翌日。ホテルで朝食を済ませた後、シャルの迎えを受けて四色宮の調査に向かう。昨日閉館時間ぎりぎりまで書籍を捲っていたけど、取り込んだデータ量は膨大だっただろう。解析はシャルに任せるしかない。まだ若干時間がかかると言うし−流石に機嫌は直っている−その間僕が出来ることと言えば四色宮の調査だ。
ホテルのフロントで貰った町の観光案内を兼ねた地図を見る。やはり四色宮は四神に対応した配置になっている。まず青宮だから…東か。町の東の外れにあるようで、HUDに表示されるリアルタイム3Dマップは、田んぼと森しか表示されなくなった。
「もう少し行くと、青宮を管理している集落、アオノがあります。」
「神社と同じ色を名前に入れてるあたり、関係は深そうだね。」
「普通に参拝できるのは、観光を意識しての変化かもしれませんね。」
シャルの言うとおり、参拝できるようになったのは観光を意識してのことで、それまでは地元の人しか参拝できない神社だったかもしれない。そういう神社があるかどうかは知らないが、沖縄の離島では聖地とされる場所には観光客が立ち入り禁止だったりする。地名も神社と関連深かったり、参拝順序があるところからして、四色宮は4つで何かしらの意味を持つ可能性が強い。その先にはヒヒイロカネの存在が感じられる。更には、満月の時しか晴れなくなったこの霧も、四色宮やヒヒイロカネとの関連があるような気がしてならない。
「アオノに入りました。」
シャルのアナウンスで、HUD右下に全体地図が表示される。今走っている道が集落の大通りで、その大通りに沿って家が点在している。その奥、大きな敷地に近づくにつれて家の密度が高まる。敷地の部分が今日最初の目的地、青宮だろう。
「駐車場が神社近くにありますね。」
「ということは、車で来る地元以外の人をある程度想定してるのかな。」
「そうだと思います。この町は車以外交通手段がありませんから。」
これまでHUDに表示された地図からの情報だが、電車は国道1号を降りたオオバネインターあたりから北にはなかった。町への出入りはこの町に入る時にも通った県道308号以外にない。車以外来ようがないところで駐車場がないのは、路上駐車が可能か歩いてでも来いという挑発めいた意思のどちらかだと解釈している。
リアルタイム3Dマップは、家の密度が最も高い地域を映しだす。人の行き来は全くない。この霧だと出ようにも出られない方が多いかもしれない。大きい神社だと参拝客で境内も近くの商店街もごった返すんだけど、青宮はそれとは正反対。ゴーストタウンかと錯覚してしまう。
「駐車場に車は…ありますね。」
「参拝者が他に居るんだね。」
「どうやら…居たと言うべきですね。車はかなりの期間放置されているようです。」
「放置って…。」
町の人が言ってたな。この町に来て行方不明になった人も居るって。この霧で車の位置が分からなくなって、戻ろうとして余計に迷ってしまってそのまま、というパターンだろうか。まさかその実例に接することになるとは…。
シャルは駐車場の一角に止まる。3Dマップで見ると、大きな青い鳥居が左斜め前に見える位置だ。放置されているらしい車は…1台じゃないのか?場所と車種はまちまちだが車が数台止まっている。これらは全て主が行方不明になって残された車なんだろうか?
「此処にある車は、1台を除いて全て放置車両のようです。」
「1台ってのは、シャルのこと?」
「いえ、私以外です。この車です。」
HUDの3Dマップで表示される車のうち、最も右奥の車が赤く光る。シャルが参道より少し離れた位置に止めたのは、僕やシャルが不審に思われないようにするためか。別の人の目的は分からないから、あまり接触しない方が良い。
「この町の話を聞いて見に来たか、あるいは…ヒヒイロカネを探しに来たか。」
「後者はないと思いたいんですが…。」
「ヒヒイロカネの存在を知ってる人が、僕とシャル以外に居るの?」
「ヒヒイロカネをこの世界に持ち込んだ人達の子孫です。」
ヒヒイロカネは老人が元居た世界からこの世界に持ち込まれた。当然その輩はヒヒイロカネを知ってる。子孫が居れば何らかの形でヒヒイロカネの存在を知っていても不思議じゃない。「不思議な財宝を何処其処に隠した」とぼかした形で伝承したり。
この世界に知られれば大変なことになるであろうヒヒイロカネは、持ち込んだは良いがこの世界のテクノロジーの水準をはるかに超える。扱いに困って何処かに隠したり埋めたりした可能性は高い。もし企業に売り込まれたら既に大変なことになっている。本人は正確な場所や形態−ヒヒイロカネは擬態している可能性があるとシャルは言った−を知っていても、ぼかした形で伝承されたり、正確に伝承しても何代か経ってあやふやになったりする。そうなるとヒヒイロカネを持ちこんだ輩の子孫も、ヒヒイロカネを探す側に立つことになる。
「子孫ってことは、ヒヒイロカネが持ち込まれたのはかなり前なの?」
「はい。この世界で言うと…数百年前ってところでしょうか。」
「時間の進み方が全然違うのか…。それだとテクノロジーの格差も凄いことになるね。」
「ヒヒイロカネがこの世界から見てオーバーテクノロジーなのは、そういうところに起因するんです。」
数百年前っていうと、即座に思いつくのが江戸時代。鎌倉室町っていう線もあり得る。そんな時代にヒヒイロカネを持ち込んでも、使いこなせる筈がない。持ち込んだ本人だって、ヒヒイロカネを正しく扱う技術や道具がなければ持て余すのは目に見える。どうもヒヒイロカネをこの世界に持ち込んだ輩は、あまり後先を考えないタイプだったようだ。何のために持ち込んだのかすら、その場の思いつきとか、誰かを困らせてやろうっていう小学生みたいな意図だったのかもしれない。それでも関係者にはいい迷惑には違いない。
「シャル。参道や境内には誰か居るか分かる?」
「ちょっと待ってください。…居ますね。男性が1人。境内に居ます。」
「放置車両じゃない車の主、かな?」
「そうでしょうね。気を付けてください。此処から私も警戒やフォローをしますが、危ないと思ったらすぐに逃げてください。」
「分かった。」
シャルの忠告は大袈裟とは思えない。ヒヒイロカネの存在が世に出ることが破滅的な出来事になる恐れが強い。僕のようにある意味見込まれてヒヒイロカネの回収を託されたんじゃなくて、ヒヒイロカネをこの世界に持ち込んだ輩の末裔と競合するとなれば、僕に危害を加えてくる恐れがある。この旅に出るまで、僕はしがない社会人だった。格闘技や護身術を嗜んだこともなく、何某流に師事したこともない。一方、競合する恐れがある相手は銃や刃物を携えていたり、よろしくない連中を雇っているかもしれない。こういう状況で遭遇したら何より逃げることだ。
「図書館の出入りのような誘導を続けると、ヒロキさんの負担が大きいですし、緊急時の行動が困難なので、方策を考えました。腕時計をダッシュボードの中に入れてください。」
「腕時計を?ちょっと待って。」
僕は腕時計を外してダッシュボードに入れる。ダッシュボードには、シャルのベースになった車の自賠責保険証や取扱説明書といったものが入っている。そこに腕時計を入れるとどうなるんだ?
「終わりました。取り出して填めてみてください。」
「?今までと同じで良いの?」
「はい。」
ダッシュボードから腕時計を取り出して、何時もと同じように填める。あれ?3Dマップがもう1つ見える?…間違いない。HUDにあるものと同じものが殆ど同じ位置で重なって見える。
「腕時計を介してヒロキさんの脳神経系にアクセスできることを踏まえて、私から3Dマップをリアルタイム転送する機能を実装してみました。」
「腕時計を填めれば出来るVR(Virtual Reality)なんて、革命ものだよ。」
「見え方はHUDと同じ筈ですけど、どうですか?」
「HUDと微妙に重なって見えるから、HUDを消してみて。」
「御免なさい。うっかりしてました。」
OSだから完全無欠と思いきや、ちょっと抜けたところもあるから、余計にシャルが人間だと錯覚してしまう。さて、HUDが消えると3Dマップのちょっと気になる微妙な表示のずれはなくなる。試しに左右に視線を動かしてみるが、3Dマップは普通の視界としてタイムラグなしに追従する。
「これは凄いね。こんなことを思いついて実現できるなんて。」
「ヒヒイロカネは、内部構成を変更することで色々なことが出来るんです。」
「外観はそのままで、中身だけ変えるってこと?」
「そうです。」
確かインターネットで使うルータのアップデートは、製造元から内部回路のデータが送られて来て更新される形と聞いたことがある。回路そのものを更新するって意味が良く分からないが、PCのOSやソフトのアップデートやパッチと似たようなものだろう。
シャルやヒヒイロカネの凄いところは、今のVRでは専用の眼鏡をかけないと出来ない、否、出来てもタイムラグが目立つレベルのリアルタイム処理を伴う3D表示を実現してしまうところだ、しかも現状より装着するものが一切増えない形で。こんなVRが世に出されるだけでも、反響は凄いものだろう。それだけじゃない。装備を増やしたり重くしたりすることなく、あらゆる情報がリアルタイムで表示される技術は、軍や軍需産業には垂涎ものだ。やっぱりヒヒイロカネは世に出るべきじゃない。
僕は車から降りる。四方八方霧だらけだけど、今の僕の視界にはシャルから転送されている物体の補完CGで霧がないのと大差ない。これなら問題なく歩ける。屋外で何の援助も指示もなく歩くのは、この町では初めて。裏を返せばどれだけ霧が深いかってことだ。
駐車場から少し歩くと巨大な石造りの鳥居がある。この鳥居も青色だ。青色の鳥居なんて初めて見る。かなり違和感があるが名前と統一性を持たせたんだろう。鳥居を潜って参道を歩く。幸い階段はなくて、石畳の不規則な凹みに気を付ければ問題なく歩ける。怪しまれないように、強力なLEDライトで足元を照らしながら進む。境内は不気味なほど静まり返っている。手水で手と口を清めて、縁起が書かれた立て看板を見る。うーん…。意図的だろうか古文の文体になってるからどうも分かり辛い。
『簡潔に纏めると、他の3つの神社と共に神代に造られて、歴代の藩主に崇敬された、と書いてあります。』
『!シャルか。そう言えば、僕の目を介して見えるんだったね。』
『驚きます?』
『旅に出るまでまったく経験がなかったからね。それより、この立て看板に書いてあることは本当かな?』
『昨日スキャンした町史との比較という観点では、事実です。』
『ということは、いきなり歴史上に出てきたり、町史に書けない経緯があるわけじゃないのか…。』
四色宮が何かしらのタブーを抱えていて、そのために町史との整合性が取れないところがあるかと思ったが、その線はなさそうだ。ヒヒイロカネが土着のこの神社に隠されたなら、御神体や秘宝と入れ替えられたか、聖域に隠されたかのどれかだろう。
改めて境内を観察する。鬱蒼とした森に囲まれて、敷き詰められた砂利の中央に石畳が拝殿に向かって延びている。石畳は途中で分岐して、神楽の舞台や別の神社、そして社務所へと繋がっている。此処は社務所へ向かうべきだな。
『社務所には人が居ます。』
『見えるの?』
『ヒロキさんを介して得た視覚情報に、赤外線と紫外線の空間周波数(註:単位当たりの長さに含まれる構造の繰り返しの多さ。これが高い画像はエッジが鮮明と見える。硬貨や紙幣の識別など画像解析で重要な概念)の解析を加えているので。』
『凄い技術と処理能力だね。』
『それより注意してくださいね。社務所に居るのは「若い女性」ですから。』
『!そういう言い方しないで!』
釘を刺すつもりか「若い女性」をやたらと強調した、凄く刺々しい物言いだ。シャルだって声を聞いた限りじゃ若そうだし−OSだから顔とかは全く分からない−、やきもち妬かなくて良いと思うんだけど…。
社務所へは、途中の分岐を拝殿に向かって左手の方向に曲がると行ける。社務所自体はシャルから転送される3Dマップで問題なく見えてるけど、本来強力なLEDライトでないと10m先も見えない霧の向こう。怪しまれないようにLEDライトで照らしながら慎重に近づく。
「えっと…、どなたかいらっしゃいますか?」
「ようこそ。もう少し近づいてください。」
社務所の窓際に立つと、ようやく人の顔が見える。シャルの事前情報どおり若い巫女さんだ。この神社に詰めているのか通っているのか分からないけど、碌に周囲が見えない霧の中で窓口対応をするのは、不安じゃないだろうか。
「ご参拝ですか?」
「はい。あと、この町の歴史に興味を持って、四神の色を冠した神社を回ってみようと思って。」
「そうですか。生憎こんな霧深い日が続いていて、此処まで来るのも大変だったでしょう。」
「ライトで照らしながら慎重に来ました。」
『ほー。若くて綺麗な女性の前では、嘘八百がそんなにスラスラ言えるんですねー。』
『そういうこと言わない!まさかヒヒイロカネで再構成されて凄い機能を持った車と、3Dマップの視覚アシストがあるなんて言えないだろ?!』
シャルが不意に突っ込みを入れて来る。普段より2オクターブくらい低い声は、凄い嫉妬成分を含有している。確かに巫女さんはかなり美人だが、その手の意図はないんだから棘のある突っ込みはしないで欲しい。
「参拝のついでに、境内を見て回って良いですか?」
「それは構いません。拝殿には階段がありますので、十分足元に注意してください。」
「分かりました。ありがとうございます。」
礼を言って社務所から拝殿へ向かう。3Dマップは…健在だな。此処で3Dマップを遮断されたら身動きが取れなくなる。
『あんまりデレデレするようなら、3Dマップの転送を切ってしまおうと思ったんですけどねー。』
『思ったんだね。』
『えー、勿論。』
『物騒なこと考えないで。そういえば、先に来てる男性って、どの辺に居る?』
『話を逸らしますか。今回はまあ良いでしょう。…拝殿近くです。』
拝殿近くだと、どうしても近づくことになるな。かと言って参拝せずに観察していると余計に怪しくなる。他人との初対面に徹するしかない。石畳に沿って拝殿に向かうと、人影が見えて来る。拝殿近くに佇んでいる。何をしてるんだろう?
『撮影…?』
人物は、カメラらしいものを拝殿に向けている。寺社仏閣の写真を撮る人は珍しくも何ともないが、この霧だと拝殿が写りそうにない。僕は3Dマップの視覚アシストがあるから拝殿や人物の位置や形状が分かるのであって、それがなければ真っ白の風景に放置されているようなものだ。
拝殿はやや高い位置にあって、石段がそこに導いている。もし人物のカメラが霧もものともしないものなら−そんなカメラは聞いたこともないが−僕が写り込んでしまうかもしれない。単に寺社仏閣を撮影している人だったら、ちょっと申し訳ないな。偶然を装って聞いてみるか?
「あれ?俺の他に人が居るのか?」
「はい。こっちが見えるんですか?」
「ライトでうっすらと。最初は人魂かと思ったけど。」
人物の方に近づく。10mを切るとうっすらと見えて来る。20代くらいの男性だ。まさか自分以外に人が来るとは思わなかったようで、かなり驚いている様子だ。
「参拝ですか?」
「はい。あとは歴史好きなので、四神になぞらえた名前を持つこの町の神社を見てみたいと思って。」
「そうですか。俺は写真が趣味なんで、彼方此方回ってるんです。霧に佇む神社っていうのもなかなか趣があって良い。」
「失礼かもしれませんけど、この深い霧で写真が撮れるんですか?」
「あー、露光を増やして時間をかけて撮影すると映るんですよ。」
「カメラのことは素人なので、失礼しました。拝殿に行っても邪魔になりませんか?」
「それは大丈夫。人は他に居ないからまた撮り直せば良いし。」
「分かりました。では失礼。」
男性から離れて改めて拝殿に向かう。この霧でも露出を上げれば写るのか。時間をかけてでも撮りたいのかな。交通の便が良くないから、来られた時に撮っておきたいって気持ちは分かる。
『あの人、嘘を吐いています。』
『え?嘘って?』
『カメラの露光は、光をより多く取り込むためのものです。遮蔽された対象に露光を増やしても無意味です。それに、露光を増やして撮影するなら、カメラを三脚で固定しないと集光がぶれてしまいます。カメラの手ぶれ防止機能でどうこう出来るものではありません。』
『じゃあ…。』
『撮影はフェイクで、別の意図を以て此処に居ると考えるのが最適解ですね。』
別の意図となると、やっぱりヒヒイロカネか…。兎も角参拝しよう。このまま何もしないで引き返すと怪しまれる。拝殿に繋がる石段は、視覚アシストがないとまず間違いなく転倒しそうだ。これも怪しまれないために、LEDライトで足元を照らして慎重に上る。
『あの人、こちらを見てますね。カメラは構えていません。』
『様子見かな?』
『それもあるでしょうけど、こちらが本当に見えているとなると更に怪しいですよ。今のヒロキさんと同じ状況ってことですから。』
『視覚アシストがある?!』
『そうです。』
一気に緊迫の度合いが増してくる。シャルの仮定が事実なら、既にヒヒイロカネを使った道具なりがシャル以外にこの世に存在して、そこから僕と同じように視覚アシストを受けているってことだ。それはつまり、ヒヒイロカネの拡散が始まっているってことでもある。
『ただ、あの人が乗ってきたと思われる、駐車場にあった放置車両でない車は、一部カーボンの金属製です。私とヒロキさんのような関係ではないのは確実です。』
『別のところにシャルのようなOS搭載のヒヒイロカネが居るのかな?』
『その線も考えられます。今は普通の人を装ってください。危ないと思ったら迷わず逃げてください。』
『分かった。怪しまれないように参拝するよ。』
異様な緊張感の中、拝殿と向き合う。賽銭の100円硬貨を財布から取り出して賽銭箱に投じる。そして二礼二拝一礼。願い事は…ヒヒイロカネを無事回収できますように、としておこう。現段階の願い事はそれくらいしかない。
『社殿をスキャンします。少しの間、観察を装って拝殿を含めた全体像を見てください。』
『分かった。』
僕は拝殿を見る。見たところ一般的な神社と同じ感じだ。拝殿から奥に別の建物が延びているが、左右にある木の柵から向こう側は聖域だから、一般人は入れない。位置を変えて社殿を見る。位置を左右に動かして、シャルの手助けになるよう少し視線を固定してみる。
『ありがとうございます。社殿全体をスキャンできました。解析を始めますからヒロキさんは戻ってください。』
『分かった。』
元の石段をより注意深くを装って降りる。本来足元もまともに見えないくらいだから、視覚アシストに頼ってスイスイ降りられたら怪しさ倍増だ。石段の位置からだと、視覚アシストなしじゃあの男性は全く見えない。男性の方はあまり見ないようにして、ライトの明かりを頼りに帰るように装う。
『あの人は撮影を再開しました。』
『解析処理の負担にならない?』
『それは大丈夫です。あの人が怪しいことには変わりありません。監視を継続します。』
『そんなこと出来るの?』
『この世に存在するものなら、私の追跡から逃げることは出来ませんよ。』
さらっと怖いことを言う。でも、僕が境内に入る前からあの男性の存在を検知したのは他ならぬシャル。凄い高精度のGPSと超高解像度のカメラの複合技だろうけど、居場所や行動を監視追跡するのは造作もないことか。
境内を出てシャルのところに戻る。シャルが明けてくれた運転席のドアから入ると、直ぐにドアが閉まってロックがかかる。シャルも相当警戒しているな。だけど、あの撮影がフェイクだとすると、神経質にならざるを得ない。
「おかえりなさい。」
「ただいま。神社の参拝でこんなに緊張感を感じたのは初めてだよ。」
「ヒヒイロカネが世に出ているかどうか定かではない状態でこうなんですから、存在が白日の下に晒された後のことは想像できますよね?」
「うん。ヒヒイロカネの回収は喫緊の課題だって改めて分かったよ。」
「次は白宮ですね。同じように参拝してもらって、社殿をスキャンします。」
神社はまだ3つ残っている。どれかに、あるいは全部にヒヒイロカネかその手掛かりがある可能性は高い。一方で、ヒヒイロカネを探しているのかシャルと同じ高度なOSの支援を受けているのか不明だが、怪しい人物が急浮上してきた。やっぱりヒヒイロカネの回収は一筋縄では出来そうにないな…。
四色宮の参拝と観察を1日がかりで終えて、ホテルに戻った。町史と風土史、それと四色宮の解析が全て完了したとシャルが伝えて来たから、部屋でPCを取り出して、テキストエディタを起動する。単に聞いてるだけだと忘れたり無意識に記憶を改竄する恐れがある。
シャルからまず町史と風土史の解析結果が伝えられる。此処オクシラブ町は今でこそ過疎の町だが、神代から続く歴史がある。正直神代からの歴史ってのは眉唾物だが、四色宮の建立はこの頃。それは神代の経緯が絡んでいる。
日本書紀にある神武東征の時、この地には「荒ぶる神」が居た。「荒ぶる神」は3面の顔と6本の腕を持ち、剣と矛と弓を持ち、口から毒の霧を吐き、人や動物を食らっていた。それを日本武尊が例の草薙の剣で斬ったのだが、厄介なことに復活してしまった。そこで日本武尊は天に祈りを捧げ、齎された4つの宝玉で「荒ぶる神」をこの地に封印した。4つの宝玉の色は青、白、赤、黒の4色。それを御神体として4つの神社が建立され、以降青宮、白宮、赤宮、黒宮と呼ばれ、4つまとめて四色宮と呼ばれるようになった。
「荒ぶる神」の力は凄まじく、封印されても尚その残滓が世に出て来る時がある。それが霧。霧にもはや毒はないものの、「荒ぶる神」の吐息として忌み嫌われ、住人は霧が出る日に外を出るのを避け、家畜も収容するようにした。
一方、封印された「荒ぶる神」の力は、この地を肥沃なものにした。作物は放っておいても豊かに実り、家畜の成長は目を見張るものだった。そのため、多くの豪族や武将がこの地を狙い、領主は猫の目のように変わった。
『−江戸時代、時の藩主が不正な蓄財の嫌疑により取り潰され、それからは天領(註:江戸時代の幕府の直轄領)となって明治維新を迎えた。以降の近代現代には特筆すべき内容はありません。』
『神代の信憑性は兎も角、相当歴史の長い町と神社ってことは間違いないね。』
『はい。そこで問題になるのが四色宮にある御神体です。スキャンして解析した画像をPCに表示します。』
『そんなことも出来るの?』
『リアルタイム性が不要なので、視覚アシストよりずっと楽ですよ。』
PCの画面に唐突に3Dの鮮明な社殿が表示される。これは…最初に赴いた青宮か?
『そのとおりです。さてこの青宮ですが、奥の本殿には確かに御神体と思しき物体が安置されています。これです。』
社殿が一気にズームされて、本殿の奥にある祭壇らしい場所に安置された球体が、青く点滅する。画面の比率からして掌に乗るくらいのサイズだろうか。
『中も見えるなんて、X線でも使ったの?』
『主に超音波を使いました。あとは赤外線・紫外線の空間周波数を含めた解析を。』
『僕の目を介してそんなことまで出来るのか…。』
『言ってみれば、一心同体の関係ですね。話を戻しますけど、この御神体の材質がヒヒイロカネである確率が存在します。』
『御神体が?!』
『はい。解析結果がヒヒイロカネ特有のスペクトル(註:周波数の分布。この解析で物質の構造や反応状態を調べる)に類似しています。』
御神体がヒヒイロカネだと、この町を覆う深い霧との関連もあり得る。何らかの原因で御神体の均衡が崩れたとか。だとすると、ヒヒイロカネは相当遠い昔にこの世界に持ち込まれたってことか?
『まだ御神体がヒヒイロカネと断定は出来ません。スキャン対象に対して非常に小さい物体の正確なスペクトルを得るのは、今回の解析では厳しいので。』
『X線CTだったっけ?そういうものにかけないと断定は出来ないんだね。』
『はい。或いは至近距離で解析するかで可能です。今はこれが限界です。御免なさい。』
『シャルが悪いわけじゃないよ。僕が左右に適当に動いて見ただけで、本殿の内部構造や御神体の存在が分かっただけでも十分凄い。ヒヒイロカネかどうか断定するのは別の機会で良いんだし。』
『優しいですね、ヒロキさんは。』
『そんなことは…。』
本殿は宮司でも滅多に入らない場所だと聞く。当然ながら一般人はまず立ち入れない。そんな本殿の内部をスキャンして、鮮明なCG−祭壇の詳細な形状も分かるくらい細かい−に出来ただけでも、資料としては非常に貴重だ。
『青宮の御神体がヒヒイロカネである確率があるってことだけど、他の3つの御神体は?』
『それが重要なポイントなんです。』
シャルの口調が俄かに切迫したものになる。PCの画面が4分割されて、最初に表示されていた青宮が左上に、その右が白宮、下部左が赤宮、同じく右が黒宮の社殿を透かしたCGに切り替わる。そして、本殿がズームされて御神体がそれぞれの色で点滅する。
『何れの本殿でも御神体の存在は確認できました。ところが、赤宮の御神体だけ、スペクトルが明らかに異なる結果が出ました。』
『それって、偽物ってこと?』
『どちらが偽物なのかは断定できませんが、赤宮の御神体がヒヒイロカネである確率はほぼないことは確実です。』
青宮の御神体は白宮と黒宮のものと同じ。つまりヒヒイロカネである確率が存在する。唯一赤宮だけ全く異なるものだということは、本来4つ揃っていたヒヒイロカネ製の御神体のうち、赤宮のものだけが何らかの原因で入れ替わっているってことか?
ヒヒイロカネの性質として、自己修復機能の他、増殖や擬態があることはこれまで知るに至った。端的に言えば「生物的特徴を持つ金属」だ。一方、遠い昔に封印されたという「荒ぶる神」の残滓として霧が出るという。それ自体は神話の範疇だろうけど、ヒヒイロカネが地域環境に作用するとしたら?そして本来4つ揃うことで一定の地域環境を形成していたのに、1つがなくなったらどうなるか?最も単純に考えれば、4つあることで成立していたバランスが崩れて、地域環境が乱れる。その結果が満月の時しか晴れなくなった深い霧となって表れてるんじゃないか?
『その推測は、私も考えていたことです。ヒヒイロカネで気象制御を行った事例は、私が創られた世界ではありませんが、何らかの触媒を使うことで可能になることは考えられます。』
『ヒヒイロカネを持ち出したのは、やっぱり…青宮でカメラを持っていたあの男性かな?』
『その確率は十分あります。霧しか写らないのは明らかな場所で、明らかな嘘を吐くのは、相応の理由があるからと考えられます。』
『その男性の追跡はどう?』
『青宮に暫く滞在した後、白宮、赤宮、黒宮と辿って、現在はホテルに戻っています。ヒロキさんがいるホテルとは違って、南東に100mほど先にあるホテルです。車は青宮の駐車場にあった放置車両でない車でした。』
『何らかの目的を以ってこの町に来ていると見て良さそうだね…。』
早速競合若しくは妨害が出て来たか。ものがものだけに必然的ではあるが、物理的な衝突は出来るだけ避けたいところだ。腕力に自信がないこともあるけど、下手に警察沙汰になったらヒヒイロカネの存在を表に出さざるを得なくなる。どう判断されても碌なことにはならない。
それに、御神体がヒヒイロカネの確率が高いとなったのが非常に厄介だ。御神体は言わば神社そのもの。それはヒヒイロカネだから交換して欲しいと言って、はいそうですかと応諾される筈がない。かと言って本殿に入るのは宮司でないとまず不可能。そもそも、本物の御神体はどうなったのか。御神体が盗まれたり入れ換えられたりしたら、神社としては一大事だ。各神社を守るように存在する集落も大騒ぎになって不思議じゃない。その割には、赤宮周辺以外は人がいないかのように静まり返っていた。敢えて表沙汰にしない方法もあるが、ちょっと変な気がする。
『暫くこの町に滞在する必要がありそうですね。ホテルの滞在期間を延長しておきますか?』
『この町にヒヒイロカネがある確率が存在する以上、明後日出発とは出来ないね。延長の手配をしておいて。』
『分かりました。3泊分延長の手配をしておきます。』
『頼むね。』
この先出来ることは…神社の宮司や集落の代表者に会って御神体の拝観を申し出ること、か。難しいだろうが、こういったことまでシャルの強力なアシストは及ばない。人同士の交渉や依頼は僕自身が進めるしかない。それに、これまでの生活や人間関係を切り捨ててこの旅に出たんだ。前の生活には戻れないし戻る気もない。
御神体を誰が入れ換え持ち出したのかが気になる。神社における聖地中の聖地と言える本殿に侵入して御神体を入れ換えて持ち出したことはれっきとした犯罪だし、神社や集落は聖地を足蹴にされたようなものだ。そこまでして御神体を持ち出したのは何故?やっぱりヒヒイロカネを何かに使うためか?1個だけ持ち出したってことも引っ掛かる。本殿に侵入して入れ換えるなら、全部持ち出しても良さそうなもの。敢えて赤宮の1個だけなのは、まだ持ち出しの計画が途中だからか?だとすると青宮で出くわしたあの男性は下見に来ていたのか?謎が多過ぎるし、複雑に絡み合ってる。1つ1つ解していくしかないな…。