「ん・・・。よく寝た・・・。」
目を擦りながら体を起こすとそこは、何度か入ったことのあるフィリアの部屋だった。アレンは記憶のフィルムを引っ張り出して昨夜の出来事を再生してみる。「た、確か、フィリアを担いでフィリアの家まで来て、おばさんが迎えに来てくれた・・・。ここから・・・な、何も覚えてない・・・。一体、どうして俺が此処に?
どうしてフィリアが隣で寝てるんだ?」
「あら、アレン君。もう起きたの?」
「あ、お、おはようございます。」
「おはよう。そうそう、昨日はごめんなさいね。この娘ったら、お酒飲んだ挙げ句に人様に担いで来てもらって・・・。」
「それは良いですけど、どうして俺がここに?」
「幾ら何でも娘を担いで来てくれた人をソファで寝させるわけにはいかないでしょ?」
「まあ・・・、アレン君がフィリアにそれ相当の事をしたら、ちゃあんと責任は取ってもらうけどね。」
「え?!」
「アレン君なら、私もお父さんも反対はしないわよ。」
「でも、こんなことじゃあ、アレン君に愛想付かされてもしょうがないわね。フィリア、起きなさい!」
フィリアの母親は、ぐっすり眠っているフィリアの頭を平手で叩く。フィリアがいかにも目覚めが悪そうな顔でゆっくりと目を覚ます。「うーん。何よお。昨日疲れたんだから、もうちょっと寝させてくれてもいいじゃないのよお。」
「何言ってんの。自分で朝御飯一つ作らないくせに。アレン君はとっくに起きてるわよ。」
「え?アレン?」
「あ。」
「お、おはよう。」
「もう、アレンったらぁ。女の子のベッドに忍び込むなんて。一声掛けてくれれば良いのにぃ。」
「何寝ぼけてるの。あんたがお酒飲んで寝ちゃったからわざわざ担いで来てくれたのよ。本当にあんたって娘は、アレン君に迷惑ばっかりかけて!」
「そうなの?なあんだ。あたし、てっきりアレンが夜這いに来たのかと。」
「それなら怒るはずないでしょ!」
「はい?!」
「そういえばお母さん。ドルフィンさんはどうしたの?」
「居間でお待ちよ。支度できたら一緒に朝御飯食べましょ。」
「ドルフィンとは町長さんと会ってから別行動になっちゃったけど、どこ行ってたんだろ?」
「・・・どうしてさっさとベッドから出るのよ。」
「え?何で?」
「ベッドの中で二人っきりの甘い一時を味わおうって気はないの?」
「ないないない。」
「んもう。ロマンがないんだからぁ。」
フィリアは度重なるアプローチにも乗ってこないアレンの態度に、少しむくれて見せる。「さ、早く行こうよ。ドルフィンや小父さん達が待ってるんだから。」
アレンは、フィリアの矛先を躱すために話題を切り替える。「おはようございます。」
「おおアレン君、おはよう。昨日は娘をわざわざ送ってくれてすまないね。」
「いえ・・・。」
「家の修理は終わったそうだよ。まあ、それは気にしないでゆっくりしていきなさい。」
「どうも、お構いなく。」
「君のようなしっかりした男じゃないと、ぐうたら娘の相手はしてられんだろうなぁ。」
「あー、お父さん。それが年頃の娘に言う言葉?」
「アレン君にちゃんと礼は言ったのか?」
「言ったわよお。本当はベッドの中でお返ししたかったんだけどね。」
「お返しした後はちゃんと報告するようにな。教会に式の予約をしなきゃならん。」
フィリアの父親の言葉で、アレンは固まってしまう。まさにこの親にしてこの娘あり、とコーヒーを飲んでいたドルフィンは内心思う。「さあさ、みんな揃ったことだし、朝御飯にしましょ。」
フィリアの母親が言う。アレンとフィリアは並んでドルフィンの左側に座る。「ドルフィン、昨日は何処行ってたの?」
「昨日か?その辺をうろついてた。此処には今朝方戻った。」
「じゃあ、ぜんぜん寝てないの?」
「俺は一日二日くらい寝なくても平気だ。」
「アレン。ナルビアへ行くんでしょ?あたしも連れてって。」
ドルフィンを除いて、皆一様に驚いてフィリアの方を見る。「な、何だって?!」
「人数は多い方がいいに決まってるでしょ?あたしだってそこそこの称号の魔術師なんだから、足手纏いにはならないはずよ。」
「そういう問題じゃないよ。そんな危険なことに連れて行けるはずないだろ。」
「それに・・・、これは俺自身の問題だ。フィリアがわざわざ関わり合いになることはないよ。」
「・・・そんな悲しいこと言わないでよ。」
「あたし達、ずっと一緒だったじゃないの。アレンのことは、あたし自身のことって思ってるのよ。」
「その気持ちは嬉しいけど、今回は・・・。」
「分かってるつもりよ。単なる旅行じゃないってことくらい。」
「だったら・・・。」
「だからこそ、アレンと一緒に行きたいの。少しでもアレンに協力したいから。」
「・・・お、小父さん、叔母さん。幾ら何でも駄目でしょ?」
アレンは答えあぐんでフィリアの両親に援護を求める。フィリアの父親はしかし、別段深刻に考えるでもなく、平然とアレンの求めるものと違う援護を始める。「私は構わんよ。フィリアもそれなりの魔術師になったことだし、少なくとも君の足を引っ張ることはないと思うが。」
「アレン君。無理を言うかもしれないけど、フィリアも行きたがっているようだし・・・。」
「ド、ドルフィン。どう思う?」
ドルフィンはカップを皿に置いて答える。
「俺はお前に協力する立場だ。お前が決断したことなら、余程無茶なことじゃない限り、俺はそれに何も言わん。」
「え・・・。で、でも・・・。」
「素人ならまだしも、彼女はPhantasmistだ。それなりの力はあるだろう。それに、お前の説得を振り切ってでも、一緒に行きたいって言ってるんだ。
断崖絶壁に追い詰められても泣き喚かない覚悟はできてるんだろうぜ。」
「・・・一緒に・・・来ていいよ。」
その言葉で、思い詰めたようなフィリアの表情が一気に明るくなる。「本当?」
「うん・・・。どうせ、ここで断ってもこっそり後をつけてくるだろうし・・・。」
「アレン、ありがとう。」
「な、な、何するんだよ!」
「だって、嬉しいんだもん。」
「おはようございます。ドルフィン殿はいらっしゃいますか?」
フィリアの母親が席を立って、いそいそと玄関に向かう。少し何やらやり取りがあって、間もなく畏まった服装の一人の青年が入ってくる。「ドルフィンさんにお伝えしたいことがあるそうですよ。」
「俺に?」
「はい。町長からの預かり物をお届けに参りました。」
「昨日捕らえた国家特別警察の関係者を取り調べた結果です。少しでもこれからの役に立てばとのことです。」
ドルフィンは青年から書状を受け取る。「わざわざありがとう。町長殿によろしく伝えてくれ。」
「承知しました。あと、建物内を調べていた際に妙なものが発見されましたので、それもお渡しするようにと。」
「これは?」
「兵士達を尋問したところ、中央から着任前に配布されたものと分かりました。建物内部に常勤する兵士に対して投与することで、人間の内なる力を引き出す
効果があると教えられたそうです。」
「兵士に投与しただと?!」
「は、はい。それが何か・・・?」
突然のドルフィンの反応に青年は驚く。ドルフィンは瓶の中の粉を見詰めて、少しの間押し黙る。「・・・分かった。これは確かに預かっておく。わざわざありがとう。」
「では、失礼します。」
「・・・俺が昨日聞いたことと重複してるな。まあ、下っ端が知ることなんざ、高が知れてるか。」
ドルフィンは書状に一通り目を通すと、ようやくフィリアの抱き着きから解放されたアレンに手渡す。「読んでみるといい。少しでも奴等のことを知っておいた方が良い。」
アレンはフィリアと一緒にその書状を読む。その書状には、実に様々なことがかなり詳細に書かれてあった。「その中で特に気になったのは、最後のアレンの父親連行の件だ。昨日、町長も言ってたがお前の父親と剣が、奴等には余程重要らしい。アレン、お前の
父親が持ってた剣ってのはあるか?」
「・・・まさかとは思うけど・・・。やっぱり、これのことかな?」
「これは父さんから15歳の誕生日に貰ったんだ。それまでは父さんが持ってたものなんだ。」
ドルフィンはアレンから剣を受け取って鞘から抜く。「・・・ただの剣じゃねえな。少なくとも市販品じゃねえことは確かだ。」
「どうして分かるの?」
「全く刃こぼれがねえ。お前の父親が持ってたものならそれなりに年数も経つし、昨日お前も派手にやった。にもかかわらず、この剣には小さな刃こぼれの
一つもない。これは市販品じゃ考えられん強度だ。」
「それに、この剣には封印が施してある。それも相当強力なやつだ。見てみろ。柄の部分に細かい模様があるだろう。これは対象の本来の能力を
大幅に低減するものだ。」
「恐らく、この剣は本来の百分の一の力も発揮していないだろう。成る程、こんな剣なら奴等が欲しがるのも無理はねえ。価値が分かる店に
買い取って欲しいと持って行ったら、100万デルグでも良いから売ってくれって言うだろうな。」
「そんな凄い剣なの?!」
「今まで使ってて疑問に思わなかったか?」
「・・・ある。けど・・・今までは気にかけたことがなかったんだ。父さんが連行された日の朝、この剣だけは絶対手放すなって言ってたけど・・・。もしかして、
父さんはこの剣が狙われることを知ってたのかな・・・?」
「かも知れんな。第一、剣一本にあれほど執念を燃やすなんざ、単なる宝捜しにしちゃ度が過ぎる。あの外道がわざわざ首都まで連れて行くくらいだ。奴等に
とっちゃあ、喉から手が出るほど欲しいものだってことは確かだ。」
「でも、この剣が目的なら、これを父さんの代わりに・・・。」
「それは考えるな。」
「いいかアレン。剣と父親が交換できるなんて思うな。その剣はお前の父親が絶対手放すなと言った代物だ。それは父親自身だと思って絶対守り通すんだ。
何としてもだ。」
「う、うん。」
「ドルフィンさん。私は魔術師として、兵士のゾンビ化が気になるんですが・・・。ゾンビを作るのに薬品を投与するなんて話は聞いたこともありません。
そんな事ができるんですか?」
「昨日、教会の大司教に聞いた話では、そういう薬がある可能性が無いとは言えんという話だ。」
「もっとも俺とて専門家じゃないから断言は出来ん。この粉の成分を分析してもらう必要があるな。」
「仮にそれが本当にアンデッドを創り出す薬品だとしたら・・・国王は一体・・・?」
「事は随分大きそうだ。・・・もしかすると、騒動はこの国だけで終わらないかもしれん。」
「フィリア。この先、どんな危険が襲い掛かってくるか、俺も予想できん。それでも来るか?やめても罵ることはしないぞ。」
「行きます。一度言った以上、自分の言葉には責任を持ちます。」
「・・・良い心臓だ。これくらい強い心臓を持ってる方が、優柔不断なアレンの嫁さんには好都合だろう。」
「え?え?ええ?」
「アレン。あたし達、ドルフィンさんにも公認されたわよ。あとはアレン次第よ。」
「な、何がだよ!」
「んもう。分かってるくせにぃ。」
「両足でしっかりドルゴを抱え込むんだ。振り落とされるぞ。」
「・・・こ、こうかな・・・?」
「方向転換をする時は、体の重心を曲がりたい方向に傾けるんだ。壁によりかかる感じでな。」
「足を軸にして体を傾ければ、その場で急激に向きを変えられる。ちょっと難しいから慣れんうちはしないことだ。」
「簡単なようで、結構難しいんだね。」
「一度覚えれば、風が気持ち良く感じるようになるぞ。一回、走らせてみるか。」
「そんなに緊張するな。暴れたりしねえから安心しろ。」
「わ、分かってるけど・・・。」
「最初は手綱を軽く叩くだけでいい。それで方向転換なんかを体で覚える。駄目だと思ったらすぐに手綱を引っ張るんだぞ。」
「・・・わっ!!」
何を思ったか、突然ドルフィンが大声を出す。アレンは心臓が口から飛び出すほど驚く。「な、何だよ!突然大声出して!」
アレンは肩で息をしながらドルフィンに抗議する。「そんなに力が入ってると、余計に怪我しやすくなるぞ。」
「う、うん・・・。」
「じゃあ、手綱を叩いてみろ。」
アレンは頷いて、手綱を軽く一回叩く。パシンという乾いた音がして、アレンの目の前の光景がゆっくりと移動し始める。「う、動いた、動いた!」
アレンは歓声とも悲鳴ともつかない声を上げる。「適当に方向転換してみろ。」
ドルフィンに言われて、アレンは前もって練習したように、体を左に傾けてみる。アレンの重心の移動に呼応して、ドルゴの体も傾き、滑らかに左へ向きを「もう少しスピードを上げてみろ。」
アレンは手綱を軽く一度叩く。景色の移動が少し早くなる。同じように重心を左右に移動してみると、面白いようにドルゴは向きを変える。「なかなか・・・良い運動神経だな。」
ドルフィンは自在にドルゴを乗り回すアレンを感心したように観察する。「面白いね、これ。」
「いきなりスピンターンをするとはな。大した運動神経だ。」
「やってみると意外と簡単だったよ。でも。あまり乗り慣れると、歩くのが面倒になりそう。」
「もう出発できるよね?」
「ま、早いに越したことはないが・・・随分やる気じゃねえか。」
「当然だよ。自分のことだからね。フィリアの家に戻ろうよ。荷物取りに行かなきゃ。」
「・・・ドルフィン。どうしたの?」
「・・・先に行っててくれ。」
「・・・出てこい。」
ドルフィンが金属の針を投げ捨てて言うと、林の空間の一部が歪み、しゃがんだ格好で醜悪な形相の悪魔が現れた。「ケケケケケ。我が主からの伝言だ。小僧が持っている剣をよこせば、父親は解放してやるとのことだ。」
「悪魔風情が・・・。主ってのは国王のことか?悪魔召喚に手を出すたぁ、行くところまで行ったな。」
「ウケケケケ。貴様にいう必要はない。我が主の用件を伝えるよう命令されただけのこと。」
「見え透いた嘘だな。一昨日来やがれ。」
「あの剣は我が主が持つべきもの。あの親子が持つに値せん。」
「選択は2つに1つ。剣をよこすか、死ぬかだ。ヒヒヒヒヒ。」
「知ったことか。この俺がいる以上、貴様らの思うようにはさせん。」
「思い上がるなよ、ドルフィン。帝都では面白い余興が待っているぞ。もっとも、そこまでこれればの話だがな。」
「目障りだ。消えろ。」
「あの親子に関わった以上、貴様も只では済まんぞ!よーく覚えとくんだな!ヒヒヒヒャハハハハハハハ!」
「喧しい。」
「・・・その余興とやら、楽しみにしてるぜ。」
ドルフィンは、蒸発して消えようとしている悪魔の首が腐ってできた肉汁の海を見て呟く。