慈善「死」医療

written by Moonstone

〜この作品はフィクションです〜
〜登場人物、団体などは実在のものとは無関係です〜

第2章

 小山内は来たるべき「要求」に備えて、これまでに手がけた移植手術や担当の移植待ち患者、そして臓器摘出に関するリストを戸棚から取り出す。
これらは全て多忙な合間を縫って小山内自らが纏めたものである。
来るべき「要求」には、これらの情報提示は欠かせない。
小山内はそのことを、同僚の医師や「要求」を受けた学会関係者からの情報で知っている。
 ファイルをデスクに置いて小さく溜め息を吐いた時、ドアがノックされた。軽く、しかし断続的なノックだ。
所在を確認するというより、訪問しに来たのだから出ろと言いたげな、何となく不快なノックだ。
小山内は「どうぞ」とだけ返事する。
徹夜に近い手術明けに、不意の来客を−それもあまり望んでいない−受けるのだ。
例え押し込もうとしても、不満は少なからず声色に乗ってしまう。
 ドアが開き、スーツ姿に大きなアタッシュケースを持った一団が室内に入って来る。挨拶も無しに。
一団は3名。全員が小山内も既知の、ハートマークに尾が星型の矢が刺さっているようなバッジを左胸につけている。
彼らこそ臓器移植推進機構の「交渉員」である。
本来なら「職員」とするところだが、彼らのすることを考えれば「交渉員」という呼称は聊(いささ)か丁寧すぎるかもしれない。
不意の訪問にもかかわらず、謝罪も挨拶も無しに入室してきたところからも、その一端が伺えるというものだ。

「・・・おはようございます。」
「早速ですが、こちらの書面をご覧ください。」

 不快感を押さえて一応の挨拶を口にする小山内を無視するかのように、彼らの一人がアタッシュケースから左上をホッチキスで止めた数枚の書類を
小山内の前に置く。小山内はますます増幅される不満をひとまず押し込め、無言でその書類を手に取って見る。
「移植医療は何故進まないか」というタイトルがあるだけの殺風景な表紙を捲ると、いきなり論文顔負けの文章が小山内の目に飛び込んで来る。
 読み進めていくうちに小山内は内心「やはりな」と思う。
書面では、「移植医療が進まないのは臓器の不足にある」理由として

  1. 臓器提供者の不足
  2. 厳格すぎる脳死判定基準
  3. 医療現場における救急医療偏重

これら3点を上げ、その現状を「打開」すべきであると提唱している。
最近台頭しつつある脳死判定、移植医療優先論そのままである。
予想していたこととは言え、医療に優先順位を付けようと公言してきたことに、小山内は危機感を通り越して虚無間すら感じる。
小山内の心情を察することなく、彼らは小山内が書面を一通り選んだのを見計らって畳み掛ける。

「小山内先生。その書面にもあるとおり、臓器移植が広く行われるようになってからというもの、慢性的な臓器不足が社会問題になっています。
その原因は何かと我々は、患者団体や移植に携わる医師や病院の話を聞く中で、臓器不足は人為的なものであるという結論を導きました。」
「まずは臓器提供者の絶対数が少ないということです。我が機構や関係者の尽力で運転免許証や保険証に臓器移植の意思表示の欄が設けられましたが、
それが必ずしも臓器提供とはなっていません。死んでも臓器は自分のものだ、という意識が依然根強いことの証明です。」
「また、脳死判定基準があまりにも厳格すぎて、迅速な臓器提供が出来ないことも問題です。複数の医師による判定など、効率化が叫ばれる現代において
あまりにも時代遅れ。医師の専門性を尊重して速やかに判定を下し、臓器摘出が出来るようにするべきです。」
「一番の問題は、医療現場が救急医療先に有りきで、脳死判定に基づく臓器摘出の大きな障害になっているということです。臓器が慢性的に不足している
現状で、助かるかどうかも分からない救急医療に重点をおくことは、人の生命を救うという医療の在り方にも係わる重大な問題であり、早急に改善する
ことが必要です。」

 小山内はもはや呆れてものも言えない。
臓器移植が広く行われるようになれば慢性的な臓器不足に陥ることは、臓器移植「先進国」の現状を見れば容易に予測できた筈である。
それよりも先に、まかりなりにも医療に関係するのであれば、臓器がネジを入れ替えるような感覚で取り替えることなどできる筈がないことくらい
分かっていて然るべきではないか?
 例え意思表示を出来るようにしても、臓器提供の意志は本人に委ねられるのが原則だ。
それは臓器移植法案が成立した時点から、意思表示が本人のみと改定されて現在にいたるまで貫徹されてきたことだ。
長年日本で培われてきた「人の死=心臓死」の公式が、法律で一気に方向転換する筈が無い。
何故なら、「婚姻は両性の合意によってのみ成立する」と民法が改正されてから半世紀以上経過したにもかかわらず、結婚式場などでは未だに「○○家」
「××家」の挙式と何の疑いもなく掲げられているのだ。

 脳死判定が厳しすぎるということはない。
高度な専門性を有する分野や業界というものは、何かにつけて密室化しやすい。
しかし、医療は生命の命運を預かるものだ。脳死判定は文字通り生死の分岐点となる。
そこで何がどのように行われたかを透明にすることと、提供者や患者のプライバシーとは別個の問題だ。
 「専門的」だから、というのは免罪符ではない。
「専門的」であるからこそ、説明を求められれば可能な限り答え、情報を開示しなければ、「専門的」を盾にした事実隠蔽を可能にしてしまう。

 救急医療より脳死判定を優先しろ、というのか?
不慮の傷病で生死の境をさ迷う患者を救う救急医療は、生死を目の当りにする現場といえる。
そこで最善を尽くすのが大原則であり、その結果が残念なものになっても、それはやむを得ないだろう。
それを差し置いて、臓器摘出が可能かどうかの脳死判定をしろというのか?
人の生命を救うのが医療の在り方というのなら、まず救急医療を最大限施すのが筋ではないか?
 助かるかどうかは分からないのは、極論すれば、医療の殆どに当てはまることだ。
如何に医療技術と成功率が高まっても、必ずしも寿命の全うが保障されるわけではない。
それは臓器移植にとっても例外ではない。

それとも何か?
彼らは患者に優先順位をつけて然るべきだとでも言うのか?

 小山内はさすがに我慢の限界に達しつつあった。
しかし、「患者の代表」と称して憚らない彼らは、さらに続ける。

「これをご覧ください。厚生省を通じて入手した、全国の医療機関における臓器移植実施状況です。」

 一人が新たにアタッシュケースから出した資料には、「過去5年間における臓器移植実施順位」として、全国の大学病院や医療機関で実施された
臓器移植手術の総数が順位と共に掲載されている。
第1位は日本における臓器移植の代表格と称される新河内大学病院、僅差で陸奥大学病院と続き、小山内が居る国立総合医療センターは5位だ。

「この票で明らかなように、厚生省管轄の医療機関ではここ国立総合医療センターの5位が最高です。ベスト10だけを見ても、厚生省管轄の医療機関は
ここを含めて全部でたった2つと立ち後れが目立ちます。」
「厚生省としても文部省関係の機関に大きく水を開けられている現状を快く思っていません。このままでは日本の医療行政を総括する厚生省の名折れだと、
上層部でも危機感を強めています。」

 彼らは主張に熱が入ったことで、もう一つの本音が出てきたようだ。
彼ら臓器移植推進機構はNGOの一つだが、常任役員の半数が厚生省からの天下りであることからしても、厚生省との係わりが深い。
その厚生省は、ここ国立総合医療センターをはじめとする管轄の医療機関全てを臓器移植指定機関としている。
臓器移植の円滑な推進のためというのが理由だが、それは表向きの話。
本音は彼ら自身の口から飛び出したように、管轄外の機関−別の役所の管轄だ−が厚生省より優位な立場にあることが承服できないだけだ。
文部省が「先端医療の学術的立場からの追求」を掲げて、臓器移植に関する機関に多額の予算を配分していることも、別の役所である厚生省への
対抗意識から来ていると考えても差し障りはないだろう。
端的に言えば、彼らは「親玉」の厚生省の意向を伝えに来たということであり、役所間の代理戦争をしろと言いたいらしい。
 彼ら臓器移植推進機構は勿論、「親玉」の役所にとって、医療の根本原理、すなわち人の生命を救うことは移植待ちの患者にのみ適用されることであり、
それはすなわち「親玉」のメンツに係わる問題だという認識しかないらしい。
小山内は自分の意識と「親玉」の意識との、あまりにも大きなギャップに脱力感すら感じる。

「先生にはこのような現状を踏まえていただき、臓器移植推進へのご協力を賜りたいのです。」
「移植待ちの患者が適合する臓器を待ち侘びながら死んでいく現実は、先生なら十分御承知の筈。」
「医療の効率化や医療コスト削減のためにも、救急医療偏重を是正し、臓器移植にご協力頂きたいのです。」

 ようやく結論に達したのを確認して、小山内は小さく溜め息を吐く。
期待する答えが発せられるのを待つ彼らに、背凭れに寄りかかりながら小山内は告げる。

「それなら、まず貴方達の臓器を提供して下さい。」

 予想もしない小山内の返答に、彼らは唖然とする。

「移植待ちの患者を助けたい。そのための臓器が不足している。そんなことは百も承知ですし、移植医療を問う段階で十分予想は出来た筈。
そんなに患者を救いたいとお思いなら、貴方達がまずその身を捧げたらどうですか?適合する臓器があるかもしれませんからね。」

 臓器移植推進機構の面々は、徐々に表情を険しくしながら小山内を睨む。
微かに震える唇や無意識に力が篭る手が、自分達の意に添わない返答への怒りを物語っている。
だが、小山内は怯まずに頭をやや後ろに反らし、彼らを見下ろすように睨み返す。
 暫く緊迫した睨み合いが続いた後、彼らが一斉に席を立つ。
やや足早にドアへ向い、一人がドアを開けた時に小山内の方を向く。

「貴方には失望しました。移植医療に積極的に賛同されると期待していたのですがね。」
「移植手術は医療の一つ。貴方達のように患者に優先順位をつけるわけにはいかないんですよ。」
「・・・我々は患者のために、もっと積極的な行動に出るつもりです。」

 彼らは入ってきた時と同様、一言の挨拶も無しに出て行き、荒っぽくドアを閉める。
大きめの音が響いた室内に、ようやく平穏な朝が戻る。
小山内は机の上に置いた鞄を再び持って、ゆっくりと立ち上がる。
部屋の鍵をポケットから取りだし、部屋を出ようとノブに手をかけた時、彼らの去り際の一言が蘇って来る。

患者のために、もっと積極的な行動に出る

 小山内が知る彼らの行動は、臓器移植の推進のために講演会を開いたり、法的整備を推進−義務化ともいえる−してきたこと。
それ以上に積極的な行動とは、一体何を意味するのか?
 小山内の心中に、一点の黒い靄が生まれる。
それは急速に心全体に広がり、その中で鋭く怪しい光が輝く。

「・・・まさか・・・な。」

 その呟きを残して、小山内は朝日が溶け込む部屋を出ていった。
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