「俺って・・・何なんだろうなぁ。」
アレンは、捌いたコウミィの切り身に−図書館で借りた本を見て捌いた−塩や胡椒といった調味料を振りかけながらぼやく。「都合良く使われてるって感じ・・・。」
「でも、アレンさんの料理の腕前、私も興味ありますよ。」
「料理は何時頃からやってるんですか?」
「小さい頃からだよ。物心付いた頃には剣か包丁を握ってたんだ。」
「お母様から教わったんですか?」
「母さんは俺を産んで直ぐ死んだから、不器用な父さんの代わりにね。」
「す、すみません。無神経なこと言ってしまって・・・。」
「あ、気にしてないよ。俺の家庭事情なんて何も話してないからルイさんが知る筈ないし。無理ないよ。」
「私、聖職者っていう思いやりが大切な職業に就いている身なのに・・・、まだまだ修行が足りないですね。」
「そんなことないよ。ルイさんの気遣い、嬉しいよ。」
「アレーン。ご飯まだぁー?」
リビングからリーナの催促する声が飛んで来た。「さっき始めたばかりなのに、そんなに直ぐ出来るわけないだろ!」
リビングに顔を突き出したアレンは思わず声を荒らげる。アレンとルイが料理を始めてまだ50ミムも過ぎていない。メニューの数と手間を考えると、「・・・ったく、どうしてあんなに我が侭なんだろ・・・。」
いかに温厚なアレンとは言え、護衛というだけでこうもこき使われては怒りも溜まるというものだ。「俺にあれこれ押し付けて自分は何もしないんだから・・・。少しはルイさんを見習ってほしいよ。」
「え・・・。」
「オーディションの出場者なのに、俺と同じ様に夕食の準備を押し付けられても文句の一つも言わないんだから、立派だよ。」
「私は・・・そんな立派な人間じゃないですよ・・・。」
「俺・・・、ルイさんみたいな女性の護衛、したかったな・・・。」
アレンの呟きはルイにははっきり聞き取れた。二人は揃って頬を紅く染めて俯く。「・・・ねえ。ルイさんも教会で料理作るの?」
「ええ。時々ですけどね。大抵のことは当番制ですから。クリスは昔から私が当番の時に教会に来て料理を食べるんですよ。」
「なるほど、どうりでクリスがルイさんの料理の腕を自慢してたわけだ。食通のクリスを魅了するルイさんの料理の腕前、興味あるなぁ。」
「ちょっと試してみます?」
「そ、そうだね・・・。折角だから・・・。」
アレンは何とか平静を装ってスプーンを持ち、ルイが作ったハーシンベルの入った鍋に手を伸ばす。「あ、ちょっと・・・待ってください。」
ルイはアレンを制止して、手にしたスプーンでハーシンベルを一杯分掬って口元へ持っていき、静かに数回吹く。アレンは言葉も無く立ち尽くしている。「はい、どうぞ。」
ルイは湯気が仄かに立ち上るスプーンをアレンの口元に差し出す。その頬が赤くなっているのは言うまでもないだろう。アレンは恐る恐る口を開ける。「熱いでしょうから、気をつけてくださいね・・・。」
ルイはアレンの口にそっとスプーンを差し入れる。アレンはぎこちない動きで口を閉じ、スプーンからハーシンベルを受け取る。「どう・・・ですか?」
ルイは心配と緊張が混じった表情で尋ねる。「・・・うん、美味しいよ・・・。凄く・・・。」
ルイ以上に緊張していたアレンは、微笑みを浮かべてそれだけ言うのが精一杯だ。だが、ルイにはこれ以上にない賞賛の言葉だ。その表情は一気に明るく「ねえ、どうだった?」
料理が待ち遠しくて仕方が無いという表情のフィリアが、様子をこっそり窺いに行っていたクリスに尋ねる。「もう殆ど出来ちゃっとる。」
「そう。お腹空いたし、待ち遠しいわぁ。」
「ルイの作るハーシンベル、滅茶美味しいんやで。」
「アレンの料理の腕前知ったら、びっくりするわよ。」
「お、美味しそう・・・。」
「味の方は好みがあるだろうから、ま、食べてみてよ。」
「では早速・・・。」
「美味しい!」
単純だがもっとも的確なクリスの賞賛の言葉で、フィリアとリーナも思い思いに料理を口に運ぶ。「うーん。この濃厚でそれでいてしつこくない味。良いわぁ。」
「待っただけの甲斐はあったわ。上出来よ。」
「このムニエルって、誰が作ったん?」
「あ、それは俺だよ。」
「大したもんやねえ。これって元々魚1匹丸ごとやろ?アレン君が自分で捌いたん?」
「ああ。魚捌いた経験はなかったけど、本を見たら何とか出来たよ。ムニエルは、鶏肉が魚の切り身に代わっただけと思って作ったんだ。」
「凄いねぇ。初めてやのに自分で魚捌くなんて。それにクリームソースが絶品やわ。こんなに上手いこと作れるなんて、本職顔負けやね。」
「そりゃあアレンはあたしの料理の先生だもん。あたしのお母さんもアレンに料理教わったことがあるんだから。」
「このスープ・・・、ハーシンベルっていうんだっけ?」
「そうそう。あたしとルイが住んでる村がある、この国の北部の郷土料理なんよ。」
「これは本格的ね。口当たりも香りも良いし、野菜には中まできちんと火が通ってるわ。」
「それは私が作りました。」
「リーナ。ルイの料理もアレン君に負けとらへんやろ?」
「そうね。確かにこれは甲乙つけ難いわね。」
「しっかし、こんだけ美味しい料理が食べれるんなら、わざわざレストランに出向いて金払う必要あらへんね。」
「そうよねぇ。あそこって、ギスギスしてて何か落着かないのよねぇ。」
「ちょ、ちょっと待てよ。これからずっと作れって言うんじゃ・・・。」
「アレン、ご名答。お願い、ね?」
「ね?じゃないよ。5人分の食事の準備がどれだけ大変か、分かってんの?」
「うーん。大変なんはそれなりに分かるつもりやけどさぁ。」
「だったら・・・。」
「こんな美味しい料理が周りを気にせずに食べれるんやから、そこを何とか頼むわ。な?」
「アレン。あたしからもお願い。やっぱりアレンの料理の味覚えちゃうと、店の料理が違和感あってさぁ。」
そこにフィリアの要請が加わる。「あの・・・、アレンさん。私もお手伝いしますから、何とかやってもらえませんか?」
「え?ルイさんが?だってルイさんは本選出場者だろ?護衛のクリスがするならまだ話は分かるけど・・・。」
「あたしの料理食べるんやったら、トイレで食べた方がええで。」
「私も幼い頃から料理をしていますから、少なくとも足手纏いになることはないと思います。お願い出来ませんか?」
「・・・二人でなら・・・良いか。」
「「やったぁ!」」
フィリアとクリスは両手を叩き合って喜ぶ。どちらもアレンやルイの料理の味に中毒になっているようなものだけに、それが何時でも食べられるのは至福の「あーっ、美味しい食事にええ風呂、もう最高やね!」
「オヤジ臭いわね、あんた。」
「そりゃないっしょ。」
「それにしても、アレン君って滅茶器用やね。驚いたわ。本見ただけで自分で魚捌くなんて、料理人でもあらへんのに。」
「アレンの料理の腕は、あたし達のパーティーで一二を争うくらいだからね。」
「あれだけの美形やし、おまけに昨日の一件で見たけど剣の腕もなかなかやし、女としてはちょっと放っておけへんね。」
「ちょ、ちょっと!あんたもアレンにちょっかい出す気?!」
「いやいや、あたしはもっとこう、筋骨隆々で背の高い男がタイプなんよ。そいでもって、そんな男に勝ってあたしの下僕にするんよ。」
「・・・何よ、それ。」
「ま、可憐な女武術家のロマン、ってとこね。」
「ロマンじゃなくて下劣な欲望でしょ?」
「あんた、きっついこと言うわねぇ。」
「でさ、アレン君って、好きな娘とか居るん?」
「そりゃ勿論・・・」
「あんたじゃないことは確かよ。」
「な、何でよ!」
「考えてもみなさいよ。スロットマシンで遊び倒すわ、料理は完全お任せだわ、そんな女にアレンが惹かれるとでも思ってんの?」
「アレンの理想はシーナさんだって、幾らあんたでも薄々は知ってるでしょ?あんた、シーナさんとは対極じゃない。」
「う、五月蝿いわね。そんなことくらい、あんたに言われなくても知ってるわよ!」
「シーナさんって・・・、そういやアレン君が昨日通信してた時に出て来てたね、その名前。」
「そのシーナって女性(ひと)、どんなんなん?」
「年齢は20歳。Wizardで医師、薬剤師。料理の腕は最高。凄い美人でスタイルも抜群。おまけに優しくて面倒見も良い。・・・そんな女性よ。」
「そ、そんな才色兼備を地で行く女性がアレン君の理想なん?滅茶ハードル高いね・・・。」
「アレンに事実上人妻の女性に手を出す甲斐性なんてないだろうし、そんな気もないでしょうよ。命も惜しいだろうし。好きになったらそれが一番になるんじゃ
ないの?現実が理想に置き換わるってことは、恋愛ごとじゃ当たり前だし。」
「うんうん、そう言われてみればそうやねえ。で、アレン君って一途な方?それとも浮気性?」
「知らないわよ、そんなこと。本人に聞けば?」
「ところでルイ。あんたに聞きたいんだけど。」
フィリアが隣で身体を洗うルイを睨みながら言う。「あんた・・・今まで男と付き合ったことある?」
「いえ、ありません。」
「そーお?随分男を寄せそうな身体してるけど。」
「あんた、その身体でアレンを誘惑しようったって、そうはいかないわよ。」
フィリアの視線には、明らかにルイへの警戒心と敵意−殺気に近い−が篭っている。客観的に見ても美人で年齢以上に大人びていて、しかも胸が大きいと「そんなことしてませんし、する気もありません。」
「今日はミニスカート履いてたわよね。あれってアレンの気を引こうっていう魂胆でしょ?」
「今まで、ルイってミニスカート履いたことあらへんだよね?」
「今日のやつも此処に来る前に、あたしが合わせたったやつなんよ。『好きな人以外には見せたくない』って言ってたわよね?ルイ。」
フィリアの頭の中で何かが切れる音がした。「ほほう・・・。あたしの目が届かないところでアレンを誘惑しようなんて・・・いい度胸してるわね!」
フィリアは憤怒の形相を露にして、いきなりルイに飛び掛かる。突然のことにルイは抵抗する間もなく、フィリアに背中から抱きつかれる格好になってしまう。「い、嫌ぁ!ちょ、ちょっと何するんですかぁ?!」
「この胸ねぇ?アレンを誘惑しようとしてる胸は!随分でかいわねえ!片手じゃ掴みきれないじゃない!男に揉んで貰ったかぁ?!」
「止めなさい、この変態!」
クリスが止めようと立ち上がった時、リーナが怒鳴る。風呂場特有の残響を伴うその怒声にフィリアも我に帰って、激しい手の動きを止める。「あんたのやってることは変態か質の悪い酔っ払いよ。アレンを取られそうだからって妙な八つ当たりするんじゃないわよ。」
「あ、あんたに指図される覚えは・・・」
「昨日も言ったわよね?あんたはパーティーの金食い潰してまで、あたしが頼みもしないのにあたしの護衛になった身だ、って。」
「う・・・。」
「その立場が分かってることを前提にして言っておくわ。このホテルに居る間、すなわちオーディション本選終了まで、あんたはあたしには絶対服従よ。
それが承服出来ないっていうならどうなるかくらい・・・分かるわよね?」
「リーナ。あんた、歳の割にはえらいしっかりしとるね。」
「主役とその護衛っていう立場の違いを理解してるだけよ。」
「ふーん・・・。ま、ルイとフィリアがアレン君争奪戦を始めたっちゅうことは間違いあらへんね。あたしは自分のロマンがあるからパスやけどリーナ。あんたは
どないすんの?名乗り挙げるんなら今のうちやで。」
「アレンはオーディション本選出場者であるあたしの護衛。それ以上でもそれ以下でもないわ。」
「そっかぁ。あたしとしては、三つ巴の争奪戦っちゅうのも見所豊富で楽しめる思て期待しとったんやけどなぁ。」
「お生憎様。あんたの思惑どおりにはならないわよ。高みの見物と洒落こませてもらうわ。」
「リーナ。あんたの髪、滅茶綺麗やね。」
「お世辞言っても何も出ないわよ。」
「いやいや、ホント、羨ましいわ。綺麗って言えばさ、アレン君の髪と肌も綺麗よね。女としては交換出来るもんならして欲しいところやわ。」
「あたしなんて、アレンと性別間違えて生まれてきたんじゃないか、って故郷でよく言われたわよ。」
「私は色黒ですから、凄く羨ましいです。」
「女も羨む髪と肌、それとその心を手中にするのは、フィリアかルイのどちらかしらね。」
「リーナの護衛のために、シーナさんが作った薬で女になるのはまだしも、食事の世話までさせられるのって何だか・・・。」
『それだけアレン君の料理の腕が信頼されてる証拠じゃない?兵士に扮装した正体不明の一団が深夜に襲撃したことを考えると、何かの縁で気心が知れた
者同士で楽しく過ごした方が良いと思うわ。オーディション本選終了までアレン君達はそのホテルで軟禁状態になるわけだし、息が詰まっちゃうわよ。』
「まあ・・・、昨日夕食を食べたレストランは、とても夕食時って感じじゃなかったですけど。」
『女優やモデル、貴族子息との結婚への登竜門に全国から集まってる人達だから、自分と護衛以外は全部敵、っていう意識なんでしょうね。』
「・・・そんなに貴族の後継者と結婚したいんですかね。」
「女性にとって、恋愛や結婚って男性の財産や地位次第でどうにでもなるものなんですか?」
『そういう人も居ないとは言えないわ。前に言ったかもしれないけど、恋愛は人それぞれの価値観の問題だから、1+1=2みたいに一律に決定出来るものじゃ
ないし、そうするものじゃないわ。でも、少なくとも私は違う。私はドルフィンと幼い頃から一緒に居るうちに好きになったし、ドルフィンは貧しい家庭の出身
だから、語弊があるのを承知で言うけど、狙うような財産なんてないわ。でも、私はドルフィンとずっと一緒に居たい。その一心でドルフィンの後を追って
クルーシァに渡って一緒に修行に励んでドルフィンと婚約したんだし、この旅が終わったら二人でマリスの町に永住する、って約束したの。』
「・・・。」
『周りがそうだから全てがそうだ、って決め付けないことが大切じゃないかしら。自分の気持ちに正直に、ね。』
「はい。」
『あ、そうそう。昨日女の子二人が深夜に襲撃された事件に関してだけど、イアソン君がまずオーディションの背景を調査してくれることになったの。』
「そうですか。」
「ドルフィンとイアソン君が言うには、まずこのオーディションの背景を把握することが必要じゃないか、って。オーディションが貴族子息との結婚への登竜門と
いう位置付けでもあるし、その貴族は後継者絡みで血生臭い争いがあるそうだから、オーディションと貴族の関係を明らかにする意味でもね。』
「なるほど・・・。」
『イアソン君は今日終日調査に奔走してくれたわ。明日明後日くらいには調査結果を報告出来るそうだから、通信機はなくさないようにね。』
「はい、分かりました。」
『それじゃ、お休みなさい。』
「お休みなさい。」
「お待たせ、アレン。お風呂入って。」
「ああ。その間の護衛はどうするの?」
「フィリアとクリスにさせるから、安心しなさい。」
「そう。それじゃ、ゆっくりさせてもらうよ。」
「明日からアレン君もあたし達と一緒に入ったらどうや?」
「アレン君は立場も見た目も女やし、一緒に入っても問題ないんと違う?」
「ちょ、ちょっとクリス!」
「それも良いわね・・・。」
「あたしは御免よ。男のアレンにあたしの裸見られたくないから。」
「ま、そういうわけだから。」
アレンはソファの脇に置いてある自分のリュックから着替えやタオルなどを取り出し、小走りで風呂場に入っていく・・・。