Saint Guardians

Scene 7 Act 1-3 捜索-Search- ある聖職者の光と陰U−前編−

written by Moonstone

 その日の夜。
リルバン家の壮大な邸宅の執務室で、フォンが書類にペンを走らせていた。
時に他の一等貴族や教会幹部職など国の重鎮を招き入れることがある11)ため、いかにも座り心地が良さそうなソファや豪華な調度品が優雅に並べられた
部屋は、フォンでなくとも持て余すほどの広さだ。そんな部屋に響く音と言えば、ペンの音と書類を動かす時の紙特有の音くらいのものである。
両腕を広げても届かない横幅の机に広げた書類に、フォンは目を配ってはペンを走らせるを繰り返す。
 広げていた書類一式を揃えて袋に入れ、「処理済」とラベルの付いた箱に仕舞うと、フォンは「未処理」とラベルの付いた箱から袋を1つ取り出す。
今度の袋はかなり分厚い。先程の書類一式の優に10倍はある。机に広げきれないと直感したフォンは、一部を取り出して机に広げ、残りは袋に入れたまま
脇に退ける。そしてフォンは1枚の書類を見る。そこには以下のように書かれてある。

異動要請許可申請書

教会人事監査委員会 御中

異動要請対象者氏名:ルイ・セルフェス
異動要請対象者所属並びに役職:ヘブル村中央教会 祭祀部長

当方準備役職:祭祀部常任委員12)(大司教13)昇格に伴い祭祀部次長の役職を準備)

許可申請理由:満14歳にして司教補昇格という聖職者としての資質はもはや異論のないところであるにもかかわらず、一村の中央と地区の
役職異動のみというのはあまりに不相応な待遇であり、このままではその資質を十分生かすことが出来ないばかりか、資質を潰してしまう
恐れすらある。よって将来の我が国を担える聖職者とすべく当方にて相応の役職と待遇を準備し、この度貴委員会に異動要請許可を申請
するものである。

申請者氏名:アルバ・ミシェルニス
申請者所属並びに役職:フィル町首都地区教会 祭祀部長
申請推薦者氏名:オーロン・バルディスティア
申請推薦者所属並びに役職:フィル町首都地区教会 総長
 ルイに対する異動要請の許可を求める申請書の1枚だ。袋には1人の聖職者に対する異動要請許可申請書が詰められている。つまり、袋の厚みは増す分
他の教会がその聖職者、つまりはルイを欲しているということだ。
フォンは他の書類にもざっと目を通す。どれも各教会の幹部職14)若しくは準幹部職15)が準備役職として挙げられている。そして一定の昇格を条件に更なる
厚遇を準備していることや、ヘブル村教会での待遇を婉曲的にだが批判していることも共通している。申請理由も似たり寄ったりで、「こんな有能な聖職者を
一村に押し込めておくのは勿体無いからこっちに来させてくれ」という内容だ。
 魔術師の称号同様、聖職者の称号は年齢や在職年数とは無関係だ。勿論、ランディブルド王国における教会の役職でも年齢や在職年数は問われない。
更に聖職者の場合、称号は単純に魔力を増大させれば昇格とはならないためなかなか昇格しない、というのは先にクリスがアレンに説明したとおりだ。
許可申請理由にもあるように、14歳で司教補という昇格の若さと速さに、他の町村の教会が熱い視線を注いでいるのだ。
フォンは、異動要請許可申請書に添付されていた書類を1枚手に取って見る。それはルイの言わば聖職者としての履歴書で、以下のように書かれてある。

聖職者経歴書

氏名:ルイ・セルフェス

生年月日:C3297.2.12(戸籍登録日:C3302.5.20)

入信日:C3302.5.25

経歴
C3302.5 ヘブル村中央教会 総務部総務1班班員(僧侶)
C3303.3 ヘブル村西地区教会 祭祀部総務1班班員(僧侶)
C3303.9 ヘブル村東地区教会 総務部総務1班班員(僧侶)
C3304.3 司祭補昇格
C3304.3 ヘブル村中央教会 教育部教育班副班長(司祭補)
C3305.1 ヘブル村西地区教会 福利部対応班班長(司祭補)
C3305.4 司祭昇格
C3305.5 ヘブル村東地区教会 福利部慈善班班長(司祭)
C3306.7 ヘブル村中央教会 福利部委員(司祭)
C3307.2 大司祭昇格
C3307.2 ヘブル村西地区教会 祭祀部委員(大司祭)
C3308.1 ヘブル村東地区教会 福利部常任委員(大司祭)
C3308.10 ヘブル村中央教会 教育部常任委員(大司祭)
C3309.3 司祭長昇格
C3309.4 ヘブル村中央教会 福利部常任委員(司祭長)
C3309.7 ヘブル村東地区教会 祭祀部次長(司祭長)
C3310.1 ヘブル村西地区教会 教育部次長(司祭長)
C3310.8 ヘブル村中央教会 祭祀部次長(司祭長)
C3311.1 ヘブル村東地区教会 福利部長(司祭長)
C3311.3 司教補昇格
C3311.3 ヘブル村中央教会 祭祀部長(司教補)※現職

その他の役職
C3312.1 ヘブル村評議委員会委員※現職
 約2年間隔という目覚しい速度での称号昇格を反映して、役職の昇任速度も目を見張るものだ。村の教会も、ルイに対する待遇不相応との他の町村の教会
からの抗議を免れるべく、ルイを厚遇していると推測出来る。
 祭祀部長がランディブルド王国において非常に尊敬され、且つ権威ある役職というのは、クリスとルイがアレン達に話したとおりだ。司教補昇格と同時に
祭祀部長就任という経歴の他、それより前の司祭長の段階で次長職を転々としている。これも他の町村の教会からの批判回避のためだろう。しかも、見た限り
全ての異動要請申請書の申請推薦者として総長の氏名が記載されていることも、ルイへの異動要請が非常に強いものだという証明だ。
 通常、申請推薦者としては人事関係を担当する総務部長16)の名が挙がる。そこに教会の最高責任者である総長が出てくるというのは、教会が文字どおり
総力を挙げてルイ獲得に名乗りを上げているということに他ならない。
ルイの履歴書を見ればそうしたくなるのも頷けるものであることは、教会関係者なら容易に分かることだ。ましてや、フォンは教会人事監査委員長という大役。
委員会の審査を通過した許可申請の可否は最終的にはフォンが決定するから、その辺の事情は承知済みだ。
 フォンはルイの履歴書を元に戻してペンを執り、書類の所定の欄に以下のように記す。

許可(ただし、本人の同意を前提とする)

 フォンは残る書類にも同じ記載をして、袋に入っている残りの書類を広げては内容を確認し、所定の欄に同じ記載をしていくという作業を繰り返す。
その途中、フォンの視線が机の脇に立てかけてあるドローチュア立てに向く。滑らかだったペンの動きが止まり、フォンの目には悲しげとも言える思い詰めた
感が漂う。
少しの間ドローチュアを見ていたフォンは視線を机に広げた書類に戻し、事務処理を再開する・・・。
 同じ頃、アレンとルイは台所で夕食の準備をしていた。
今夜はスーリュ17)のたたきをメインに、パリル18)を加えたルーブン、そしてパエリアという魚介類中心のメニューだ。漁業も主要産業の1つであるフィルでは
新鮮な魚介類が豊富に入手出来ること、「主役」の1人であるリーナが肉嫌いということが選定の理由だ。
アレンもルイも内陸部で生まれ育ったから魚介類の料理にはあまり馴染みがない。だが、料理を得意とする2人ならレシピを見れば問題なく作れる。
それに、料理経験が豊富なことを生かしてレシピの模倣だけでは終わらない、より美味しくする勘も働くし、相応の技術もある。
 竈の1つはルーブンを作る鍋が乗せられている。残る竈のうち2つはパエリア作りに使うことにしている。魚介類の料理は一般にボリュームの面では肉料理に
劣る。大食らいのクリスの胃袋を満たすには、スーリュのたたきだけでは間に合わない。言わば「クリス対策」として主食とおかずの両面を満たす料理の1つと
言えるパエリアを多く作ることで、アレンとルイの見解が一致したのだ。
そのクリスはというと、午後にフィリアと共に図書館へ出向いたリーナの護衛として駆り出された際に雑貨店に立ち寄り、フルボトルの白ワインを入手している。
「やっぱ、地酒をたっぷり楽しまんとな」とはクリスの弁。これは、酒豪と言われる者なら実感出来るだろう。
 アレンとルイは、パエリアの材料となる野菜や海老、貝の下準備に取り組んでいる。量が多いから2人がかりでないと厳しい。ルーブンの方は出汁取りを
終え、具の投入を待つ段階にある。この辺の段取りも、料理経験豊富なアレンとルイは勘のレベルで構成出来る。

「アレンさんは、故郷で普段どんなことをしていたんですか?」

 海老の殻を剥いていたルイが話を切り出す。パエリアに投入する野菜を微塵切りにしていたアレンは、包丁を動かす手を止めずに答える。

「大半は家事だったよ。朝起きて朝食作って、洗濯して掃除して、昼食作って夕食作って、風呂沸かして。時々フィリアの薬草取りの護衛をしたり、あと、
町の自警団活動にも参加してた。」
「自警団って何ですか?」
「この国では軍隊が町や村を魔物の襲撃から守ったりしてる、ってルイさんから聞いたけど、俺が居たレクス王国での軍隊は専ら国境警備か国王の親衛隊と
してしか機能してないんだ。だから伝統的に、町や村の大人が結集してそういった活動をしてるんだよ。俺はまだ年齢の問題で正式に入団出来ないん
だけど、準団員っていう位置付けで活動してた。町の治安は良かったんだけど、町が山間にあるからよくオークとかが攻め込んで来て、夜中パジャマ姿で
剣を持って家を飛び出して行ったこともあったよ。」
「アレンさんは町を守る組織の一員として、大人の人と一緒に頑張っていたんですね。」

 ルイの感嘆と称賛で、アレンは照れ笑いを浮かべて頬を少し赤らめる。
毎日3度の料理の他、読書ついでに頻繁に飲み物を要求するリーナに応えるため1日の多くの時間をルイと台所で共に過ごすアレンは、ルイへの好感を
強めている。
明言こそないものの、熱烈な求愛の意思表示を受けていることだけがその要因ではない。「背が低い」「顔立ちが少女的」というアレンが長年背負って来た
劣等感の克服の足がかりを作ったのがルイだということが大きい。
 故郷テルサでは、アレンは老若男女問わず誰からも、特に年齢層の近い女性から「可愛い」ともてはやされていた。それはしかし、アレンにとっては自分を
男として見ていない、若しくは着せ替え人形か玩具代わりにしか思っていないという意識となって心に沈殿していった。「評判」を挽回すべく早くから自警団で
剣を振るって来たが、外見と活躍のギャップが皮肉にもアレンをより「可愛い剣士」とアイドル視させることになった。
 フィリアは何度かアプローチを試みて来たものの、元来のアレンの鈍さに加えて日頃「幼馴染」「自分アイドル視する1人」として接して来たことで、アレンが
フィリアを異性として意識させないで来ている。
リーナは元々性格が掴み難い上に、今は「主役」として散々アレンをこき使っているから、到底恋愛対象にはなりえない。
シーナには理想像への憧れを抱き、クリスはその奔放さや人間性から、異性としてではなく1人の友人と見ている。
そんな中、ルイが自分に対して熱烈な求愛の意思表示をしていると知り、初めて自分を一人の男性と認識しているとルイに言われたことで、アレンは劣等感の
克服に加えて、ルイを1人の異性として明確に意識するようになっているのだ。

「ルイさんは、教会でどんな仕事してるの?」
「礼拝の指揮監督と実行が主ですけど、他に月1回、村にある中央教会と東西の地区教会の総長、副総長、各部の部長が集結する総合会議で教会主催の
定例行事、例えば収穫祭や感謝祭19)聖誕祭20)といった行事の役割分担や、各教会での行事の遂行状況やその月の予定−私が所属する祭祀部では
誰と誰がこの日に結婚式を挙げるといったことを報告して、必要な場合は協力に必要な人員数を決定したりします。その会議での決定事項を受けて
各部での役員21)会議で、具体的に誰が何処に何日間行くのかなどの詳細を決めて、所属の聖職者に通達します。勿論役員も通達の対象になります。」
「え?じゃあ、ルイさんも例えば東地区教会の行事に出向いたりするの?」
「はい。勿論です。」

 祭祀部長というこの国の教会の役職で非常に尊敬され、且つ権威ある役職であれば、会議に出席して部下に指示するといったマネージメント的なことに
専念するものかとアレンはてっきり思っていたのだが、自ら出向いたりすることも当然あると言うルイの答えに驚きを隠せない。

「アレンさんの国ではどうか知りませんが、この国の教会の役員には指示管理的職責だけでなく、実務的職責も伴います。言い換えれば、役員だからこそ
所属の聖職者の模範となるような行動が求められるのです。」
「へえ・・・。」
「それに、各町村の中央教会はその村の教会の最高責任機関ですから、地区教会の要請に応じた行動が求められるんです。権威には相応の職責と実務が
伴う、というのが教会人事服務規則の基本精神です。あえて厳しい言い方をしますと、豪華な椅子に座って指示を出すだけの役職者など必要ない、と
いうことです。」

 アレンは、ランディブルド王国における聖職者の高い地位と権威に要求されるものの重みを感じる。
クリスから花嫁修業のために聖職者になる女性が多いというのは聞いているが、それは正規の聖職者になることがそれだけ厳しく、ましてや昇格となれば
責任が重くなり、率先して職務に臨むくらいの行動力が必要となるということだ。大人でも1年で2/3は根を上げてしまうというのも納得出来る。同時に、
自分と同年代にして祭祀部長という重要な役職に就き、直後に亡くなった実母の葬儀を執行したルイに、聖職者としての素質を垣間見ることが出来る。

「ルイさんが『村一番の聖職者』って言われてる、って前にクリスから聞いたんだけど、確かにそのとおりだね。」
「アレンさんにそう言ってもらえると嬉しいです。」

 はにかんだ笑みを浮かべるルイに、アレンはルイを初めて見た時と同じ、否、それ以上の胸の高鳴りを感じる。
アレンとルイは、何時の間にか会話に集中していた意識を料理に戻す。仕上げに時間がかかるルーブンに加えて大量のパエリアを作るには、あまりのんびり
していられない。幾ら2人の手際が良くても、料理器具とさばける量には限度というものがある。

「もっと、ルイさんとゆっくり話をしながら料理出来たらな・・・。」

 ふとアレンの口から漏れた言葉を、ルイは聞き逃さなかった。
言葉に篭った本音に気付いて−この辺がフィリアを梃子摺らせる要因だ−顔を上げたアレンと、同じく顔を上げたルイは見詰め合う。
少し見詰め合った2人は、相手の頬が赤らんだのを見て慌てて視線を俎板に戻す。
材料の下準備が完了し、味付けと臭味取りを兼ねて魚介類を調味料を加えた白ワインに浸す。パエリアを作る前に、スーリュのたたきに使う薬味を作る。
スーリュのたたきは好き嫌いが出易い独特の匂いがあるので、刺身嫌いのフィリアが食べられない可能性があるからだ。
 ルイがアブランを微塵切りにして、アレンがにんにくを摩り下ろし、リリブ油22)カラード23)を1:2の割合で混ぜ、更に調味料を加えてよく混ぜる。この所謂
ドレッシングに浸してアブランとにんにくと同時に食すことで、独特の匂いを消すと共に味のアクセントをつけるという算段だ。ちなみにこれは、アレンとルイが
それぞれの調味方法を突き合わせて考案したものだ。
 薬味が出来たらいよいよパエリア作り。此処からはアレンとルイが同じことを手順を辿る。
まず、あらかじめ火を起こしておいた竈に向かい、火を強めてフライパンを十分熱してからリリブ油を少し注いでフライパンを揺すって広げ、海老と貝を
炒める。焼き色がついたところで火から下ろして炒めた海老と貝を皿に移動させ、フライパンに再度リリブ油を少し注いでにんにくを炒め、香りが出て来た
時点で微塵切りにしておいたアブランを投入し、少ししてから潰しておいたトマト、ルーブン作りのついでに余分に採った出汁をたっぷり入れて煮立たせる。
かき混ぜても泡がポコポコ浮かぶくらいになったところでマルフィを加えて表面を平らにして、再び沸騰させる。
フライパンに蓋をして火を弱めて数ミム煮込み、水分がなくなる代わりにマルフィに火が十分通ったのを確認してからよくかき混ぜて平らにし、先に炒めて
皿に退けておいた海老と貝、少量の水を入れてよくかき混ぜ、弱火にして煮込む。水分が完全になくなってフライパン近くのマルフィが若干焦げたように
見えたところで火を消し、しっかりかき混ぜて再び蓋をして蒸らす。
パエリアはマルフィに十分火が通っていないと、芯が残って不味くなる。かと言って煮込み過ぎると、今度は焦げてしまってこれまた不味くなる。そして
蒸らし作業は一見何でもないように見えて、実はマルフィ料理において旨味を更に増す重要なものだ。
煮込みと同じくらい蒸らした後、アレンとルイは皿にパエリアを盛り付ける。クリスの分だけ大盛りなのは言うまでもない。
 そしてアレンが暗所に入れておいた箱からスーリュのたたきを取り出し、均等な厚みになるように素早く切る。切り分けられたスーリュのたたきをルイが
皿に盛り付け、それぞれにアブランとにんにくの摩り下ろしを分けて添える。刺身嫌いのフィリアは兎も角、リーナとクリスは必要ないかもしれないから、
ドレッシングに混ぜずに置いておけば必要な分だけ使えるわけだ。
見た目にも十分食欲をそそるメニューが出揃い、アレンとルイは手分けして部屋に運ぶ。

「わーっ、これってパエリアやんか!これって作るの滅茶難しいんと違うの?」

 目の前に鎮座した大盛りのパエリアを見て、早速食い気満々のクリスが歓声を上げる。意外に食事にこだわりがあるクリスらしい。
リーナは普段どおりと言おうか表情を変えないが、フィリアは明らかに火が完全に通り切っていない魚料理−だからこそたたきなのだが−を見て表情を硬く
する。

「ちょっとアレン。あたしが刺身嫌いなことくらい知ってるでしょ?」
「これは産地直送だから大丈夫だよ。念のため、料理直前に運んで来てもらったものだし。」
「何でフィリアは刺身嫌いなん?」
「・・・小さい頃、刺身食べてお腹壊したのよ。1週間くらい寝込んじゃって、それ以来、ね。」
「ああ、それやと嫌いになってもおかしあらへんな。」
「嫌いなら食べないことね。」

 納得したクリスに対し、リーナの言葉は冷たいばかりか突き放すようなものだ。
あんたこそ肉料理を徹底的に嫌がるじゃないの、と言いそうになったフィリアだが、「主役」の看板を突きつけられては敵わないのでぐっと飲み込む。

「ん?何やら液が入っとるこの皿は何に使うん?」
「それに、スーリュのたたきを浸してから食べてみて。必要に応じて皿に添えてあるアブランとにんにくを乗せて一緒に食べると、匂いが消える筈だよ。」
「ふーん。アブランとにんにくの摩り下ろしたやつを臭い消しに使(つこ)たっちゅうわけか。」
「食べてみてください。問題なく食べられると思いますよ。」

 アレンとルイが着席した後、それぞれが料理に手をつける。フィリアのみスーリュのたたきを、アレンに言われたとおりの手順で恐る恐る口に運ぶ。

「うん!このパエリア、滅茶美味いわ!」
「今回も上出来ね。」

 クリスは見るからに、リーナは素っ気無く感想を口にする。

「・・・あ、生臭くない。」

 咀嚼(そしゃく)するうちに警戒心が消えたフィリアが思わず言う。
フィリアが刺身嫌いになったもう1つの理由である生臭さが、ドレッシングに浸してアブランとにんにくの摩り下ろしと共に食すことで見事に解消されたのだ。
「関門」を突破したことで安心したフィリアの食のペースは、順調に軌道に乗る。

「どれどれ。・・・うん、この液に浸けてから食べるとええ感じになるな。これやと酒が進むなぁ。」

 スーリュのたたきを一切れ食べたクリスは、物色して来た−料金は運ばれて来た食材と共にアレンとルイが払った−白ワインの栓を開ける。こちらは言う
までもなく豪快に食べて飲む。一体胃袋が幾つあるのか、と向かい側に座るアレンは改めて首を傾げる。もっとも、不味そうに食べられるより軽快に
食べられる方が、作った者として嬉しいことには違いない。

「ホント、ルイとアレン君、料理上手やなぁ。村やとパエリアなんて滅多に食えへんのよ。」
「あんたの家じゃ、誰が料理してるの?」
「メイドさんや。父ちゃんは生粋の軍人やで料理知らへんし、母ちゃんはあんまり料理得意やないんよ。せやから、メイドさん雇とるんや。」

 フィリアの問いにクリスが答える。
クリスの父は村駐在の国軍の指揮官、母は村役場の事務職員ということで、家はかなり裕福な方だ。そのため家事をメイドに代行させることも出来る。
家事は家族の誰かがするもの、と認識していたアレンとフィリアにはある意味羨ましい話だが、裕福な家の一人娘ということで料理に手を出さずに済んで来た
リーナにはさほど物珍しい話ではない。家には大きな食堂があって、そこには誰かが常駐しているから、頼めば料理が出て来たものだ。

「親が軍隊の指揮官と役人の組み合わせで、メイド雇ってるならクリスが料理出来なくても不思議じゃないけど、ルイはどうして料理が得意なの?」
「教会では大抵のことは役職問わずに当番制なんです。食事は神から与えられたその日の恵みを食す、ということで、修行の一環でもあるんです。」
「非正規の聖職者も料理教えてもらうんよ。せやから花嫁修業になるんやけど。」
「祭祀部長っていう大層な身分でも料理するのね・・・。」

 フィリアの呟きには、ルイに対する威嚇めいたものが篭っている。
ルイがアレンに好感以上の感情を向けていることに、「アレンのパートナー」を自称するフィリアは警戒心を抱かずには居られない。それに加え、リーナが
ことある毎に自分とクリスを連れ歩き、アレンとルイが2人きりになる時間が多いことが気になっているのだ。
 しかし、今のフィリアはリーナに不満をぶつけたり、まかり間違っても喧嘩を吹っかけることなど出来ない。リーナはオーディション本選出場者。対する
フィリアは半ば強引にリーナの護衛として割り込んだ身。明らかにフィリアは不利な立場だ。その上リーナは何度も自分に対する絶対服従を口にしている。
今度言わせることは、殺されるか摘み出されるかの選択に繋がりかねない。

「ルイは忙しいんよ。村の中央教会の祭祀部長やっちゅうことで、村の彼方此方から教会の依頼が来るしな。」
「教会に教会の依頼?どういうこと?」
「この国で『教会』というのは皆さんの国にもある教会を指す単語であると同時に、各家庭の依頼で祭祀部所属の聖職者が直接その家庭に出向いて
キャミール教の教えを説くという職務を指す単語でもあるんです。」

 頭に疑問符を浮かべたフィリアに、ルイが解説する。
ランディブルド王国がキャミール教を国教としていることの影響は、教会の地区管理制という王国の国家体制だけに留まらない。各家庭での信仰を教会に
行かずとも直接聖職者が出向いて説法することで支援するということも、教会の重要な職務の1つなのだ。神の教えを説くという、宗教における基本且つ
重要な職務を担う祭祀部の頂点である祭祀部長の地位が高いのは、そのことも背景にある。

「それに、ルイは村の評議委員会の委員もやっとるしな。」
「え?評議委員会って確か、各町村に駐在する国軍の指揮官を推薦するっていう・・・。」
「それだけやあらへん。どのくらい開墾するかとか何処に家や店を置くかとかいう町村の重要事項を決定したり、それに必要な予算を国に要求したりするんよ。
予算作るんは役場やけど、要求は評議委員会の仕事やでな。」

 アレンの確認の問いにクリスが答える。
ルイが祭祀部長という高い地位と権威を有する役職に加えて議員に相当する役職を兼務していることを知って、フィリアは思わず身を乗り出す。

「ちょ、ちょっと。何で祭祀部長のルイがそんな村の役職までやってるわけ?」
「評議委員会は教会の幹部、具体的に言うと中央教会の総長、副総長、各部の部長、それに地区教会の総長と副総長プラス町村の有力者で構成される
からや。ルイは今年から評議委員会に入ったんや。本当は去年、ルイが祭祀部長に就任した時点で入るんやったんやけど、・・・お母ちゃんが死んだ直後
ちゅうことで喪明け24)まで待ったんや。評議委員会でもちょいとゴタゴタがあったで、丁度良かったんやろうけど。」
「ゴタゴタって?」
「評議委員会の委員やっとった奴等の子どもが昔、ルイを散々苛めとったっちゅうことで、そんな人間に評議委員なんてやらすわけにはいかへん、て
教会幹部と他の評議委員が罷免したんや。評議委員の任期中の罷免は役場通して国の役所に届け出やんと駄目やから、その手続きで時間かかったんよ。」

 アレンの問いに対するクリスの答えに怒りが篭っていることは、口調の振幅こそどうにか抑えてはいるものの吐き捨てるような速さで分かる。
ルイが戸籍上死んだことになっている人間の子ども、しかもランディブルド王国の一部強硬派が敵視する少数民族バライ族の1人で、更に私生児ということで
酷い苛めに遭っていたことは、幼馴染であるクリスはよく知っている。苛めがなくなったことで怒りが消える筈はない。
 それに、彼方此方から異動要請を受けるほどの優秀な聖職者を苛めていた子どもの親を評議委員としてルイと同席させることは、ランディブルド王国の
国家体制の中軸の1つを成す教会の幹部としては到底認められないことだ。
先に挙げたように、聖職者の異動要請許可申請には対象となる聖職者の履歴書が添付される。当然そこには現職も記載される。他の町村の教会に、ルイの
苛烈な過去と近かれ遠かれその要因となった存在が評議委員としてルイと同席していると知られれば、厳しい抗議は避けられない。抗議だけならまだ良い。
最悪、国の中央教会があるまじき処遇として乗り込んでくる可能性さえある。ルイが全ての異動要請を断っているから村の教会はルイを放出せずに済んで
いるが、国の中央教会の処断には従わなければならない。
 評議委員に名を連ねている他の有力者も、子どもが未婚の男なら尚更「村で嫁さんにしたい女No.1」と評されるルイの放出は避けたいところだろう。
クリスが言うところの「俄か聖職者」、正式には非正規の聖職者が多いのは、それだけ聖職者である女性の人気が高いという証明でもある。それは航海の
途中、イアソンがアレンに話したとおりだ。非正規でもそれだけ人気なのだ。ルイは正規、しかも14歳で司教補昇格と村の中央教会の祭祀部長就任を
果たした聖職者。未婚の男を子どもに持つ親なら尚更ルイを放ってはおけないだろうし、ルイを酷い目に遭わせた子どもの親が評議委員であることは容認
出来ないだろう。

「そいつらは村の二等三等貴族連中でな。本当は評議委員解任と同時に財産没収、資格剥奪ってなるところやったんやけど、そこまでいかへんかった。」
「どうして?」
「その話聞いたルイが評議委員会に直訴したからや。追い詰めたら駄目、ってな。」

 クリスは今でも納得出来ないのだろう。厳しい表情で一度小さい溜息を吐いて続ける・・・。

用語解説 −Explanation of terms−

11)時に他の・・・:ランディブルド王国の一等貴族では、応接室は自分が招待した時と国王一族を迎える際に使用し、その他は執務室を使うのが慣例。

12)常任委員:ランディブルド王国の教会には4つの部があるが、各部は部長を筆頭に、次長2、3名、常任委員10名前後、委員20名前後、班長(部によって
数や名称が異なる)、副班長、班員と続く。常任委員と委員の数は町村の規模に応じて異なる(例示したのは平均的な数)。この場合一見ルイが降格するように
見えるが、教会の規模がルイが住むヘブル村とフィルでは圧倒的に違うし、フィルの地区教会(東西南北と港湾、首都の6つ)は国の中央教会に次ぐ権威が
あるため、実質的には昇格である。


13)大司教:聖職者の下から8番目の称号。

14)幹部職:一般に総長、副総長、各部の部長職を指す。

15)準幹部職:一般に各部の次長、常任委員職を指す。クリスがScene6 Act3-2でアレンに言った「役員」とは常任委員のこと。

16)人事関係を・・・:総務部は本文のような異動申請事務の他、教会への寄付や運営金の管理・配分、他町村の教会の人事調査などを行う。

17)スーリュ:沖合いで獲れる体長2メールほどの大型の赤身魚。我々の世界で言うところの鰹(かつお)に似ていて、刺身やたたきとして食される。

18)パリル:海岸で獲れる幅3セームほどの貝。ランディブルド王国では、本文中にあるようにルーブンの具としてよく使われる。

19)感謝祭:神に今の自分があることを感謝する、という目的で開催されるキャミール教の主要行事の1つ。ちなみに建国の経緯の関係で信仰心が伝統的に
薄いレクス王国では行われていない。


20)聖誕祭:神の預言を受けた開祖カミルの生誕を祝する、という目的で開催されるキャミール教における非常に重要な行事の1つ。ランディブルド王国では、
シルバーカーニバルと同等以上の国家的行事として執り行われる。


21)役員:部長、次長、常任委員の総称。本文中並びに15)でも触れているとおり、常任委員以上の役職を一般に「役員」と言うこともある。

22)リリブ油:温暖湿潤な気候に生えるリリブという低木の落葉樹から採れる料理用の油。我々の世界で言うところのオリーブ油に近い。

23)カラード:マルフィを発酵させて作る調味料の一種。我々の世界の酢と基本的には同じだが、酸味は強い一方で匂いはあまりないという特徴がある。

24)喪明け:キャミール教では新年を迎えると同時に喪が明ける。キャミール教には1周忌などの概念はない。

Scene7 Act1-2へ戻る
-Return Scene7 Act1-2-
Scene7 Act1-4へ進む
-Go to Scene7 Act1-4-
第1創作グループへ戻る
-Return Novels Group 1-
PAC Entrance Hallへ戻る
-Return PAC Entrance Hall-