謎町紀行

第25章 港町の外れに佇む学生ギャングの巣窟

written by Moonstone

 何も起こらないまま3日が過ぎた。シャルが24時間体制で監視しているけど、クロヌシの出現もなければ海鳴りもなく、海は至って平穏だった。警察の現場検証が3日目に完了したことで、バーベキューしたさに警察と時に押し問答していた連中による喧騒も収まった。
 海鳴りとクロヌシが関係していることは、この3日間の挙動だけではまだ断定は出来ない。有力な条件である天候との相関関係がまだ分かっていないからだ。3日間とも晴れ。多少波は高くなったことはあったけど、晴れの時はクロヌシは出現しないと断定できるには至らない。
 上空に早期警戒機1機と戦闘機20機、海上にイージス艦5隻、海中に潜水艦5隻、シャル本体の周辺に戦闘ヘリ10機。当然ながらこれらの機動部隊の出番はまだない。エネルギーの面はシャル曰く、この状態なら3カ月以上常時展開・監視も問題ないそうだ。
 何もないと手持無沙汰だから、海に行ったり周辺の町に行ったりと呑気に観光を楽しんでいる。この地域は電車がないから、何処へ行くにも車は必須。対クロヌシの機動部隊も考慮して、念のためこまめに水素を充填しつつ移動している。
 海沿いに東に暫く走ると、なめろうが有名なヒョウシ市がある。今日はシャルの希望でなめろうとヒョウシ鉄道目当てに、朝早くからヒョウシ市に向かうことにした。国道から入ると、丁度ヒョウシ鉄道の終着駅、カワチ駅に近い。

「大きな建物があるね。」

 海沿いに海と森を見ながらの走行を続けて急に開けたと思ったら、海に近いところに巨大な建物が幾つか林立している。敷地に対して建物はかなり少ない。リゾートホテルか?

「ヒョウシ理工科大学です。私立の理工系大学の1つです。」
「こんなところに大学があったんだ。」

 郊外に大学があることは珍しくないけど、此処にあるのは予想外だ。ヒョウシ鉄道の終着駅があるにはあるけど、単線のローカル線で、本数も多いとは言えない。しかも、ヒョウシ市自体人口は多くない。そんな立地で学生を多く集められる総合大学じゃなくて単科大学に近い大学があるのは不思議だ。
 ナビによると、最初の目的地であるカワチ駅は、このまま大学のキャンパスを右手に見ながら走って行けば良い。一直線なのに何故か信号がある。学生の横断用だろうか。立地の問題で近くに寮があるのかもしれない。
 丁度、その信号が赤になった。当然ながら停止。横断歩道前に固まっていた学生らしき若者達が道路を渡り始める。やっぱりこの信号は学生の横断用らしい。そういえば、道路も歩道も結構立派だな。周辺にホテルは勿論、マンションや民家もないようだけど。
 ん?若者達がこっちを見て何か驚いた様子だ。頻りにこっちを指さして何か言ってる。昨日水素の充填ついでに洗車したし、シャル本体は見た目ごく普通のコンパクトカーだから、驚く要素も何もないんだけど。

「ヒロキさん。信号が青になったと同時にアクセル全開でスタートしてください。」
「アクセル全開で?分かったけど、どうしたの?」
「奴等は私を見つけていきりたち、車から引き摺りだそうと言ってます。」
「ええ?!」

 山賊じゃあるまいし、と思ったけど、反対側に渡った若者達がシャルの居る助手席側に固まって、頻りにシャルを指さしながら何か言っている。助手席のドアがガタガタ言い始めた。助手席を開けようとしてる!

「これ以上私に触るな!!」

 シャルの嫌悪感と拒否感が最大になった口調の怒声が響く。助手席側に近づいていた若者達、否、連中が勢い良く仰け反る。シャルが高電圧ショックか何かで弾き飛ばしたんだろう。信号が青になった。僕はアクセルを全力で踏む。シャル本体は一気に加速して魔の横断歩道を後にする。ものの5秒も経たずに魔の横断歩道は見えなくなる。

「自動ロックだから良かったけど、何も知らずにロックしてなかったら危なかったね…。」
「御免なさい。怒りのあまり、ヒロキさんを拒否するような言葉になってしまって…。」
「それは気にしないで。僕に言ったんじゃないって分かってるから。それにしても何だったんだ、あいつら…。学生じゃないのか?」
「キャンパスから出て来たので、学生には違いありません。倫理的水準が野生動物レベルという条件は付きますが。」
「カワチ駅はもうすぐだから、そこで調べよう。」

 唐突に日本じゃなくなったようなアクシデントに遭遇した。尋常じゃないなんてどころじゃない。あれが大学生と信じる方が無理というもの。流石に追っては来られないだろうし、カワチ駅で落ち着いてから調べたりしよう。
 カワチ駅近くの駐車場にシャル本体を止めて、シャルお勧めのイタリアンレストランに入る。木造の昔ながらの駅舎の中にあるからどんなものかと思いきや、凄く洒落た洋風の店だ。洋風と言っても調度品は落ち着きのあるもので纏められていて、明治大正時代の趣に近い。
 料理は予想外に魚介類が主体。シーフードパスタとかブイヤベースとか、魚介類を使った洋食メニューで固められているのが特徴だ。この魚介類はヒョウシ漁港で水揚げされたものだから、新鮮さは折り紙つきだ。こういう店をピックアップできるところに、シャルの情報収集能力を窺わせる。
 店の客は複数の女性客かカップル。シャルはそんな女性比率が高い中でも際立った容貌だ。歴史ある洋風建築という店の雰囲気にもしっくり来る。シーフードパスタのセットメニューを頼んで待つ間、突然のアクシデントに関して調べる。

「例の大学は、曰く付きのようですね。」
「周辺住民からの評判が悪い?」
「それどころじゃありません。これを見てください。」

 シャルがスマートフォンに出したWebブラウザには、「ヒョウシ大動物園」「世紀末大学伝説・ヒョウシ理工科大学」など、ヒョウシ理工科大に関する悪評の見出しが並んでいる。大学の評判を集約したサイトらしいけど、良い評価は数えるほどしかない。その良い評価にもそれを引用する形で「実態を知らないのか大学関係者なのか、どちらにしても無知」「これだけ悪評が定着しているのに無駄な小細工」など手厳しい反論が幾つもなされている。
 次のシャルが開いた画面は、「ヒョウシ理工科大学の実態」と題したブログ。「理工科大学と言いながら、まともな理工系学科は1つもない」「講義は中学どころか小学レベル」「留学生をかき集めて学生数を水増ししている」と、大学の体を成していない学生の学力を告発している。
 それだけなら、定員割れして経営が怪しいと言われる地方の私立大学とかで耳にする話だけど−あっちゃならないのは言うまでもない−、そこからが異質だ。「学内は至るところで飲酒ドラッグ、博打にセックス」「学外では空き巣強盗、ひき逃げ強姦」と大学とは思えない学生のモラル崩壊ぶりを告発している。一見信じられないが、ついさっきのアクシデントを踏まえると嘘や誇張とは思えない。

「何だこれ…。」
「キャンパスの立地が、これらの告発を間接的に裏付けています。」

 シャルがスマートフォンに出したのは、大学周辺の地図。住宅地とあからさまに距離を置かれている。大学と周辺地域を結ぶのは、僕とシャルが走ってきた道路1本だけ。脇道もないし、一定距離より内側には民家も店もない。確かに僕とシャルが走って来た道は、大学キャンパス以外何もなかった。

「大学の誘致自体が曰く付きなので、教育や学生自身も自ずと曰く付きになるのかもしれません。」

 シャルがスマートフォンに別のブログを出して、概要を直接僕の脳に伝える。ヒョウシ理工科大は、先代の市長が誘致を公約に掲げて当選後、誘致した。それだけなら特段珍しくはないけど、誘致に至る構図は完全に政財界の癒着だ。
 元市長は東都大法学部卒の元財務省官僚。そこから外資系コンサルタント→衆議院議員秘書→市長という経歴を辿っている。典型的なエリート官僚卒の自治体首長の経歴だけど、秘書をしていた衆議院議員と外資系コンサルタントが癒着していた。
 衆議院議員は、僕とシャルが滞在中のナチウラ市とヒョウシ市からなる選挙区の選出で元財務相。外資系コンサルタントの日本法人社長は元財務省官僚。この財務省官僚ルートで、元市長はヒョウシ市に送り込まれて市長になったというわけだ。
 そして実行したのが公約にも掲げていた大学誘致だけど、これは衆議院議員が財務相当時に、規制緩和特区として自分の地元を推して、大学誘致の際にネックともなる用地買収で外資系コンサルタント社長が市長の顧問として入り、用地を破格の価格で買収すると同時に、市から巨額の財政支援を取り付けた。
 この時点で大学誘致を疑問視あるいは癒着の構図を告発した市民や団体もあったけど、ここでも市長言いなりの市議会がまともなチェックなしに各種条例や予算案を可決させて、ヒョウシ理工科大学があの場所に誘致・設立された。
 市長や衆議院議員が喧伝したバラ色の未来とは逆に、昨今の社会問題の1つと言える少子化と交通アクセスの悪さで学生数は初年度から定員割れ。しかも理工科大学を標榜しながら理工系学部はなくて、安全保障学部という一見して学部の方向性が理解できない学部しかなくて、新設大学という不利な要素を加えて卒業生の就職難が表面化した。
 大学側は国際化を掲げて留学生を多数入学させたけど、これが碌に学力のない、技能研修という名目で入国させた外国人ばかり。そんな右も左も分からない外国人を、辺鄙な大学に押し込んだらどうなるか。不満が募ってその捌け口が大学内外に向かうのは自明の理。
 日本人の学生も、偏差値で言えば大学に入るに値しない学生ばかり。結果、講義は体を成さず、学生は大学では飲酒はおろかドラッグに手を出し、博打やセックスに興じ、それでは飽き足らないと大学の寮を抜け出してある者は周辺の民家や企業に空き巣や強盗をしでかし、ある者は盗んだ車でひき逃げ、更には女性を拉致して強姦するまでに至った。大学のキャンパスと寮を結ぶのが、僕とシャルが学生を標榜するギャングに遭遇したあの横断歩道というわけだ。
 蛮行の数々に周辺住民の怒りが爆発し、大学と市長、そして衆議院議員に激しく抗議して、大学に警備員が常駐し、指定時間以外の外出禁止など綱紀粛正を約束させた。それでも一旦定着した大学の悪評はそう簡単に消える筈もなく、学生の定員割れと大学の体を成さない状態が常態化している。
 大学誘致によるバラ色の未来は、市の行政サービスを見れば全くの虚構だったことが直ぐ分かる。外資系コンサルタント社長を介した契約による巨額の財政支援の影響で、市民病院と学校給食の休止、学校施設の老朽化など、様々な方面に重大な悪影響が出た。
 そして6年前、大学誘致による負の遺産の数々に対して、元無所属市議が大学への財政支援の抜本的見直しと行政サービスの回復を公約として立候補して接戦を制して当選。市長は外資系コンサルタントや元市長派が多数を占める市議会の圧力や妨害に負けず、市民の後押しを受けて大学への財政支援を大幅に縮小し、それで生じた分を市民病院の再開に向けた医師の招致や学校への予算に向けた。
 2年前の選挙では、現職となった市長が大差で再選。大学の周辺住民への悪影響の他、1期目の途中で明らかになった、外資系コンサルタント社長を介した衆議院議員への巨額の税金還流の構図、そして市議選で現市長派が多数となったことを背景に、大学への財政支援を完全に停止することに成功した。
 更に、2期目の冒頭で、大学が用地買収を格安で出来るように、衆議院議員が財務省に指示して大学の経営法人が市有地を格安で買収できるようにしたことが明らかになった。しかも、大学の経営法人の監査が外資系コンサルタントであり、その監査も極めて杜撰、そして粉飾決算していたことまで。まさに政財界の癒着の構図だったわけだ。
 この結果、大学は市側の財政支援停止を受け入れざるを得ず、外資系コンサルタントは社長共々逃げるように日本から撤退。衆議院議員は財務相の引責辞任に追い込まれた。大学はヒョウシ市の負の遺産として今もあそこに隔離された形で存在している。

『…言葉が見当たらないとはこのことだね。』
『経営法人は衆議院議員のグループ企業ですから、衆議院議員を完全に首にして政界から追放しない限り、存在し続けるでしょう。大学の悪評と共に。』
『こんな状態だと、このあたりの人達にとって大学は近寄っちゃいけない場所として扱われてるんじゃない?』
『勿論そのとおりです。店は大小問わずヒョウシ理工科大学の学生は出入り禁止、入店の場合は即警察に通報という申し合わせがあります。警察が特に夜間に重点的にパトロールしていますし、女性や子どもは夜間の外出を控えるか車による送迎を強く推奨されています。』
『刑務所周辺でもないような状況だね…。』

 大学というより、ギャングやマフィアの養成機関みたいな感すらある。これじゃ周辺住民にとっては核爆弾あるいは放射性廃棄物でしかない。謳い文句である「日本の大学初の安全保障専門の学部」が聞いて呆れる。自分の利益を最優先にした政財界の癒着の負の遺産は、過疎化が進む地方自治体には重い。現市長が財政支援を打ち切れたのがせめてもの救いか。
 運ばれて来たシーフードパスタのセットメニューは、魚介類がシンプルなソースと調和していて美味しい。サラダとスープも鰯のつみれとかシーフードをふんだんに取り入れている。シャルが選ぶ理由が分かる。
 予想外にとんでもないアクシデントに遭遇したけど、ヒョウシ市自体に悪い印象はない。次はヒョウシ鉄道に乗って、なめろうが美味しいと言われる料理店に向かう。シャル本体でも十分行けるけど、敢えて電車に乗るのはシャルの希望だ。
 シャルが創られた世界は電車がないそうだ。それ以上は聞いてないけど、恐らくリニアモーターカーとかもっと高速なものなんだろう。行く先々でゆったりしたローカル電車に興味を示すのは、そのためだと思う。僕も車通勤だったし、電車に乗るのは新鮮だ。
 この地域を離れれば、ヒョウシ理工科大学のギャングまがいの学生と会うことはないだろうし、なめろう尽くしの料理も待っている。料理店は既にシャルが予約を入れてくれているし、あのアクシデントは文字どおりアクシデントと割り切って、シャルとの観光を楽しもう…。

「脳波異常なし。骨折など重篤な外傷はなし。左頬の打撲と口内の裂傷、並びに右側頭部の打撲は治療の上、念のため鎮痛剤を投与しましたから安心してください。」
「ありがとう…。」

 旅館の部屋でシャルの診察と治療を受けた僕は、思わず溜息を吐く。シャルの希望を全部叶えて、僕も満足して旅館に帰ったと思ったらこの様だ。自分があまりにも情けなくて仕方ない。

「ヒロキさんが情けないと自分を責める理由は何もありませんよ。」
「僕が何も出来なかったのは事実だから…。」
「それは事実の誤認です。ヒロキさんは私を助け、守ってくれました。ヒロキさんは完全に被害者です。気に病む必要はありません。」
「うん…。」
「私の役割はヒロキさんのサポートです。むしろ今回の事態では、私のサポートが遅れたことを咎められるべきところです。」

 シャルのフォローがありがたくもあるけど、同時に自分の情けなさを思い知らされる。首を横に振ることしか出来ない。

「今日は寝ましょう。」
「うん…。」

 本当なら今日の出来事を振り返って楽しみを反芻できるところなのに…。シャルに申し訳ない。こんな体たらくの僕が情けない…。

…。

 ん…?この音は…人の声?かなり近いような…?!シャ、シャル!ま、またシャルを抱きしめて寝てた!ということは、またシャルが僕の布団に?も、物凄く顔が近い。そ、それよりもうっすら部屋に入って来る赤い回転灯は何だ?警察?救急車?

「うーん…。警察と救急車が半々ですね。」
「ク、クロヌシがついに出現したの?」
「あー、いえ、日焼けとタトゥーとピアスで雄の孔雀気取りのヤクザもどきが、自業自得で血まみれになっただけです。」
「もしかして、昨日帰って来た時の…?」
「ホント、馬鹿は何処までも馬鹿ですねー。自分の意思に関わらずに国道のど真ん中での乱闘騒ぎに至った時点で懲りておけば良いものをー。」

 起きて様子を見ようとしたけど、シャルが離してくれない。1つの布団の中で完全に抱き合って寝てる状態のままで居ろってことか?

「血まみれになったゴミ屑共の病院送りなんて、見世物でもつまらないですよー。」
「何があったの?」
「起きないでこのままで居るって約束してくれるなら、お話します。」

 …正直、この状況をわざわざ手放してまで深夜の喧騒を見に行く理由はない。布団の中で、シャルの物凄い柔らかさと甘酸っぱい匂いに包まれながら、何があったのかを聞くことにする。集中できるかちょっと不安ではあるけど。

 昨夜、旅館到着直後のアクシデントに責任を感じてすっかり意気消沈している僕が眠ったところで、シャルが身体を起こす。あのアクシデントは、勝手に自分達より劣ると判断した者が実は自分達より優位であることに醜く嫉妬することをメンツと言う低能連中が、言いがかりをつけたことが発端。僕には何の責任もない。
 折角良い記憶を作って過去を意識の奥底に押し潰したのに、僕に新たに嫌な記憶を植え付けようとする。人物が変わっても共通項がある人間だから、考えや行動も共通するものがある。本当に迷惑な話だ。クロヌシ出現を待つ間、観光に繰り出すことの何が「見せつけている」のか。画像ソフトや化粧で修正しないと外を歩けない女しか連れて歩けないことを恨んでいれば良いものを。
 あの連中は、バーベキューが出来ないと警察で押し問答していた一方で、連日クロヌシを待つ間の観光に繰り出していた僕とシャルが見せつけていると決めつけ、一昨日の夜、ヒョウシ市巡りから帰還した僕とシャルに因縁をつけて、シャルを無理やり連れて行こうとした。
 僕は反射的に連中の手を振り払い、シャルを背後に回した。それがカッコつけていると更にいきり立った連中の1人が、僕の左頬を殴打した。不意の攻撃に僕はもんどりうって倒れ、弾みで頭を打った。
 その瞬間、シャルの怒りが一気に沸騰した。「邪魔者」が居なくなって余裕でシャルを引っ張っていこうとしたところで、連中の身体が硬直し、唐突に近くに居た仲間を殴った。シャルが分離創製した紙人形のような薄いヒヒイロカネが連中の背後に取り付き、シャルの意向で同志討ちさせたのだ。
 完全にキレたシャルは、連中を同志討ちさせながら国道に引きずり出し、国道のど真ん中で乱闘騒ぎを起こさせた。夜とは言えこの地域を結ぶ重要な国道だから、結構な交通量がある。そんな国道のど真ん中で双方向の交通を遮断して乱闘騒ぎを起こせば、警察沙汰になるのは自明の理。
 暫くして通報で駆け付けた警察に連行された連中は、一晩留置場に入れられ、厳重注意の末に釈放されたようで、昨夜戻って来た。警察が駆けつけるまでクラクションの嵐に晒されながら「やめろ」「そっちこそ」とわめきながら同志討ちの乱闘騒ぎを起こしたことで、傷だらけ絆創膏だらけだった。
 正直、シャルの怒りは収まっていない。国道に引きずり出したついでにトラックやダンプカーに突っこませようとすら思った。だけど、それだと何の関係もないトラックやダンプカーの運転手が無用な罪を背負うことになる。それは僕が望んでいることじゃない。しかし、無様な姿で戻って来た連中は、丸潰れになったメンツの回復に執着しているようで、シャル本体に近づいてきた。
 怒りが再燃したシャルは、ACSを最高レベルにしてから、僕の布団に潜る。僕を起こさないように慎重にずらして隣で横になると、幾分怒りが鎮まって行く。あの連中には、僕の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいが、その爪の垢ももったいないと思うほど、連中が忌まわしい。

「チックショー。あいつらのせいで酷ぇ目にあったぜ。牢屋に一晩ぶち込まれた揚句、ポリに『次はない』って言われちまうし。」
「にしても、あの女、凄ぇ良い女だったよなー。ハーフか何だか知らねーけど、アイドル級の顔に金髪ナイスバディって最強だよな。」
「男の方は弱っちいくせに粋がってるけど、女の方は何かヤバい感じがする。まあ、男を人質にとってやれば、好きに出来そうだけどな。」

 やっぱりこの手の連中は野生動物と同じで、本能的に危険を察知するようだ。だけど、僕を人質に取ったところで、その汚らしい腕を2本とも切り落としてやるだけだ。それにしてもこの連中、シャル本体に八つ当たりでもする気だろうか?ACSが最高レベルになっている今、本体に髪の毛一本でも触れた瞬間、暫く筋肉が硬直して動けなくなるレベルの電撃が襲うだけだ。
 シャルは再びふつふつと怒りが湧き立ってくるのを感じる。折角僕の過去の嫌な記憶を埋め潰してクロヌシなるヒヒイロカネの出現に備え、それまで楽しい時間と記憶の共有を図っているところなのに、あのアクシデントで僕がシャルを守れなかったと意気消沈してしまい、昨日は海に繰り出すことも出来なかった。
 シャルは海が気に入っている。人体創製で初めて海に入って泳ぐことを体験できて、何もしなくても身体が浮かび、少し潜れば夜とは違う静けさがある。肌に触れる感触も空気と異なる心地よさだし、無尽蔵に近い水素を得ることも出来る。
 何より、海に入る際に水着という専用の肌着のようなものに着替えることで、僕の関心の度合いが高まるのを知った。肌着と異なるのは水に浸した際の伸縮性と生地の厚み程度だが、昼間堂々と披露できるし、僕の関心が高まる便利アイテムと認識している。
 水着を着て海に繰り出して、僕との楽しい時間と記憶を増やそうとしていたのを妨害して、しかも今は逆恨みで自分の本体に何かしようとしている。勝手な格付けの挙句、自分の欲望が満たされないと知るや、いきなり他人を殴打する者など一撃で終わる電撃では生温い。僕の痛みを思い知らせてやる。
 シャルは敢えてACSをOFFにする。そして連中の先制攻撃を待つ。少しして、連中の1人がシャル本体を足蹴にした。シャルは怒りと不思議な高揚感を覚え、待ってましたとばかりに敵対者排撃機能の1つを作動させる。
 次の瞬間、連中の全身に無数の赤い筋が走り、肌と服が至る所で口を開け、鮮血が迸る。連中は声もなくその場に倒れ伏す。シャルの敵対者排撃機能の1つである複数同時高速寸断機能、通称「乱れ斬り」。光学迷彩を施した、鋭利な刃物が先端に付いた細いケーブルを超高速で動かし、対象を寸断する。その気になれば人間など簡単に細切れ肉に出来る。
 敢えて刃物を小さくして、切り口を全体的に浅めにする代わりにケーブルを多くして頭から足まで漏れなくめった切りにした。ご自慢のタトゥーも容赦なく切り刻んだ。連中が声を上げないのは、「乱れ斬り」を発動した瞬間に口を塞いだから。本当は汚らしいから触れたくないけど、あくまで近所迷惑対策だ。
 腱という腱はきっちり寸断したから、連中は身動き1つ取れず、ただ自分が垂れ流した血に突っ伏し、全身を襲う激痛に苛まれるだけ。これでもまだシャルの怒りは収まらない。僕の痛みはこんな程度じゃない。全員の首根っこを掴んで首吊りの要領で無理やり立たせ、刃物付きのケーブルで全身をめった刺しにする。急所は外して何より苦痛を与えることを優先する。
 ご自慢のタトゥーなど見るも無残に線と穴でズタズタ。連中自体も全員ぼろきれを纏っているような状態。口を塞いでいたケーブルを外しても、血は出るが声は出さない。まだ生命反応はあるが、このまま放置すれば自分が垂れ流した血の海に沈んでいくのは時間の問題だろう。だが、それすらもシャルは安楽死と認識する。
 シャルは選択した。全身バラバラに切り刻んでやる、脚から1本ずつ関節単位でじわじわ切り落としてやる、と。シャルは再び全員の首根っこを掴んで無理やり立たせ、ケーブル先端の刃物を巨大化させる。あとはシャルが指示を出すのみとなり、怒りが増幅して完全にキレたシャルは何の躊躇いもなく指示を出そうとした、その時。

「ん…。」

 僕が寝がえりを打って、シャルを抱く格好になった。シャルは驚きで一瞬固まってしまう。僕はシャルをよりしっかり抱く。シャルは僕と鼻先が接する距離まで抱き寄せられ、軽いパニックに陥る。

「え、え…。」
「シャル…。シャル…。」

 僕がシャルの名を呼びながら、シャルをしっかり抱きしめる。顔の角度を少し変えれば、唇が触れる距離だ。シャルは全身が熱くなり、連中の処刑指示が頭から蒸発してしまう。そして同時に、あれほど激しかった怒りの炎が急速に小さくなっていく。

「…きょ、今日のところは…、このくらいで勘弁してあげますか…。」

 シャルは生命に別条がない程度に止血してその辺に投げ捨てる。まさにゴミ屑のように転がって微動だにしない連中を一瞥もせず、シャルは近くの公衆電話を介して救急に通報する。シャルは僕に抱き締められている状況と感覚にようやく順応し、ACSをONにして最高レベルにした上でディープスリープに入る。

 ヒョウシ市から大満足で戻った僕とシャルに因縁を付けて、シャルを拉致しようとして僕に止められたら僕を殴った連中が、そんなことになってたのか。シャルの話は何とか頭に入ったけど、同じ布団の中で抱き寄せているが故の感触と温もりと匂い。そして鼻先が触れ合うまで接近したシャルの顔。どれもこれも刺激が強烈過ぎる。
 そうなった原因の1つが、僕がシャルの名前を呼びながら抱きしめたからってことなのが衝撃だ。そんな夢を見てた覚えはないんだけど…。事情は分かったし、このままだと僕自身が耐えられそうにないから離れようとするけど離れられない。シャルが僕の脇腹あたりに腕を通して抱き返しているからだ。元より離す気はないらしい。

「もう1つお話したいことがありますが、明日にしましょう。外が騒がしいので耳栓をします。」

 耳に一瞬軽い異物感がした後、外の喧騒が一切聞こえなくなる。タカオ市ではイヤホンになったのと同じ要領でノイズキャンセラーを作ったんだな。それはそうとして、この状態で改めて寝るのは無理だ。シャルを抱き締めたことはあるけど、布団の中は感触と温もりと匂いが密閉されてより刺激が強烈になる。理性を保つのもギリギリの線だ。

『こうして私を布団の中で抱き締められるのは、ヒロキさんの特権ですよ?』
「シャ、シャル?!」
『私を布団の中で抱き締めることを今もこうして出来ている時点で、周囲から見ても私から見ても、タトゥーとピアスで日焼けした貧相な身体を誇示する男達なんて、ヒロキさんの相手になってませんよ。』

 このシチュエーションで、ダイレクト通信は反則だ。しかも囁き声で普段よりゆったりとした口調で。シャルの顔がほぼ真正面にあるから、至近距離で僕だけが聞こえるような声で言っているのと同じ。独占欲をあらゆる方向から羽先でくすぐるようなことを、シャルは何処で覚えたんだ?
 僕がシャルを一方的に抱き締めてるんじゃなくて、片腕だけではあるけどシャルと抱き合ってるこの状況。少し顔の角度を変えれば唇と唇が触れるだろうし、この体勢のまま自分の身体を前か後ろに少し倒せば、僕がシャルの上に乗りかかるかシャルを僕の上に乗せることが出来る。更にその先も僕次第でどうにでも出来る。
 い、否、それ以前に、シャルはこのナチウラ市に来てから積極性が一気に過熱したのはどうしてだろう?前も僕の布団に潜りこんで腕枕を使ったし、浴衣で身体を寄せたり水着で身体を密着させたり日焼け止めを塗らせたり。これまで運転席に僕が乗り込むだけしか接触がなかったのは分かるけど、その反動としては過剰じゃないか?
 この柔らかさと匂いで頭がくらくらしてきた。思わず身体を右側に倒す。僕が敷布団に仰向けになると共に、完全じゃないけど、シャルが僕に乗りかかる格好になる。これで多少は和らぐかと思ったら甘かった。布団の中に居るのは変わらないし、重力の作用で柔らかさに拍車がかかる。

「シャルって、どうしてこんなに良い匂いがするの?」
『入浴の際に使うシャンプーやボディソープの香料を収集して、配合して適時放散しているからです。』
「そんなことも出来るんだ…。」
『ヒロキさんの反応を見て、配合にフィードバックしてます。十分な時間がありましたから、ヒロキさんにとって最適な匂いにより近づいている筈です。』
「道理で…。」

 この手の匂いは過度だと鼻を突く不快感を生じる。それはシャルも予備知識として知ってはいただろうから、最初はごく少量から始めたんだろう。シャルは滞在中に収集した香料の放散とそれに対する僕の、時に僕自身分からないような微妙な反応も分析して、最適な配合に近づけた。その効果は絶大だ。
 しかも、この柔らかさ…。シャルは少し斜めに僕に乗りかかっている。上半身はほぼ完全に乗りかかって、顔が向かい合わせの位置にあるから、胸では特別柔らかいものが物凄い存在感を放っている。とどめとばかりに鼻先が触れ合う距離で誰もが振り返る美麗な顔立ちを見せつける。味覚を除く五感全部をこれでもかと攻めてくる。

「一緒に寝るところから慣れた方が良いな。今の僕だと、何かしようにも何も出来ない。」
『こんなに近づいていても?』
「囁き声でのダイレクト通信は反則だよ。…シャルはこれからもずっと、一緒に旅をするかけがえのないパートナーでもあるんだ。それこそ僕を殴ったりした連中のように、単純な欲求だけで行動して、後々悪影響を出したくないんだ。」
『ヒロキさんがあんな連中と同じ行動を取るとは思えませんが、内容は論理的ですね。』
「明日からまた出かけたりしよう。」
『楽しみにしてますね。』

 シャルは微笑んで上体を脇にずらしていく。シャルにせがまれて僕は左腕を横に伸ばす。シャルは僕の左腕を枕にして、身体を寄せる。シャルに聞くと枕よりこの方が適度な硬さもあって寝やすいそうだ。シャルが良いならそれで良いけど、身体をくっつけられると…脇腹のあたりにあの存在感抜群の柔らかさが…。

Fade out...

第24章へ戻る
-Return Chapter24-
第26章へ進む
-Go to Chapter26-
第5創作グループへ戻る
-Return Novels Group 5-
PAC Entrance Hallへ戻る
-Return PAC Entrance Hall-