「小父さん。ドルフィンです。ただいま帰りました。」
ドルフィンが言うと、フィーグは驚いたように顔を上げ、ドルフィンを見て表情がぱあっと明るくなる。「おお、ドルフィン君じゃないか!リーナから帰って来たと聞いてはいたが。いやあ、無事で良かった!」
「長い間留守にしまして、すみませんでした。」
「いやいや、君自身のことだから私にとやかく言う資格はない。それよりも無事で何よりだ。まあ、そこに座ってくれ。」
「2ヶ月ぶり・・・だね。リーナが随分寂しがっておったぞ。君の旅先から手紙が来ると真っ先に取りに行って、何度も読み返して。」
「いきなり抱き着きの歓迎を受けましたよ。」
「そうだろうなあ。いつ帰って来てもいいように、と言って、君の部屋を毎日掃除しておったよ。」
「中に入ったら随分奇麗でびっくりしましたが、そのせいですか。」
「で・・・首尾はどうだったかね?」
ドルフィンは少し暗い表情で首を横に振る。「そうか・・・。残念だな。」
「彼方此方探し回ったんですが、全く手がかりすら掴めなくて・・・。」
「私も此処に来る客から色々聞いてはみたが・・・。まあ、気を落とさないでくれ。」
「ところで…、ちょっと聞きたいことがあるんだが。」
「何ですか?」
「リーナから聞いたんだが、君はテルサに立ち寄ったそうだね。そこで、国家特別警察とかいう奴等と出くわさなかったかい?」
「会いました。邪魔するんで蹴散らしましたが長官だけはとっとと逃げました。」
「そうか・・・テルサのような小さい町にまで派遣しているとは、どうやら一時の酔狂ではないようだな。」
「ミルマには、何時?」
「…3週間ほど前かな、突然黒い鎧を着た兵士達の大軍が押し入って来て、これから町は我々が管理すると一方的に宣言して町役場に陣取りおった。
自警団も強制解散だ。逮捕者が何人も出て町中良い迷惑だよ。」
「1週間ほどして、この店にも来てな。お前の店は町の自治に反抗しているから問題があると。奴等、ミルマ経済連と結託しておるわ。経済連の言いなりに
ならんこの店を、兵士の権力に便乗して潰そうと考えておるんだろう。」
「こういう事態になったら、そういう行動に出るだろうとは思ってましたが、やはり来ましたか。」
「まあ、私とて黙ってはおらん。この店の人間に何かあれば一切の薬草や薬の流通を停止させる、そうなれば、あんた達が困ることになるぞと言ってやった。
それ以来音沙汰なしだ。この町で薬関係の国外取引が出来るのは私だけだからな。国全体でも他にナルビアに2人ほどしかおらん。薬草や薬がなければ
魔法は一部使えんし研究もできん、医療は大混乱だ。ミルマ商工連の代表たる者、奴等の不当な圧力や脅しに負けるわけにはいかん。」
「さすがですね。」
「とは言っても、商工連加盟の商店や事業者には、度々嫌がらせをして来ておる。私が歯止めを掛けようにも一人で全てには手が回らんからな。
難しいところだ。」
「で、奴等の動きは?」
「うむ、それなんだが・・・兵士達め、来ていきなりハーデード山脈の鉱山を強制的に閉鎖してしまいおった。お陰で鉱山で働いていた労働者が大量に
失業してな。鉱山の採掘を止めるということは、この町はおろか、国全体の経済を破壊することに繋がりかねん。私が失業やそれに伴う犯罪発生率の上昇、
それに国全体の経済破綻に繋がるから止めるようにと何度抗議しても、国王陛下の勅命だと言って全く取り合おうとしない。奴等、何を考えておるのか・・・。」
「その件なんですが、テルサで生き残った国王の飼い犬の残党の話では、ハーデード山脈の鉱山閉鎖の直後、大規模な調査隊が入ったということです。
何か心当たりはありませんか?」
「うーむ・・・心当たりねえ・・・。」
「果たして関係があるのかどうか、断定はできんが・・・。」
「何でも、どんな小さな事でも良いんです。」
「何回目かの抗議の時、応対に出た兵士の一人が苛立ち紛れに、これは国家にとって重要な調査だから駄目だ、と言ったんだ。私が何を調査しているんだ、
と言ったら、遺跡だ、遺跡を調査して何が悪い、と・・・。すぐさま別の兵士が飛んで来てその兵士を連れていったが、高々遺跡の調査のために、それほど
神経質になる必要があるのかどうか・・・。」
「遺跡・・・ですか?」
「まあ、奴等の対応は私がするから、君は久しぶりにリーナの話し相手でもしてやってくれ。寂しがっておったしな。」
「そうさせてもらいます。」
「私は町の本当の秩序回復のためにも鉱山の再開を引き続き要請するよ。」
「・・・帰っていきなり頼み事をするのは気が引けるんですが・・・。」
「遠慮することはない。何なりと言ってくれ。」
「実は、テルサで奴等が押し入っていた建物から、こんなものが発見されたんです。」
「これを兵士に投与したところ、生きながらにしてゾンビになったということでして。成分を分析してもらえませんか?」
「生きながらにしてゾンビ・・・?」
「ええ。私も俄かには信じられないんですが、冗談で片づけることも出来ないような気がして・・・。」
「・・・これは天然の物質ではないな。結晶が見たこともない形だ。」
「何か分かりますか?」
「さすがに外観を見ただけでは分からんよ。しかし、既存の薬品ではないことは間違いないだろう。これは私が責任を持って成分分析をしておこう。
少々時間が掛かるだろうが。」
「どうかお願いします。」
「任せてくれ給え。薬剤師の端くれとしてこの粉の正体を暴いて見せるよ。」
「何だ、まだ食べてなかったのか?」
ドルフィンが話し掛けると、リーナが不審そうにドルフィンの方を向く。しかし、話し掛けた相手がドルフィンと分かると、一転して表情が明るくなる。「ドルフィン!」
「薬剤師の勉強でもやってたのか?」
「一応ね。それより一緒に食べようよ。ね?」
「そうするか。」
「ドルフィンがいない間、あたし、ずっと一人でこの時間に食べててね、すっごく寂しかったよ。」
「長い間留守にしたからな。今日はゆっくり食べるか。」
「うん!ドルフィンが旅先で見たこと、いっぱい話してね。」
「ところでさ、ドルフィン。一つ聞きたいことがあるんだけど・・・。」
リーナの表情が険しくなる。口にするのも気分を害すると言いたげだ。「ドルフィンがテルサから連れて来たって言うあいつら、一体何しに来たの?」
「アレン・・・赤い髪の方の父親が、一人だけとんずらこいた兵士の頭にナルビアへ攫われてな。父親の奪還に俺が協力しているってわけだ。もう一人は
アレンが心配でついてきてるんだ。」
「自分でやればいいのに、情けない奴!そんな個人的なことにドルフィンを巻き込むなんて!」
「まあ、そう言うな。協力を頼むのは別に弱虫でも何でもない。ケツ捲くって逃げるよりはずっとましだ。」
「ドルフィンにはドルフィンの大事なものがあるのに。宿を与えた代償に協力を押し付けたんじゃないの?」
「それは違うな。俺が強制や脅しに、はい分かりました、と尻尾振るように見えるか?」
「・・・でも、あたしは反対よ。ドルフィンがあいつらのために動くなんて。折角帰って来てくれたと思ったらゆっくりしてる間もないなんて。あたしは嫌。
ドルフィンが自分のために旅に出るのは仕方ないけど、他人のために動くのは絶対に嫌!」
「これは俺の意志でやってることだ。誰に強制されたわけでもない。」
「そんなにすぐに出るわけじゃない。時間があるうちは傍に居てやるから。」
「・・・うん。ドルフィンが言うなら、それで良い。」
「よしよし、良い娘だ。」
「あーっ、子ども扱いしてるーっ。」
「ちょっとしたことですぐ拗ねたり喜んだりするのは、まだまだ子どもって証拠だ。」
「ひっどーい。こう見えても16歳間近のレディよぉ。」
「ほほう、レディねえ。レディが果たして取っ組み合いの喧嘩で、顔に蚯蚓腫れ作ったりするかねえ。」
「あ、あれは・・・、あいつらがあたしに絡んで来たから・・・。もう、そのことには触れないでよぉー。」
「それはそれとしてさ、ドルフィンにお願いがあるんだけど。」
「何だ?」
「お父さんから聞いてるかもしれないけど、この町に首都から忠誠心の育成と秩序回復のためとか訳の分かんないこと言って、真っ黒の鎧の兵士達が
居座っちゃってさ。おまけに鉱山まで閉鎖しちゃって、お父さんが入ってる組合の店に度々嫌がらせしてるの。お父さん、その対応に追われっぱなしでろくに
休めないのよ。」
「国王の飼い犬がうろついてるって話は聞いてるし、実際そうだった。だから意表を突いて取水トンネルから潜り込んだんだ。」
「でね、このままじゃお父さんの体が参っちゃうから、ドルフィンに何とかして欲しいなって思って。あいつら、この町から追い出しちゃってよ。」
「ドルフィンなら簡単でしょ?ね?お願い。」
「小父さんが困ってるんなら手助けしたいのは山々なんだが・・・。今の俺では状況的に厳しいな。」
「どうして?別にドルフィンなら何も苦労はしないでしょ?簡単に蹴散らせるじゃない。」
「俺はこの町では面が割れてる。下手に行動に出たら、奴等がこの店や小父さんを潰す絶好の口実を与えかねん。」
ドルフィンはフィーグのミルマ経済連への抗議の席に、不測の事態に備えての護衛役として必ず同席しており、当然ミルマ経済連の幹部クラスにも存在が「・・・どうしても駄目?」
リーナが半分泣きそうな表情で言うと、ドルフィンは首を横に振る。「誰も駄目とは言ってない。俺も鉱山閉鎖の背後事情に興味があるし、狂った飼い犬をこのままのさばらせておいて良い筈はない。」
「じゃあ、何とかしてくれるのね?」
「少々手間と時間はかかるだろうが、それなりに対処するから心配するな。」
「だからドルフィンって大好き。頼れるし、行動力もあるし。」
「こらこら。何甘えてるんだ。」
「ぼけっとしてちゃあ、警備にならんぜ。」
ドルフィンは座り込んで下を向いている兵士達の喉を一人ずつ掴み上げ、壁に凭れさせるように再び立たせる。「さあて・・・。何をやってるやら。」
ドアが静かに開き、また静かに閉まる。正面と右手に伸びる廊下はしんと静まり返り、誰の姿も見えない。時折、微かにどこからか話し声と笑い声が「お前達の頭は何処にいる?」
背後からの声にも、泥酔している兵士は全く驚くことなく答える。「あー?何言ってやがんだ。3階だよ。3階の313号室だよ。」
「ほお。じゃあ、業務関係の書類の保管場所は?」
「うっせえなあ。そんなもん知らねえよ。俺達下っ端が知るわけねえだろ。」
「おい、お前、誰に向かって話してるんだ?」
「知らねえ。聞いて来るから答えてやっただけだって。」
兵士は首を傾げて気配に答えていた兵士の背後を見て言う。「んー?誰も居ないぞお。」
「じゃあ、居ねえんだろ。」
「もう一つ。鉱山を閉鎖して何をやってる?」
「しつこい奴だなあ。遺跡の調査だと。何やら重要なもんがあるらしいぜぇ。」
「変だなあ。俺まで声が聞こえるような・・・。飲み過ぎたのかな?」
「違う違う。飲み足りないんだって。さ、飲むぞ!」
「でよお、昨日、店の若い女を追い掛け回したんだよ。その女、泣きながら逃げ回ってさ。『止めて下さい』だって。」
「で、どうしたんだ?」
「退屈だったんでさあ、捕まえて身ぐるみ剥いで通りに放り出してやったぜ。その女、めそめそ泣いちまってさ。笑っちまったよ。」
「お前、何やってんだよ。」
「そんなところで居眠りこいてんじゃねえよ。」
「いやあ。飲み過ぎちまったみたいだなあ。」
その兵士がやはりへらへら笑いながら言うと、男は芋が地面から引き抜かれるように椅子から立たされる。そして、くるりと後ろを向くや否や、鈍い音と「面白えぞ!もっとやれ!」
「なかなか大した隠し芸じゃねえかよ、おい!」
「い、いや、何かこう、本当に殴られてるようでさあ。」
「本当に殴ってるんだよ、屑が。」
「え?」
「飛べ。」
兵士の下から声がすると同時に、兵士は猛スピードで投げ出される。兵士は絶叫を上げながら、煉瓦の壁に勢いよく激突する。豆腐が潰れるように兵士の「−で、『赤い狼』対策は進んでおるのか?」
「はっ、懸命に捜索を続けておりますが、全く見当たりません。」
「この町の管理は開始してから一月近く経とうとしているのに、まだ摘発できんというのか?」
「申し訳ありません。どうやら奴等は、何らかの方法で我々の駐留開始及び一斉摘発の情報を掴んでいたようです。」
「現在、魔法探査7)で全体像の解析を急いでいる。遺跡調査が奴等に知られるようなことになれば、間違いなく妨害工作を行って来る。それで調査が失敗に
終われば我々の首はおろか命はない。分かっておるのか?」
「も、申し訳ありません。引き続き、大捜索を行って根絶やしにする所存です。」
「問題はまだある。テルサ支部を壊滅に追いやったあのドルフィン一味が、何時の間にかこの町に潜入したのだ。警備隊は一体何をやっておったのだ!」
「はっ、連日20ジム体制で警戒に当たっております。」
「警備状況など聞いてはおらん!ドルフィンが動けば我々の計画は一気に水の泡だ!航空部隊がミサイルらしいもので全滅したところからしても、
ドルフィンの力は自ずと知れる。あれが我々に向けられたらどうなるか…!」
「我々としましてはですね、できるだけ早めに鉱山を再開して頂きたいのですよ。」
ドルフィンが聞き覚えのある声が聞こえて来た。蛙を締め上げるような独特の声は、ミルマ経済連の会長のものである。「鉱山の長期閉鎖はですね、我々の首を絞めることにもなるんですよ。そうなると、皆様へは勿論、崇高なる国王陛下への献金も滞ってしまいますので、
何とぞ・・・。」
「うむ、分かっている。我々とて、国家に忠義を尽くすミルマ経済連を苦しめる気は毛頭ない。もう暫く辛抱してくれ。」
「勿論でございます。この建物も皆様のために引き続き喜んで御提供いたしますので。」
「さて、次は今後のミルマ管理運営についてだが−。」
会議はドルフィンが知りたいことから方向がずれ始めた。これ以上会議を盗み聞きしても得るものはないと思ったドルフィンは、先ほど聞き出した長官の「何事だ!」
「賊だ!急げ!!」
「ちっ!」
姿を現した、否、姿を暴かれたドルフィンは、舌打ちして近くの窓を蹴破って飛び降りる。会議中だった幹部や当直の兵士達が駆けつけた時には、「追え、追え−!!逃がすなー!!」
「非常事態発生を知らせろ! 大至急だ!!」
「たった今、本部施設に賊が侵入した!まだ遠くに行っていない筈!徹底的に探せ!」
長官の指令を受けて、兵士達は四方に散らばって付近の捜索を開始する。倉庫やごみ箱まで隠れる場所になりそうな場所はくまなく探しまわる。「・・・おのれ・・・。逃げ足の早い!」
「訓練された、『赤い狼』の諜報員でしょう。特別監視下のフィーグの家からは、ドルフィンの動きはなかったという報告がありました。」
「やはり、何としても『赤い狼』を殲滅せねばならん!警戒と操作をより厳重に行え!」
「俺としたことが迂闊だった・・・。まさか、トラップ・ボール8)を仕掛けてあるたあ・・・。」
ドルフィンは唇を噛んで警戒を怠った自分の至らなさを恥じる。「しかし、あれほど用心にしてるってことは、余程怪しいことをやってやがるな。」
ドルフィンは、ますます遺跡調査に対する疑問を大きくする。