Saint Guardians

Scene 2 Act 4-3 誘拐-kidnapping- 浮上する事実と謎、思惑の新たな交錯

written by Moonstone

 国家特別警察の詰所から押収した書類をドルフィンが夜を徹して調査した結果、様々な事実が明らかになった。中でも一同を驚かせたのは、国家特別
警察のドルフィンに対する異常なまでの警戒と諜報活動だ。
 一つ目はドルフィンが居候しているフィーグの店に、中央から薬剤師を目指す学生と偽ってスパイを送り込み、ドルフィンに関する情報を定期的に報告
させていたこと。フィーグが保管していた学生の身元証明書−内容は勿論偽造−に記載されていた採用日付と、押収した書類に記載されていた派遣の開始
日付が一致した。
 二つ目はドルフィンが現われた場合は逐次その動向を調査し、遺跡調査の妨害行動に乗り出そうとした場合はフィーグの店に強制査察などを行い、
その動きを牽制すると取り決められていたこと。
 三つ目はこれらドルフィンに対する監視活動全般が、国王の勅命により遺跡調査と並んで最重要項目として位置づけられていたということ。

「・・・つまり、俺達がこの街に潜入できたということは、とっくに奴等は知ってたってわけ?」
「そういうことだ。俺が前に奴等の詰所に探りを入れた時に、俺達の潜入が筒抜けになっていることは分かってた。だが、こういう状況に不慣れなお前達に
余計な心理的負担を与えないようにと、敢えて伏せておいた。」

 街の解放を祝うパーティーが突如暗転するという事態に見回れ、重苦しい一夜を過ごしたアレンとフィリアは、食堂で朝食を摂りながらドルフィンと
調査結果について話していた。ブライトという学生を装ったスパイの目的がドルフィンの監視活動にあったことは分かったが、まだ解けない疑問点は多い。

「ドルフィンの行動が逐次監視されていたなら、俺達が鉱山に潜入する動きを見せていたことも知っていてもおかしくないよね?」
「そうだな。可能性は十分ある。」
「だとしたら、どうして迎撃態勢を取るなりしなかったんだろう?奴等は麓でフィリアとあの娘、リーナが口論するのを聞きつけるまで俺達が近付いていることを
知らなかったみたいだし。」
「それは多分、奴等がお前達を戦力外として度外視していたせいだろう。俺さえ封じておけば万事大丈夫だ、いざやって来ても十分対処できる、と。或いは
スパイが動きを知りつつも取るに足らない、と思って報告しなかったか。しかし、お前達が予想以上の力を持っていたことで結局は奴等の敗北へと
繋がったわけだ。」

 油断や思い込みが重大な損害に、時には死にさえ繋がるということをよく覚えておいて欲しい。ドルフィンの言葉に暗に含まれた意思を、アレンと
フィリアは断片的にではあるが掴み取っていた。

「私が疑問に思うのは・・・どうしてドルフィンさんの抹殺ではなく、動向の監視や牽制だけしか計画してなかったか、そして、奴等の後ろ盾になっていた
ミルマ何とかっていう奴等が、この店を目の敵にしていたなら、どうしてドルフィンさんが居ない間に潰さなかったのかってことです。」
「ミルマ経済連のことか。それは恐らく奴等がこの計画を作成した時点で、俺が奴等と敵対するになることを想定していなかったんだろう。そしてこの店に
迂闊に手を出せば、俺が報復行動に出てそれが阻止できないと踏んでいた。それは計画を作成した奴が俺が手出しされなければ何もしないこと、俺に
正面から挑んでも倒すのは容易じゃないってことを知っていたということだ。」
「じゃあ奴等は・・・ドルフィンが何者かをずっと前から知っているってこと?」
「ああ。もっとも本当に知っているのは、前にも話した国王の背後に居るっていう黒幕だ。恐らくリーナを攫った奴等はその黒幕の直轄の部下だろう。
どう考えても俄仕込みの他の兵士とは違う。」

 アレンとフィリアの頭に、その比類なき強大なパワーに直結する一つの大きな疑問が浮かび上がる。膨らむ疑問を押さえ切れなくなったアレンが、
それをとうとう口にする。

「ドルフィンって・・・一体、何者なの?」

 3人に緊張が走る。アレンは聞いてはならないことを聞いてしまったような気がする。この疑問が解けると同時に、ドルフィンが別の世界の存在に見えて
しまうような、そんな予感がアレンの頭を掠める。ドルフィンはコーヒーを一口啜ると、カップを静かに置いて口を開く。

「・・・クルーシァって国を知ってるか?俺は以前、そこに居た。」
「クルーシァって確か・・・『大戦』を終わらせた7人の天使達が築いたっていう、強大な力を受け継ぐ修行国家・・・。」
「そうだ。そこは俺が力と技を師匠の元で学んだ地でもある。」

 アレンとフィリアは息を飲む。
 あらゆる力が結集し、それを受け継ぐ為に存在する国クルーシァ。そこは多くの優秀な剣士や魔術師を輩出し、素晴らしい武器や数多くの魔法が
生み出された地である。
『大戦』以後、一種族に成り下がった人類の『力の聖地』とも言える国であるが、その国の住人に選ばれたものだけが入国を許されるという掟と頑強な
秘密主義のため、その詳細は謎に包まれている。その国に入国を許され、師匠の元で力と技を学んだというなら、ドルフィンの強さにも納得がいく。
同時に、一瞬の隙を狙ってリーナを拉致した手際の良さも、クルーシァに関係する者の仕業と仮定すれば説明はつく。
 ドルフィンの謎は解けたが、まだ解けていない謎はある。いや、むしろ更に深まった謎もある。
何故アレンの父ジルムは攫われたのか、何故アレンが持つ剣を求めるのか。それらがクルーシァに関係するらしい黒幕の指示とするなら、ジルムと剣は
クルーシァとどういう関係があるのか。そして、何故リーナが攫われたのか。どれから口にして良いか迷うアレンの心情を察してか、ドルフィンが口を開く。

「国王の背後に控えているという黒幕がクルーシァの人間だとするなら、そいつとアレンの父、そしてアレンの持つ剣。それらを繋ぐのはやはりクルーシァ
だろう。恐らくアレン、お前の父親は一時どのくらいの期間かは分からんがクルーシァに居たことがあるんだろう。そこでどういう経緯があったかは知らんが、
お前が持つその剣を持ち出した。そして行方を追っていた黒幕は何らかの手段で所在を突き止め、剣を回収すると同時に剣を持ち出したお前の父親の
口封じを狙った・・・。そういう推測が成り立つ。その剣が特殊なものらしいことを考えると、その剣に何らかの重要な秘密が隠されている可能性もあるからな。」
「・・・父さんが・・・。」
「あ、あたしはジルム小父様が泥棒をするような人じゃないって信じてます!」

 もしかしたら自分の知らない父親は泥棒だったかもしれないという不安に苛まれるアレンを庇ってフィリアが食い下がる。するとドルフィンは首を横に振る。

「誰も泥棒だと言っちゃいない。持ち出したことと盗み出したことは必ずしも等価じゃない。それにアレンが持つ剣がクルーシァのものじゃなく
物凄い価値の秘宝で、その価値に目をつけた奴等が狙っているとも考えられる。確証がない今の段階ではどれも推測にすぎん。」
「・・・分かってる。父さんは泥棒なんかじゃないって、俺は信じる。」

 アレンの自分に言い聞かせるような言葉に、ドルフィンは小さく頷く。もう一つの疑問は、フィリアが口にする。

「もう一つ分からないのは、あのリーナが攫われたってことですよ。どうしてなんでしょうか?」
「人質じゃないのかな?俺達にナルビアへ来るなっていう・・・。」
「否、多分それはない。あの手際の良さだ。警告文くらい残していく余裕も十分あった筈だ。それに一晩過ぎた今でも、奴等から俺達には何の接触もない。
勿論、身の代金目当ての誘拐でもないだろう。」
「じゃあ一体・・・。」
「・・・分からん。」

 ドルフィンの表情に一瞬陰りが見えたが、アレンとフィリアは気付かない。

「ただ、アレンは父親が、俺は妹同然の存在が奴等に攫われたということは事実だ。これでナルビアに向かう目的が一つ増えた。」
「・・・あいつを助けるなんて気が進まないけど、仕方ないですね。アレンをぶん殴った借りをまだちゃんと返してないし。」
「それは別に・・・。」
「アレンは良くてもあたしは許せないのよ。・・・あ、そう言えば思い出した。」

 フィリアはぽんと手を叩く。

「あいつがアレンを殴った時、アレン、一体何を言いかけたの?」
「え?あ、ああ。あの時か。確か・・・あんなに強い召喚魔術を使えるなんて思いもしなかった、って言うつもりで・・・。」
「そうそう!ドルフィンさん!あいつ、魔術師でもないのに強い召喚魔術を使えたんですよ!それにやたらと魔物に詳しいし。」

 フィリアが昨夜の記憶を掘り返して突きつけるが、ドルフィンはさして驚いた様子を見せない。だが、その表情に浮かんだ微妙な陰りを隠すことは出来ない。

「・・・賢者の石さえ手に埋め込んであれば、魔術師でなくても召喚魔術は使えるってことは、アレンの実証済みの筈だが?」
「あ、そ、そうですね。じゃあ、あいつの召喚魔術はドルフィンさんが?」
「そうだ。使わんやつを中心に以前譲った。小さい頃に魔術を少し齧ったらしくて、賢者の石は手に埋め込んであった。それに魔物の知識もあるに越した
ことはない。塀に囲まれた閉鎖空間を一歩出れば、そこは魔物の巣窟なんだからな。」
「護身術ってことですね。でも、あいつにあれだけ与えると凶器になりそうな・・・。」
「リーナはそんな馬鹿じゃない。理性を伴わない力は凶器になることくらい、よく分かっている筈だ。そうでなければ、お前達とであった瞬間にでも
召喚魔術を仕掛けてるだろうぜ。」

 ドルフィンの口調に若干の変化が生じている。多少早口で、いつも以上に言葉を慎重に選んでいる。それにリーナを庇おうとしているようにも見える。
リーナのことに関してはあまり触れられたくないような、そんな雰囲気さえ感じられる。妹同然、と言っていた存在が突然敵対する側の手に落ちたことが
ショックなのだろうと悟ったアレンは、これ以上リーナのことには触れないことを決めた。
 食堂のドアが開き、誰かが入って来た。他に居た学生や従業員が明快な声で挨拶する中、その人物は一行の傍にやって来た。
リーナの父フィーグは、恐らく一睡も出来なかったのだろう。目の下に隈が出来て酷く憔悴している様子が、アレンやフィリアにも痛々しく映る。

「・・・おはようございます、小父さん。」
「おはよう。書類の調査はどうかね?」
「奴等の目的は遺跡調査と同時にそれの障害になるであろう私の監視にあったようです。スパイは私の動向を監視する為に送り込まれたことは
分かりましたが、リーナが攫われたこととの因果関係は不明です。」
「そうか・・・。早速なんだが、これを君達に。」

 フィーグは手に持っていた、大小相当の数の革袋をテーブルの上に置く。

「これは在庫分や手持ちの薬草を調合した薬だ。傷薬、胃腸薬、魔術師用の即効性のある精神安定剤、解毒剤、消毒液など、考えられる分は全て用意して
おいた。」
「・・・小父さん。」
「頼む。何としてもリーナを助け出してくれ!このとおりだ!」

 深深と頭を下げるフィーグを見て、ドルフィンは慌てて席を立ってそれを止める。

「止めて下さい!貴方が私に頭を下げる理由など、何一つない筈です。」
「し、しかし・・・。」
「リーナは必ず助け出します。」

 ドルフィンの強い意志の篭った言葉に、フィーグは頷いてドルフィンの手を強く握る。

「あの娘に、リーナにもしものことがあっては、私は、私は・・・。」

 ドルフィンはただ、有りっ丈の力を込めるフィーグの手を包み込むように握る。
フィーグとリーナが実の親子でないことは昨夜フィーグ本人の口から聞かされた。だが、譬え直接の血縁関係がなくても、二人は間違いなく「親子」なのだ。
これほどまでに子どもの安否を気遣う親の気持ちを、どうして反故に出来ようか?
 その様子を見ていたフィリアは、少し感傷的な気分になる。まだテルサを離れてから一月も経っていないが、テルサで両親と過ごしていた日々が急に
懐かしく思い出されてしまう。そして同時に、隣に居るアレンのことを思うと、その感傷がある種贅沢なもののようにも感じる。攫われた立場が違うとは言え、
アレンもフィーグと同じく、ある日突然肉親を攫われた身なのだ。身勝手な策略によって引き裂かれた親子の絆が、確かに目の前にある。
親子の日々が彼らの手に取り戻されることを願わずにはいられないフィリアであった…。
 家族の安否を気遣う者が居る一方で、様々な思惑が水面下で動きを見せていた。
一つは『赤い狼』である。テルサ支部からの情報と連絡を受けていたミルマ支部の面々は、久しぶりの「地上」での会議で重要な問題を討議していた。
内容は勿論、ドルフィンとの共同戦線の構築である。

「やはりドルフィン殿と共同戦線を張ることが、現在の異常事態を大きく打開する最善の策であることは間違いないと思われます。」
「中央としてもドルフィン殿との共同戦線構築を積極的に支援したいという通達が来ています。」
「問題は、彼の態度です。彼はどうも組織的行動に対してかなり懐疑的であり、さらに国家中央との対決を必ずしも望んでいるのではないという情報が、
テルサ支部からの情報で明らかになっています。」
「それに、そこまでして共同戦線に固執する理由が判らない。エルスとバードの戦況は我々に有利であり、外部と安易に結託するよりそちらの支援を行う
べきではないか?」

 前に座るミルマ支部代表他支部幹部は一様に難しい表情で、構成員からの報告や意見を聞いている。
自分達『赤い狼』の最大の目標である現体制の打倒には、一騎当千以上の力を持つドルフィンとの共同戦線の構築は大きな戦力になることは、誰の目にも
明らかである。しかし、ドルフィンの目的はあくまでも行動を共にする少年(アレン)の父親救出であり、自分達の目標とは大きく食い違っていることが、
共同戦線構築の障害になっていることもまた明らかである。
 共同を銘打つ以上、同じ目的が必要であることは彼ら自身十分に承知している。現状で無理に共同戦線を申し込んでも、門前払いされるか逆に自分達に
余計な不信感を持たれる可能性も無視できない。それにドルフィンとの共同戦線構築には、決して全ての構成員が賛同しているわけではない。
 膠着状態になった感のある室内−とは言っても、粗末な小屋に地べたで座り込んでのものであるが−に、別の構成員が入って来た。彼は「対象者」である
ドルフィンの状況把握に派遣されていたのである。

「代表。ただいま戻りました。」
「お疲れ様。で、首尾は?」
「はい。ドルフィン殿が滞在しているアルフォン家は現在、リーナ嬢が何者かに拉致されたことで、当主のフィーグ氏を中心に動揺が広がっています。」

 構成員の報告で、一時室内がざわめく。

「・・・アルフォン家といえば・・・ミルマ商工連の代表格だな。」
「商工連の封じ込めを狙った、ミルマ経済連による組織的犯行では?」
「いや、後ろ盾を失って混乱状況にある奴等にそんな余裕はないだろう。で、拉致された目的は?」
「現状では全く不明です。何ら犯人からの要求などはないようです。ただ、アルフォン家内部に学生を装った国家中央のスパイが潜入していたことからして、
犯人は恐らく国家中央関係者で、リーナ嬢はナルビアに連れて行かれた可能性が非常に高いです。」
「スパイか・・・。その目的は?」
「詳細は不明ですが、ドルフィン殿の行動監視と牽制が目的だったようです。」

 参謀格の男性がこれまでの情報を総括して見解を述べる。

「リーナ嬢を拉致した理由は推測で述べるしかないが、目的が現時点で不明であること、昨夜から現在までにミルマ内に国家特別警察の関係者が
新たに進行した事実がないことからして、ドルフィン殿の足止めとしての人質や身代金目的の誘拐ではないと思われる。ただ、ナルビアに連れて行かれた
可能性が高いとなれば、リーナ嬢救出を名目にドルフィン殿との共同戦線構築も不可能ではない。」
「しかし、現体制の打倒を目標とする我々と彼とでは、その立場には大きな開きがあるのでは?」
「異議あり。それは打算的であり、我々のイニシアチブが全くない。あくまでも現政権の打倒を条件に共闘を模索するべきだ。」
「リーナ嬢、そしてドルフィン殿が行動を共にする少年の父親救出の為には、恐らくナルビアへの侵攻が避けられない。ドルフィン殿の力を以ってすれば
それは非常に容易であるだろうし、その侵攻によって壊滅とはいかないまでも結果的に現体制に多大なダメージを与えることは可能だ。」
「ある意味、ドルフィン殿と人質救出を巡って取引をすることになるな。」
「ですが、それが共同戦線を構築する場合の最善かつ最短の近道ではないかと。」

 決断を迫られたミルマ支部代表は、少し考えた後構成員全員に問い掛ける。

「ドルフィン殿との共同戦線構築を優先するか、或いは我々の活動目標を優先するか、ひとまずみんなの意見を問いたいと思う。共同戦線を優先する方に
賛成なら白札を、活動目標を優先するなら赤札を上げて欲しい。・・・では採決を取る。」

 室内が静まり返り、構成員が赤と白の札を手に取る。重要事項の決定の際にはこうして構成員が直接採決に参加することが、『赤い狼』の規則に
定められている。

「共同戦線構築を優先する方に賛成の者。」

 ミルマ支部代表が言うと、赤札が次々と上がる。数では規則で採択する条件とされている過半数を突破しているが、これで即決定としてはならないのも
また規則で定められている。

「では、活動目標を優先する方に賛成の者。」

 ミルマ支部代表が言うと、白札が幾つか上がる。圧倒的多数とならないことからして、かなり異論があるのは間違いない。

「数的には赤札、即ち共同戦線構築を優先する方が多い。だが、活動目標優先を指向する数も相当数存在する。」

 白札を上げた構成員はどちらかといえば活動歴の長い構成員が多い。やはり自分が共感し、身を投じた活動目標が変質していくことに対する危機感が
強い為だろう。
 二つの方針それぞれに理がある以上、一方を無下に切り捨て、無条件に従えというのは不満の蓄積を招く。それが時に組織の内部対立や分裂を伴うことも
ある。しかし、現状は共同戦線を構築しようとするなら十分な議論を許さないほど切迫しているのもまた事実だ。恐らくドルフィン達は準備が整い次第、
遅くとも数日中にはナルビアに向けて出発するだろう。ミルマからナルビアまではほぼ直線であり、地理的な障害もないので長く見積もってもドルゴなら
3日以内に到着できる。共同戦線を構築する為にドルフィンに接触するなら、期限は自ずと限られてしまう。ミルマ支部代表は難しい決断を迫られることに
なった。

「代表。どうしますか?」

 隣に入た参謀格の男性が尋ねると、ミルマ支部代表は少し思案した末に構成員に向かって決断を下す。

「・・・共同戦線を構築する方向で動く。」

 室内がざわめき、一部から不満の声が洩れ始める。ミルマ支部代表はそれを敢えて抑えずに続ける。

「ただし、これは支部全体で一律的に取組むべき事項ではない。この取組みに参加するかどうかは、個人の判断に委ねるものとする。勿論、参加しないことに
よる不利益はない。」
「共同戦線構築に伴い『赤い狼』に損害があった場合、これを推し進めた支部幹部や中央の責任も問われることになりますが?」
「それは決断を下した者の義務だ。今回の方針に対する責任は判断を下した私にある。」

 ミルマ支部代表の強い意志表明を前に、ひとまず不満の声は収まる。行動の選択が可能とされたことも、反対派をある程度納得させる事に繋がったようだ。

「共同戦線構築の交渉には2段階を設ける。第1段階はドルフィン殿の出発前。第2段階は出発後の野営時だ。第2段階実施については第1段階の失敗後、
部隊を編成して追跡してもらう。同時に中央に対しても交渉の場を設ける為の支援を要請する。この手筈は予め中央に通知しておく。」
「あと、残された資料や拘束した兵士達からの尋問を整理して、遺跡調査の全容解明を急ぎましょう。一連の国家中央の意向を把握する為にも必要だと
思います。」
「そうだな。では大まかに分けて今後の活動は2種類。共同戦線構築準備と遺跡調査の全容解明だ。各々の判断で加わって活動してもらいたい。」

 紆余曲折はあったが、どうにか『赤い狼』の活動方針は纏まった。2通りの方法が提示されたが、いずれにしても敵対する国王勢力に迫ろうとするもので
あることは間違いない。『赤い狼』にとっても数多い国王の不可解な謎を解明することは、その意図を掴み対策を講じるには不可欠だろう。

 もう一方、思惑を動かしているのは国家特別警察をはじめとする国王勢力である。
謁見の間では国家特別警察の幹部、国王の側近らが緊急に招集され、御前会議が開かれていた。議題として最初に取り上げられたのは、やはりアレン達の
動向についてである。テルサ駐留部隊全滅の報告を唯一脱出した長官マリアスから受けた後、地理的に通過せざるをえないミルマに繋がる街道沿いの
部隊に警戒態勢を取るように指示、同時に急遽討伐隊を編成して派遣したが、悉く連絡が取れなくなっていた。
そしてとうとう、これまで毎日早朝に行われていたミルマからの報告もぷっつりと途絶えてしまった。事態の確認は偵察部隊の報告を待つしかないが、
何が起こったのかは容易に想像できる。
 本拠地であるナルビア、『赤い狼』を鎮圧する為に重点的に兵力を投入しているエルス、バードの部隊とほぼ同等、或いはそれ以上の規模と戦闘力を
有していた筈のミルマ駐留の部隊が全滅に追い込まれたことが事実なら、事態は極めて切迫していると言わざるをえない。遺跡調査とその警備の為に、
貴重な魔法戦士や上級の魔術師もかなりの数を投入していた。全滅したとなれば、国家特別警察全体の戦力低下は避けられない。

「・・・現在までに、ミルマからの報告は?」
「・・・ありません。」
「偵察部隊からの報告はいつになる?」
「往復の所用時間を考えて、早くても3日後になるかと思われます・・・。」

 厳しい表情をそのまま固めたような国王の問いに、国家特別警察中央司令官ランブシャーは、物凄い量の冷や汗が流れるのを感じながら答える。
国家特別警察を統轄するランブシャーの地位は、このところ急速にぐらついている。ナルビアへ向かって来るアレン達の行動を阻止できないのは勿論、
恐らくこの場で話が出るであろうエルスとバードの攻略は、兵力をそれこそ湯水のように投入しながら全く好転の兆しを見せない。それどころか巧みな
ゲリラ戦と住民達の蜂起によって、劣勢の色が濃くなって来ている。

「ランブシャー長官。貴殿は自分の立場を理解しておるのか?」
「・・・は、はい。勿論全力を以って国王陛下の勅命を遂行すべく・・・」
「決まり文句など聞きたくはない!仮にミルマ駐留の部隊が全滅だった場合、数日中にドルフィン一味がナルビアに向かって突進して来るのは確実だ。
さらに遺跡調査の結果や内部資料までも奴等の手にわたる可能性もある。国家機密に該当するこれらの情報が漏洩するようなことになれば、国家の損失は
重大だ。その意味を分かっておるのか?!」
「・・・も、申し訳ありません・・・。」

 弁解のしようがないランブシャーはただ頭を下げるしかない。向かいの席に座るバンディ参謀長の嫌みな笑いが、ランブシャーの屈辱感をさらに増幅する。

「して、ランブシャー長官。エルスとバードの戦局も思わしくないとの報告を受けているが?」
「は、はい・・・。臣民共の反乱行為への加担が相次いで物資補給が滞ったことと、『赤い狼』の拠点が把握できず・・・」
「何時になったら鎮圧できるのだ?」
「そ、その件に関しましては・・・現在のところ・・・。」

 とても「約束は出来ない」などとは言えない。まして「敗北の可能性がある」などと言える筈もない。溢れ出る冷や汗を感じつつ視線をテーブルに落としている
ランブシャーに、さらに追い討ちをかける者が居る。

「まったく・・・無様としか表現できませんな。」
「・・・バ、バンディ参謀長・・・。」
「貴方はテルサ陥落の報告を受けた席で、私の忠告を机上論とおっしゃいましたが・・・。貴方が指揮する兵力は未だ貧民の町を鎮圧できないばかりか、
たった3人の侵攻もむざむざと許してしまっている・・・。『赤い狼』の壊滅、ドルフィン一味の阻止を言う貴方の方が、机上論を展開しているのではない
ですかな?」
「・・・くっ・・・。」
「一体どのように責任を取るおつもりか、是非とも聞きたいものですな。」

 ランブシャーは反論しようにも出来ず、ただ歯噛みするしかない。

「バンディ参謀長。貴殿担当分の進捗状況は?」
「帝都改造計画はほぼ完成しました。後は適切な兵力を配置して頂ければ良いのですが・・・果たして机上論を並べる最高責任者に、適切に配置して
頂けるのかどうか・・・。」
「うむ。ではバンディ参謀長。貴殿に帝都防衛特別部隊の任命権を与える。これはランブシャー長官の指揮権より優先させると同時に、帝都防衛特別部隊の
指揮全権を貴殿に与えるものとする。」
「有り難き幸せに存じます。」

 バンディは国王に向かって頭を下げつつ、勝ち誇った視線と口元を歪めた嘲笑をランブシャーに向ける。ランブシャーは激しい怒りと屈辱に身を
震わせるが、現状が現状だけにそれらを我が身に封じ込め続けるしかない。

「では続いて、エルスとバード攻略作戦について討議する。」

 暫くはランブシャーの生身を啄ばまれるような時間は続きそうである。

 その頃、広大な城の外れに位置する、しかし内部は豪華絢爛な部屋では、あの目の部分だけ細い切り込みの入った白い仮面を着けた人物が、窓の外を
眺めていた。「顧問室」として設けられたこの部屋は、自らの権力強化の為に様々な助言を与えたこの人物への感謝の証として、王が供与したものである。
南東の角に位置するこの部屋は、東の窓からは雄大なサンゼット34)湾を、南の窓からは禍禍しい抑圧の牙城に変貌を遂げたナルビア市街と巨大な建造物を
臨める位置にある。
 ドアが数回ノックされる。人物は窓からドアの方へ向き直る。

「失礼します。」
「入れ。」

 人物が低い声で応答すると、ドアが開いて数名の黒ずくめの鎧を着た騎士達が入って来た。その中央には、両腕をがっしり固められて足を縛られ、頭に
茨のような細工が施された冠を被せられ、猿轡をされたリーナが居る。騎士達の腕を振り解こうと激しくもがいているが、騎士達はびくともしない。

「状況は?」
「はい。長官他遺跡調査の兵力はほぼ全滅。都市駐留の兵力は全員降伏若しくは反政府勢力や住民に拘束されました。」
「そうか。…で、調査結果は?」
「こちらをご覧ください。」

 騎士の一人が仮面の人物に書類を手渡す。

「書物の記述内容は正確で、開門の為の暗号解読も成功しました。また、遺跡は書物の記述どおり、古代文明における強力な破壊兵器の発射施設で
あることが確認されました。」
「・・・成る程・・・。我々の目的は達成されたわけだな。」
「はい。残念ながらドルフィンが滞在している民家へのスパイ派遣など、ドルフィン監視に関する情報は奴等の手に渡りました。」
「それは構わん。知られたところでどうになるものでもない。・・・で、その小娘は?」
「・・・N計画の対象者です。」

 騎士達がリーナをぐいと仮面の人物の前に突き出す。仮面の人物はリーナの細い顎に手をやり、その顔を自分の正面に向けさせる。
リーナは表情の窺い知れない仮面と向き合うと、さらに激しくもがく。

「この小娘は遺跡調査の兵力と交戦状態になった例の対象者とその仲間の案内役をしていましたが、交戦においてその能力を発揮したことを偶然発見し、
スパイに単独かつドルフィンとの距離が十分確保できた状態になった時を報告させ、今回拉致したものです。」
「良くやった。フフフ。思わぬ収穫だな。・・・猿轡を解いてやれ。」
「ははっ。」

 別の騎士が猿轡を解くと、リーナは仮面の人物の手を振り払って数回大きく息をした後一気にまくしたてる。

「何よこの扱いは!いきなり人の部屋に押し入ってこんな変な所に連れて来るなんて!レディに対して失礼だって思わないわけ?デリカシーの欠片も
ないわね、あんた達は!」
「形(なり)は小さいが随分元気が良いな。結構結構。」
「五月蝿い!大きなお世話よ!どうでも良いけど、とっとと離しなさいよね!」
「生憎だがそれは出来ない相談だ。お前は何と言っても、N計画の貴重な対象者なのだからな。」
「わけの分からないことを!とっとと離せって言ってるでしょ!」

 不気味な雰囲気に怯むことなく喚き散らすリーナだが、仮面の人物は低く笑って思わぬことを言う。

「どうだ?我々と手を組まんか?」
「はぁ?」
「お前の持つその力を生かす方法を我々は知っている。その力で・・・」

 ぴちゃっという小さな音がして、騎士達は思わず驚きの声を上げる。口上を述べていた人物の仮面にリーナが唾を吐き掛けたのだ。
凍り付いた空気の中、リーナはフンと鼻で笑って存分に侮蔑を込めた言葉を投げつける。

「ふざけるんじゃないわよ。それが人にものを頼む時の態度?『お願いします。その力を愚かで無粋な私達の為に是非お貸し下さい』とか言ってみたらどう?」

 仮面の人物は呆然と立ち尽くしたままかと思いきや、いきなりリーナの頬を平手で殴打する。金属製の篭手で覆われたその一撃は、激しい音と共に
リーナの顔を大きく横に向かせる。

「な、何する・・・っ!」

 反抗しようとしたリーナの頬を左右に何度も、何度も仮面の人物が平手を叩き付ける。
聞くだけでも痛々しい音が何度も室内にこだまし、ようやくそれが止んだ時には、リーナは両方の頬を真っ赤に腫らしてぐったりと項垂れていた。
仮面の人物はリーナの顎を鷲掴みにして、その顔を乱暴に自分の方を向かせる。

「図に乗るな、小娘。貴様は今の自分が置かれている立場を理解していないようだな。」
「う、うう・・・。」
「自分から我々と手を組みたいと思うまで、少々痛い目に遭ってもらうぞ。・・・連れて行け。」
「ははっ。」

 仮面の人物がリーナの顎を放り出すように手放すと、騎士達はリーナを引き摺るように部屋から連れ出していく。ドアが閉まり、再び部屋が自分一人に
なると、仮面の人物はマントの端で仮面からゆっくりと滴るリーナの唾を拭い取る。

「・・・少々手荒だったか。まあ、身の程を知らん小娘には多少のお仕置きは必要だろう。」

 仮面の人物は再び窓の外に視線をやる。
眼下に広がる光景を見て何を思うか、何を企てているのか、仮面に隠された素顔と同様、何も窺い知ることは出来ない。ただ、権力の麻薬に酔いしれ
その快楽を維持することに躍起な国王が全面の信頼を置く仮面の人物が決して全面的な協力者ではないことと、それを国王が何も知らないことだけは
確かである…。

用語解説 −Explanation of terms−

34)サンゼット:フリシェ語で「日の昇る」を意味する。方角的にナルビアの東に位置する為、夜明けの太陽は水平線を昇って来ることからこの名が付いた。

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