Saint Guardians

Scene 10 Act 1-4 旅路-Journey- 訪れる夜、迎え撃つ闇

written by Moonstone

 膝丈ほどの草が覆うなだらかな斜面を吹き抜ける風に、心地良い冷気が混じり始めてきた。
ランディブルド王国北部に位置するヘブル村へ向かうアレン達は、夕暮れ色が昼間の明るさを飲み込み始めたところでドルゴを止め、3日連続となる野宿の
準備をする。
 半日ほど東に進んだところに町があるし、人間の往来が繰り返されることで出来た、辿っていくことで町や村に着ける比較的安全な平地もあることは比較的
安全な平地往路で国土を縦断してきたクリスとルイは知っているが、アレン達はあえて町や平地から離れている。夜間になると活性化する傾向が強い魔物に
襲撃される危険を冒してでも町や平地から距離を取るのには勿論理由がある。
 アレン達が最後に宿を取ったピリスの町の2日目に、明らかにアレン達を見る人々の視線が変貌したのだ。好奇だけではない。下品な欲望を露骨に示した
ものに。無数の金貨を生み出す希少かつ巨大な宝石を目にした人々が欲望の涎を滴らせる視線を一身に浴びたのはルイだ。元々人目を惹く美しい容姿の
持ち主だが服装は地味だし、目立つ言動を取ることはない。しかし、本人が望まずとも置かれた立場は富や名誉に飢える者達の見る目を変えるには余り
ある。物心つく前から迫害の日々を過ごし、自身の立身出世と共に蔑視や敵視が羨望と欲望に変化していく過程も目の当たりにしているルイは向けられる
欲望の視線には敏感だ。
 ルイが怯えた様子を見せたことで、アレンは即刻町からの脱出を決めた。逃げ出さなければならないような後ろめたいことがあるわけではない。だが、ルイを
危険や欲望に晒したくない。そんなアレンの強い意志にルイは勿論、クリスも逆らう筈がない。
 以来続く風呂ともベッドとも縁のない、限られた食材を自分達で料理して食し、テントの中で毛布に包まって身体を休めるという生活はしかし、アレン達に
とって何ら抵抗はない。アレンはこれまでの旅で何度となく野宿を経験してきた。宿に止まれることの方が珍しかった。クリスとルイも往路で野宿をすることが
あったし、高い自立を求められる生活を幼少時から続けてきたルイは、自分で動かずして生活環境が用意されることの方が違和感を覚える。

「おー、バッシュやんか。」
「量がある方がクリスには良いだろうと思って。」

 料理器具を手近な草で拭いながら、アレンが言う。ルイは3人分の料理−クリスは1人で2人分か3人分はある−を3人で囲むように並べる。
料理の腕は自他共に認めるアレンとルイが力を合わせれば、味の心配は不要だ。昨日倒したブーブリが2人の手で食欲をそそる匂いを立てる料理に変貌
したことで、クリスは更に空腹の度合いを強める。3人が焚き火を囲んで夕食が始まる。切り分けて口に含んだバッシュは、たっぷりの旨味を口いっぱいに
広げる。

「流石はルイとアレン君や!美味い料理作るなぁー!」
「たくさん食べてね。」

 旺盛な食欲を見せるクリスを、ルイは嬉しそうに見つめる。自分が手がけた料理を見るからに美味そうに食されれば、料理を作った者は十分満足する。
 クリスの見ていて気持ちが良いほどの食事の様子を受けて、アレンとルイもそれぞれ料理に手をつける。宿とは違って食卓も椅子もなければ、料理を載せる
以外に見た目の華やかさも併せ持つような皿もない。そんな食卓だが、至れり尽くせりとは無縁の生活を続けてきたアレン達には何も不満はない。
 特に普段の家事一切を幼い頃から自分で遂行する必要があったアレンとルイは、持ち合わせの食材と調味料を組み合わせて作った料理を、料理を載せる
という最小限の役割のみ果たす皿に載せて食事をすることは、普段の生活の延長線上に過ぎない。むしろ、昼の明るさが急速に消えて夜へと移り変わる
ダイナミックな光量の変動や、太陽に代わって空に輝き始める星を見ながらの食事は、普段では味わえないロマンを感じさせる。

「食事終わったら、あたしが片づけするわ。」

 早くも大盛りのバッシュを平らげたクリスが言う。

「ルイが張った結界の中やったら、何処に居っても大丈夫やろ?」
「ええ。私の結界を上回る攻撃だとそうもいかないけど。」
「今のルイの結界破れるなんて、セント何とかいう連中くらいやないと無理やて。」

 ルイの聖職者の称号は司教補だ。同年代の聖職者では抜きん出て高く上昇速度も大幅超過しているが、中の上クラスのEnchanterの称号を持つフィリアや、
三大魔術師称号の1つであるIllusionistのドルフィンや魔術師の最高峰Wizardのシーナと単純に称号の段階で比べると、ルイはやや見劣りする。
しかし聖職者の場合、魔法の効力や魔力の高低を如実に示す結界の強さは、必ずしも称号に比例しない。心の持ちようで飛躍的な上昇が起こりうるし、
本来多大な魔力消耗で生命の危険すら現実のものになる高レベルの魔法も難なく使いうる。
 ホークとその顧問だったザギの衛士(センチネル)の策略に次ぐ策略で絶体絶命のピンチに陥ったアレンを、顧問やその配下の集中攻撃から完全に護り
きったのは、他ならぬルイだ。更に、事態収束後の緊急手術の最中から丸々1週間殆ど飲まず食わずの不眠不休でヒールを使い続け、アレンの治癒を大幅に
加速させたのもルイだ。
 人を助け護る強い意志にアレンという特定の異性に対する愛情が加わったことで、単純な称号の段階からの検証ではありえない魔法効果や威力が発揮
されたことは、晴れてアレンと両想いであることを確認し合って交際を始めた今のルイに期待出来ない筈がない。現に結界の威力が非常に強いことは、
賢者の石を左手甲に嵌め込んでいるアレンには十分察知出来る。

「アレン君とルイの邪魔せんように、端っこでちまちま片付けしとくわ。」
「邪魔って・・・。」
「あれ?そやったら、あたしが真正面で羨ましそうに見とってもええん14)?」
「それは・・・。」

 邪魔者扱いはしないが、交際中の異性と2人きりで居たい気持ちは勿論アレンにもある。2人きりで居る最中に目の前で羨望を交えた視線で見つめられては
ムードも何もあったものではない。

「そういうことやから、あたしはその辺で片付けしとくわ。勿論、何か結界の外で動き感じたら伝えるで。」

 アレンを軽く冷やかしたクリスは、国の重要人物と言っても過言ではないルイの護衛中であることを忘れては居ない。ようやく1人の年頃の少女として生きる
時間を持てるようになったルイに力で干渉しようとするなら、一切の容赦や躊躇はしないつもりで居る。

「んじゃ、おかわり頼むわ。」
「はい。」

 クリスから空になった皿を受け取り、ルイはフライパンからもう1つのバッシュを取り出して盛り付ける。クリスのアレンへの冷やかしの余波を受けて、食後に
アレンと2人きりになれると意識し始めたことで、その表情から期待感や高揚感が滲み出している。
長年ルイと共に生きてきたが、クリスはルイのこんな表情を見た記憶はない。それだけにルイにはリルバン家継承問題も視野に入れつつ、まずは自分の
幸せを十二分に噛み締めて欲しくてならない・・・。
 賑やかで和やかな食事が終わり、クリスは食器と料理器具を持って闇の中に消える。宣言どおり後片付けを一手に担い、アレンとルイの邪魔にならないよう
席を外すためだ。皿は料理の品数を反映してさほど多くないが、料理器具は大小さまざまで軽量素材で作られていない、文字どおり鉄の塊だからかなりの
重量だ。しかし、クリスは見た目からは想像し難い腕力の持ち主だ。食卓となったテント前と片付けの場所を2回くらい往復が必要なところを、1回でいとも
あっさりと運んでしまう。クリスの依頼で皿や料理器具をバランス良く載せたアレンは、クリスの腕力に感嘆しつつルイの隣に腰を下ろす。
 やや雲は出ているものの、空には色と輝きの大小が異なる星が無数に煌いている。周囲にはネオンサインや人家はおろか街灯もないし、人気もない。
カップルの語らいの場面には絶好のシチュエーションだ。
 密着して座ったアレンとルイは、互いに手探りをする。指先が触れ合った瞬間2人は顔を見合わせる。同じことを考えていたのだと分かって照れ隠しの
笑みを浮かべて互いの手を取り合う。傍目にはかなりじれったいが、これまで異性と交際する機会がなかった2人は、距離感もひたすら手探りだ。相手より
優位に立とうという妙な駆け引きがない分、好感が持てても嫌味にはならない。

「2人で料理を作るのって・・・楽しいですね。」

 口火を切ったのはルイだ。

「教会で食事当番をすることはあったんですけど、人数の都合上複数で分担してましたから、純粋に2人で作ることはなかったんです。」
「教会って何人くらい居るの?俺の国だと・・・村全体で50人は居なかった。」
「町村によって異なりますけど、正規の聖職者はヘブル村だと東西の地区教会で70名くらい、中央教会で120名くらいは在籍しています。」
「やっぱり多いんだね。」
「非正規の方も含めるとその2倍くらいになりますから、食事の用意は大仕事なんですよ。」

 数十人単位の料理を用意するのは、下ごしらえから始めると−この世界にはレトルト食品という便利なものはない−大量の食材を所定の大きさに切って
必要なものは灰汁抜きをして、ようやく加熱調理の段階になったら大きな鍋やフライパンを複数同時に稼動させて火加減を確認しながら持ち運びする必要に
迫られる。それはもはや一括大量生産と言うべきレベルだから、会話を楽しみながらとはいかない。
 自分も必要に迫られて初めて厨房に立った時はおぼつかない手つきであれこれ失敗した経験を有するアレンは、職業で大人に混じって同じように料理も
仕事として身につけていったルイの境遇と、その中で技術や知識を獲得していった過程が決して他人事とは思えない。

「俺は父さんと2人きりの生活だったけど、料理も含めて仕事って意識はあんまりなかった。覚え始めたら、手持ちの食材をどうすればどんな料理が出来る
とか、あの料理を作るには手持ちの食材からどこまで出来るかとか考えて試すようになって、それが結構楽しくて。」
「手持ちの分で工夫して料理するのって、なかなか難しいですし、楽しいですよね。」

 料理経験を積んでいくと、ある料理を作るために必要な食材や調味料をレシピに忠実に揃えることから、手持ちの食材や調味料から目標の料理に出来る
だけ近づけたり、食材と調味料の組み合わせから料理の味が想定して実現する段階へと移行する。所謂「ありあわせで作る料理」という範囲の料理だが、
これが出来るようになると使い切れずに腐らせる危険が大幅に減少し、棚や保管庫−我々の世界では冷蔵庫も含む−をあまり使わないもので占められる
ことも少なくなる。その段階に移行するには個人差はあるが、ある程度の回数様々な種類の料理をこなす必要がある。それは学校の家庭科や趣味の延長
線上にある料理教室に通う程度の頻度でそうそう身につくものではない。
 趣味や娯楽が少ないこの世界において共通事項を見出すのはそれほど難易度が高いことではない。しかし、何処まで突っ込んだ話が出来るかという
知識や技術の水準まで共通であるかとなると、誤差を含めて一致する範囲にある可能性や難易度は高くなる。アレンとルイが急接近したのは、半ば軟禁
状態だったホテル滞在中に自分達を含めた5人分の料理を1日3回用意したことで、料理に関して相当高いレベルで話が出来ると分かり合えたことが大きな
要因だ。
 突っ込んだ水準の料理の話−例えば我々の世界で言うと金平ゴボウを作ろうとした時、ピリッとした辛さを赤唐辛子ではなく中華料理で使う機会が多い
豆板醤(とうばんじゃん)で代用したり、ゴボウが無ければ季節によっては固めに処理した大根やふきで代用したりといった話が出来るとなれば、盛り上がる
のは必然だし、価値観の深いレベルでの共有が可能と分かることで心理的距離感が大幅に縮まるのも必然だ。
 アレンとルイは、それぞれ日々の生活で必要なこととして身に着けて経験を蓄積してきたことが、好意を抱いた異性と結びつける大きな要因になったことを
感じて、偶然というものは日々の地道な蓄積があって生じる必然の一形態なのだと思う。

「ホテルでの料理作りが終わってもリルバン家の厨房の一部を借りて料理してるから、生活の一部になってるのかもしれないね。」
「そうですね。料理をしないとどうも落ち着かない気がするんですよ。」
「俺も同じだよ。注文したら料理が出されることが続くと何か物足りないっていうか・・・、何もしなくて良いのかなって思う。」

 生活する上で衣食住は欠かせないが、中でも「食」である食事は何らかの手段で調達しなければ行き着く先には餓死が口を開けて待っている。
必要に迫られてしかも日常の一部として毎日経験を蓄積していると、料理では「ありあわせで作る料理」が出来るようになるあたりから、料理をしないと手持ち
無沙汰感を覚えることがある。日々の生活費を得るために職業に就いている人がある日宝くじなどで一生働かなくて済む大金を得られたとしても、全ての
人が今の職を辞して遊民生活に移行すると断言せず、「小遣い稼ぎ」などの理由で働き続けると回答することが多いのと似ている。日々の仕事で様々な
不満や苦労を抱えていても、生活を構成する要因を「しなくて良い」条件が出揃ったら即切り捨てることに想像が及び難いものだ。
 また、料理では外食するにしても「何もしなくて良い」と解放感を覚える一方で、自分で食材を調達して料理する時間とコストを総合して飲食店のメニューの
価格と比較して、「この料理のこの味でこの価格は割に合わないのでは」と感じるようになると、「料理が大変」という言い分にまで疑問を抱くようになる。
「料理が大変」であることは否定しないし、日々料理をしていれば商い用にローテーションを組んだり、それに必要な品数を問題なく作れるようになるまでに
かなりの経験を積み、日々料理を手がけていないと簡単に腕が落ちると分かっているから否定する要素は少ないが、「料理が大変」であることを理由に責任や
負担を逃れることに対して、「単に他人に負担を負わせて自分が楽をしたいだけではないか」と懐疑的になるのだ。

「アレンさんのお父様は、例えばアレンさんの誕生日にアレンさんに代わって料理を作ることはありましたか?」
「なかった・・・かな。少なくともここ数年は記憶にないよ。父さんが朝から畑仕事で家のことは俺が担当するっていう分担が、暗黙の了解になってたから
だろうね。」
「収穫の時期は力仕事が特に多くて大変でしょうし、アレンさんに任せておけば大丈夫だとお父様が信頼されていたんですよ。」
「信頼・・・なのかなぁ。」

 アレンは苦笑いする。
フィリアの両親を含む近所の住人を招く若しくは出向いての食事会や宴会で、アレンは村の料理人の存在を脅かす腕前と持て囃されつつ料理やつまみを
作らされた経験が何度もある。居合わせたアレンとほぼ同年代である住人の娘には、話の流れや酒に酔った勢いで「お嫁さんにしたい」とやはり何度か
言われた経験もある。それは信頼もあるだろうが、幾ばくかの小遣いを与えれば色々作らせることが出来る便利屋と思っていたのではないかと複雑な心境だ。

「料理を任されることは、この人に任せれば美味しい物が安全且つ確実に食べられるという信頼があるからですよ。」

 ルイの断言は的を得ている。料理は作る者がその気になれば簡単に特定若しくは多数を毒殺出来る音のない強力な凶器と化す。見た目何も悪そうに
見えないのに食べた対象を苦悶に喘がせながら絶命させるのは、本人のみならず居合わせた周囲を一瞬にして恐怖と絶望の底に叩き落すには十分だ。
日本内外の歴史を見ても毒殺は暗殺の一手段として幾度も使われているし、それを防ぐために要人の食事には毒見や厳重な審査をパスした専任の
料理人が担当する仕組みも存在する。
 その観点からも、料理の根幹をなす食材を輸入に依存することは、国民多数を毒殺させる権利を相手国に白紙委任するも同然であることが改めて分かるし
−中国発の「毒ギョーザ」事件やそれ以前からの残留農薬など枚挙に暇がない−、食料の輸入推進一辺倒の政治家や政党や団体が声高に叫ぶ「安全保障」
なるスローガンの底が知れるというものだ。

「私は・・・、アレンさんからそういう信頼を得られるようになりたいです・・・。」
「それって・・・。」

 ルイの言葉に、アレンは言外に含まれた結婚の意志を感じ取る。
散々フィリアの手を焼かせた鈍さ−当人に自覚がないことが更にフィリアを苛立たせたのは何とも皮肉−のアレンに、婉曲的な意思表示が伝わる可能性は
期待しない方が良い。ルイはそういった事情を踏まえた駆け引きの意図からではなくストレートに意思表示をしただけなのだが、それが逆にアレンに率直に
伝わり、心を大きく揺り動かす。
 アレンはルイとの結婚が嫌とは思わない。安定した生活が確信出来るなどの打算がない分、純粋に「一緒に暮らしたい」という願いの延長線上にあるものと
して結婚にある種ロマンチックな夢を描いている。自分を1人の男性と認め、頼ってもくれるルイとの結婚が、アレンの描く結婚という夢の登場人物に
相応しくない筈がない。

「この国での問題が解決したら・・・、父さんを探す旅を再開するつもりで居るんだ・・・。」

 沈黙の時間が緩やかに長く流れた後、アレンが口を開く。

「父さんに会った時に・・・、ルイさんに会ってもらえると・・・嬉しい。」

 ムードをこめた言い回しではないが、自分の唯一の肉親に紹介したいというアレンの意思は、ルイの意思表示に対する肯定にはなっても否定には
ならない。

「アレンさんがお父様とお会い出来る場面に・・・立ち合わせていただきたいです・・・。」

 闇に隠れてはっきり見えないが、ルイは緊張と高揚で頬を赤らめている。アレンも父ジルムに紹介したいことにルイが承諾したことを感じ取って胸を
高鳴らせている。
互いの意志が確かに向き合っていると実感するアレンとルイは、照れくささで無意識に俯き加減だった視線を互いの顔、否、瞳へと向ける。大きく澄んだ瞳は
闇の中でも星の煌きを受けて微かな輝きを放っている。そこに映るのが自分の顔だけだと分かれば、恋愛感情は急速に高まる。
 アレンとルイは自分の顔を捉えた互いの瞳に引き寄せられるように、顔を少しずつ近づける。アレンの手を握るルイの手に力が篭る。このまま顔を
近づければ実現するキスという行為を受託する意思を感じ取ったアレンは、ルイを離さないように更に近づけようと右手をルイの腕に伸ばす。

「アレン君!ルイ!何か来たで!」

 キスに向けてアレンとルイが瞳を閉じかけたところで、クリスの叫び声が割り込みをかける。
一気に甘い恋愛のひと時から強制離脱させられたアレンとルイは、驚きと怒りで混乱しつつも迎撃体制を整える。アレンはルイをかばう形で剣を抜いて
身構え、ルイは結界を更に強化すると共に交戦に備えてアレンとクリスにかける補助系魔術の選択に着手する。
 主に北の方角から、複数の影が接近してくるのが分かる。数人ではない。数十人規模はあろうかなりの大群だ。賊か刺客かは不明だが、ルイを護るために
手段は選ばないし結果は問わないとアレンとクリスは強く決意している。張り詰めた緊張感の中、近づいてきた軍勢から話し声らしき物音が微かに聞こえて
くる。

「・・・か・・・ショ・・・、・・・の・・・な・・・い・・・、わ・・・色・・・テー・・・。全・・・。」
「・・・一致・・・。」
「ちがいない。・・・とク・・・、・・・だ。」

 どうやら髪の色や髪型で目標を識別しているらしい。そんな情報が流れているとなれば、3人は臨戦態勢を強めなければならない。

「全員、警戒態勢解除!!外周以外は速やかに武器を仕舞え!!」

 攻撃開始と思いきや、闇を切り裂いた命令の大声は武装解除を指示するものだ。3人は何が起こったのか理解出来ない。

「クリス殿!そして・・・ルイ様!私です!分かりますか?!」
「その声は・・・、もしかしてジェバージ師団長か?!」
「はい!ヘブル村駐留国軍第1師団長、アルディス・ジェバージ大尉以下第1師団第1大隊120名です!」

 声の主とクリスとのやり取りから、接近してきた軍勢は賊や刺客ではなくヘブル村駐留国軍、しかもクリスとルイにかなり近い人物のようだ。
3人の警戒を解くために、軍勢が次々と松明を灯して顔を明らかにする。声だけでなく顔も確認出来たことで、クリスとルイは警戒を大幅に緩める。

「アレン君。あの軍団は敵やない。身内みたいなもんや。」
「ヘブル村駐留国軍って言ってたのは聞いたけど・・・。」
「ヘブル村駐留国軍の第1師団長とその第1大隊。あたしの父ちゃんが派遣軍やった頃から父ちゃん直属の部下やっとる、言わば懐刀や。」

 クリスの父ヴィクトスが指揮官を務めるヘブル村駐留国軍は2つの師団で構成される比較的小規模な編成だが、卓越した能力で一兵卒から佐官に昇格した
叩き上げの軍人らしく、配下の部下はヴィクトスに近いものほど高い戦闘力を誇る。数年単位で異動する派遣軍と各町村で生まれ育った男性を主体とする
常駐軍から編成されるヘブル村駐留国軍の中で、ジェバージ大尉を師団長とする第1師団第1大隊は、ヴィクトスと共に全国を渡り歩き、ヴィクトスがクリスの
母と結婚してヘブル村に根を下ろしたのを契機に常駐軍に衣替えした、ヴィクトスの側近だ。

「よくぞご無事で。」

 松明で照らしながら結界ギリギリまで近づいてきた軍勢は3人に、厳密にはルイに恭しく敬礼する。

「どうしてジェバージさん達が此処に来たんや?」
「オーディション中止の報告を受けて、ヴィクトス中佐から皆さんのお迎えに向かうよう直々に命令を賜り、捜索していたのです。」
「!・・・父ちゃん、尾行させとったんか・・・。」

 クリスはやられたと察し、渋い顔をする。クリスとルイは往路の段階からクリスの父ヴィクトスの命令を受けたヘブル村駐留国軍の監視下にあったのだ。
そうでなければ、通信手段がごく限られているこの世界において、オーディションが終了ではなく中止であることを首都フィルにある国軍幹部会からの伝令より
先に把握し更にルイを護衛させるために懐刀を直々に出迎えさせることなど出来ない。ヴィクトスが一兵卒から中佐にまで昇格したのは、戦闘力が高いこと
だけが理由ではないのだ。

「じゃあ・・・、ルイのことは知っとるんやな?」
「はい。ですが、我々が賜っている命令はあくまで『ルイ様と護衛2名を安全にヘブル村まで曳航(えいこう)せよ』のみです。他の軍よりは確実かと。」
「父ちゃんには敵わへんなぁ・・・。」

 父ヴィクトスの戦略が自分よりはるかに上を行っていると察したクリスは、渋い顔で深い溜息を吐いて頭をかく。
素性も行動経路も完全に把握されていると分かれば、逃げ回るより護衛の命令を受けて派遣されてきたヴィクトスの懐刀に護衛を委任する方がはるかに確実
且つ安全ではある。

「どうするー?ルイ、アレン君。父ちゃんからは多分逃げられへんよ。」
「折角来ていただいたんですから、護衛をお願いしましょう。・・・アレンさんはどうですか?」
「当事者のルイさんが良いなら、俺は異議なしだよ。」

 やや投げやりな物言いのクリスに、ルイは普通どおりに、アレンは観念した様子でヘブル村駐留国軍による護衛を承諾する。
恋愛ごとでは鈍いアレンだが、戦闘など安全に関わる範疇ではそれなりの状況分析や判断が可能だ。クリスとジェバージ大尉とのやり取りから、アレンも
自分達の素性や行動が全てクリスの父ヴィクトスの手の内にあることや、自分達の行動に無闇に干渉しないと誓約していることを把握している。
ドルフィンやシーナのような圧倒的な戦闘力があるならまだしも、実力不足を自覚しているアレンがルイの安全を第一に考えるなら、2人きりでムードを高める
機会よりヘブル村まで安全に護衛される方を選択すべきであることも分かる。
 剣と剣が火花を散らし、魔法がぶつかり合うような目に見えて分かる戦闘は戦争や日常の表面化した一部に過ぎず、真に「強くなる」ことへの道のりは険しく
遠く長いのだと改めて痛感させられる。

「んじゃ、頼むわ。」
「承知しました。今宵は此処でお休みください。護衛を開始します。」

 やはり少々投げやりな物言いのクリスに立腹することなく、ジェバージ大尉をはじめとするヘブル村駐留国軍は改めて敬礼し、アレン達の護衛に着手する。
軍勢はジェバージ大尉の命令で素早く散開し、やや遠巻きだがルイが作る結界に攻撃が容易に達しない隊列を形成する。希少な叩き上げ佐官の長年の
直属部下らしい即応力だ。
 ジェバージ大尉とその側近らしい数名の兵士も隊列に加わるため、アレン達からは松明の明かりで判別出来る程度の距離まで離れている。先ほどまでの
ような絶好のシチュエーションは望むべくもないが、ルイの安全が身元確かな軍隊によって保障されるのだから文句を言うべきところではない。

「クリスのお父さんって、凄い人物なんだな。」
「色々とな。どうも単なる陽気な酒飲みオヤジやあらへんみたいや。」
「クリス、小父様のことをそんな風に言うものじゃないわよ。」
「んなこと言うてもさぁ・・・。何かこう、釈然とせんのよ。」

 クリスの言いたいことはアレンも分かる。
ルイを護ってヘブル村へ入ろうと意気込んでいたところに、状況把握と分析ではるかに先を行く身内から確実な安全保障の話が誓約付きで舞い降りて
きたのだ。話を避けるのはルイを賊や刺客から護るより困難な様相だと十分理解しているし承諾もしたが、意気込みに水を差されたモヤモヤ感は拭えない。
だが、その話を受け入れることでルイの安全はより確実に保障されることになったのだから、不満に思うべきか喜ぶべきか複雑な心境になるのは致し方ない。

「ルイさん。こんなこと聞くのは失礼かもしれないけど、あの人達の身元は確実?」
「はい。ジェバージさんはクリスのお父様に長年仕えておられる方で、ジェバージさんが指揮する駐留国軍第1師団の幹部の方々はクリスの家に出入りされて
いることもあって、私もよく知っていますし身元は確かです。」
「その点やったら間違いあらへん。第1師団の第1大隊は父ちゃん指揮下で鍛えてきた直属の部隊そのままやからな。」
「クリスのお父さんの側近の部隊・・・。まさに懐刀だね。」

 120名と言うのは簡単だが集めるのは容易ではない。30人学級で言えば4クラス分だから、中規模の学校なら1学年全体に相当する規模だ。更にそれだけの
人数を確実に同じ方向に動かすとなれば、相応の人心掌握とその背後にある信頼や能力が要求される。国軍幹部会や他の町村の駐留国軍を出し抜く
形で、しかも長年自分が直接指揮して動かしてきた120名もの人員を丸ごと護衛とすべく直接命令して差し向けたのだ。
 クリスの父ヴィクトスの大胆な決断は、クリスと同様にルイを自分の娘としてその安全を確実に保障しようという意図が窺えるし、アレンはフォンより
ヴィクトスの方を義理の父と認識なりする必要があるかもしれない。ルイを踏み台に金満や怠惰な安寧を求めると見なされれば、娘に汚れた手で触れる
不届き者としてその場で斬り捨てられる可能性すらある。ルイやクリスから聞いたヴィクトスの話からは、そういう想像も容易に出来る。

「フォンさんよりあたしの父ちゃんの方が、アレン君には難敵かもしれへんなー。」
「な、何言い出すんだよ。」
「父ちゃん、結構強いでー。」

 アレンの心理を見抜いたかのように、クリスはアレンを軽く揺さぶる。
この程度でアレンが尻込みしてルイから撤退するとは思えないが、万が一撤退するようならその程度の気持ちなのかとアレンを見切らざるを得ない。長年
ルイを護り共に生きてきたクリスは、安易な気持ちの男性にルイが翻弄されることは到底容認出来ない。

「俺は真剣だから・・・逃げたりしない。」
「そうやないと、あたしも困るわ。あたしがルイを嫁さんにしたいくらいやのに。」
「クリス・・・。」

 何やら本当の願望が感じられる言葉で締めくくったクリスに、アレンとルイは思わず苦笑いする。イアソンと並ぶムードメーカーらしい話術か、元々の飄々と
した性格ゆえのことかいまいち分かりかねる。
 いずれにせよヘブル村へのルイの帰還に向けて安全保障が確実になったのだから、ひとまず交代での見張りも必要なくなり、安心して寝られることに感謝
すべきだろう。人家も街灯もない漆黒の闇が支配する町や村の外では、何時何が起こるか分からないのだから・・・。
 所変わってシェンデラルド王国。
越境して最初に発見した町に近づいたフィリアとイアソンは、無造作に開け放たれて警備の兵士1人も居ない正門脇で突入準備をしていた。

「気配が全然ないわね・・・。誰も居ないとか?」
「誰も居ないか、気配を殺しているか、或いは気づいていないか。・・・その三択だな。」

 フィリアは悪魔をはじめとする暗黒・毒属性の魔物に有効な炎や光系の魔法で出来るだけ強く且つ連続使用が出来るものを選び、イアソンは殺傷力の強い
爆弾を複数個左手に握り、直ぐに白兵戦に移行出来るように右手で剣の柄を握る。悪魔崇拝者からは暫く音沙汰がないが、町に無防備に入った他人を
即座に抹殺すべく息を潜めている可能性がある。悪魔崇拝者の力の源泉になっている−肉体も精神も支配しているのだが−悪魔やその配下の魔物も
同様だ。
 悪魔崇拝者は数に任せての攻撃が主体で戦闘経験が十分にあるフィリアとイアソンには最初のインパクトが払拭出来ればさほど苦戦する相手では
なかった。しかし、悪魔やその配下の魔物は物理・魔法両方の攻撃力と防御力が高い。殺すか殺されるかの二者択一で迷わず前者を選択する心構えで
ないと、その場で八つ裂きにされるか生贄の儀式の供え物にされるのがオチだ。
 空の色が大きく変わる時刻を過ぎ、闇が急速に濃くなってきている。闇は悪魔などが活性化する時間であり舞台でもある。突入したら一気に町を制圧する
くらいの勢いでないと反撃を受ける危険性がある。

「俺が最初に突入する。フィリアは結界を維持して後から入って、気配を感じたら直ぐに魔法を使え。相手の生死は不問だ。」
「分かった。」

 そこそこの規模の町から人の気配が一切感じられないのは、町が既に悪魔崇拝者や悪魔の手に落ち、本来の住民は全て捕らえられたか殺されたかの
どちらかであると考える方が自然だ。自分に向かって来る相手を識別している時間が命取りになる危険性は十分ある。「向かって来るものは敵」と見なして
抹殺するつもりでないといけない。
 緊張感が最高潮に達する中、イアソンが行動を開始する。フィリアも結界を維持しつつ後に続いて町に突入する。フィリアとイアソンが踏み込んだ町は
しかし、予想とは裏腹に何の「歓迎」もない。人気のない町並みだけが連なるいたって静かな風景だ。2人は前後左右の他、頭上にも注意を配分する。しかし、
何処にも気配は感じられない。

「何も・・・居ないみたいね。」
「・・・住人は全滅したようだな。」
「え?」

 聞き返したフィリアに、イアソンは黙って近くの民家のドア付近を指差す。
闇が深まる一方なのにドアは半開きだ。これだけでも無用心と言うに十分だが、そのドアには明らかに血と分かる赤い液体が付着している。改めて周囲を観察
すると、民家のドアや壁に大小の血溜まりが存在している。半開きのドアから外に漏れ出している形のものもある。明らかに住人に対する攻撃があったと
考えるのが自然だし、十分な戦闘力を持っているとは考え難い上に相手が攻撃力と数で圧倒的な悪魔崇拝者やそのはるか上を行く魔物や悪魔が相手と
なれば、全滅したと考えるのがやはり自然だ。

「何が居るか、何が出てくるかは分からない。それにこれから夜が本格化する。悪魔連中にとっちゃあ、好都合ばかりが出揃う。」

 イアソンはライトボールを使用して自分達を照らす。通常より魔力を多めに消費することと引き換えに明かりを強めている。
これまでの経験から、悪魔崇拝者はライトボールの明かりや焚き火の火も非常に恐れることが分かっている。苦手とする光を強めて自分達を照らしておけば、
いきなり大群に囲まれる危険性は減少する。闇に隠れて行動するというのは人間しか居ない場合に適用出来る技だ。闇の中での行動は暗黒属性を有する
悪魔やその支配下にある魔物や悪魔崇拝者の方が格段に優れている。特段の理由がない限りわざわざ不利な条件を背負うことは自殺行為でしかない。

「フィリア。差し迫った場合は手持ちの一番強い炎系魔法を使え。可能な限り広範囲で。」
「それって・・・つまり・・・。」

 イアソンの指示が、町全体を焼き払うことも視野に入れるものだと察したフィリアは言葉に詰まる。だが、この町が全滅したのはほぼ確実で、悪魔崇拝者
などの根城になっているとすれば、住人の弔いも兼ねて町全体を焼き払うこともやむをえない。
 これまでのところ、悪魔崇拝者が積極的に野営を行うことは確認されていない。野営をするほどの知識や知能が喪失している可能性もあるが、拠点となる
住処、すなわち今は空き家になっているらしい民家を焼き払うことは悪魔崇拝者の根城を奪うことにも繋がる。話し合いなどまったく通用しない相手だ。
躊躇いは自分の死に直結するのだとフィリアは改めて強く自分に言い聞かせる。

「・・・分かったわ。」
「手近な家に突っ込んで様子を見る。・・・準備は良いな?」
「・・・うん。」

 フィリアの意志を確認して、イアソンは左手方向の家の一軒に狙いを定め、突進する。フィリアは若干の迷いを感じながらもイアソンに続く。
イアソンは半開きになったドアを勢いよく開けて突入する。その瞬間、ライトボールの明かりで照らされた家の中の光景を見て絶句し、瞬時に固まってしまう。

「どうしたの?!イアソン・・・!!」

 続いて突入したフィリアは、イアソンの背後からライトボールに照らされた光景を見て絶句し、同じように凍り付いてしまう・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

14)ええん:「良いのか?」という確認を含む念押しの表現。方言の1つ。

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