Saint Guardians

Scene 1 Act4-1 出発-Setting Out- 平和な朝の風景

written by Moonstone

 決起、戦闘、祝宴と住み慣れた町が激動した日の翌朝。アレンはカーテンの隙間から差し込む朝日の催促を受けて目を覚ます。

「ん・・・。よく寝た・・・。」

 目を擦りながら体を起こすとそこは、何度か入ったことのあるフィリアの部屋だった。アレンは記憶のフィルムを引っ張り出して昨夜の出来事を再生してみる。
5ジム以上踊り続けてへとへとになり、さらに酒を飲んで踊り続けた為に疲れて眠ってしまったフィリアを背負って、やっとの思いでフィリアの家に辿り着いた
ところまでは覚えているが、フィリアの母親が出迎えにやって来たところで疲労がピークに達し、その場で昏倒してしまったが、それからどうなったのか全く
記憶がない。
 アレンがふと横を見ると、何と左側にはフィリアが眠っている。アレンは仰天して、もう一度昨夜の行動を回想する。

「た、確か、フィリアを担いでフィリアの家まで来て、おばさんが迎えに来てくれた・・・。ここから・・・な、何も覚えてない・・・。一体、どうして俺が此処に?
どうしてフィリアが隣で寝てるんだ?」

 アレンは、知らない人間が見たら赤面するか意地悪な笑みを浮かべそうな状況に動揺を隠せない。
その時、ドアが開いてフィリアの母親が姿を現す。

「あら、アレン君。もう起きたの?」
「あ、お、おはようございます。」
「おはよう。そうそう、昨日はごめんなさいね。この娘ったら、お酒飲んだ挙げ句に人様に担いで来てもらって・・・。」
「それは良いですけど、どうして俺がここに?」
「幾ら何でも娘を担いで来てくれた人をソファで寝させるわけにはいかないでしょ?」

 フィリアの母親は、疲労で玄関先で昏倒してしまったアレンをフィリアの部屋まで運んで一つのベッドに寝かせたのである。
確かにアレンとフィリアの家族は親同士も仲が良く、相互に家に出入りしてもいるが、年頃の二人を同じ寝床に寝させるとは随分思い切ったことをするもので
ある。
 アレンは胸を撫で下ろす。自分の記憶が全くないということは、何をしたか分からないと言うことに他ならない。

「まあ・・・、アレン君がフィリアにそれ相当の事をしたら、ちゃあんと責任は取ってもらうけどね。」
「え?!」
「アレン君なら、私もお父さんも反対はしないわよ。」

 フィリア同様、母親も何処まで冗談なのか分からないことを言う。親が親なら子も子か、とアレンは困った顔をする。

「でも、こんなことじゃあ、アレン君に愛想付かされてもしょうがないわね。フィリア、起きなさい!」

 フィリアの母親は、ぐっすり眠っているフィリアの頭を平手で叩く。フィリアがいかにも目覚めが悪そうな顔でゆっくりと目を覚ます。

「うーん。何よお。昨日疲れたんだから、もうちょっと寝させてくれてもいいじゃないのよお。」
「何言ってんの。自分で朝御飯一つ作らないくせに。アレン君はとっくに起きてるわよ。」
「え?アレン?」

 フィリアはアレンと言う言葉に敏感に反応して、それまでの緩慢な動作が嘘のようにがばっと体を起こす。

「あ。」
「お、おはよう。」
「もう、アレンったらぁ。女の子のベッドに忍び込むなんて。一声掛けてくれれば良いのにぃ。」

 ぎこちない挨拶をしたアレンに対し、フィリアは妙ににやけながら応える。
両方の頬に手を当てて首を細かく横に振る、その普段以上に可愛子ぶった行動に、アレンは声も出ない。

「何寝ぼけてるの。あんたがお酒飲んで寝ちゃったからわざわざ担いで来てくれたのよ。本当にあんたって娘は、アレン君に迷惑ばっかりかけて!」
「そうなの?なあんだ。あたし、てっきりアレンが夜這いに来たのかと。」
「それなら怒るはずないでしょ!」
「はい?!」

 親子共々何を考えているのか、やはりアレンには理解できない。

「そういえばお母さん。ドルフィンさんはどうしたの?」
「居間でお待ちよ。支度できたら一緒に朝御飯食べましょ。」

 フィリアの母親はそう言って先に部屋を出ていく。
アレンは先にベッドから出て、手で髪を整える。滑らかなアレンの髪を整えるのは、手櫛で十分なのだ。

「ドルフィンとは町長さんと会ってから別行動になっちゃったけど、どこ行ってたんだろ?」
「・・・どうしてさっさとベッドから出るのよ。」
「え?何で?」
「ベッドの中で二人っきりの甘い一時を味わおうって気はないの?」
「ないないない。」

 アレンは自分に念を押すように首を横に振りながら拒否する。

「んもう。ロマンがないんだからぁ。」

 フィリアは度重なるアプローチにも乗ってこないアレンの態度に、少しむくれて見せる。

「さ、早く行こうよ。ドルフィンや小父さん達が待ってるんだから。」

 アレンは、フィリアの矛先を躱すために話題を切り替える。
適当に身繕いをして、二人は居間に向かう。二人ともも服のまま寝ていたので服の皺が多少目立つが、見苦しいというほどではない。
広々とした居間の中央のテーブルには既に朝食が並べられ、ドルフィンとフィリアの両親が座って待っていた。

「おはようございます。」

「おおアレン君、おはよう。昨日は娘をわざわざ送ってくれてすまないね。」
「いえ・・・。」

 アレンが挨拶すると、フィリアの父親はにこやかに応える。

「家の修理は終わったそうだよ。まあ、それは気にしないでゆっくりしていきなさい。」
「どうも、お構いなく。」

 アレンはそう言って一礼する。

「君のようなしっかりした男じゃないと、ぐうたら娘の相手はしてられんだろうなぁ。」
「あー、お父さん。それが年頃の娘に言う言葉?」
「アレン君にちゃんと礼は言ったのか?」
「言ったわよお。本当はベッドの中でお返ししたかったんだけどね。」

 フィリアはアレンの心臓を握り潰すかのような強烈なことを平然と言ってのける。

「お返しした後はちゃんと報告するようにな。教会に式の予約をしなきゃならん。」

 フィリアの父親の言葉で、アレンは固まってしまう。まさにこの親にしてこの娘あり、とコーヒーを飲んでいたドルフィンは内心思う。

「さあさ、みんな揃ったことだし、朝御飯にしましょ。」

 フィリアの母親が言う。アレンとフィリアは並んでドルフィンの左側に座る。

「ドルフィン、昨日は何処行ってたの?」
「昨日か?その辺をうろついてた。此処には今朝方戻った。」
「じゃあ、ぜんぜん寝てないの?」
「俺は一日二日くらい寝なくても平気だ。」

 確かに、昨日あれだけ激しい戦闘を繰り広げたというのに、ドルフィンは疲れた様子すら見えない。
朝食は和やかな雰囲気で進んでいく。アレンには、こんな穏やかな朝食の光景は随分久しぶりのように感じる。
 暫くして、フィリアが切り出す。

「アレン。ナルビアへ行くんでしょ?あたしも連れてって。」

 ドルフィンを除いて、皆一様に驚いてフィリアの方を見る。

「な、何だって?!」
「人数は多い方がいいに決まってるでしょ?あたしだってそこそこの称号の魔術師なんだから、足手纏いにはならないはずよ。」
「そういう問題じゃないよ。そんな危険なことに連れて行けるはずないだろ。」

 アレンは冗談じゃないという表情で拒否する。
ナルビアへ向かうのは単なる観光旅行や修行ではない。夥しい数の兵士達をも相手にしなければならない、死と隣り合わせの危険な旅なのだ。

「それに・・・、これは俺自身の問題だ。フィリアがわざわざ関わり合いになることはないよ。」
「・・・そんな悲しいこと言わないでよ。」

 フィリアの口調がやけにしんみりしたものになる。

「あたし達、ずっと一緒だったじゃないの。アレンのことは、あたし自身のことって思ってるのよ。」
「その気持ちは嬉しいけど、今回は・・・。」
「分かってるつもりよ。単なる旅行じゃないってことくらい。」
「だったら・・・。」
「だからこそ、アレンと一緒に行きたいの。少しでもアレンに協力したいから。」

 フィリアはそう言って俯いてしまう。その悲しそうな表情を見ると、アレンは無下にフィリアの申し出を拒否することが出来ない。

「・・・お、小父さん、叔母さん。幾ら何でも駄目でしょ?」

 アレンは答えあぐんでフィリアの両親に援護を求める。フィリアの父親はしかし、別段深刻に考えるでもなく、平然とアレンの求めるものと違う援護を始める。

「私は構わんよ。フィリアもそれなりの魔術師になったことだし、少なくとも君の足を引っ張ることはないと思うが。」
「アレン君。無理を言うかもしれないけど、フィリアも行きたがっているようだし・・・。」

 フィリアの両親は、アレンの期待を見事に裏切ってフィリアの援護に回ってしまった。アレンは最後の手段として、ドルフィンに援護を求める。

「ド、ドルフィン。どう思う?」
 ドルフィンはカップを皿に置いて答える。

「俺はお前に協力する立場だ。お前が決断したことなら、余程無茶なことじゃない限り、俺はそれに何も言わん。」
「え・・・。で、でも・・・。」
「素人ならまだしも、彼女はPhantasmistだ。それなりの力はあるだろう。それに、お前の説得を振り切ってでも、一緒に行きたいって言ってるんだ。
断崖絶壁に追い詰められても泣き喚かない覚悟はできてるんだろうぜ。」

 最終決断は、アレンの手に委ねられることになった。
優柔不断なアレンとしては、このような状況がもっとも苦手だ。フィリアの協力の申し出を拒否したくはないが、危険な目に遭わせたくないというジレンマの
渦にアレンはもみくちゃにされる。一同は食事の手を休めて、アレンの答えをじっと待ち続ける。
 ゆっくりと重い時間が流れ、アレンは覚悟を決めたように言う。

「・・・一緒に・・・来ていいよ。」

 その言葉で、思い詰めたようなフィリアの表情が一気に明るくなる。

「本当?」
「うん・・・。どうせ、ここで断ってもこっそり後をつけてくるだろうし・・・。」
「アレン、ありがとう。」

 フィリアはがばっとアレンの首に抱き着く。突然の行動に、アレンは頬を赤らめ動転する。

「な、な、何するんだよ!」
「だって、嬉しいんだもん。」

 フィリアの両親は、フィリアを咎めるどころか、満足そうに見守っている。
そんな時、玄関の方からノックする音と共に声が聞こえて来た。

「おはようございます。ドルフィン殿はいらっしゃいますか?」

 フィリアの母親が席を立って、いそいそと玄関に向かう。少し何やらやり取りがあって、間もなく畏まった服装の一人の青年が入ってくる。

「ドルフィンさんにお伝えしたいことがあるそうですよ。」
「俺に?」
「はい。町長からの預かり物をお届けに参りました。」

 青年は懐から折り畳まれた書状を取り出す。

「昨日捕らえた国家特別警察の関係者を取り調べた結果です。少しでもこれからの役に立てばとのことです。」

 ドルフィンは青年から書状を受け取る。

「わざわざありがとう。町長殿によろしく伝えてくれ。」
「承知しました。あと、建物内を調べていた際に妙なものが発見されましたので、それもお渡しするようにと。」

 青年は小さな瓶を懐から取り出して、ドルフィンに手渡す。その中には、純白のきめの細かい粉が半分ほど入っている。

「これは?」
「兵士達を尋問したところ、中央から着任前に配布されたものと分かりました。建物内部に常勤する兵士に対して投与することで、人間の内なる力を引き出す
効果があると教えられたそうです。」
「兵士に投与しただと?!」

 ドルフィンは驚いたように聞き返す。

「は、はい。それが何か・・・?」

 突然のドルフィンの反応に青年は驚く。ドルフィンは瓶の中の粉を見詰めて、少しの間押し黙る。

「・・・分かった。これは確かに預かっておく。わざわざありがとう。」
「では、失礼します。」

 青年は一礼してその場から立ち去る。
ドルフィンは早速書状を広げて目を通す。その視線は既に戦闘に臨む冷静且つ鋭いものに変貌している。

「・・・俺が昨日聞いたことと重複してるな。まあ、下っ端が知ることなんざ、高が知れてるか。」

 ドルフィンは書状に一通り目を通すと、ようやくフィリアの抱き着きから解放されたアレンに手渡す。

「読んでみるといい。少しでも奴等のことを知っておいた方が良い。」

 アレンはフィリアと一緒にその書状を読む。その書状には、実に様々なことがかなり詳細に書かれてあった。

 国家特別警察は全国的に派遣され、各都市間の民間の交流はほぼ完全に遮断されているということ。
 エルスとバードの2つの町のみ、「赤い狼」と住民の激しい抵抗に遭って制圧できないでいること。
 ミルマ近郊のハーデード山脈の坑道閉鎖の直後、中央から派遣された大規模な調査隊が入っているということ。
 兵士のゾンビ化は、派遣前に中央から配布された薬品を投与した結果であること。
 そして、アレンの父ジルム連行は、ジルム所有の剣の場所を聞き出すためだったということ。

「その中で特に気になったのは、最後のアレンの父親連行の件だ。昨日、町長も言ってたがお前の父親と剣が、奴等には余程重要らしい。アレン、お前の
父親が持ってた剣ってのはあるか?」
「・・・まさかとは思うけど・・・。やっぱり、これのことかな?」

 アレンは席を立って居間の片隅に置かれていた荷物を探って、愛用の剣を持って来てドルフィンに差し出す。

「これは父さんから15歳の誕生日に貰ったんだ。それまでは父さんが持ってたものなんだ。」

 ドルフィンはアレンから剣を受け取って鞘から抜く。
暫く無言で観察していたドルフィンは呟くように鑑定結果を口にする。

「・・・ただの剣じゃねえな。少なくとも市販品じゃねえことは確かだ。」
「どうして分かるの?」
「全く刃こぼれがねえ。お前の父親が持ってたものならそれなりに年数も経つし、昨日お前も派手にやった。にもかかわらず、この剣には小さな刃こぼれの
一つもない。これは市販品じゃ考えられん強度だ。」

 ドルフィンの指摘は、以前アレンが疑問に思ったことと同じ事だった。

「それに、この剣には封印が施してある。それも相当強力なやつだ。見てみろ。柄の部分に細かい模様があるだろう。これは対象の本来の能力を
大幅に低減するものだ。」

 アレンが柄の部分をよく見てみると、確かに細く細かい蔓のような模様が走っているのが分かる。

「恐らく、この剣は本来の百分の一の力も発揮していないだろう。成る程、こんな剣なら奴等が欲しがるのも無理はねえ。価値が分かる店に
買い取って欲しいと持って行ったら、100万デルグでも良いから売ってくれって言うだろうな。」
「そんな凄い剣なの?!」
「今まで使ってて疑問に思わなかったか?」
「・・・ある。けど・・・今までは気にかけたことがなかったんだ。父さんが連行された日の朝、この剣だけは絶対手放すなって言ってたけど・・・。もしかして、
父さんはこの剣が狙われることを知ってたのかな・・・?」
「かも知れんな。第一、剣一本にあれほど執念を燃やすなんざ、単なる宝捜しにしちゃ度が過ぎる。あの外道がわざわざ首都まで連れて行くくらいだ。奴等に
とっちゃあ、喉から手が出るほど欲しいものだってことは確かだ。」

 ドルフィンはカップに半分ほど残っていたコーヒーを一気に飲み干す。

「でも、この剣が目的なら、これを父さんの代わりに・・・。」
「それは考えるな。」

 ドルフィンが語気を強くする。

「いいかアレン。剣と父親が交換できるなんて思うな。その剣はお前の父親が絶対手放すなと言った代物だ。それは父親自身だと思って絶対守り通すんだ。
何としてもだ。」
「う、うん。」

 ドルフィンの迫力に圧倒されたアレンは、思わず頷く。

「ドルフィンさん。私は魔術師として、兵士のゾンビ化が気になるんですが・・・。ゾンビを作るのに薬品を投与するなんて話は聞いたこともありません。
そんな事ができるんですか?」
「昨日、教会の大司教に聞いた話では、そういう薬がある可能性が無いとは言えんという話だ。」

 一同はドルフィンに注目する。

「もっとも俺とて専門家じゃないから断言は出来ん。この粉の成分を分析してもらう必要があるな。」
「仮にそれが本当にアンデッドを創り出す薬品だとしたら・・・国王は一体・・・?」
「事は随分大きそうだ。・・・もしかすると、騒動はこの国だけで終わらないかもしれん。」

 ドルフィンの言葉は、一同の肩に重く圧し掛かる。
国家特別警察が支配していたあの重苦しい空気を味わった後だけに、ドルフィンの言葉には冗談では済まないものがある。

「フィリア。この先、どんな危険が襲い掛かってくるか、俺も予想できん。それでも来るか?やめても罵ることはしないぞ。」
「行きます。一度言った以上、自分の言葉には責任を持ちます。」

 フィリアは毅然と言い切る。
プライドの高いフィリアには、前言撤回という腰の引けたようなことは屈辱に他ならない。それにアレンの力になりたいと自ら言い出したことなのだ。撤回できる
筈がない。ドルフィンは笑みを浮かべる。

「・・・良い心臓だ。これくらい強い心臓を持ってる方が、優柔不断なアレンの嫁さんには好都合だろう。」
「え?え?ええ?」

 アレンは、突然のドルフィンの突っ込みに当惑する。

「アレン。あたし達、ドルフィンさんにも公認されたわよ。あとはアレン次第よ。」
「な、何がだよ!」
「んもう。分かってるくせにぃ。」

 ドルフィンのいきなりの公認発言に有頂天になったフィリアは、当惑するアレンに堂々と迫る。それまで深刻な話題で沈んでいた朝食の食卓の雰囲気が、
一気に明るくなる。ドルフィンは朝食の残りを食べながら、アレンとフィリアのじゃれ合うようなやり取りを聞いていた…。
 町は昨日のお祭り騒ぎから一転して、金槌の音や人々の威勢の良い掛け声が飛び交う工事現場となっていた。外壁の補強や外堀の拡張など、どれも
予想される国家特別警察の来襲に備えてのものだ。石や煉瓦をいっぱいに積んだ台車が何度も通りを行き交い、人々が汗を拭いながら自分の作業に
打ち込んでいる。
あんな辛い思いはもう御免だ。その人々共通の思いが、町全体の大改修に結びついている。
 アレンは工事の邪魔にならないように、町の東にある人気のない広場でドルフィンからドルゴの乗り方を教えて貰っていた。
アレンは緊張した面持ちで、空中で静止しているドルゴに跨っている。

「両足でしっかりドルゴを抱え込むんだ。振り落とされるぞ。」
「・・・こ、こうかな・・・?」
「方向転換をする時は、体の重心を曲がりたい方向に傾けるんだ。壁によりかかる感じでな。」

 ドルフィンの指導通り、アレンは左右に体を傾ける。それに応じてドルゴの体も左右に傾く。
ドルゴは実際に走行させると相当のスピードが出るので、静止した状態で十分練習を積んでからでないと、重大な事故に繋がる恐れがある。

「足を軸にして体を傾ければ、その場で急激に向きを変えられる。ちょっと難しいから慣れんうちはしないことだ。」
「簡単なようで、結構難しいんだね。」
「一度覚えれば、風が気持ち良く感じるようになるぞ。一回、走らせてみるか。」

 アレンは、ドルフィンの言葉で背筋を伸ばして手綱を握り締める。

「そんなに緊張するな。暴れたりしねえから安心しろ。」
「わ、分かってるけど・・・。」
「最初は手綱を軽く叩くだけでいい。それで方向転換なんかを体で覚える。駄目だと思ったらすぐに手綱を引っ張るんだぞ。」

 アレンは頷くのがやっとだ。生まれて初めて自分の足以外で移動するのだから、緊張するのも無理はない。

「・・・わっ!!」

 何を思ったか、突然ドルフィンが大声を出す。アレンは心臓が口から飛び出すほど驚く。

「な、何だよ!突然大声出して!」

 アレンは肩で息をしながらドルフィンに抗議する。

「そんなに力が入ってると、余計に怪我しやすくなるぞ。」
「う、うん・・・。」

 アレンは、気のせいか先程までよりは少し余分な力が抜けたように感じる。ドルフィンの大声は、意外と効果があったようだ。

「じゃあ、手綱を叩いてみろ。」

 アレンは頷いて、手綱を軽く一回叩く。パシンという乾いた音がして、アレンの目の前の光景がゆっくりと移動し始める。

「う、動いた、動いた!」

 アレンは歓声とも悲鳴ともつかない声を上げる。

「適当に方向転換してみろ。」

 ドルフィンに言われて、アレンは前もって練習したように、体を左に傾けてみる。アレンの重心の移動に呼応して、ドルゴの体も傾き、滑らかに左へ向きを
変える。次に右に体を傾けても、やはりドルゴは右へ滑らかに向きを変える。自分の意のままに周囲の景色が移り変わっていく様子が、アレンには何とも
いえない気持ち良さだ。

「もう少しスピードを上げてみろ。」

 アレンは手綱を軽く一度叩く。景色の移動が少し早くなる。同じように重心を左右に移動してみると、面白いようにドルゴは向きを変える。
アレンは調子に乗って、さらにドルゴのスピードを上げる。何度か方向転換の感覚を確かめて、アレンは左足を地面につけて勢い良く重心を左に傾ける。
ドルゴは体をほぼ水平にしながら、急速に180度方向を変える。
ドルフィンは目を見張る。いきなり全速力に近いスピードを出しながら、比較的難しいスピンターンをあっさりやってのけたのだ。

「なかなか・・・良い運動神経だな。」

 ドルフィンは自在にドルゴを乗り回すアレンを感心したように観察する。
暫く広場全体を思うが侭に疾走した後、アレンはドルフィンの前までやってきて、手綱をぐいと引っ張ってドルゴを止める。

「面白いね、これ。」
「いきなりスピンターンをするとはな。大した運動神経だ。」
「やってみると意外と簡単だったよ。でも。あまり乗り慣れると、歩くのが面倒になりそう。」

 アレンはドルゴから降りる。

「もう出発できるよね?」
「ま、早いに越したことはないが・・・随分やる気じゃねえか。」
「当然だよ。自分のことだからね。フィリアの家に戻ろうよ。荷物取りに行かなきゃ。」

 アレンが弾んだ調子で言うと、不意にドルフィンが東の林の方を向く。その表情は間近に宿敵を見据えているかのように厳しい。

「・・・ドルフィン。どうしたの?」
「・・・先に行っててくれ。」

 ドルフィンはそれだけ言って林を睨み続ける。アレンは怪訝に思いながらも、ドルゴに再びまたがってフィリアの家に向かって走らせる。
アレンの姿が見えなくなった広場には、ドルフィンがたった一人で佇んでいる。賑やかな人々の声が遠く聞こえ、広場は寂寥感と緊張感が複雑に混在
している。ドルフィンは微動だにせず、林の一点を睨み続けている。
 広場を一陣のそよ風が吹き抜けた。
ドルフィンの左手が額の前に瞬間的に移動する。その人差し指と中指の間に、鋭利な針のような物体が挟まっていた。

「・・・出てこい。」

 ドルフィンが金属の針を投げ捨てて言うと、林の空間の一部が歪み、しゃがんだ格好で醜悪な形相の悪魔が現れた。

「ケケケケケ。我が主からの伝言だ。小僧が持っている剣をよこせば、父親は解放してやるとのことだ。」
「悪魔風情が・・・。主ってのは国王のことか?悪魔召喚に手を出すたぁ、行くところまで行ったな。」
「ウケケケケ。貴様にいう必要はない。我が主の用件を伝えるよう命令されただけのこと。」
「見え透いた嘘だな。一昨日来やがれ。」
「あの剣は我が主が持つべきもの。あの親子が持つに値せん。」

 ドルフィンと悪魔との間は20メールは優にあったが、目前にいるかのように言葉を発し合う。

「選択は2つに1つ。剣をよこすか、死ぬかだ。ヒヒヒヒヒ。」
「知ったことか。この俺がいる以上、貴様らの思うようにはさせん。」
「思い上がるなよ、ドルフィン。帝都では面白い余興が待っているぞ。もっとも、そこまでこれればの話だがな。」
「目障りだ。消えろ。」

 ドルフィンの右手と剣が一瞬消えたかと思うと、次の瞬間、斬られてもいないのに悪魔の首が宙に舞う。首を失った胴体はどす黒い血を噴水のように
吹き出す。
首は地面に転がり落ちるかと思いきや、物凄いスピードでドルフィン目掛けて突っ込んできた。そしてドルフィンの間近でけたたましく笑いながら叫ぶ。

「あの親子に関わった以上、貴様も只では済まんぞ!よーく覚えとくんだな!ヒヒヒヒャハハハハハハハ!」
「喧しい。」

 ドルフィンは左の裏拳で血が滴り落ちる悪魔の首を叩き落とす。首は地面に叩き付けられ、ブクブクと泡立ちながら凄まじい悪臭を立てて腐り落ちていく。
首を失った胴体も同じように、全身を泡立たせて強烈な悪臭を放ちながら崩れていく。

「・・・その余興とやら、楽しみにしてるぜ。」

 ドルフィンは、蒸発して消えようとしている悪魔の首が腐ってできた肉汁の海を見て呟く。
肉汁が跡形もなくなった後、ドルフィンの心にはある疑問が沸き上がる。
 悪魔の「主」とアレンの持つ剣とは、どのような関わりがあるのか。
 何故そこまでアレンの剣を執拗に求めるのか。
ドルフィンは昨晩、酒場のマスターから聞いた、国王の乱心の前に御意見番として現れた人物の情報を思い出した。
「主」とはその人物のことではないか。
幾ら乱心したとは言え、権力の保持やその絶対化を求めることはあっても、たかが一本の剣を求めるようなことはしないはずだ。
 ドルフィンは次々と沸き上がってくる疑問を、一旦心に押し込む。
自分はアレンの父親救出に協力するだけだ、それ以外のことは考えないでおこう。
ドルフィンは自分に言い聞かせる…。
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