雨上がりの午後

Chapter 240 臨時親子の旅日記(9)−金閣寺での語らい(1)−

written by Moonstone

「随分お詳しいですなぁ。」

 傍に居た男性が感心した様子で話しかけてくる。男性は薄手のグレーのハーフコートを羽織っていて髪は白一色。穏やかな微笑からは警戒感や嫌悪感を
抱かせるものを感じさせない。いかにも紳士という感じだ。

「一見したところお若いようですが、椿と山茶花の違いをこれだけ詳しく且つ分かりやすくお話されるとは。」
「ありがとうございます。この子には色々なことを目にして触れて欲しいので、疑問には出来る限り答えようと思っているんです。」
「子どもの養育では、分別や物事の是非を教えることと併せて、五感で物事を知ること感じることは大切なことです。」

 男性は丁寧な口調を崩さずに賛辞を送る。年齢が上下関係に直結しやすい−中学高校の運動系クラブはその悪しき典型−日本では、年齢が自分より
下だというだけであからさまに尊大な態度を取ったりする奴がいる。相手にまったく敬意を払わない奴は若年層にも居るから「最近の若者は」「年寄りは
こうだから」という水掛け論が延々と繰り返されるが、それがむしろ多数派だけにこの男性は年齢相応の風格を得ていると言える。

「お隣の男性はご主人ですかな?」
「はい。」

 晶子が即答する。しかも「よく聞いてくれました」と言いたげな笑顔で。
当人の俺の方が照れくさい。大学のゼミの学生居室で晶子が俺の話をする時の風景が容易に想像出来る。

「ご主人も、『子どもだから』と軽く見ずに眼前の事象を簡潔明瞭に説明しておられますね。」
「私は観光案内を見てのものですから、妻より随分楽をさせてもらってます。」
「いやいや。このような場合『胡蝶侘助という椿』と言って押し通せることでもあります。この木が胡蝶侘助という種類であること、椿の一種であること、
これらをきちんと順序だてて説明するのは、親として模範にすべき態度。立派なものです。」

 男性に褒められて、さっきとは違う感情で照れ笑い。
本当の両親が警察で絞られている間の代理とは言え、めぐみちゃんにとっては勿論第三者から見て親らしく見えるのは喜ぶべきことだろう。晶子が子ども
好きで子どもを欲しがっているのが分かるから、俺が親らしく振舞えることは安心の材料になっても心配や不安の材料になることは少ないだろう。
 男性に話を振られて晶子に言及する際に「妻」と言ったが、今回はスムーズに口に出来た。今までは必要に迫られて決意を固めて言う、というパターン
だったが、それだと本当に夫婦なのかと疑念を呼びかねないし何より晶子が不安に思うだろう。
 とは言え、大学では俺は晶子との関係にこれまた必要に迫られないと言及しないし、大学以外で晶子との関係に言及することはあまりない。こういう
突発的な事態の方が今後も可能性としては高いだろうから−仕事最中にプライベートの話はあまりしない−、さっき自然に晶子を「妻」と言えたのはそれだけ
「晶子とは夫婦」「晶子は俺の妻」という認識が浸透しているということだろう。
 俺が男性に応じた後でチラッと晶子を見たが、俺とは視線が合わなかったが明らかに嬉しそうな顔をしていた。俺自身意外に思うほどスムーズに「妻」と
言ったのが余程嬉しかったようだ。俺が自分との関係を進んで言うタイプじゃない−晶子は幾分過ぎるようにも思うが−ことは十分過ぎるほど知っているし、
今まで色々な機会を利用して事実婚状態を自分にも、そして俺にも周知徹底してきた。その「成果」が目に見えて表れたんだから、嬉しいだろうな。

「お嬢さんは、今何歳かな?」
「6歳。」
「良いお父さんとお母さんだね。」
「うん。」

 めぐみちゃんに合わせてか喋る速さを幾分抑えた男性との会話を、めぐみちゃんは多少危なっかしいながらもきちんと成立させる。こうして見ず知らずの
他人に話しかけられることはあまりないだろうから、緊張の方が圧倒的に大きいかもしれないと思うが貴重な経験になるだろう。

「小父さん、難しい言葉喋るね。」
「ん?お嬢さんには分かり難い言い回しだったかな?」
「何となく分かったけど・・・。」
「御本を読んで、お父さんとお母さんの言うことをきちんと聞いていれば、自然と使えるようになるし、意味も分かるようになるよ。」

 ぱっと思いつくところでも、「眼前の事象」とか「簡潔明瞭」とかは分かり難い。漢字で書けと言われると俺はもう怪しい。「眼前の事象」は直ぐ思いつくが、「簡潔
明瞭」は「明瞭」の「瞭」が漠然としか思いつかない。
 高校時代から「理系学部に進むと漢字が書けなくなる」という話を耳にする。高校時代は国語関連−現代文の他古文漢文があった−の授業が常について
回ったから「そんなことはないだろう」と思っていたが、実際理系学部の1つに進学して年数を重ねてみると、漢字が思いつかないことが時々ある。漢字が
書けないと困るのは主に実験のレポートの時。こういう結果からこういう結論を見出したという筋書きで文章を書いていると、この漢字はどう書くのかと首を
傾げる時がある。
 講義のレポートやゼミの輪講、試験では漢字を書くより数式を書く方が圧倒的に多い。数式だけで埋まることも珍しくない。使わないものは忘れていくように
人間の頭は出来ていると聞いたことがあるが、漢字がぱっと思いつかないことが生じることを実体験するようになってみると、それは決して間違いじゃないと
思う。

「これほど大きな椿の木は、普段の生活ではなかなか目にする機会がないものです。」

 男性は落ち着いた口調で椿の解説を始める。めぐみちゃんにはちょっと難し過ぎると思って省いたことや、俺と晶子が知らないことを分かりやすく言って
くれそうな気がする。説教や「聞かせてやる」という高圧な態度じゃないから、聞いてみたいと思う。

「椿の木は材質が良いので印材−判子のことですが、それに用いられたものです。今では多くの判子は人工的に造られた材料か高級なものだと象牙や
水牛の角などを用いますが、木から作れたのです。」
「象牙って何?」
「動物園とかに居る、鼻の長い象さんの牙のことよ。」
「象さんの牙取ったら、象さんが可哀想・・・。」
「お嬢さんはお肉を食べるかな?」
「うん。」
「そのお肉も、元は私達人間と同じように生きている動物。その命をいただくから食事の前に『いただきます』、食事の後には『ご馳走様』と言うことで、
お肉をくれた動物皆に『ありがとう』を言ってるんだよ。」
「その話、お父さんとお母さんもしてた。」
「良い話をしてもらったね。象さんの牙を貰ってそこから作ったものを買う時にも、心の中で『ありがとう』と言えば、象さんも喜んでくれるよ。」
「うん。」

 象牙の話が出たことで一旦沈んだめぐみちゃんの表情が元に戻る。人間が生きていくためには他の動物を食べなければならない。食べるためには当然
殺さなきゃならない。単純に「動物が可哀想」の感情論の一点張りじゃ、食糧生産はおろか人間生活の殆どは成り立たなくなる。
 医薬品でもラットでの実験が成されるのは必要だからだ。人間を使えるならその方が効率としては良い。ラットで模した実験やその検証より、人間そのもので
実験した方が人間での結果に直結させやすい。だが、人間を使うことに賛成する人はまず居ないだろう。クローンでも倫理が論議されるくらいなんだから。
 昼休みや偶にある空きコマにPCが使える部屋でオンラインニュースを見ることがある。そこで動物愛護団体が毛皮や捕鯨に抗議している様子が報道される
ことが時々ある。あの人達はどういうわけか脱衣するのが通例になっているようだが、それより動物愛護を叫ぶ一方で自分達がかつて大量に鯨を捕獲して
いたことや−ペリーの所謂「黒船来航」は日本を捕鯨の補給基地にするため−、過去も今も牛や豚や鶏を大量に育てては屠殺していることには頬かむりな
こと、そして動物実験の必要性も考えないで「残酷だから兎に角廃止しろ」と動物愛護を振りかざすだけのことには首を傾げざるを得ない。
 失笑するのが「鯨は知能があるから殺すのは残酷」とかいう主張だ。馬鹿げた言い分にも程がある。大脳皮質があれば本能以外の知能は生じる。犬猫も
個体によって性格が違うのは明らかだ。一見大人しそうでも実は近づいた人間全てに噛み付くほど凶暴だったり、手足の1本は噛み千切りそうでも実は他の
犬を見ると知らん振りを決め込んだりと様々だ。
 鯨やその親戚のイルカにも知能はあるし、牛や豚や鶏にも大脳はあるから程度の違いはあっても知能はある。なのに鯨は知能があるから殺すのは残酷で、
牛や豚や鶏は残酷じゃないというのはあまりにも馬鹿げている。知能の程度で動物の扱いに差をつけるのは、ひいては人間の知能の程度で差をつける、
言い換えれば「知能の低い人間は生きる価値がない」とかになることにも繋がりかねない。

「話を椿に戻しますか。」

 めぐみちゃんが納得したのを受けて、男性は話を元に戻す。晶子と同じくめぐみちゃんを1人の人間として扱っていることが分かる。「他人に言う前に自分に
言え」と言いたくなるような事例を目の当たりにしてまだ間もないだけに、この男性の人格に接していると安心出来る。

「椿から作る木炭は上質で、燃やして得られる灰もやはり上質。灰は日本酒の醸造の他に染色にも使われるもので、椿の灰は量が少ないので珍重
されます。」
「『じょーぞー』って何?」
「おやおや、お嬢さんには難しい言葉だったかな。醸造とは日本酒を作る過程のことを言うんだよ。」

 日本酒は昨夜かなり飲んだ。日本酒に不可欠な要素は米と水と麹(こうじ)だとは知っているが、灰も使われるとは初耳だ。
量が少ないものは大抵重宝される。貴金属なんてものは埋蔵量や生産量が少ないから「貴」金属であって、大量生産出来たら鉄と大差なくなる。俺と晶子の
左手薬指に填る指輪の材質も貴金属の1つだが、材質は晶子に教えていないし晶子は今に至るまで1回も聞いたことがない。

「お嬢さんは6歳だから、日本酒がどんなものかを知るのは14年後だね。」
「14年後ってことは・・・えっと・・・。」
「20歳だよ。」

 まだ算数には馴染んでないようだし、算数を教えるとなると今日1日じゃ多分足りない。こういう時は結論だけ教えておけば良いだろう。
 20歳という年齢は公的にも個人的にも大きな節目となった。公的には酒もタバコもおおっぴらに飲めるし、選挙権が得られる。今年に新京市の市議会議員
選挙があるらしいから、選挙権はそこで初めて行使する。酒はそれまでにも飲んだ経験があるが、それはあくまで非公式のこと。
一方でタバコは今まで手にしたことも咥えたこともない。晶子も同じだから吸殻やライターや灰皿とは無縁だ。俺の家には父さんがタバコを吸うということで
来た時に備えて灰皿があるが、食器棚の奥に仕舞われて久しい。
 以前晶子にタバコを吸うことをどう思うか尋ねたことがある。個人的にはと前置きしてから、タバコは自分で吸うのは絶対しないし煙を吸うのも極力避けたいと
答えた。店では喫煙出来るしタバコを吸う客も珍しくないが、自分や俺を含む店のスタッフが全員タバコを吸わないのは安心出来るそうだ。敬遠する最大の
理由はやはりというか臭い。その場で接する臭いもそうだが、服や髪につくのが困るそうだ。
 続いて大学ではどうかと聞いた。俺が居る工学部は男の比率が圧倒的に高いが、意外というか喫煙率はさほど高くない。休み時間や昼休みとかに主たる
喫煙場所である生協の食堂付近にはそこそこの人数が集っているが、学生より教職員らしい年配層の方が多い。比率はやはりというか男性が殆どだ。
 晶子からは意外な答えが返ってきた。ほぼ普遍的な事項として女性の比率が高いが喫煙者の比率は割と高くて、同じく主たる喫煙場所である生協の食堂
付近でも女性の姿、しかも学生と思(おぼ)しき風貌の女性の姿が目立つそうだ。女性の比率が高いことで教職員らしい年配の男性の方が何となく肩身が
狭そうに見えるそうだ。
 ゼミでは建物内が全面禁煙なのもあって喫煙に接する機会はないが、若干名が喫煙者という。俺が仮配属中の研究室でも喫煙者が若干名居るが、総数と
比較した比率で見ると晶子の居るゼミの方が高い。女性の喫煙率が高いことだけでも十分意外だが、ゼミでも喫煙者の比率が高いことは意外性や驚きを
増す。もはや「喫煙は男性の嗜好」という認識は通用しないようだ。
 漫画やドラマの影響らしい、というのが俺と晶子の共通の推論だ。揃ってテレビを滅多に見ないしテレビや雑誌の作る流行と無縁な生活をしているから
直接接しないが、漫画やドラマでは若い女性が喫煙する描写やシーンが結構あるそうだ。それに感化された「タバコを吸う女性=カッコいい女性」という
イメージが普及しているようだ。
 タバコの害は今更挙げるまでもない。そのあおりで喫煙者の肩身は狭くなる一方と思いきや、喫煙出来る場所では男性に代わって女性、しかも若年層の
女性が多く集うようになってきている。まあ、ジェンダーフリーや男女平等を掲げて女性特有の機能である妊娠をかなぐり捨てて−そのくせ「女性だから」で
保護されることは死守するのはおかしな話だが−男性化していることからして、「男性の嗜好」である喫煙に向かうのは必然の流れと言えよう。

 俺にとっての20歳は、個人的なことだと何と言っても晶子との関係が深まったことだ。
それまでにも晶子の肌に触れる機会が増し、それも服の内側に進んでいたし、晶子も身体を許すことを分かりやすくほのめかしていた。だが、深い関係に
なってずっと続くと思っていた宮城との関係が破局という結末を迎えたことのショックが十分癒えていなかったことや、付き合い始めて1年も経たないのに
関係が深まることでセックスだけの関係になることが怖かった俺は、20歳までは自ら関係の進展を止めた。基本的な性欲はあるし、それまでに感じた晶子の
肌の感触と温もりやその時の晶子の反応が刺激には格好の材料となったから、高ぶった性欲は晶子との場面を思い起こして処理していた。
 晶子の手作りケーキで祝われた20歳の誕生日は、晶子自身のプレゼントというベタな恋愛シーンに直面したことでそれまでの雰囲気が一変した。晶子を
抱きたいという欲求は間違いなくあった。だが、付き合い始めて1年も経たないうちからセックスすることで、晶子との関係がセックスだけの関係になる、
言い換えれば晶子が俺の欲求に答えられなくなった時が破局への始まりとなることが怖かった。
 俺は服をはだけた晶子に背を向けた。だが、自分と気持ちが向き合ってるならそれを信じて関係を進めて良いのではないか、もうセックスを恐れる呪縛から
自分を解き放っても良い、という晶子の言葉を受けて、俺は晶子を抱いた。
 想像ではなく直接見て感じる晶子は、想像よりずっと柔らかくて滑らかで温かかくて綺麗で艶かしかった。回数を重ねた今と比べると、俺もそうだが
相手を気持ち良くしたり雰囲気を盛り上げたりする技術は稚拙だった。だが、それよりも好きな女性が一糸纏わぬ姿で自分の下で喘ぎ自分の上で動く
様子は、愛情と欲情を強くかきたてるものだった。
 回数を重ね、相手が敏感なところを知ることで、晶子との夜は濃密なものになっている。だが、初めて抱いた時の新鮮さは今でも忘れていないし
変わらない。深い関係になってからの時間が付き合いの時間全体と比較して長いにもかかわらずセックスだけの惰性の関係に陥らないで居られるのは、
新鮮さを維持出来ていることが大きいと思う。

「結婚も20歳にならないと出来ないの?」

 20歳から不意に突拍子もない方向に飛躍する。めぐみちゃんの興味や好奇心は、相手が俺と晶子以外でも尽きることがないようだ。

「結婚は、男性が18歳で女性が16歳だと出来るね。ただ、20歳より下だと親が認める必要があるんだ。お嬢さんのお父さんとお母さんもそうだよ。」
「お父さんとお母さんは何歳で結婚したの?」
「揃って20歳の時よ。」

 男性の回答内容で来るかと思っていためぐみちゃんの質問に、すかさず晶子が答える。めぐみちゃんを抱っこして答えた晶子の横顔は見るからに
幸せそうで、今回も「よくぞ聞いてくれました」と言いたげだ。
 年齢は・・・妥当かな。俺が晶子に指輪をプレゼントしたのは晶子が20歳の誕生日だったし、それより少し遅れて俺も20歳になったからな。

「ご夫婦揃ってお若い時期に結婚されたんですね。」
「はい。」
「結婚から6年は経たれるようですが、夫婦仲が良好なことは結構なことです。」

 先にめぐみちゃんの歳を聞いてるから、逆算すると俺と晶子は結婚して6年になるな。実際には婚姻届は未提出だし出逢ってからまだ3年も経っていない
から、結婚少なくとも6年というのは実感が沸かないが、今は1児の親として「らしく」振舞おう。
 免許で言えば「仮」とは言え、夫婦仲が良いと見られていることには悪い気はしない。俺は晶子との仲についての論評を聞くことは殆どない。俺が割と最近
まで晶子との仲を聞かれないと言わない状態だったのもあるし、高校までと違って他人の交際状況に興味や関心が表面化しないのもあるだろう。対して
晶子の方はよく聞かれるし、聞かれると迷わず答えている。俺が晶子を文学部の研究棟前まで送迎するようになってその様子を見られるようになったことが
加速させているそうだ。
 晶子を送った時はその足で1コマ目の講義のために工学部の講義棟に向かうし、晶子を迎えに行った時は一旦帰宅するとは言え直ぐにバイトに行くから、
文学部の人と話をすることは去年あたりまであまりなかった。3年になってからは俺が殆ど全てのコマを講義で埋めたからその傾向がより強まった。
 俺は相手が工学部だろうが文学部だろうが、必要に迫られない限り晶子との関係について言及するつもりはなかった。これも俺の元々の方針と推測がある
からだが、携帯を手にしてからは事情が異なってきた。実験がある月曜以外では晶子はゼミの学生居室で待っている。迎えに行く俺はそうするようになった
経緯もあってゼミの学生居室から出るように言ってないから、必然的に俺は晶子のゼミの人達との対面を迫られる。
 幸い俺は人見知りしない方だし−それだと今のバイトはやってられない−、あまり面識がなくても共通の話題があればある程度対応することは可能だ。
何度か話をしてみて、晶子が俺とは対称的に俺との関係をオープンに語っていることがよく分かった。押し付けるものではないものの聞かれれば喜んで
答えていることや、携帯より目立つ指輪を貰った時の一連のやり取りまで詳細に語れるということも。
 指輪をプレゼントした時のことは俺もそれなりに憶えているが、何を言ったかの詳細までは憶えていない。ところが、後で本人に確認したところ、晶子は
俺がその日自分の誕生日について言及し始めた時から俺が双方の指に填め終わるまでのやり取りをしっかり憶えていて、俺の前で一部を再現した。TVで
事件の瞬間を俳優やCGで再現した「再現VTR」なるものがあるが、晶子はそれを1人で実現した格好だ。声真似がなかっただけましだと思っている。
 俺とて晶子と出逢った時やプレゼントを渡した時、初めて晶子を抱いた時といった節目節目は憶えているが、どういうやり取りをしたかの詳細までは憶えて
ない。晶子は「あんな感激する場面を忘れる筈がない」と笑って言ったが、その時を撮影した映像とかがないから検証できないとは言え誇張とは思えない再現
振りを見て、3年前のことをここまで詳細に記憶出来る晶子を今でも不思議に思う。
 考えてみれば、今演じている−こういう表現は好きじゃないが−夫婦の期間と違う実際に付き合ってる期間の中で、晶子と寝たことがある期間は・・・2年半
くらいか。セックスだけの関係になるんじゃないかと思っていたが、意外にそうでもないようだ。

「他に今聞きたいことはないかね?」
「今はない。」
「では、話を戻しましょうか。」

 めぐみちゃんの疑問への回答を優先させるあたり、この男性が知識をひけらかすことを目的にしてるんじゃないことを感じさせる。
知識を披露したいだけだったらめぐみちゃんの疑問に答える必要はないし、そもそもめぐみちゃんの疑問に反応せずに「演説」に没頭しているだろう。
逆に「話の邪魔をするな」とか「人の話の最中に失礼な」と怒る場合すらある。
 「演説」に没頭するタイプはまだ良い。どうにもならないと見切りをつけたら静かに且つ速やかに撤退すれば良い。話に夢中になってるから気づかない。
顔見知りなら後が問題になるかもしれないが、旅行先で鉢合わせた人物を特定するのは難しい。そもそも特定するくらいならいちいち場所や人を選ぶことは
ない。話すことが目的だから相手は二の次だからだ。
 自分が主役で相手は聞き役に徹しなければならない、というタイプは始末に終えない。こちらにも事情はあるのに自分の都合で拘束されて、聞きたくもない
話を延々と聞かされて称賛まで要求されるんだから、訪問販売のセールス並みにたちが悪い。本人は「相手のことを思って話を聞かせてやっている」という
認識だからもう駄目だ。

「椿の実を搾って取れる油−椿油と言いますが、これは料理から保護にまで様々な使い道があります。」
「椿って実がなるの?」
「花を咲かせる植物は実がなるんだ。それが食べ物としてスーパーとかでよく見かけるから知られているか、そうでないかの違いだな。」
「椿もそうだし、お嬢さんが食べるお米やパンの材料になる小麦も実だからね。」
「お米が実ってことは・・・、お米にも花が咲くの?」
「咲くよ。緑色だし米を取るのが目的だから気づき難いと思う。」

 花には様々な色があるが、緑の花はないように思えて実は結構ある。米が採れる稲の花は緑色だ。春の田植えの時と収穫時期の稲穂の印象が強い
せいで、稲に花が咲いていることは殆ど関心が寄せられないし花が咲くことそのものを知らない人も少なからず居る。花が咲いて、正確にはおしべとめしべが
あって−植物によっては雄花と雌花など−その間で受粉が行われて、結果実がなるというのは小学校あたりで習ってる筈だが、意外とそうでもないらしい。

「緑色の花・・・。青色じゃなくて?」
「イメージし難いみたいだね。お父さんが言ったとおり、お米がなる植物の花の色は青じゃなくて緑。お嬢さんは田んぼを見たことはあるかな?」
「うん。田植えと刈るところを見たことある。」
「田んぼに植えられてから刈られるまでの間に花は咲くんだ。だから実であるお米が出来る。分かったかな?」
「うん。」
「では、見た目分かりやすく花が咲く椿にも実がなることは想像出来るかな?」
「うん。」
「その椿の実を搾って取れる油は、料理から保護にまで様々な使い道があるということなんだよ。」

 順を追っての説明でめぐみちゃんは十分納得したらしく、頻りに頷いている。
男性も上手い具合に話を椿油に戻したな。単に話をしたい、誰かに聞かせたいという欲求を押し付けるんじゃなく、話をするからには理解して欲しいという
配慮が感じられる。

「椿油は料理にも使えるんですか。」
「はい。今ではサラダ油やオリーブ油などに取って代わられていますが、料理にも十分使えます。」

 晶子も椿油が料理に使えることは知らなかったようだ。
椿油そのものは俺も知っている。日本刀など鋼の刃を手入れした後で錆を防ぐために塗るために使う。男性が言う「保護」にあたる。魚を捌いて刺身を作る
晶子は刺身包丁を使うし定期的に−主に時間が多く取れる週末にする−砥石で丁寧に研ぐが、研いで水洗いした後すぐさま水気を丁寧に拭う。こうしないと
呆気ないほど簡単に錆びてしまうそうだ。包丁の多くがステンレス、すなわち錆び難い鉄−精製が難しい純鉄ではなくて合金−のものに取って代わられた
のは、椿油と似ているな。
 晶子は包丁を研いだ後で水気は拭うが、油は塗らない。普段使うステンレス製の包丁より使用頻度が低い刺身包丁も、長期というほど保管しておくわけじゃ
ない。だから水気をしっかり拭っておけば差し障りないんだろう。椿油が一般に入手しやすいかどうかは不明だし、入手出来るとしても店頭で目にする比率
からしてサラダ油かオリーブ油で代用すれば十分だろうし、油を使うと今度は滴り落ちた油の掃除に時間を食われることになる。

「保護への用途は知っていますか?料理をされるのでしたら、その辺はご存知かと思いますが。」
「はい。刃物、特に錆びやすい鋼で作られた刃物の長期保存のためですね。」
「そうです。」

 男性とのやり取りの後、晶子は抱っこしているめぐみちゃんに補足説明する。ちょっとついていけない様子だっためぐみちゃんは、鉄棒を例示しての噛み
砕いた説明で、椿油がペンキと同じような役割をすることを理解する。
 ペンキは塗ると簡単に落ちないが、油は拭けば取り除ける。実用以外に鑑賞の目的もある−日本刀を実用に使う機会は今の時代はまずない−日本刀を
保管するためとは言え、ペンキを塗ったら元も子もない。少量の油なら照明による煌きの効果も期待出来る。逆に油の量を多くして物質をその中に漬け
込んで保管する方法もある。代表的なものはナトリウム。ナトリウムはイオン化傾向が高いアルカリ金属の1つ、というのは高校の化学で習うが、イオン化
傾向とは言うなれば「酸化のしやすさ」だ。酸化の速度やその時に生じる現象によって、錆び付き、燃焼、爆発と大別出来る。晶子が例示した鉄棒の錆びも
無論酸化の一形態。錆の速度が速くて炎を伴えば燃焼だ。
 ナトリウムはイオン化傾向が高い、つまり酸化しやすい。鉄のようにじわじわ錆びてくるというレベルじゃなく、空気中に置くだけで炎を上げて燃える。状況に
よっては爆発の危険もある。危険物取り扱いの対象でもある立派な危険物であるナトリウムを、空気中で保管するのはあまりにも危険だ。燃えないように
するには酸素に触れさせなければ良いが、空気がない状態すなわち真空で保存するわけにはいかない。度合いにもよるが−物性分野で問題になる−
真空を作るのはかなり面倒な作業だ。
 真空を作るには容器全体をヒーターで熱して、中の不要物を蒸発させてポンプで吸い取る必要がある。ベーキングというこの作業は1週間程度かかる。
勿論その間ヒーターもポンプも稼動させっ放しだ。その分真空は重要な場所だから、破壊すると深刻な事態に陥る。真空の作り直しは勿論、その間進めて
いた実験は完全に台無しになるし進めようとしていた実験は一切出来ない。
 俺が居る電子工学科とカリキュラムが同じ電気工学科だけじゃなく、工学部に属する学科は純粋な情報工学−アルゴリズムの考案や検証といった理論や
PCでの作業のみという意味−以外では、程度は違えどほぼ全て真空が絡む。一見真空とは無縁な電気電子の分野でも、材料の実験や検証が必要になる
物性分野では必要不可欠だ。1つの研究室で複数の真空装置を所有していることも、今では何らの違和感もない。物性分野の研究室で真空装置がない方が
違和感を覚えるくらいだ。
 作るのも大変で維持に神経を使う真空は、コストに換算するとかなり貴重なものだ。無論必要だから真空が作られるんだが、保管のために真空を作って維持
するのは現実的じゃない。要は空気、厳密には酸素に触れなければ良いんだから油の中に入れて保存するのが妥当な選択だろう。

「料理はどのくらいされますか?」
「和洋中、主だったものは大抵作れます。」
「それは立派ですね。惣菜は使われないのですか?」
「使ったことはないです。並んでいるものは自分で作れるものですし、あえて買う必要はないと思うんです。」
「そのとおりですね。不要であれば買わない。食事は可能な限り自宅で用意して食する。家庭生活における基本です。」

 晶子と出逢うまでバイト以外での食事は大学の学食かコンビニ弁当だった俺は、音楽関係以外に基本金を使わないから仕送りとバイトで生活出来ていた。
晶子と出逢って食事を作ってもらうようになってからは、確実に食生活が豊かになった。好物の鳥のから揚げをはじめとする揚げ物にはじまり、実家を出て
以来疎遠になっていた煮物まで思いつく殆どの料理が材料から創り出されるのを何度も目の当たりにして、料理は「買うもの」から「作るもの」へと完全に
認識が変わった。
 大学が休みの時の朝昼の食事、更には弁当まで作ってもらうようになったことで、コンビニ弁当とはすっかり疎遠になってしまった。だが、あの味が懐かしく
なって食べてみたいとは思わない。改めてコンビニ弁当の表記を見たら、添加物の塊にしか見えなかった。晶子が作るところを見て、手作りの料理と鮮やかな
色合いは相容れないものだと分かった。
 焦がさないように加熱したり盛り付けを工夫したりするのが前提として、料理の段階、厳密には加熱の段階で材料の色は次第にくすんでくる。それが場合に
よっては何度も行われるんだから、鮮やかな色合いから遠くなるのが当然なんだと分かった。逆に鮮やかな色合いの食品は着色料によるものだと分かった。
コンビニ弁当に頼っていた時代は表記なんてろくに見てなかったからな。

 バイトは喫茶店だが、定食ものが充実している。それは塾通いの中高生が食事を済ませるためという需要を受けてのものじゃなく、多彩な料理を用意すると
いう店の方針があったからだ。店のメニューと住宅街の中という立地条件−塾は住宅街の中にある−が口コミで伝わり、塾通いの中高生が夕食を取るために
利用する場として定着したというのが、店のスタッフや客から直接間接で聞いた経緯だ。
 客の中には、朝飯は食べず、昼飯は購買のパンを詰め込んで済ませ、夕食を店で済ませるつわものも居る。共働きの両親は早朝から仕事に出かけるから、
自分が起きる頃には殆ど居ない。帰宅も遅くて日付が変わるかどうかの頃に風呂と寝るためだけに帰ってくるから、顔を合わせないこともままあるそうだ。
そんな状況では昼飯に弁当どころか朝飯も期待出来ない。自分で作れればまだ何とかなるだろうが、学校と塾で作る暇がない、とその生徒は答えた。
新京大学にも多くの進学者を出す有名進学校の生徒、しかも女子生徒だ。
 断続的だが偶々割と長く話を聞く機会があったその女子生徒の両親は、共に誰でも知っているレベルの有名企業勤務だ。一人っ子の彼女は中学から
塾通いをさせられて有名大学、有名企業という進路を当然視されている。休日に偶に顔を合わせる程度の両親は、自分と顔を合わしての第一声は
「勉強しろ」。テストの結果や通知表を見せた時の第一声は「もっと頑張れ」。「つまらない」とこぼした彼女の心底疲れた顔は痛々しかった。
 俺の両親、特に母さんは急き立てるタイプだから結構「勉強しろ」「もっと頑張れ」と言われた。それが嫌でバンドの練習や勉強会を口実に家を出て、口実を
無効にされないように勉強に勤しんだ。結果として高校時代は上位の成績を維持出来たが、今の大学に合格して実家を離れ、ようやく解放されたと実感
した。そんな過去があるから彼女の心労はよく分かるつもりだ。
 彼女はつまらない毎日を過ごしていたところに、クラスメートから店の話を耳にした。学校と自宅の往復で家族の会話がろくになく、勉強漬けでTVや雑誌を
見る機会もないからクラスメートの話題に入っていけない彼女は、聞き耳を立てて店へのアクセスと大まかな位置を掴んで、塾帰りに店に足を運んだ。
 当時1年だった彼女が店で目にしたもの、耳にしたものは別世界そのものだった。騒々しくないレベルの賑やかさ、流される様々な音楽、おろおろしながら
見たメニューに掲載されていた多彩な料理。目移りしながらも初めて注文したのはハンバーグ定食。運ばれてきた料理を一口食べた第一印象は「味が薄め」
だった。彼女のそれまでの夕食は専らコンビニ弁当。それに馴染んだ舌では手作りの料理の味が薄く感じるのは、俺も経験から分かるつもりだ。俺の場合、
大学がある日の昼飯がコンビニ弁当じゃなくて学食だから、彼女よりはましだっただろう。
 薄く感じた味は新鮮で美味くて、彼女は夢中で食べた。以来、彼女は夕食を店で食べるようになった。今では定休日の月曜はテンションが低くなる、と
言って小さく笑った彼女の顔は、やはり疲労の色が濃かった。今度の4月から彼女は3年生になる。店のスタッフとして彼女を見てきた俺は、彼女が倒れるのが
先か壊れるのが先かと嫌な二択しか思いつかない。夕食を此処に食べに来られるうちは大丈夫、と疲労の濃い顔で言った彼女の言葉は、俺には冗談には
聞こえなかった。
 食事は重要だ。ただ単に食べていれば良いってもんじゃない。晶子と出逢って手作りの食事を食べて馴染んでようやく分かった俺が偉そうに言えることじゃ
ないかもしれないが、食べるだけの食事は機械が燃料を補給するのと大差ない。それは言うなれば、人間から思考を徐々に奪っていくことにも繋がると
言える。最近目立つとんでもない自己中心的な行動は、多忙化と連動する食事の貧困化、そして思考の鈍化と消滅の結果なのかもしれない。

「ご主人は料理をされますか?」
「それが・・・、1人暮らしを始めた時の最初の1週間で半ば放棄してしまいまして・・・。」
「人には向き不向きがありますからね。今は奥様がしてらっしゃる。」
「はい。」

 晶子が料理を作ってくれることには勿論普段から感謝しているが、こうして他人と話をする時「相手に100%任せている」と言う他ないのはみっともないな・・・。
晶子が家を出た時に作ってみたが、晶子が居ないからとコンビニ弁当に回帰する気は起こらなかったし、食事をしないとどうにもならないからありあわせの
材料で作って食べただけという状態だった。
 晶子はいたって健康体だ。でもそれがずっと続く保障は何処にもない。今後晶子との生活を続けていく上で最も可能性が高い妊娠時もそうだが、出産後の
授乳は数時間おきにしないといけないそうだから、ぐっすり寝るとはいかなくなるだろう。そうなると、俺も冷蔵庫にあるもので食事を作ることくらいは
出来るようにしておくべきじゃないかと思う。
 中高と家庭科の授業があった。受験に少しでも関連する教科は通知表で4か8を下回らなかった−中学は5段階評価で高校は10段階評価だった−が、それ
以外は揮(ふる)わなかった。中でもと家庭科は3や6を上回ることは1度もなかった。
 家庭科の授業も4、5人のグループや班単位で実施された。料理関連に絞ってもグループや班の中である程度実力に差があったし、得意な人がメインである
料理を担当してそれ以外は食器や料理器具を洗うことへと暗黙の役割分担があったから、通知表の評価を別にすればそれで良かった。それこそ「受験に
関係なかったから」だ。中学は義務教育だから内申評価に影響を及ぼすことはあるだろうが、せいぜい試験の当落線上ギリギリの時の判断材料に過ぎない
そうだし、高校、特に進学校だとどれだけ多くの生徒が有名大学に進学したかが至上命題でそれ以外は二の次となる傾向が強いから、尚更受験に関係ない
教科の扱いは生徒の間でも自ずといい加減になる。
 だが、大学以降になると受験に関係のない教科、特に家庭科の得手不得手が一挙に表面化する。生活には家庭科の知識や技術が欠かせないからだ。
実家から通学通勤するなら何とかなるが−担うのは殆ど母親−、一人暮らしでは当人が出来ない動かないではろくに生活は動かない。当事者になって
家庭科を疎かにしたことの浅はかさを悔いたがもう遅い。
 対して晶子は家庭科を得意としていたそうだ。高校時代のことを含む過去の話は殆どしない晶子が自然と言ったことだから、嘘は言っていないだろうし
数々の料理を作り出して相手の要望に応じて微調整する技術だけとっても嘘とは思えない。裁縫も得意で、シャツのボタンが取れたらつけてくれる。
洗濯物にアイロンをかけるのも手早くて見た目も綺麗に出来る。これで家庭科が苦手だったと言う方が嘘だろう。
 晶子が俺の家に住み込むようになって、洗い物や洗濯物は単純計算で倍になった。今の俺がほぼ不自由なく出来るのは食器洗いと洗濯物を畳むこと
くらいだ。残りの分は晶子の負担になっているが、晶子は一言も愚痴や不満を言わずにてきぱきとこなしている。そう、まさに呼吸をするのと同じような
感覚で。

「奥様は料理をお一人でされることに抵抗などはありませんか?」
「少しもありません。元々料理は好きですし、自分が作った料理を『美味しい』と言ってもらえれば十分なんです。」
「何よりの報酬を得られているようですね。」
「はい。」

 晶子は嬉しそうに、幸せそうに言う。表情も満面の笑顔だ。
大学は後期試験が終わってからほぼ1月ほどの休みに入っているし、晶子が住み込むようになったのは後期試験の時期だからそれより一月ほど遡る。その間
最高1日3回の食事を2人分用意するのは大変だろうし、料理に限っても作っては片付けの繰り返しだから単調だろうし飽きが来るかと思いきや、晶子は
そんな様子を微塵も見せない。
 俺は食事の第一声で「美味い」と言う。本心から来るものだ。完璧に俺の味覚に調整された料理は注文のつけようがない。この味で文句を言う奴は味覚音痴
だと贔屓目なしでも思う。そうでなかったら、それまで潤子さんが一手に引き受けていた店の料理を任される筈がない。晶子がキッチンを主な仕事場とする
ようになってからも客足は遠のくどころか勢いを増しているし、料理が不味いという声は聞いたことがない。
 元々店は有線放送やラジオやCDでない生演奏の音楽と共に料理を売りにしていた。その看板を汚されては集客どころの話じゃなくなる。キッチンを
任せるかどうかはそれまでキッチンを仕切っていた潤子さんの判断による。人手が足りなくても料理が出来ない人に任せるわけにはいかない。キッチンに
大きく仕事場所をシフトさせる、言い換えれば潤子さんが晶子と分担する割合が増したのは、潤子さんの信頼も得た証拠でもある。
 誰もが共通する意見や見解というのは、価値観が絡むとありえないと言って良い。極端な話「その考えはおかしい」ことが明らかでも「価値観の違い」と言って
しまえばそれまでだ。数式や定理で一律に結果が決まる理数系とは対極にある。料理も価値観で優劣が決まる事象の1つだ。誰もが共通する意見や見解、
すなわち「美味い」か「不味い」かがある料理で全員一致することはない。程度を持ち出すと更に全員が一致する可能性は低くなる。ある人が「凄く美味い」と
言う料理が別の人には「それほど美味くない」と言うことは何ら珍しくない。飲食店では出来るだけ多くの人が「美味い」と言うだけの料理を出せるかが、繁盛か
閉店かを決める決定的な条件になる。
 店に来る客は口コミで来る客が多いせいもあってか、不評は聞かない。口コミは誤った方向に向かうと大変なことになるが−噂話がその典型−、正確な
方向に向かうと下手な広告より大きな威力を発揮する。店に晶子が加わったことは、キッチンの人手を1から2に増やしただけにとどまらず、店の更なる繁盛を
齎す好材料となっている。

 晶子が作る料理を店以外で食せる俺は特権的立場と言える。自宅での食事以外に大学に弁当持参で行けるのはありがたい。生協の食堂の食事は
揚げ物が多いから、揚げ物好きな俺でも飽きが来る。昼時の大混雑はまず避けられないから、トレイを持って待たないといけない。大学以外の店で食べる
よりは安上がりだしそれなりに栄養やメニューも考慮されているから、それはそれで良かった。だが、大学に弁当持参で行くようになって、弁当のありがたみが
改めて実感出来た。
 まず、行列に並ぶ必要がない。昼休みは12時から13時までの1時間と定められている。理系学部が同じ時間に昼休みになるから、仕事や実験などで手が
離せない人以外は限られた1時間で一斉に昼飯を食べる。当たり前のことだが、高校よりずっと多い人数が集まる大学だと、食堂での順番待ちは深刻な
ものになる。
 弁当を持参するようになってから、俺の昼休みは大きく変わった。長い行列に並ばずとも、茶を汲んで空いている席に座れば食事の準備は完了する。
普段は智一と行動を共にしているから智一が食事を取るまで待っているが、自分の順番が何時来るのかとじれったく感じる必要はない。メニューは晶子から
「開けてみてのお楽しみ」ということで知らされていないから、智一を待つ間に期待感は高まる。
 そして飽きが来ない。和洋中主だったものは作れるという晶子の言葉に嘘はない。流石に刺身など生ものはないが、メニューは多彩だ。揚げ物にしても
俺の好物である鳥のから揚げは勿論、魚や野菜の天ぷら、そして春巻きと様々だ。春巻きは具は決まってないし、手作りの酢醤油のたれとの
コンビネーションは抜群だから食べるのが楽しみだ。
 ご飯も白米の他、炊き込みご飯の時もある。俺は実家に居た頃炊き込みご飯はあまり食べない方だった。どうもご飯にご飯以外のものや白米以外の味が
混じっていることに違和感を覚えたからだ。晶子の食事を食べるようになって馴染んできた。母さんの料理より晶子の料理の方が馴染みやすかったような気が
する。
 メインとなるおかず以外も多彩だ。付け合せにしても、きんぴらごぼうだったりほうれん草の味噌和えだったりマリネとかいう洋風漬物だったり色々だし、
彩りも綺麗に盛り付けられている。ご飯とメインのおかず以外に2つも3つも作って揃えられること自体俺からすれば凄いことだが、初めて見る料理でも恐怖を
覚えたことはない。
 困ることは唯一と言って良い。周囲の注目を集めることだ。周囲に見られながらの食事は結構し難い。理系学部は男の比率が高い。男性が料理を出来る
ようになってきたとは言え、弁当を持参出来るまで作れるのはまだ少数だろう。そんな状況で弁当、しかもコンビニや売店−ここもコンビニっぽいが−で
売られている出来合いのものじゃない、明らかに手作りと分かるものを広げたら嫌でも目立つ。晶子が弁当を作ってくれるようになった頃はまだ後期の只中
だったし、初めて持ってきてくれたのは実験がある月曜だった。晶子の姿形はその前の吉弘さんとのひと悶着で一気に知られたようだから、同じ実験室に
居た他の面々を口止めするのは不可能だ。以来講義室や生協の食堂で弁当を広げると、「彼女手作りの弁当か」という視線が集中するのを感じる。
 もっともこれは贅沢な悩みだと自覚している。最初の頃より注目の度合いは減った−と思うが、後期試験が全て終了するまで感じた視線はかなり痛かった。
行列に並ばずとも多彩で美味い食事にありつけるんだから、視線の集中くらいは我慢すべきところだろう。
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