「もう1回、奥の谷へ行きますか?」
「!い、行かなくて良いから。」
「短期記憶を長期記憶に変えるのをご希望ですか?」
「だ、だから良いって。」
「水着と同じ形状なのに、水着より印象が強烈なのは不思議ですね。」
「水着はそれを見せるのが前提なところがあるけど、下着はそうじゃないから。」
「それはフェチズムというものですね?」
「そう…なのかな。」
『調査の方はどう?』
『やはり巧妙に設置されています。死角を極力なくすように計算されていますね。』
『ますます素人仕事じゃなくなってきたね…。』
面積が広い分、スポットを回るには結構時間がかかる。今居るハネ城址公園は、近くに幾つかの飲食店がある。住民の憩いの場所であると同時に、桜の季節や紅葉の季節は観光客が訪れる、有名スポットというほど知名度がないためにゆったり見られる穴場らしいけど、此処にもシャル曰く無数の盗聴器と監視カメラが配置されているそうだ。
「あの方向にある白い囲いみたいなところが、オウカ神社ですね。」
「かなり高いところに来たんだね。遠くまでよく見える。」
『オウカ神社の周辺では、自主警備隊が警備に当たっています。最大警戒区域と位置づけているようですね。』
『此処を含めて自主警備隊は居ないのに、余程オウカ神社への接近に神経を尖らせてるんだね。』
『それは必然ですが、それだけでは気が済まないらしいです。』
『どういうこと?』
『タカオ市よろしく、一般市民に扮装した自主警備隊らしい輩が、パラパラと見受けられます。』
『ええ?!』
「こんな感じで良いかな。」
『今、この近くに居る?』
「良いと思います。もうちょっとカメラを遠ざけてみてください。」
『このエリアには2名。イヤホンを付けているのが目印と思って良いです。インカムです。』
『インカム…。ああ、量販店の店員とかが着けてるあれだね。』
こんな組織だった行動は、一朝一夕に出来るもんじゃない。長年存在する企業や組織でも意外に出来ていない。自主警備隊は想像以上に強力に統率された組織のようだ。こんな組織がつい最近まで典型的な過疎の村だったハネ村だけで出来るとは考えづらい。弁護団が居ても、組織の構築や運営に繋がるわけじゃない。
『このエリアの2人は、ヒロキさんと私を監視しています。さっき本部との通信を傍受しました。』
『本部っていうのは、村役場のこと?』
『はい。調べたところ、村役場に自主警備課という部署が設けられています。それが通称、本部です。』
『警察の110番の通信そのものだね…。』
「いったん食事にしようか。」
『飲食店にも監視の警備員が居そうだけど。』
「はい。」
『監視ついでにインカムで通信すれば、通信内容を傍受して解析できますから効率的です。』
シャルが探した店での昼食は、手打ち蕎麦をメインとする懐石料理で、豪華で美味しかった。だけど、店内は物凄く張り詰めた雰囲気を感じた。明らかに食事をせずに座っているだけの監視員が、カウンターにも座敷席にも居た。隠しているつもりだろうけど、インカムで通信しているのはしっかり分かった。
スマートフォンを操作していたのは、インカムだと不審に思われると考えてメールとかで通信していたからだろう。こちらをちらちら見ながらスマートフォンを操作していたら、嫌でも僕とシャルを監視している、そうでなくてもSNSに良からぬ投稿をしていると分かる。
店員も監視員が居ることを悟られないようにか、逆にぎこちなくなっていた。料理が美味しかっただけに、監視ありきの店の雰囲気は残念だ。ハネ村への脅威を未然に防止して必要なら排除するという方針は明確だけど、これじゃ観光客の足が遠のくだろう。監視されながら料理を食べて良い気分になる人はまずいない。
「ハネ村で宿を手配しました。」
シャル本体に乗り込んで、システムが起動したところでシャルが言う。「調査する?」
「はい。ヒロキさんの推測どおり、この監視網の背後関係を解明することが、オウカ神社のヒヒイロカネ回収に繋がると思います。」
「調査するなら、駐留部隊を増派して地上部隊を送り込めば出来ると思うんだけど。」
「それも考えましたが、ハネ村の背後に弁護団が居るので、情報漏洩にはかなり神経を使っています。相手が人間だからこそ油断或いは安心してふとした拍子に実情や情報を漏らす確率を優先しました。」
「そういう考え方もあるね。そうしよう。」
その動きも、恐らくハネ村だけだったら出来なかったと思う。過疎の村の役場は身内の塊みたいなところがあって、本来秘密にすべき情報もいい加減な扱いがなされることがあると聞く。ホーデン社とトヨトミ市の圧力に晒され、弁護団を早い段階で組織したことが、形勢の逆転と圧倒的な優位に繋がった。
その弁護団は、ホーデン社とトヨトミ市との対決を考えていて、先手を打つ情報公開を推し進めた。だけど、その後の統率された警備組織の構築や警備員の雇用、そして広大な監視網の構築までは考えが及んでいない筈だ。今も法的な問題や情報漏洩のリスクへの対策はしているだろうけど、えてして弁護士は警備や監視といったものを敬遠するものだ。
シャルの言うとおり、情報漏洩にかなり神経を尖らせているだろう。そして村全域を覆う重厚な監視網は、現状に不満や疑念を持って改善しようとするがための情報漏洩、言い換えれば内部告発をしようとする村人への牽制にもなっているだろう。そういう監視社会は、結局その内部に蓄積した不満や怒りから崩壊するのは、旧ソ連などを見れば分かる。
シャルはそういった内側の綻びを探って、そこに突破口を見出そうとしている。僕もそれには賛成だし、現状ではそれ以外に死傷者を出さずにヒヒイロカネを回収できる道筋はない。幸いにして資金面に不自由はないから、ハネ村に滞在して内情を探ることも出来る。
「サーバへの侵入は出来る?」
「多少ガードが強力ですが、問題になるレベルではありません。既に侵入に成功しています。」
「流石だね。早速だけど、村の収支報告と取引業者を調べてほしいんだ。取引業者はその業種と取引先も含めて。」
「分かりました。明日にはまとまると思います。」
もう1つ。軽く数百を超えそうな盗聴器や監視カメラを何処から仕入れたか?数の問題もさることながら、仕入れ先によってはハネ村の独立に向けた動きに重大な影響を及ぼす場合がある。弁護団という性質上、盗聴器や監視カメラの大量購入と監視網の構築は、弁護団の守備範囲じゃないように思う。
このご時世、役所の取引先にも神経を尖らせている。暴力団は暴対法の影響で収入減が限られる一方、半グレなど脱法ヤクザを介して振り込め詐欺やぼったくりバーの経営で収入を得る形になっていると聞く。そういう反社会的な企業と取引していることが明るみに出たら、村長の謝罪だけでは済まない恐れもある。
そして、何となくだけど感じる、ホーデン社とはまた別のヒヒイロカネを狙う組織の存在。それが事実なら、ハネ村は何時の間にか中枢部に食い込まれていることになるし、このまま気づかないうちにヒヒイロカネを奪われてしまう恐れがある。そして残されるのは、タカオ市のように相互監視が続く社会。村民には最悪の状況だ。
シャル本体で30分ほど走って、民家のような建物の隣の駐車場に入る。シャルの誘導で安全に停車。駐車場は水田か畑を埋め立てたものだろうか。10台無料で止められるらしい。チェッチェックインのために荷物を持って玄関へ。かなりの豪邸だったのか、平屋建てだけど横の広がりは普通のホテルより凄い。
「いらっしゃいませ。」
「予約した富原です。」
「富原様。2名様で10泊ご予約いただいております。料金はオンライン決済でお支払い済みです。」
『部屋に居る時はゆっくり休んでもらいたいので、良い宿を選びました。』
『僕のため?』
『生身の身体のヒロキさんには、心身共にゆったりできる環境が必要だと分かったので、こうしました。』
『…ありがとう。』
「ご夕食は何時にお持ちしましょうか?」
「19時、午後7時頃にお願いします。」
「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ。」
『早速だけど、この部屋の監視状況はどう?』
『部屋には盗聴器や監視カメラは存在しません。フロントを含むロビーや廊下には複数配置されていましたが。』
『部屋にはないの?意外だな…。』
『屋外や言うまでもなく、宿のロビーや廊下は公共の範囲という大義名分から監視網を構築できますが、客室はプライベート空間です。そこに監視網を構築して万一発覚したら、村ぐるみで盗聴盗撮をしていたとなりますし、弁護団もそれらの幇助に問われます。』
『弁護団が、客室への盗聴器や監視カメラの配置を止めたのかな?』
『確証はありませんが、そう考えるのが自然ですね。ある意味抜かりないというべきでしょうか。』
『廊下に設置されている盗聴器の感度では、客室の会話は検出できません。直接話しても大丈夫です。』
『心理的な不安は完全に消えないけど、シャルが言うなら。』
「仮にこの部屋を盗聴盗撮しようものなら、盛大に報復するだけですよ。」
「しれっと凄いこと言うね。」
「電子機器を好きなように操作するのは造作もないですよ。ネットワークに接続されたものなら更に簡単です。ヒロキさんは大船に乗ったつもりで居てくれれば良いです。」
「夕食まで時間がありますから、お風呂に行きましょう。」
シャルが箪笥から浴衣を取り出して言う。シャルは入浴が凄く好きだから、風呂の情報もしっかり仕入れているんだろう。「ハネ村特産の檜(ひのき)で作られた、立派なお風呂だそうですよ。はい、これ。」
シャルから手渡されたのは、僕用の浴衣。これを着るように、ってことか。ひとまず、風呂で汗を流してゆっくりするかな…。総檜の風呂なんて初めて見た。入るのも勿論初めて。かなり広大で立派な風呂は、ガラス張りで外が見える仕様だった。見えるのは手入れされた庭園で、外に出ることも出来たけど、どうしても盗聴器や監視カメラが気になったから-シャルは事前にチェックしてそれらがないことを明言したけど-、外に出るのは止めておいた。
風呂そのものは適切な温度で、現代に合わせて蛇口とシャワーヘッドは今風のものだったけど、形状や色は他に合わせてあって、違和感はなかった。他に客は居ないのか、僕1人で身体と髪を洗って湯船に浸かるのは、物凄く贅沢な気分だった。元々露天風呂には縁がないし、庭園を見ながら湯船に浸かっただけでも十分だ。
待合室でシャルが来るのを待つ。今まで気づかなかったけど、この旅館、ほぼ全部木製らしい。木材の種類までは識別できないけど、風呂が総檜だったから、建物もそうだとしても不思議じゃない。それだけでも凄い金額を要した筈。良く知らないけど、檜は建材にするには難しいから高価らしいし。
女湯の方から甲高い声が幾つか混じって聞こえる。暖簾を跳ね除けて-本当にそうした-出て来たのは、3名の女性グループ。男湯の方は僕1人だったから、女性だけのグループか、それとも女性だけで風呂に来たか。どちらにせよ、僕は関わりたくないタイプだ。
「木の風呂って初めて見たー。」
「何もないところだけど、旅館は豪華なのが良いよねー。」
「食事何かなー。」
「お待たせしました。」
シャルが暖簾をかき分けて出て来る。さっきの女性達と違ってきっちり着こなしている。浴衣はきっちり着るから映えるんだとよく分かる。「女湯も総檜だった?」
「はい。これまでの風呂とは全く趣が違って、十分楽しめました。同時期に居た3人が少々五月蠅かったですが。」
「さっき出て来た。」
「檜風呂が珍しいのは分かりますが、浴室が残響成分を大量に生成するので、不協和音がより不快な音声になることを知ってほしいものです。」
「まだまだこのお風呂に入れる機会はありますし、湯船に死体を浮かべる気もなかったので、無視することにしました。」
「あまり過激なことはしないでね。」
「軽い冗談ですよ。」
少なくとも他に女性3人が居ることは分かった。これだけの設備の維持管理と従業員の給料は、5人程度の客では到底賄えないだろう。僕とシャルは10泊するから桁が優に6ケタに達してるけど、それでも必要経費全体から見ればごく少額だろう。自主警備やA県からの独立が客の入りにどう影響しているか?
シャルと手を繋いで部屋に戻る。まだまだ分からないことが多い。この旅館を拠点にして、地道に紐解いていくしかないか。気になることは幾つもあるけど、やっぱりあの膨大な数の盗聴器と監視カメラ、そしてそれらを配置して巨大な監視網を構築したこと。裏に居るのは誰なんだろう?
「ヒロキさん。此処へどうぞ。」
座布団に腰を下ろしたシャルが、自分の太腿を軽く叩いて言う。…拒否する理由はないし、拒否したくないから、シャルに膝枕をしてもらって畳に身体を横たえる。「夕食まで2時間ほどありますから、少し休んでください。」
「うん…。」
「この部屋には監視網は及んでいません。万一及んで来たら妨害の上で報復します。この部屋では安心して寛いでください。」
「タカオ市のことを思い出してね…。」
「この村の監視網構築の背景は調査中ですが、治安は最終的には良心や倫理の融合です。疑心暗鬼を呼ぶ監視主体の治安は、長続きしません。この村も遅かれ早かれその事実を知ることになるでしょう。」
「そう…なのかな。」
そんな事情があるから、ハネ村の闇を暴いてオウカ神社の守りを固める自主警備隊を崩壊させることは、全面的に必要だとは言い切れない。それがハネ村にとって不要とは言い切れないからだ。むしろ心情的には、ホーデン社べったりを改めるか怪しいA県県警とA県から独立できるものなら、そうした方が良いとさえ思う。
シャルの調査結果がどう出るか分からない。それとそれから導かれる方針が、ハネ村にとって良いのか悪いのか…。考えると止まらない。何だか眠くなってきた…。考えるだけでも疲れが増すことは分かってるけど…。
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