謎町紀行

第18章 監視網の崩壊と君主の破滅

written by Moonstone

「…ん…。」
「おはようございます。」
「あ、シャル…?!」

 意識にかかっていた霧が一瞬で蒸散する。シャルが直ぐ隣に横になっている。布団は2つ並んでいるけど、シャルは僕の布団に入ってる。

「ど、どうして僕の布団に?!」
「昨夜のうなされていた度合いを考えると再びうなされるんじゃないかと不安だったのと、ヒロキさんが目覚めた時に良い記憶になればと思って。」

 ナーススタイルもそうだけど、目の保養になる一方で心臓に悪い。シャルの顔が間近にある今は特に。ふと少し視線を布団の奥方向に向けると、浴衣の合わせた部分が少しはだけて胸元が顔を覗かせてる。見てると理性が吹っ飛んでしまいそうだ。ただでさえシャルが直ぐ傍に居て、手を伸ばしてしまいたいのに。
 僕は身体を起こしてシャルから視線を引き剥がす。続いてシャルが身体を起こす。少し乱れた長い金髪、別角度から見える胸元。どうしても胸元に視線が引き寄せられる。シャルに言うべき…かな。ただ見、もとい、覗き見してるみたいで気が引ける。

「えっと…シャル。浴衣の胸元…。」
「?…あ。」

 隣で衣類が擦れる音がする。直してるらしい。その音が消えたのを確認してからシャルの方を向く。…直ってる。ほっとしたような、ちょっと損したような。

「昨日は起こしちゃって御免ね。」
「ヒロキさんがうなされてるのを見て放っておく理由はないですよ。」
「シャルが居ることのありがたみをまだ理解しきれてないね。」
「嫌な記憶ほど消えにくいものです。埋め固めてしまうには時間がかかりますよ。少しずつでも確実に埋め固めていきましょう。」
「うん。」

 自分好みの、客観的にも容姿端麗な女性が胸元を少しはだけた浴衣姿で添い寝するなんて、願ってもまずあり得ないシチュエーションだ。しかも今だって身体を起こしてはいるけど同じ布団の中に居る。昨夜うなされた悪夢の内容は覚えてるけど、今は「またか」くらいの残滓。悪夢さまさまと言えなくもない。

「!そういえばシャル。タカオ市の動向は?」
「両者降伏して、今日の昼から合同の記者会見を開くことになりました。」

 シャルがTVに2つの映像を出して説明する。市長室や社長室に立て籠もっていた渦中の2人は、深夜になっても続く激しい物音と共にひしゃげていくドアに恐怖の限界に達したらしく、記者会見を開くから止めてくれと懇願した。だけど、1週間も市の業務を全面ダウンさせた張本人、しかも「たかがネットのダウンで」と放言した市長を、その程度で許す筈がない。
 市民は懇願を無視して尚も激しい攻撃を加え、サイバーパソナ社のドアはついに崩壊寸前まで追い込まれた。このままだと突入されて袋叩きにされると直感したらしく、携帯でまず警察署に電話。午後に記者会見を開くから何とか宥めてくれと連絡。続いて市長に、午後に単独でも記者会見を開くと電話。市長も了承した。
 機動隊が動員されて押しかけていた市民を説得して−いきなり強制排除だと警察のイメージダウンは必至−解散させ、市長と社長は機動隊に護衛されて市長室やオフィスを脱出して、記者会見場にもなる中心部の豪華ホテルに入った。この様子も隈なく市民らに撮影されて、激しいヤジを浴びた。2人を護衛する警察もとばっちりでヤジを浴びる羽目になった。
 そのホテルも実は、市長が強引に推し進めた再開発で誘致された施設の1つ。市民の怒りは鎮静化するどころか更に大きくなり、「自分の不始末を税金で穴埋めするのか」「自分が誘致したホテルに籠城する気か」など、今度はホテルが囲まれる事態になった。流石に警察が機動隊を配置して突入させないようにしているけど、ホテルはキャンセルが相次いでいるそうだ。そんな危険なホテルに泊まったり、結婚式とかをする気にはなれない。
 市長と社長が寝ている豪華ホテル前は、怒り収まらない市民らがデモ隊となって機動隊と睨み合いを続けている。その数警察発表で1万人。デモや集会の人数は警察発表だと大幅に少なくなるから、少なくともその倍の2万人はいる。実際豪華ホテルがある中心部はデモ隊がぎっしり陣取っていて、企業や店などは臨時休業している。
 記者会見は午後1時から。宴会場が急遽記者会見場となって、その準備が行われている。報道陣はホテル前に集結しているけど、デモ隊が居て容易に豪華ホテルに近づけない。報道陣はは入れて何故直接の被害を受けた市民が入れないのか、と一部でデモ隊と機動隊の小競り合いが勃発している。

「−このような情勢です。」
「記者会見で何を言うんだろう?まさかヒヒイロカネのことは言わないだろうけど。」
「さあ。」
「さあ、って。」
「テンプレートに沿った謝罪と再発防止。或いは居直りの暴言放言。どちらかじゃないでしょか。」

 シャルはさらっと言うけど、不祥事を起こした政治家や企業トップの謝罪会見でありがちなパターンではある。今回もそうなるんだろうか。とりあえず前者は言って、何とか終わらせようとして、記者の質問攻勢に耐えられなくなって後者を発して紛糾、という展開もあり得るか。
 記者会見で何を言うかは、それこそその時になってみないと分からない。今は7時過ぎだから…、記者会見の時間まで5時間以上ある。旅館はチェックアウトがあるし、何処かの飲食店で記者会見を待つ気もない。シャルが送り込んだ諜報部隊が既に現地に展開しているし、いざという時は戦闘も出来る。記者会見となれば逃げ場はない。

「朝ご飯を食べて市内を回ろうか。」
「はい。タガミ市は今、全域で戦国フェアをしていて色々なイベントをしているそうですよ。」

 シャルは、僕が枕元に置いておいたスマートフォンを取って見せる。しっかり下調べしてたらしく、渋滞を避けつつ効率良く回るコースが地図上に表示されている。朝ご飯その他の分を除いても記者会見まで4時間はあるから、半分くらいは回れそうだ。それこそ、過去を埋め固めるためには空き時間をシャルと満喫するのが良い。
 タガミ市の中心部、タガミ城跡公園のレストランで遅めの昼ご飯。昼ご飯はランチメニューがある店が多いし、値段もお手頃だし、選択肢が限られているから選ぶのも楽で良い。平日でピークを過ぎたから待ち時間はなかったけど、客の入りは十分。やっぱり観光地なんだな。
 客層は団体旅行か何かなのか、中高年が多い。当然のごとくシャルは物凄く目立つ。一見外国人としか思えない容貌だけど、箸の使い方や食べ方は「日本文化」と殊更強調する日本人より綺麗。だから余計に人目を引くんだけど−逆でも別の意味で人目を引くか−、シャルは我関せずという様子で食事をしている。

『一緒に居る女性が人目を引くのはどうですか?』
『嬉しいけど、変なちょっかい出されないかとか不安もあるから、ちょっと複雑。』
『ちょっかいを出して来ても痛い目に遭うのは相手ですから、心配無用ですよ。』
『シャルの場合はそうだよね。それは分かってるけど…、上手い表現が思いつかないけど、複雑な感覚が拭えない。』
『複雑な感覚というのは、感情や欲求がある人間ならではですね。私は何となく分かりますけど、まだ概念の段階です。』

 シャルのOSレベルでも複数の感情が混在する状況は把握しきれていないのか。いかにプログラムに−OSも意識しないがれっきとしたプログラム−人格を持たせるのが困難か分かる。こっちの世界のAIって、多数のパターンから最適な解を選ぶベイズ理論を実用レベルにしただけなんだよな。
 シャルは自分で考えて行動する。明確な固有の感情もある。「シャル」というれっきとした人格だ。こっちの世界のAIがこのレベルに到達するには、まだまだ時間がかかりそうだ。それに、この世界の倫理を考えると、人格と言えるほど高度なAIが登場したら無法地帯になるか専制政治になるか、人類と戦争になるかのどれかだと思う。
 時刻はもう直ぐ午後1時。タカオ市の市長とサイバーパソナ社の社長の合同記者会見の時間だ。何を言うのか気になるけど、レストランという位置づけだけにTVはない。シャルが送り込んだ諜報部隊が録画しているそうだし、今何としても見る必要はないか。

「スマートフォンに中継画面を出しますよ。」
「音声が迷惑にならないかな。」
「音声はこういう手が使えます。」

 シャルの右手の親指と人差し指の隙間から、ピアスのようなものが現れる。それが高速で飛びだして僕の右耳に入る。一瞬の異物感の後、頭の中に鮮明な音声が流れ始める。無線の小型イヤホンか。でも、ノイズはないし左耳からはレストランの音声が問題なく聞こえる。意識をどちらに向けるかで脳裏に広がる音声が綺麗に切り替わる。

『魔法みたいだね。』
『ペアだとステレオ音声になりますが、今回はこれで我慢してください。』
『1つで十分だよ。よく聞こえるし。もう1つは?』
『此処です。』

 シャルは左耳を指差す。ペアの1個はシャルの耳にあるのか。スマートフォンは見た目何の変化もないし、凄い機能だ。画面とずれなくリンクしている。画面は記者会見場の会見席を正面やや上方から映している。記者の上空から光学迷彩を使って撮影してるようだ。
 2つ並んだ会見席には、まだどちらも着席していない。時刻は午後1時まで1分を切った。そろそろ着席しないと遅刻なんだけど、そういったことは考えてないのか、それともすっぽかすつもりなのか。すっぽかしたら、少なくとも市長は戻る場所がなくなるだろう。こんな事態を引き起こした市長を擁護すれば、市議は次の議席が怪しくなる。…そうでもないか。
 頭の中に展開される会場の音声には、自己興奮したリポーターの実況も、スタジオの分かったようで分かってないコメンテーターの解説もない。会見場のざわつきだけが淡々と流れ込んで来る。画面がめまぐるしく切り替わったり、画面の端にスタジオの出演者の顔がワイプで出たりもしない。シンプルだからこそ伝わるものが伝わる。
 俄かにフラッシュの勢いが増す。右の方から秘書らしい男女に守られて、市長と社長が着席する。市長は向かって左側、社長は向かって右側。スポットライトが当てられるようにフラッシュが焚かれる。市長も社長も満足に寝ていないのか、疲れきった顔をしている。だけど、それ以上に疲労困憊な職員や社員がいるから全く同情できない。

『いよいよ始まるね。…あれ?会見席に紙が置いてある。』
『台本ですね。拡大します。』

 画面が会見席にそれぞれ置かれた紙の1枚を一気に拡大する。『謝罪会見 進行案』というタイトル。『まず起立して、『今回の市全域のネットワークダウンと復旧の遅延に関して、市民の皆様に大変なご迷惑をおかけしましたことを、深くお詫びいたします』と言って深々と一礼する。』という冒頭の文面。台本そのものだ。

「えー、今回の市全体のネットワークダウンと復旧の遅延に関して、市民の皆様に大変なご迷惑をおかけしましたことを、深くお詫びいたします。」

 画面が再び会見席全体を映した直後、起立して紙の冒頭の一文そのままを読んで、深々と一礼する。台本そのままの行動だ。まったく自身の謝罪の意思がないことくらい、僕でも分かる。

「タカオ市からネットワーク業務を委託いただいている身として、今回の事態に至りましたことを深くお詫びいたします。」

 隣の市長も、続いて起立してまったく謝罪の意思が籠っていない口上を言って深々と一礼する。記者席からは紙は見えないだろうけど、これで事態を深刻に受け止めて謝罪するために会見をしたと認識するなら、記者は辞めた方が良いと思えるくらいだ。フラッシュが眩しいけど、こんなに映しても代わり映えしないとは思う。

「復旧が遅々として進まず、1週間経過しても尚復旧の最中というのは、危機管理以前の問題ではありませんか?」
「ネットワークがなければ業務が出来ない状況で、たかがネットワークのダウンと放言した市長!貴方の市の業務認識はその程度なのですか?」
「10人の社員で市のネットワーク管理が出来るという認識だったのですか?あまりにも甘すぎませんか?」

 市長と社長が着席すると同時に、激しい質問攻勢が始まる。これまでに市長の放言をはじめ、杜撰なネットワーク管理や不透明な契約など、様々な負の要素が暴露された。何れも内部文書の検証が行われ、間違いなく市の公文書だと分かっている。

「えー、今回の事態は想定外であり、あまりにも大規模であったため、対策が及ばない部分があったのは事実だと思います。」
「日常の管理は少数精鋭の社員で行われており、今回の事態はそのカバー範囲を超えるものでした。杜撰という認識は的外れだと思います。」
「ネットワークがなければ市の業務が成立しないのが明らかな状況で、日常の管理も端末からWebブラウザでアクセス出来ればOKという杜撰なものだったではないですか!」
「しかも、そのような管理運営業務を、市長の一声で年1億円で受注していたことも判明しています!市長とサイバーパソナ社の癒着が生んだ事態と認識しているのですか?!」

 想定外を理由に責任逃れをしようとする市長と社長に、激しい質問が浴びせられる。少数精鋭なのは構わないけど、それで今回の事態にまともに対応できず、今も全面復旧には程遠い状況。これで杜撰という指摘は的外れと言われても、「お前が言うな」という話だ。

『攻撃第2弾の結果が広がり始めました。』

 市長と社長にとっては、破滅へのラッパが高らかに鳴らされた。シャルが表示した別ウィンドウには、SNSやメディアの速報で、タカオ市での監視状況や、ヒヒイロカネを除く契約など内部文書が流出していることが続々と伝えられている。
 目を開けさせまいとしているような激しいフラッシュの中、市長と社長の秘書らしい男女が、会見場に駆け込んで来る。

「市長!復旧にあたっていたサイバーパソナ社の社員の端末がウィルスに感染して、サーバの情報が流出したそうです!」

 秘書が状況を説明しようとした矢先、記者席から事態が開かされる。会場が大きくざわめく。ネットワークの復旧中にウィルス感染、しかも情報流出なんてネットワークでは最悪の事態だ。会見席の市長と社長、そして2人の秘書の表情が引き攣る。緊急事態発生のためとでもして会見を打ち切るつもりが、先に状況が暴露されてしまった。もう逃げ場はない。

「サイバーパソナ社は一体何を考えてるんだ!ネットワーク管理を業務としながら、あまりにもお粗末ではないか!」
「市の条例に基づく監視情報は、対象者とされた市民や旅行者などの日常生活や観光まで、事細かに記録されている!監視社会以外の何物でもないではないか!」
「内外の無実の市民を悉く監視対象にしておいて、自分達は杜撰な情報管理とは何事だ!」

 記者席の質問が怒号に変わる。ネットワーク全面ダウンに続いて、遅々として進まない復旧。更には監視社会そのものの膨大な監視情報や、ヒヒイロカネ以外の内部文書などの流出。どうやっても言い逃れは出来ない状況だ。市長と社長は急いで席を立ち、秘書を記者席側に立たせて逃げ出していく。

「市長!!説明責任を放棄するのか!!」
「サイバーパソナ社と一緒に責任を取れ!!」

 市長と社長の記者会見は、呆気ないとも言える幕切れを迎える。市長と社長は、まさに逃げ足でホテルの通路を走り、奥の方へ向かう。奥の駐車場には黒塗りの車が控えている。逃亡する気か?!

『この期に及んで逃げようなんて甘い考え、通用すると思ってるんでしょうかねー。』

 シャルの怒りが籠った声が頭に響く。市長と社長が後部座席に飛び込み、2人の秘書が運転席と助手席に座る。だが、運転席に座った男性が必死に操作しても車が動かない。男性は顔面を蒼白にして操作を繰り返し、後部座席の市長と社長は狼狽した様子で動かすように言うが、意に反して車はびくともしない。

『車の機能を完全に掌握しています。一切の操作は受け付けません。勿論、ドアの操作も。』
『閉じ込めたってこと?』
『そうです。それだけでは終わりませんよー。』

 シャルが冷たい笑みを浮かべる。車がゆっくり動き始める。運転席の男性はハンドルなどを必死に操作している。男性の意図とは全く異なる動きをしているようだ。人が歩くくらいの速度でゆっくり駐車場内を進み、細い路地に出る。そのままゆっくりと進み、何とホテルの正面出入り口までに向かう。
 記者会見場はメディアの記者しか入れない。だけど、ホテルの正面出入り口前には、詰めかけた大勢の市民や団体が鎮座している。警備していた機動隊が驚いて制止しようとするが、車は全く止まらずに、機動隊を半ば強引に掻き分けて、市民や団体の前に出て行く。  此処で何と、車の窓ガラスが全て開く。車内の4名は顔面蒼白だ。これまで不当な監視に晒され、時には暴力なども受けた市民や団体の前に、元凶である市長と社長を乗せた車が機動隊を振り切って、しかも窓を全開にして進み出る羽目になったんだ。何をされるか分かったもんじゃない。

「市長とサイバーパソナ社の社長だ!!」

 車の中の人物が誰か知った人の叫びで、詰めかけていた市民と団体が車を包囲する。到底機動隊では排除しきれない。

「よくも今まで散々な目に遭わせてくれたな!!」
「車で突っ切って逃げるつもりか!!卑怯者!!」
「わざわざ殴られに来たか!!」
「止めろ!止めないか!!」
「や、止めてくれ!!」

 尚もゆっくり進む車は、市民や団体に足蹴にされたり、プラカードで殴られたりする。瞬く間にフロントとリアのガラスは破られ、窓に何本もの手が突っ込まれ、強引に引き摺り出されようとする。ホラー映画みたいな構図だけど、車中の4人には物凄い恐怖だろう。逃げ場は何処にもないんだから。

「ふざけやがって!!ぶっ殺せ!!」
「これまでの恨み、思い知れ!!」
「民間監視員を呼んでみろ!!まとめて殴ってやる!!」
「や、止めてくれー!!」

 シートベルトをしてなかった市長と社長が、ついに社外に引きずり出された。慌てて機動隊が制止しに来たけど、人垣が邪魔してなかなか近付けない。その間に市長と社長は身包み剥がれて殴る蹴るされている。リンチそのものだ。

『シャ、シャル…。』
『警察の増援と救急車は呼んであります。もう少しの辛抱ですよ。それまで耐えられるかどうかは知りませんけどねー。』

 ま、まさかシャルがここまでするとは…。シャルの怒りは臨界点を突破していたんだ。シャルが用意した報復措置は、市長と社長には生命の危機に瀕するまで追い込まれる事態だった。幾つものサイレンが近づいて来る。市長と社長は無事救助されるんだろうか…?
 動員された警官2000人。国道と県道は随所で通行止め。スクラップ同然になった上に炎上した高級車。シャルが用意した市長と社長への市中引き回しの舞台は、夕方を過ぎた頃にようやく凄惨な幕切れを迎えた。市長と社長は何とか救出されて病院に搬送されたが、全身打撲に複雑骨折で全治3カ月の重傷。2人の秘書も全身ボロボロで病院に搬送された。こちらは酷い精神的ショックで面会謝絶。
 情報の流出は収まらず、詳細な監視の実態と監視にかこつけた一部市民の暴力や恐喝などの違法行為が続々明らかになっている。条例を背景に町を跋扈していた民間監視員は、家に引き籠るか、夜逃げ同然に町を出て行くか、市長や社長と同じように病院に送られるかのどれかの末路を選ぶ羽目になっている。
 爆発した怒りに燃える大勢の市民や団体は、市庁舎や市長の自宅、更にはSNSで伝わった、市長と社長が収容された病院を包囲して、辞職と損害賠償の支払いを求めている。情勢が激変したタカオ市は、N県県警本部や近隣の市町村からも景観や機動隊が動員されて、事態の鎮静化にあたっているが、暴徒化した市民を抑えるのが精一杯だ。
 重傷で入院した市長の職務代理を行う助役は、夜に市庁舎で緊急の記者会見を開いて、市民や団体に冷静になるよう呼び掛けるとともに、問題の条例について廃止を含めた抜本的見直しを行うため、臨時議会を招集することを発表した。市議会の全会派はこれに応じるとコメントや声明を発表した。
 恐らく問題の条例は廃止、最低でも凍結される見通し。と言うのも、与党会派は実質的に共犯。市長の誤りを止められるのは議会なのに、それを推進した罪は重い。それは理解できるのか、或いは次の選挙での落選を恐れてか、与党会派は条例廃止の方向で検討を進めると発表した。
 タカオ市では深夜になった今も、散発的に民間監視員が襲撃され、市庁舎など市長の根城は包囲されている。復旧作業をしていたサイバーパソナ社の社員は、逃亡を図って市民や市職員に見つかって袋叩きにされ、市長や社長とは別の病院に搬送される羽目になった。所持していたPCなどが原形を留めないほどに破壊された写真や映像も流れた。

「条例で自分達の立場は絶対安全と思ってたんだろうね。一気に崩れちゃったけど。」
「作戦の効果が彼らの予想を大幅に超えるものだったのは勿論ですが、致命的だったのは、緊急時の対策があまりにもお粗末だったことです。ネットワーク管理を業務としているとは思えない杜撰な体制に慣れてしまって、お粗末な対応しかできず、それが更に事態を悪化させました。第2弾の攻撃はとどめを刺したに過ぎません。」

 確かに、タカオ市の業務を支える屋台骨であるネットワークの管理を全面委託されているとは思えないほど、お粗末な対応だった。ハブの内部回路書き換えによる機能停止は予想外だとは言え、何処に問題があるかを総当たりで探して、結局ハブを全交換する決断に至ったのは、ネットワーク専門企業の緊急時対応とは言えない。
 ネットワークに大きく依存していながら、総当たりで異常個所を探してハブの全交換という無茶な選択をしたことで、事態は余計に悪化した。原因特定に時間をかけて問題を絞り込んでいれば、時間はかかってもネットワークの復旧は見込めただろう。強引な選択を進めたところにシャルの攻撃第2弾が加わり、完全に崩壊した。
 タカオ市全体を広く抑え込んでいた条例と相互監視社会は、ネットワークダウンを契機にあっさり崩壊しそうだ。だけど、これは僕とシャルが目的としていることじゃない。ネットワークと条例を基盤にした相互監視社会で強固な防御壁を築いていた、ヒヒイロカネを身体に埋め込んでいることが確実な市長を表舞台に引き摺り出すのが目的だ。
 条例とそれに齎された相互監視と市民間の溝は、これからタカオ市全体で解決していくことだ。僕とシャルが考え目指すことは、悪事が一気に露呈して裸の王様になった市長からヒヒイロカネを回収し、更にその背後に居ることが濃厚な手配犯ことシャルが創られた世界から逃亡して来た輩の消息に関する情報を掴むことだ。
 今はタカオ市を一旦離れているけど、此処でタカオ市に戻るか?だけど、病院に収容された市長は機動隊と病院という場所柄に守られているから、余計に表舞台に出て来ないだろう。そんな情勢下でどうやって本丸である市長本人に切り込むか?十分戦略を練らないと大変なことになる。

「問題はこれからだね。どうやって市長からヒヒイロカネを回収するか。手配犯は何処へ行ったか。」
「はい。条例とネットワークを基盤にした市長の防衛体制はほぼ崩壊しましたから、本来の目的に立ち返って考える必要があります。」
「市長が重症で入院してることは確実?」
「それは間違いありません。搬送先に展開している諜報部隊が確認済みです。」

 不祥事が発覚した議員や企業幹部には、体調不良を理由にして入院するケースがある。市民や従業員には遣り甲斐だのグローバルだのの謳い文句で四六時中働かせて過労死も当然視しているのに、体調不良ごときで入院するなんて大層な身分社会だと思う。一方で病院がある意味聖域とされていることも分かる。
 重傷での入院が本物だとしても、入院でほとぼりを冷まそうという目論見は間違いなくあるだろう。出来れば今のタカオ市の情勢が沈静化する前に市長からヒヒイロカネを回収して、物理的にも無力化するのを有利に進めたい。だけど、病院という聖域に居るという条件がハードルになっている。
 市長に埋め込まれたヒヒイロカネは意志や人格を持たないプレーンだと判明しているけど、元助役を捕縛した「実績」がある。シャルの能力には劣るけど、市長の意思で攻撃防御に使うことは可能だと見て良い。少なくとも僕のような生身の人間よりは、その気になればずっと強力だ。
 とは言え、シャルの諜報部隊に無計画に突撃させるのは危険だ。サイズや数は問題ないけど、相手がヒヒイロカネで攻撃防御が可能だから、オクラシブ町のような具合には進まない。病院で戦闘となれば他の入院患者や病院職員に危害が及ぶ危険が高い。戦争をするのが目的じゃないからそんな事態は回避しないといけない。

「入院中に辞職したり、真相を語るタイプじゃないし…。ヒヒイロカネを回収するから出せと言って応じるとは思えない。」
「部隊の数による力押しでヒヒイロカネを切除することも可能ではありますが、周囲に被害を出すリスクは否定できません。」
「うーん…。」
「タカオ市では市長の負の実績の1つである条例を議題とする臨時議会が招集されます。サイバーパソナ社との契約も恐らく破棄する議決がなされるでしょう。そもそも社員が全員市長や社長と同じ末路を辿っていますし、市のネットワーク復旧のためには、早急に外部業者と委託契約を締結する必要があります。」
「市長が退院するまでには、市長を守る体制が崩壊するのは間違いないね。臨時議会の議決までに方策を考えようか。」
「それに賛成です。」

 今の市長には議会の決定を覆す力はない。条例の下で跋扈していた悪事がこれでもかとばかりに露呈した今、市長取り巻きの与党会派も市長から一時的にでも手を引かざるを得ない。不祥事のオンパレード状態の市長は、今までのように表舞台で強引に推し進められる環境にはない。まさに裸の王様だ。
 更に、市長にはリコールによる失職と再選挙による落選も予想される。こうなったら一介の民間人だ。かつてこの地方を治めていた藩主の家老という系譜も、一介の民間人となればその威力はせいぜい自宅周辺や取り巻きに対してのみ。幸い僕とシャルには時間の余裕はある。これを利用してじっくり戦略を固めておきたい。

「市長は自力で動ける状況?」
「いえ、右足の複雑骨折をはじめとする負傷で、自力での移動は不可能な状態です。」
「それなら、逃亡の恐れはないとみて良いかな。監視は続けてもらいながらヒヒイロカネ回収の方策を練ろう。」
「はい。」

 市長の胸部と両腕に埋め込まれているヒヒイロカネ回収は、相当困難だろう。だけど、存在が判明した以上は何としても回収しないとこの旅の意味がない。市長を守る耐性が一気に崩壊していく中、タカオ市における本来にして最大の課題に向けて知恵を絞る時だ。
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