雨上がりの午後
Chapter 229 覚めたくない親子の夢
written by Moonstone
「祐司お兄ちゃんと晶子お姉ちゃんって、普段何してるの?」
「普段って言うと?」
「今は旅行か何かなんでしょ?」
「そうよ。新婚旅行で来たの。」
「それ以外は何してるの?」
「大学生だ。同じ大学に通ってる。」
学部は違うとかそこまで詳しく言わなくても良いだろう。聞かれたら答えるが、「学部とは何か」と聞かれた場合、この年代に分かりやすいように答えられるかどうか。
晶子の方がボキャブラリーが豊富だから、俺が言いあぐんでいたらフォローしてくれるだろう。
「大学生って結婚出来るの?」
「男性が18歳かそれより上、女性が16歳かそれより上で結婚出来るんだ。どちらかが未成年、20歳より下だと親が認めないといけないってことになってる。」
「逆に20歳かそれより上だったら、男性と女性が結婚しようって決めれば結婚出来るのよ。」
以上とか未満とか双方とか、分かり難いと思う言い回しを平易にするのは意外に難しい。四字熟語や難解な表現を並べれば良いってわけじゃないが、平易な表現ばかりと
いうのもかなり無理がある。大学のレポート提出や実験後の口答試験じゃないから、相手−この場合はめぐみちゃんが理解出来ればよしとするか。
「祐司お兄ちゃんと晶子お姉ちゃんは、20歳以上なの?」
「そうよ。だから、祐司お兄ちゃんに『結婚しよう』って言ってもらって『よろしくお願いします』って答えたの。」
「ふーん・・・。」
めぐみちゃんは、晶子の若干余分な部分が加えられた説明を興味深そうに聞く。今までと違って、表情の影が薄くなっている。警戒や遠慮が解れて来ているのは
間違いなさそうだ。奇声まがいの甲高い声を上げられたりすると困るが、そこまで達しないようにブレーキをかけるのが俺と晶子の役目だ。
「祐司お兄ちゃんは晶子お姉ちゃんの全部が好きだから、晶子おねえちゃんに『結婚しよう』って言って、晶子お姉ちゃんも祐司お兄ちゃんの全部が好きだから
『よろしくお願いします』って答えたんだね?」
「そうよ。ね?」
「ああ。」
「本当に・・・仲良いんだね・・・。」
めぐみちゃんの声と表情が再び沈む。やっぱりめぐみちゃんは・・・名前と正反対の環境に置かれているとしか考えられない。めぐみちゃんが今までに言った言葉の数々が、
真相が語られずとも普段の環境を暗喩している。
「お待たせしました。こちら、ツナサンドとホットミルクでございます。」,
どんな言葉をかけようかと迷っていたところに、ウェイトレスの声がかかる。俺は右手でめぐみちゃんの方を指し示す。
小さめの皿に形良く盛り付けられたツナサンドと、カップに注がれてほんのりと湯気を立ち上らせるホットミルクが、めぐみちゃんの前に置かれる。
好物というツナを使ったサンドイッチが目の前に置かれたことで、めぐみちゃんの表情に明るさが戻る。
「先に食べて良いわよ。」
「良いの?」
「ああ。遠慮しなくて良いぞ。」
「じゃあ・・・いただきます。」
俺と晶子の許可を受けて、めぐみちゃんはツナサンドの1つに手を伸ばす。両手で持って端を咥えて何度か噛む。表情が更に明るく弾んだものになっていく。
好物が食べられて嬉しいんだろう。美味そうに食べている様子は、見ていても気分が良い。
「美味しい?」
「うん。」
「そうか。良かったなぁ。」
「足りなかったら後で頼めば良いから、遠慮しないでね。」
「うん。」
めぐみちゃんの声は明るい。最初の一口はまだ遠慮がかなり大きく影響していたが、食べ進めるうちに影響が急速に消えていく。がっついてはいないが、美味そうに
食べる様子は見ていて和むし、見ている方も気分が良い。
「お待たせしました。こちら、カツサンドとコーヒーでございます。」
ウェイトレスの声がかかる。俺は小さく手を上げて前に置いてもらう。カツサンドは、少し染み出しているソースが良い匂いを放っている。隣に置かれたコーヒーも
良い香りがする。匂いでコーヒーの種類が分かるほどコーヒーは飲まないが、良い匂いと思えるたぐいのものであることは間違いない。
「ハムサンドとコーヒーでございます。」
続いて出されたハムサンドとコーヒーは、晶子を指し示すことで晶子の前に置いてもらう。ハムサンドとは言えレタスも挟んであって、貧相なイメージや味気なさはない。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「はい。」
「では、ごゆっくりどうぞ。」
ウェイトレスが一礼して立ち去る。俺と晶子も注文の品が出揃ったことで食事開始。
まずはカツサンド。・・・うん、美味い。衣のサクサクした食感とカツの程好い柔らかさが、ソースの風味とレタスの歯切れ良い食感と相俟って絶妙なハーモニーを醸し出す。
揚げ物好きの俺には堪らない一品だ。
「美味しいですね。」
「ああ、美味いな。」
晶子が食しているハムサンドも美味いらしい。サンドイッチを一切れ食べ終えてからコーヒーを一口啜る。コーヒーの香りは強いがきつくはない。しつこくない程度に濃い。
店が勧めているだけあって味わい深い一品だな。
「祐司お兄ちゃんは何食べてるの?」
「ん?俺のはカツサンド。」
「祐司お兄ちゃんは揚げ物が好きなのよ。だから、カツサンドを選んだんですよね?」
「ああ、そのとおり。」
俺の揚げ物好きは晶子も良く知るところ。俺の家に住み着くようになってからはバイトの日は朝と昼、バイトがない日は3食全てを作ってくれているから、俺の好物や
好きな味付けを完全に把握している。一番の好物である鳥のから揚げの他、トンカツやメンチカツといったカツ関係−という表現が適切かどうかは別−、ジャガイモを
主体にした普通のコロッケや卵コロッケなどコロッケ関係まで幅広い。
「どんな味なのかな・・・。」
「食べてみるか?」
カツサンドが珍しいのか興味を示しためぐみちゃんに話を持ちかける。めぐみちゃんはきょとんとしている。そんなに意外だったんだろうか?
「・・・良いの?」
「ああ、勿論。試しに少し食べてみるか?」
「・・・うん。」
遠慮と戸惑いが混在しているめぐみちゃんに、俺はカツサンドを1切れ手に取って1/3ほど手でもぎ取る。1切れ丸ごとでも良いんだが、ソースが濃かったり
逆に薄かったりで美味くなければそれ以上食べられないだろうし、お試しとして少し食べてみるのが良いだろう。
「はい。」
もぎ取ったサンドイッチをめぐみちゃんに差し出す。めぐみちゃんはやや遠慮気味に受け取って口に運ぶ。
ツナとマヨネーズの組み合わせに対してカツとソースの組み合わせは、味が濃すぎる勢い余ってまずく感じるかもしれない。
「・・・サクサクしてて美味しい。」
何度か噛んで飲み込んだ後のめぐみちゃんの表情が綻ぶ。味の違いに追いつかないのでは、というのは余計な心配だったな。
めぐみちゃんはがっつかない程度に景気良く食べる。ボリュームがあるカツサンドとは言え、1/3だからその気になれば直ぐ食べてしまえるだろう。
「もっと食べるか?」
「良いの?」
「ああ。はい。」
俺はもぎ取った残りのサンドイッチを渡す。その美味さを知ったばかりのめぐみちゃんは、さっきとは違って直ぐに受け取り、早速咥える。
何だかハムスターとかリスとか小さい動物みたいで、可愛らしくて微笑ましい。
「良いなぁー。めぐみちゃん、良いなぁー。」
「・・・晶子にも。」
美味そうにカツサンドを食べるめぐみちゃんを羨望半分嫉妬半分の横目で見ていた晶子に、俺は苦笑いしながらカツサンドを1つ差し出す。
少しむくれていた晶子はぱっと表情を明るくして俺からサンドイッチを受け取って一口食す。それを自分の皿に置いて、ハムサンドを手に取って俺に差し出す。
「お返しです。」
「ありがとう。」
晶子からお返しのハムサンドを受け取って食べてみる。こちらはさっぱりした食感で、ボリュームを楽しむカツサンドとは違う角度で楽しめる味だ。
マヨネーズが主体だが微かに塩味がする。隠し味的だが良いアクセントになっている。
「ハムサンドもなかなか美味いな。」
「カツサンドも美味しいですね。」
晶子も食べてみて好感触を得たようだ。両手で持っているサンドイッチの一部が欠けている。めぐみちゃんは小動物に喩えられるが、晶子は普通に女性だな。
ガツガツ食ったり逆に作っていることがあからさまなボソボソ食いじゃなくて、ごく普通に美味いものを食べて美味いと言葉だけでないことを、顔や身体全体で表現している。
一緒に食っていて安心出来る。これは男女の付き合いで見落とされがちだが実は重要な要素だと思う。見た目良くても食べ方が汚かったり好き嫌いが多かったりすると、
印象が一気に正反対になる。1度きりのデートならまだ良いが、長く付き合ったり一緒に暮らすまでになると、食事の度に不快な思いをすることになる。これはかなり辛い筈だ。
晶子は俺と付き合い始めてから、否、俺と正式に付き合うようになる前から、自分を飾らない。食事に関してもそうだ。晶子と食事をして嫌な思いをしたことは一度もない。
晶子との付き合いが婚姻届提出直前まで進んだ要因の1つだと思う。
「これ、祐司お兄ちゃんにあげる。カツサンドをくれたお礼。」
食事をしていると、めぐみちゃんから声がかかる。好物のツナサンドを1つ俺に差し出している。随分律儀だな。
「良いのか?好きなツナサンドなのに。」
「美味しいのくれたから、お礼。」
「じゃあ、もらうな。ありがとう。」
食べかけのカツサンドを皿に置いてめぐみちゃんからツナサンドを受け取り、一口。・・・うん。こちらも美味い。ツナとレタスが良い塩梅に噛み合っている。
ツナは割と好き嫌いが分かれない食べ物だし、めぐみちゃんが好きだと言うのも頷ける。
「ツナサンドも美味いな。晶子も食べてみるか?」
「めぐみちゃんからもらうのは・・・。」
「俺のを半分やるよ。」
まだ端の方を食べただけだから、半分に分けられる。カツサンドよりずっと中身が柔らかいから、もぎ取りやすい。まだ端がある方を晶子に差し出す。
晶子はそれを受け取ってやはり軽く一口。何度か噛んでいると美味そうな首を二、三度小さく縦に振る。
「美味しいですね。」
「晶子は良い店を選んでくれたな。知ってたのか?」
「いえ、観光案内をめくっていたらこのお店の紹介が最初に目に入ったので。」
「そうか。修学旅行で来たことあるのかと思った。」
「あの時は観光地を順に回るだけでしたから、それ以外の場所に行く機会は全然なかったんですよ。」
本当に観光のためだけに京都を回ったんだな。多少は自由行動なり何なりがあったかと思ったんだが、そうでもないらしい。
昼飯自体は穏やかに和やかに進んでいく。店に入った時気になった先客の視線も今は感じない。しかし・・・、俺の携帯は未だピクリともしない。
電話番号は携帯に表示させてそれを事務所の人に書き写してもらい確認もしてもらったし、俺も確認したから間違えるとは思えない。
京都御苑は確かに広い。だが、子どもがはぐれたら心当たりがある場所を必死で探す筈。パニックになるかもしれないが、京都御苑の事務所なり近くの警察なりに行くと思う。
…めぐみちゃんの親はそれすらもしていないのか?
昼飯を済ませ、俺と晶子はめぐみちゃんと共に席を立つ。席が空くのを待っている客が居る。この店、かなり人気のようだ。待つほど混む前に入れて良かった。
伝票をレジに出すと、ウェイターがレジを操作する。何だか、普段の俺を第三者の視点から見ているようだ。
「3258円になります。」
俺が財布を開く前に、晶子が2000円を出す。自分とめぐみちゃんの分って意味なんだろう。俺はそれを受け取り、自分は1500円を出す。どちらが多く払ったとか
そんなことは一切言わないのが、俺と晶子の関係だ。
「242円のお返しです。ありがとうございました。」
「ご馳走様。」
「ご馳走様でした。」
俺と晶子とめぐみちゃんは連れ立って店を出る。事務所からの連絡はない。親が駆け込んできたなら事務所の人は連絡するだろう。いったいどうなってるんだ?
「一旦、京都御苑に戻るか。めぐみちゃんの両親が来てるかもしれない。」
「そうですね。」
一向に携帯が動かない現況はどうなのか、事務所に行って確認しないと気になって仕方ない。めぐみちゃんの両親が見つからないことには、俺と晶子で京都観光を
続けられない。迷子と思いたい子どもの対処は、警察やお客様センターとかに安全に連れて行って面倒を委任するところまでが関の山だ。
「めぐみちゃん、歩ける?」
「うん。」
「疲れたら遠慮しないで、俺か晶子お姉ちゃんに言うんだよ。」
「うん。」
とりあえず、めぐみちゃんは自分で歩ける。だが、此処から京都御苑までの距離は結構ある。めぐみちゃんの歩幅だと俺と晶子の何倍にも感じられるだろう。
その分疲れも早く溜まりやすい。疲れたら無理しないで言ってくれれば、俺か晶子が抱っこかおんぶをする。それくらいは面倒を委任するまでに出来る範囲だ。
「めぐみちゃんは、祐司お兄ちゃんと晶子お姉ちゃんと手を繋いで歩こうね。」
「晶子お姉ちゃんは良いの?」
「え?どうして?」
「晶子お姉ちゃん、私と祐司お兄ちゃんが一緒だと機嫌悪くなるから・・・。」
やっぱり、めぐみちゃんは晶子のやきもちを敏感に察していた。晶子は冗談半分だったかもしれないが、めぐみちゃんには居場所を失わせる圧力となって受け止められた。
晶子も流石にまずいことをしていたと思ったのか、申し訳なさそうな顔をして屈み、めぐみちゃんに視線を合わせる。
「御免ね、めぐみちゃん。お姉ちゃんはめぐみちゃんが邪魔だとかそんなことはちっとも思ってないの。ただ、祐司お兄ちゃんに抱っこしたり構ってもらってるめぐみちゃんが
羨ましかっただけだよ。」
「・・・本当?」
「うん。本当。」
晶子は微笑む。謝罪を兼ねてのことだろう。めぐみちゃんは納得出来たのか、無言で小さく頷く。晶子は安心したように小さく首を縦に振る。
「もうめぐみちゃんに気を遣わせないって、約束の指切りしよっか。」
「うん。」
晶子の提案にめぐみちゃんは賛同する。晶子が出した右手の小指に、めぐみちゃんの右手の小指が絡む。
こうして見ると、指の長さから手の大きさ、身長がこれだけ違うのかと良く分かる。今は6歳でも10年後には晶子と同じくらいの大きさになるだろう。
日々見ていると分からないかもしれないが、子どもの成長って早いもんだ。
「「ゆーびきーりげーんまーん、嘘つーいたーら針せーんぼーん、のーます。」」
俺も小さい頃誰かとしたような、オーソドックスな指切りだ。でも、何だか凄く微笑ましく見える。指切りが終わった晶子とめぐみちゃんは揃って笑顔。
どうやらめぐみちゃんの不安も解消出来たようだ。
「めぐみちゃんが真ん中になるようにしようね。そうすれば、祐司お兄ちゃんともお姉ちゃんとも手を繋げるから。」
「うん。」
俺はめぐみちゃんと左手で手を繋ぐ。晶子はめぐみちゃんを挟んで右手でめぐみちゃんと手を繋ぐ。正面から見て左側から俺、めぐみちゃん、晶子の並びだ。
普段の俺と晶子の並び方の間にめぐみちゃんを挟んだ格好だ。めぐみちゃんは俺と晶子を交互に見て、嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「じゃあ、行こうか。」
「はい。」
「うん。」
3人手を繋いで歩き始める。
子どもの両手を繋いで歩く夫婦ってのは漫画かドラマの中だけと思ってたし、晶子との関係がより本当の−法律の裏づけがあるという意味−結婚に近づいた今は、
晶子の子ども好きを改めて知って漠然と「こういう光景がありえるな」と想像していたくらいだが、意外と現実になるもんだ。
めぐみちゃんが小さい分、俺は普段より歩く速度を落として歩幅を短くする。俺はどちらかと言えば速く歩く方だし、晶子は俺より少し遅いくらいだ。
でも、俺と晶子が普段歩く速さや歩幅のままだと、めぐみちゃんは直ぐに引き摺られてしまう。手を繋いで歩くとはとても言えないし、めぐみちゃんが可哀相だ。
自分では良いと思っていても相手がそうだとは限らない。めぐみちゃんの歩く様子を見て微調整する。普段の半分くらいの歩幅で速さも半分ってところか。
正確には分からないが、めぐみちゃんがつんのめることもないし、引き摺られることもない今の状況が丁度良いだろう。
「祐司お兄ちゃんと晶子お姉ちゃん、凄く優しいね。」
暫く歩いたところでめぐみちゃんが言う。心なしか実感が篭っているように聞こえる。
「私と手を繋いで歩いてくれたり、歩く速さを合わせてくれたり・・・。」
「・・・。」
「祐司お兄ちゃんと晶子お姉ちゃんが、本当のお父さんとお母さんだったらな・・・。」
めぐみちゃんは視線を落として呟く。その目にうっすらと涙が浮かんでいる。
やっぱりめぐみちゃんは・・・親に疎まれてる。親の顔色を窺いながらご機嫌を損ねないように日々怯えて暮らしている。そうとしか思えない。
「今は、お兄ちゃんとお姉ちゃんがめぐみちゃんのお父さんとお母さんだって思って良いからね。」
俺も言いたかったことが躊躇っていたことを晶子が言う。
そのうち現実に引き戻される。俺と晶子と一緒に居る今がめぐみちゃんにとって楽しい幸せな時間になったら、現実に戻されてから現実の辛さや息苦しさをより強く
感じるようになる。だから、今くらいは両隣に居る人物が両親だと思うことはめぐみちゃんにとって辛い仕打ちになるんじゃないかと思って言うのを躊躇った。
だが、辛い時や悲しい時に眠って見る夢が幸せなものだとしても、現実逃避と責めることは出来ない。一時でも辛さや苦しさ、悲しさから脱却出来るのなら、
それが心の支えになることだってきっとある。孤独な戦いを強いられているめぐみちゃんには、1つでも心の支えが必要だ。
「良いの?」
「うん。遠慮しなくて良いのよ。ね?祐司さん。」
「ああ。今はお兄ちゃんとお姉ちゃんが、めぐみちゃんのお父さんとお母さんだ。」
「・・・うん。」
めぐみちゃんの顔が少し明るくなる。めぐみちゃんも分かっているだろう。現実から目を背けられるのは少しの間だけだってことは。でも・・・、6歳で絶えず両親の顔色を
窺いながら過ごしているめぐみちゃんを、誰にも責める資格はない。楽しい夢を見たって・・・良いじゃないか。
歩き始めて直ぐ左胸に振動を感じる。胸の鼓動とは違う、継続する細やかな振動。マナーモードにしている携帯の着信だ。間違い電話・・・か?
兎も角見てみないことには・・・。俺は懐に手を入れて携帯を取り出す。
無音で続く振動に併せて青色のLEDが点滅している携帯の液晶画面には、「京都御苑管理事務所」と表示されている。・・・間違い電話じゃない。
となれば、待たせるわけには行かない。俺はフックオフのボタンを押して耳に当て、電話に出る。
「はい、安藤です。」
「京都御苑の管理事務所の者です。今お電話よろしいでしょうか?」
「はい。構いません。」
チラッと左を見ると、晶子とめぐみちゃんが足を止めて俺を見ている。どちらも不安というか、ついに来たかと言いたげな顔だ。特にめぐみちゃんが。
本当ならめぐみちゃんは喜ぶところなのに・・・。
「保護をお願いしていたお子さんのご両親が見つかりました。」
「そうですか。」
俺も喜べない。めぐみちゃんが一時の幸せの夢に浸ろうとした矢先に現実に引き戻しに来た。めぐみちゃんの両親が見つかったことを喜べない理由は本来ならあり得ない。
なのに喜べない。めぐみちゃんの境遇と待ち受ける現実を確信に近いレベルで推測しているから・・・。
「管理事務所までご足労願います。どのくらいかかりますか?」
「30分あれば、そちらに着けると思います。」
「分かりました。ではよろしくお願いいたします。」
「はい。」
気分が浮かばないまま、俺は通話を終えて携帯を畳む。晶子とめぐみちゃんには、俺の声しか聞こえていない。だが、そこからめぐみちゃんの両親が見つかったことを
知ることは十分可能だろう。
「祐司さん・・・。」
「見つかった、って・・・。めぐみちゃんの両親が。」
喜んで報告出来ない。俺の答えを聞いた晶子とめぐみちゃんも喜ばない。俺と晶子よりめぐみちゃんが一番喜ぶ筈の場面なのに、めぐみちゃんは暗く沈んだ顔をしている。
迷子で両親が見つかった知らせを聞いて喜ばない、喜べない子どもなんて初めてだ。
「今、めぐみちゃんのご両親はどちらに?」
「京都御苑の管理事務所だそうだ。」
そう答える他ない。めぐみちゃんを親元に帰さずに連れ回せば、俺と晶子が誘拐犯にされてしまう。これから幸せな夢に浸ろうとしていためぐみちゃんを現実に
引き戻したくないが、今更の感が拭えないにせよ両親が見つかった以上は親元に無事に帰すのが、めぐみちゃんを預かっている俺と晶子の役目だ。
「・・・京都御苑まで、めぐみちゃんのお父さんとお母さんは、お兄ちゃんとお姉ちゃんだからね。」
めぐみちゃんにどう切り出すべきか考えていると、晶子が代案を提示する。つかの間の気休めにしかならないが、それでもこのまま強制連行−としか言えない−するよりは
ずっとましだろう。そう思えてしまうこの状況、何なんだ・・・。
「まだ・・・良いの?」
めぐみちゃんの確認に、晶子が頷いて答える。めぐみちゃんは続いて俺を見る。俺にも晶子の提案どおり、京都御苑の管理事務所に到着するまで俺と晶子が両親だと
思って良いか確認する目だ。迷う理由はない。俺は頷く。
「お姉ちゃんの言うとおり、京都御苑までは俺と晶子姉ちゃんがめぐみちゃんのお父さんとお母さんだ。」
「・・・うん。」
めぐみちゃんの表情が少し晴れる。本来は此処は晴れる場面じゃないのに・・・。だが、俺が辛い顔をしていたら、顔色を窺うことを常としているめぐみちゃんが、
今俺と晶子という別の両親を得られた幸せに浸れない。せめて明るく振舞おう。
「改めて、出発進行しようか。」
「うん。」
大袈裟と思うくらい明るく言うと、めぐみちゃんは素直に応じる。これも日々の生活の反映だろう。
何でこの歳で常日頃から人の顔色を窺わなきゃならないのか・・・。一番辛いのはめぐみちゃんの筈。今は俺と晶子がめぐみちゃんの両親。親なりの気概を持たないと
めぐみちゃんの親になれない。
俺と晶子とめぐみちゃんは、再び歩き始める。めぐみちゃんの両手を俺と晶子が繋いで。めぐみちゃんは普段、こうして親と手を繋いで歩くこともないんだろう。
顔色を窺うのに必死でそれどころじゃないだろう。だから、せめて今くらいは幸せを満喫して欲しい…。
このホームページの著作権一切は作者、若しくは本ページの管理人に帰属します。
Copyright (C) Author,or Administrator of this page,all rights reserved.
|
Chapter 228へ戻る
-Back to Chapter 228- |
|
Chapter 230へ進む
-Go to Chapter 230- |
|
第3創作グループへ戻る
-Back to Novels Group 3- |
|
PAC Entrance Hallへ戻る
-Back to PAC Entrance Hall- |