「安藤です。預かっていた女の子を連れてきました。」
「ご苦労様です。どうぞこちらへ。」
「こちらのお子さんで、間違いありませんか?」
「あー、はいはい。」
「ったく、ちょっと目を離すと直ぐ居なくなる。しっかり見てないから、こんなことになるんだ。」
「ホント、いちいち迷惑かける子ね。」
「恵美、こっち来なさい。」
「うん・・・。」
「さっさとするっ!」
「あんた、昼に何か食べたの?」
「・・・うん。」
「あんたって娘は!勝手にものを食べるなって言ってるでしょう?!」
「何食べたの?!」
「・・・サンドイッチと・・・温かい牛乳・・・。」
「そんなもの食べるんだったら、ハンガーがー食べてジュース飲めば良いでしょ?!何時もそうしてるでしょ?!」
「勝手に居なくなって、勝手にもの食べて!あんたって娘はホントに何処まで迷惑かければ気が済むの?!」
「親の迷惑になるようなことはするな、と毎日言ってるだろう!言うことを聞かない奴だな!」
「うう・・・。ひっくひっく・・・。」
両親からの集中砲火を一身に浴びためぐみちゃんはとうとう我慢の限界に達して泣き出す。それでも声を出来るだけ押し殺しているのがあまりにも「泣いて済むと思ってるのか?!」
「ったく、何処までも迷惑かける娘ね!」
「あんた達が、家の恵美に食べさせたのね?」
「昼ご飯の時間でしたし。」
「人様の子に余計なことしないでくれる?!」
「な・・・。」
「・・・!」
「家ではね!『知らない人から物をもらうな』『食べ物をもらう相手は親だけ』って躾をしてるんだ!勝手なことをしないでもらいたい!」
父親も同調する。・・・何て親だ・・・。怒りより当惑が先に出て言葉が出ない。こんな親、否、こんな人間初めて見る。間違いなく今まで俺が見た人間の中で「知らない人から食べ物をもらうなんて、乞食じゃあるまいし!馬鹿な娘!」
「お前がしっかり見張ってないから、こんなみっともないことになるんだ!」
「あんたこそ、親として見張ってるべきじゃないの?!」
「この馬鹿!」
「!!」
「おい!!」
「はあ?!何っ・・・!」
「・・・な・・・、何するんだ!!」
殴られた実感が徐々に沸いてきたんだろう。父親の方が顔を憤怒一色に変えて怒鳴る。「自分の子どもを放り出しておいて、戻ってきた子どもを怒鳴って叩くとは何事だ!!それでも親か!!」
「な、何言い出すの?!人様を殴っておいて!!」
「迷子になった自分の子どもを欠片も心配しない、それどころか怒鳴りつけて殴りさえするような奴は、人じゃない!!」
「めぐみちゃんは、お腹空かせてたんだぞ!!昼に何を食べるか聞いたら、ハンバーガーしか食べたことがないとも言った!!お前達、子どもの面倒もろくに
見てないのか?!中学生くらいになれば、自分で何とか出来るかもしれない!!めぐみちゃんは6歳だぞ?!食べたいことさえ、遠慮してたんだぞ?!
昼ご飯にハンバーガーとジュースしか与えない、しかもそれすら顔色を窺わせるなんてお前達、それでも親か!!この人でなしめ!!」
「ひ、人でなしって・・・!!あんた、よくも・・・!!」
「ガキの分際で生意気な!!」
バシッ!!バシッ!!バシッ!!バシッ!!
俺の前で再び平手打ちの音が4回響く。だが、今回平手打ちを繰り出したのは俺じゃない。俺の前に立ちはだかった晶子だ。俺に男女が攻撃を仕掛けると「いい加減にしなさい!!」
晶子が怒鳴る。温厚でおっとりしている晶子が怒鳴るなんて滅多にない。どんな表情かは後ろからだから分からないが、今までの表情と大きく異なるのは「子どもの世話もまともにしない分際で親を名乗って、更に躾を口にするなんておこがましいにも程があります!!貴方達は、めぐみちゃんを何だと
思ってるんですか?!めぐみちゃんは貴方達の欲求不満の捌け口じゃないんですよ!!恥を知りなさい!!」
「こ、この・・・。」
「訴えてやる!!傷害で訴えてやる!!」
「ちょっと!!そこの貴方!!証人になってよね?!」
「私は何も見てません。知りません。」
事務所の人は素知らぬ顔で意外なことを言う。男女は呆気に取られる。間近に居たのに見てない知らないと返されたんだから無理もないか。「ちょ、ちょっと!何言ってんのよ?!」
「見ただろう?!こいつらが揃って俺と妻を殴ったのを!」
「さあ。」
「さあ、って・・・、あんたねぇ!!」
「見ていないものは見ていませんし、知らないものは知りません。」
「少なくとも、これだけは存じています。安藤さんご夫妻がこの広大な京都御苑の一角に独り取り残されていた幼女を保護し、両親が見つかるまでの間
きちんと世話したこと。そして、幼女の両親である貴方方が、幼女に多大な心理的負担を強いていること。」
「心理的負担とは人聞きの・・・!」
「昼食にハンバーガーとジュースしか与えない。これは児童虐待や育児放棄の疑いがあります。」
「それともう1つ。安藤さんご夫妻は当事務所の職員が貴方方を発見するまで、貴方方のお子さんの面倒を見てくれていたのです。そのことへの感謝の言葉を
未だに耳にしていません。」
「そ、それは預かったんだから・・・」
「当然と仰る?では、扶養義務がある自分の子どもの世話も躾名目で十分行わない貴方方は、当然のことすら出来ていないことになる。それで貴方方の
お子さんの面倒を見てくれていた安藤さんご夫妻の行為を当然などと、よく言えたものですね。」
「児童虐待や育児放棄に見て見ぬふりは出来ません。このことを、貴方方が行きたがっている裁判所より先に行くべき場所である警察に報告しようと
思います。」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。」
「待つ?私を含む当事務所の職員が貴方方に迷子について質問した際、即座に逃げ出しましたよね?」
「我々が何度も制止しても聞かず、追いかけて改めて質問してようやく貴方方は応じた。質問をはぐらかし続け、渋々迷子が貴方方の子どもであると認めた。」
「ぐ・・・。」
「それは・・・。」
「「「・・・。」」」
「貴方方の行動が児童虐待、育児放棄である疑いは、法律関係の専門でない私でも分かります。果たして、貴方方が安藤さんご夫妻を相手取って裁判を
起こせるのと、貴方方が警察に連行されるのと、どちらが早いでしょうか?」
「し・・・躾だ。躾の一環として叩いたのよ!」
めぐみちゃんを殴った女が、苦し紛れに言い訳に転じる。躾という名目なら殴って蹴っても良いと言うなら、めぐみちゃんを放置して暴言暴行を働いた「躾、ですか。」
「そ、そうよ!躾よ!」
「その躾とやらが果たして真っ当なものかどうか、そこが肝心です。」
「お子さんの行動が自他共に人命に関わる、あるいは集団生活において重大な問題を引き起こすもので、それを言って制しても聞かない場合、叩いてでも
制止する必要があるでしょう。自分が急いでいるから構わない、と信号無視をすれば時に死者が出る交通事故を引き起こす原因になるので、信号無視は
自動車教習の段階で厳しく咎められますし、実際に路上で行えば道路交通法違反、事故を起こせばそれなりの犯罪に問われます。」
「でしょ?」
「ですが、食事にハンバーガーとジュースしか与えない。迷子が自分の子どもではないかもしれないのに、迷子のことを聞かれたら即座に逃げ出すなど
知らぬ存ぜぬを通そうとし、我々が迷子の特徴を挙げて確認してようやく自分の子どもと認めたと思ったら、自らの監督責任を棚に上げて子どもをなじり、
ついには『馬鹿』と罵って叩く。果たしてこれらが真っ当な躾と言えるでしょうか?」
「さて、どうします?」
事務所の人は手を出しあぐむ男女に言葉だけでじりっと迫る。凄んでいるわけでもないのに威圧感というかオーラというか、そういうものをビリビリ感じさせる。「当事者の貴方方で結論が出せないなら、私の方から警察に連絡しましょうか?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。」
「こ、子どもを殴ったのは家内の方だ。俺には責任はない。」
・・・訂正。救いようがなかった。「な、何よ!あんたがしっかり見てないからいけないんじゃないの!」
「殴ったのはお前だろうが!」
「止めろ!!」
尚もめぐみちゃんを無視して責任転嫁の怒鳴り合いを続ける男女を、俺は一喝する。男女はようやく怒鳴り合いを止める。「あんた達、本当にめぐみちゃんの親か?」
自分自身を落ち着かせるために、心の中で10数えてから切り出す。順序立てて言うくらい頭に上った血液の温度が下がる。「めぐみちゃんの監督責任で責任を押し付け合って、警察が持ち出されるとまた責任の押し付け合い。責任がどちらにあるかよりずっと大事なことが
あるだろう?あんた達がめぐみちゃんの親だってことが!」
「「・・・。」」
「なのに、めぐみちゃんそっちのけで、めぐみちゃんの目の前で怒鳴り合い・・・。めぐみちゃんがどんな気持ちで見てるか、少しは考えたらどうなんだ?
もう1回聞く。あんた達、本当にめぐみちゃんの親か?」
「「・・・。」」
「答えろ!」
「・・・親だよ。」
「だったら、まずはめぐみちゃんのことを考えるべきじゃないのか?めぐみちゃんが居なくなって心配にならなかったのか?」
「別に。」
「だから・・・逃げたのか。事務所の人にめぐみちゃんのことを尋ねられて。」
「ああ、そうさ。体よく厄介払いが出来たところを捕まえられちゃ適わんからな。」
「面倒ばかりかける子どもなんて要らないから。」
「じゃあ、どうしてめぐみちゃんを産んだんですか?!」
「子どもが欲しくても授からない夫婦だって居るんです!!『子宝』っていう言葉すらあるんですよ!!なのに、貴方達は我が子を露骨に疎んじて・・・!!
どういう神経してるんですか?!」
「子どもが出来ちゃったから、仕方なしに結婚しただけよ。」
「「!!」」
「避妊してた筈なのに出来ちまったから、このガキは俺の子どもじゃないって確信してるんだ。」
「血液型検査したじゃないのさ!!」
「ハン。俺と付き合ってた時、他の男と遊んでたのを忘れたとは言わせないぞ。」
「おろすと何かと面倒だからってことで、あたしと結婚したくせに今更。」
「めぐみちゃんには何の責任もないだろう!!」
再び他の人間そっちのけで醜い口論を始めた男女を一喝する。こうしないと言い争いを止められないのが情けない。「血縁関係の詳細は知らないし、知ろうとも思わない。だけど、戸籍では親なんだろ?!めぐみちゃんの!!」
「「・・・。」」
「だったら、責任を持って子育てしろ!!毎日怒鳴り合いしてて、自分も怒鳴られる、何時怒鳴られるか分からないで怯えてるめぐみちゃんの身にもなって
みろ!!こんなこと、他人に言われないと分からないのか?!お前達、本当に親か?!」
「奔放と偽った性倫理や自律心の崩壊。望まない妊娠。体裁のための結婚・・・。児童虐待や育児放棄に至る典型例ですね。」
少し間を挟んで事務所の人が口を開く。男女も児童虐待や育児放棄じゃないなどと言い返したりしない。「本人の口から、自分の子どもを厄介払いのために此処京都御苑に連れて来て、はぐれたと見せかけて放り出したことまで明かされた以上、保護者捜索と
育児責任放棄に直面した当事者兼証人として、児童虐待や育児放棄の現行犯である貴方方を警察に通報します。」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。頼む。警察だけは勘弁してくれ。」
「そ、そこまで大袈裟にすることないじゃないの。」
「警察だけは勘弁?大袈裟にするな?安藤さんご夫妻に叱責されたのを逆恨みして訴訟を持ち出しておいて、何を今更。」
「警察の事情聴取を受けてその結果起訴、裁判という流れになれば、貴方方が言い出したとおり私も証人として出廷します。貴方方が要求したことですし。」
「か、勘弁してくれ。あ、あれは口が滑っただけだ。」
「口が滑ったということは、本音が何かの拍子に出たということでもあります。」
「「・・・。」
「警察に来て欲しくなくて安藤さんご夫妻を被告人席に立たせたいのなら、弁護士に連絡しましょうか。民事訴訟と刑事訴訟とでは趣向がやや異なりますが、
あの言い分に理があるかの判断を仰ぐ機会であることには変わりないですし。」
「お、大袈裟にしないでよ。ちょっとした言葉のあやってもんがあるじゃないの。」
「貴方方から訴訟だの証人だのと言っておいて、不利になると悟るや前言撤回ですか。警察も弁護士も、貴方方の身勝手で動いてはくれませんよ。身勝手に
振り回されて業務に支障を来たしたと逆方向で動くことはあるでしょうが。」
「・・・わ、分かった。訴訟云々はなかったことにしてくれ。」
「児童虐待や育児放棄って宣伝されたら、溜まったもんじゃないわ。」
「別に児童虐待や育児放棄が行われていると宣伝するつもりはありません。ただ、貴方方が現にそうして、更に貴方方が不在の間しっかりお子さんの面倒を
見てくれた安藤さんご夫妻に、未だに一言の感謝もない。」
「それは・・・。」
「当然と仰るようでは、警察への通報を選択肢から外せませんね。」
「じゃあ、どうしろって言うのよ!」
「ここまで言っても自分達のしたことの重大性が分かっていないから、そんな態度になる。問題の発端は自分達なのに、何故自分達が叱られなきゃ
ならないのかと訝るばかり。」
「貴方方は兎も角、貴方方の身勝手の一番の被害者はお子さんです。その自覚すら貴方方からは感じられない。此処から出たら迷惑をかけただの恥を
かかせただのとなじり、ついには殴ることは容易に想像出来ます。」
「「・・・。」」
「貴方方がどのような処罰や制裁を受けるかは警察や裁判所に任せるとして。」
「ちょ、ちょっと・・・」
「児童虐待・育児放棄に晒されていることが判明したお子さんの成長と安全を保障することが重要です。」
「では、そういう方針で進めます。」
「そ、そういう方針って・・・。」
「警察を呼んで場合によっては裁判でどちらの言い分に道理があるか白黒はっきりさせ、お子さんの成長と安全を保障する。これ以外に何があると仰る?」
「…警察が呼ばれると、お巡りさんが来るんだよね?」
めぐみちゃんが俺と晶子を見上げて尋ねる。泣き止んではいるが、目が充血しているし頬には涙の跡がある。「・・・ああ、そうだね。」
「お巡りさんが来たら、お父さんとお母さんは何処かに連れて行かれるの?」
「うん。警察署ってところで話を聞かれたりするし、その後お仕置きがあるかもしれない。」
「お仕置きって、あんたが・・・」
「黙ってろ。」
「お仕置きされることになると、お父さんとお母さんとは離れちゃうの?」
「そうなるね。」
「・・・やだ。」
「お父さんとお母さんと離れたくない。」
「めぐみちゃん・・・。庇ったりしなくても良いんだよ?」
「庇うって・・・」
「黙ってろと言った筈だ。」
「だって・・・、めぐみの本当のお父さんとお母さんは、お父さんとお母さんしか居ないから。」
「「・・・。」」
「今日も・・・めぐみを探さないと思ってたけど、来てくれてた・・・。本当に探す気がないなら・・・、もう遠いところに行ってたと思う・・・。めぐみを心配して
くれてたから・・・此処に来てくれてた・・・。」
「だから・・・、お巡りさんを呼ばないで・・・。めぐみ、独りになっちゃう・・・。」
めぐみちゃんが再び声を出来るだけ殺して泣き出す。何だ、この痛々しさと居たたまれなさは・・・。「・・・一先ず、警察の方には来ていただきます。」
事務所の人が言う。めぐみちゃんの気持ちを思うと止めた方が良いかも知れないが、めぐみちゃんの今後を思うと一度この男女はみっちり絞られておく「ただ、お子さんのご希望もありますから、貴方方が十分反省するよう指導を受けてもらうように言います。それで良いですね?」
「「・・・はい。」」
「安藤さんご夫妻は、それでよろしいでしょうか?」
「めぐみちゃんにとっては、こんなろくでなしでも親なんですから、親が居なくなるよりは良いでしょう。異論ありません。」
「もうめぐみちゃんが泣かなくても済むようにお願いします。」
「分かりました。」
「お父さんとお母さん、お巡りさんに連れて行かれるの・・・?」
「ちょっとの間、ね。めぐみちゃんに酷いことしてたことを二度としないように怒ってもらうだけ。」
「お話を聞いて窺いました。児童虐待と育児放棄が行われていたことは、昨今の情勢から鑑みても看過出来るものではないですね。」
「「・・・。」」
「署までご同行願います。よろしいですね?」
「・・・はい。」
「あの・・・。こういう言い方は変なのを承知であえて言いますが・・・、ありがとうございます。」
「先に手を出すのは褒められたことではないですが、事例が事例だけにやむを得なかったと認識しています。」
「ねえ・・・。祐司おにいちゃん。晶子お姉ちゃん。」
「ん?どうした?」
「お父さんとお母さん、連れて行かれちゃったけど、戻ってこないの・・・?」
「大丈夫。ちょっとお巡りさんにお説教してもらうだけ。めぐみちゃんにもう二度と酷いことしないように、って。」
「警察から連絡が入ったらその旨お伝えします。それまで引き続き保護していただけますか?」
「はい、勿論です。」