雨上がりの午後

Chapter 231 親と親代わりの衝突

written by Moonstone

 京都御苑に入ると、めぐみちゃんは完全に口を閉ざしてしまう。居たたまれないが、両親の元に戻さないといけない。重く感じる足を動かして管理事務所へ
向かう。管理事務所の敷地に入り、管理事務所を目指す。・・・もう直ぐそこだ。

「安藤です。預かっていた女の子を連れてきました。」
「ご苦労様です。どうぞこちらへ。」

 入って直ぐのところに居た管理事務所の人に、奥へと案内される。俺と晶子とめぐみちゃんが一時滞在した部屋だ。
部屋には割と若い男女が座っていた。この2人がめぐみちゃんの両親だろう。だが、めぐみちゃんを一瞥しても表情を明るくしない。むしろ苦々しげに見える。

「こちらのお子さんで、間違いありませんか?」
「あー、はいはい。」

 案内した管理事務所の人の確認に答えた男性は、いかにも「仕方なく」といった感じだ。ここまで露骨な態度を取るか?普通。俺と晶子だけならまだしも、
めぐみちゃん本人が目の前に居るんだぞ・・・?!

「ったく、ちょっと目を離すと直ぐ居なくなる。しっかり見てないから、こんなことになるんだ。」
「ホント、いちいち迷惑かける子ね。」

 2人が言うことは態度以上に露骨だ。迷惑かける?誰が迷惑をかける原因を作ったんだ?!自分達がめぐみちゃんを放ったらかしにしておいて、
こんな言い草があるか・・・?!
 めぐみちゃんを見る。明らかに強張って怯えた顔を下に向け、視線だけチラチラと両親に向けて様子を窺ってる。俺の推測は・・・間違ってなかった。
こんな推測は当たって欲しくない。当たって欲しくない推測や予想ほど良く当たるもんだと痛感させられる。

「恵美、こっち来なさい。」
「うん・・・。」
「さっさとするっ!」

 母親の怒声に俺もちょっと驚く。驚きはつかの間のこと。直ぐに怒りが募ってくる。迷子になってた自分の子どもに「怒られに来い」と明らかに匂わせる
物言い。何なんだ、この親は・・・!めぐみちゃんは俺と晶子から離れて、おどおどびくびくしながら椅子に深く腰を下ろしたままの両親の元へ向かう。
 それにしてもこの親、1つ忘れてないか?めぐみちゃんを俺と晶子が預かっていたってことを。100歩譲ってめぐみちゃんを怒鳴りつけるなりするのは
目を瞑るとして、自分の子どもが世話になったのなら礼の1つくらい言うもんじゃないか?
何も謝礼が欲しいわけじゃない。そんな目的で預かったんなら身代金目的の誘拐と大して変わらない。「うちの子どもを預かってもらってありがとう
ございました」の一言で十分だ。否、飾り文句もなしで「ありがとうございます」の一言で良い。俺と晶子なんて眼中にないのか?

「あんた、昼に何か食べたの?」
「・・・うん。」
「あんたって娘は!勝手にものを食べるなって言ってるでしょう?!」

 母親が恫喝する。叱るってレベルじゃない。子どもを放り出しておいて、その子が空腹を満たすために食事をすること自体を責めるなんて、この母親
頭おかしいんじゃないか?!

「何食べたの?!」
「・・・サンドイッチと・・・温かい牛乳・・・。」
「そんなもの食べるんだったら、ハンガーがー食べてジュース飲めば良いでしょ?!何時もそうしてるでしょ?!」

 何時も・・・?めぐみちゃん、普段はハンバーガーとジュースしか食べさせてもらえないのか?
そういえば・・・、めぐみちゃん言ってたな。ハンバーガーは何時も食べてるって。その時は買い物とかで立ち寄る先はハンバーガーを扱うファーストフード
ばかりだという意味だと思った。だが、めぐみちゃんは言葉どおり「ハンバーガーしか食べてない」のか・・・?

「勝手に居なくなって、勝手にもの食べて!あんたって娘はホントに何処まで迷惑かければ気が済むの?!」
「親の迷惑になるようなことはするな、と毎日言ってるだろう!言うことを聞かない奴だな!」

 母親に続いて父親までめぐみちゃんを恫喝する。どちらかが宥めるどころか、2人揃ってめぐみちゃん1人を攻撃。何か言えば、何かすれば怒鳴られる。
これじゃめぐみちゃんが日々怯えながら生きなきゃならないのは当然だ。

「うう・・・。ひっくひっく・・・。」

 両親からの集中砲火を一身に浴びためぐみちゃんはとうとう我慢の限界に達して泣き出す。それでも声を出来るだけ押し殺しているのがあまりにも
痛々しい。ここまで本当によく耐えた。最初の恫喝の時点で泣き出しても責められやしない。

「泣いて済むと思ってるのか?!」
「ったく、何処までも迷惑かける娘ね!」

 目の前で健気にも声を極力押し殺して泣いている我が子を前にしても尚、めぐみちゃんの両親は吐き捨てるような言い草だ。
母親だけじゃない。両親揃って頭がおかしいとしか思えない。他に子どもは居ないようだから、めぐみちゃんは毎日こんな理不尽な攻撃を
受け続けてるのか・・・?!
 母親が俺と晶子を睨む。「見る」じゃなくて「睨む」だ。吊り上った目だけでなく、無駄に険しい表情から嫌でも分かる。
睨むのは千歩譲って黙っておいてやる。めぐみちゃんが目の前で泣いているのに、またも放ったらかしにしていることが一番許せない。

「あんた達が、家の恵美に食べさせたのね?」
「昼ご飯の時間でしたし。」

 めぐみちゃんがお腹を空かせていたことは伏せる。この両親の傾向からして、そのことを話せばめぐみちゃんを怒鳴る材料を提供することになるのは
目に見える。
俺とてそれほど馬鹿じゃないつもりだ。

「人様の子に余計なことしないでくれる?!」
「な・・・。」
「・・・!」

 母親の文句に俺と晶子は絶句する。
世話への謝礼を要求するつもりはないし、してもいない。昼飯時だったし、めぐみちゃんも実際腹を空かせていたから、晶子に店を見繕ってもらってそこで
食事を摂っただけだ。「余計なことをするな」と言われる筋合いはない。

「家ではね!『知らない人から物をもらうな』『食べ物をもらう相手は親だけ』って躾をしてるんだ!勝手なことをしないでもらいたい!」

 父親も同調する。・・・何て親だ・・・。怒りより当惑が先に出て言葉が出ない。こんな親、否、こんな人間初めて見る。間違いなく今まで俺が見た人間の中で
1、2を争う狂いっぷりだ。

「知らない人から食べ物をもらうなんて、乞食じゃあるまいし!馬鹿な娘!」
「お前がしっかり見張ってないから、こんなみっともないことになるんだ!」
「あんたこそ、親として見張ってるべきじゃないの?!」
「この馬鹿!」
「!!」

 めぐみちゃんそっちのけで口論を始め、挙句の果てにめぐみちゃんを平手打ちした両親を見て、俺の頭の中で何かが音を立てて切れた。
俺はめぐみちゃんの脇を通って両親の前に進み出る。

「おい!!」
「はあ?!何っ・・・!」

 俺はまず母親の両頬を平手打ちする。間髪入れずに父親の両頬も平手打ちする。殴られためぐみちゃんの両親は呆然としている。殴ったことはあっても
殴られたことはないんだろう。

「・・・な・・・、何するんだ!!」

 殴られた実感が徐々に沸いてきたんだろう。父親の方が顔を憤怒一色に変えて怒鳴る。

「自分の子どもを放り出しておいて、戻ってきた子どもを怒鳴って叩くとは何事だ!!それでも親か!!」
「な、何言い出すの?!人様を殴っておいて!!」
「迷子になった自分の子どもを欠片も心配しない、それどころか怒鳴りつけて殴りさえするような奴は、人じゃない!!」

 まだ自分達の振る舞いを正しいと信じて疑わないこの間抜けな両親、否、男女を殴ったことを後悔してない。それどころか、まだ殴り足りないかと
思わせる言い草に、頭に上った血が沸騰する。

「めぐみちゃんは、お腹空かせてたんだぞ!!昼に何を食べるか聞いたら、ハンバーガーしか食べたことがないとも言った!!お前達、子どもの面倒もろくに
見てないのか?!中学生くらいになれば、自分で何とか出来るかもしれない!!めぐみちゃんは6歳だぞ?!食べたいことさえ、遠慮してたんだぞ?!
昼ご飯にハンバーガーとジュースしか与えない、しかもそれすら顔色を窺わせるなんてお前達、それでも親か!!この人でなしめ!!」

 勢いのまま両親を怒鳴りつける。こいつらに言い過ぎなんて制限は必要ない。めぐみちゃんとこいつらの立場をひっくり返してやりたいくらいだ。
めぐみちゃんが独りでどんなに辛くて悲しい思いをしてきたか、こいつらは微塵も分かっちゃ居ない。

「ひ、人でなしって・・・!!あんた、よくも・・・!!」
「ガキの分際で生意気な!!」

 俺に叱られて逆上したのか、男女がいきり立って立ち上がる。反射的に俺は身構える。

バシッ!!バシッ!!バシッ!!バシッ!!

 俺の前で再び平手打ちの音が4回響く。だが、今回平手打ちを繰り出したのは俺じゃない。俺の前に立ちはだかった晶子だ。俺に男女が攻撃を仕掛けると
思って、俺に加勢したんだろう。

「いい加減にしなさい!!」

 晶子が怒鳴る。温厚でおっとりしている晶子が怒鳴るなんて滅多にない。どんな表情かは後ろからだから分からないが、今までの表情と大きく異なるのは
間違いないだろう。そうなっても当然だが。

「子どもの世話もまともにしない分際で親を名乗って、更に躾を口にするなんておこがましいにも程があります!!貴方達は、めぐみちゃんを何だと
思ってるんですか?!めぐみちゃんは貴方達の欲求不満の捌け口じゃないんですよ!!恥を知りなさい!!」
「こ、この・・・。」

 余所者である俺に続いて晶子にも殴られて怒鳴られたことで、男女の怒りは増幅されたようだ。
俺は反撃から晶子を庇うために晶子の前に出る。憤懣やるかたないといった顔の男女と睨み合う。

「訴えてやる!!傷害で訴えてやる!!」
「ちょっと!!そこの貴方!!証人になってよね?!」

 訴訟を宣言した夫に続いて金切り声を上げた女は、俺と晶子を案内した事務所の人に助太刀を依頼する。図々しいにも程がある。
めぐみちゃんを放置した上に怒鳴って殴って、何が訴訟だ!ふざけるのもいい加減にしろ!

「私は何も見てません。知りません。」

 事務所の人は素知らぬ顔で意外なことを言う。男女は呆気に取られる。間近に居たのに見てない知らないと返されたんだから無理もないか。

「ちょ、ちょっと!何言ってんのよ?!」
「見ただろう?!こいつらが揃って俺と妻を殴ったのを!」
「さあ。」
「さあ、って・・・、あんたねぇ!!」
「見ていないものは見ていませんし、知らないものは知りません。」

 男は食い下がるが、事務所の人はあくまで淡々と見てない知らないと言う。表情も今までの成り行きをまったく見てないし知らないと物語るものだ。

「少なくとも、これだけは存じています。安藤さんご夫妻がこの広大な京都御苑の一角に独り取り残されていた幼女を保護し、両親が見つかるまでの間
きちんと世話したこと。そして、幼女の両親である貴方方が、幼女に多大な心理的負担を強いていること。」
「心理的負担とは人聞きの・・・!」
「昼食にハンバーガーとジュースしか与えない。これは児童虐待や育児放棄の疑いがあります。」

 尚も食って掛かる男に、事務所の人は罪状を持ち出す。これには流石の男も言葉に詰まる。
確かにめぐみちゃんへの対応は。児童虐待や育児放棄と取られても当然と言える。法律関係は一般教養で齧った程度だからあまり知らないが、児童虐待や
育児放棄が深刻な社会問題になっているという話は講義の中でも出たし、俺も店での接客や買い物で耳にしたことがある。

「それともう1つ。安藤さんご夫妻は当事務所の職員が貴方方を発見するまで、貴方方のお子さんの面倒を見てくれていたのです。そのことへの感謝の言葉を
未だに耳にしていません。」
「そ、それは預かったんだから・・・」
「当然と仰る?では、扶養義務がある自分の子どもの世話も躾名目で十分行わない貴方方は、当然のことすら出来ていないことになる。それで貴方方の
お子さんの面倒を見てくれていた安藤さんご夫妻の行為を当然などと、よく言えたものですね。」

 事務所の人は淡々と、しかし強烈な反撃をする。
事務所の人の言うことはごく当然、常識的なことだ。しかし、それすらまともに認識していない男女が目の前に居る。

「児童虐待や育児放棄に見て見ぬふりは出来ません。このことを、貴方方が行きたがっている裁判所より先に行くべき場所である警察に報告しようと
思います。」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。」
「待つ?私を含む当事務所の職員が貴方方に迷子について質問した際、即座に逃げ出しましたよね?」

 逃げた・・・だと?自分の子どもの可能性が高い迷子について質問されたら、逃げただと?しかも即座に。
・・・こいつら、俺の予想どおりだ。めぐみちゃんがはぐれたように装って、めぐみちゃんを・・・捨てたんだ。だから、迷子について質問されたら逃げたんだ。
捨てた子どもに関わりたくない一心で。
めぐみちゃんは言ってた。両親は自分を探さないって。そのとおりだった。探すどころか逃げていた。事務所の人がどうにかして身柄を確保しなかったら、
めぐみちゃんはそのまま・・・捨てられてしまっていた。
 悪い予想や予感ほど、当たらないで欲しい予想や予感ほど当たる嫌な法則。今までにも何度か遭遇してきた。どうしてこんな奴らが親になっちまったんだ?
親を選べないめぐみちゃんがあまりにも不幸だ。

「我々が何度も制止しても聞かず、追いかけて改めて質問してようやく貴方方は応じた。質問をはぐらかし続け、渋々迷子が貴方方の子どもであると認めた。」
「ぐ・・・。」
「それは・・・。」
「「「・・・。」」」
「貴方方の行動が児童虐待、育児放棄である疑いは、法律関係の専門でない私でも分かります。果たして、貴方方が安藤さんご夫妻を相手取って裁判を
起こせるのと、貴方方が警察に連行されるのと、どちらが早いでしょうか?」

 事務所の人は男女に二者択一を突きつける。
事務所の人は俺と晶子が男女を殴打したことに知らぬ存ぜぬを通す一方で、自身の経験も踏まえてめぐみちゃんに対する虐待や育児放棄の疑いを
挙げた。話からするに男女の捜索には事務所の人が複数携わったらしいし、警察の事情聴取となれば、俺と晶子に有利で男女には不利な状況になるのは
ほぼ間違いない。

「し・・・躾だ。躾の一環として叩いたのよ!」

 めぐみちゃんを殴った女が、苦し紛れに言い訳に転じる。躾という名目なら殴って蹴っても良いと言うなら、めぐみちゃんを放置して暴言暴行を働いた
この男女を躾と称して殴って蹴っても問題ないだろう。

「躾、ですか。」
「そ、そうよ!躾よ!」
「その躾とやらが果たして真っ当なものかどうか、そこが肝心です。」

 事務所の人は淡々とした口調を崩さない。こういう親に何度もやり合ってある意見慣れているからなんだろうか?
多数の人で賑わう京都御苑。迷子の問題があっても何ら不思議じゃないし、大学の講義でも出るくらいだから児童虐待や育児放棄に触れる可能性も増える
だろう。それでも、こういう怒鳴り散らして威嚇恫喝することで言い分を通すタイプの人間に、冷静沈着に徹して対処するのは難しい。

「お子さんの行動が自他共に人命に関わる、あるいは集団生活において重大な問題を引き起こすもので、それを言って制しても聞かない場合、叩いてでも
制止する必要があるでしょう。自分が急いでいるから構わない、と信号無視をすれば時に死者が出る交通事故を引き起こす原因になるので、信号無視は
自動車教習の段階で厳しく咎められますし、実際に路上で行えば道路交通法違反、事故を起こせばそれなりの犯罪に問われます。」
「でしょ?」
「ですが、食事にハンバーガーとジュースしか与えない。迷子が自分の子どもではないかもしれないのに、迷子のことを聞かれたら即座に逃げ出すなど
知らぬ存ぜぬを通そうとし、我々が迷子の特徴を挙げて確認してようやく自分の子どもと認めたと思ったら、自らの監督責任を棚に上げて子どもをなじり、
ついには『馬鹿』と罵って叩く。果たしてこれらが真っ当な躾と言えるでしょうか?」

 事務所の人は交通ルールを例に挙げて、男女の言う「躾」について再度迫る。相当論理立てて話をすることに慣れてる印象を感じる。
こういう人相手に感情論で押し切るのはまず不可能。この男女の場合、もはや勝敗は決まったも同然だ。

「さて、どうします?」

 事務所の人は手を出しあぐむ男女に言葉だけでじりっと迫る。凄んでいるわけでもないのに威圧感というかオーラというか、そういうものをビリビリ感じさせる。
感情的にまくし立てる一方だった男女は、打つ手がないのか困惑した様子だ。

「当事者の貴方方で結論が出せないなら、私の方から警察に連絡しましょうか?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。」

 更に事務所の人が一手を出すと、男がうろたえた様子で制止する。流石にこの状況で警察を呼ばれたら自分達が不利になると感じたんんだろう。
これでも感じないならもう救いようがない。

「こ、子どもを殴ったのは家内の方だ。俺には責任はない。」

 ・・・訂正。救いようがなかった。
揃ってめぐみちゃんを攻撃しておいて、警察が来ることが現実味を帯びてきた途端に責任を押し付けにかかるとは、怒りを通り越して呆れる。
見た目は大人だが、頭の中身は子ども以下だ。子ども以下の大人の振る舞いを四六時中相手にしなきゃならないめぐみちゃんが不憫でならない。

「な、何よ!あんたがしっかり見てないからいけないんじゃないの!」
「殴ったのはお前だろうが!」

 傍目で見ていてもあまりに見苦しい責任転嫁と怒鳴り合い。一番の当事者であるめぐみちゃんを完全に置き去りにしている。駄目だ、この男女。
とことん救いようがない。

「止めろ!!」

 尚もめぐみちゃんを無視して責任転嫁の怒鳴り合いを続ける男女を、俺は一喝する。男女はようやく怒鳴り合いを止める。
今は第三者が制止や咎めに入れるからまだ良いようなものの、家とかでは多分めぐみちゃんを放り出して絶えず言い争いをしてるんだろう。
顔色を窺うばかりか怒鳴り合いを見せ付けられるめぐみちゃんはたまったもんじゃない。

「あんた達、本当にめぐみちゃんの親か?」

 自分自身を落ち着かせるために、心の中で10数えてから切り出す。順序立てて言うくらい頭に上った血液の温度が下がる。

「めぐみちゃんの監督責任で責任を押し付け合って、警察が持ち出されるとまた責任の押し付け合い。責任がどちらにあるかよりずっと大事なことが
あるだろう?あんた達がめぐみちゃんの親だってことが!」
「「・・・。」」
「なのに、めぐみちゃんそっちのけで、めぐみちゃんの目の前で怒鳴り合い・・・。めぐみちゃんがどんな気持ちで見てるか、少しは考えたらどうなんだ?
もう1回聞く。あんた達、本当にめぐみちゃんの親か?」
「「・・・。」」
「答えろ!」

 男女の沈黙に我慢ならず、再度一喝する。男女は嫌そうな顔で互いを横目で見る。
見た目男女は俺と晶子とさほど年齢は変わらない。だが、頭の中は子ども以下。こんなのでも親になってしまう現実が、今確かに目の前にある。

「・・・親だよ。」
「だったら、まずはめぐみちゃんのことを考えるべきじゃないのか?めぐみちゃんが居なくなって心配にならなかったのか?」
「別に。」

 予想外の返答に絶句する。
・・・めぐみちゃんが言ってたな。自分が居なくなっても両親は探さない、って。自分が疎まれてさえいることを肌身で日々感じているから、出た言葉なんだと
痛感させられる。

「だから・・・逃げたのか。事務所の人にめぐみちゃんのことを尋ねられて。」
「ああ、そうさ。体よく厄介払いが出来たところを捕まえられちゃ適わんからな。」
「面倒ばかりかける子どもなんて要らないから。」
「じゃあ、どうしてめぐみちゃんを産んだんですか?!」

 女の、めぐみちゃんを疎んじる理由の核心の言葉に、俺の隣から疑問がぶつけられる。今まで黙っていた晶子だ。
唇を横にきゅっと結んだ横顔は、かすかに震えてさえ居る。子ども好きな晶子は、女のさっきの言葉は特に許せないんだろう。

「子どもが欲しくても授からない夫婦だって居るんです!!『子宝』っていう言葉すらあるんですよ!!なのに、貴方達は我が子を露骨に疎んじて・・・!!
どういう神経してるんですか?!」
「子どもが出来ちゃったから、仕方なしに結婚しただけよ。」
「「!!」」

 ふてくされた様子を見せ始めた母親が、晶子の疑問にぶっきらぼうに答える。「出来ちゃった結婚」だったのか、この男女・・・。
でも好きだから、愛してるからセックスして、その結果妊娠したなら驚きや戸惑いはあっても、嬉しいもんじゃないのか?

「避妊してた筈なのに出来ちまったから、このガキは俺の子どもじゃないって確信してるんだ。」
「血液型検査したじゃないのさ!!」
「ハン。俺と付き合ってた時、他の男と遊んでたのを忘れたとは言わせないぞ。」
「おろすと何かと面倒だからってことで、あたしと結婚したくせに今更。」

 この男女がめぐみちゃんを疎んじている背景は大体分かった。交際時の女の二股−話し振りからするに複数のようだが−。その結果かどうか知らないが
予想外の妊娠、そして世間体を取り繕うための結婚。互いに不信感を抱くのは無理もない。だけど・・・!

「めぐみちゃんには何の責任もないだろう!!」

 再び他の人間そっちのけで醜い口論を始めた男女を一喝する。こうしないと言い争いを止められないのが情けない。

「血縁関係の詳細は知らないし、知ろうとも思わない。だけど、戸籍では親なんだろ?!めぐみちゃんの!!」
「「・・・。」」
「だったら、責任を持って子育てしろ!!毎日怒鳴り合いしてて、自分も怒鳴られる、何時怒鳴られるか分からないで怯えてるめぐみちゃんの身にもなって
みろ!!こんなこと、他人に言われないと分からないのか?!お前達、本当に親か?!」

 今度は男女からの言い訳や反論はない。気まずそうに互いを見やっている。「情けなくて涙が出そう」というのはこういう感情のことを言うんだろう。
この男女に怒鳴られるまで泣かなかった、泣けなかっためぐみちゃんの気持ちを思うと、余計にやりきれない。

「奔放と偽った性倫理や自律心の崩壊。望まない妊娠。体裁のための結婚・・・。児童虐待や育児放棄に至る典型例ですね。」

 少し間を挟んで事務所の人が口を開く。男女も児童虐待や育児放棄じゃないなどと言い返したりしない。
多少自覚が出て来たかと思いたいが、今までの経過からすると望み薄だ。表面上反省した様子を見せてるだけだろう。そう思うしかないくらい、この男女に対する
信用はない。

「本人の口から、自分の子どもを厄介払いのために此処京都御苑に連れて来て、はぐれたと見せかけて放り出したことまで明かされた以上、保護者捜索と
育児責任放棄に直面した当事者兼証人として、児童虐待や育児放棄の現行犯である貴方方を警察に通報します。」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。頼む。警察だけは勘弁してくれ。」
「そ、そこまで大袈裟にすることないじゃないの。」
「警察だけは勘弁?大袈裟にするな?安藤さんご夫妻に叱責されたのを逆恨みして訴訟を持ち出しておいて、何を今更。」

 警察への通報が一気に現実味を帯びてきたのを感じて、男女が必死に止める。
ったく、よく言えたもんだ。事務所の人が言ったとおり、訴訟だの何だのと先に言い出したのはそっちだろうが。

「警察の事情聴取を受けてその結果起訴、裁判という流れになれば、貴方方が言い出したとおり私も証人として出廷します。貴方方が要求したことですし。」
「か、勘弁してくれ。あ、あれは口が滑っただけだ。」
「口が滑ったということは、本音が何かの拍子に出たということでもあります。」
「「・・・。」

 事務所の人はあくまで冷徹に、しかし着実に男女を追い詰めていく。
いざ論争となれば、その場その時の感情で動いているだけの男女より、事務所の人が圧倒的に強い。訴訟を持ち出した男女も、言った時は事務所の人を
抱きこめると思ったんだろうが、男女にとっては相手が悪かった。

「警察に来て欲しくなくて安藤さんご夫妻を被告人席に立たせたいのなら、弁護士に連絡しましょうか。民事訴訟と刑事訴訟とでは趣向がやや異なりますが、
あの言い分に理があるかの判断を仰ぐ機会であることには変わりないですし。」
「お、大袈裟にしないでよ。ちょっとした言葉のあやってもんがあるじゃないの。」
「貴方方から訴訟だの証人だのと言っておいて、不利になると悟るや前言撤回ですか。警察も弁護士も、貴方方の身勝手で動いてはくれませんよ。身勝手に
振り回されて業務に支障を来たしたと逆方向で動くことはあるでしょうが。」

 事務所の人は更に男女を追い詰める。一気にじゃなくて一歩一歩じりじり詰めていくところは流石だ。
どれだけ怒鳴りつけても表情も口調も変えないんだから、めぐみちゃんに口論を見せつけ、時に当り散らすことに慣れて「怒鳴ればねじ伏せられる」と
思い込んでいる節がある男女が勝てる相手じゃない。

「・・・わ、分かった。訴訟云々はなかったことにしてくれ。」
「児童虐待や育児放棄って宣伝されたら、溜まったもんじゃないわ。」

 全然反省してないな、こいつら・・・。それこそ警察に来てもらってみっちり絞られても、結果刑務所送りになっても反省しそうにない。
この手の輩は自分が悪いことをしたと自覚しない。単に「自分が不利になったら引っ込む」「怒られるから謝っておく」という思考しかしない。

「別に児童虐待や育児放棄が行われていると宣伝するつもりはありません。ただ、貴方方が現にそうして、更に貴方方が不在の間しっかりお子さんの面倒を
見てくれた安藤さんご夫妻に、未だに一言の感謝もない。」
「それは・・・。」
「当然と仰るようでは、警察への通報を選択肢から外せませんね。」
「じゃあ、どうしろって言うのよ!」
「ここまで言っても自分達のしたことの重大性が分かっていないから、そんな態度になる。問題の発端は自分達なのに、何故自分達が叱られなきゃ
ならないのかと訝るばかり。」

 俺が言いたいことを事務所の人が全て言ってくれている。
男女の身勝手のおかげで、俺と晶子も事務所の人もめぐみちゃんも散々振り回された。だが、こいつらは何一つ反省してない。事務所からめぐみちゃんを
連れて出た途端、「お前のせいで恥をかかされた」と怒鳴り散らして殴るのは俺でも想像出来る。

「貴方方は兎も角、貴方方の身勝手の一番の被害者はお子さんです。その自覚すら貴方方からは感じられない。此処から出たら迷惑をかけただの恥を
かかせただのとなじり、ついには殴ることは容易に想像出来ます。」
「「・・・。」」
「貴方方がどのような処罰や制裁を受けるかは警察や裁判所に任せるとして。」
「ちょ、ちょっと・・・」
「児童虐待・育児放棄に晒されていることが判明したお子さんの成長と安全を保障することが重要です。」

 警察を呼ぶのが既定路線として固まりつつあるのを感じてか男が割り込もうとするが、事務所の人は無視して続ける。
事務所の人の言うとおり、男女が刑務所送りになろうがどうなろうが知ったことじゃない。それより、めぐみちゃんが安心して毎日を過ごせるようにすることが
肝要だ。虐待を受けたりした子どもを保護する施設があるが、そこにめぐみちゃんを預けて万事安泰となるかどうかは分からない。だが、少なくとも朝から
晩まで怒声や八つ当たりの殴打に怯えなくても良くなるだろう。そう思いたい。

「では、そういう方針で進めます。」
「そ、そういう方針って・・・。」
「警察を呼んで場合によっては裁判でどちらの言い分に道理があるか白黒はっきりさせ、お子さんの成長と安全を保障する。これ以外に何があると仰る?」

 慌てて詰め寄った女に対する事務所の人の回答は、被告に問答無用で死刑を告げる裁判官に見える。
この期に及んでも反省の欠片も見せないこの男女は、一度しっかり絞られた方が良い。絞られても反省する見込みは薄いが、めぐみちゃんをこの男女から
離すことで初めて、めぐみちゃんの安心が約束される。

「…警察が呼ばれると、お巡りさんが来るんだよね?」

 めぐみちゃんが俺と晶子を見上げて尋ねる。泣き止んではいるが、目が充血しているし頬には涙の跡がある。

「・・・ああ、そうだね。」
「お巡りさんが来たら、お父さんとお母さんは何処かに連れて行かれるの?」
「うん。警察署ってところで話を聞かれたりするし、その後お仕置きがあるかもしれない。」
「お仕置きって、あんたが・・・」
「黙ってろ。」

 口を挟んできた女を穏やかな口調で制する。穏やかなのは口調だけだから、女は引っ込む。めぐみちゃんの頭上でこれ以上怒鳴り声を撒き散らすのは
良くない。めぐみちゃんが怯えるだけだ。

「お仕置きされることになると、お父さんとお母さんとは離れちゃうの?」
「そうなるね。」
「・・・やだ。」

 めぐみちゃんが再び泣きそうな顔で言う。・・・嫌って、こんな親なんかと離れたいんじゃないのか?

「お父さんとお母さんと離れたくない。」
「めぐみちゃん・・・。庇ったりしなくても良いんだよ?」
「庇うって・・・」
「黙ってろと言った筈だ。」

 いちいち自分を正当化しようとする男女は鬱陶しい限りだが、めぐみちゃんの前だから怒鳴ったりしない。
しかし、めぐみちゃんはどうして、こんなろくでなしを庇うんだ?こんな状況になったら親を庇うように躾−と言いたくないが−られてるんだろうか?

「だって・・・、めぐみの本当のお父さんとお母さんは、お父さんとお母さんしか居ないから。」
「「・・・。」」
「今日も・・・めぐみを探さないと思ってたけど、来てくれてた・・・。本当に探す気がないなら・・・、もう遠いところに行ってたと思う・・・。めぐみを心配して
くれてたから・・・此処に来てくれてた・・・。」

 めぐみちゃんの声に震えが加わってくる。めぐみちゃんなりに懸命に両親である男女を庇ってることが痛いほど分かる。
これじゃ、いったいどっちが親なのか、年上なのか分からない。6歳のめぐみちゃんの方がよっぽど人間が出来てる。しかも、こんなろくでなしの男女を
両親に持って・・・。
これも幼いながらに身についた処世術ってやつなんだろうか?そんなことよりもっと楽しい思い出を、買い物に行ったり欲しいものを買ってもらったりして
喜ぶもんじゃないのか?

「だから・・・、お巡りさんを呼ばないで・・・。めぐみ、独りになっちゃう・・・。」

 めぐみちゃんが再び声を出来るだけ殺して泣き出す。何だ、この痛々しさと居たたまれなさは・・・。
晶子が屈む。泣いているめぐみちゃんを優しく抱き寄せ、優しく強く抱き締める。晶子も同じ心境なんだろう。子ども好きな分、めぐみちゃんの必死さに
やりきれない気持ちが強いだろう。

「・・・一先ず、警察の方には来ていただきます。」

 事務所の人が言う。めぐみちゃんの気持ちを思うと止めた方が良いかも知れないが、めぐみちゃんの今後を思うと一度この男女はみっちり絞られておく
必要はある。俺や晶子や事務所の人が此処でどれだけ言っても、事務所を出れば直ぐ忘れるだろうから。

「ただ、お子さんのご希望もありますから、貴方方が十分反省するよう指導を受けてもらうように言います。それで良いですね?」
「「・・・はい。」」
「安藤さんご夫妻は、それでよろしいでしょうか?」
「めぐみちゃんにとっては、こんなろくでなしでも親なんですから、親が居なくなるよりは良いでしょう。異論ありません。」
「もうめぐみちゃんが泣かなくても済むようにお願いします。」
「分かりました。」

 事務所の人は携帯を取り出して電話をかける。
 やり取りは直ぐ終了する。児童虐待と育児放棄のことを伝えたから警察は直ぐ来るそうだ。警察に絞られることが確定した男女は、気まずいのか
取り返しの付かないことになったと思っているのか、揃って項垂れている。何も同情出来ないのがある意味哀れだ。

「お父さんとお母さん、お巡りさんに連れて行かれるの・・・?」
「ちょっとの間、ね。めぐみちゃんに酷いことしてたことを二度としないように怒ってもらうだけ。」

 心配そうなめぐみちゃんを俺は出来るだけ安心させる。
警察での事情聴取と説教がどのくらい時間がかかるかは分からないが、俺や晶子や事務所の人といった軽く見ることが出来る相手じゃなくて、逮捕の権限も
持つ警察に説教されれば、この男女も反省するなり自粛するなりするだろう。「今度このような事例が通報されれば逮捕する」とでも念押ししておけば、
十分な抑止力になり得る。
 少しして、事務所に警察の人が来た。制服姿の面々数人と私服の1人という顔ぶれで、私服の人が代表と名乗って警察手帳を取り出す。

「お話を聞いて窺いました。児童虐待と育児放棄が行われていたことは、昨今の情勢から鑑みても看過出来るものではないですね。」
「「・・・。」」
「署までご同行願います。よろしいですね?」
「・・・はい。」

 それまでの威勢の良さは何処へやら、男は力なく同意する。俺や晶子や事務所の人なら怒鳴りつけたり威圧したり出来るんだろうが、相手が相手だけに
それは出来ないようだ。したとしたら公務執行妨害の現行犯とかで余計に罪が重くなるだけだし。
男女は制服警官に促され、肩を落として事務所を出て行く。事情聴取のための連行そのものだ。これで反省しなかったら、本当に逮捕して刑務所に
ぶち込んでもらわないといけない。男女の職や社会的地位など知ったことじゃない。めぐみちゃんの今後が一番の懸案事項だ。

「あの・・・。こういう言い方は変なのを承知であえて言いますが・・・、ありがとうございます。」
「先に手を出すのは褒められたことではないですが、事例が事例だけにやむを得なかったと認識しています。」

 めぐみちゃんが男女から集中攻撃を受け、ついには殴打されたところを目の当たりにして頭に血が上ったとは言え、先に手を出した俺の行動は称賛される
べきもんじゃない。事務所の人の機転に助けられたも同然だ。
 どうも俺は、頭に血が上ると感情の赴くままの行動に走りやすい。晶子と田畑助教授との一件でも、晶子の話を一切聞かずにマフラーと指輪を
投げ捨てたし、潤子さんの仲介があるまで一切聞く耳を持たなかった。駅で涙が出た時に笑った学生を力任せに殴打した。この怒りに任せた衝動的な行動、
直さないといけないな。

「ねえ・・・。祐司おにいちゃん。晶子お姉ちゃん。」
「ん?どうした?」
「お父さんとお母さん、連れて行かれちゃったけど、戻ってこないの・・・?」
「大丈夫。ちょっとお巡りさんにお説教してもらうだけ。めぐみちゃんにもう二度と酷いことしないように、って。」

 晶子が不安そうなめぐみちゃんを安心させる。
警察も事情聴取だと言っていたし、ひとしきり絞られたら解放される筈。勿論、「今回だけは厳重注意で済ますが次回は」と釘を刺されるだろう。
そうしてもらわないと、めぐみちゃんの今後のためにならない。野放しにされるくらいなら刑務所にぶち込んでもらった方がめぐみちゃんのためだ。

「警察から連絡が入ったらその旨お伝えします。それまで引き続き保護していただけますか?」
「はい、勿論です。」

 めぐみちゃんの両親であるあの男女が絞られている間、めぐみちゃんを独りにしておくわけにはいかない。
両親が見つかったことで俺と晶子を両親と見て過ごす夢は一時終わったが、再開することになった。その夢がどのくらい続けられるかは分からないが、
めぐみちゃんに少しの間でも良い夢を見てもらいたい。そうでなきゃ…、めぐみちゃんは何のために生きてるのか分からない…。
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