初夏の日差しに照らされ、そよ風で波打つ広大な若草の海を2匹のドルゴが縦に並んで疾走している。乗っているのはテルサを突如として占拠した
国家特別警察を撃破したアレン、フィリア、そしてドルフィンの一行である。先頭を走るのが剣を左手に持ち、右手一本で手綱を操るドルフィンで、その後ろに
両手でしっかり手綱を操るアレンとその腰に抱き着くかのように腕を回しているフィリアが続く。
一行が目指すのは勿論、アレンの父ジルムが連行された、王国の首都−国家特別警察は帝都と称していたが−ナルビアである。
テルサからナルビアまでは、普通にドルゴを走らせて1週間程の距離である。しかし、それには王国最大の都市ミルマを必ず通過しなければならない。
ミルマを避けて行こうにも、南側には生活用水や工業用水を提供する
マシェンリー1)川を挟んで、ミルマの重要な産業基盤である鉄鉱石を産出する
ハーデード山脈が立ち塞がり、北側はごつごつした絶壁の壁のような
ケジェンヌ2)山脈が連なり、空でも飛んでいかない限り迂回は到底不可能である。
3人プラス荷物を乗せてドルゴより高速に移動できる、ワイバーンのような大型の移動用魔物があれば良いのだが、ドルフィンもこれまで必要なかったせいか
持っていない以上、敵にも見た目に明らかな唯一の陸路を進むしかない。
早くもテルサを出てから2日目には、ただ一人ジルムを連行して首都ナルビアへ逃げ去ったマリアス−元国家特別警察テルサ支部長官−の報告を受けて
派遣されたらしい、夥しい数の討伐隊が一行目掛けて襲い掛かってきた。
もっとも、ドルフィンの力の前には数が増えたところでどうにかなるものではない。
剣の一振りで間合いに入る前に真っ二つにされる兵士。
大地をえぐるような爆発で跡形も無く吹き飛ばされる兵士。
天を切り裂くような雷で炭の破片に変わり果てる兵士。
アレンとフィリアが手を出すまでもなく、討伐隊は悉く視界から消え失せてしまった。
一行が当面の目的地であるミルマに向かっていることを国家中央は把握しているらしく、一向に襲い掛かる討伐隊はミルマに近付くにつれて全滅に懲りる
ことなく数を増してきた。しかし、数がどれだけ増えても足止めはおろか、一行のドルゴを停止させることすらできないでいた。
「多すぎる。」
「え?」
「兵士が多すぎる。テルサを出てから相当兵士を潰したが、蛆虫みたいにどんどん湧いてきやがる。」
ドルフィンの言う通り、確かに兵士の数はやたらと多い。無闇に兵力を浪費することは国家特別警察の兵力にも影響する筈であるし、民衆の蜂起を防ぐ
ためにも他の町に駐留している兵力を動員してまで減らすようなことはしない筈である。
しかし、兵士は絶えるどころかより数を増している。
せいぜい王の護衛と国境警備くらいしか任務が無く、徴兵制度もないためか、元々王国の軍隊はさほど多い方ではない。国家特別警察を名乗ってから
どうやっていきなり大幅増としたのだろうか。
「あんまり考えたくないけど…普通の人達を駆り出してるんじゃないかな?」
アレンが言いにくそうに切り出す。
ドルフィンは向かって来る者を問答無用になぎ倒しているが、その中に何の罪も無い、自由意志を奪われた一般の民衆が混じっているかもしれない。
唯一の肉親である父親を探すためとは言え、多くの人々の命を奪って良いのか。如何に敵とは言え、命令されてわざわざ殺されに来るような何も知らない
兵士達も、同じ人間ではないか。目的はどうであれ人殺しは人殺しというドルフィンの言葉が、アレンの頭の中でがんがん鳴り響いていた。
「可能性はあまりないな。」
ドルフィンはアレンの不安を打ち消すような答えを口にする。
「思い出してみろ。テルサを占領した奴等はお前達を徴兵したりはしなかっただろ?奴等はいつ裏切るかもしれない部外者をそう簡単に取り込みやしない。
俺達の邪魔をするなとばかりに押さえつけることに躍起になるだけさ。」
「でも、あたし達を迎え撃つために緊急に駆り出したとか…。」
アレンの気持ちを察するかのように、フィリアが食い下がる。
考えられる限りの可能性を引っ張り出して、可能な限り戦闘における懸念−無理矢理駆り出された人々と殺し合うこと−を払拭しておきたいのは、フィリアも
同じのようだ。
「いや、それも可能性は低い。緊急で駆り出された兵士達にしては統率が取れ過ぎている。ドルゴの乗り方も様になっていた。少なくとも、テルサに居座って
いた奴等よりはそれなりに訓練されているのは間違いないな。」
少なくとも一般の人々を巻き込んではいないと思うと、アレンとフィリアの心は幾分楽になる。
「じゃあ、傭兵かな?」
「…なら良いんだがな。」
ドルフィンは珍しく口を濁す。アレンは少し気になったが、周到な計算の元に行動するドルフィンは、安易な推測でものを言ったりしない。確証が持てない
から口に出さないだけだろうと思い、それ以上尋ねることはしない。
「ま、お前は父親を助け出すことだけ考えていればいい。後の面倒なことは俺に任せておけ。」
「うん。」
アレンは頷く。
「ねえ、アレン。」
フィリアがアレンの耳元で妙に色っぽい調子で囁く。突然の、それも耳慣れない口調に、アレンは驚いて一瞬手綱を手放し、慌てて握り直す。
「な、な、何だよ、突然!」
「そんなに驚かなくても。」
フィリアはアレンの驚きように意外な表情だったが、アレンの心臓はまだ激しく脈動している。背中に密着するフィリアに、その鼓動が伝わらないかと
冷や冷やする。
「で…、何?」
どうにか平静を取り戻したアレンが改めて尋ねると、フィリアが小声で言う。
「前から疑問だったんだけどさ…、ドルフィンさんって、彼女とかいるのかな?」
「え?!」
「だってさぁ、長身でがっしりした体格で、強くて気さくで、その上ルックスも合格点とくれば、放っておく女の子なんていないわよ。」
アレンは複雑な気持ちになる。
確かにフィリアの指摘は的を得ているし、アレン自身もそれは否定しない。しかし、同年代の女の子とさして変わらない身長と線の細い体格、剣を両手で
持てる程度の腕力と悩みやすい性格と思っている自分をずばり否定されたようにアレンは感じてしまう。
「あたしもフリーだったら、絶対アタックするなぁ。」
「あたしも?」
アレンは思わず聞き返す。
「もぅ。あたしはアレンの虜じゃない。」
フィリアはアレンの腰に回した腕にぐっと力を込める。
「何馬鹿な事言ってんだよ。」
「フッフッフッ。照れない照れない。」
意味ありげに微笑むフィリアと違い、アレンは困惑した表情を浮かべる。ドルフィンはアレンとフィリアの会話を聞いていない振りをしていた。
テルサを出てから早くも4日が過ぎた。景色は見渡す限りの草原から起伏の多い大地、ごつごつした岩肌が除く岩場から蛇行する狭い谷へと変化していく。
一行はミルマにあと少しの地点までやって来た。
ミルマに近付くにつれて討伐隊の数がますます増え、攻撃が激化してきた。とうとう召喚魔術を使用する者も現れた。一行を水際で阻止するべく投入されて
来るだけあって、兵力もそれなりに充実しているようだ。
ドルフィンが右手を上げてドルゴを停止する。アレンも手綱を引き寄せてドルゴを止める。
「あれがミルマだ。」
ドルフィンが前方を指差す。
両脇の岸壁で全体は見えないものの、前方にはテルサより頑丈そうな外壁が見える。テルサではお目にかかれない、塔のように聳え立つ煙突が何本も
立ち並び、そこから白煙が立ち上っている。正面には出入り口である巨大な門が一行を待ち構えるかのように聳え立っている。
「これからどうするの?」
「まずは町の周囲の様子を掴まないとな。」
アレンが尋ねると、ドルフィンがそれに答える。
次の瞬間、ドルフィンが何かを察知したかのように、表情が険しくなる。ドルフィンが手綱から右手を放して頭上に翳すと、青白い半球状のスクリーンが
一行の周囲に浮かび上がる。これが
結界3)である。
アレンとフィリアがドルフィンの突然の行動を怪訝に思ったのもつかの間、バシッバシッという音と共に、結界の至る所で青や赤の火花が散る。
それに続いて、遠雷のような音が立て続けに聞こえて来る。
「な、何?何なの?!」
「上だ。」
うろたえるフィリアに、ドルフィンは表情を崩さずに言う。アレンが視線を上に移すと、鳥の群れのような黒い影が幾つも見える。
「来るぞ。」
ドルフィンが言うや否や、またしても結界の表面で火花の乱舞が繰り広げられる。
「ドルフィン。あの空の奴って・・・。」
「航空部隊だ。余程俺達に来て欲しくないらしい。」
航空部隊−ワイバーンに搭乗した魔術師の軍勢はある一定の距離以上は近付いて来ようとしない。どうやら一定距離を置いて魔法による遠距離攻撃で
足止めする作戦らしい。
「なかなか頭を使うようになってきたな。」
「感心してる場合じゃないよ。」
「じゃあ、一気に行くか。」
ドルフィンは左手に持っていた剣をドルゴの横腹に立て掛けて、両手の人差し指と中指を胸の前で交差させる。ドルフィンの前方の地面が次々と
盛り上がり、大人の腕くらいの太さの筒状の物体に変化していく。
緊張と沈黙の時間がゆっくり流れていく。結界上で何度目かの火花の競演が始まる。それを待っていたかのように、ドルフィンは呟く。
「ミサイル4)。」
土でできた筒状のそれ−正にミサイルそのもの−は、一斉に土煙を吹き出して飛び出し、猛スピードで航空部隊に突進して行く。
「な、何だぁ?」
「逃げろ!ミサイルだぁ!」
叫び声はすぐに爆発にかき消される。一行の体をも震わせるような爆発が次々に炸裂し、土煙が航空部隊を完全に飲み込む。
「取ったな。」
ドルフィンは航空部隊の全滅を確信したらしい。
爆発と土煙が消えた後には、航空部隊は一つも見当たらない。白煙を上げながら落下していく破片が多少確認できる程度だ。
「ドルフィン・・・、さっきのって何?」
アレンが恐る恐る尋ねる。
「古代魔術の一つ、ミサイルだ。空の虫を撃ち落とすには一番効率が良い。」
「あたしも一応使えるけど、同時発射はせいぜい2、3本よ。」
ドルフィンの回答に、背後のフィリアが補足説明する。
「あれだけ完全に砕いちまえば、下の街や人には焦げ臭い雪にしかならんだろう。」
アレンははっとする。
アレンは初めて遭遇する空からの攻撃ですっかり忘れていたが、航空部隊の真下には広大な街が広がり、多くの住人が暮らしている。
単に撃墜しただけでは、その残骸で街や住人に多大な被害が及ぶ危険がある。ドルフィンは敵を迎撃するだけでなく、無関係な一般人を巻き込むこと
−アレンがもっとも気に病んでいること−を避けるため、完膚なきまでに粉砕するという一見残忍な手段を取ったのだ。
「アレン。お前が思っていることはそれなりに分かってるつもりだ。」
「・・・ドルフィン。」
「だからこういう面倒な事は俺に任せておけば良いのさ。」
アレンとドルフィンは口元に笑みを浮かべる。
「でも…、奴等はどうしてここまであたし達をしつこく妨害するんでしょうか?」
「余程アレンの父親が大物だったか?」
「それは…ないと思うよ。家の中に父さんの過去の栄光を示すものなんて見当たらなかったし。」
ドルフィンは少し考えてから話を始める。
「今俺達が抱えている謎は主に3つある。奴等が剣を求めてアレンの父親を攫ったこと、鉱山を閉鎖して調査隊を投入していること、そして国王の突然の
計画的な強権支配だ。奴等の行動から推測して、奴等はある程度の確証を持っているのは間違いない。アレンの父親だけに剣の在処を聞き出そうとした
ことも、経済危機を覚悟で鉱山を閉鎖したのも、何も知らない割には手際が良すぎる。」
「確かに…そうですね。」
「ミルマで一番関係が深いのは鉱山の閉鎖と調査隊の投入だが、そんなことが何になるのか…。剣の在処を聞き出すためにアレンの父親を攫ったことも
同じだ。計画性はあるが一貫性に乏しい。」
「権力者のすることって、一般人から見ると意味不明のことも多いですからねえ。」
「金の鉱脈があるのかなあ。じゃなかったら財宝とか。」
「・・・財宝・・・ねえ。」
ドルフィンは顎に手を当てる。
「でも、たかが宝捜しのために自分が支配したい国の経済が危なくなるようなことするかしら?」
「それもそうだよな。」
「・・・情報が少なすぎて分からねえが、一連の謎は何らかの繋がりがあると考えた方が良さそうだ。」
ドルフィンが眉間に皺を寄せながら続ける。
「これほど手際良く確証を持って行動している連中が、何の共通点も無しに動いているとはとても思えない。そこで浮上するのが、強権発動に乗り出した
国王の背後にいるらしい、黒幕の存在だ。」
「黒幕?」
「ああ。俺が聞いた話じゃ、国王が一連の行動に出る前に、ある人物が御意見番として招聘されたらしい。」
「じゃあ、その人物が情報を教えたんじゃ・・・!」
アレンが身を乗り出すようにドルフィンに詰め寄る。
「だとすると、その人物が何処でどうやってその情報を入手したかってことが問題になって来る。」
「あ・・・そうか。」
「何にせよ、情報が少なすぎる。その辺は探りを入れてみないと推測の域は出ないな。」
「・・・そうだね。」
「取り敢えず、ここで一旦休憩だ。その間に周辺の様子を探らせる。」
ドルフィンはパピヨンを召喚して、ミルマ周辺と内部の警備状況、そしてハーデード山脈の鉱山周辺の様子を探るように命令する。パピヨンがふわふわと
空に舞い上がり、やがてその姿は見えなくなった。
「今のうちにゆっくり休んでおけ。パピヨンが戻って来るまでには時間がかかるし、ドルゴの運転で疲れただろう。」
「うん。そうさせてもらうよ。」
アレンとフィリアはドルゴを降りて並んで腰を下ろす。
「アレン。寝るならあたしの膝枕はどう?」
「い、いや、良いよ。」
少し頬を赤く染めてアレンが言うと、フィリアはアレンの頭をぐっと抱き寄せて、自分の太股に押し付ける。
「な、何するんだよ!」
「おとなしくしなさいっ。じたばたしないのっ。あたしが良いって言ってるんだから、大人しく膝枕されなさい。全くいつまで経っても子どもなんだから。」
フィリアは動転して身を起こそうとするアレンに、母親が駄々っ子を叱るような口調で言う。アレンはフィリアの妙な理屈に反論しようと思ったが、
これ以上抵抗してフィリアが怒った時のことを考えて言わないことにした。
「アレン。彼女の折角の膝枕だ。大人しくされてやれ。」
唯一の希望のドルフィンもアレンの期待には応えてくれない。
『駄目だ。これじゃ益々フィリアの思う壺だ…。』
アレンは強い態度に出られない自分を苦々しく思う。
這うように時間が流れていった。太陽が一行の背後の岩場の向こうに消え、代わって星が黒い帳の降りた空に輝き始める。
街灯などないこの世界で、星の輝きは消える寸前のランプの代わりにもならない。墨で塗り潰したような暗黒が支配する時間、それが夜である。
「・・・レン。アレン。そろそろ起きて。」
ゆっくりと広がるアレンの視界に、優しい微笑みを浮かべたフィリアの顔が幾分闇に溶け込んで映る。何時の間にかアレンは眠っていたようだ。
長時間のドルゴの操縦と昼夜を問わない討伐隊の襲撃による睡眠不足が重なっていたためだろう。アレンは目を擦りながら体を起こす。
「よく眠ってたな。疲れは取れたか?」
「うん。もう大丈夫。」
「まずは状況説明からいくか。」
ドルフィンは地面に絵を描きながら説明を始める。
「外壁周辺は200名程度の兵士が警備に当たっている。航空部隊が撃ち落とされたってんで陸上の警備を増やした結果だ。内部はさらに多い。道の至る所に
兵士が2、3人ずつうろついていて、不審者−ま、奴等がそう思えばそうなるんだが−を探してる。」
「全部で何人くらい?」
「少なく見積もっておよそ1000人。詰所は見てないがそれを含めりゃさらに多いだろう。」
さすがに王国随一の大都市ミルマに駐留するだけあって、兵士の数もそれなりに必要と踏んだのだろう。それに、首都ナルビアへ行くためには地理的に
必ず通過しなければならないだけに、国王の側も最重要拠点として守りを固めた可能性が高い。
「次に鉱山の様子だが・・・、町から鉱山へは町の南門から山道を登っていくしかないんだが、そこには兵士がしっかり陣取ってやがる。鉱山の入口周辺には
魔術師らしい奴等もいる。侵入者と見れば有無を言わさず殺す構えだ。」
「中の様子は?」
「そこまでは分からん。ひとまず概要を把握させて直ぐに引き返させたからな。」
まさに町全体が警戒態勢に入っているかのような、物々しい状態である。
「これじゃあ、ナルビアに向かうどころか、ミルマに近付くことすらできないじゃない?」
「地上からじゃ強行突入以外無理だ。そうなりゃ、町全体を戦場にしてしまう。」
ドルフィンも一般市民を巻き込むことは極力避けたいらしい。自分で言った言葉を自分がもっとも身に染みて理解しているのがドルフィンらしいところである。
「じゃあ、どうすれば…。」
「潜入方法はただ一つ。よく聞いてくれ。」
ドルフィンが言う。
「まず、警備に気付かれないように川に潜る。川の岸壁に取水口がいくつかあるから、そこから潜入する。」
「え?!川潜りするの?!」
「工場用の取水口は工場内の井戸に繋がっているが、建物から抜けるのが面倒だ。一般用の取水口なら地下トンネルを経由してあちこちの井戸に繋がって
いる。そこから潜入するのが後々楽だ。荷物は濡れるだろうが止むを得まい。」
アレンとフィリアは、周辺警備の兵士を倒して壁を乗り越えるのかとばかり思っていたので、ドルフィンの潜入方法には面食らう。
しかし、周辺警備の兵士と不用意に戦闘すれば他の兵士に気付かれるだろうし、そうなるとテルサの数倍はあろう駐留軍と戦闘することが避けられない。
その戦闘で住民を巻き添えにする可能性もある以上、強行突破は望ましくないというのは、一行の共通の判断だ。
「まさか取水口から潜入して来るとは思うまい。飲み水を摂るところまで封じるわけにはいかねえだろうしな。ちょっと川潜りには早いが仕方あるまい。」
「でも、川に行くまでに見つかる可能性がないとも・・・。」
フィリアが意見する。
ミルマの南側を流れるマシェンリー川は、一行が現在居るところからさらにミルマに近付いたところで、山の間を掻い潜るようにして現れる。川岸に辿り着く
までに警備に気付かれれば、もはや計画はそこでおしまいである。相手の虚を衝く作戦だけに、フィリアもかなり神経質になっているようだ。
「今日みたいに月が出てない夜ならそう簡単に見つかりはしないだろうが・・・、念には念を入れた方が良いな。」
「はい。こうも暗いと仮に戦闘になった場合、相手の捕捉が難しいですから・・・。」
「奴等に見付からないようにする良い方法があるだろう。魔術師ならな。」
「え?どういう事ですか?」
「仮にもPhantasmistだ。古代魔術の心得はあるだろう。その中で、他人に見つからないようにできる魔法といえば?」
ドルフィンに言われて、フィリアは何か思い当たったらしい。
「あ、トランスパレンシィ5)で透明になれば。」
「そういうわけだ。その前に、ロープでお互いの体を結んでおくぞ。」
ドルフィンは革袋からやや黒ずんだロープを取り出し、まず自分の腰に巻き付け、一方の端をアレンに渡す。アレンは自分の腰にロープを巻き付けて
結び付け、フィリアもロープの端を受け取って同様に腰に結び付ける。透明になると互いの姿も確認できなくなるため、不慮の事故で離れ離れにならない
ようにするための処置である。
続いてドルフィンは水筒を取り出して軽く体にかけて、少し念じる。すると、ドルフィンの体が徐々に透けていき、向こうの景色が見えるようになり、
間もなく完全に透明になった。
「フィリアはアレンにかけてやれ。」
「では御好意に甘えて。アレン、あたしの魔法を受・け・て。」
アレンはどさくさ紛れに妙な魔法をかけられはしないかと、一抹の不安を感じてしまう。フィリアはドルフィンがやったように、水筒の水をアレンに軽く
かけて呪文を唱える。ドルフィンはIllusionistであるため非詠唱が可能だが、ぎりぎり使えるフィリアはそうもいかない。
「バン・キージェ・ダ・ハンタ・カフェージ。形はあれど姿は見えず。我に空気の衣を纏わせ給え。トランスパレンシィ。」
アレンの体が徐々に景色に−もっとも殆ど闇の中に輪郭を浮かべる程度になっているが−溶け込むように姿を消す。続いてフィリアも同様の手順で、
自分の姿を消す。
「よし、効果が切れないうちに行くぞ。」
一行はドルフィンを先頭に、岩陰を出て川へ向かう。町を囲む外壁の周辺では、休みなく兵士達が監視の目を光らせているが、透明になってしまえば姿を
発見されることはない。しかし念には念を、気配を悟られないように、足音を立てないように身を屈めながら注意深く歩を進めていく…。
用語解説 −Explanation of terms−
1)マシェンリー:フリシェ語で「至福」の意味。
2)ケジェンヌ:フリシェ語で「先鋭」の意味。ハーデード山脈より急峻な勾配を持つ山が連なるため、この名が付いた。
3)結界:基本的に力が弱く、鎧を装備できないため防御力が弱い魔術師や聖職者が使用できる精神力で構成する一種のバリア。物理ダメージだけでなく、
魔術やブレスによるダメージも軽減できる。術者の称号によって威力が異なる。
4)ミサイル:力魔術の一つで古代魔術系に属する。触媒として土が必要であり、土がないところでは使用できない。効果範囲はミドル或いはロングレンジ。
無属性であり全ての対象に有効。小屋程度の建築物なら一発で吹き飛ばせる。
5)トランスパレンシィ:力魔術の一つで古代魔術系に属する。触媒として水分が必要。効果範囲はゼロレンジ。色が視覚できる要因である光の反射を無くし、
透過させることで透明となる。効果持続時間は術者の称号によって異なるが、Phantasmistで20ミム。所持品や装備品も透明にできる。