雨上がりの午後

Chapter 245 臨時親子の旅日記(13)−親から子へ(2)−

written by Moonstone

 ふと晶子を見る。俺の方を見ていた晶子は、温かくてしかも嬉しそうな微笑を浮かべて小さく頷く。俺が父親らしいことを言えて嬉しいのか頼もしいのか、
よく分からないが、将来の子育てに不安を感じていることはないだろう。
 子ども好きの晶子としては、俺が子ども嫌いで怒鳴ったり殴ったりして言うことを聞かせる父親になられては困る筈だ。俺とてそんな親にはなりたくないが、
子どもにどう接して良いか分からなくて、質問攻めや強請りに直ぐ怒鳴ったり殴ったりすることもありうる。言って聞かせて理解させるってことは、怒鳴ったり
殴ったりして強引にでも従わせるよりずっと難しいもんだと思う。
 そう考えると、今は警察で絞られているだろうあのめぐみちゃんの両親も、加害者として責めるだけでは不足かもしれない。子どもが出来たから仕方なしに
結婚したなんて間違っても子ども本人の前で言うことじゃないし、あの両親の言動は間違いなく虐待だから、その点は当然厳しく責められないといけない。
無計画に子どもを作ったこと自体も責められるべきことだ。その結果経済的に困窮したり精神的な束縛を感じて子どもを邪険にするのも許されることじゃ
ない。 だが、子どもの接し方を知らないまま親になり、罪を問われて責められることだけでめぐみちゃんの境遇は変わらないような気がする。近くの児童
相談所と連携すると警察の人が言っていたし、そうすることでめぐみちゃんがもう二度と他人の前で親に攻撃されて泣くようなことにならないで欲しい。

「えっと・・・、何処まで話したっけ・・・。」
「亜鉛ですよ。」
「食事の話になって何処まで話したか忘れちまった。」

 ど忘れに苦笑い。それを皮肉ったりせずにさらっとフォローしてくれる晶子がありがたい。こういう行動は夫を立てる意識がないと出来ないことだ。

「亜鉛も日頃の食事で摂っていれば十分だから、今はそういうものがあるって憶えておく程度で良いよ。・・・他に何か聞きたいこととかある?」
「ううん。もうない。」
「じゃあ次。次は鉄。これは分かりやすいだろう。磁石にくっつくものだから彼方此方にある。」
「大きなビルが造られてる時に赤くて太い大きな柱が幾つもあったけど、あれもそう?」
「そう。アルミに対して鉄は大量に安く作れるからな。頑丈だし、大きなビルを建てるには鉄が使われる。」

 鉄は身近な金属だ。自動車も軽量化のためアルミが多く使われるようになってきたとは言えまだまだ鉄が殆どだし、強度やコストを考えるとアルミやその
合金であるジュラルミンが鉄を駆逐するのはずっと先の話だろう。船。特にタンカーや貨物船、軍艦は殆ど鉄だ。軽さも大事だが−浮力で軽くなっていても
相当重い強度が重要だ。航路途中で沈んでもらってはそれこそ海の藻屑でしかなくなる。
 鉄と言ってもこれまた色々ある。純度や不純物−混合物と言うべきかも知れないが、それらによって特徴や用途も大きく異なる。不純物を極力含まない
純鉄は白銀色に綺麗に輝くし、錆び難い。ステンレスもそうだが、純鉄は精錬が難しいから装飾品など限られた用途に使われる。
 ステンレスはその名のとおり錆び難いし割と作りやすいことから、しょっちゅう水に晒されるキッチンの流しに使われる。アルミで真空装置を手がけることも
あるが、真空ゆえ強度が必要−空気の圧力は物凄い−な真空装置本体はステンレスで作られる。
 アルミとステンレスは見た目同じ白銀色だし、触って持ってみてもステンレスの方が重いくらいで目立った違いはない。しかし、機械加工になると違いが
顕著に出る。
 俺は3年生までにまだ入学時のオリエンテーションで見学したのと、重電関係の実験で機械加工の必要があって予め用意された材料−その時はアルミ
だった−の所定の位置に穴を開けるといったごく簡単な加工をした程度だが、アルミは結構すいすい加工出来る。大きめの穴を開ける時に力任せに
開けようとすると余計に上手くいかないくらいで−工作工場の職員に教えてもらった−金属ならではという硬さはそれほどではない。
 一方、ステンレスは見かけアルミと同じでもアルミと比べてやたらと硬い。俺はその時、次の実験を準備するため例の2人は放置で−数に含めるのが
間違いだと悟っていた−智一に観測を任せて工学部の付属工場に1人で出向いた。アルミの加工は大きめの穴を強引に開けようとして職員の人に開け方を
指導されたくらいですんなり終わった。その時、職員の人が「同じことをステンレスでしようとしたらどうなると思う?」と問いかけてきた。
 同じ大きさの材料−両手で持てる程度の板だった−を順に持ってみて、ステンレスの方が重いし硬そうだと答えた。職員の人は「そのとおり。やってご覧」と言って、持たされたステンレスの板に穴を開けてみるよう促された。実験の進捗もあるから若干躊躇したが、その材料は切れ端だから失敗は気にしなくて
良いと言われて試しにやってみた。すると、アルミが木に思えるほど硬かった。穴を開けるにしてもなかなかドリルが材料に食い込んでいかない。力任せは
駄目と言われているから力押しはしなかったが、焦ってドリルを何度も上げ下げしたりしてようやく開けた。単純にアルミとステンレスは硬さや重さの違い
だけかと思っていたが、加工でこれほど手間がかかると知って機械加工の難しさを感じた。板の切れ端に穴を開けるだけでもこれだけ梃子摺ったんだ。
キッチンの流しや真空装置となれば大型の機械や製作時間の増大の必要性は当然のことだ。
 工学部では4年の卒業研究以降、研究室によっては頻繁に工作工場を利用するらしい。PCを扱うことが主体の計算機関係や音響通信関係では使う機会は
あまりないようだが、重電関係と物性関係は「工作工場に出入りして加工を手がける回数だけ良い研究が出来る」と言われているほどだ。あれだけ手間と
根気が必要な機械工作を当たり前のように手がけるなら、手間や労力を惜しまない学生でないと邪魔になるだけだろう。

「他にはキッチンの流し−水を使うところや、あと・・・包丁だな。包丁も使い道によって違うものを使う。」
「どうして?」
「切れるものの度合いが違うんだ。この辺はお母さんの方が詳しいな。」

 俺だと「ステンレス製の普通の包丁=一般の料理」で「鋼の刺身包丁=刺身」くらいしか説明出来ないから、自ら魚を捌いて刺身を作る他、思いつく大抵の料理を作れる腕を持つ晶子が適役だ。

「普通の包丁でも十分切れるんだけど、お魚のお刺身を作る時には太い骨が切れなかったり必要な部分を切り出せないの。そういう時は、良く切れる専用の包丁、刺身包丁を使うのよ。」
「良く切れるって、どのくらい?」
「ちょっと怖い話になるけど・・・良いかな?」
「うん。」
「包丁で指を切ると血が出るだけじゃなくて、深く切っちゃうと指そのものが切れちゃうくらい。」
「え・・・。」

 めぐみちゃんには予想外だったらしく絶句してしまう。だが決して誇張でも嘘でもない。刺身包丁は金属の棒のような硬さを持つマグロやカツオなど大型の
回遊魚の中骨をも簡単に切り落とす切れ味を誇る。それは刃の材質である鋼の力だ。
 鋼はかつて日本刀として広く使われていた。戦国時代で鉄砲が戦闘の主流になるまで戦闘の行方を大きく左右する武器として、または負けた相手や
罪人の首を斬り落とす処刑道具として使われたから、切れ味は折り紙つきだ。今は銃刀法−正確には銃砲刀剣類所持等取締法と長いという武器の所持を
厳しく処罰する法律があるから、包丁として使われる。
 太い中骨も簡単に斬り落とすくらいだから、人間の指くらい斬り落とすのは簡単だ。その気になれば首を斬り落とすことだって出来る。晶子は使う前に
包丁を研ぐが、その時の研ぎ具合の目安として「垂らしたティッシュを刃先で切れる」というのがある。研ぎ終わって垂らされた包丁が、晶子が手首を動かす
だけでスッパリ綺麗に切る様は時として底知れぬ恐怖を呼び起こす。
 晶子は至って温厚だし俺と違って万人受けするタイプだし、昼も夜も徹底的に尽くしてくれる俺にとっては最高の妻であり女だが、ふと俺にこれだけ執着
するのは何故だろうと思う。特に夜が激しかった後。夜の最中は見て感じる晶子を前にことに没頭しているが、終わった後は妙に冷静且つ客観的になることが
ある。俺に抱きつくか覆いかぶさるか、何れにせよ俺の耳元でぐっすり眠っている晶子をけだるい腕を動かして抱きながら、どうして俺にこれだけ尽くすのかと
考える。殆どは考えが続かずに寝てしまって気づいたら晶子が何食わぬ顔で起こしてくれる。昼と夜のギャップが大きいから夜に燃えるんだが、ふと冗談でも
「別れよう」なんて切り出したら・・・と考えるところまで行き着く。それは次の瞬間、2つの可能性で何れも背筋が凍る。
 1つは晶子が自殺すること。もう1つは俺が殺されること。その凶器として何れも晶子愛用の刺身包丁が浮かぶ。あの切れ味の包丁で攻撃を受けたら、鎧でも
着てない限り防ぎようがない。考えたくないことだし考えないようにしているし考えることもないが、夜の営みが終わった後に自分や晶子を気味悪いほど
客観的に見られてまずありえない可能性について考えたりするのは奇妙だ。

「注意して扱えば、良く切れる包丁でも大丈夫だよ。それに、そういう包丁を使うようになる前に、普通の包丁から使い方を覚えれば良いから。」
「普通の包丁は指が切れたりしない?」
「うん。そこまで切れないから。」
「お母さんは、包丁の使い方を覚える時に怪我したりした?」
「うん、勿論。いっぱい失敗したよ。」

 思いつく料理を全て作れるだけじゃなく、冷蔵庫にあるもので食べられるものを作れる晶子の料理の腕からは包丁で指を切ったり砂糖と塩を間違えるような
失敗はまったく想像出来ないが、誰でも最初はあるし失敗はある。それを修正・改善する方向で繰り返すことで徐々に上達していく。
 俺は「根性があれば何でも出来る」というような根性論には与(くみ)しない。むしろ、高校時代に急進派で名高かった耕次の影響もあってか根性論は強制で
何かをさせるための口実でしかないと思う。だが、結果や変化が分かるまで同じことに継続して取り組む根気の必要性は否定しないし、必要なことだと思う。
 俺は中学でギターを手にしたが、最初は定番とも言える「禁断の遊び」を弾くのがやっとだった。大きな関門であるFコードがなかなか弾けなかったが、
弾けるようになるまで練習した。どれくらいかかったかは憶えてないがかなりの時間がかかったのは間違いない。
 学生実験は根気が必須だ。条件を変えながら測定器が示す値を記録するのが基本だから単調だし、時間がかかる。物性関係だと顕著だ。電圧や電流なら
まだしも温度は曲者で、変化は起こりにくいが一度変化し始めると簡単に揺れ動く。慣性といえるこの性質のおかげで温度特性を調べる実験は恐ろしく
厄介だ。測定する温度を逃して上げすぎた若しくは下げすぎた場合でも、一旦戻ってなんてことは出来ない。温度が上がる時と下がる時で特性が違うことも
あるからだ。学生実験ならこういう結果が出ると分かっているが、実際の研究では温度に対してどんな特性を持つか分からないから後戻りすることで実験の
意味がなくなる。
 学生実験の最後は重電関係だった。その回も俺だけ先に幾つかの問答をして実験そのものは終わった。増井先生からの召集の話をしてくれた人物でも
ある実験担当の助手は、卒研以降で学生が伸びるかどうかは学生実験への取り組み方で概ね分かると言った。卒研は学生実験より結果が不明瞭で手段も
自分で構築する必要に迫られるが、それが出来るためには目的や結果や手順が予め示されている学生実験で取り組む姿勢の基礎を固めておかないと
いけない。それを他人のレポートを写してやった気分になっているようでは、卒研などまともに出来るはずがない、と。
 「使えない」を通り越して「話にならない」「最初から居ないと同じ」智一以外の2人とようやく縁が切れるとあって、俺は実験を事実上2人で進めるのは大変
だったとこぼした。助手はしみじみとした表情でしきりに頷き、失礼だと思うが同情を禁じえないと応えた。実験終了が深夜に及ぶことも頻繁だったのは
人手が足りないことが最大の要因だった。
 外で待機させられている智一と他2人を他所に椅子も用意してもらって暫し懇談。これだけしっかり学生実験が出来ていればどの研究室に入っても通用
するし、先生方も就職希望先に強く推薦してくれると太鼓判を押してくれた。同時に、これだけ出来る学生が院に進学できないのは惜しくてならないと
言われた。俺は修士号やその先の博士号にそれほど関心はないが、就職してから働きながら院に通うのはかなり困難だと聞くし、辞職して院に進学して以降
再就職できるかどうかは不透明だ。先が見えないこのご時勢で俺1人ならまだしも、晶子が居る状況ではそんな冒険に走ることは出来ない。
 晶子が居る状況を将来の制限や行動の束縛などと思うことはない。院進学は最初からあまり頭になかったし、将来設計がしやすい。俺が親になることは
未だに具体的にイメージできないが、慣れの問題かもしれない。

「失敗するのは当たり前。特に最初ならね。どうしてそういう失敗をしたのか、どうすれば失敗しなくて済むかを考えて次に生かすようにしていけば、徐々に
上手くなるわよ。」
「初めて包丁使う時、怖くなかった?」
「うーん・・・。あまりよく憶えてないけど、怖いっていう気持ちよりこれで自分も料理出来るようになるっていう気持ちの方が大きかったかな。」

 包丁を使う時の手つきや複数の料理を並行で作っていく手さばきを見ていると想像し難いが、晶子にも当然初めて包丁を使う時があった。怖さより希望が
大きかったあたり、晶子の料理好きがずっと前からだったことが見える。
 朝飯やバイトが休みの月曜夜の夕飯、そして大学へ行く時の弁当と晶子が手がける食事の範囲は拡大していったが、どれも俺が頼んだり、ましてや命令
したことで始まったんじゃない。俺がどうこう言うより先に晶子が作り始めた。料理が駄目な俺には特に昼の弁当はありがたかったが、殆ど毎日となると
面倒じゃないかと思う。朝は晶子が住み込むようになってから毎日だから、1日につき最小1食、最多で3食だ。しかも主なおかずは連続して使われない。
肉や魚にしても同じ種類の食材が連続する−例えば朝は鮭の切り身を焼いたもので昼は魚の照り焼きといったことはない。言うのは簡単だが作るとなると
料理の数は勿論、どの食材にどの料理法が適切かその逆かなど細かいことを把握していないと出来ない高等技術だ。
 食材があれば作れる料理は結構ある。刺身は刺身で食べられる鮮度の魚がないと無理なのがその代表例だ。一方であり合わせの材料で食べられるものを
作るのはかなり難しい。ご飯に味噌汁、サラダにおかずと揃っていてあと1品欲しいとなって冷蔵庫と向き合って何が作れるか、だ。例えば、きんぴらゴボウで
ゴボウがないなら食感が近いにんじんで代替する。漬物がないから大根やにんじんを切って茹でて酢と塩と砂糖で作った調味料と混ぜる。酢の物が欲しくて
もずくがなければ乾燥ワカメを戻したものを主体にスライスしたきゅうりや大根で作る。これらは料理の本に載ってないから、代替出来る食材の知識やそれに
応じた料理の仕方を考案する必要がある。
 晶子は俺と週末に買い物に出かけるが、それで1週間で食べる全ての料理をカバー出来るわけじゃない。限られた食材で幅広いメニューを実現するには、
こういう料理が欲しいけど食材がないならこの食材で代替する、或いはこの食材があるからこの料理で代替するといったことが必要になる。それらは料理の
本にある料理が出来て、その知識や技術を応用出来るまで高めていないと出来ないことだ。
 晶子に食材と道具を持たせると様々な料理が出来るが、それらは無数の失敗と経験の上に構築された技術だ。俺は晶子の料理技術とその結果生み
出される料理を信頼しているから、冷蔵庫の食材や料理器具、食器の収納は晶子に一任している。晶子が使いやすいように料理器具や食器を収納しても
一切口出ししない。晶子のおかげで息を吹き返した料理器具や食器だ。晶子に使い込まれて本望だろう。

「料理って誰に教えてもらうの?」
「学校で教えてもらえるし、家で教えてもらうのもあるわね。」
「学校で料理習うんだ・・・。」
「学校では色んなことを勉強出来るから、積極的に取り組むと良いわよ。」

 小学校で家庭科があるのか知らないが−俺は憶えてない−、男女平等とかまびすしい昨今、小学校あたりから家庭科の授業はあるだろう。家で出来ない分
そこで出来るようになれば良いんだがな。

「お父さんは料理出来る?」

 そっちに話を向けるか・・・。今の母親である晶子が包丁に纏わる記憶や経験を話したから、今の父親の俺はどうなのか気になるんだろう。

「ご飯炊いたり簡単な炒め物を作ったりすることくらいは出来るけど、お母さんには遠く及ばない。」
「お父さんはお母さんに料理教えてもらうの?」
「仕事がお休みの日にちょこちょこと、な。炒め物に使う野菜の切り方もお母さんに教えてもらった。」
「お父さんはお仕事が凄く忙しいから、時間の余裕があるお母さんが家のことをするようにしてるの。」

 俺も仕事−3年で終了した学生実験やそれを含むレポートでなかなか家のことに手が回らないが、後期試験が終わってから少しずつ晶子に料理を教わって
いる。包丁使いはまだ野菜を短冊状に切るのがやっとの有様だし下味をつけて云々になると全然覚えられないから晶子の補佐的な状態だが、晶子が倒れた
時に備えて1週間くらいローテーション出来る程度の料理はこなせるようにしておきたい。
 晶子が倒れることは今までの健康状態からして考えられないし考えたくないが、何時何が起こるかわからない。幾ら気をつけていても事故や病気を防ぐにも
限度がある。晶子も4年になると卒論や就職活動−どうするのか分からないが−で忙しくなるだろうし、帰宅して家事を一手に引き受けるとなると気が
休まらないだろう。疲れが溜まっているような時に「たまには俺が」と晶子を休ませて料理を作れば、晶子の負担も少しは減るだろう。

「お父さんとお母さんも学校で料理習ったんだよね?」
「ああ、習った。」
「お母さんもよ。」
「でも、同じくらい出来ないのはどうして?」
「どれだけ回数をこなしたかの違いだろうな。お父さんはそれこそ学校で習う分しか今まで殆ど料理をしなかった。」
「お母さんは学校以外に家でも料理をしてたから、こなした回数の違いだけだと思うよ。」

 晶子が包丁を使い始めたのはかなり早いようだし−詳しくは聞いてないから知らない−、小学校以降学校と家で経験を重ねることで料理の腕を向上
させたんだろう。対する俺は一応家庭科は履修したがその時も終了後の洗い物が殆どだったし、バンド仲間との泊りがけ合宿でも料理が出来る勝平の指示に
従って食材を買いに行ったりやはり洗い物をしたりと料理そのものに携わることが殆どなかった。家では特に高校に入ってからは両親にバンド活動や
宮城との付き合いに干渉の余地を与えないように成績の維持向上が至上命題だったし、そうすることで親は何も言わなかった。大学合格後に料理器具
一式を買い揃えてもらったが、教えてもらう機会のないまま今の家に引っ越してしまったことで料理器具は暫し埃を被ることになった。
 回数をこなすことで技術が向上することは料理だけのことじゃない。料理の仕方は本を読めば結構な数が揃うが、料理をすることそのものは本を読んで直ぐ
反映されるもんじゃない。それで料理の腕が向上するなら料理学校は勿論料理を仕事とする人達は仕事がなくなるだろう。やはり自分で手を動かして怪我を
含めた色々な失敗をして、失敗を繰り返さないように数をこなすことで技術が向上するんだと思う。

「料理が出来ると何かと便利よ。」
「どうして?」
「自分の腕次第になるけど、美味しいものを安く食べられるし、この料理に何が使われているかがよく分かることが大きいわね。」

 晶子の言う料理が出来ることの利点は俺もよく分かる。俺の料理は食べられるという程度のものだが、晶子くらいの腕になると思いつく料理は大抵出来る。
これは言い換えれば料理を食べる毎に飲食店に赴く必要がないということでもある。
 自分のバイトを否定するような部分もあるが、外食は結構金がかかる。店舗の維持やスタッフの給与など必要経費の確保以外は基本的に利益をあまり
考えない大学の生協でも昼の定食で約450円。これが週5日だと450×5=2250円。一月4週28日として概算すると、450×5×4=9000円。これだけでも俺の
バイト代だと約1日半分が消える計算だ。更に毎日の朝飯と土日祝日の昼飯、更にバイトが休みの月曜夜の夕飯が加わる。朝飯は晶子が手がけるように
なるまでトーストとインスタントコーヒーだったから計算し難いし、土日祝日は晶子の料理を食べるようになるまであまり食べなかったからこれらはパス。
月曜夜の夕飯をコンビニ弁当で済ませてい他頃は何気なしに払っていた1回600円程度の額も、一月4週として概算するとそれだけで600×4=2400円が
消える計算になる。つまり、食費だけで今まで一月9000+2400=11400円使っていたことになる。毎月の収入は仕送りの10万に加えてバイト代が今だと時給
1600円×4時間×週6日×4週=153600円が入るから一見割と余裕があるが、実際は講義で使うテキストやギターの弦、定期購読の雑誌などで結構消えるし、
緊急事態を考えて大半を貯金に回しているから、食費で10000円以上は実際かなり大きな比重を占める。
 晶子が弁当を作ってくれるようになったことで、今まで作ってくれた夕飯に加えて昼の食費も浮くようになった。浮いた額は11400円は毎週末の食材購入に
充てられるが、実際に使う額は半分くらいだ。今は収入に余裕があるからたかが10000円くらいと思うだろうが、4年になって卒研が本格化し始めると進捗の
ためにバイトの回数を減らす可能性も生じる。当然その分は収入減になるから「最盛期」の計算は通用しなくなる。それを見越して贅沢な暮らしをしていると
収入と支出のバランスが崩れて大変なことになる。食事を抜くくらいで済めば良いが、世の中には食費に困ってサラ金に手を出したり挙句の果てには犯罪に
手を染めたりする人も居るから決して侮れない。
 生活の基礎を表現する言葉の1つに「衣食住」があり、「衣食を足りて礼節を知る」という格言があるように、満足に食べられない状況では考えも荒むし
子どもが居てもまともに躾けられないことが多い。食べ物に事欠くような生活でも親が生活のために懸命に働きその様子を子どもが見ていれば、「親が
頑張っているんだから自分も我慢しよう」と子どもも自制や自律が出来るようになる。だが、親が遊び呆けて怠惰な生活を惰性で過ごしていて、子どもは
作るだけ作って放任主義を気取って面倒を見ないと、大抵子どもは所謂「非行」に始まる犯罪への道を歩むようになる。
 子どもは最初何も知らない。純粋無垢な状態からその子ども固有の人格や性格を形成していく過程で最も関わりが深いのは親だ。その親がまともに
子どもを教育出来なければ、子どもが自制や自律を知らないまま欲望だけで突っ走るようになるのは当然だ。その点でも子どもは被害者だし親に重大な
責任がある。

 俺も晶子も新聞を購読してないし−新聞勧誘のやくざまがいの強引さやしつこさには辟易するばかりだ−、TVもあまり見ないから大学やバイト先での話を
聞くくらいだが、親が子どもを放置して遊びに出かけて子どもが死ぬ事件や無職の親や同居の相手が子どもを虐待して結果殺した事件を耳にする機会が
多い。それらに共通するのが「衣食が十分出来ていないのに子どもが居ること」「十分な収入もないのに子どもは居ること(子沢山も含む)」だ。そこから
見えるのが、親は空腹を満たせば良いという考えで食事は専らコンビニや冷凍食品、子どもには十分な食事を与えない−これも立派な虐待−ということだ。
 食事をいい加減に済ませることは、生活の基礎の1つをおざなりにするのと同じだ。たかが食事されど食事というのは、晶子に食事を作ってもらうように
なって身に染みて分かった。精神的に疲れて−実験は体力もさることながら精神面の強さも必要だ−ようやく一息吐いたり終わってふと空腹を感じたところで、弁当や温かい食事が出されてそれが美味いことがどれだけありがたく、疲れを癒すものか何度も痛感した。
 生活苦だから食事がままならないのか食事がままならないから生活苦なのかは「鶏と卵」の話に近いが、空腹だけ満たせば良いという考えで購入する
ものは、量が多いジャンクフードやスナック菓子、手早く食べられるコンビニ食や冷凍食品に向かう。その時はそれで良いんだろうが、此処に大きな落とし穴が
あるように思う。
 量が多いことや手早く食べられることの引き換えに、栄養面の問題は勿論のことかなりコストがかさむ。概算でも外食で済ませるより自炊の方が安上がり
だと分かる。昼飯は大学以外だと昼間営業の飲食店なら大抵ランチメニューがあるが、生協は必要経費以外の利益は積極的に得ない方針だからあの安さが
実現出来るのであって、一般の飲食店だとそうはいかない。土日に晶子と買い物に行くと飲食店の前−スーパーは少ないが紅茶やスーパーにない品を買う
時に行く大型小売店には多くのテナントが入っている−を通る時がある。ランチや昼限定のメニューの価格は安くて600円台、標準は7〜800円台で1000円の
大台に乗るものも珍しくない。
 安さと速さが売りのジャンクフードや、手早く食べられるコンビニ食や冷凍食品は一見コストが低く見える。だが、晶子と話をしていて、何れも安く見える
だけで、実際に同等のものを自炊するより割高だというからくりが分かった。自炊は食材の購入が必要分だけに抑えられるが、ジャンクフードなどは原価が
分からない若しくは計算出来ないようにカモフラージュされている−何とかセットとか−から、極端な表現になるがぼったくりに近い高値で不要な分まで
買わされているということだ。
 ジャンクフードなどだとガスや電気を多く使わない、特にガスは殆ど使わないから光熱費が削減出来るというのは初歩的な誤魔化しだ。ガスと水道は立方
メートル単位で料金が計算される。1立方メートルは各辺1メートルの立方体。算数で習うと笑われるだろうが、その量がどれほどのものか意外に分かって
いないもんだったりする。
 ガス代や水道代を跳ね上げる原因は料理じゃなくて風呂だ。1回で100リットルの湯を湯船に張る。ただこれだけのことだが、湯は自発的に湯にならない。
水をガスの火で温めることで生じる。しかもガスの火で温めたら直ぐ反映されるもんじゃない。実測はしていないがかなりのロスが生じている。そうして
作られる湯を1回で100リットル、それを一月4週28日で概算するとガス代や水道代がどうなるかは想像出来る。
 風呂に比べたら料理で使うガスや水道はずっと少量だ。バイト先のような飲食店だと話は違ってくるが、一般の家庭で料理に使われるガスや水道の比重は
大したもんじゃない。光熱費の節約と言いつつも意外とその方面には目が向けられなかったりする。自炊をしないことで光熱費の節約と胸を張る一方で、
袋や包装が必ずゴミになる。自炊だと食器は洗うことで再利用出来るがジャンクフードやコンビニ食だとそうはいかない。その分ゴミが増える。節約のように
見えて実はコストが余計にかかっているからくりが此処にも潜んでいる。
 料理は掃除洗濯と共に生活を営んでいく上で必須の技術だ。昔のように−写真で見たり話で聞いたりしただけで実際の使用例は見たことがないが
−料理に竈を使用することで火をおこすことや加減が大変で付きっ切りでということはない。俺とて晶子に教わることでご飯を炊いたり味噌汁を作ったり、
雑だが野菜や肉を適当な大きさに切って炒めるという程度の料理は出来るようになった。社会に出るまでに覚えておいて損になることはない。以前は
家庭科は中学以降女子のみだったが、生活に必要な技術を身につけることに男女の区別は不要だと思う。男女平等以前の問題だ。

「じゃあ、お母さんはスーパーとかに並んでる料理を見て、これはこれとこれを使えば作れるって分かるの?」
「大体のものは分かるよ。だから買わない。自分で作れるものをわざわざお金を出して買う必要性が見えないから。」
「お母さん凄ーい。」

 めぐみちゃんが感嘆の声を上げる。俺も同感だ。買い物に行くスーパーには惣菜コーナーがあって種類豊富な料理の数々が並んでいる。そこで料理を
選ぶ人は男性より女性、しかも主婦と思(おぼ)しき人達が多いし、食材より熱心に選んでいるように見える。だが、晶子は一瞥することはあっても立ち止まる
ことはない。「買う必要はありませんから」という言葉のとおり、自分で作ってみせる。
 惣菜コーナーにはポテトサラダが結構並んでいて、買っていく人も多い。買い物に行く途中で晶子に惣菜コーナーでポテトサラダの需要が多い理由を
聞いたら、「作るのに手間がかかるからでしょう」と答えた。それで終わらないのが晶子の凄いところだ。「どうやって作るのかお見せしますね」と言ってその日の
買い物でジャガイモを買って、帰宅してから早速作り出した。ジャガイモの皮をするすると剥いて縦横に小さく切り、鍋に湯を張って茹で始めた。その間に
冷蔵庫の野菜入れを見て取り出したニンジンを5mm角位に切って、水洗いしてざるに移して水切りをした。
 ジャガイモが茹で上がった後で別の鍋とざるを取り出し、鍋を下にしてざるを載せ、そこに茹で上がったジャガイモを鍋の湯ごと投入。ざるに残った
ジャガイモをボウルに移した後、ジャガイモを茹でた湯が入った鍋を再びコンロに移して、今度はニンジンを茹で始めた。ジャガイモと一緒に茹でない理由を
聞こうと思ったが、料理の途中で口を挟むと邪魔になるだろうと思ってそのまま横で見ていた。
 ニンジンを茹でると同時にボウルの中のジャガイモをすりこ木で潰していった。茹で上がった頃を見計らってニンジンをざるに通して水切りをして食器棚
から取り出した皿に移してラップで覆い、ジャガイモ潰しに専念した。この段階で晶子の答えが根拠に基づかない推論じゃないことが分かった。ジャガイモの
皮を剥いて茹でて更にくまなく潰すのは想像以上に手間がかかると分かった。
 「月曜のお昼のお弁当を楽しみにしていてくださいね」と言ってひたすらジャガイモ潰しをした後、冷蔵庫の野菜入れから取り出したレタスを水洗いして
千切り、2人分のサラダ用の器の淵に並べて、中央に潰したジャガイモの一部とラップに覆われていたニンジンを混ぜたものを盛り付け、「おまけ」として
切ったきゅうりを添えて手製ポテトサラダが完成。それは早速その日の昼飯のメニューになった。
 昼飯を食べつつ「惣菜で買う人が多いのが分かった」と俺が言うと、「あの手間を惜しんで出来合いのものを買うか自分で作るかの選択ですよ」と晶子は
言った。そのとおりだと思うし、手間を惜しんで出来合いのものを買って結果食費がかさんでしまうのは自業自得だろう。残りの茹でたジャガイモの行方は、
月曜の弁当−その頃は後期試験中だった−の蓋を開けたら分かった。コロッケになっていた。そういえばコロッケの中身はジャガイモだったなと思いつつ、
向かいの席に居た智一の羨望と近辺の席からの好奇と嫉妬が入り混じった視線を感じつつ味わって食した。これでジャガイモが綺麗に潰れてなくて
硬かったりしたら不味いだろうなとも思った。

「お父さんが作って欲しいって言った料理で作れなかったものってある?」
「今のところないよ。お父さんが挙げる料理で見たことも聞いたこともないものってないし。」
「この食材がないと絶対無理っていう料理は作れないってことくらい、お父さんも分かってるからな。」

 幾ら晶子とてフォアグラだのキャビアだのは作れない。フォアグラは餌を食べさせるだけで育てた鳥−確かアヒルだったか−の肝臓が必要だし、キャビアは
チョウザメの卵が必要だ。そんな料理は望んでないし、欲しいから食材を探せというつもりもない。そういう料理が食べたければ専門の料理店に行けば良い。
普段の料理で必要なのは、手に入る食材で作れるということだ。
 簡単なようで実は難しいってことは沢山あるが、「手に入る食材で作れる料理」もその1つだと思う。所謂グルメという連中は高級食材を使った料理を食して
美味い不味いを言うし、それを受けて店に足を運ぶ連中も居る。前者はどうか知らないが、後者で料理が出来た上でその店の味を知りに行くという人は
どれくらい居るのか怪しい。
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