと、悪魔崇拝者に徐々に国土を侵食されているランディブルド王国としても対策が立て難い。悪魔崇拝者とバライ族を短絡してバライ族の迫害、
ひいてはバライ族との間に子どもをもうけたリルバン家当主フォンの立場を揺るがす恐れもある。フォンの尽力で越境の手筈を早期に整えてもらった恩義に
報いるためにも、此処で踵を返すわけにはいかないと決断しているだろう。

「追っ手は来ないようだな。だが、場所が場所だし場合が場合だ。暗闇に紛れて忍び寄ってくる可能性は十分ある。」
「そうよね・・・。」
「もう少し町から離れたところで野宿の準備をしよう。此処は町から近過ぎる。」

 悪魔崇拝者の追撃はないようだが、あの町が深まる夕闇の中で不気味に浮かんでいるのが見える。
悪魔崇拝者に人間の理性や常識といったものを求めるのは無駄でしかなく、人肉を食らうことが判明した以上、自分達を縄張りに足を踏み込んだ絶好の獲物
として追撃してこないと決まったわけではない。むしろ、知性が動物の本能レベルまで簡素化されているらしい悪魔崇拝者は、空腹を満たすためなら仲間
−そんな認識があるのかも怪しいが−に犠牲が出ても獲物を追いかける可能性は十分ある。出来るだけ危険因子から遠ざかっておくのが無難だ。
 緊張感から少し解放されて、嘔吐の残留感が口から喉にかけて蘇ったフィリアは嘔吐の後遺症で胃が痛むが、気力を奮い立たせてイアソンについて行く。
町が闇に小さく解けて消えたところで、イアソンが周囲の草をかき集めてファイアボールで点火する。そしてフィリアに代わって結界を張る。魔術師の称号が
Thaumaturgistとフィリアよりかなり低いため結界の威力の大幅減退は避けられないが、凄惨な光景を見たショックと激しい嘔吐による体力消耗が明らかな
フィリアを休ませるためだ。悪魔崇拝者とは数で圧倒的に差がある。数の差を埋めて戦闘力で陵駕出来るのはEnchaterの称号を有するフィリアの魔法だ。
フィリアを休ませて体力と魔力の回復を促すのは生き延びるためでもある。
 イアソンは焚き火とライトボールの明かりの中で水筒からコップに水を汲み、取り出した薬と共にフィリアに渡す。リーナの養父フィーグが調合した薬品の
中で、胃酸で荒れた胃を修復するものだ。

「口をゆすいで、この薬を飲んでおけ。楽になるだろう。」
「薬持って来てたの?準備良いわね。」
「回復や治癒の手段はこの手の行動では必須だ。薬品を管理しているシーナさんに頼んで分けてもらった。」
「回復や治癒、か・・・。」

 フィリアは回復や治癒が主体の衛魔術の使い手であるルイを思い浮かべ、別の意味で気分が悪くなる。
アレンの心を掌握したルイは、自分のヘブル村への帰省に友人のクリスとアレンに同行を依頼した。自分の目が届かない今アレンとルイが新密度を高めて
いると想像すると、アレン達に強引にでも同行してルイを牽制しつつアレンを奪い返す方に向かうべきだったと後悔し、自分の帰省にかこつけてアレンを
連れ出したルイのしたたかさに腹が立つ。攻撃に大きく偏っているパーティーに聖職者が居ればと考えたこともあるが、ルイが加わることにはフィリアは
敵意と拒否感を覚える。

「あー!そんなのシーナさんと薬があれば十分よ!」
「?」

 フィリアの言葉の意味が分からないイアソンから、フィリアはコップを薬を半ば奪い取り、酸味がこびりついている口をゆすいでから薬を飲む。少し苦い
ものの、喉から胃にかけて通していくうちに爽快なハーブの香りが広がり、嫌な残留感を消去していく。

「食事はどうする?」
「この際だから食べておくわ。お腹空いて力が入らないってことになったら後悔しきれないし。」
「分かった。ちょっと待ってろ。」

 イアソンは荷物から料理器具とジンキン16)と干し肉を取り出し、鍋にストリーム17)で生成した水を注いで焚き火にくべる。1セム角のサイコロ状にカットした
ジンギンを湯が沸いた鍋に放り込み、続いて干し肉を一口サイズに切り揃えて鍋に入れて塩コショウで味を調えてから蓋をする。10セムほど後火から
下ろして、皿に盛り付ける。
 少しとろけるほど柔らかくなったジンギンと食べやすくなった干し肉が調和した、一風変わったスープが出来上がる。フィリアは少し警戒しながらスープを
口にする。口に含むとふわりと溶けるジンギンと干し肉の旨みが重なり、空になった胃に落ち着いた味わいを広げる。

「これ、美味しいわね。」
「消化の良いものが良いだろうと思って、手持ちの食材で作ってみた。」

 パーティーではアレンとシーナが多彩で高度な料理の腕を持つためやや隠れた存在だが、イアソンも十分な料理技術を持っている。長年反政府活動の
最前線で活動してきただけに、限られた種類の食材を一工夫して満足出来る味の料理を手早く作る技術は非常に高い。
 勢い良く食べるフィリアに安心して、イアソンも食事を始める。こちらは干し肉とパンという野宿ではオーソドックスなメニューだ。食感はあまり良くないが、
警戒が弱まる食事を手早く済ませるには、こうした保存食が最適だ。

「イアソン。やっぱり行くつもり?・・・この国の首都に。」
「ああ。王家の安否確認とより詳細な内情把握が主目的だが、悪魔崇拝者の脅威を排することが出来れば越したことはない。」
「安否確認と内情把握は兎も角、悪魔崇拝者を全滅させるなんて無理じゃない?国民の殆どが悪魔崇拝者になってるみたいだし、きりがないわよ。」
「悪魔崇拝者には必ずその力の源泉になっている悪魔が居る。そいつを叩けば一気に片付けられる。」

 悪魔崇拝者は高い攻撃力を得る代わりに、悪魔に精神も肉体も乗っ取られている。力の源泉である悪魔本体が倒されると全ての力の供給が完全に
ストップし、影響下にある全ての悪魔崇拝者が粉々に砕け散る。悪魔崇拝者本人は、悪魔との契約の際に熱烈な信仰心や悪魔崇拝に駆り立てた激情
−例えば大切なものを理不尽に失った怒りや憎しみ−で人間を凌駕する力を得ることをひたすら望む傾向があるため、自らを待ち受ける末路に気づく
余地はないのが哀れではあるが、悪魔崇拝者と悪魔の一体に近い関連性を突くことで、襲い掛かってくる悪魔崇拝者を地道に相手にするより効率的且つ
確実に撃退することが可能だ。

「どのくらいの悪魔が元締めになっているかにもよるけどな。」
「強い悪魔っていうと、どのくらい強いわけ?」
「そうだな・・・。ドルフィン殿が召還出来るアベル・デーモンっていう悪魔、憶えてるか?」
「確か・・・、犬の頭で真っ赤なローブを着た悪魔ね?」
「正解。その悪魔を自分だけで倒せるかどうかが1つの基準に出来るだろう。あれは中級の悪魔の一種と聞いたことがある。」

 フィリアはラマン王国に入って間もなく、ラマン教の「改革派」僧侶が実力を見たいと戦いを焚きつけてきた際に召還した悪魔を思い出す。対峙した
ドルフィンは難なく攻撃をかわして腹を拳一つでぶち抜いてあっさりと倒した。しかし、ドルフィンのように剣か魔法の一撃でアベル・デーモンを地に伏せ
させることが出来るかと言えば、大きな疑問符が付く。
 アベル・デーモンの攻撃は非常に素早く、見ているだけでも動きについていけなかった。誰の支援もなしにあの素早い攻撃をかわして、アベル・デーモンの
物理・魔法両方が高い防御力を超えてダメージを与えるのは至難の業だ。更に倒すとなれば全力を出すのは必須。それでも倒せるかどうかは疑わしい。
悪魔崇拝者を一気に倒すためとは言え、そんな強力な存在に対峙することも視野に入れるとなれば当然ある疑問がわく。

「そんな悪魔、倒せるの?」
「倒せるなら倒す。駄目と分かれば全力で逃げる。その二択だ。」

 馬鹿にしたような答えだが、悪魔が待ってましたと姿を現すとは限らない。人間にとって悪徳とされることが悪魔にとっては美徳だ。ひたすら忠実な僕を
差し向けて戦力を確実に消耗させ、確実に倒せる状態になったところで現れる、或いは捨て駒をぶつけ続けて「この程度か」と楽観視させ、油断しきった
ところで圧倒的な力の差を見せ付けに来るといったザギのような狡猾さが、悪魔にとっては堅実で賢明な思考と称賛される。
 元々人間とは完全に住む世界が異なるためその能力は不明なところが多い悪魔を、現れた時に倒せるかどうかは分からない。イアソンの言うとおり現れた
時に倒せるなら倒して悪魔崇拝者を一網打尽にして、倒せないと判断したらひたすら逃げるという極端な二択を前提にしておくしかない。

「生憎今のパーティーは物理攻撃力では高等な悪魔の防御力を敗れる可能性は低い。明確な弱点を効果的に突ける魔法攻撃が有効だ。そのためにも
フィリア。今はしっかり体力を回復しておくんだ。」
「あたしが頼りにされるのは嬉しい筈なんだけど、どうも素直に喜べないのよね・・・。」
「悪魔崇拝者を多く引き連れるレベルの悪魔を倒せば、称号上昇に必要な使用経験は飛躍的に増えるだろう。今後のことを考えると称号上昇で良いことは
あっても悪いことはないと思うが。」
「そりゃそうだけど、この陰湿なシチュエーションじゃあんまりやる気出ない・・・。」

 フィリアは感情を率直に表す外向的な性格だ。それは、自分を取り巻く環境や状況にやる気を左右されやすい傾向でもある。
夜でも落ちてきそうな低い雲が垂れ込め、これを突破すれば活路が開けるといった明るい展望が極めて見え難いこの状況では、フィリアのテンションは
どうしても低空飛行になってしまう。 カルーダ王国の魔術大学での研究生活には高い称号の方が総じて有利だし、魔術大学の学長もフィリアの年齢と
称号の良い方向での格差に好感触を示した。イアソンの言うとおり、フィリアは強力な悪魔を倒せる可能性を持つし、倒せば称号の上昇も十分期待
出来るが、喜び勇んで魔法を使うシチュエーションではない。町に踏み込んだ矢先に見せ付けられた衝撃的な光景が、フィリアの心を重くする足枷となって
尚も残存しているのもある。
 シンプルだが美味な即席ジンギンスープをほぼ食べ終えたフィリアは、胃が適度に満たされたことで安堵の溜息を吐く。その瞬間、強力な魔法の接近を
感じる。反射的にフィリアが結界を張り巡らせる。イアソンの結界と重なるように生じた結界の側面に猛スピードで何かが突っ込み、爆音と衝撃波を生む。
食事で緊張感が少し和らいでいたイアソンは、突然のことに齧っていた干し肉を吐き出しそうになる。

「何だ?!」
「かなり強力な魔法!あたしの結界で防げたけど、イアソンも結界を保って!」

 闇からの魔法攻撃が続く。そのたびにフィリアの結界に爆発が生じ、爆音と衝撃波を発する。魔法反応からしてフィリアと同程度の称号を持つ者による
ミドルからロングレンジの魔法なのは分かるが、種類までは分からない。今まで魔術書などで見聞きしたタイプではないことから、一般に使われる魔法系統
ではない可能性もある。

「イアソン。何か見える?」
「・・・白骨がローブを纏って浮いてるのが見える。奴か!」

 魔法を発した際に一瞬生じる赤紫色の発光で、魔法攻撃の主が闇に浮かぶ。腐食した肉が所々に付着する白骨のみすぼらしさとは対称的な、小さな
宝石を織り込んだ上質のローブを纏って空中浮遊しているのはワイトだ。

「久しぶりに新鮮なネズミを見たな。」
「「!!」」
「未だ我等が黒旗の下に集わぬ人間が居たとは驚きだが、無駄なことだ。」

 遠く離れているのに、悪寒を呼び起こす汚く濁った声がフィリアとイアソンの耳に届く。ワイトの遠隔発声18)は、見た目の気味悪さと相俟って2人に恐怖を
与えるには十分だ。

「その新鮮な肉体と心臓を、我等が将を讃える生贄としてやろう。」
「へ、変な冗談言うんじゃないわよ!!」

 フィリアは結界に向かって魔法が突っ込んで来た方角に向けて、高出力のエルシーアを照射する。周囲を包む闇を切り裂いて、バレーボールほどの光弾が
ワイトを直撃する。

「手応えあり!」
「光系のロングレンジ魔法か・・・。なかなかの術者だな、娘。」

 光弾を食らったワイトのローブが一部破損し、腐肉を伴う白骨がその隙間から露出する。ワイトの魔法防御力は高く、特に暗黒や毒の属性には完璧な耐性を
有する。しかし、フィリアが放ったエルシーアでダメージを与えた。ダメージを与えられれば倒せる可能性はある。

「匂いからして、貴様生娘か。」
「な・・・!」
「我等が将への生贄にはもってこいだ。」
「気色悪い奴ね!!あんた達にくれてやるものなんてあるわけないでしょ!!」

 悪魔が儀式の生贄に処女を好むと聞いたことはあるが、遠く離れたところから処女かどうかを識別されたことにフィリアの拒否感や不快感はピークに達する。
ルイへの対抗心も重なって、力魔術の魔力の源泉である闘争心が高まる。
 ロングレンジの攻撃に有効な対抗手段を持たないイアソンは、急速に高揚するフィリアの魔力を感じながら、周辺を含めた動向を窺う。ワイトは陽動で他に
主力が控えている可能性があるからだ。

「我が僕達よ!奴等を捕らえよ!」

 ワイトが白骨剥き出しの手で握るロッドを振りかざすと、ワイトの後方から黒一色の鎧に身を包んだ騎士が続々と闇から現れる。ダークナイトだ。フォンの実弟
ホークとナイキの夫婦を口封じに斬殺した暗黒の騎士は、同じく暗黒世界の住人であるワイトに従うこともある。物理防御に難があるワイトと違い、
ダークナイトは物理魔法両方の攻撃力も防御力も高い。ワイト以上の難敵が数十も現れたことはフィリアとイアソンを一挙に不利に追い込む。

「数と力で抑えるつもりか。」
「あんな変態に捕まってたまるもんですか!!あたしはアレンのものになるんだから!!」

 生命の危機であると同時に貞操の危機でもあると確信したフィリアは、呪文の詠唱を始める。

「イズ・ジャンジール・ダハラ・ヴィジュヌ!怒れ、炎の精霊達よ!その熱き力を我が元に集約させ、我が敵を灰燼に帰せ!ファイア・イクスプロージョン19)!!」

 結界に向けて突進するダークナイトの集団とその後方に回ったワイトを巨大な火球が包み込み、闇夜を引き裂く猛火を伴う爆発が発生する…。
 場面はランディブルド王国の首都フィルに移る。首都の中心部に位置するリルバン家邸宅では幾つかの動きがあった。1つは別館の取り壊し作業が
始まったことだ。
 ホークとナイキが次期リルバン家当主の座を狙い、その顧問としてザギの衛士(センチネル)が様々な謀略を巡らせて暗躍する舞台となった別館は、主を
一斉に失って住む者が居なくなった。他の貴族では当主の直系家族の他、次期当主の座を巡って水面下で激しい攻防を展開する傍系家族も複数同居して
いる。しかし、リルバン家は先々代と先代の事情と方針で先代の死去以降はフォンとホークとナイキしか居なかった。そして呆気ないと同時に哀れでもある
結末を迎えたホークとナイキの自滅により、リルバン家で現存する当主の血族はフォンただ1人となった。
 唯一の実子ルイは継承に関して態度を表明していないが、フォンはこれまで表明しているとおり今後正室も側室も迎えるつもりはなく、親子関係への
足がかりが出来たルイを正式に迎えるつもりで居る。ルイを迎えるにあたっても、ルイの命を狙ったホークとナイキの痕跡を残すことは不適切とフォンは
判断し、取り壊しを命じたのだ。

「別館はこの本館が竣工するまで、長らく本館として代々の当主が過ごされた歴史ある建物ですが、必然の措置でしょう。」

 解体の工事音を窓越しに聞きながら、ロムノは少ししんみりした口調で言う。
若かりしロムノも別館でリルバン家執事の道へと踏み出した。穏健派だった先々代と強硬派の筆頭格だった先代に仕える中、先代の在位中に新築された
本館に活動の場所を移した。その頃はフォンとホークの幼少時代とも重なる。自身の長い執事生活の歴史でもあり、まだ兄弟としての純粋な繋がりがあったフォンとホークの貴重な時代を刻んだ建物が取り壊されることには、やはり寂しい思いが否めない。
 執務室は主のフォンと右腕のロムノ、そしてドルフィンとシーナが居る。ドルフィンとシーナはフォンの招聘を受けて執務室を訪れ、来客用のソファに並んで
座っている。フォンは生活の多くを共にする執務用の机から離れ、ドルフィンとシーナの向かいに座している。ロムノは執事という立場からフォンが座る
ソファの脇に立っている。

「お二人に伺いたいことは幾つかある。」

 ロムノを介してではなく、フォンが直接話を切り出す。一等貴族当主であるがあまりルイに真正面から向き合わなかったことを、ドルフィンに批判されたことが
大きく影響している。ルイが不在の間に長く身につけて来た習慣を改善しようと、意識的に取り組んでいる。

「まず1つは…、今後の旅の行く先だ。アレン殿の父君を拉致したセイント・ガーディアンを追っていると聞いたが、行方は掴めて居るのか?」
「奴は、ザギは極めて神出鬼没であるが故、直接の消息はレクス王国以降一度も掴めていません。ですが、行く先々でザギが手を広げた明確な証拠が
あります。」

 ザギの脅威はその戦闘力より、巧妙かつ狡猾な策略や謀略とその影響力だ。
レクス王国では国全体の機能を掌握して、古代文明の遺跡調査や生物兵器の実験を敢行したし、ラマン王国では盟友関係にあるゴルクスと情報交換を
して、ラマン教の内紛に乗じてアレン達を分断してアレンの剣を奪おうとした。
 カルーダ王国ではゴルクスが支配的だったが、シーナはゴルクスに記憶を奪われていてその回復のためにドルフィンはゴルクスに身動きも満足にとれない
ほどの重傷を負わされたから、間接的にザギがパーティーの戦力を大幅に低下させたと言える。
 そしてドルフィンの治癒を妨げていた強力な呪術の解除のために海を渡って訪れたこのランディブルド王国では、ザギの衛士(センチネル)がリルバン家を
牛耳ろうとする動きを操っていた。ホークとナイキに恩を売ることでホークの当主就任以降継続的な資金供与を受ける目的と、「教書」の外典で言及されている
古代文明の遺跡らしい王家の城の地下神殿の謎を明かす目的があったらしいが、ザギが向かった方角にある隣国シェンデラルド王国の不穏な動きも
含めて、ザギが世界各地を飛び回って良からぬことを企てているのは明らかだ。

「フィリアとイアソンが潜入捜査を行っているシェンデラルド王国の状況にもよりますが、世界各地を回ればザギの尻尾を掴めるでしょう。」
「その行く先には、クルーシァとキャミール教の聖地ハルガンも含まれるのか?」
「その可能性は十分あります。特にクルーシァは本陣ですが故。」
「ふむ…。では、このことはルイの件で尽力いただいたお二人には伝えておいて良いだろう。」

 フォンは一呼吸置いて続ける。

「聖地ハルガンからの応答が途絶えているそうだ。」
「「!!」」
「事態が事態だけに、国王陛下と国の中央教会は一等貴族当主以外へは情報を伏せている。だが、聖地ハルガンはクルーシァに近い。クルーシァの異変は
私もお二人から聞いて初めて知ったが、クルーシァの異変の影響は十分考えられるだろう。」

 レクス王国などがあるナワル大陸とランディブルド王国などがあるトナル大陸のどちらからも同じくらい離れた南半球の外れに浮かぶ小型の大陸である
クルーシァの北に聖地ハルガンが位置する。聖地ハルガンは周囲を山脈に囲まれたクルーシァと同程度の大きさの大陸で、神が最初に降臨し、1人の天使に
自分の言葉を記録させた書籍を「教書」として神を忘れた人間に再び神を教えることを目的としてキャミール教を開いた場所として、「教書」の創世神話に
記載されている。その聖地からの応答が途絶えているとなれば、強大な軍事力を持つ近隣のクルーシァの影を疑うのが最も自然だ。

「我が国からの定期航路は事態の発覚を避けるため休止しているが、聖地ハルガンは我が国の海を越えた南、ソディック王国が最も近い位置にある。そこから
船を調達して向かうのが良いだろう。」
「分かりました。貴重な情報提供に感謝します。」
「礼には及ばぬ。もう1つ伺いたいことがある。…ルイのことだ。」

 ルイを持ちだした時点でフォンの表情が確かに変化する。今は一時帰還のためヘブル村に向かっているルイの今後は、フォンが最も気にかけることだ。

「お二人のパーティーが旅を再開するとなれば、アレン殿も当然我が国を出国するだろう。…そこにルイも加える方針か?」
「まずは私から見解を述べましょう。」

 ドルフィンからフォンの疑問に答える。

「まずパーティーの人事権はアレンが有しています。そのアレンとルイ嬢が親密なのは周知のとおり。単純に考えてアレンはルイ嬢をパーティーに加えて同行
させたいでしょう。」
「…。」
「次にパーティーの戦力面におけるルイ嬢の存在感です。パーティーは物理魔法両方の攻撃力は相応な高さですが、治癒や防御にはかなりの難が
あります。今後も大幅な能力の成長が期待出来るルイ嬢が加わることは、パーティーの攻守のバランスを適正化することに繋がります。アレンがルイ嬢を
加えることに反対する理由はありません。」
「ふむ…。」
「次は私から見解を述べさせていただきます。」

 続いてこれまで黙っていたシーナが口を開く。

「ルイさんの心境はやはり、アレン君の旅に同行したいということでしょう。ルイさんがヘブル村に戻るに際して親友のクリスさんに加えてアレン君に同行を依頼
したことは、自身の生まれ育った故郷と故郷に永眠するお母様を紹介したいという意思があってのことでしょうから。ルイさんは故郷に戻って聖職者の休職
期間−確かオーディション出場のために休職届を出していると聞きましたがその延長、若しくは辞職するかを選ぶと思います。」

 ルイにとって将来有望な正規の聖職者という看板は必須ではない。
信仰心が篤かった母の影響を受けたことと、教会の下働きとなることと引き換えに自分の戸籍を作ってくれた母に報いるために正規の聖職者への道に
踏み出した。母を亡くしてからも聖職者であること以外に生きる道を模索しなかったが、アレンとの出逢いで信仰以外に新たな幸せを見出したルイにとって、
アレンと一緒に居られる時間や機会を減らす聖職者の看板は足枷になりうる。
 聖職者はその名のとおり聖職、すなわちキャミール教では教会に所属していることが称号上昇の必須条件であるが、正規の職に就いていることは
問われない。となれば、アレンと行動を共にすることを優先するためにヘブル村中央教会祭祀部長の職を辞することを選択肢に含めることを躊躇わない
だろう。
 勿論ヘブル村のみならず王国の教会関係者は驚愕し、強く慰留するだろうが、決定するのはあくまでルイだ。強靭な意志を持つ、言い換えれば頑固な
ルイが一度方針を決定すれば転換させるのは容易ではない。

「好きな人と一緒に居たい、一緒に居られるならより多くの時間を持ちたいと思うのは自然なことです。それはフォン様も分かっておられることと。」
「…。」
「ルイさんとの信頼関係においては、率直に申し上げてフォン様よりアレン君の方が強く濃密です。ルイさんを説得するのであれば、まずフォン様は、
ルイさんとの意思疎通を積極的に行うことが肝要です。ルイさんが一介の外国人に過ぎないアレン君に強く惹かれる原因も分かると思います。」

 アレンとルイが短期間に強い愛情と信頼が結わえる関係を構築したのは、滞在中のホテルにおける密なコミュニケーションがあったことが大きい。
互いに第一印象で好感を持たれやすい外見なのは間違いないが、それだけで愛情や信頼が強まることはない。ほぼ毎日3食、同じものは殆ど出ない料理を
複数揃えるために、アレンとルイはそれぞれが持つ料理の知識と技術を発揮し、教え合うこともしながら共同作業を行う中で育まれたものだ。
 フォンがルイの信頼を得るには、接点からして少な過ぎる。信頼関係が不十分なところで心配や不安を連呼しても相手には届かないばかりか自分を干渉
すると感じて敬遠し、溝をより深くしてしまう。年頃の、しかもオーディション予選で圧倒的多数の票を得て本選出場権を獲得するだけの美しさと正規の聖職者
ならではの気品を併せ持つ娘の行く末を案じるのは自然なことだが、信頼関係の構築なくしてルイの心をリルバン家に向かわせることはあり得ない。
 親になることとは、単に子どもをもうければ完了というものではなく、子どもとの信頼関係を基に子どもを指導出来るように自分を高めることだ。フォンは一等
貴族当主としての自覚を就任前から絶え間ない研鑽で高めて来たが、親としての自覚は不十分なままルイを自身の後継に据えるためにリルバン家に迎える
ことを先行させている感が未だにある。フォンの親としての日々はまだ始まったばかりだし、親になるためにルイとの信頼関係を構築することが先決だと
ドルフィンとシーナは思う。
 長年培ってきた意識を改革することは決して容易ではない。だが、無理強いすればそれこそルイは何ら躊躇わずにリルバン家との断絶を選ぶだろう。
アレンがルイを有望な聖職者やましてや一等貴族のただ1人の後継候補という看板なしで接し、同じ時間を過ごす中で幾度も言葉を交わして信頼関係を
熟成していったように、フォンも一等貴族当主の看板なしでルイとの信頼関係構築に向かう必要がある。
どの王国関連の法律書にも掲載されていないそれは、おそらくフォンにとって最も難しいことだろう…。

用語解説 −Explanation of terms−

15)悪魔が本来住む世界である魔界や地獄:悪魔が生活する世界が魔界で、生前に重罪を犯した人間の魂に悪魔が責め苦を加えるのが地獄。

16)ジンギン:ジャガイモに似た根菜の一種で、加熱することで容易に水に溶ける。作中のようにスープやお粥代わりに使われる。

17)ストリーム:Novice Wizardから使用出来る最も初歩的な水系魔法の1つ。大気中の水分を凝縮して水流にして指先から噴き出させる。威力は弱いが
火系の魔物には有用。乾燥地帯では井戸を掘る代わりに生活用水の捻出に使われることも多いポピュラーな魔法でもある。


18)遠隔発声:所定の位置の空気を振動させて相手に音声として認識させる特殊技能。器官としての声帯を持たない精霊や悪魔が人間などに自分の意思を
伝える手段として用いる。


19)ファイア・イクスプロージョン:対象周囲の分子運動を強制的に増幅し、集約した火炎と魔法エネルギーと融合させて一気に解放する力魔術の1つで、
火系・光系・破壊系の属性を有する。Enchanter以上で使用可能。


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