謎町紀行 第113章

垣間見せる天鵬の軌跡、2人の住まいに集結する蟲毒

written by Moonstone

 そもそも日本史の前半、縄文~奈良時代くらいまでは謎が多い。日本側の歴史書とされる古事記や日本書紀が成立した奈良時代まで、日本の状況を知ることが出来るのは海を隔てた中国の歴史書のみ。日本に文字がなくて記録する術が存在しなかったことが最大の要因とされるけど、古事記や日本書紀の編纂を命じたとされる天武天皇の兄、天智天皇が起こした乙巳(いっし)の変(註:一般に「大化の改新」と呼ばれる蘇我入鹿暗殺事件)が大きく影響している。
 乙巳の変で当時権勢を振るった蘇我氏の中心人物、蘇我入鹿が乙巳の変で天智天皇(当時は中大兄皇子)と中臣鎌足(後の藤原氏の始祖、藤原鎌足)に暗殺されたけど、その知らせを聞いた入鹿の父、蘇我蝦夷は館に火を放って自殺した。その際に古事記と日本書紀の前に存在したとされる歴史書、天皇記と国記が巻き添えにされて焼失してしまった。古事記と日本書紀は、国家認定の歴史書を蘇我氏の影響から排除した形で-天皇記と国記は蘇我馬子と聖徳太子が編纂したとされる-再編纂されたものだ。
 蘇我氏は現在の天皇家を正統なものとする歴史観によって、天皇家に背いて独断専行の権力を振るった存在と見なされているけど、実際のところ、蘇我入鹿は若くして秀才と称され、最新の統治技術や国際情勢を知る開明的な人物だったと推測されている。
 たとえば独断専行の証とされる、邸宅があったとされる甘樫丘(あまかしのおか:現在の奈良県明日香村豊岡)や、畝傍山(うねびやま:現在の奈良県にある大和三山の1つ)の東にあったとされる蝦夷の家を武装化したのは、当時の都があった飛鳥地方の西方の防衛線(甘樫丘)と、飛鳥への入り口である畝傍山の防衛のためであり、巨大帝国である唐の侵略に備えた防衛強化だと考えられている。
 当時の国際情勢を見ると、隋に代わった唐が隆盛し、百済が新羅侵攻を繰り返す一方で、旱魃への無策などで国力が低下していた。一方で唐が高句麗制圧のために海側の百済侵攻を計画していて、侵攻計画が漏れないように遣唐使が首都長安ではなく洛陽に留められるようになった。巨大帝国唐の百済侵攻の動きは、当時の日本を震撼させる重大事項だった。百済は日本に仏教をはじめ、数々の大陸の先進文化を齎した友好国であり、朝鮮半島への足掛かりでもあったからだ。
 この唐の動きを受けて、時の朝廷内部は唐につくか百済につくかで激しく対立した。その結果が、蘇我入鹿が聖徳太子の実子山背大兄王ら一族を攻めて滅亡に追い込んだこと、そして乙巳の変という政変だ。蘇我入鹿らが飛鳥の要所の防衛を固めるなど唐の侵攻を警戒していた、言い換えれば対唐対峙派だったのに対し、山背大兄王らは父聖徳太子の時代から伝統的に続く中国王朝友好派だった。そこに天皇後継を巡る思惑が重なったことで、まずは山背大兄王の一族、次いで山背大兄王一族を始末して優位に立った筈の蘇我氏が滅ぼされ、中大兄皇子と中臣鎌足を筆頭とする対唐対峙派が実権を握ったのは、歴史の皮肉と言うべきか。
 結局、唐は高句麗制圧のために海側の百済を攻めて滅亡させた(660年)。その百済が滅ぼされたことで、亡命してきた百済の王侯貴族を天智天皇らが支援して、百済再興を目指して唐・新羅連合軍と戦い、大敗した。これが日本最初の公的な最初の対外戦争である白村江の戦いだ(663年)。以降、天皇の座は天智天皇の弟、天武天皇の系譜となり、称徳天皇の代まで続き、唐とは疎遠な関係性が続いた。そして天武天皇の系譜が称徳天皇の度重なる粛清によって男子が絶えるという自業自得ともいえる結末で天智天皇の系譜に戻り、光仁天皇を経て桓武天皇が即位し、唐との関係が一気に親密になる。ここで浮上するのが天鵬上人こと手配犯の1人だ。
 天鵬上人が桓武天皇の密命を受けて、唐から最新の仏教と共に様々な宝物を得て、予定より遥かに早く帰国した。そのルートが歴史で考えられている海路中心のイツシマ列島→オオフクヤマ港→現在のシンザイ市のルートじゃなくて、陸路中心の新羅→アイジマ列島→ヒラマサ島→オオフクヤマ港だった疑いが濃い。早々に帰国の途に就き、更により確実なルートで早期に帰国した天鵬上人は、史実と大きく異なる時間の隙間を利用して、日本各地にヒヒイロカネやその手掛かりを隠したと考えられる。

後の世に同胞が暗号を読み解き、ヒヒイロカネを発見できるように。

 もし七輪神社のご神体が天鵬上人の手によるものだとしたら、天鵬上人は物凄い広範囲を移動してヒヒイロカネに纏わる「何か」を残したことを証明できる。それは謎に包まれた古代~飛鳥・奈良時代あたりの日本史の常識を覆すことにもなる確率すらある。それはさておいても、僕とシャルの旅の目的であるヒヒイロカネの捜索や回収に大きな影響を及ぼす可能性が十分ある。
 このオオクス地方まで天鵬上人の軌跡が及んでいたとなると、オオクス地方に存在する不可解な遺跡や文化遺産に、天鵬上人が関与した疑いが生じる。そうなると、日本史の様々な出来事が、実は天鵬上人が間接的に絡んでいる、つまり歴史に高名な僧として名を残しているどころじゃないとなるかもしれない。そして、その確率は決して低くない。
 桓武天皇の密使として活動した天鵬上人の足跡がオオクス地方まで及んでいるとなると、日本史の流れが大きく変わりうる。天鵬上人の渡航前に存在する「空白の7年間」は、全く記録が存在しない。桓武天皇の密命を受けて全国を渡り歩き、当時の各地の情勢を見聞きして朝廷に報告したと僕とシャルは考えているけど、それがこのオオクス地方まで及んでいたとなれば、重大な疑惑が浮上する。
 桓武天皇が長岡京→平安京と2度の遷都を遂行したことで、朝廷の財政は相当圧迫されたのは想像に難くない。一方、桓武天皇は4回にわたる蝦夷討伐を行い、東北地方の金鉱脈を収奪して朝廷の財政を潤沢にした。蝦夷討伐が完了したのは803年。そして天鵬上人が遣唐使の一員として唐へ渡ったのは翌804年。そして、天鵬上人が「空白の7年間」に入ったのが797年頃。この奇妙な符合は何かを感じさせる。
 天鵬上人が桓武天皇の密命を受けて全国を行脚し、各地の情報収集をして桓武天皇に報告する、つまり朝廷の諜報員であったとするなら、これらの奇妙な事実は、オオクス地方の金鉱脈と蝦夷の状況調査にあったという推論へとつながる。そして同時に、天鵬上人はまだ朝廷の影響力が十分及んでいないこのオオクス地方を、ヒヒイロカネやその重要な情報を隠す場所に選んだとも考えられる。
 僧侶であれば、行脚中に賊に狙われるリスクを減らせる。しかも信仰を装って地元に入り込みやすいし、地元民の保護や衣食住の世話も期待できる。そうしてオオクス地方を秘密裏に渡り歩き、豊富な金鉱脈を有するという情報と共に、ヒヒイロカネや情報の隠し場所の目星をつけた。そして天鵬上人からの情報を受けた桓武天皇の蝦夷討伐で得られた潤沢な財政支援を受けて、唐に渡って最先端の仏教や宝物、そしてヒヒイロカネを手に入れた。-こういう筋書きが成り立つ。
 徒歩しかない時代に7年でそんなに移動できるのか、という見方も出来るだろう。だが、天鵬上人から約1000年後、同じく徒歩で日本全国を測量して非常に正確な日本地図を作り上げた人物-伊能忠敬が、全国を巡るのに要した時間は17年。伊能忠敬は測量や天体観測を続けながらの移動だったから、目的が決まっていて移動先を絞り込んでいた天鵬上人なら、7年でオオクス地方やヨクニ地方を巡ることは不可能じゃない。しかも当時20代の天鵬上人に対して、伊能忠敬は当時の平均寿命を超える50代~70代だった。個人差は勿論あるとはいえ、全国行脚とピンポイントの調査諜報では要する時間や移動に要する時間は大きく違ってくる。

『ご神体の材質の解析を進めていますが、三付貴神社や銀狼神社のご神体と同一の素材である可能性が高いです。』
『ということは、同一人物が安置したか、ある人物の意図を受けて安置された。その人物は天鵬上人こと手配犯。』
『その見方で良いと思います。』

 ご神体は神社にとって心臓部と言える重要な宝物。それゆえに人目に触れることは極めて少なく、学術調査の対象になることはほぼない。それが古代日本の成り立ちや展開、その背景にあった豪族や天皇家の興亡の科学的検証を遠ざけている。無宗教を標榜しつつ、神道という宗教とそれを根拠とする天皇神聖視に骨の髄まで浸かっているのに気づかない。学術分野までこの有様だから、権威と捏造が跋扈して腐敗・堕落する。旧石器時代のみならず、教育全体にまで重大な悪影響を及ぼした藤村新一氏の捏造を後押ししたのは、権威に溺れて検証を放棄したばかりか、異論を唱えた会員を排除までした学会と幹部の責任でもあるけど、学会は未だに総括も反省も、幹部や関係者の処分もしていない。
 天鵬上人の軌跡がここオオクス地方にまで及んでいたとなると、ヒヒイロカネの捜索にもかなり影響が出てきそうだ。ヒヒイロカネ捜索候補地は、僕とシャルが旅に出る際にシャルに登録されたデータベースの情報と、これまでの結果や入手した情報を分析することで決定されている。現在までも、当初の分析結果から大きく変わっていても不思議じゃない。その証拠に、最初は東方向に移動していたのが、一気に西に転じて、更には大きく北に転じている。
 七輪神社のご神体が天鵬上人の手によるものだとしたら、この近辺の神社を調べることで天鵬上人の軌跡が浮上する可能性もある。地図アプリなんてない時代、寺社仏閣は地域の拠点であり、ランドマークの役割を担っていた。それが如実に出ているのがO県にある新道宗の33ヵ所巡礼の札所や、ヨクニ地方の88ヵ所巡礼の札所だ。前者は新道宗の開祖桜蘭上人の生まれ月の星座である蠍座を象り、後者はヒヒイロカネが隠されている逆鉾山を仰ぎ見ると同時に遠ざけるように配置されている。
 オオクス地方の天鵬上人ゆかりの、あるいは秘かに軌跡を残した寺社仏閣の配置状況を検討することで、新たな情報が浮かび上がる可能性は十分ある。高度な建築・測量技術と天文知識、そして後の世にヒヒイロカネとその情報を確実に伝えることを目的に、寺社仏閣に、そしてご神体に何らかの意味を込めただろう。88ヵ所巡礼の札所や、銀狼神社のご神体がそうであるように。

『村役場の動きはどう?』
『傀儡を地下牢に収容して、ひと仕事したと満足したようです。』

 捕縛した女性を地下牢に収容するのは、やはり村役場職員。Web管理者の象限と今回の経緯から、青年団が実働部隊として罠にはまった女性に何らかの因縁をつけて捕縛して、村役場に連行する。村役場職員のある役職の人間が女性を七輪神社の奥に隠された地下牢に収容する-こんな役割分担が出来ていることが分かった。
 村役場がれっきとした犯罪行為に加担どころか一翼を担っていることが確定した。誰も反対しなかったのか疑問だけど、悪い意味での田舎を凝縮したようなこの村、反対しようものなら村八分確実だ。場合によっては抹殺されてもおかしくない。犯罪行為を村ぐるみで実施しているんだ。村の悪事や秘密を漏らす輩を抹殺しようと思っても不思議はない。
 僕とシャルの本来の目的からすれば、七輪神社のご神体の調査だけすれば良い。Web管理者を救出する必要はないし、村ぐるみの犯罪を放置する選択肢が取れる。だけど、今回はどうも放置や無視という選択肢が浮上しない。何だろう…。これは他人事じゃない感じがするというか、放置すると大変なことになる気がするというか。

『私も同じ感覚を覚えています。この感覚自体は何とも表現しがたいですが、村ぐるみの犯罪以上に腐敗した何かの存在を感じます。』
『違和感と言うか引っかかりと言うか、そういうのを感じるのは、村の規模の割にやけに組織的なところかな。』

 そう、やたらと組織的なことが引っかかっている。今も隣の部屋で盗聴を続けている人物といい、七輪神社で因縁をつけてきた青年団の男2人組といい、村の規模としては異様なほど組織だった行動が取られている。この施設にターゲットに出来そうな余所者が入ったという情報が入るや否や、村全体で捕縛するよう指示が伝達されているようにも思える。
 村の人口は約2000人。しかも高齢化率は50%を超える。つまり約1000人は老人。「獲物」捕縛の先兵である青年団は恐らく200人いるかどうか。村役場の職員が兼ねているとしても、流石に一定の年齢制限はあるだろうから、極端に増えることはないだろう。
 一方、村の面積はかなり広い。しかも国道238号線を除けば、集落を移動するための道があるだけで、山と今は雪に阻まれる。通信網があるとはいえ、集落間の移動が必要だし、雪国の生活に順応できていても物理法則には逆らえないから、移動にはどうしても時間がかかる。その割に組織だった行動がなされている。
 村ぐるみで拉致監禁と集団強姦に手を染めているのは間違いない。だけど、それに留まらない違和感と言うかきな臭さと言うか、そんなものを感じる。シャルもそういう漠然とした違和感を覚えているから、七輪神社のご神体の調査を終えたら村を放置とはしないでいる。村や集落ぐるみで犯罪に手を染めていて、そこにヒヒイロカネが関係していた事例は、最初に訪れたオクラシブ町の集落など多数ある。ホーデン絡みのA県やトヨトミ市なんて、世界的大企業や市役所、更には公安警察まで絡んでいた。今回は規模だけで言えばむしろ小規模と言える。善悪は別として。

『飽きずに盗聴を続けている輩も、村役場の職員だと判明しました。』
『盗聴まで…。』
『この盗聴趣味の輩にも、傀儡を捕縛して収容したという連絡が村役場から入っています。村役場からは、引き続き私とヒロキさんの部屋を盗聴し、不審な動きがあれば直ちに報告するよう指示が出ています。』
『その指示をしているのは、村長?』
『指示そのものは総務部長ですが、決裁は村長です。村長をトップとして村役場全体で言わば「女狩り」をする体制ですね。その指示命令系統の内部文書をサーバーから抽出しました。』

 盗聴の方は、シャルが理解不能な音声を流しているそうだから放置で良い。焦点は村役場全体、あるいは村全体で「女狩り」をする体制にあること。そして…

この体制を考案したのは村長なのか、この体制は村独自のものなのか、ということ。

 ヒヒイロカネに関係ないから放置、と出来ないのは、この村ぐるみの犯罪遂行体制にヒヒイロカネに纏わる黒い影を感じるからだ。この世界のヒヒイロカネは、欲望を全身から溢れ出させる輩を引き寄せる。欲望を満たし、更に肥大した欲望を満たそうとするから際限がないし、そのためなら非合法行為も厭わないことが、嫌らしいほど共通している。
 東京から遠く離れた雪国、しかも唯一の国道以外は他との行き来が出来ない地理的条件。全国一の高齢化率をはじめとする過疎ぶりは、過疎を通り越して限界集落に近づいていると言える歪な人口構成。悪い意味での田舎を凝縮したようなプライバシー意識と人権意識の欠如。これらとヒヒイロカネが関係するとは考えづらいけど、断定できない「何か」を感じる。
 他の事例と共通するのは、私利私欲を満たそうとしていること。そして、そのためなら他人を蹂躙しても構わないという傲慢さ。そこにヒヒイロカネの痕跡らしきもの-七輪神社のご神体があることで、他の事例で見られたヒヒイロカネに纏わる黒い影を感じるんだろう。そしてその予感めいたものは、憶測では片づけられないような気がしてならない。

『村の人間が一斉に移動を開始しました。』
『この夜に?もう寝ても良い時間なのに。』
『全ての集落で人が移動しています。雪中行軍ですね。』

 夕食-今日はジビエシチューがメイン-と入浴を済ませてそろそろ就寝と思ったところで、シャルから予想外の報告が入る。時刻は11時過ぎ。しかも今も雪が降り続けている。こんな悪条件でわざわざ外出、しかも村の人間が大挙して移動する理由が分からない。一体何なんだ?この村は。

『今回の雪中行軍は、村役場からの要請という名の命令が出ていることが背景にあります。集合場所はは各集落の公民館や交流センター。とどのつまり、各集落の拠点で何か相談や分担の決定をするんでしょう。』
『いったい何のために…。それよりも、村役場から命令が出ただけで、雪の夜中に全員が粛々と動くなんて…。』
『「お上がいうから絶対正しい」「異論反論は村八分」これがこの村の絶対的な規律であり、日本の民度とやらの実態です。』

 村役場がそうしろと言えば、殺人でも誘拐でもするのか?この村は。…そうしている。実際にそうしている。Web管理者の拉致監禁は、村役場の指示のもと、青年団が実行役となり、村役場の職員が地下牢に連行して収容する組織的犯罪だ。村ぐるみの犯罪としか言いようがないし、それは村の規律が国の法律を凌駕していることの証左でもある。
 実際のところ、集落や組織のローカルルールが国の法律を凌駕していることは何も珍しくない。憲法が変わり、民法が抜本改正されて約100年。未だに労働基準法を守らないブラック企業は後を絶たないし、大企業と言われる企業でも労働基準法を無視した結果、過労死や過労自殺が相次いでいる。自治会に入らないことでゴミ捨て場を使わせないのはまだ可愛い方で、畑に除草剤を撒いたり自宅に放火したりといった犯罪まで行われている。
 救護義務を怠りひき逃げそのものの重大な死傷事件を起こした元高級官僚の老人が徹頭徹尾マスコミや警察、検察の横暴から保護される一方で、自身も負傷している一方で救護に当たった市営バス運転手は即逮捕されてマスコミが自宅に押し掛け、速攻で判決まで進んだように、警察の逮捕権が恣意的に行使されて、弁護士や加害者支援団体が人を選んでメディアスクラムから容疑者やその家族を保護する体制が現に存在する。これが人治主義でなくて何なのか。法治主義を無視して人治主義に走っている、と法律家は言うけど、六法全書の世界に生きていて現実が見えていないとしか言いようがない。
 一般市民どころか、法律家も、こうした人治主義を改善しようとはしない。裁判員裁判や被害者参加制度も、弁護士団体など法律家はむしろ消極的。何だかんだ理由を付けてるけど、結局自分達の利益にならないから関与したくないという意図が見える。警察や検察、マスコミの横暴から金や伝手がない加害者やその家族を守るべき国選弁護人にしたって、利益にならないからいい加減に済ませる弁護士なんて普通にいる。
 立法は国会議員の専任事項だけど、法の運用やそれによる一般市民の権力からの保護は弁護士しか出来ない。何故なら弁護士は弁護士法という法律で特権を保護されている。なのに法律の運用の改善や、法の理念と現場の乖離を国会議員に改善を求めるといったことは碌にしていない。せいぜい死刑執行時に弁護士会会長名義で反対声明を出すくらい。六法全書の世界に生きているから人治主義はあり得ないと思っているんだろう。「勉強のできる馬鹿」とはよく言ったものだ。
 法律家は、現在のオオジン村の現状を改善するためには役に立たない。むしろWeb管理者という厳然たる被害者を放置して、村長や村役場、村の人間の弁護に走るだろう。「社会的制裁を受けている」とか言って減刑を目論むなんて、弁護で当たり前のように見られる光景だ。「必要以上に虐げられる加害者とその家族」「過疎の村が置かれた厳しい現状は村の責任ではない」という構図は、弁護士など法律家が好むものでもある。
 村全体がこの時間にそれぞれの集落の拠点に集まる理由は、恐らく村に迫る不可解な状況の説明と対策の検討。僕とシャルに絡んで処分された輩がいることは、村の拉致監禁事業を遂行しようとして返り討ちにあったということ。余所者をとにかく嫌う悪い意味での田舎にとっては、僕とシャルは「おらが村に楯突く余所者」だし、その処分に向けて村ぐるみで動こうとしても不思議じゃない。

『私と戦争したいなら、村ごと消えてもらうしかないですね。』

 シャルはあっさり言う。シャルの言うことは、このオオジン村が地図から消えることだと見て間違いない。つまりは村全体を抹殺するということ。

『人口は2000人足らず。高齢化率と自殺率は全国一。めぼしい産業はない。更に村ぐるみで重大犯罪に手を染める。こんな辺境の腐った村が1つ消えたところで、誰も困りはしません。』
『…。』
『総出で2000人程度の村との戦争で、SMSAの支援を要請するまでもありません。私に攻撃を仕掛けた時点で、この村の歴史は終わります。』

 今夜の村の出方にもよるけど、このままだとシャルと村の全面衝突は避けられない。そうなったら村の歴史が終わる、つまり村が村人ごとこの世界から消滅する。シャルの戦闘ヘリや戦闘機は、その気になれば人間どころか建物1つ簡単に吹っ飛ばす。陸上部隊が村人を拘束するのも造作もない。その威力は最初に訪れたオクラシブ町でまざまざと証明されている。更にシャルの能力に全体的な底上げがなされている以上、村の勝ち目は万に一つもない。物理的に消される。確実に。

『何を報告するか、何を検討するかは、すべての拠点で傍受しています。その結果、夜討ち朝駆けしたとしても、村がこの世界から消える運命には変わりありません。』
『…。』
「さ、寝ましょう。」

 シャルの声を久しぶりにリアルで聞いた気がする。…寝るか。シャルの言うとおり、何が話し合われるかはすべてシャルが派遣した諜報部隊が傍受するし、その結果村全体で此処を襲撃するとなっても、村にとって悲惨な結末が待つだけだ。出来れば村側が手を引く選択をして欲しいところだけど…。