Saint Guardians

Scene 9 Act 4-2 一歩-First step- 大きく開けよ、次への扉を

written by Moonstone

 東へ進むにつれて、立ち寄る町の雰囲気が明らかに悪い方向へと変わっていくのを感じる。フィリアとイアソンがこの日訪れたライラの町は、同じ国の町、
それも国を挙げて開催される祭典の最中とは思えない陰気で重い雰囲気を、正門前から見える中央通の景色から感じる。
 まず人数が極端に少ない。正門に近い位置は物流と人の出入りの出発点となるため、多くの店や市場が正門近くに集中する。まだ夜間照明46)が現実的で
ないから夜に活気がある場所は酒場やカジノくらいのものだから一般市民の動きを観察出来るのは主に昼に限られる。フィリアとイアソンが到着した時刻は
11ジム過ぎ。まだ昼過ぎで太陽は高い位置にある時間帯だ。しかし、中央通には殆ど人影がない。逆に兵士の姿が目立つ。これも東に進むにつれて変化
してきたものの1つだ。

「何か・・・暗いわね。」
「かなりシェンデラルド王国に近いからな。まだ兵士も居ないゴーストタウンになってないだけましだ。」

 暗い雰囲気が苦手なフィリアは町から立ち込める暗い雰囲気に少し眉をひそめるが、イアソンは戦場が近づいていることを全身で感じて表情は真剣
そのものだ。
 2人が町に入って程なく近くに居た兵士達が駆け寄ってくる。これまでより殺気立っているのが分かる。若干怯むフィリアを背にしたイアソンは即座に越境
許可証を提示して見せ、越境と潜入はフォンの勅命でもあると補足する。兵士達はあまり見ない越境許可証を最初は訝るが、国王とフォンのサインと押捺が
あるのを確認すると、構えていた武器を引っ込めて敬礼する。

「失礼いたしました。どうぞご利用ください。」
「ご勤務お疲れ様です。」

 通常とは異なるが国賓待遇の自分達に疑いを向けたことをイアソンは少しも責めず、敬礼して労わる。
兵士達は強力且つ悪質なテロ集団の襲撃に日夜備えて緊張感が張り詰めているのだ。何者か分からない者がふらふら進入してきたら即刻迎撃態勢を
執らなければ自分達の生命を危うくする極限状況に置かれることの厳しさは、かつて反政府組織の諜報活動の最前線に居た経験を持つイアソンは十分
分かるつもりだ。

「駐留軍司令官殿にお会いしたいのですが、謁見は可能でしょうか?」
「はい。司令官は役場に居られます。ご案内しましょうか?」
「いえ、自分達で行きます。皆様はご勤務に専念願います。」
「ご配慮に感謝します。」

 兵士達の再度の敬礼を受けて、イアソンは正門脇のプラカード・インフォメーションを見て正門と役場、更に主な店舗と宿の位置関係を素早く把握し、戸惑う
フィリアを引き連れて役場に向かう。悪魔崇拝者の襲撃に備えて町中が厳戒態勢にあるような町を観光旅行に訪れる世間知らずはまず居ないから、宿の
確保は後でも十分間に合う。まずはシェンデラルド王国により近いからより詳しいであろうシェンデラルド王国の現況や悪魔崇拝者の動向、被害の状況などを
把握して行動に反映させることが先決だ。

「人、住んでるのかしらね。」
「少なくとも夜間の外出は禁止されているだろうな。」

 夜間照明がないことは夜間の動きを隠匿する大きな助けとなる。深夜どころか24時間営業している店舗も多い日本やアメリカなど昼夜の境界が不明瞭な
国で深夜或いは24時間営業の店舗が防犯上一定の役割を果たしていることは、明るい場所での犯罪遂行を躊躇させる抑止効果の表れだし、一般に
未成年の夜間外出が非行に近いと指摘されるのも、深夜徘徊が犯罪を誘発する因子を孕んでいることの表れだ。内戦の只中にある国や権力者同士の衝突
若しくは権力者と国民が激しく対立する国で度々夜間外出禁止令が発令されるのは、夜間に人の動きを把握し辛く、所謂「治安維持」に不適切だからだ。
 更にテロやゲリラ活動、諜報活動の多くは夜間に準備・遂行するのが通例だ。昼間に人通りの多い場所で凶器を振り回したり自爆テロに乗り出したり
するのは、爆弾など殺傷力の高い武器を容易に入手出来たり−内戦中の国での武器の入手は食料より容易−武器保持規制の法律が甘かったり−銃器
所持が国民の権利とされるアメリカを見れば一目瞭然−常識の欠如があるためで、治安が一定の水準に達している社会や国では夜間の行動は疑念を生む
ものだ。
 シェンデラルド王国に近いランディブルド王国の町村の場合、悪魔の力を行使出来ることで攻撃力・防御力共に高く、殺人や略奪は当然で放火や毒を撒く
ことも厭わない悪質なテロ集団である悪魔崇拝者が何時なだれ込んでくるか知れぬ危険と隣り合わせだ。夜間の人の動きを抑えられるところは極力抑え、
それ以外は不審者として迎撃態勢を執れるようにしておかなければ、自分達の生命の危険は勿論、町村が壊滅に至る恐れもある。外敵から町村と人々を
護る役割を担う軍隊であれば、外敵との対峙に専念するための処置を執るのは当然だし、そのために最低限夜間の外出禁止は施行するとイアソンは容易に
推測出来る。
 フィリアとイアソンは中央通を歩いて行く。普通なら観劇の歓声や特売の人垣で賑わう筈が、人気は殆どない。店は開いているが開店休業状態だ。
偶に手提げ袋をぶら下げた人々と出会うが、誰もがいそいそと必要な買い物だけを済ませて立ち去っていく。これでは町の人々から情報を得るのは
不可能だ。
 町の中心部に達して程ないところに役場はある。此処が防衛の拠点とされているらしく、兵士の数が一際多い。イアソンは越境許可証を提示して兵士の
警戒を解き、役場に入る。受付で改めて越境許可証を提示して駐留軍司令官の居場所を尋ねると、最上階の3階にある大会議室を紹介される。司令官は
町長など町役場の幹部と共に連日詰めているらしい。
 イアソンは緊張感にいまいち慣れないフィリアを伴って3階に向かい、大会議室のドアをノックする。応答を受けてイアソンはドアを開き、入室すると
同時に越境許可証を提示する。

「国王陛下の許可を賜り、シェンデラルド王国への入国を許可されたイアソン・アルゴスとフィリア・エクセールでございます。」
「ライラの町へようこそ。話は伝令を介して聞いている。私はライラ町駐留国軍指揮官ギキール・オンディス大佐だ。」

 フィリアとイアソンの越境許可は緊張感が高まっているこの町にもしっかり伝達されている。ここからも、フィリアとイアソンのシェンデラルド王国への潜入を
スムーズにすることと、あわよくば事態打開を望む国王などの意向が感じられる。

「早速ですが、幾つか窺いたいことがございます。今よろしいでしょうか?」
「うむ、良かろう。」
「ご配慮に感謝します。」

 このような場面では、初対面でも臆せず話術に長けるイアソンのような存在が非常に重宝される。イアソンは最初に質問の個数を提示して、簡潔に質問
する。予め回答するべき箇所が絞られているから、ギキール大佐も回答しやすい。質問とその回答は次のとおりだ。

 −悪魔崇拝者の侵攻状況は−
このライラの町まで迫っている。時々攻撃を受けている。悪魔崇拝者の勢力は一向に衰える兆しがない。ライラの町より東はほぼ悪魔崇拝者に壊滅させられ、
国軍は撤退して一般人の生存者は脱出している。中央部以西の町村に受け入れを打診しているが、シルバーカーニバル真っ盛りなのもあって受け入れ
先が現れないので町村近くに避難用キャンプを構築している。

 −悪魔崇拝者は魔法を使用してくるか。聖水は有効か。
魔法を使う者と使わない者が居る。力の源泉である悪魔の階級によって異なるらしい。威力は強くはないが数が多いのと魔法防御の概念が自国では薄い
ので、大きな被害を受けやすい。聖水は極めて有効だが供給されても直ぐに枯渇してしまう。兎に角数が足りない。

 −町での物資補給は可能か−
可能だが、食料品や医薬品は少ないし兵士や民間人への分が不足しているから最小限にとどめて欲しい。武器防具類は十分ある。この先物資補給はまず
不可能だと思われる。その理由は殆どの町村からは壊滅の報告があったし、連絡が途絶えている町村もあるからだ。特に規模の小さい村は駐留国軍の数が
元々少ないから、存続は望み薄だと考えた方が良い。

「−質問は以上です。ご回答ありがとうございました。」
「情勢は非常に深刻だ。この先の行動には注意されたい。」
「ありがたきお言葉。この度のご協力への感謝に、私の仲間も懇意にしていただいているリルバン家を通じて、関係諸氏に皆様への物資援助を依頼します。」
「それはありがたい。」

 イアソンの申し出にギキール大佐は元より、同席していた町の幹部は一様に表情を明るくする。
戦争でなくとも生活物資、特に食料と医薬品は大量に確保しておいて損はない。この世界ではまだ医薬品の工業的生産は行われていないし、食料はバイオ
テクノロジーがもてはやされる我々の世界においても安定量の供給が難しい重要な物資だ。これらの物資の供給が絶たれれば、一般市民の生活は勿論
兵士の活動維持はたちまち不可能になり、生命が惜しければ撤退しか選択肢はなくなる。
 逆に物資供給ラインに臨時でも追加供給がなされることは大きな支援となる。物資補給に割く手間や時間を極力省いて悪魔崇拝者の迎撃と町の防衛に
専念したい駐留軍としては、物資補給の申し出は天の恵みだ。兵站支援と戦争行為は密接な関係にあり、「戦争行為が行われていないから戦争行為への
加担ではない」などの主張は、ミリタリーマニアでなくとも戦争や国家・社会体制の維持の基本を知っていればおよそ吐けない戯言だ。「平和ボケ」とはこの
ような言葉を平気で口に出来るか、それを何の疑いもなく「テロとの戦い」「安全保障」の枕詞を伴わせて信じ込み流布する勢力にこそ向けるべき批判である。

「伝令の手は不要です。」

 ギキール大佐などが伝令を手配する前にイアソンが制して、背負っていた大型のリュックから籠に入ったファオマを取り出す。

「此処に到着するまでにファオマを入手しました。既知でしたら失礼ですが、ファオマには人間の言葉を記憶して忠実に反映する能力があります。更に
主だった障害のない空を飛びますから、情報の高速伝達が可能です。」
「おお・・・。何とも手際の良い。」

 ギキール大佐や町の幹部は一様にイアソンの機転の良さに感嘆する。
ファオマはレクス王国があるナワル大陸ではよく使用されているが、ランディブルド王国やシェンデラルド王国があるトナル大陸ではあまり普及していない。
イアソンは現地からの情報伝達手段として、途中でファオマを探した。
 数が少ないため探すのに手間がかかったし、ファオマも生物だから当然食事もすれば排泄もするから世話が大変だとフィリアは消極的だったが、イアソンが
説得して入手した。フィリアは改めてイアソンの情報戦能力の高さに感心する。

「この国の東部には大規模な穀倉地帯があると聞き及んでおります。食料や税金の減収がより現実味を帯びるとなれば、関係諸氏も無視出来ないものと。」
「貴殿の言うとおりだ。貴殿は我が国の情勢をよく把握している。」

 偶然シルバーカーニバルの最中にこの国を訪れたという−首都にある国軍幹部会からの伝達でフィリアとイアソンの素性は知られている−外国人とは
思えないイアソンの認識に、ギキール大佐は思わず身を乗り出す。町の幹部も驚きを隠さない。
 困難に直面している現場で活動している者にとって、その状況に共感−同情とは異なる−を得られたり、支援の申し出を受ければありがたいし、「所詮は
外国人」「何処の馬の骨とも知れぬ者にそんな許可を出すとは」などのフィリアとイアソンへの否定的な見方を一挙に突き崩すことへも繋がる。無論イアソンは
口先だけで支援依頼の申し出や国情を口にしたのではない。食料が重要な戦略物資という国家運営における基本且つ必須の認識を有しているから自然と
言っただけだ。

「穀倉地帯も悪魔崇拝者供に侵食されている。この町もそうだ。特に小麦の二次栽培が出来ないと来年以降の主食価格が大暴騰する恐れがある。」
「食料価格の高騰につけこんだ一部商人や二等三等貴族による買占めや、それに伴う政情不安の危険性も考えられます。」
「まったくそのとおりだ。現に西部地域に小作地を持つ二等三等貴族供が大量買付けを目論んでいるという情報がある。」
「一部商人による食料買占めの動きは既に西部地域で表面化している。この先状況改善が見込めないと判断してのことだろう。」

 ギキール大佐に町長が苛立ちを露に続ける。
二等三等貴族やその座を狙う富裕層には、国情不安は財産確保・拡大のチャンスとなり得る。国家間の戦争或いは内戦状況の国家でしばしば「死の商人」と
称される武器商人が暗躍することや、戦時に自身の言い値で幾らでも高価に品物を売りつけることで富を成す文字どおりの成金が出現するのは、国情
不安につけこんだ狡猾な商業戦略だ。
 特に国防・軍事の分野は機密保持や国家防衛を錦の御旗とすれば些細なことでも隠蔽出来る。世界第1位と第2位の軍事大国であるアメリカと日本で巨大
軍需産業が政界に食い込み、巨大な軍事利権を形成しているのもそうだ。当然国家予算に関連することだから税金の浪費を温存・拡大するだけだが、
税金を我が資産と信じて疑わない政治家や財界などはそんなことなどお構いなしに軍事利権に群がる。
 更に食料は長期保管が可能なものなら保管場所を確保すればその分保管出来る。この世界では冷蔵装置などせいぜい氷をどれだけ詰め込めるかを競う
程度の水準だから、肉や魚など生鮮食料は最初から度外視して、原材料の状態で長期保管可能な穀物や一部の野菜に照準を絞れる。それらはどれも
人々の食卓に並ぶものだから、確保すればするほど利益を生む可能性を高められる。人間は食べなくては生きていけないから、交渉で相手が渋っても
食料が絡んでいれば「この食料を売らない」と言い出せばたちどころに黙らせることが出来る、言い換えれば絶対的優位に交渉を進められる。
食料自給率が低下する一方の日本で食糧輸入が国策として推進され、その背後に多国籍企業が存在するのは、国民多数に対する兵糧攻めを国策として
推進しているのと等価だ。その一方で「愛国心」や「郷土を愛する心」を唱えるのは笑止千万の一言に尽きる。
 ギキール大佐や町長など町の幹部は、イアソンの指摘を待っていたかのように二等三等貴族や商人の食料買占めへの批判を口にする。
二等三等貴族は1人あたりの税収から見れば高額を納めている「上客」だ。しかし、それを逆手にとって雇用をないがしろにしたり、町の評議委員会の
メンバーとして産業振興や開墾にまで口を挟んでくる、それも自分の利益や財産をいかに増やすかを露骨に出しての干渉も憚らない二等三等貴族やその
仲間入りを狙う富裕層に、町村の人々だけでなく駐留国軍や町の幹部も少なからず反感を抱いている。国情不安を他所に−彼らは早々に脱出している−
一方で国情不安に乗じて更に私腹を肥やそうとする二等三等貴族や富裕層の動きは、置いてきぼりにされた人々からは勿論のこと、地主が逃げ出した後も
食料生産手段の確保のために彼らの土地を護らなければならない駐留国軍や町の幹部の怒りを買うには十分だ。
 イアソンは人々の怒りの声を受けながら、支援を要請したい物資を聞き出す。話の流れから、「物資不足が表面化する自分達の現況に耳を傾けてくれる」
「自分達の意見を反映させようとしている」とイアソンに対する好感情を生じさせる。イアソンは反復して確認すると共に頭の中で整理する。やはり食料と
医薬品が必要で、聖水もあれば助かるというものだ。

「−なるほど。これらは深刻且つ迅速な対応が必要な課題ですね。」

 二等三等貴族や富裕層への批判から要望をひととおり聞きだしたイアソンは、確認を込めて頷く。

「皆様のご要望、しかと賜りました。ご要望は国防最前線に携わる方々からの切実なものである、とリルバン家を介して関係諸氏に伝えます。」
「ありがたい。お2人の無事と任務遂行を神に祈る。」
「我々も引き続き町を護る。くれぐれも悪魔崇拝者供には注意してくれ。」

 ついには期待と激励一色になった大会議室を、イアソンとフィリアは後にする。
イアソンは役場から出たところで再びファオマを取り出し、要望を受けた物資の緊急支援の依頼と西部地域の穀倉地帯壊滅の危険性が急速に高まっている
こと、シェンデラルド王国から侵入する悪魔崇拝者から国土と穀倉庫を護る現場が窮乏していることを簡潔且つ明瞭に聞かせる。ファオマは人間の言葉を
正確に表現出来るが、記憶容量には限度がある。理由や背景をつらつら長々と語って肝心の情報がファオマの記憶容量オーバーで伝えられないのでは
話にならない。
 イアソンはファオマを空高く放つ。ファオマは状況を反映するように黒い雲が東から低く垂れ込めてきている空に舞い上がり、勢い良く西へ飛び去っていく。

「これで良し、と。さて、武器類の捜索だ。」
「爆弾はたくさん作ったじゃない。まだ他に要るものってあるの?」
「俺の武器にもなる剣とナイフ類は、持てる限り携帯していく。それらも遠距離攻撃に使えるからな。」

 これ以上何を買うのかと訝るフィリアに、イアソンは購入理由を説明する。
爆弾は殺傷力を限界まで高くしているが、当然数に限りがある。多数に襲撃されてフィリアの魔法だけでは手に負えない場合に限定して使うべきであり、
相手が比較的少数なら剣や武器を投げつける手段が使える。
 これまでの情報から、悪魔崇拝者は鎧や盾を装備しておらず一様に不気味なほど黒いローブを着用していること、攻撃手段は悪魔の力を行使しての
ナイフなど短剣に一本化されていることが分かっている。防御力は高いが剣が効かないわけではないことも分かっているから、いきなり飛んできた刃物に
十分な対策が出来るとは考え難い。刃物はそれ単独でも十分凶器になるが、それなりの腕で投げつければ有効な飛び道具となる。槍は突きと共に投げる
ことにも指向を強めた結果の武器であるし、長さも重さもかなりある槍の複数所持や運搬は困難だが、剣やナイフなら割と多数持ち運び出来る。この先補給
場所はないと考えた方が良いから、攻撃手段は出来る限り増やしておくに越したことはない。

「剣やナイフって、イアソンは投げられるの?」
「『赤い狼』時代から訓練してきた。ドルフィン殿には劣るが、それなりに飛ぶぞ。」

 刃物が飛んでくることはかなりの脅威になるし先制攻撃に有効な手段だから、諜報活動の最前線に居た時代に訓練を重ねてきた。場所をランディブルド
王国に移してからは、意気投合したクリスとの合同トレーニングで、体力の抜本的な強化と共に武器類の遠投の訓練もこれまでの短剣やナイフから一般の
ロングソードに拡大した。イアソンはドルフィンほどではないが、体力も腕力もかなり高い。更に吸収も早いから習得は比較的容易だ。
 フィリアとイアソンは宿を確保して荷物を置き、早速武器類の調達に赴く。武器がないことには戦闘は出来ないから武器類は比較的潤沢だ。イアソンは
1本1本刃の切れ味を吟味して入手していく。魔法と結界で攻撃と防御を行うフィリアは短剣も上手く投げられないから、イアソンについて回って荷物持ちの
一部をするに留まる。

「それにしても、イアソンって話し上手で聞き上手よね。」

 短剣やナイフを一抱えほど入手したところで、フィリアが言う。

「役場でも最初は事務的だった司令官や町長とかが歓迎一色になったし、今も細かい情報を聞き出してるし。」
「需要があってこその供給だからな。それに物資不足は前線継続の常だ。自分達が情報を得たなら相手の需要にもそれなりに応じる。利益至上主義じゃない
商売の基本だ。」
「そういう・・・交渉術って言うの?それってやっぱり『赤い狼』時代に取得したわけ?」
「元から口は達者な方だし、諜報活動の遂行にせよ理論家揃いの中央幹部と張り合うにせよ、場数を踏めばそれなりに上達するさ。」
「イアソンって、ドルフィンさんとは違うタイプだけど戦争のプロだよね。」

 ドルフィンは鍛え抜いた肉体を武器防具にして押し寄せる敵を蹴散らすのに対し、イアソンは策を巡らせて巧妙に敵の裏をかく。ドルフィンがイアソンに
一目置いていることや、敏腕執事のロムノに認められたことも納得がいく。

「かと言って、俺に惚れるなよ?俺はリーナ一筋だからな。」
「あんな性格の悪いウェストのない女なんてイアソンにくれてやるわよ。あたしはアレン一筋だからご心配なくー。」

 それぞれの想い人への想い入れを言い合ったフィリアとイアソンは笑みを浮かべる。今まで慣れない緊張の連続に落ち着かない様子だったフィリアの心が
解れる。これも緊張の継続に対する耐性が低いフィリアを気遣ったイアソンの話術によるものだが、フィリアは気づかない。
 武器の調達を終えたフィリアとイアソンは宿に戻り、物資を確認した後今後のスケジュールを話し合う。事態が切迫していることから、この町で1泊して以降は
野宿でシェンデラルド王国に乗り込むことで合意に至る。
鉛色の雲が低く垂れ込める東の方角で待ち受ける、悪魔崇拝者が跋扈しているであろうシェンデラルド王国はもう間近に迫っている・・・。
 場面はランディブルド王国の首都フィルの町、リルバン家邸宅に移る。
フォン自らによるルイへの接見の申し入れとルイ自ら受託の意思が伝えられた日の翌朝、ルイはアレンと共に中庭に出る。接見はこれまでとは違って執務室
ではなく中庭で行われる。やはり心の何処かに不安や疑念が残って消えないことから、ルイはアレンに付き添いを依頼してアレンの快諾を得ている。
ルイの服装は初の接見時とは違って普段着だ。決して華美ではそれは、一等貴族当主とではなく自分の実父である男性との接見に臨むルイの意思の表れ
でもある。
 少し待つと、フォンが姿を現す。こちらは腹心のロムノなど執事を伴っておらず、単独だ。服装はこれまでのようにかしこまったものではない。こちらも一等
貴族当主としてではなく、実質15年目にして初めて対面する実の娘との接見に臨もうとするフォンの意思が窺える。
 接見の主役が揃ったことで、アレンはルイに目配せして席を外す。カップル成立に至ったルイへの想いや、先行してルイから直接母の最期を看取った
辛さや悲しさを聞いたことから、アレンはフォンがルイに自分が父だと名乗り出ることには今も乗り気ではない。だが、ルイの意向を最優先したいことには
変わりない。それに攫われた父を探す身として、父と対面することを少し羨ましく思う部分もある。アレンは事前のルイとの約束どおり、専用食堂で接見の
終了を待つ。先に待っていたクリスと違い、アレンは接見への不安から表情が幾分硬い。だが、双方が直接接見の意思を表明して合意に至った以上は
口出しする権利もないしする気もないから、黙って待つしかない。
 ルイとフォンは黙って向き合う。ルイの長い銀色の髪が微風に吹かれて少し浮き上がる。それはフォンの記憶を呼び覚ます。

「同じだな・・・。その長い銀の髪は・・・。」
「母と・・・、ですか?」
「うむ。ローズ・・・君の母は使用人として日々働いていたから普段は束ねていた。だが、解いた時に流れ落ちる髪は、本当に美しかった・・・。」

 懐かしげにフォンが語るローズの過去。そこからはローズへの想いと瞼に焼き付いている面影の印象強さが感じられる。
ルイの記憶に生きるローズも髪が長い。教会の下働きだったからやはり殆ど束ねていたが、数少ない解いた時の印象は今尚強く残っている。ルイが髪を
伸ばしているのは、ローズと同じ色の髪を母と同じように伸ばしたいという意思が絡んでいる。

「あのピクタの木・・・。」

 フォンはルイの後ろを指差す。その先には「教書」にも登場するピクタの大樹がある。

「私は君の母と・・・1枚のドローチュアを作成してもらったのだ。」

 フォンは懐から1枚のドローチュアを取り出し、ルイに見せる。年月の経過の割に色褪せが少ないドローチュアには、若かりし頃のフォンとルイの記憶とほぼ
完全に一致するローズが並んで微笑んでいる姿が描かれている。ルイは初めて見る母の面影を残す証拠の品に、驚きと感慨が入り混じった表情で食い入る
ように見詰める。

「そのドローチュアは・・・、私と君の母とのこの世に2つしかない思い出の品だ。」
「もう1つとは・・・?」
「君から託された指輪だ。」

 フォンはやはり懐から、緻密な彫刻がなされた台座にダイヤが輝く指輪を取り出す。ルイがフォンとの初めての面会でフォンに渡した、母の形見でもある
指輪だ。
 あの面会では、自分を娘としてではなく一等貴族当主後継候補として見ていると感じての怒りや悲しみに耐えられなくなり、ルイは指輪を外してフォンの
前に置き、自ら退室することで面会を強制終了させた。母が死の間際に託した願い−自分の再会の願いは叶わなかったがせめて指輪だけでもフォンの元に
戻りたいという願いを叶えることだけは忘れなかったから出来たことだ。
 その後指輪がどうなったかルイは知らなかったし、フォンがどう扱うのか知ろうともしなかった。だが、フォンは指輪を携えて来た。フォンから渡された
ドローチュアと新たに差し出された指輪を、ルイは何度か交互に見る。ドローチュアに描かれているのは紛れもなく母ローズとフォン。10代後半か20代前半と
思われる若い2つの顔は、どちらも幸せそうに微笑んでいる。
 一等貴族当主の長男と一介の使用人との愛。「身分を越えた愛」「禁じられた愛」などと言えば聞こえは良いが、身分や階級が強大な壁となる階級社会に
おいて引き裂かれる可能性が高い。更に、一等貴族の当主後継候補であれば、その身分や権限を武器に目をつけた使用人やメイドを手篭めにすることなど
造作もない。
二等三等貴族においてもそのような事例があるのだから、隆盛がある二等三等貴族とは違って脈々と受け継がれる伝統を誇る一等貴族なら、表に出ない
若しくは出されないだけで多分にあると考えられる。だが、母とフォンは確かに同じ時間を生きて、確かな感情を育んでいたのではないか?
ルイの心の中で疑念を伴いながらも確信が強まっていく。
 ルイとフォンはピクタの大樹の傍に歩み寄る。そこはフォンとローズが昼間人目を盗んで逢瀬を重ねていた場所でもある。

「君の母ローズは・・・、強硬派の先代が取り仕切るリルバン家において、献身的に確かな仕事ぶりを発揮していた・・・。私の愚弟とその妻の陰湿な嫌がらせ
にも決して屈さなかった・・・。ある日私はその不屈の精神の源泉を彼女に尋ねた・・・。」
「母は・・・何と・・・?」
「与えられる試練は神に耐えうる資質があると認められたからこそのもの。厳しければ厳しいほど神が自分を愛しておられる証拠。・・・彼女はそう答えた・・・。」

 フォンが示した回答は、母が口癖のように語った言葉だ。
入信前、まだ戸籍を持たなかった頃村の子ども達に苛められて泣いて帰ると、母は自分を優しく抱き締めながらこの言葉を繰り返した。
入信して厳しい修行と絶えぬ苛めの日々を生き抜けたのは、下働きとして自らの人生を教会に捧げる代わりに自分を戸籍に登録させた母の強い信念と、
母から繰り返し聞いたこの言葉があったからだ。母から伝え聞いた言葉はやがて自分の糧となり、血と肉となって1つの大きな結実に至った。
 その母が死の間際に初めて語ったフォンやリルバン家との関係。母からは指輪を託されてリルバン家を脱出させられる際に、何時か自分がリルバン家
当主になった時に自分と愛し合った証拠となると語ったと聞いている。だが、2人の名前と愛の言葉が台座の内側に刻印された指輪を提示しても、「記憶に
ない」と白を切りとおせばそれで終わらセルことも可能だ。ルイの中に生じた確信に付随する疑念が、根底から揺らぐ。

「貴方は・・・母を・・・ローズ・セルフェスを・・・愛していますか?」
「愛している。」

 一言一言噛み締めるようなルイの問いに、フォンははっきりと答える。その答えはルイの心に重く深く響く。

「私が愛する女性は・・・過去も現在も・・・未来も・・・ローズただ1人だ・・・。」
「・・・その言葉を母が聞けたら・・・どんなに喜んだでしょう・・・。」

 こみ上げる涙を堪えながら、ルイは空を見上げる。空に浮かぶ雲に微笑む母ローズの面影が重なる。

「母が・・・ヘブル村に入った時には・・・私を身篭っていました・・・。」
「・・・。」
「貴方は・・・知っていましたか・・・?母から・・・聞いていましたか・・・?」
「否・・・。一言も聞いていない・・・。ローズも・・・一言も・・・言わなかった・・・。」

 ローズはルイを身篭ったことを知っていながらフォンに明かさなかったのは間違いないようだ。その理由は何なのか、今となっては知る由はない。

「一等貴族の座など・・・欲しくはなかった・・・。ローズと共に暮らせるのなら・・・リルバン家を出ることは当然だと考えていた・・・。だが・・・、ローズが深夜に愚弟の
妻に襲撃され・・・、寝間着の胸ポケットに入れておいたこの指輪が凶刃を防いだが・・・、先代への嘘の報告で・・・、私はローズを明朝までに我が手で殺める
よう迫られた・・・。私には・・・ローズを殺すことなど出来ない・・・。だが、私が殺めなければ先代が処刑すると言われた・・・。当時私の顧問を務めていた現在は
筆頭執事のロムノの提案・・・、ローズを秘密裏にリルバン家から脱出させ、偽りの処刑官僚の証拠を提示することで戸籍を抹消させ、愚弟やその妻の追跡を
絶つことを・・・受け入れた・・・。他に妙案が思いつかなかったが故に受け入れざるを得なかった我が無能が・・・今でも悔やまれる・・・。」
「・・・。」
「その後急逝した先代が何故か後継者を指名していなかったために・・・私がリルバン家当主に就任した・・・。その直後から手を尽くしてローズを探した・・・。
全国視察も・・・ローズの捜索を兼ねてのことだった・・・。」
「・・・では、ヘブル村に来られた時に迎えの列に立っていた私を・・・。」
「見つけた・・・。顔を見ることは叶わなかったが・・・、案内役の村の中央教会総長殿から・・・君の名前を聞いた・・・。私の中で大きな確信が生じた・・・。ルイという
名は・・・ローズが女の子を授かったらつけたいと常々語っていたものだったからだ・・・。その名が登場するウッディプール王国の神話で先人達の飢えと渇きを
満たし、新たな世界の夜明けを齎した朝の雫のように・・・人々の心に潤いを齎す存在になって欲しいと・・・。」

 アレン達に語ったことと同じ過去の話をルイは聞いては居ない。だが、溢れる涙を拭わずに語るフォンからは偽りを感じることは出来ない。

「私がこの町を訪れることにしたのは・・・、母から聞いた貴方がシルバーローズオーディションの実行委員長だと知ったからです・・・。貴方と対面する機会が
あれば、母から死の間際に託された指輪を渡して・・・、後は・・・村に戻ってこれまでの生活に戻り、村で母と共に生涯を過ごすつもりでした・・・。」
「・・・。」
「母が何故貴方に私を身篭っていたことを言わなかったのか・・・、それは、リルバン家の後継争いに身篭っていた私を巻き込みたくなかったためなのかも
しれませんが・・・、真相を知ることはもはや叶いません・・・。今まで私は・・・、貴方が母を口止めしていたからではないか・・・、一等貴族当主の座を得るために
母を切り捨てたためではないか・・・。そう思っていました・・・。」
「・・・。」
「ですが・・・、貴方の話を聞いて・・・、かつて、いえ、今も母と貴方が真剣に愛し合い・・・、その結果私はこの世に生を受けたのだと・・・分かり始めました・・・。」

 堪えきれなくなった涙が溢れ、ルイの頬を伝う。フォンを見る度に露になった怒りや悲しみは大きく和らいでいる。

「まだ・・・、貴方を父と呼べません・・・。ですが・・・、私の父は貴方なのだと・・・思えるようになれると・・・思います。」

 ルイが言い終わると同時に、フォンはルイを抱きしめる。身長の高いフォンに抱きしめられたルイは、フォンの胸に顔をうずめる形になる。

「ルイ・・・。ローズ・・・。」

 それだけ辛うじて口にしたフォンは、ルイを抱きしめながら嗚咽を漏らす。最初驚きで目を見開いたルイは、涙に震えるフォンの声を聞いて目を閉じる。

『お母さん・・・。此処から始めて・・・良いですよね・・・?』

 ルイは心の中で今は亡き母に問いかける。
死の間際に語ったフォンとの関係とフォンへの愛情を胸に対面したフォンも、ローズとの再会を待ち侘びていた。それはローズの死によって叶わなずに
終わったが、母の遺志を受け継いだ自分が対面を果たしたことで、代わりに母の遺志を叶えることは出来ただろうかとルイは思いを馳せる。
 まだわだかまりは完全には消えないで居る。だが、かつて、否、今も母と今自分を抱きしめるフォンという男性が愛し合ったことで自分が生まれたことを確信
出来た。母は一時の慰み者ではなかったことを確信出来た。決して自分が望まれない存在ではなかったことを確信出来た。父と呼ぶことは今直ぐは
出来ないが、何時かこの男性を父と呼べるだろうだとルイは思う。
 遠巻きに成り行きを見守っていた使用人やメイドは、ある意味伝説の存在となっていたローズの忘れ形見とフォンが無事再会を果たせたことに素直に
感動し、中にはもらい泣きをする者も出る。様子が気になって専用食堂を出ていたアレンはルイがフォンの抱擁を拒まないのを見て、アレンは若干複雑な
思いを消せないながらもこれで良かったのだろうと思う。同じく出ていたクリスは叔母同然の存在だったローズを思い、鼻をすすらせる。
 3階から様子を見守っていたドルフィンとシーナは、肩を寄せ合って微笑む。2階の実験室から見詰めていたリーナは、恐らく誰も見たことがないような
寂しげで悲しげな表情を浮かべ、未練を振り切るかのように視線を逸らし、中断していた実験を再開する・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

46)夜間照明:この世界の照明設備の殆どはランプである。電球はまだ発明されておらず、ごく一部にガス灯がある程度である。

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