外はまさに漆黒の闇と呼ぶに相応しい。街灯などない上に鬱蒼と生い茂る森の中だ。月の光があっても枝葉に邪魔されて殆ど届かないこの状況では、
灯りがなければ10セム先もろくに見えはしない。そんな闇の中を『赤い狼』の軍勢は蛇行する山道をドルゴで疾走して行く。勿論、ライト・ボールで
照らしてはいるが、それこそ月光程度の淡い光だ。上空から敵の航空部隊に発見されないようにとのことだが、これでよく道を外して森に突っ込んだり
崖にぶつかったりしないものだ、とアレンは思う。
『赤い狼』は夜間行動を得意としているのか、淡い光の列が乱れることは全くない。アレンが操縦するドルゴはイアソンが乗るドルゴの後ろで、
ライト・ボールはフィリアが使っている。激しく蛇行しながら降下する山道でまだ気分が悪くなって来そうになってきたので、フィリアはライト・ボールに
照らされる夜の森の景色を眺める。猛スピードで流れていく景色を見ていると、不思議とドルゴ酔いは薄れていく。
一方のアレンは、前方に見えるイアソンの姿を追いながら賢明に手綱を操縦し、身体を左右に忙しなく傾ける。スピードが速い上に激しく蛇行する山道を
イアソンを追って走るだけで精一杯だ。フィリアの具合にまで神経を回す余裕はない。一瞬でも気を抜けば森に突っ込むか崖に激突するかという厳しい
条件も、もしかしたら作戦の中では序の口かもしれない。そう考えると、アレンの神経は緊張感でこれまでないほどぴんと張り詰める。
森を抜けると半月が淡く輝いて草原を照らしている。ライト・ボールが次々と消されていく。闇に隠れて行動する以上、月光すらも自分達の姿を
照らし出す厄介な存在だ。その上ライト・ボールを使っていれば自分達の居場所を敵に知らせるようなものだ。フィリアも『赤い狼』に倣って森から出ると
同時にすぐライト・ボールを消す。
森を出たところで先を走っていた軍勢が東へ向かって進路を変える。北進コースは一旦エルスとバードの二つの町で展開する味方の援護に向かうためだ。
何の挨拶もなく、そのまま隊列がイアソンの前で途切れて猛スピードで離れていく。
イアソンを先頭とする潜入コースは停止することなくそのままのスピードで夜の草原を疾走する。このまま夜明けが訪れるまでに休憩ポイントに到着
しなければならない。アレンは時々手綱を叩いてドルゴの疾走する速度を限界ぎりぎりまで上げる。
森林に前線基地を構築するまでの期間は6日間。目的が父ジルムやリーナの他、可能な限り『赤い狼』の構成員を救出して内部霍乱を起こすことだから、
予め決められた休憩ポイントを辿るようにドルゴを走らせなければならない。
「アーシル。」
アレンはハーデード山脈の一件でドルフィンの魔晶石から手に入れた召還魔術のアーシルを使う。ポウ・・・と左腕が光った後、亀の甲羅に人の顔を
埋め込んだような気味の悪い生物が無数の触手で絡む。
今アレンが使える召還魔術はドルゴとこのアーシルだけ。あと一つ赤色の魔晶石が残っているが、攻撃用だから自分のものにはならないだろう。
剣士としての腕前はそこそこあるにしても、魔術の方はてんで駄目なアレンは、魔術戦となれば同乗しているフィリアに頼るしかない。
今まで毛嫌いしていた魔術を今は使えれば良かった、とアレンは思う…。
6ジムほど全速力で突っ走り、うっすらと東の空が光を帯びてきた先頃、頭を走るイアソンがさっと手を挙げる。イアソンのドルゴが緩やかに減速を
始めたのを見て、アレンも手綱をゆっくりと引いてドルゴを減速させる。草原と森との境界線付近、岩場が左手に聳える地点が休憩ポイントらしい。
休憩ポイントといってもドルフィンと居た時のように草原のど真ん中にテントを張ってゆっくり休憩、というのは到底望めない。隠れて身を潜めるように
体を休めるといったものになるだろう。
全員が休憩ポイントに到着して、一旦ドルゴから降りてドルゴを消す。イアソンを除いた全員がその場に腰を下ろし、アレンとフィリアも慌ててそれに倣う。
「此処が第1の休憩ポイントになる。休憩は1ジム。情報部第2小隊と機動部第1小隊に50ミム交代で監視にあたってもらう。それ以外のメンバーは各々
休憩して欲しい。但し、戦闘準備は整えておいてくれ。」
座っていたメンバーのうち、50名ほどが立ち上がって走ってきた方向である草原をじっと監視し始める。その他のメンバーは腕組みをして俯くか、岩場に
凭れて身体の力を抜くかどちらかだ。場所が狭いだけにゆったり全身を伸ばして休憩することもままならない。アレンとフィリアは今が実戦の真っ只中だと
実感する。
アレンは6ジム連続で、しかも緊張感が張り詰めた状態だったため、それが緩んでどっと疲れが出てくる。うつらうつらするアレンの頭を、横にいたフィリアが
そっと自分の肩に寄せる。フィリア自身疲れてはいるが、ドルゴの操縦はアレンに任せていたので疲れの度合いはずっと少ない。アレンはフィリアに抗う
ことなく、フィリアの肩に凭れて軽い寝息を立て始める。
「流石に疲れたようだね。何時敵が来てもおかしくないって緊張しながらドルゴを操縦してたんだな。」
「アレンは結構神経質だから・・・。」
二人の前に居たイアソンが話し掛けてくる。アレンはフィリアの肩に凭れて眠ったままだ。
「途中ミルマへ続く道を通過したんだけど、そこから敵が全く来なかったことからして、西の方から敵が迎撃する心配はまずないね。後はナルビアや
周辺都市から迎撃してくるかどうかだけど・・・エルスとバードはほぼ俺達『赤い狼』が掌握しているし、ナルビアを含めて他都市から応援に来る様子もない。
多分ナルビアで俺達を迎え撃って一網打尽にするつもりなんだろうな。」
「物凄い兵力差だけど、ドルフィンさんがどれだけ敵の数を減らしてくれるかでかなり変わると思うわ。」
「ドルフィン殿か・・・。確かにあの人は凄いな。戦略面でも長けているし、口ぶりからして想像以上の力の持ち主なんだろう。恐らく『赤い狼』のメンバーが
束になっても相手にならないだろうね。」
「本当に凄い人ですよ。私は魔術師なんですけど、あの人は雲の上の存在なんです。」
「目標があるっていうのは良いことだよ。物事に取り組む姿勢が違ってくるからね。」
少し沈黙の後、フィリアが尋ねる。
「あの・・・イアソンはどうして『赤い狼』に入ったわけ?」
フィリアの問いにイアソンの表情が多少暗くなり、やや視線を下に落とす。聞くべきではなかったか、とフィリアが思った頃、イアソンが今までと違って
淡々とした調子で話し始める。
「・・・俺は元々エルスの出身なんだ。知ってるかもしれないけど、エルスは漁業と農業中心でレクス王国の中でも貧しい部類に入る町だ。でも、税金の重さは
相当なものだった。国王達は不漁不作時も考慮せずに容赦なく税金として収穫量の半分以上を奪っていった。奴等が足りないと思ったら更に奪う。それでも
足りなければ税金滞納と言うことであっという間に監獄送り。・・・俺の両親も何度となく監獄に入れられた。」
「・・・。」
「俺が13歳になった年の税金収奪の日、町の人間はとうとう抗議デモを始めた。収穫量を考慮して税金を決めろ、ってね。そうしたら奴等は・・・容赦なく
武器を向けて襲い掛かった。町の人間は何一つ武器を持ってなかったのに・・・。それで1/3が殺されて、残りも半分以上が捕まってナルビアの刑務所に
送られれることになった。殺された人間の中には・・・俺の両親も含まれてた。」
「・・・容赦なし、ってところね。」
「そこへ乗り込んできたのが『赤い狼』の中央本部からの支援部隊だった。エルスは元々『赤い狼』の構成員や支持者が多いところだけど、支援部隊は
エルス支部と一緒に奴等に戦いを挑んで刑務所送りになる人々の解放と、奴等を退散させることに成功した。その時掲げられた『赤い狼』の旗・・・。
親を殺されて右も左も分からなかった俺には、その旗が、こんな犠牲者を生み出す今の権力を倒したいなら『赤い狼』に入れ、って呼びかけているように
感じた。」
「それで・・・『赤い狼』に?」
「そう。俺は両親が殺されて天涯孤独の身になったから、両親を葬って直ぐにエルス支部に加入を申し込んですぐ町の再建にあたった。3年ほどエルス支部で
活動していたら、ある日中央本部からお呼びがかかって今に至る・・・。そんなところだ。」
フィリアは自分が如何に幸せな人生を送ってきたかを思い知る。
テルサは地理的な問題と大した産業がないことから税金が軽いため、これまで中央から税金を取りに来た役人と衝突になったことはなかった。
しかし、産業があるところでは文字どおり根こそぎ奪われることもあり、取るものがなければ監獄送りという町もあるのだ。テルサという小さな町の外には
そんな残酷な現実があったことをフィリアは初めて知った。そして、『赤い狼』が国王勢力打倒に執念を燃やす理由が垣間見えたように思う。
「じゃあ、他の人たちも・・・?」
「まあ、よく似たもんだな。親が『赤い狼』でそのまま加入したって例もあるけど、両親揃って『赤い狼』ってのはあまり無いね。エルスとバード、
あとミルマくらいかな・・・。それ以外の町では俺達は単なるゲリラ集団だって思われているか、国王陛下に逆らう反逆者って上の世代から刷り込まれて
いたりするから、あんまり評判は良くない。だから、今回奴等と戦って勝ったとしたら、世間が俺達をどう見るかって問題もあるんだ。」
「・・・。」
「単なる権力争いと見られるかもしれない。国王を殺せば年配者を中心に俺達が悪者扱いされるかもしれない。ドルフィン殿が戦争は単なる殺し合いって
言ったけど、あれはそのとおりだと思う。ただ、そうでもしなきゃ、何も変わらないこともまた事実なんだ。議会は国王べったりの大商人や役人の
持ちまわりだし、人民の声が国の政策に反映される以前に届くことすらない。法律や裁判なんて国王側に有利なようにしか出来てない。デモや集会を
繰り返しても、軍隊に鎮圧されるのが関の山だ。議会が人民から選ばれていれば血を流さずしても国政を変えられるだろう。しかし議会が機能していない
以上、力で変えるしか方法はないんだ。」
「それで方針を変更してまで、目的も考え方も違うあたし達との共闘を選んだわけ?」
「そう。ドルフィン殿が我々との共闘の意思がないことはテルサ支部からの情報で知っていた。しかし、ドルフィン殿はそこに居る彼、アレンの父君を
救出しにナルビアへ行くという。そのためには殺し合いも辞さないという態度で。ならば、同じくナルビアへ突入して国王政権を打倒することを目的とする
我々とナルビアへ向かうということで接点がある。だから、最高決定機関の幹部会と各大隊の長、そして俺のような小隊長全員が召集されて激論の末、
君達と共闘することを決定したんだ。」
「上でも全面的に賛成というわけじゃなかったのね。」
「幹部会には『赤い狼』設立当初からの構成員も居るからね。今まで『赤い狼』の手で国王政権を打倒して人民による議会政治を実現しようと活動して
きたのに、外部の力欲しさに節を曲げるのか、っていう意見が相次いでね。結論が出るまでに3日かかって、最終的には多数決、それも共闘を支持する
意見が僅差で勝利。だから決して幹部会の中にも渋々ながら決定事項に従って行動してる委員も居る。」
「それだと、行動が乱れるんじゃ・・・。」
「『赤い狼』の規約では、『決定した事項には自分の意見を保留することは出来るが実行はしなければならない』っていう条文があるんだ。それに、
結果的にはナルビアに乗り込むことになるんだから、反対派もまあ仕方ないか、って思ってるんじゃないかな。」
意見が分かれたのはフィリアが出た昨日の会議でも見たが、その前の段階で既に意見が対立していたことは、フィリアにとっては意外だった。てっきり
幹部会は全員一致で構成員に不満を持つものが居る構図だと思っていたが、幹部会の段階で意見が分かれたことから如何に方針を変えることが反発や
対立を伴うか、さらにそれを纏めていくのが難しいか、そう思うとフィリアは代表であるリークの苦労を考える。
「ちなみにリークさんはどっちの意見だったの?」
「代表は共闘を締結する意見を支持する立場だった。ドルフィン殿の力を得ることで『赤い狼』の悲願を達成することが出来ると踏んだんだろう。でも、
アレンが聞く耳持っててくれて良かったよ。」
「・・・あ、そうか。アレンが話し合おうっていう申し出に応じたんだったっけ。」
「彼はかなり柔軟というか、いろいろ考えが回る人だね。こう言っちゃ何だけど、ドルフィン殿は実力に裏打ちされた個人主義に凝り固まってるから、多分
彼相手じゃ交渉どころじゃなかっただろう。でも、パーティーの決定権がアレンにあるなんてちょっと意外だね。」
「ドルフィンさんはアレンに協力するって言ってますから・・・。」
「ふーん。不思議なもんだな。」
「ドルフィンさんと知り合えたのも、国家特別警察の支配下にある中でアレンが自分の家に入れたからなのよ。」
「彼の存在は・・・大きいね。」
フィリアは微笑んで自分の肩に凭れて寝息を立てるアレンを見る。その顔は美少女と錯覚するほどの可愛い寝顔で、『赤い狼』と交渉しようと
言い出したりするようには思えない…。
翌日、北進コースの軍勢は予定通りエルスとバードの二都市が見える位置に到着した。町から幾つか煙が上がっている。国王勢力と戦闘中なのだろう。
マシェンリー川に待機していた大軍が一斉に突撃した可能性もある。
「急ぐぞ!」
先頭を走っていたバルジェが剣を振り上げて叫ぶ。軍勢はドルゴのスピードを上げてエルスとバードに急ぐ。もしも町に大軍が突入してきたら町は
壊滅的な打撃を受けかねない。
距離が接近してくるにつれて、悪い予想は現実のものとなりつつあった。町を包囲するように重装備の兵士達が並び、そこから魔術で遠距離攻撃を
繰り出している。その度に爆発が起こり、町が破壊されていく。まるで集団リンチである。
「い、いかん!大軍が突撃して来たのか!」
「バルジェさん!それも町全体が包囲されています!」
「ええい!こっちから魔術で一斉攻撃だ!」
魔術師が乗ったドルゴが前に出て一斉に遠距離魔法で攻撃を仕掛ける。少しして爆発音が幾つも聞こえ、それに悲鳴も混じっている。どうやら見事に
命中したようだ。だが、黒山のような国王勢力の軍勢を前にして、『赤い狼』の攻撃は焼け石に水だ。あれだけの軍勢が攻撃の矛先を翻せば、逆に潜入
コースの軍勢が危機に陥るだろう。その時、軍勢の中ほどを走っていたドルフィンが、器用に密集して走るドルゴの間を掻い潜って最前列に出る。
「ドルフィン殿!」
「丁度良い機会だ。俺の力ってものを証明してやる。」
「え?」
ドルフィンはドルゴの速度を限界まで上げて『赤い狼』の軍勢を飛び出し、剣を鞘から抜き、右に急旋回して、エルスとバードを攻撃中の国家特別警察の
軍勢に突っ込んでいく。
「国家の飼い犬共!ドルフィンのお出ましだ!」
「な、何?!」
国家特別警察の軍勢が右を向くと、右手の剣を振り上げたドルフィンが今まさに襲い掛からんとしていた。その姿が彼らから見て一瞬、鋭利な牙をむいた
狼に見えたドルフィンが剣を大きく横に払うと、一気に数人の兵士が真っ二つになる。悲鳴すら上がることなく隣に居た味方が真っ二つになって転がるのを
見て、奥に居た兵士達が異変に気付く。見ると、ドルゴに跨ったドルフィンが、剣をぶらりと下げてじりじりと近寄ってくる。
「き、貴様、もしや・・・。」
「そのもしや、だ。」
ドルフィンはニヤリと笑ってドルゴを急発進させると、エルスとバードを包む国家特別警察の大軍の中に突っ込む。大軍は一斉に攻撃の矛先をドルフィンに
向けて剣や槍を突き出そうとするが、それより前にドルフィンの剣が縦横に唸り、軍勢の身体を鎧ごと真っ二つにしていく。
剣を持っていない左方向から剣や槍を突き出しても、左手に持つ鞘が微妙に動いて刃先を上に下に弾き飛ばず。そしてドルフィンの剣が左に唸り、成す術も
なく兵士達は縦横に真っ二つにされていく。
圧倒的な数の差など物ともしないドルフィンの勢いは、右の方から国家特別警察の大群の壁を軽々と突き破っていく。その様子を遠くから見ていた
バルジェは、とてもドルフィンを人間とは思えない。一人で万単位の大軍を相手に出来る人間など、今まで見たこともない。あの力が『赤い狼』に
向けられていたら、と思うと、バルジェの背中に冷たいものが走る。
悲鳴や肉を切り裂く音が次第に近づいてくるのを目の当たりにした軍勢は、慌ててエルスとバードへの攻撃を中断して、ドルフィンから見て一番奥に
控える国家特別警察中央司令官ランブシャー・マリシェードにドルフィンの襲撃を伝える。何時まで経っても『赤い狼』の一大拠点であるエルスとバードの
二都市を落せないばかりか敗北の色さえ濃くなり始めたため、ランブシャーは名誉挽回を図って自ら大軍を率いて陣頭指揮に出ていたのだ。
「ちょ、長官!た、大変です!!」
「一体何事だ?!『赤い狼』の反撃が始まったのか?」
「それどころではありません!あのドルフィン・アルフレッドが我が群に南方向から突っ込んできました!!」
「な、何だと?!」
ドルフィンの名を聞いたランブシャーは、それまで余裕さえあった顔面を一瞬にして蒼白にする。自ら大群を率いてエルスとバードを壊滅させる作戦の
過程で、絶対あってはならない最悪の状況が降りかかったのだ。
その間にもドルフィンは、まるで草でも刈っていくかのように兵士達を容赦なく縦に横に斬り倒して接近してくる。ランブシャーは脂汗を流しながら、
剣を振り上げて軍勢に大声で命令を下す。
「た、退却だ!全軍退却だ!!」
ランブシャーとその周辺の軍勢は早速北へ逃走を始めるが、距離が離れていた軍勢にはランブシャーの命令が届くのが遅れる。退却しようと背を向けた
兵士にも、ドルフィンは躊躇なく剣を振り下ろして血の海に沈める。まさに殺し合い、否、一方的な虐殺と言っても良い。戦争は単なる殺し合い、という
ドルフィンが語るその言葉どおり、ただドルフィンが殺される前に敵を殺すことだけが展開されていく。
兵士の剣や槍の刃先がドルフィンに届くことはない。刃先はドルフィンの剣や鞘に悉く弾かれ、辛うじて掠っても衣服を多少切り裂く程度だ。
ドルフィンが鎧を身に纏わないのは、大抵の戦力では自分の身体に刃を掠らせることすら出来ないことが分かっているからだろう。
国家特別警察の退却が本格的に始まる。肉の塊と血の海に浮かぶドルフィンは攻撃、否、虐殺の手を止めて鞘に剣を収め、右手を上げる。
「サラマンダー。」
ドルフィンの頭上に全身を炎に包まれた蜥蜴のような精霊が現れる。
「奴等を適当に炎をぶつけて遊んでやりながら北へ追え。死なん程度にな。奴等が川を越えたら引き返せ。」
「仰せのとおりに。」
サラマンダーはスピードを上げて敗走する軍勢の背後から、手にした炎の槍を投げつける。槍は投げれば再びサラマンダーの手に現れる。ドルフィンに
よって半分程に激減した挙句、背後から炎の追撃を浴びる国家特別警察の軍勢は、ただ結界を張りながら逃げる他ない。
ようやくエルスとバードに到着した『赤い狼』の面々は、縦横に真っ二つにされた死体が血の海に浮かぶ惨状を見て、思わず目を背けたり口を抑えたり
する。ドルフィンの圧倒的な力を目の当たりにして、それが情報で想像していたものを遥かに越える、まさに魔物としか言いようがないものだと実感する。
「・・・ドルフィン殿。あの精霊は何処まで国王勢力を追いかけるんでしょうか?」
「軽く遊ばせてやるだけだ。マシェンリー川の向こう岸まで追いやったら引き返してくる。」
「そ、そうですか・・・。」
どうにか話し掛けるバルジェも冷や汗がどっと噴出している。会議の場でその力を証明しろ、と言ったことがどんなに無謀なことだったか、思い知ると
同時に命拾いしたと思う。
軍勢は二手に分かれてエルスとバードの二都市に入る。どちらも国王勢力による攻撃の凄まじさを物語るように、家は殆ど破壊され、火災が発生している
ところもある。直ちに手分けして消火にあたるが、建物の破壊まではどうしようもない。
「こっぴどくやられたもんだな。」
「何せこの二つの町は、我が『赤い狼』の最大拠点ですからね。それが敵の間近にあるわけですから・・・。」
「この分だと、支部はもとより一般市民も・・・。」
「いや、それは最小限に食い止められているはずです。敵の攻撃など日常茶飯事ですからね。それなりに防衛する手段を心得てますよ。」
バルジェは破壊された家の瓦礫を掻き分ける。すると、円形をした鉄の蓋のようなものが露出する。バルジェは手近にあった鉄の棒を手に取り、その鉄の
蓋を3回、ゆっくりと叩く。
少しして鉄の蓋が2、3回回転して持ち上げられ、中から人が出てくる。攻撃に対して直ぐ避難出来るように、地下シェルターを設けていたようだ。
「バルジェ小隊長!よくあの大軍を撃退できましたね!」
「いや、撃退したのは我々ではない。強力な助っ人のあの方のお陰だ。」
バルジェはそう言ってドルフィンを指差す。
「助っ人・・・。中央が外部勢力との共闘関係を締結したという情報が届きましたが、そんな強力な勢力だったんですか。」
「強力なんてもんじゃない。この町を包囲していた国家特別警察の大軍をたった一人でいともあっさりとなぎ倒していったんだ・・・。」
「たった一人で?!まさか・・・我々は敵の攻撃の間隙を狙って応戦するのが精一杯だったというのに・・・。」
「そのまさかが実際に起こったんだよ。」
バルジェは未だ冷や汗が収まらない。バルジェとて大軍相手に草刈り同然の破壊力が発揮されるのを目の当たりにするのは初めてだ。あの力が
『赤い狼』に向けられていたら、抵抗するまでもなく皆殺しにされてしまっただろう。そう考えると、ドルフィンと共闘関係を締結する方針を打ち出した
幹部会の決定の正しさを実感せずにはいられない。同時に、これほどの力を持つドルフィンが味方であれば、『赤い狼』の悲願である王制打倒がぐっと
手に届く距離に近付いたような気がする。
彼方此方で瓦礫が片付けられ、同じように鉄の蓋が発見されて中から『赤い狼』の支部員や一般市民が出てくる。この分だと実際の死傷者は殆ど居ない
ようだ。居るとすれば最初の攻撃でシェルターに避難するのが遅れた人々だろう。頻繁に国王勢力の弾圧を受けるうちに、一旦地下に避難してゲリラ戦を
展開できるように町全体を改造していったのだ。
「町はほぼ壊滅状態だな。」
「もう慣れっこですよ。家は建てやすい構造になってますから、再建も容易です。」
「よし、我々支援部隊の一部を町の再建に協力させよう。機動部第3小隊と第4小隊、情報部第6小隊と第8小隊、第9小隊をその任務に充てる。残りはそのまま
北進してナルビアへ向かう。町の再建が完了しても、念のため町の防衛にあたってくれ。」
「ありがとうございます。支部長を通じて各構成員に通達します。」
「よし!機動部第3小隊、第4小隊、情報部第6小隊と第8小隊、第9小隊以外は速やかに北進する!各小隊準備!」
バルジェの号令で一部が町に残り、残りが敗走した国家特別警察を追う形で北進する準備に入る。勿論、ドルフィンは北進する側に加わる。もはや
ドルフィンの力を認めない者は居ない。20ミム程で完全に北進コースの出発の準備が整った。ドルフィンは中央部に並ぶ。
「バルジェ隊長!準備完了しました!」
「よし!直ちに出発!ドルゴは最大速度で北進!後退する敵を追う形でマシェンリー川へ向かう!」
「「「おーっ!!」」」
ドルフィンを除く全員の気勢の後、北進コースの軍勢がナルビアへ向けてドルゴを走らせる。バルジェをはじめとする『赤い狼』の面々は、ドルフィンの
力を目の当たりにしたことで、『赤い狼』の悲願である国王権力の打倒が現実へ向けて大きく近付いたように思う。幹部会をも二分した「外部」との共闘のうち、
北進コースは予想を遥かに上回るの結果を出したことを、情報部員の一人がファオマに口伝えで一部始終を伝えて中央本部に向けて飛ばす。
北進コースの軍勢は、休む間もなく権力の牙城と化したナルビアへ向けてドルゴを走らせる。力関係で圧倒的に上回った彼らが気になるのは、アレンと
フィリアが含まれる潜入コースの進行状況だけだ…。