「そう・・・か。」
クリスの回答でアレンが取り組む課題、すなわちルイが何故執拗に命を狙われているのかについて、解明へと大きく踏み込むことが出来た。だが、アレンの「・・・あたしの答えは、アレン君が知らへん方が良かったて思うような方向に結びついたみたいやな。」
重苦しい表情で視線を落としていたアレンに、クリスが静かに語りかける。クリスの表情もやはり重い。「多分ルイが填めとる指輪にも、何処かに謎を解明する手がかりがあるやろうな。特注品やったら筆頭職人が作るで、そう簡単には分からへんような細工が
施されてるかもしれへんし、ルイもそれを知っとるかどうかは分からん。知らへんならそのままルイは何も知らんと、問題だけ解決した方がええと思う。」
「・・・。」
「ルイは今まで、お母ちゃんの戸籍の問題と民族差別をもろに食ろてきた。両方共この国が抱える根深い問題や。あたしやったら到底耐えられへん逆境を
跳ね返して、ルイが14で司教補に昇格して国中の教会が獲得しようと絶えず狙うまで名を挙げたんが、今度は命狙われる理由になってもうとるっちゅうんは、
滅茶皮肉な話や。神様は何処までルイに試練与えれば気ぃ済むんや、て聞きたいわ。もう今まで与えた分だけで十分過ぎるやんか、て言いたいわ。」
「・・・俺もだよ。」
「やっぱしあたしは・・・、ルイはオーディション本選が終わっても村に帰らんと出てった方がええと思う。ルイがこれから先、生きたいように生きるには、この国に
居らん方がええ。何も知らへんのやったら知らへんままこの国を出て、アレン君と一緒にアレン君の父ちゃん探す旅に出た方がええ。」
「・・・。」
「ルイは・・・この国の国家体制が生み出した犠牲者や。ようやく昔自分散々苛めとった奴等まで完全にひれ伏させるだけの地位とか手に入れた矢先に、
あの娘が心の拠り所にしとった母ちゃんを亡くしてもうた・・・。ルイは、この国の束縛から解放されんと駄目や。この国に居る限り、あの娘が本当に幸せに
なることはあらへんよ・・・。あの娘はこの国から自由になって初めて、自分の生きたいように生きることが出来るてあたしは思う・・・。」
「・・・アレン君。ちょいと道場まで付き合うてくれへん?」
暫しの想い沈黙の後、クリスがこれまでの話と全く違う方向へアレンを誘う。「ちょいと身体動かして、スッキリしたいでな。」
「良いよ。クリスには此処まで色々話を聞かせてもらったし。でも、服は?」
「ええよ、このままで。服なんて着替えればそんで済むことや。」
「勝負あり!それまで!」
サルバを着た審判がクリスの勝利を宣言する。だが、クリスは特に表情を変えない。「話にならへんな。」
クリスは眉を傾けて眉間に薄い皺を刻んで不満そうに呟く。対峙する相手がまったく歯応えがないため、意図とは逆に全然スッキリしないのだ。「審判。相手に鎧着けた兵士でもええよ。」
額に滲む汗を右手の付け根でひと拭いしたクリスは、驚くべき提案をする。当然のごとく、待機している武術家は役不足と仄めかされたことでざわめく。「おい、嬢ちゃん。1対1ならまだしも、数人がかりなら話が違ってくるだろうが。」
プライドを傷つけられた不満と怒りで表情を険しくしていた武術家の1人が、クリスに言う。クリスは額から尚も染み出す汗を気に留めずに武術家の方を向く。「師範代にしては随分上出来だ。だがな。相手が複数となりゃ痛い目に遭うことになっちまうぞ?」
「ふーん。あたし1人に複数で挑もうっちゅう魂胆か。そっちは何人出るつもりや?」
「ま、10人ってところか。ここらで嬢ちゃんには本当の厳しさってもんを知ってもらいたいんでね。」
「厳しさ教えたるとはねえ・・・。そりゃ、ありがたい配慮や。感謝するで。」
「審判。特別ルールで1対複数っちゅうんもええか?」
「・・・双方が良いなら認めよう。」
「なかなか柔軟やな。ありがたいこっちゃ。」
「ええよ。お望みどおり相手したるわ。その代わりどうなっても知らんで。」
「それはこっちの台詞だ。」
「君。本当に良いのかね?」
「ええよ。」
「開始!」
審判の宣言と同時に武術家達が一斉にクリスに襲い掛かる。だがクリスは全く怯むことなく、視線を最大限に厳しくする。「残るはあんた1人やで。さっさとかかって来な。」
「う・・・。」
「あたしが防具外したんは防御を犠牲にして機動力を増すことで複数を相手しやすくするためやと思とったんかもしれへんけど、そうやとしたら大間違いや。
あたしが防具外したんはな。邪魔で邪魔でしゃあなかったからや。錘(おもり)つけて動いとると、汗でくっついた袖とかが鬱陶しいしな。ま、防具外して
結果的に動きやすうなったんは事実やけど。」
「お、お前。一体・・・何者だ?」
「しょ、勝負あり!それまで!」
「もう相手居らへんもんな。」
「骨折れたりせんように手加減はしたつもりやけど、念のため医務室で手当てしといたって。」
「あ、うむ。」
「んじゃな。また気ぃ向いたら来るわ。」
「どうしたん?アレン君。珍しいもんでも見たような顔して。」
「・・・その珍しいものを見たからだよ。何なんだよ、一体・・・。相手は全員防具着けてたのに、見た限り全員一撃でノックアウトだったじゃないか・・・。」
「今まで思いっきり手加減しとったし、さっきは久々に結構本気になったんや。それまでは錘着けとったで、その分技の切れが落ちとったんもあるけどな。」
「クリスって確か・・・、師範代だよな?」
「そうや。」
「とてもそうには思えないんだけど・・・。昇格試験とかそういうのは受けたのか?」
「昇格試験?ああ、師範代まで受けたけどそれ以上は受けとらへん。」
「武術道場の昇格試験は、試合の勝ち負けや誰より強い弱いだけで決まらへんねん。試合に臨む際の立ち居振る舞いとか、そういうもんも要求されるんや。
師範代やと突きとか蹴りの基礎的な動きを覚える程度で済むけど、師範や総師範やと、試合に臨む際はこうせな駄目、ああすると駄目とか、面倒なこと
ようけ覚えやんと駄目やし、あたしはそういうの覚えられるほど頭良うないでな。せやから師範以上の昇格試験は受けとらんのよ。」
「要するに、礼儀作法って言うのかそういうのを教えるだけの知識とかも必要になるから、その勉強とかが嫌で昇格試験を受けてない、ってわけか。」
「そういうこと。」
「あたしの寄り道に付き合うてくれて、ありがとうな。」
「それは良いよ。気分はスッキリした?」
「うーん・・・。何かまだモヤモヤしたもんはあるけど、こんなもんに何時までもこだわっとったら人間やっとれへんよ。」
「さっぱりしてるな、クリスは。」
「何ぃアレン君。ルイとあたしを二股かける気?あたしが惚れられたらルイに合わせる顔あらへんで、勘弁してや。」
「違うって。」
「クリスが本気になったら、きちんと装備を着用した国軍の兵士でも幹部クラスでないと歯が立たないんですよ。」
今日の武術道場での一部始終をアレンから聞いたルイが言う。「クリスは幼い頃苛められていた私を助けてくれて以来ずっと、私を守ってくれました。私を苛めていた人の中にはクリスと同じく武術道場に通っていた人も
居ましたし、決まって複数でしたから、クリスは1人で立ち向かわざるを得なかったんです。・・・他に誰も手を貸してくれませんでしたから。」
「ルイさんを守ろうと力をつけた結果、クリスは国軍の兵士でも殆ど太刀打ち出来ないレベルにまで到達しちゃったってわけなんだね。」
「ええ。少なくとも今の村では男女問わず、クリスに喧嘩を挑む人は居ません。以前、幼い頃クリスに叩きのめされた仕返しをしようと不意打ちを仕掛けた
男性が居たんですが、全身打撲の上に肋骨5本と両腕両足の骨を折られて全治3ヶ月の返り討ちに遭ったんです。それ以来完全に・・・。」
「喧嘩を売る相手を間違えたね、その男性(ひと)。」
「武術道場も、教会管轄の施設なの?」
「はい。私が生まれ育った慈善施設は福利部で、武術道場は教育部が管轄しています。慈善施設はその名前からも推測出来ると思いますが、武術道場は
心身の鍛錬を教育とする、という理念の実践の場として設けられているんです。両方共、各町村の中央教会の各部の管轄下にあります82)。」
「今日クリスから、ルイさんも暮らしてる村の正規の聖職者は全体で100人居るかどうかだ、って聞いたんだけど、それぞれ忙しそうだね。」
「忙しいと言えば確かにそうです。でも、『教書』の教えを身を以って実践するのが、聖職者が職務に臨む際の基本精神です。それに、給与が支給される
ことは国の制度上のものであって、真の報酬は自らの職務で人々から感謝を得ることです。高額の給与を第一に求めるようでは、聖職者の資質が問われ
ます。」
「正規の聖職者は修行が厳しくて早い時期に辞職してしまう、って前に聞いたけど、自分の行いを金の多い少ないで測ろうとするからなのかもしれないね。」
「そうかもしれません。正規の聖職者として称号を上げる人は大抵貧しい家庭の出身で、非正規の聖職者は逆に裕福な家庭の出身者が多いのも、その表れ
なのかもしれません。『教書』に記された神の教えを人々がどれほど理解しているのか・・・。教会や聖職者を役所とその職員と混同してはいないか・・・。
聖職者の1人として日々を過ごしていると、時にそう考えることがあります。」
「・・・変なこと聞いちゃうことになるけど・・・。」
給与と聞いて思いついた疑問を、アレンは口にする。「ルイさんは給料をどう使ってるの?」
「全額慈善施設に寄付しています。」
「私は慈善施設で生まれ育って、正規の聖職者として修行を始めて以来ずっと教会に住み込みで働いています。ですから寝る場所や食事の心配は必要
ありません。ですが、前にもお話したかもしれませんが、慈善施設は親を早くに亡くしたり、親の職業の関係で世話が満足に出来なかったり、高い小作料を
少しでも目減りさせるためにやむなく預けられたりしている子どもが多いんです。その子ども達が少しでも温かい食事を多く食べられて、寝床を得られるように
したいんです。それが慈善施設で生まれ育ったことへの恩返しであると同時に、『神の子として生まれ、神の子として生きる』ことを第一義的に考えるべき
聖職者としてあるべき姿の1つだと思っています。」
「・・・迷いがないね。ルイさんは。聖職者としても、人間として生きることにも。」
「いいえ。私も人間です。日々生きていて迷うことは勿論、悩みや苦しみといったものとは常に隣り合わせです。」
「先程触れたように、人々の心に神への信仰が本当に定着しているのか、と迷うこともあります。それは聖職者として歩む今の私自身に何か不備があるのでは
ないか、という悩みにも繋がります。幼い頃民族の違いや母が戸籍上死んだことになっていたために苛められたことは、苦しみの1つです。」
「・・・。」
「人間として生きている以上、迷いや悩み、苦しみといったものから避けることは出来ません。それは聖職者でも変わりません。聖職者は決して人間の苦しみと
無縁な存在ではありません。迷いや悩み、苦しみといったものとどう向き合うか・・・。その解決として信仰があるのだと思っています。そして、自分と同じように
迷い悩み苦しむ人々に信仰を説き、金銭の多さや生活の豊かさでは満たされない心の穴を埋めることを提示することが聖職者の職務であり、その精神を
『教書』に見出すのが聖職者の心構えである・・・。私はそう思っています。」
『アレン、聞こえるか?』
「聞こえるぞ、イアソン。」
『よし。まず俺の方から今日得た情報を伝える。アレンは今日までに得た情報やそれらの突合せで得た推測と繋げながら聞いてくれ。』
『リルバン家の当主に名立たる強硬派だった先代の意向とは違って、穏健派のフォン氏が就任したことはやはり、使用人達にとって大きな安心材料に
なっている。先代はこの国では少数民族のバライ族を隣国シェンデラルド王国に強制移民させようと躍起になっていたというのは前に話したと思うが、今の
使用人の中にもバライ族が居て、先代の在位中とは扱いが大きく変わったそうだ。そしてこれもやはりと言うか、先代の流れを汲む思考と、曲がりなりにも
一等貴族当主としての執務遂行能力は有していた先代とは違って執務遂行能力が明らかに低く、そのくせ自らの権威で頭ごなしに自分より立場の弱い者を
抑え込もうということには殊更熱心なホーク氏が次期当主に就任することを非常に懸念している。リルバン家に仕える年数が長いほど、そしてこの国の
多数民族であるラファラ族よりバライ族がより強く懸念している。』
「今日こっちでシェンデラルド王国に関する話を聞いたんだけど、悪魔崇拝者は崇拝する悪魔の力を使って殺傷力の強い魔法を使ったりするだけじゃ
なくて、町や村を襲って人を殺したり家に放火したり、井戸や畑に毒を撒いてその地に住めなくなるようにしたりするそうだよ。」
『そのとおりだ。バライ族が多数派のシェンデラルド王国のそういった情勢が、強硬派を勢いづかせる大きな原因になっている。この動きは20年前あたりから
目立つようになってきたそうだ。最近はそれが特に顕著で、王国議会でも喫緊の課題になっている。ドルフィン殿とシーナさんに依頼して傍受してもらった
先の王国議会の解析を終えたんだが、そこでも大きな議論となった。強硬派はこの国にバライ族が居ることで悪魔を呼び寄せている、と主張してバライ族の
強制移民を推進しようとしているが、王国議会は民族の強制移民では解決にならないし、当面の迎撃策として魔術師を招聘するのが適切と主張する
穏健派が多数を占めていて、議会も全体としては穏健派の主張の方向に向かっている。ある強硬派議員−話の流れからして二等貴族らしいが、
リルバン家の方針が180度変わったことを相当悔しがっているようだ。先代の在位中なら自分達がもっと優位に立てた、とな。』
「先代って、リルバン家のか?」
『ああ。今日俺が調べたところ、リルバン家の先代当主はこの国の強硬派の先陣を切る人物だったそうだ。穏健派のフォン氏と深刻な確執が生じるのは
必然的だったと言えるだろう。強硬派は先代の意向どおり次期当主にホーク氏が就任することを期待していたが、何度も言っているように先代がホーク氏を
次期当主として指名する前に急逝したことで、法律の優先順位に従って穏健派のフォン氏がリルバン家当主に就任した。このことが強硬派には大きな痛手に
なっているようだ。一等貴族はこの国全体に絶大な影響力を持つ。その1家系の方針が180度変わったんだから、議会での権利が制限されている二等三等
貴族の王国議会議員にとっては旗頭を失ったに等しい。かと言って一等貴族の方針に異論を挟む余地はない。商売の隆盛で昇格や降格がある二等三等
貴族と違って、一等貴族は10で身分は固定。しかも国の法律で継承の優先順位などが明記されているし、その歴史は建国神話に遡る。成り上がり者には
到底及ばない。』
「・・・俺は今日、イアソンの情報とも関連すると思う情報を入手した。」
アレンは心の片隅にあった迷いによって生じた躊躇いを振り払って、口火を切る。『どんな情報だ?』
イアソンの問いかけに、アレンは今日クリスから聞いた話をそのまま伝える。『そうか・・・。やっぱりな・・・。』
「・・・イアソンもそれに関連する情報を入手したのか?」
『ああ。さっきアレンが言ったことと重なる部分が多い。一等貴族当主の絶対的権限は国全体には勿論、その家系が所有する土地や邸宅内にも及ぶ、とな。
問題の彼女が執拗に狙われる謎の核心は、俺が提示して後に修正を加えた仮説どおりと断定して良いだろう。』
「どうして・・・肌の色や民族の違いだけでこんな扱いを受けるんだよ。」
アレンの口から、苦渋に満ちた言葉が心のままに溢れ出す。「系統が違っても・・・、多少方言はあったりするけど同じ場所で生きて、同じように考えたり悩んだりする人間の民族に変わりないじゃないか。なのに・・・。
なのにどうして・・・こんな違いが生じるんだよ・・・。『キャミール教第二の聖地』は人間の醜い部分が、俺達が住んでたレクス王国以上に浮き出てる場所じゃ
ないか・・・!強硬派か何だか知らないけど・・・、自分達の気に入らない存在を追い出せば天国になるとでも思ってるのか?!」
『・・・「宗教はそれを信じる者によって心の糧にも心の凶器にもなる。」・・・俺がレクス王国で所属していた「赤い狼」の合言葉の1つだ。』
『この国は確かに「キャミール教第二の聖地」と称されるほどキャミール教の影響が人民の生活に浸透している。聖職者の社会的地位とかそういうものは
下手な役人をはるかに凌駕するものだ。しかし、その宗教も捉えようによっては他人、特に立場が弱い者や少数派を排撃する強力な口実になっちまう。
宗教ってものの恐ろしさは、神の名や信仰を振りかざせばその宗教が本来戒めている筈のことでさえも正当化、美化されてしまうところにある。今、俺と
アレンが問題の彼女の安全を保障するために取り組んでいる問題の背景にある、民族浄化という名の異民族排撃はその一例だ。』
「・・・。」
『問題の彼女は、キャミール教の影響が強いこの国の国家体制の犠牲者とも言える。しかし彼女は犠牲者であることを嘆くばかりで終わらずに、それを糧と
して自らも属する少数派を敵視する勢力を完全に黙らせるだけの地位や名声や信頼を勝ち得た。それは彼女の信仰の根強さを示すものだ。彼女は宗教の
良い面を身を以って実践して見せていると言える。その彼女を守りたいならアレン。お前は更に情報を集めて決定的な物的証拠を見つけるんだ。そうする
ことで、彼女に纏わりつく黒い翳を取り払い、彼女に生きることを保障することが出来る。それが今の俺とアレンに出来ることだと俺は思う。』
「・・・悪い、イアソン。取り乱してしまって・・・。」
『否、謝る必要はない。アレンが強硬派の思考に傾いてないから、彼女と護衛もアレンに色々話してくれるんだ。今の自分に自信を持てば良い。』
「ルイさんの指輪に関してはまだ情報を得られてない。クリスに頼るばかりじゃなくて、俺も何とかルイさんに見せてもらえるようにしてみる。」
『そうか。くれぐれも、彼女が無意識のうちに作っている心の壁をいきなり踏み破るようなことはするなよ。信用を積み重ねることが第一だ。』
「分かった。イアソンも引き続き頼む。出来ればホーク氏の背後に居る顧問とやらについても。」
『了解。』