Saint Guardians

Scene 8 Act 1-2 接近V-ApproachV- 決戦に向けたそれぞれの胎動

written by Moonstone

「うん!このシーサー、滅茶美味いわ!」

 焼きあがったシーサーの一切れを一気に半分ほど齧り、その味を堪能したクリスが絶賛の声を上げる。
生地が多く必要だった分用意するのに手間取り、更にトッピングの食材はリーナが肉嫌いだということを考慮してシーフードや野菜をメインにした別メニューに
したため完成に予想以上に時間を費やし、リーナは当初不機嫌さを露にしていた。しかし、適度な歯応えの生地をたっぷり覆う香ばしいチーズとトッピングの
組み合わせは絶品で、リーナの不機嫌は直ぐに解消されていった。これだけの料理が出てきたし、クリスは4枚食べるつもりだと言うし、これなら遅れても
仕方ないか、と思ったからだ。

「ええなぁ、このチーズの蕩け具合。生地は丁度ええし、チーズとトッピングの鶏肉のササミと野菜の組み合わせがナイスや。村でもこんな美味いシーサーは
食ったことあらへん。これやったら店開いても十分やってけるし、大繁盛間違いなしやで。」
「俺はレシピを見ながら作ったから、専門店には到底適わないよ。」
「いやいや。店でも薄っぺらい生地に軽くチーズかけて適当にトッピングばら撒いただけのシーサー出すところも結構あるんよ。あたしやルイが住んどる
ヘブル村でも自分の家で作った方がええっちゅう店がホントにあるんや。まあ、金持て余しとる二等三頭貴族連中とかは味知らへんで、買うて済ましとる
けどな。」
「アレンの料理の腕は、あたし達パーティーの中で一二を争うレベルだし、ルイは幼い頃から料理が修行の一環だったっていうから、料理に関しては心配
無用よ。」

 リーナは少しずつシーサーを食べていく。トッピングは肉類を避けているが、魚の細い切り身や貝がふんだんに使われ、野菜もたっぷり使われている。
チーズも惜しみなく使われているから、生地の出来の良さもあいまって、シーサーの味は抜群だ。

「これだけの出来栄えなら遅れても仕方ないわね。アレン、大食らいのクリスの分はまだあるの?」
「全部で4枚作っておいた。生地は出来てるしチーズやトッピングの材料も揃えてあるし、竈の火も当分持つから、20ミムほどで焼けるよ。」
「そらええなぁ。シーサーは焼きたてが一番美味いでな。」

 自分の分がまだあることを知って更に上機嫌になったクリスは、シーサーを豪快に齧って噛んで飲み込む。やはり1枚では足りないようだ。クリスの底なし
胃袋を改めて脅威に感じつつ、アレンは向かいにいるルイを見やる。ルイが見た目今までと同様に食しているのを見て安心する。
 やはり見た目は何ともないようだが絶えず小さく鋭い痛みが連続しているというし、オーディション本選に出場出来なくなるといけないから任せて、と言って
生地の仕上げからトッピング、焼き上げまでの全てでアレンはルイを休ませた。勿論焼くには竈の熱の手綱を巧みに操ることが要求されるが、今まで料理
経験を豊富に重ねてきたアレンにはさして困難なことではない。それより、焼きあがったシーサーが湯気と共に香ばしいチーズの匂いを焦げ臭さなしで
立ち上らせる仕上がりになったことで、アレンは充実感に浸った。
 シーサーはアレンが運び、ルイはティンルーの入ったポットと人数分のカップを運んだ。これもアレンがルイの身体を気遣ってのことだ。
ルイは村での生活では聖職者としての使命感から痛みを押して普段どおり職務を遂行して来たが、その箍(たが)が外れている今は、痛みに白旗を揚げた。
自分も食事当番なのに見ていることしか出来ないことを申し訳なく思ったが、ルイはアレンの気遣いを無碍に出来なかっし、気遣い自体が嬉しかった。
 アレンが自分を気遣ってくれることは、ルイにとって何より嬉しい。アレンは求愛の意思表示をしている相手。そのアレンが自分の身体を案じてくれている。
長く敵意や蔑視の視線を浴び、ましてや自分を案じてくれる者などごく少数だった時代が続いたために、ルイは自分のことは自分でしなければ、という意志を
保つことでこれまで乗り切ってきたのだが、アレンという頼りになる存在が自分を女性として労わり、代わりに全員分の食事を用意してくれたのは本当に
ありがたい。

「アレン君。もう1枚頼むわ。」
「うん。暫く待ってて。」

 早々と1枚シーサーを食べたクリスが追加を要求すると、アレンは自分が食べていたシーサーの一部を皿に置いて、クリスから皿を受け取って台所へ向かう。
ルイは絶え間なく襲う針で刺されるような痛みを感じながら、アレンが作ったシーサーを存分に味わう。生地の程好い食感とたっぷりのチーズ、そして惜しみ
なく使われたトッピングが絶妙なハーモニーを口の中で奏でる。それだけで痛みが和らいでいくような気がする。
自分の心に占めるアレンの存在の大きさを改めて実感しつつ、ルイはゆっくりしたペースで食事を進める・・・。
 昼食が無事終わり−クリスは予測どおり4枚全てを胃袋に入れた−、後片付けを済ませたアレンに、リーナが紙切れを差し出す。

「これ、買ってきて。書いておいた店は1階の何処かにある筈だから。」
「何だよ、これ。」
「考える暇があるなら、さっさと行きなさい。」

 それだけ命令すると、リーナは広げていた薬学関連の書籍に視線を戻す。これ以上の異論反論には聞く耳持たない、という姿勢が露だ。

「・・・じゃあ、行ってくる。」

 相変わらず自分を召使同様にこき使うリーナに不満を覚えつつも、此処で乱闘にでもなろうものならルイと引き剥がされてしまう危険性が高いから、と
此処はぐっ堪えてリーナの命令に従うほかない。
アレンは歩きながら紙切れを見る。店名は「薬屋チェパン」、品名は「ドリアストラン」と書いてある。薬を買わせようとしているのは分かるが、この妙な名前の
薬が何なのかアレンは気になる。
 リーナは薬剤師の免許を得るために、部屋での絶対的権限を手中にしてからは薬学関連の書籍を読み漁っている。書籍を読めば確かに知識は増やせる
だろうが、幾ら何でも実験器具までは揃っていないだろうから実践面では停滞してしまうだろう。だから自分に薬を買わせて料理器具を使って簡単な分解
実験とかでもするつもりなのか、とアレンは推測する。
 途中の館内マップを頼りにアレンが降り立ったのは1階。ルイ刺殺未遂事件以降部屋にこもる時間が長くなり、出たとしても同じ階のラウンジか別の階段を
使って降りる武術道場だったため、街をそのまま凝縮したようなエリアを訪れるのは随分久しぶりのことのように思える。頭に叩き込んだ館内マップと周囲の
光景を比較しながら、アレンは目的の薬屋を探す。幸いアレンは方向音痴ではないので迷うことはない。
「薬屋チェバン」という看板がある店舗の前にたどり着いたアレンは、念のため左手で剣の柄を掴んで店内に入る。

「いらっしゃいませ。」

 アレンに声をかけたのは、中年の女性だった。

「何かお求めでしょうか?」
「あ、はい。えっと・・・。こういう名前の薬ってありますか?」

 薬の名称をすんなり言える自信がいまいちないアレンは、リーナから渡された紙切れを女性に差し出す。
女性は紙切れの記載を見て納得したように首を縦に何度か小さく縦に振り、色々な薬品が入っている棚から掌サイズの箱を取り出す。

「これは良く効きますよ。」
「そうですか。」

 何の薬か聞こうと思ったが、遅くなるとまたリーナに睨まれると思ったアレンは代金の100デルグを払って店を出る。そのまま来た道をなぞる形で引き返し、
アレンは部屋に戻る。真っ直ぐ戻らないとはやりリーナが何を言うか分からないからだ。
部屋の鍵を開けて素早く中に入り、改めてドアの鍵を閉めたアレンは、ソファに腰掛けて悠然と本を読んでいたリーナに歩み寄る。

「リーナ。買って来たよ。」
「どれ。」

 リーナが差し出した手に、アレンは買ってきた薬を置く。リーナは開いた本を手にしたまま薬の箱の表記を確かめる。

「・・・ドリアストラン。OKね。」
「それって何の薬なんだよ。」
「鎮痛剤よ。頭痛や生理痛に効く、ね。」

 アレンの問いにリーナは簡潔に答え、箱から1包みの薬を取り出してルイに差し出す。

「あんたの痛みがどの程度かは想像でしか分からないけど、この薬は良く効くから飲んでおきなさい。1包みで半日は持つから、夕食後にも飲んでおくことね。」
「ありがとうございます。」

 ルイはリーナから薬を受け取る。

「じゃあアレン。ティンルー入れて。」
「分かった。」

 読書時におけるリーナのお決まりの命令をアレンは素直に受け入れ−逆らったら何をされるか分からない−、台所へ向かう。それに合わせてルイも席を
立って台所に向かう。薬は粉末のため服用にはどうしても水が必要だからだ。
アレンとルイが台所へ向かう様子を確認したリーナは、視線を本に戻す。

「リーナ。どうしてアレンに薬を買いに行かせたのよ。あれくらい、あたしでも知ってるわよ。女が本職なんだから。」
「あんたはパーティーの金食いつぶしてまであたしの護衛になったんだから、常にあたしの傍に待機して護衛する義務があるってこと、何度言えば分かる
わけ?アレンは剣を使えるから即応性ではあんたより上。アレンは女になってるからあの薬を買っても疑われることはない。だからアレンに買いに行かせた。
以上。」

 リーナはこれ以上の問答は受け付けない、とばかりに不満を口にしたフィリアに向けた視線を本に戻す。
フィリアも女だから当然生理痛があるし、酷い時には痛み止めを服用する。ドリアストランはやや高価だが効果の高い薬として有名だ。名前を挙げられれば
直ぐ分かるし、店の場所は探せば分かる。なのにリーナがアレンに買いに行かせたのは、フィリアには不愉快だ。自分には買い物を任せられないと仄めか
されているような気がするのは勿論、アレンがルイのために薬を買いに行ったという状況が作られた気がするからだ。
 しかし、リーナが言ったようにアレンの監視役としてパーティーの資金を食い潰す形で護衛として加わった以上、護衛対象のリーナに刃向かうのは禁物だ。
我侭さと気性の荒さではパーティー随一と言えるリーナがその気になれば、この場でレイシャーで頭を打ち抜くか、警備の兵士を呼んで摘み出すかする
だろう。不服を抱きながら大人しく従わなければならないというのは、プライドの高いフィリアにはかなり屈辱的だが、騒ぎを起こすわけにはいかないので
我慢するのみだ。
 一方、台所ではアレンがティンルーを沸かす準備を始め、ルイはコップに水を汲んで薬の包みを解く。茶色の粉薬は意外に殆ど臭わない。これもこの薬
ドリアストランが値段の割に好まれる理由の1つだ。
ルイは口にドリアストランを含み、水で一気に流し込む。薬草を調合したものだけに苦味はやはり存在するが、水を飲めば解消出来る程度のものだ。
服用して2ミムほどで腹痛が急速に沈静化していく。即効性のドリアストランが早速本領を発揮した格好だ。
 付き纏っていた痛みが消えていくのを実感しつつ、ルイはティンルーを入れる準備をしているアレンの隣に歩み寄る。
アレンは竈の火を調節し、湯を沸かし始めているところだ。リーナの分だけ入れるのも勿体無いので、休憩がてら全員の分を用意するのが通例となっている。
ルイが隣に来たことで、アレンは水を張った小さい鍋からルイの方を向く。

「大丈夫?」
「はい。もうすっかり。」
「そう。店で買った時に良く効くって言われたんだけど、そのとおりになって良かった。」
「買ってきてくれてありがとうございます。」
「男の俺には女の子のそういう痛みは分からないけど、ルイさんが痛みを堪えているのを見るのは、とても他人事には思えないから。」
「女に生まれた以上は必然的に生じるものですから仕方ありません。それより、アレンさんが今まで気遣ってくれたことが凄く嬉しいです。」
「絶えず腹痛があるのに力仕事とかさせられないよ。ティンルーの準備は俺がするから、ルイさんは念のため座って休んでて。またぶり返すといけないから。」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせてもらいますね。」

 ルイは台所の椅子に座って、ティンルーの準備を進めるアレンの後姿をじっと見詰める。
教会には男性も居るし、男性が当番で料理を担当する日もあるから、男性が台所で料理などをすることにルイは何ら違和感を覚えない。だが、今まで
見慣れた光景と違い、自分の身体を気遣って休ませた上で1人てきぱきと準備をこなすアレンの後姿を見て、ルイの胸は熱く高鳴る。
 オーディション本選まで残された時間はあと僅か。旅の途中でパーティーの財政難解消のためにオーディションに出場して予選を突破したリーナの護衛と
してこのホテルに入ったアレンとの時間は、このままだとオーディション本選が終わったら幕を下ろしてしまう。
アレンに自分の気持ちを伝えたい。だがそうすることは、攫われた父親を捜す旅を続けているアレンをこの地に縛り付けようとすることになりかねない。
それに、アレンが自分を見る目が変わるのを恐れて今までひた隠しにしていることがある。自分を隠したままアレンに気持ちを伝えるのはアレンを騙すような
気がする。だからと言って隠していることを話せば、アレンが自分を見る目が変わる可能性がある。それを思うとどうしても二の足を踏んでしまう。
どうすれば良いのか思い悩みつつ、ルイはポットを出してティンルーを入れる準備を始めたアレンの後姿をじっと見詰め続ける・・・。
 夕食も無事に済んで全員が風呂に入って、女性陣が眠りの世界に入った頃、アレンはランプが灯る台所でイアソンからの通信を待つ。
今日もクリスから情報を得ようとしたのだが、謎の核心に大きく迫れる可能性が高い事項、すなわち当初予選のみの出場と言っていたルイが本選出場を
決めたという言動一致を信条とするルイの不可思議な方針撤回や、オーディションの予選前後にルイに何者かが接触を持って来たかどうかについては
まったく把握出来なかった。
 ルイを呼び出して問い質すのは気が引ける。ルイが話そうとしないことには過去の古傷に直結することが関係している可能性もあるからだ。そのため
アレンはクリスからのルイに関する情報収集を諦め、チャンスを見て指輪を見せてもらうように改めて依頼するに留めた。
 昨日の段階で、ルイの母ローズが戸籍上死んでいたことになっていたという奇妙な事実、そしてルイが執拗に命を狙われる理由が確信に近いレベルに
達した。それが事実なら、ルイを狙う凶刃は鳴りを潜めているだけで、機会があれば何時唸りを上げて襲い掛かってきても不思議ではない。
ルイを異性として意識する気持ちが日に日に強まっているアレンは、何とかしてルイの安全を一刻も早く100ピセル保障出来るようにしたいと願わずには
居られない。

『アレン、聞こえるか?』

 待ちに待ったイアソンからの通信が入る。アレンは予め耳から外しておいた送信機を口元に持っていく。

「聞こえるぞ、イアソン。」
『そっちは何か進展はあったか?」
「生憎何も・・・。流石にルイさんの護衛のクリスも、ルイさんがどうして本選出場に方針転換したとか、オーディションの予選前後にルイさんに誰かが接触を
持とうと接近してきたかとか、そういうことは知らないんだ。指輪については機会があれば見せてもらって調べてもらうように改めて頼んでおいた。」
『そうか。ことがことだけに、問題の彼女の態度変更や外部からの接触が他人に知られない形で行われた可能性は十分ある。情報が得られなくても仕方ない。
だが、俺の方は非常に重要と思われる情報を入手した。よく聞いてくれ。』

 イアソンは一呼吸置く。アレンは緊張で詰まった息を飲み込む。

『一等貴族当主の絶対的権限は国全体のみならず、所有する小作地や邸宅内にも及ぶというのは昨日も話したとおりだ。そして今日、俺は使用人としての
職務で偶然問題のホーク氏とナイキ氏、そしてホーク氏を陰で操っていると考えて間違いない顧問という人物と対面する機会があった。アレンからの事前の
情報どおり、顧問という人物はマントを着用した小柄の人物で、目の部分に細い切れ込みを入れた仮面を着けていた。やはり顧問という人物はザギ本人か
その衛士(センチネル)と考えて間違いないだろう。アレンが対峙したザギと同じ仮面を着けていたんだから、なんらかの関係があると考えるのが自然だ。』
「そうか・・・。で、情報っていうのは?」
『それなんだが、その前にアレンに聞いておきたいことがある。』
「何を?」
『問題の彼女。名前は・・・ルイだったか?その彼女のファミリーネームは知ってるか?』
「ファミリーネーム?」

 アレンは思わず聞き返す。
今まで触れなかったが、この世界で相手を呼ぶ時には通常ファーストネーム、つまり名前を使う。ファーストネームを使用ないしは優先されるのは王族や
貴族など、血統が重視される家系の人物に限定されている。ホテルで出逢ったアレンとルイが名前で呼び合っているのも、リルバン家の使用人がフォン
などを話題にする時に「リルバン家の」という接頭語をつけることが多いのも、そういう習慣があるからだ。

『ルイさんのファーストネームは・・・セルフェスだよ。」
『そうか。次、彼女の母親の名前は?』
「えっと・・・。」

 アレンの口からルイの母ローズの名は直ぐに出てこない。あまり聞いていないからだ。
記憶の糸を手繰っていくと、昨日の午後にクリスがルイの司教補昇格と村の中央教会祭祀部長就任を同時に果たしたことを話した際、クリスがルイの母の名を
出したことを思い出す。記憶の奥底に埋没していたそれを懸命に引っ張り出して、アレンはその名を口にする。

「・・・ローズ。だからルイさんのお母さんのフルネームは、ローズ・セルフェスだよ。」
『・・・確かだな?』
「ああ。」
『・・・アレン。昨日俺が提示した仮説は事実と言って間違いない。』

 驚きと嘘であってほしいという僅かばかりの希望に翻弄されるアレンの耳に、イアソンの冷静な口調での情報が流れ込んでくる。

『実は今日、ホーク氏とナイキ氏、そして問題の顧問という人物との対面の後で、古参の使用人から先代の在任中にあった話を聞いたんだ。今までは俺も
聞き出せなかったが、その高慢さ故にホーク氏と同じくらい嫌われているナイキ氏の八つ当たりに俺が動じなかったことが功を奏したようだが。』

 イアソンはそう前置きした上で、今日古参の使用人から聞いた話をアレンに伝える。それを聞くうちに、アレンの顔は驚愕で見る見る強張っていく。

「そんなことって・・・。」
『どうやってホーク氏が彼女のことを知ったのかはまだ分からないが、やはり彼女はホーク氏に狙われるだけの理由が十二分にある。リルバン家次期当主
継承権が現時点で第1位のホーク氏にしてみれば、彼女はホーク氏の暗部を知っている可能性が高いと同時に、自分が思い描いている野望を破壊するに
余りある存在だ。ホーク氏は今は息を潜めているだけで、彼女を抹殺する機会を手薬煉引いて狙っていると考えて間違いない。』
「・・・。」
『ホーク氏と顧問が仕掛けてくるとすれば、アレン達がホテルを出るオーディション本選への経路、若しくは会場だろう。ドルフィン殿とシーナさんに依頼して
オーディション本選の会場や出場者と護衛の会場入りの経路とかを調べてもらったんだが、出場者と護衛は本選会場で距離を置かれる。出場者は当然と
言うべきかステージに立つが、護衛はステージ脇に待機させられるそうだ。この時が敵からすれば狙い目だ。この時にどういう手段で襲撃するかまでは
分からないが、ステージの前には一般客とかが近寄れないように兵士が壁を作るそうだし、顧問がザギ本人若しくはその衛士(センチネル)だと断言出来る
から、別の場所に待機させておいた配下の兵士を地上からだけじゃなくて空からも襲撃させて、彼女を確実に抹殺する腹積もりでいるという、こっちにして
みれば最悪のパターンが考えられる。例えば警備の兵士がステージに駆け上がって襲撃してくるなら、アレンの素早さを活用して迎撃することも可能
だろうが、空から来られると厄介だ。だからドルフィン殿とシーナさんにも会場に入ってもらって、空からの襲撃を迎撃してもらうよう依頼しておいた。』
「ドルフィンとシーナさんに?」
『ああ。ドルフィン殿とシーナさんは高位の魔術師でもある。ロングレンジの強力な魔法が使えるから、空からの襲撃に対する迎撃はドルフィン殿と
シーナさんに任せて良いだろう。他に考えられるのは出場者の護衛の中にホーク氏や顧問の息が掛かった刺客が紛れ込んで居る場合だ。これはアレンも
襲撃される危険性があるし、アレンの動きを封じられてステージ目掛けて多数で襲撃されたらアウトだ。この対策も考えておかないといけない。これに関しては
俺がドルフィン殿とシーナさんと相談して対策を講じる。アレンは引き続き彼女を守ると同時に、彼女から真相を聞き出せるように努力してくれ。』
「もうそれは・・・必要ないんじゃないか?ルイさんがホーク氏と顧問に狙われる理由が判明したんだから。それより、ルイさんをどうやって守ることを考えることに
専念した方が良いんじゃないか?オーディション本選終了後も安心して暮らせるように。」
『そのためでもある。』

 アレンの疑問を、イアソンはアレンの提案を使う形で断ち切る。

『オーディション本選での彼女の防衛策を講じるのは勿論重要だが、それを切り抜けるだけでは根本的解決にならない。ホーク氏と顧問がそのままだと、
彼女はオーディション本選が終わってからも引き続き命を狙われる。さっき言ったとおり、彼女はホーク氏にとって極めて目障りな存在だ。ホーク氏を顧問共々
別館に軟禁した上、オーディション本選終了後に司法委員会にかけるとリルバン家当主フォン氏は宣言したが、それで問題が根本的に解決するわけじゃ
ない。俺が提示した仮説どおりなら、フォン氏がこのままホーク氏をリルバン家から追放したら次はリルバン家存亡の問題に直面する。建国神話にまで
歴史が遡る上にこの国で絶大な影響力と存在感を有する一等貴族の血を絶やすことは許されない。ホーク氏はそれを逆手にとって引き続きリルバン家に
留まり、顧問の力を借りて改めて彼女の抹殺に乗り出すだろう。そうなったら、彼女は四六時中命を狙われているという危機感の中で過ごさなきゃいけない。
幾ら彼女の精神が強靭でも、そんな危機的な極限状況に耐えられる筈がない。だからホーク氏と顧問が完全に彼女に手出し出来なくするしかない。
そのためには、リルバン家当主のフォン氏にホーク氏が顧問を利用してまで彼女を狙う物的証拠を提示するのが最も確実だ。その物的証拠を彼女が握っている
可能性が高い以上は、アレンが彼女から真相を聞き出して、物的証拠である可能性が現時点で最も高い指輪について詳細を把握する必要がある。他に物的
証拠があるならそれも入手するに越したことはない。』
「・・・。」
『顧問の目的は不明だが、ホーク氏は顧問を利用して顧問はホーク氏を利用しているという、持ちつ持たれつの関係にあることは間違いない。彼女の安全を
保障するには、ホーク氏から一等貴族当主の実弟という権力を剥奪するか、顧問をホーク氏から完全に引き剥がすしかない。後者は顧問との直接対峙が
必要になるかもしれないが、顧問がザギ本人若しくはその衛士(センチネル)であると考えられる以上、その撃退にはドルフィン殿かシーナさんの力を借りる
必要がある。ドルフィン殿から聞いたんだが、衛士(センチネル)は魔道剣士か剣士か魔術師かの何れかで、セイント・ガーディアンの護衛としての役割も
果たす必要があるから戦闘能力はかなり高いらしい。となると、アレンの現時点での戦闘能力でははっきり言って顧問に勝てるかどうかかなり疑問だ。
アレンにはザギに攫われた父親を捜し出して救出するという大事な目的がある。それを命を落とすという最悪の形で頓挫させるわけにはいかない。』
「イアソン・・・。」
『俺は勿論、ドルフィン殿もシーナさんも今回の問題を単なる一家系の内紛とは考えていない。ザギをはじめ、クルーシァを制圧したガルシアを筆頭とする
軍団が何を企んでいるのか、どういう目的で動いているのかという大きな謎は、今回の問題にも絡んでいると考えられる。彼女の安全を保障することは、
ひいてはアレンの父親の消息を掴むきっかけにもなりうるし、ガルシア一味の野望に迫れる可能性も孕んでいる。だから困難を承知でアレンに彼女と親密に
なってもらって、ホーク氏と顧問の動きを完全に封じて彼女から未来永劫引き剥がすために必要な物的証拠を入手してもらうようにしているんだ。その辺は
誤解しないでくれ。』
「分かった。・・・悪い、イアソン。深く考えられなくて・・・。」
『否、謝る必要はない。アレンは彼女を真剣に想っているから何とかしようとしてるんだ。そういった気持ちがあれば、第三者の俺みたいに問題を機械的に深く
掘り下げることはそう簡単に出来ないだろう。オーディション本選まであと少しだ。アレンは引き続き情報収集と彼女との距離を詰めることに専念してくれ。』
「分かった。イアソンも引き続き頼む。」
『了解。』

 アレンはイアソンとの通信を終了し、送信機を耳に戻す。
今回の情報の突合せで、ルイが狙われる謎はほぼ完全に把握出来た。それはやはり、ルイの人生がこの国の国家体制に翻弄されていることも分かった。
だが、これでアレンの気持ちは変わってはいない。むしろ、ルイを何としても守りたいという意志がより強固になった。
 ルイをホテルで初めて見た時、アレンは胸が一瞬大きく高鳴ったのを感じた。その後重大な危機に2度も遭遇したがどうにかルイを守り、それはルイを
助けたい、ルイを守りたいという気持ちが自分を突き動かしたためだと理解した。同じ部屋で料理をしたり話をしたりする中で、自分の心に占めるルイの
存在感が日増しに大きくなってきていることが分かる。
 辛く過酷な時代を懸命に生き抜き、自分を敵視・軽蔑していた勢力をも完全に平伏させるだけの地位や名声や信頼を獲得したルイ。
クリスが以前言っていたとおり、今まで自分の母のため、自分を散々苛めた連中も含めた村の人のために人生を注いで来たルイに、今まで苦労してきた分
だけ、今まで流してきた汗と涙の分だけ、否、それ以上に幸せになってほしい。そのためには何としてもルイに纏わりつく黒い翳を払い除けなければ
ならない。
アレンは決意を新たにして台所のランプを消し、寝床であるソファに向かう・・・。
 同じ頃、別の宿の一室ではドルフィンとシーナが話をしていた。
ほぼ毎日のように行っている愛の営みを終えた後ということで、シーナは素肌の上にディルンを纏い、パンニョールを注いだコップを手にしてベッドに
腰掛けている。ドルフィンはベッドに横になったまま掛け布団で腹部から下を覆い、シーナと同じくパンニョールが注がれたコップで喉を潤している。

「問題のオーディション本選まで、もう少し・・・。今日イアソン君から連絡があったけど、本選会場が一番アレン君の彼女候補を狙う場所になりそうね。」
「そうだな。今はアレンが彼女候補と同じ部屋に居るし、ザギ本人かその衛士(センチネル)も動きを封じられてるから、狙うとすればその時しかないだろう。」
「会場の彼方此方にホーク氏とその顧問の息が掛かった刺客が紛れ込む可能性が高いから、どうやって迎撃するかが問題よね・・・。会場に詰め掛けた人達を
私達が1人1人チェックする権限なんてないし、そんなことをしたらかえって怪しまれる。前みたいにオーディション本選出場者に摩り替わって、アレン君の
彼女候補を抹殺しようと狙うかもしれない。そう考えると、アレン君とアレン君の彼女候補は敵だらけの会場に入らなければいけなくなっちゃうわね・・・。」
「四方八方敵だらけとなると、ステージだけに焦点を絞ってもアレンだけじゃ厳しいな。敵の戦闘能力がどの程度のもんかは知らんが、アレンの彼女候補を
確実に仕留める最後の機会だろうから、かなり強力と想定すべきだろう。クルーシァの精鋭部隊が紛れ込んでると、アレン1人じゃ手に負えない可能性も
ある。」

 ドルフィンは思考を巡らせるついでにパンニョールで喉を潤す。

「一般市民を巻き込むわけにはいかん。出来るだけ安全にアレンの彼女候補を守る手段を考える必要があるな・・・。」
「私達はザギに顔が知られてるから、見つかったら動きを封じられる可能性もあるわ。」
「それも考えると・・・、難しいな。俺達が会場に入ると一旦戦闘になったら一般市民を巻き込んじまう。奴等のことだ。一般市民を巻き込むことなんざお構いなし
だろう。」
「そうなると、私達は会場の外で待機しないといけない・・・。アレン君は事実上1人で彼女候補を襲撃する敵から守る必要があるかもね・・・。」
「・・・アレンは攻撃力と敏捷性は十分だが、防御力と魔法攻撃力が低い。特に魔法関係は攻撃防御共無力に等しい。だが、敵は強くなるのを待っては
くれない。その場その時の力で乗り切るしかない。・・・アレンの力を信じるしかないか・・・。」
「アレン君にとっては、文字どおり命がけの大きな試練になるわね・・・。」
「・・・シーナ。明日アレンに伝えろ。彼女を守るのはお前自身だ。俺達の援護があると考えずに何としても1人で彼女を守れ、と。」
「ええ。分かったわ。そのとおりだものね・・・。」

 ドルフィンとシーナは、強大な敵の翳が迫っていながら、ルイを想うアレンの奮起と力に期待するしかないことが歯痒くてならない。
だが、場合が場合だけにアレンの力を信じるしかないという苦い事実を噛み締めながら、夜のひと時を過ごす・・・。
 同じ頃、広大なリルバン家邸宅の執務室では、一仕事終えたフォンがドローチュア立てを手に取ってじっと見つめていた。そこに収められた、若いフォンと
浅黒い肌のやはり若い女性のドローチュア。フォンの表情は懐かしげでもあり、悲しげでもある。
 ドアがノックされる。フォンはドローチュア立てを元の位置である机の片隅に戻して応答する。失礼します、と言って入室して来たのは、フォンの側近中の
側近であるリルバン家の筆頭執事ロムノだ。ロムノは机を挟んでフォンと向かい合う位置にまで進む。

「フォン様。お時間はよろしいでしょうか?」
「うむ。勿論構わん。」
「例の件で、新たな事実が判明いたしました。」

 ロムノは声量を落として情報を伝える。

資産管理簿2)を精査いたしましたところ、フォン様がホーク様に供与されている活動資金3)の大半が、ホーク様が招聘した顧問に流れていることが判明
いたしました。」
「・・・やはりホークめは、あの顧問を利用してことを企んでおるか・・・。」
「顧問の活動資金使用目的までは把握出来ませんが、これまでの経緯から推測するに、各種謀略活動に使用されたと考えられます。全国でのオーディション
予選開催前後の時期に相当数の使用結果が記載されていましたが、全て『オーディション本選警備関連の情報収集』と記載されていました。これは私の記憶
とも一致します。ホーク様はこの時期に、顧問などを一斉に水面下で動かし始めたものと推測されます。」
「おのれ、ホークめ・・・。」

 フォンはぎりっと奥歯を軋ませる。湧き上がる激情を押さえ込んでいるのが眉間の皺で分かる。

「・・・ロムノ。引き続きホークと顧問の動向を監視並びに調査してくれ。オーディション本選の日も近い。奴等が動きを見せる可能性は高い。」
「承知いたしました。」

 ロムノは失礼しました、と言って静かに退室する。フォンは厳しい表情で深い溜め息を吐いてから、再びドローチュア立てを手に取って見つめる。
フォンの表情から険しさが急速に消え、懐かしさと悲しさが混濁したものに戻る。その瞳は何かを訴えかけているようにも見える・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

2)資産管理簿:簡単に言えば収支報告書。一等貴族には資産管理簿を毎年作成し、過去20年分を保管することが、ランディブルド王国の法律で
定められている。此処には誰が何の目的で資産を動かしたか、3)で説明する活動資金などの使途目的など詳細を記載することなども義務付けられている。


3)活動資金:一等貴族の親族が当主から供与される資金。法律作成のために必要な各種調査や顧問への謝金などに使用される。供与される額は当主が
決定する。活動資金の使途目的は2)で紹介したとおり、資産管理簿に記載しなければならない。これは筆頭執事が担当する。


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