謎町紀行

第28章 野獣達の断末魔、伝説となる魔物

written by Moonstone

「ああいう移動方法は不思議と幸福感が生じますね。」
「それは何より…。」

 お姫様抱っこで本体に運ばれたシャルはすこぶる上機嫌。僕は「顔から火が出る」という感覚を初めて体験した。多数のSMSA職員が直立不動で敬礼する中、シャルをお姫様抱っこして本体に乗せて、僕の運転でヒョウシ理工科大学のキャンパスを出るなんて。今時結婚式でもしないんじゃないだろうか?

「修復の方は大丈夫?」
「此処は私の本体ですから、座席全体と背面を融合してエネルギーの大容量転送が出来ます。念のための最終点検の段階です。」
「そういえばそうだったね…。」
「ナビとHUDに情報を出すので、面白いものが見えるところへ案内してください。そこでお話します。」
「分かった。えっと…ヒョウシタワー?」

 ヒョウシ市の最東端、元々灯台があったところに灯台をイメージして建てられたっていう、ヒョウシ市の観光スポットの1つと記憶している。ヒョウシ電鉄の始発駅から歩いていける距離。どうしてそこに?シャルのことだから何か考えがあるんだろう。ひとまず目的地まで行こう。
 ヒョウシタワーはヒョウシ市の中心部を通る形になる。次第に混雑が増してきた。HUDに迂回行動が提示される。それに従ってハンドルを切ると、道は多少狭くなるけど混雑から抜け出せる。かなり入り組んだ道は、どうやら昔からの住宅街らしい。そうこうしていたらHUDに駐車行動の準備が表示される。
 中心部の店舗か住宅がなくなって更地になったところに作られたタイプの、数台しか止められない駐車場だ。駐車そのものはHUDもあるし、様々なセンサーもあるし、最悪自動駐車も出来る。幸いにも空きは十分あるから、問題なく駐車完了。清算は出庫時で良いらしい。

「早くも最寄りの駐車場への経路が通行止めになったので、迂回路経由で離れた場所を選びました。」
「早くも、ってことは通行止めになるような行事が近いってこと?」
「はい。それが何なのかもヒョウシタワーに行けば分かります。」

 シャルの案内でヒョウシタワーに向かう。近づくにつれて混雑が酷くなっていく。車じゃなくて人の列、否、人の波が原因だ。大通りがぎっしり埋めつくされている。ヒョウシタワーの駐車場は、何とか駐車しようとする車で物凄い列が出来ている。臨時駐車場も設けられているようだけど、この列に対しては焼け石に水だ。
 駐車場待ちの渋滞を横目に、僕とシャルはヒョウシタワーに到着。こちらも結構な混雑だ。チケットを買ってエレベーターで最上階の展望台へ。人が多いとシャルは映える。エレベーターの中でも視線がシャルに向けられているのが分かる。当のシャルは意に介していないみたいだけど。
 展望台に到着。かなりの混雑だ。混雑はどうやら展望レストランに入ろうとする人のものだ。展望台自体はそれほど混雑していない。行列の脇を通って展望台に向かう。そこから見える光景は、大通りをぎっしり埋めた人の波。いったいこの人の波は何だ?

「元財務相の罷免と逮捕を求めるデモ隊です。元財務相の私邸に向かっています。機動隊が出動して制止していますが、場合が場合だけに機動隊にも激しい抗議が向けられています。排除強行となれば警察や政府、つまり首相にも非難が波及することが確実なだけに、機動隊も苦慮しているようです。」
「一体何があったの?」
「元財務相とヒョウシ理工科大学に関する新たな情報が決定打になりました。クロヌシを悪用した拉致監禁と奴隷労働、そしてそれらの先兵であり、将来の核攻撃拠点としてヒョウシ理工科大学が設立されたという事実です。」
「!!」

 な、なんてことだ。もはやヒョウシ市の負の遺産どころの話じゃない。曲がりなりにも事実上の国是とされている非核三原則を完全に覆し、憲法も堂々と蹂躙しようとしていた。しかもクロヌシを悪用して人員を徴用していたなんて、何処の独裁者だ。

『クロヌシが核燃料貯蔵庫に隣接する水槽に逃げ込んだ際に、諜報部隊を投入してヒョウシ理工科大学全体を調査させたのは憶えていると思います。その際発覚した核燃料貯蔵庫と共に、不自然な空間を発見しました。クロヌシの無効化と回収のため、SMSAがヒョウシ理工科大学から職員と学生を排除して記憶を操作したのですが、その際にその空間を調査したところ、クロヌシの存在が発覚した際にクロヌシに食われた男性達が幽閉されていたことが分かりました。』
『え?!クロヌシは人を食らってたんじゃ?』
『無力化の際に解析した結果、確かに以前は知能OSによって一定条件が揃った時人を襲って食らっていました。ですが、ヒョウシ理工科大学の非常時行動工学研究室−例の貧相なチンピラ院生が所属する研究室の教授がクロヌシの実在を知り、核燃料を餌としておびき寄せ、人を食わずに体内に捕えて来るようある意味躾ました。』
『最初からあの研究室の教授がこの騒動に一枚噛んでたのか…。』
『はい。それもその筈。この地域を地盤とする元財務相の差し金ですから。』
『?!もしかして、元財務相は手配犯の1人?!』
『残念ですが、手配犯ではありません。元財務相の国家構想−と言うべきものかは別として、それに基づく行動の一環です。』

 シャルはスマートフォンに表示した図解と共に説明する。この地域を地盤とする元財務相は、元々「タカ派の最右翼」「右の中の右」などと呼ばれて来た右翼思考の人物。家業であるセメントなど建設材料製造と建設業を丸ごと継承し、財力は潤沢。せいぜい有権者の20%、30%の得票でも1人だけ当選となる小選挙区で、益々我が天下と思いこむ傲慢さに拍車がかかり、有力政治家の証と見られる大学誘致を手掛けた。それがヒョウシ理工科大学なのは既知のとおり。
 このヒョウシ理工科大学の誘致は、元財務相の国家構想の一環でもあった。「日本は原爆を投下されて以来、核アレルギーに陥っている」などと講演会で発言して問題になったこともあることに代表されるように、元財務相は日本の核武装を主張していた。それを実現する足掛かりとしてヒョウシ理工科大学の誘致にかこつけて核燃料貯蔵庫を建設した。
 更に、この誘致活動の際、繋がりのある右翼団体から元陸上自衛隊の三佐を教授の1人として招聘した。例の非常時行動工学研究室の主宰者だ。その教授も典型的な核武装論者であり、右翼団体の集会などで核兵器による敵基地攻撃力の実現を提唱していた。元財務相はその教授に秘密裏の核兵器研究を指示していた。
 教授はその研究の過程で、強力な広範囲レーダーを導入したりしていた。その広範囲レーダーがある日ナチウラ市の沖合に偶然巨大な物体を捉えた。クロヌシだ。レーダーには映るけど姿は見えないその物体に教授は強い関心を抱き、調査した。そして僕とシャルが行きついたように、かつてナチウラ市を恐怖に陥れたクロヌシの存在を知った。
 教授は巨体の維持にかなりのエネルギーが不可欠と推測し、核燃料を餌に出来ないかと思い付き、核燃料の一部を近海に撒き餌のように配置してクロヌシを核燃料貯蔵庫におびき寄せるというとんでもない決断をした。結果これが成功し、教授はクロヌシの実在を知って元財務相に報告した。
 元財務相はクロヌシの研究のため、核燃料貯蔵庫に水槽を追加建設させて巣にするよう指示するに併せて、クロヌシが躾けられないかと考えた。クロヌシが伝承どおり人を食らっていたなら、核燃料を餌とすることで人を食らうのではなく捕える方向に。元財務相は教授にこの研究も指示し、それは成功した。
 ヒョウシ理工科大学建設以降、クロヌシは人を食らうのではなく捕えるようになって、捕えた人達を巣とされた水槽に運んだ。捕えられた人達は一旦地下牢に収容され、ある者は元財務相が経営するグループ企業で働かされ続ける奴隷にされ、ある者は核燃料の人体への影響を調べる人体実験材料にされ、ある者は研究室の学生の慰み者にされ、次々と息絶えて行った。
 僕とシャルに絡んできたあの院生達は、教授の走狗として秘密裏にナチウラ市に派遣され、めぼしい男女を探して深夜の海岸に連れて行くようにしていた。クロヌシの出現条件は不確定要素が多いとして、クロヌシに食わせる形で拉致することはあまりなくて、実際は自分達で拉致する回数の方が多かったようだ。何れにせよ、教授の指示で人を拉致していたのは間違いない。
 元財務相はこれらの動きを止めるどころか推進していた。それは問題の教授への多額の寄付という形でも現れている。元財務相はヒョウシ理工科大学に偽装した核兵器研究を、憲法改定と同時に公然化し、核攻撃拠点として整備する計画を立てていた。問題の教授を施設の長として、自分が国家の頂点として、それらを国家戦略として推進する計画だった。そのために地元を蹂躙することも、無関係の他人を犠牲にすることも何ら躊躇しなかった。それらが今、強制操作の際に発覚した情報や何処からかの流出として一気に表面化した。

『−このような計画です。随分スケールが大きくなりましたね。』

 僕は言葉が出ない。元財務相は私利私欲のために地元地域も、多くの人も犠牲にして、将来構想として核攻撃拠点の構築の前段階として核兵器研究を進めていた。クロヌシはその計画に利用されていた。クロヌシ自体、手配犯によってこの世界に持ち込まれなければ、別の形で活動できた筈。元財務相に拉致兵器として悪用されなければ、長い時間をかけて機能停止しただろう。クロヌシも元財務相に利用された被害者と言える。

『既に警察は元財務相と教授などに、原子力基本法違反や建築基準法違反、逮捕監禁や殺人の教唆などの容疑で逮捕状を取り、ヒョウシ理工科大学を含む元財務相のグループ企業全体に対する捜査令状を取りました。間もなく元財務相や教授などの悪事が白日の下に晒されます。ついでにヒョウシ理工科大学や元財務相も一巻の終わりでしょう。』
『…やっぱり…ヒヒイロカネは早々に回収しないといけない。この世界の人間じゃヒヒイロカネを正しく使えないよ。』
『残念ながらそうとしか言えません。元財務相の逮捕の瞬間が迫っているようです。』

 スマートフォンに映し出された映像は、異様に大きい邸宅前に私服と制服の警官が集結したところだ。先頭の人がインターホンを押し、少しの応対の後続々と邸宅に入って行く。暫くして多数の警官に周辺を囲まれながら、憮然とした顔つきの男性が出て来る。とても反省しているようには見えない。
 機動隊に阻まれているデモ隊から、激しい怒号が湧きおこる。だが、元財務相は憮然とした表情のまま、周囲を警官に囲まれて高級車に乗り込む。一般人だとパトカーなのに、こういうところにも特権階級に対する差が出る。容疑者の逮捕とは思えない護送の様子に、デモ隊からの怒号がより激しくなる。

『元財務相ともなると、容疑者になっても護送は丁重ですね。』
『実際そのとおりだけど…、この動画を見るくらいなら、このタワーじゃなくて良かったんじゃない?』
『これから面白いものが見られますよ。此処からじゃ始まりが見えませんから。』

 スマートフォンの映像では、パトカーに前後を挟まれた、元財務相を乗せた高級車が動き始める。容疑者の護送とは思えない。あれ?先導のパトカーが、機動隊に防護された別の道じゃなくて、機動隊の方へ進んでいく?ま、まさかシャル、タカオ市と同じように?

『ご名答ー。高級車は勿論、護衛のパトカーも制御システムを完全に掌握しましたー。ロックを外すことも、エンジンを切ることも出来ませーん。これから機動隊の防護壁を突破してデモ隊のど真ん中をゆっくりパレードしていただきますー。』
『ちょ、ちょっとシャル。』
『たかだか1/4程度の得票で神にでもなったつもりの世襲坊っちゃん議員には、神になったつもりで好き放題した結果がどうなるか、しっかり思い知っていただきましょうー。ついでに、容疑者の社会的地位だか権力だかで態度を変える、政治ヤクザを護る官営ヤクザ、警察の皆様方にもねー。』

 だ、駄目だ。怒りが頂点に達したシャルはもう止められない。機動隊の制止を振り切って、先導のパトカーから順にデモ隊の列に突っ込んでいく。デモ隊は一瞬戸惑った様子だったけど、権力の犬と見なしたパトカーへ突進し、パトカーを殴る蹴るする。機動隊が慌てて制止しようとするけど、続いて来た高級車も同様の動きで対応に戸惑う。
 元財務相は狼狽した様子で止めさせようとするけど、全ての制御をシャルに掌握されたから何も出来ない。漏れなくデモ隊の列に突っ込み、前後の護衛のパトカーより激しく殴る蹴るされ、プラカードを叩きつけられる。高級車は防弾仕様で頑丈だから見た目ダメージはないけど、パトカーは先導からかなり厳しくなっている。
 機動隊が慌てて車を止めようとしつつ、デモ隊を排除しようとするけど、数ではデモ隊の方が元々圧倒的。しかも怒りが爆発した状態だから、機動隊も餌食になってしまう。多数のデモ隊に引っ張りまわされ、盾や警棒を奪われ、地面に叩きつけられ殴る蹴るされる。逃げようにもデモ隊の壁に阻まれてどうしようもない。
 パトカーのガラスがついに破られ、中に居た警官がもみくちゃにされる。タカオ市でも見た光景だけど、あの時より人数が多い。デモ隊が次々と群がる中、次第にボロボロになって行くパトカーとそれらに前後を護られた高級車はなす術なく道路の中央をゆっくり前進し続ける。

『こちらをご覧くださいー。貧相な身体を刺青で飾ったギャングの親玉、馬鹿大学の馬鹿教授のご登場ですよー。』

 スマートフォンの映像に、別の道からデモ隊の列に突っ込んできた高級車が映し出される。アップにされた後部座席には、狼狽している白髪混じりの男性が居る。あれがヒョウシ理工科大学の非常時行動工学研究室の教授か。

『官営ヤクザに護られる予定だった性悪オヤジ達には、仲良く並んでデモ隊の中をパレードしていただきましょうー。』
『シャ、シャル…。』
『ギャングの親玉には親玉らしく、ヒロキさんとのデートを邪魔して私の本体を足蹴にさえしたギャング共の責任を取ってもらいますー。お仲間の政治ヤクザに護衛の官営ヤクザを加えて、ご一緒にどうぞー。』

 や、やっぱりシャルは、僕が殴られたことをずっと根に持っていて、報復の機会を窺っていたんだ。情報を流出させて逮捕やむなしという状況に持ち込んで、高級車で護送される時は、まさに報復の機会だった。それに護衛という形で与する警察も、シャルにとっては同類。10万を超えると見られるデモ隊の中央をゆっくり走らされるのは、市中引き回しそのものだ。
 パトカーはどんどん原形を失っていく。警官はついに一部がパトカーから引き摺り出されて激しいリンチを受ける。武装していても数で圧倒的に勝るデモ隊の前には無力。多分ヒョウシ市の警察署に護送される予定だったんだろうけど、到底パトカーは辿りつけそうにない。高級車も正直怪しい。

『県警に応援要請が入りましたけど、到着して事態収拾まで持つかどうかは、まさに神のみぞ知るですねー。神になったつもりならそれくらい分かると思いますけどー。』
『無茶だよ、それ…。』
『国家全権を掌握するつもりなら、それくらい予想できなくてどうするんでしょうねー。』

 シャルの皮肉は残念ながら元財務相には届かない。届いたところで今更どうしようもない。次第に見えて来た凄惨な市中引き回しの一部始終を、僕はスマートフォンと交互に見つめるしかない…。
 スクラップ状態になった上に炎上する2台のパトカー。バンパーが彼方此方凹んでガラスが割れたり罅が入ったりで無残な姿になり果てた2台の高級車。主要な国道と県道全面通行止め。デモ隊の逮捕者100名超え。警官の重傷者100名超え。元財務相とヒョウシ理工科大学の教授逮捕劇に伴う惨事の一部だ。
 警察側も護衛のパトカーに乗車していた人や機動隊を中心に、かなりの重傷者が出た。数で勝るデモ隊が、制止を試みた応援の県警も敵と認識して襲撃した結果だ。元財務相と教授は辛うじて応援の県警に救出されたけど、ホラー映画真っ青の襲撃で強いショックを受けて病院に搬送された。これにも別の顛末がある。
 最初は最寄りのヒョウシ市民病院に搬送される筈だったけど、元財務相はヒョウシ理工科大学の誘致を進めた張本人。しかもそのヒョウシ理工科大学への補助金のせいで、ヒョウシ市民病院は一時休診に追い込まれた。更に、元財務相は「国家財政の効率的運用の観点から、僻地医療は統廃合を進めるべき」とも発言している。それらを挙げた上で、「重篤でもない患者を受け入れる余裕は僻地医療の現場にはない」と搬送を拒否した。これも因果応報と言うんだろうか。
 他の民間病院も、元財務相のグループ企業の病院に色々迷惑を被っていたようで悉く搬送拒否。結果、数十km西ある、ヒョウシ市も含まれるC県の県庁所在地にある大学病院に搬送された。この県庁所在地、マスコミの本社が集中する東京にほど近いから、当然のように報道陣が殺到している。

「あの程度の襲撃で精神的ショックで入院だなんて、発言の割に小心者ですねー。」
「あれは相当怖いと思うよ…。」
「元財務相のグループ企業も、忖度どうこうする前に強制捜査が入りましたし、流出した情報は順調に拡散中ー。奴隷労働までさせていたグループ企業の存在自体が危うくなってますねー。金の切れ目が縁の切れ目を体験していただく機会は近づいていますよー。」

 この抑揚の乏しい、語尾が不自然に伸びる口調は、シャルの怒りが頂点に達した証拠。クロヌシに食われて核燃料貯蔵庫近くの牢獄に捕えられていた例の男性達も無事救出されて、こちらはヒョウシ市民病院に搬送された。衰弱していたけど生命に別条はないらしい。脚を切り落とされた男性は、一応奴隷にする準備として止血処理をされていたそうだ。
 元財務相やヒョウシ理工科大学関係のニュースが飛び交い、SNSは元財務相の罷免と懲役、ヒョウシ理工科大学の即時廃校など厳しい意見で溢れている。流石に場合が場合だけに、元財務相やヒョウシ理工科大学を擁護する声は見られない。出ても関係者の火消しと見なされるのが関の山だろうけど。
 主要な国道と県道が全面通行止めになったことで、僕とシャルは、シャルが検索したルートである蛇行を伴う県道を走って何とかナチウラ市に戻り、遅い夕食を取っている。最大の懸案であるクロヌシの無力化と回収は完了。後1つ残っている、天伏寺の宝物とされている記憶媒体のヒヒイロカネをどうするかは、シャルが対策を考えて明日実行する。

「今回も結構長く居たけど、この町に居るのは今日明日が最後かな。」
「そうですね。天伏寺の宝物とされているヒヒイロカネの回収を済ませば、この町での目的は完遂します。」

 時期的なものと場所的なもので出来るだけ早く後にしたかった此処ナチウラ市も、振り返ってみればひと月近く過ごした。この旅館の人達ともすっかり顔見知りになって、今日はヒョウシ市に居るから帰りが遅くなると連絡を入れたら、夕食の準備を後ろにずらしてくれた。
 旅館の経営方針や働いている人達の気質もあるんだろうけど、僕が望んでいた人間関係や家族の1つの形が、この旅館にあったように思う。そんな旅館を離れるのは少し名残惜しいけど、ヒヒイロカネ回収の旅はまだまだ序盤。この旅館での生活は思い出の1ページにして、次の候補地に向かう必要がある。

「天伏寺の宝物回収には大した時間を要しません。明日もう1泊してから出発しませんか?」
「シャルは何かこの町でしたいことがあるの?元財務相関連は別として。」
「海に行きたいです。明日は快晴の予報も出てますから、絶好の海水浴日和ですよ。」

 それが目的だったか。ナチウラ市の海水浴場は設備が綺麗だしルールが徹底されているから、タトゥーで威圧しながら徘徊する連中はそもそも入れないし、安心して海に繰り出せる。シャルとしても人体創製ならではの体験が出来るし−多分本体が海水に浸っても問題ないだろうけど−、水素も補給できる。季節も海水浴に適してるし、行ける時に行っておきたいんだろう。

「勿論、あの水着を着ますからね。」

 シャルは悪戯っぽい笑みを浮かべる。あの抜群のスタイルを引き立てるスカイブルーのビキニの水着は、バーベキューをするための買い出しの際にシャルがショッピングセンターで見かけて即決で買ったものだ。試着しないで買って大丈夫かと思ったけど、シャルの能力なら比較検討なんて造作もないことだろう。
 即決とは思えないほど似合ってるし、何より抜群のスタイルが際立つ。シャルは気付いてないか意に介していないかのどちらかだろうけど、シャルの水着姿は周囲の視線を集約する威力を持っている。その分、そんなシャルと海水浴に興じる僕に、男性から刺すような視線が向けられたこともあったけど。

「楽しみでしょ?」
「…正直言って、そうです。」

 誤魔化したりはぐらかしたりしても、ダイレクト通信が出来るこの状況、シャルに改造された腕時計を填めている状況では、シャルにはほぼお見通し。シャルも全部把握してはいないし、把握しても理解が及ばない場合もあるけど、「僕がシャルの水着姿を見たいと思っているか」なんて誤解のしようがない…。

「お待たせしました。」

 翌日。海水浴場の更衣室前で待っていた僕の前にシャルがやって来る。スカイブルーのビキニで部分的に覆った抜群のスタイルは、やっぱり周辺の視線を集約する。東京の都心部を少し歩いたらスカウトの1人や2人簡単に寄って来るだろう。

「行こうか。」
「はい。」

 シャルの手を取って砂浜へ向かう。シャルを視線に晒し続けたくないのもあるし、シャルと手を繋いで海水浴に繰り出せることを自慢したい気持ちもある。砂浜で軽く準備運動をして、ゴムボートを膨らませて海に繰り出す。海を堪能する前に少しばかりすることがある。

『機動部隊の艦船の収容を完了しました。』

 忘れちゃいけない、機動部隊の回収。今回初登場のイージス艦や潜水艦が、シャルに取り込まれる。サイズはどれも僕の腕の長さあるかないかだけど、クロヌシをひるませる艦砲射撃や魚雷攻撃など、本物の艦船と遜色ない攻撃力だった。海底にも潜ったクロヌシの追跡と「巣」の発見には、機動艦隊の力が欠かせなかった。

「これで、この地域にあったヒヒイロカネは完全に回収できたね。」
「はい。予想外の大捕物になりましたが、クロヌシに取りついていた悪性の寄生虫の存在も暴けました。クロヌシは伝説上の存在として、寄生虫は稀代の悪党の負の遺産として、末永く語り継がれるでしょう。」

 寄生虫ことヒョウシ理工科大学と元財務相は、もはや風前の灯となっている。元財務相が代表取締役会長として君臨するグループ企業には警察の強制捜査が入り、労働基準法違反をはじめ、クロヌシ経由で得た奴隷の逮捕監禁・傷害致死など多数の容疑が明らかになり、幹部や社員が次々と逮捕されている。社員からはそれらを裏付ける告発が相次ぎ、労働組合が結成され、未払い残業代の支払いを求めて提訴する準備を進めている。
 元財務相の地位を支えていた後援会も、「もはや後援できる状況ではない」と解散を決めた。日本では、大半の政治家は個人単位の後援会の力が当落を決める。その構成が地域住民か企業かの違いや比率はあるけど、後援会なくして選挙に纏わる人も資金も集められないのが実情。元財務相の次回選挙での当選はかなり危うくなったのは間違いない。
 更にナチウラ市やヒョウシ市が属するC県の党県連と、盟友とされる首相が「地元自治体に甚大な負担を齎した責任は重い」と離党勧告を出した。国会でも野党が辞職勧告決議案を共同提出し、異例の与党の賛成も確実視されている。この状況下で議員辞職したら次の選挙での当選が厳しいだけに、元財務相は瀬戸際に追い込まれた格好だ。
 実質的なグループ企業の1つであるヒョウシ理工科大学は、国際原子力委員会が強制査察に入り、核燃料の貯蔵を正式に公表した。更に核兵器開発に必要な遠心分離機などの存在や、核攻撃拠点計画の文書も公表され、流出した情報が公的に裏付けられた。
 文部科学省も重い腰を上げ、ヒョウシ理工科大学の大学法人認可の取り消しの検討に入った。大学法人の認可が取り消されたらヒョウシ理工科大学の運営は不可能になる。地元ヒョウシ市は元財務相とグループ企業に対して全面負担でのヒョウシ理工科大学の廃校と核燃料貯蔵施設の即時完全撤去を求め、市長と市議会が連名で提訴する方向だ。
 これからの動きは僕やシャルには分からないし、干渉することはない。ただ、やっぱりヒヒイロカネはこの世界では決して正しく使えないことが改めて明らかになった。何故かつてこの世界にあって、今はこの世界にあってはならないとされているのか、痛いほど分かった気がする。

「今回は、手配犯の行方は掴めなかったね。」
「はい。ですが、優先順位はヒヒイロカネの無力化と回収で揺るぎません。ヒヒイロカネをこの世界から完全に回収すれば、手配犯のカードはなくなります。」
「この先どういう形で出くわすか分からないから、油断は出来ないね。」
「タカオ市で拘束した手配犯は、かなり高度な人格OSを搭載したヒヒイロカネを従えていました。SMSAの事情聴取は続いていますが、今回のようにヒヒイロカネと知らずに自分の欲望で悪用している例はあるでしょう。そして政権や大企業などの暗部に根をおろしている確率も否定できません。」
「ヒヒイロカネ自体はあくまで自己修復機能や増殖機能を持つ金属という物質なんだけどね。」

 同じくヒヒイロカネの−どうも最近は意識しないとそう思えなくなってきている−シャルも、意思を持っていたり考えたりするのは人格OSを搭載されているからであって、本来はあくまで自己修復機能や増殖機能を持つ金属。それだけでもこの世界の文明レベルを凌駕するけど、ヒヒイロカネ自体に悪意も何もない。
 クロヌシがかつて人を食らい、これまでは人を攫っていたのは、人間にそのようにプログラムされたか躾けられたかの結果でしかない。あくまでヒヒイロカネは物質であり材料であって、使うのはあくまで人間。その人間が悪意に塗れていれば、ヒヒイロカネが悪意で使われる。包丁や銃と同じだ。
 高度なものであるならより使う側が慎重に使わないといけない。だけど、その背景になるべき倫理やコンプライアンスが叫ばれても不祥事は尽きないどころか、ばれたのが不運であり、ばらした者が悪という観念さえ未だにある。それどころか内部告発=裏切りという図式が綿々と続いてさえいるのが実情だ。これじゃ倫理やコンプライアンスどころの話じゃない。

「シャルの世界でヒヒイロカネを取り扱うには、講習とか試験とかある?」
「身上調査の上、2段階の記述試験と2段階の適性検査をパスして、専任講習を一定期間受講して初めて免許が交付されます。免許の更新も記述試験と適性検査を全てパスしないと出来ません。」
「やっぱり相当厳しいんだね。当然とは思うけど。」
「ヒヒイロカネは使い方次第で人間や社会に重大な危害や悪影響を及ぼす恐れがあるので、扱う人間は専門性もさることながら非常に高い倫理性が要求されます。いかに機械化しても機械で及ばない領域があって、そこに人間が介在する以上、どうしても個々の人間の倫理観が必要になるんです。」
「材料や道具のレベルと人間の倫理のレベルは比例しないんだよね。悲しいけど、そういう現実がある以上、この世界からヒヒイロカネを回収する以外にないね。」

 これまでの回収では、全てヒヒイロカネを悪用する輩が居た。詳細は違えども、動機の根幹にあるのは「他人を犠牲にしてでも自分を護り、利益を得る」という利己主義の塊。手配犯の持ち出しの意図は不明だけど、そのために警備員や作業員を殺害したというし、ヒヒイロカネを悪用しようとする者は心が共鳴でもするんだろうか。
 これから先、ヒヒイロカネがあるところに人間の悪意があるんだろうか。人格OSを搭載されなければ生物のような機能を有するとはいえ金属でしかないヒヒイロカネが、文明レベルが大きく違うこの世界に持ち込まれたことでどうなるか、手配犯は考えずに持ち込んだんだろうか?それとも…、分かっていたからこそ?

「ヒヒイロカネを回収すれば、このナチウラ市みたいに伝説は本当に伝説になるかな。」
「なりますよ。必ず。」
「ヒヒイロカネと絡む相手がどんな手を使って来るか分からないから、知恵を絞っていかないとね。」
「はい。私も全力でヒロキさんをサポートします。」

 ヒヒイロカネに纏わる考察は尽きない。だけど、それは僕の旅の本来の目的じゃない。ヒヒイロカネを回収していくこと。その旅にはシャルが居る。全てを捨ててこの旅に出た僕の意思は変わらない…。
 翌日。何となく住んでいた感覚があった旅館をチェックアウト。クロヌシが出現する条件を探るのもあって5回も滞在を延長した。決済はカードで完了しているけど、朝食を済ませたら従業員の大半が見送りに出てくれた。名残惜しさを感じつつ、シャル本体のシステムを起動して次の目的地に向かって出発した。

「良い人達でしたね。」
「うん。出来るだけ早く出たいと思った町だったけど、旅館と食べ物は良かった。」

 次の目的地は4時間ほど。最寄りのイイダテインターまで、何度か走って渡った国道を走る。クロヌシは本当の意味で伝説になった。伝説の存在に寄生して悪事を企て働いていた連中は破滅への道を邁進している。それを見届けるのは僕とシャルの目的じゃない。これから先は検察と裁判所、そして有権者が決めることだ。

「まだ暑い季節は続きますから、機会を見つけて海やプールに行きましょうね。」
「シャルは泳ぐのが気に入ったみたいだね。」
「身体が浮かぶ感覚が気に入ったのもありますけど、ヒロキさんの注目の度合いが増すんですよね。」

 シャルが悪戯っぽい笑みを浮かべる。分かってて言ってるな…。でも実際、あのスタイルであの水着は大半のグラドルが裸足で逃げ出すレベル。シャルは自分の容貌のレベルの高さを理解してる。そういう人がスタイルが分かる服装になると、視線を集めるものになる。海水浴場はまさにシャル・オンステージだった。
 そのシャルと手を繋いで泳いだりゴムボートで寛いだり、浜辺で日焼け止めクリームを塗ったりしたのは、かつての僕の環境では考えられない。刺すような視線を感じたこともあったけど、それはシャルを連れている代償だからちょっとばかり、否、かなりの優越感を覚えた。
 次の目的地はどちらかと言うと市街地。タカオ市の例でも都市部はヒヒイロカネの探索が難しいと感じる。現代のジャングルは高度なテクノロジーを隠蔽するにはむしろ好都合な面があるのかもしれない。だから、次にシャルの水着姿を見るのは当分先になるだろう。

「四六時中捜索するわけじゃありませんから、海やプールに出かければ見られますよ。」
「今度の目的地だとプールの方が近いかな。だけど…。」
「私の水着姿を他の人に見られたくないとかー?」

 シャルの問いかけに、僕は言葉に詰まる。事実だからな…。今シャルがどんな表情をしてるか、大体想像できる。「そうだと言いなさい」的な笑みを浮かべて僕を見てるだろう。否、そうに違いない。間もなくイイダテインターに入るから、運転に集中することを言い訳しておこう…。
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