謎町紀行

第35章 縁結びに隠され繋がるランドマーク

written by Moonstone

「ヒロキさん。もう1回滑りましょうよ。」

 …おかしい。

「このロールケーキ、評判どおり美味しいですね。」

 …おかしい。

「川の水が冷たくて気持ちいいです。清めるという意味が分かったような気がします。」

 …おかしい。
 シャルがホーデン社の調査を開始して1週間。僕はシャルの案内に沿って移動して、M県を巡っている。行く先は拠点のホテルにほど近い大浜ワンダーランドだったり、中部東自動車道のゴコウ山SAだったり、縁結びで有名らしい蓮花大社だったり、一応ヒヒイロカネの所在候補地のようには見える。
 だけど、シャルは大浜ワンダーランドでジャンボウォータースライダーに興じ、ゴコウ山SAでは名物のクリームチーズのロールケーキを食べて、レンカ大社では近くを流れるレンカ川の清流に設けられた御手洗所に赴き、参拝へ意気込んでいる。その表情や楽しみ具合から、ヒヒイロカネの捜索の様子は微塵も感じられない。

「…ねえ、シャル。」
「何ですか?」
「ヒヒイロカネの捜索はどうなってるの?」
「今してるじゃないですか。」

 シャルはしれっと言って、ハンカチで手を拭いて僕の手を取る。何でもシャルが言うには、縁結びのパワーを得るには参道に設けられた御手洗所じゃなくて、少し距離があるこのレンカ川の御手洗所が良いそうだ。ヒヒイロカネがレンカ大社にないとは言い切れないけど、シャルの行動は縁結びのご利益を得ようとするカップルの女性にしか見えない。
 ヒヒイロカネの捜索なら普通に参拝すれば良いと思うんだけど、「縁結びで有名な神社でぼんやり参拝していたら怪しまれる」ってシャルは言うし、それは間違ってはいないと思う。思うけど、傍から見たら今の僕とシャルはどう見たって、縁結びのご利益にあやかろうとするカップルだ。…シャルは僕の彼女だから間違ってないか。
 何とももどかしいような、喉の奥に引っ掛かるようなものを感じながら、僕はシャルに引っ張られるように拝殿へ向かう。今日はカレンダーでは平日だからか参拝客は少なめだけど、参拝しているのはカップルと女性の団体が大半。シャルはこういうところでもやっぱり凄く際立っている。シャルが視界に入った後、もめ始めたカップルもいる。
 シャルと並んで参拝。旅の無事とヒヒイロカネ回収を祈念する。…併せてシャルと末永く仲良くできることも。参拝後は境内にある茶屋へ。此処も縁結びのご利益があるそうで、シャルは迷わず抹茶羊羹を注文する。これって…デートそのものだよな。

「さ、食べましょう。」
「…うん。」

 運ばれて来た1本の抹茶羊羹を前に、食べないという選択肢はない。この抹茶羊羹、見た目は普通の抹茶味の羊羹だけど、中は栗餡が入っている。それもハートマークの形に。更に参拝後にこの抹茶羊羹を切りながら2人で食べることで、縁結びのご利益があるという。如何にも神社が狙った縁結び商法だけど、シャルは鼻歌が聞こえそうな雰囲気で羊羹を切って、それを僕に差し出す。
 こうして食べ合うことで縁結びのご利益が得られるそうだけど…、どう見たってこれってデートだ。ヒヒイロカネの捜索は何処へ行ったんだ?頭に疑問符が大量に浮かぶけど、目の前で羊羹を切ったものを楊枝に刺して差し出すシャルに抗えるほど、僕はこういうシチュエーションに慣れてない。

「美味しいですか?」
「…うん。」
「じゃあ、次は私ですね。」

 僕はシャルに同じことをする。正直自分がされる時より照れくさい。それに、こういうことが他の客もいるところで出来るくらいの仲なら、十分御利益があったと言えるんじゃないだろうか?やっぱり神社の縁結び商法だけど、ニコニコしながら羊羹を味わっているシャルを前にそんなことは口が裂けても言えない。

「栗餡が抹茶と相性ピッタリですね。」
「そ、そうだね。」
「次はヒロキさんですよ。」

 …この縁結び商法、1回だけ食べさせ合って終わりじゃないんだった。交互に全部食べ終えるまで繰り返すんだった。顔の火照りが自分でも分かるくらい凄い。恐らく他から見れば真っ赤になってるだろう。のぼせそうな僕の前で、シャルは嬉々とした様子で羊羹を切っている。別方向の拷問だ…。
 まだ顔の、否、全身の火照りが消えない中、神社の境内を歩く。竹林もある境内は彼方此方に分岐点があって、細い道を進むと摂社がある。神社は分かりやすい拝殿とその奥にある本殿がある「メイン」以外にこういう摂社が多いんだけど、このレンカ神社は数が多い。参拝者は居ないけど、きちんと掃除や拝礼は行われているらしい。榊も真新しい。
 見つけた摂社も全部参拝していくにつれて、次第に全身の火照りが収まって行く。シャルは摂社もきちんと参拝している。参拝の仕方とかは情報の収集と分析で直ぐ出来るだろうけど、誰も見ていない摂社でも背筋を伸ばして参拝するシャルは、綺麗という表現がしっくり来る。

「この境内は、特別な意図を感じます。」

 何番目かの摂社の参拝を終えて戻る途中、シャルが言う。

「参道から分岐しているのは分かるけど、…ヒヒイロカネの反応があったとか?」
「いえ、それは残念ながら今まで未検出ですが、境内にある社などの位置関係が意図的なものになっているようです。」
「結界か何か?」
「断定は出来ませんが、それに相当するものと見て良さそうです。」

 俄かに緊張感が高まる。僕とシャルは参道から駐車場に戻り、シャル本体に乗り込む。システムが起動してHUDに地図が表示される。これはレンカ神社の境内?

「そうです。境内の案内図は大鳥居前などにもありますが、何れもイラスト的なもので、性質上か位置関係などは正確ではありません。これに拝殿と本殿、そして摂社の位置をプロットします。」

 HUDの地図に赤い点が幾つも表示される。大きめの点が拝殿と本殿で、小さい点が摂社か。摂社が大きな円を描いている。しかも、円が8等分かなり正確に分割できる位置に摂社があるのが分かる。その円の0度−180度を繋ぐ線から45度上側、45度−135度を結ぶ直線状に本殿と拝殿、正確には本殿が位置している。

「測量でもしたみたいに、綺麗に配置されてるね。」
「はい。此処に別宮をプロットします。」
「別宮って、茶屋の後に参拝したこじんまりした社殿?」
「はい。別宮の位置関係はこうなります。」

 別宮が青の点でプロットされる。この位置はこれまでの法則性からは外れているけど、補助的に描かれた線と摂社が描く円を基準に見ると、0度−180度を結ぶ直線から…60度上方の位置にある。

「そのとおりです。位置関係は非常に明確で、意図的に配置された可能性が濃厚です。」
「偶然にしては出来過ぎだよね。レンカ神社の創建は1500年以上前って由緒にあったし、そんな時代に測量なんて…!」
「ヒヒイロカネがこちらの世界に存在した時代、十分な精度の測量技術はありました。」
「ヒヒイロカネは全部、シャルが創られた世界に運ばれたんじゃないの?」
「公式にはそうなっていますが、一部が密かにこちらの世界に残され、隠された確率は否定できません。」
「えっと、ちょっと状況を整理したいんだけど、手配犯って呼ばれる犯罪集団が、シャルが創られた世界からヒヒイロカネを持ち出して、こちらの世界に逃げ込んだんだよね?」
「はい。」
「そのヒヒイロカネと、こちらの世界に残されたかもしれないヒヒイロカネは、同一のもの?」
「いえ、異なります。ただ、手配犯がこちらの世界に隠されたヒヒイロカネの存在を何らかの形で知った確率はあります。」

 手配犯が持ち込んだものとは別でも、ヒヒイロカネには違いない。手配犯はこちらの世界ではかなりの長寿命みたいだし、SMSAの追跡から逃れるために世界を転々としているだろう。その最中に何らかの形で、この世界に密かに残されたヒヒイロカネの存在を知って、発掘しようと目論んでいるかもしれない。
 この世界で財宝を発掘するのは、言うほど簡単じゃない。日本だと「土地は全て誰かのもの」「個人の土地でない土地は国の土地」と言われるくらい、土地の管理が頑強だ。その影響か、財宝を発掘したらその土地の所有者のものになると聞いたことがある。当然発掘には所有者の許可が必要だから、発掘に着手すること自体容易じゃない。
 ただ単に埋めただけだと、後の自分や仲間、或いは子孫に伝わらない恐れがある。だけどそのまま隠し場所を記録すると、今度は第三者に漏洩する危険がある。それ故に、他人が見ても容易に分からないように記録や伝達する方法として、暗号が用いられた。暗号は不可解な言葉の羅列以外に、絵画や彫刻、時には建物の配置だったりする。
 寺社仏閣は暗号とするには好都合だ。神聖な場所だから発掘は自然と憚られる。神聖であることを逆手にとって、部外者を排除することも容易だ。新たな建物の造営は基本的に無理だけど、神社は遷宮という名目で一定期間で壊して建てなおすことが普通に行われる。これは裏を返せば、隠蔽などのカモフラージュにもなり得る。

「このレンカ神社は、ヒヒイロカネの所在を示す暗号かもしれないってこと?」
「その可能性は十分考えられます。生憎レンカ神社にはヒヒイロカネの反応は一切検出されませんでしたが、暗号だと考えれば説明できます。」
「建物を利用して、一目見ただけじゃ分からないようにするのも兼ねてるなら、たとえば…、何処かに似たような配置の神社があるとか?」
「私もその可能性を考慮して、現在調査中です。ココヨ市や近隣自治体も対象としていますから、調査結果が判明するには数日かかる見通しです。」
「これはシャルの発表を待つしかないね。まさかこんなところにヒヒイロカネの手がかりの可能性が潜んでるとは思わなかったよ。此処も候補地?」
「いえ、M県でのデートスポットを捜索した結果です。これもご利益と考えて良いですね。」

 今、デートって言った。確かに言った。シャルが彼方此方出向いているのは、調査はしつつもデートが目的だったのは間違いない。僕はこの旅に出る時、毎日朝から晩までヒヒイロカネを探して彼方此方巡るものだと思ってた。だけど実際のところ、温泉街や海水浴、花火大会やプールと、シャルと遊びに出かける時間の方が多い。
 シャルが情報を分析して絞り込んだのは候補地であって、確定じゃない。この世界にヒヒイロカネを持ち込んだ手配犯は確か5人。それに対して候補地は世界中に点在していて、日本だけでも10を優に超える。マスターことあの老人がこの世界で集めた情報はどうしても限界があるだろう。ヒヒイロカネは思いがけない形で潜んでいるかもしれないってことは、この件で分かった。
 だからシャルは、調査名目で僕を彼方此方連れ回してるんだろうか。そうでもあるけどそればかりじゃないように思う。ただひたすらヒヒイロカネを虱潰しに探しまわるより、こういう時間がある方が精神的には良いのは間違いない。周囲の視線が刺さるのはシャルと一緒に居る約得の証だろう。
 今回の件で気になるのは、神社の境内全体を暗号めいたものにしていた事実と、それを可能にした測量技術の存在だ。もしかすると、神社の幾つかはヒヒイロカネの所在に纏わるものかもしれない。シャルが創られた世界の文明水準は今でもこちらの世界を凌駕するものだ。古代に持ち込んだら神の扱いだっただろう。

だから…なのか?

『レンカ神社に酷似した配置の神社を発見しました。』

 翌日。朝食時にシャルが調査結果を報告する。ヒヒイロカネはまったく音沙汰がないけど、こっちは随分展開が速い。

『そして、その神社からヒヒイロカネのスペクトルが検出されました。』

 と思ったら、こちらも急展開。やっぱりレンカ神社はヒヒイロカネを隠す壮大な暗号だったようだ。

『一気に道が開けた感があるね。その神社は何処にあるの?』
『此処です。』

 シャルはテーブルに置いたスマートフォンに地図を表示する。オウカ神社。名前も似てる。場所は…ハネ村。初めて見る自治体名だ。地図の範囲を拡大すると、位置関係がようやく分かる。トヨトミ市の北東、タカオ市があるN県と県境で接する村だ。面積はそこそこ大きいけど、大半は山岳地帯。オウカ神社は2つある集落の1つ、よりN県との県境に近いところにある。

『オウカ神社の建物の配置は、このようになっています。』
『別宮の配置が、レンカ神社とは違うね。レンカ神社は円の中心から見て北東の方向だったけど、こっちは南西。』
『そのとおりです。丁度別宮が向き合う配置で、この直線誤差は0.03%。精密な測量の基に建造されたことを裏付けるものです。』

 方角をきちんと定めるのはかなり難しい。今はGPSやコンパスがあるけど、1000年以上前はそんなものはなくて、太陽や月の動きで知るしかなかった。天体の動きが実は方角を知るには非常に便利で、航海や地理、土木、占いと密接な関係がある。暦は長期の天体観測が出来てこそ形成できる知的財産と言える。
 昔に正確な測量や建造が出来る筈がないと考えるのは愚の骨頂だ。実際、この例に限らず正確な測量技術があったと考えられる建造物はたくさんあるし、夜空が今よりはっきり見えたであろう昔だからこそ、天体の動きはより明瞭に見えただろうし、それを元に方角や測量をすることは十分可能だったと考えるべきだ。大体、消滅が危ぶまれている宮大工とかはずっと昔からあるし、昔の建物が消滅した理由は殆どが火事だ。原因が戦争か放火か失火くらいの違いでしかない。それくらい昔の建物は堅牢だった。

『このオウカ神社とM県にあったレンカ神社は、何か関係がある?』
『はい。由緒によると、レンカ神社に祭られた夫婦の神が、次に訪れた場所がオウカ神社です。』

 シャルの説明によると、夫婦の神はレンカ神社で出逢い結ばれ、記念に蓮の花を植えた。そして安住の地を探して旅に出た。最終的に行きついた場所がオウカ神社。常世の春のように末永く続くことを願って桜を植えた。オウカ神社は桜の名所でもあるが、車でないと行けない場所にあるため、隠れた名所という位置づけだという。

『元々別の神々の謀略で離ればなれになっていた2人の神が、僅かな手掛かりを頼りに探し歩いて、無事レンカ神社のある場所で再会できたことから、レンカ神社は縁結びで知られているんです。素敵な由緒ですね。』
『そ、そうだね。じゃあオウカ神社も縁結びで有名?』
『縁結びはご利益の1つではありますが、あまり前面に出していません。オウカ神社自体が知る人ぞ知るという神社のようです。』
『由緒ではかなり明確な関連があるのに、不思議だね。』

 神社の由緒の関連を調べる人は少数派だろう。神社に密接な関連がある神話は天皇家に繋がるから、どうしてもイデオロギーが付き纏って、学術に絞り切れない面が強い。古墳の調査が出来ないのも宮内庁が阻んでいるせいもあるし、天皇家の墓を暴くことに右側のイデオロギーが強い拒否感や攻撃性を示すのが理由だ。
 かなり分かりやすい形でオウカ神社の存在が判明して、そこにヒヒイロカネがあることも分かった。早速回収に行きたいところだけど、シャルが調査結果を出しても即回収を言いださないあたり、回収にハードルがあると見て良い。御神体だとそう簡単に見ることも出来ないのはオクラシブ町でも経験済みだし。

『聡いですね。オウカ神社は現在、境内への立ち入りが禁止されています。』
『境内に入れないって、参拝も出来ないってことだよね。』
『はい。拝殿と本殿の改修が理由とされていますが、スキャンしたところ、確かに拝殿と本殿が建築会社の防塵壁で覆われていますが、改修工事は行われていません。明らかにカモフラージュです。』
『一体何があったの?』
『簡潔に言えば、ホーデン社の侵略阻止のためです。』

 唐突にホーデン社が出て来た。しかも侵略という物騒な単語を伴って。シャルの分析結果でホーデン社が牛耳るココヨ市が候補地として浮上したのは、何らかの形でヒヒイロカネに関係があるためか。そしてそれは必ずしもヒヒイロカネが保管されているんじゃなくて、ヒヒイロカネを奪おうとする側である場合もあるということ。

『ハネ村に向かいましょう。中央横断自動車道のエハラインターチェンジから南下する形で入ります。』
『ココヨ市やトヨトミ市を避ける?』
『はい。』

 地図を見たところだと、此処からハネ村に行くには東阪高速道路から中央環状道経由で中央横断自動車道に入るのが最短。だけど、東阪高速道路はココヨ市を横断して、中央環状道はトヨトミ市を縦断する。ホーデン社のテリトリーだから渉外担当室所属の車が徘徊している確率は高い。そこで発見されると面倒だ。
 中央横断自動車道は、一般道からココヨ市の北にあるコミヤ市の、コミヤインターチェンジから入ることが出来る。コミヤ市への経路はかなり長いけど、ホーデン社の車に追跡されることは避けた方が良い。ホーデン社が侵略を狙うというハネ村やオウカ神社に僕とシャルが接近していると知られたら、ホーデン社が一気に攻勢に出る危険もある。

『念のため、周辺に戦闘機編隊を飛ばして、早期警戒機でジャミングを仕掛けます。』
『今回はそれくらい慎重な方が良いね。滞在の必要はある?』
『北側で隣接するエハラ市のホテルを確保しました。』
『ありがとう。食事を済ませたら早速出発しよう。』
『はい。』

 シャルが侵略というくらいだから、かなり不穏な空気が漂っているだろう。住民も警戒していると思った方が良い。ホーデン社の侵略を止めることがヒヒイロカネの改修に直結しないとしても、何しろ神社の御神体。慎重に丁寧に、だけど迅速に調査して対策を講じないといけない…。
 渋滞もあって4時間かかってハネ村に到着。一般道と高速道路の違いは制限速度と信号の有無にあると痛感した。幸いシャルの配慮で座席は快適だから、途中少し腰を伸ばす程度で良かった。疲れるのは致し方ない。シャルのアシストがあるとはいえ、長時間の運転は体力を消耗するものだ。
 ハネ村は文字どおりの山間の村。高い山に囲まれた平地にひっそりと集落が佇んでいる。とりあえず昼食のためシャルが選んだカフェに向かう。エハラインターチェンジから唯一ハネ村に通じる、片側1車線の県道413号線は、人どおりがまったくない。代わりに「合併絶対反対」などの看板が幾つも出迎えてくれる。
 事情は何となく透けて見える。隣接するホーデン社の牙城、トヨトミ市との合併が目論まれていて、住民はそれに強く反対している。一方で、別の場所には「合併で地域の発展を」など推進派と思しき看板もある。どんな命題でも賛成と反対が生じるのは自然だけど、この手のことは必ず何かしらの利権が絡むからややこしいことになる。
 自治体の合併は土地の利用が絡む。財政規模が大きくなったから−実際は大きな財政規模に取り込まれたんだけど、あそこに大型ショッピングモールを建設するとか、あそこに高速道路のインターチェンジを誘致するとか、そういう話が出て来る。その対象になった土地の価格は一気に上昇するから、土地成金が出来やすい。
 その手の話を見込んで土地の所有者から土地買収を持ちかけたり、勿論不動産会社などが土地買収を持ち込んできたりする。一方で、市街地から離れた山間の町村は、産業廃棄物処分場など嫌われる施設が誘致される傾向がある。市街地だと必要な土地がないのと、あっても住民が猛反対するのは火を見るより明らかだけど、その肩代わりをさせられる旧町村側はたまったもんじゃない。
 産業廃棄物処分場などが嫌われるのは、その土地の取得の過程で頻繁に黒い影が浮かぶのもある。企業の差し金かどうかは不確実だけど、暴力団が脅しに来たり、反対派の自宅に嫌がらせをすることもよくある。警察に取り締まりを求めてもまともに取り合わないこともある。そんな体たらくだから官営ヤクザとか上級国民の味方と揶揄される。
 恐らくこのハネ村も、土地が絡む黒い噂や影が跋扈しているんだろう。長閑な山間の町は合併、ひいてはホーデン社に翻弄されている。合併したらどうなるかは、前例が幾つも証明している。端的に言えば、合併で取り込まれた側の自治体は、住民税が上がった一方で、色々なサービスは喧伝されたように良くならないどころか、むしろ悪くなる確率の方が高い。
 不穏な空気を感じながら、シャルが選んだカフェに入る。洋風の建物ではあるけど、周囲の建物と屋根や壁の色を合わせて和洋折衷みたいな雰囲気だ。店に入ると、若い女性の店員が出迎える。奥には少し年配の、店員と似た感じの女性が居る。母子で経営してる店なんだろうか。

「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「2人です。」
「2名様ですね。どうぞこちらへ。」

 僕とシャルは窓に面した、奥の席の1つに案内される。他に客は近隣の人だろうか、老夫婦らしい男女が1組と、僕とシャルと同じようなカップルらしい若い男女が1組。飲食店だとランチタイムが過ぎたか後半戦といったところの時間帯だけど、場所が場所だからランチ戦争とは無縁なんだろうか。どちらにせよ、ゆったり出来るならその方が良い。

「ボリュームサンドのセットを2つ。」
「ボリュームサンドのセット2つですね。かしこまりました。暫くお待ちください。」

 水とおしぼりが運ばれて来たところで、シャルお勧めのボリュームサンドのセットメニューを注文する。簡潔に言えば分厚いカツサンド。斬新ではないけど名は体を表すボリュームと、しっかり揚げたカツが美味と評判らしい。本当にシャルはよく調べたもんだ。セットメニューはスープと飲み物で、飲み物はコーヒー、紅茶、その他ソフトドリンクから選べる。割と珍しいタイプだ。

『私の本体が、通りすがりの人に見られています。』
『状況からして、ホーデン社の車かそうでないかの確認かな。』
『そのようです。エンブレムを見て安心した様子で立ち去って行きます。』

 見知らぬ車が駐車場に−全部で5台分横に並ぶ形−止まっていたら、トヨトミ市との合併問題に揺れる情勢からして、ホーデン社が反対派の切り崩しに来たかとか警戒するだろう。長閑な村を分断させ、疑心暗鬼に陥らせる図式は、多数の住民に通用する大義名分がない自治体合併の歪みだ。
 待つ間に、スマートフォンを出してシャルとこれからの行動を検討する。ハネ村はかなり広い。面積の大半を山林が占める村の宿命みたいなものか、ハネ村を縦断する県道413号線以外は細い道が大半を占めていて、実際の移動範囲は限定される。問題のオウカ神社は県道413号線から南下して、東側にあるオウカ山に入ったところにある。
 オウカ神社は、改修工事として境内への立ち入りが禁止されている。オウカ神社への道は1本だけだから、シャル本体では侵入は不可能。ただでさえトヨトミ市、つまりはホーデン社の侵略に神経を尖らせている住民の神経を逆撫でしても、何らの利益もない。オウカ神社への接近は控えた方が良い。
 勿論、シャルが創造・指揮する航空機編隊なら地上の制限は受けない。より詳細の情報を探る、たとえばヒヒイロカネの保管状況とか、そういうことを現地に赴かずに知ることが出来る。オウカ神社関係は航空機編隊に任せて、僕とシャルは別のことをした方が良い。
 僕とシャルがこの村で出来ることは何か?自治体合併は最終的には住民投票で決まると見て良い。純粋に合併によるメリットデメリットを考えて投票することに、僕とシャルが干渉するのは避けなければならない。合併問題がどのレベルにあるのか−単に噂話か議会で討論されるくらいかなどを調べて、それに応じた対策を考える必要がある。
 それをどう調査するか?純粋に賛否が分かれるであろう合併問題に、ホーデン社の支配が及ぼうとしている危機感から、住民はかなり神経を尖らせていると見て良い。実際、通りすがりの住民がシャル本体のエンブレムを確認しているくらいだ。合併の賛否どちらの側も、外来者である僕とシャルにすんなり事情を話してくれるとは思えない。

『この村を巡りましょう。』

 思案していたところにシャルから出された提案は、拍子抜けするものだ。

『勿論、情報収集のためですよ。状況が状況だけに情報収集という面を前面に出すと、ホーデン社やトヨトミ市の差し金などの誤解を招く恐れがあります。』
『うん。そのとおりだよ。だから…』
『観光は自然体での情報収集にもなります。オクラシブ町でヒロキさんが実践したように、外から来たからこそ、村の中では話せない事情を話してくれるかもしれません。』

 そういえば、オクラシブ町では僕はあくまで観光に来た体で住民に話しかけた。話しかけたら以降は聞き役に徹していたら、住民は色々なことを話してくれた。ヒヒイロカネの発見と回収に直接繋がったとは言えないかもしれないけど、それに結びつく情報が得られたのは間違いない。
 シャルの言うとおり、解決を急いで情報収集という面を前面に出すのは危険が大きい。何も知らない外来者のままで、この村にあるオウカ神社以外の名所や食事の良さなどを聞いて、実際に体験することで、住民も狭い世界の中では言えないことを話してくれるかもしれない。「急がば回れ」ってやつか。

『巡るスポットは選んであります。面積が広いせいか、1日では回りきれないくらいです。』

 シャルは弾んだ声でスマートフォンに候補を表示する。うん、観光名所や名産品が並んでる。シャルの本心が何処にあるか掴めない。ホーデン社やトヨトミ市の動向は気がかりだけど、焦って取り返しのつかない失敗をすると、オーバーテクノロジーの塊であるヒヒイロカネが絡む以上重大な危険を招く恐れもある。ここはデートに徹するべきところか。
 ボリュームサンドのセットが運ばれて来た。名は体を表すそのものの、分厚いカツサンドが2個。定食で出て来るクラスのトンカツを、一般の食パンより大きい食パンで挟みこんでいる形だから、1個のボリュームは凄い。スープと飲み物−揃って紅茶−で流し込みながら食べる感じだろうか。
 1個ずつ厚めの紙ナプキンに入っているのは親切だ。厚いサンドは食べ応えは申し分ないけど、口に入る量はどうしても限られる。口に入れるために上下を圧縮すると、挟んでいるものが零れ落ちる。食べ辛いしちょっと汚い。これだと零れても紙ナプキンの中に落ちるから、崩壊するサンドを必死に食べる必要はない。

「こ、これは凄い厚みですね。」
「少しずつ食べるのが良さそうだね。」
「が、頑張ります。」

 シャルは端から啄ばむように食べていく。がっつくでもなく変に気取るでもなく、食べやすいサイズを考えながら食べている。情報で推定したよりサイズが大きかったか、食べるところまで考えが及ばなかったか、何れにしても、シャルは人型であるからこそ出来る食事を楽しんでいる。
 分厚さに目が行ってしまうけど、味もしっかりしている。カツサンドだからケチャップかと思ったら、マスタードをベースにマヨネーズが使われている。予想外だけど意外としっくり来る。魚のフライをマヨネーズベースのタルタルソースで食べるのと似たようなものか。

「お客さん、どちらからお越しですか?」

 水を持ってきた、若い女性の店員が話しかけて来る。

「S県のノサキってところからです。」

 S県ノサキ市は、かつて僕が住んでいたところ。今は僕が住んでいた痕跡もない。

「S県、ですか。随分遠いところから。よく此処が分かりましたね。」
「彼女が調べてくれたんです。」

 彼女っていうワードを発する前後で顔が一気に熱くなる。向かいの席に座っているシャルをチラッと見ると、実に嬉しそうに微笑んでいる。もし言うのを躊躇ったりしたら、後でシートベルトで締めあげられたりしたんだろうか。言い慣れないワードとシチュエーションがあるってことを分かって欲しいんだけど、今回はクリアしたから良いか。

「ご存知かもしれませんけど、この村で有名なオウカ神社は、拝殿と本殿の改修工事で境内に入れません。」
「はい、知っています。この村は広いですから、他にお勧めのスポットとかあれば教えてもらえるとありがたいです。」
「それでしたら、観光案内のパンフレットをお渡しできますよ。」

 女性は一旦厨房と一体になったカウンターに向かい、少し年配の女性と何やら話した後、パンフレットを持って来る。質感の良い紙にフルカラーで印刷された、意外に本格的なものだ。しかも見開きで村の集落やスポットがイラストで表現されたりしている。店が独自で作っているようには思えない。

「凄く綺麗なパンフレットですね。このお店で作ってるんですか?」
「いえ。最近村役場が中心になって製作して、各店舗や施設に配布しているんです。スタンプラリーもしていて、必要数集めて役場やお店に見せてもらえばプレゼントもあります。」
「村全体がイベント会場なんですね。何しろ土地勘が全くないので、こういう分かりやすい情報はありがたいです。」
「是非この村を隈なく巡ってください。」

 丁度これから観光と称して村を回ろうとしているのは事実だし、情報は多いに越したことはない。特に、地元の人は意外な突破口になり得る情報を持っていることもある。ホーデン社やトヨトミ市のようにこの村と敵対するつもりはさらさらないから、地元の人と友好的になっておいた方が良い…。
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