雨上がりの午後
Chapter 210 寛ぎのひと時に思うこと
written by Moonstone
帰宅。部屋はもうかなり闇に溶け込んでいる。カーテンを閉めてあるから尚更なんだろうけど。明かりは晶子が弁当箱を洗っている間だけ点けていた。
ケチるほど電気代がかかってるわけじゃない。昔から明るい場所ではなかなか眠れないタイプだからだ。
ベッドで寝るつもりだったが、晶子に膝枕をしてもらっている。今の時期はまだ寒いから、ということで掛け布団だけ使っている。下は薄いが絨毯を敷いてあるから、
寝心地はさほど悪くない。眠る態勢が整ったのを身体が感じたのか、思わず欠伸が出る。
「眠そうですね。」
「ああ。ちょっとな。」
「・・・ここ数日、夜が激しかったからですよね?」
晶子にも自覚はあるんだな。
田中さんと対面して以降毎晩激しい。「力を振り絞る」という表現そのものだ。潤子さんのアドバイスを受けた晶子の求めに応じた結果とは言え、終わった頃には
精根尽き果ててしまう。寝る前に掛け布団を被せるのは、決まって晶子だ。俺は晶子から身体を離したら、起き上がることもままならない。
「その分としては短過ぎると思いますけど・・・。」
「少し寝るだけで随分違うってことは、晶子が教えてくれたことだろ?」
「ええ。」
「それに、夜が激しいことが嫌だとは思ってない。むしろその逆だ。万年発情期の男の1人としては、だけど。」
身体は正直と言うか・・・。晶子に連日求められてこれだと身体持たないんじゃないか、と始める前には思うが、一旦始めてしまうと没頭してしまう。
俺の下で晶子がシーツを握り締めながら喘ぎ、俺の上で晶子が髪と胸を揺らしながら動くのを見るだけで、より没頭する。他のことは頭からすっかり蒸発する。
滑らかな肌が次第にしっとり汗ばんでくるのが、触れていると分かる。晶子の熱い吐息や喘ぎ声が耳に流れ込んでくる。身体全体で実感出来る晶子の全てに
誘発されて、俺は晶子の中に思いの丈を解き放つ。それをその日の限界まで続ける。そんな感じだ。
「私で満足出来ないんじゃないですよね?」
「十分満足してるさ。晶子は?」
「愛してる男性(ひと)に一生懸命愛されてるんですから、満足しない筈がないですよ・・・。」
晶子の左手が俺の右の頬をそっと撫でる。夜の途中にある中休みの時、俺が晶子にするのと同じだ。晶子は俺の手が頬に触れると、目を閉じて愛しげに頬擦りをする。
俺もそれに倣って目を閉じて頬擦りをしてみる。晶子の少しひんやりした手の感触が心地良い。
それまで遠慮していたかのように引っ込んでいた眠気が、急に頭全体を厚く覆い始める。眠りに落ちるってのはこういうのを言うんだろうな・・・。
Fade out...
・・・じ・・・ん。 ・・・ん・・・。
・・・じさん。・・・祐司さん。 ・・・あ、晶子?
何処かから聞こえる晶子の声で、俺の意識が深遠の淵から急浮上する。徐々に鮮明になってきた視界には、暗闇の中で俺を上から見詰める晶子が映る。
白い肌は闇の中でも僅かな光で静かに存在感を醸し出している。
「そろそろ時間ですよ。」
「ん・・・。どのくらい寝てた?」
「正味1時間くらいですね。」
「そうか・・・。」
まず身体を起こす。それから、まだ若干霞みがかった頭を、目を擦って軽く両肩を前後させたり上体を何度か軽く捻ったりすることではっきりさせる。
たかが1時間。されど1時間。随分すっきりした。少しでも寝るのは効果的だと改めて思う。
「よく眠れましたか?」
「ああ。おかげさまで。」
「そうですか。何よりです」
俺の眠気は殆ど消えた。だがその間、晶子は俺に膝枕をし続けていた。背凭れのある座椅子なんて此処にはないから、晶子は1時間ずっと正座を続けていた
ことになる。それを思うと、自分だけ寝ていたのが申し訳なく思う。
「足、痺れたんじゃないか?」
「いえ。正座自体に慣れてますから。」
年末年始の旅行やその帰りに俺の実家に立ち寄った時も、記憶している限り、晶子は床に座る時は必ず正座だった。食事の時間は特に夕飯は長くなる傾向がある。
その間殆ど隣に座っていた俺が見た限りだが、晶子の足元がもぞもぞ動いたりすることはなかった。
それは今でも変わらない。土日に俺の家に泊まって食事を食べるが、その時ももっぱら正座だ。足を崩したことを思い出す方が難しい。慣れってもんはかなり凄い。
実家での躾の影響だろう。だが、晶子は事実上実家と断絶状態にあるから、それを問い質すことはしない。知らなければならないってほどのことでもないし。
先に立ち上がった俺は、立ち上がろうとした晶子に手を差し出す。それを見た晶子はいかにも嬉しいという笑顔を浮かべて俺の手を取る。俺がその手を軽く引っ張ると、
晶子はつられて立ち上がる。
「お礼です。」
晶子がそう言ったと思いきや、俺の左頬に軽くキスをする。すっと離れていく晶子の顔を見ながら、俺は唇の感触が残る左頬に手をやる。顔が火照っているのが
自分でも分かる。頬にキスってのは意外なことに殆どない。夜でももっぱら口で交わしている。晶子と付き合って2年が経つし、誰も見てない場所にも関わらず、
未だに照れるとは何ともはや・・・。
「照れてますね?」
「・・・分かってるなら言うなよ。」
照れ隠しのつもりでつい、ぶっきらぼうな物言いになってしまう。晶子が俺の反応を見て楽しんでいると言うのか、面白がっていると言うのか、そんな表情だから
視線を逸らす。意識しないようにと思っても頬に残された感触が消えない。忘れられないと言った方が正確かもしれないが、今の状況では晶子の顔を見続けていられない。
「さ、バイトに行くぞ。」
「はい。」
照れ隠しにと、またぶっきらぼうにバイト方向へ話を逸らす。意識し続ける原因になっていたかもしれない、左頬に当てていた左手を自然な位置に戻すと、手に柔らかい
感触が手に伝わる。手袋を填める前に手を繋がれてしまった。・・・今日くらい、良いか。
帰宅後からオンにしていたエアコンの電源を切り、机に置いておいた家の鍵を持って、晶子と手を繋いだまま家を出る。まだ春の本格化の兆しがはっきり見えない
この時期に、外気に素肌を晒すと肌が急速に縮こまる感じがする。手袋をして凌いでいるそれは、今日に限っては晶子を手を繋いでいるせいか、さほど感じない。
外はすっかり真っ暗だ。今日は珍しく早く帰宅出来たけど、それから1時間ほど寝てたから結局バイトに向かう時は同じくらいの時間になる。昼間でもまだコートと
マフラーが手放せないこの時期、夜になると更に冷え込む。春の足音はまだ遠いように思える。
何時もの道を辿っていくと、次第にバイト先である丘の上に佇む喫茶店が見えてくる。明かりが灯っている窓から見える店内は、早くも人が多い。塾は中学も高校も
入試直前対策だから−客からそういう話を聞く−通う生徒にとっては追い込み時、塾にとってはかき入れ時だ。夕飯を店で済ませる客も多いから尚更混雑する。
「今日も忙しくなりそうですね。」
「そうだな。でも、客商売は忙しい方が良い。」
「お客さんが来なくて時間を持て余す、なんて嫌ですよね。」
「ああ。」
連日大盛況の店でのバイトは、決して楽とは言えない。だけど、そこで店の一員として注文を取ったり料理を運んだり、客が去った後のテーブルを片付けたりするのは、
日常生活の一部となっているように思う。常連の顔は幾つも覚えているし、時に話をしたりする。
最近だと、偶にだが、塾通いの中高生から学校や塾で出される参考書の問題を聞かれたりもする。一緒に来た客から俺と晶子が新京大学の現役学生だと聞いて、
誰に聞いても分からないしこのままだと提出期限に間に合わないとかいう理由で、聞いてくる。俺は数学や理科系教科、晶子は英語や国語系教科担当だ。
店が混雑してるから丁寧に説明している暇はとてもないから、この公式をこう使ってとか、解き方だけ説明する。解答まで付き合ってられないし、それだと自分のために
ならない。それは聞かれた時に言ってある。俺の高校時代がそうだったから、自分の手と頭を使うことの重要性は体感済みだ。
「「こんばんはー。」」
ドアを開けて中に入る。カウベルのカランカランという軽やかな音は、店の賑わいで埋もれてしまう。キッチンで料理を作っていた潤子さんが、フライパンを
動かしていた手を休めて俺と晶子の方を向く。
「あら、今日も2人揃って、ね。夕ご飯の用意するから、座って。」
「「はい。」」
此処でようやく繋いでいた手を離して、カウンターの何時もの席に座る。少しして、小さい土鍋で湯気を立てる湯豆腐をメインに、魚の切り身の煮付けと味噌汁と
ご飯と漬物という立派な夕飯が差し出される。それを受け取って食べ始める。食事が終わったら今日のもう1つの1日が始まる。今日も張り切っていくか。
進級を決めるための後期試験が始まった。単位を取得すれば一定期間の従事で取得出来る国家資格関連の講義もあるから過密日程だ。その分準備も大変だが、
今のところどうにか乗り切っている。講義中に出たポイントやレポートの内容をしっかり把握しておけば十分こなせる。感触は良い。
そんな過密日程の試験とその準備が続く中、一息吐けるのが土日の休みだ。勿論試験の準備はあるが、とりあえず昼間ずっと大学の講義室に拘束されるってことは
ないから、それだけでも気が楽になる。1週間分乗り切った最初の週末。週明け直ぐの試験のうち、電気回路論Uと電力工学Uの試験勉強を終えて、思わず大きな
溜息を吐く。
「お昼ごはんにしましょうか。」
「ん?もうそんな時間か?」
「12時半を少し過ぎたところですよ。」
「そんなに時間過ぎてたのか。」
俺の家にある時計は、ベッドの枕元に置いてある目覚まし時計と携帯のディジタル時計だけだ。一応壁掛け時計もあるんだが、電池切れのまま放ってある。
机の脇に置いておいた携帯を見てみると、確かに時刻は12時間を過ぎている。ずっと集中してたようだ。
今日は、否、今日も晶子は朝から俺の家に来ている。「食事もきちんと摂らないと」ということで、試験日程に入る1週間前から、俺の家に泊まるのは金曜の夜からに
なっている。おかげで土日も食事に不自由しない。
その頃から、夜は時折「儀式」をする程度で至って平穏だ。これを平穏と言えること自体それまでが凄まじいものだったとも言えるが、晶子も試験があるし、俺が進級に
向けて重要な時期にあることを理解してくれてるんだろう。やっぱり理性があるなと思う。
「美味しいもの作りますから、楽しみにしていてくださいね。」
「今度は何だ?」
「出来てからのお楽しみ。」
台所に立った晶子は、俺の質問をはぐらかす。手を抜きがちの昼飯−俺はそうだ−でも晶子は手を抜かない。夕飯を食べるのに支障がない程度の量で、質はまったく
落ちない。仕込みを朝飯を作る段階からすることも珍しくない。「お弁当を作るのと同じ感覚でいけますから」というのが晶子の回答。
俺と時を同じくして、晶子も後期試験に取り組んでいる。晶子の場合は卒業までに必要な数の単位を取れば良いという、俺からすれば確かに甘いと思う条件だが、
卒論に専念したいという至極もっともな理由で、4年でしか取れない単位以外は全て取る構えだ。
流石と言うべきか、晶子はこれまでしっかり単位を取ってきている。必要な単位の数が比較的少ないのもあって、後期試験は俺と比べれば十分余裕があると言う。
だからというわけじゃないだろうが、弁当は試験期間中も作ってくれている。
後期試験の結果次第で進級か留年かが決まるのは俺も同じだ。だが、俺は今まで受けた講義の単位を全て取ってきたことで割と余裕がある。少なくとも「今度の試験を
全て抑えないと留年確定」ってことはない。極端な話、4年でも時間上は取れる単位、特に選択科目は落としても進級に支障はない。
一方、「今度の試験が瀬戸際」という切羽詰った状況の人も当然居る。必須だろうが何だろうが、試験は容赦しない。だから学年が上がる度に学生の数が増えるという
現象が起こってるんだろうが、そういう人は言われなくても見たら何となく分かる。雰囲気と言うかオーラと言うか、そういうもので。
昼休みに生協の食堂へ行くと、食事のひと時を寛ぎたいという雰囲気が充満している。ざっと見たところでも、表情がにこやかで談笑に耽っているという光景は
見当たらない。一夜漬けの試験勉強も重なってか、酷く疲れた顔の方がずっと多い。
弁当を作ってもらっている俺が昼休みに生協の食堂へ行くのは、智一と一緒だからだ。同じマンションに住んでいて週末に押しかけて料理を作っているという従妹の
吉弘さんも学科は違えど工学部だから、試験期間中となれば尚更弁当を作ってる余裕はないんだろう。何時もどおり生協の食堂で昼飯を食べている。
「今日も今日とて、愛妻弁当かよぉー。」
「・・・嫌味と受け取って良いか?」
「そこはかとない羨望も加えといてくれ。」
混み合う食堂のほぼ中央、偶然空いたテーブル真ん中の席に向かい合って座り、俺が弁当箱を包むナプキンを広げたところで、智一がぼやく。難関の1つと言われる
電子回路論Uの試験が終わった後の昼飯。嫌味の1つでも言いたくなる智一の気持ちはそれなりに分かるつもりだ。
「どうだった?」
「まあ、大方解けた。」
「うー。こちとら時間が足りやしねぇー。ひととおり解くのがやっとだった。」
大半の問題はレポートで既出の問題だったぞ、とは言わない。それを言うと「美人の新妻の愛に包まれながら勉強出来る奴は余裕だよなー」と力いっぱいの嫌味と、
さっきの智一の言葉を借りれば「そこはかとない羨望」も加わった言葉を返されるからだ。
単に返されるだけなら良い。それを周囲に聞こえるように言ってくれるから、俺は言わない。そう返された後の、周囲の俺を見る、厳密には俺が開けようとしている
弁当箱に注がれる視線がかなり多く、それに痛く感じた。
トレイに乗った食事を口に運ぶ中で、1人弁当箱を開けてそれを食うのは想像しただけでも浮いていると分かる。近くに座っている人、特に俺の左側に居る人だと、
俺の左手薬指の輝きを見て羨望や嫉妬、やっかみといったものが沸くだろう。この生協の食堂がある理系学部のエリアは、必然的と言うか圧倒的に男性の比率が高い。
そこに「妻持ち」「愛妻弁当持参」なんて「勲章」を見せ付けられれば−俺は見せ付けてないしそんなつもりもない−、負方向の感情が沸き立つだろう。
そういう心理を考えて、弁当は目立たないように晶子から渡される鞄に入れたまま食堂に運んで、そこでそっと取り出して食べる。肩身の狭い思いを感じるが、
智一でなくても贅沢な悩みだろう。だからこれも言わない。
「晶子ちゃんは、毎日弁当作ってくれるんだな。」
「ああ。」
「祐司から頼んだのか?」
「否、智一は覚えてるだろうけど、VHDL関係の実験があった時に持ってきてくれただろ?」
「ああ、年上美人も同行してたあの時ね。」
「その時弁当作ってきてくれたってことも、その時電話で聞くまで知らなかった。」
「完全に内緒だったってことか。」
「ああ。」
「試験中は作らなくて良いとか言ったか?」
「言ったさ、勿論。晶子だって試験があるんだからな。だけど、何時もと同じだから、って言って。」
「はーっ、何時もと同じって、弁当作るのも楽じゃなかろうに。」
「俺も普通に料理作るのだって相当面倒だってことは知ってるから、尚更試験中は良い、って言ったんだけどな。」
晶子はかなり頑固な一面がある。過去には、付き合い始めて初めて迎えた晶子の誕生日にプレゼントしたペアリングを左手薬指に填めてくれ、と言って譲らなかった
例があるし、試験期間中は弁当を作らなくて良いと言っても「何時もと同じですから」と言って聞かなかった今回の件もそうだ。
バイトで夜遅くなるし、その分試験勉強の面からすると空白の時間が生じるから、その分を取り戻すためにどうしても寝るのが夜にずれ込む。晶子も試験勉強をしているが、
少なくとも俺の家に泊まる時は俺より先に寝ない。俺が終わるのを待ってから一緒に寝る。俺が眠気を残したまま起きた時、否、起こしてもらった時には晶子は既に着替えて
食事の準備をしている。弁当は大抵その時には作り終わって冷蔵庫に保存されている。
「本当に、晶子ちゃんって本当にとことん尽くすタイプだなー。」
「・・・楽して良いと思うんだけどな。今まで昼飯は生協の食堂で定食食ってたんだし。」
「晶子ちゃんにとっては、お前に弁当作るのは苦労じゃないんだよ。」
「?」
「分かってないなー。弁当作ってお前に食べてもらうのが楽しいから、晶子ちゃんはそうしてるんだよ。どうしようもない事情が出来たり眠くなったりでもしない限り、
楽しいことを止める奴は居ないだろうが。」
頭に疑問符を浮かべた俺に、智一が解説する。
「少しも面倒とか思わないですよ。」
・・・これが俺の弁当作りに関する問いに対する晶子の回答だ。その顔はどう見ても嘘を言ってるようには見えなかった。目も俺をしっかり捉えていた。嘘を言ってるとは
とても思えなかった。
晶子が料理をしてるところを見る時がある。その横顔も時に真剣にはなるが−魚を捌く時とか−基本的には楽しそうだと感じるものだ。俺の視線に気づいたのか、
そうでなくても「もう直ぐ出来ますからね」とか言うその顔は至って明るい。「出来ましたよ」と料理を持って来る時も同じだ。
俺は晶子の料理を食べた後、必ず「美味かった」と言う。実際そうだからそう言う。「今日のこのメニューが特に良かった」という言葉を思ったとおりに付け加える。
「良かった」だけじゃなくて「今日のあのメニューは少し甘かった」とか批判−と言うのかどうか分からないが−もあれば口にする。
その時の晶子の反応は、「良かった」評価だと勿論笑顔で、批判めいたものはもう少し詳しく言うように頼まれ、その後で「次はそうしますね」と返す。
「より美味しくするにはそういう指摘もあった方が嬉しいんですよ。」
・・・これも晶子の回答だ。
煮物関係はその繰り返しで、俺好みの味にしてくれた。晶子には逆に馴染めないんじゃないかと言ったことがあるが、俺に美味しく食べてもらえることが楽しみで
作ってるから、と笑顔で返された。智一の言うとおり、本当に晶子は尽くすタイプだと思う。それも、「愛しているのは自分だけ」ということ以外の見返りを何ら求めない形での。
「しかし、何でこうも晶子ちゃんはお前に尽くすのかねぇ。」
「俺だって聞きたいくらいだ。弁当作りでも俺が出してるのは食材くらい。それも晶子と折半だし俺の方が食う量が多いから、むしろ晶子の方が金銭的にも負担になってる。
俺が食べることが楽しいだけで、そこまで出来るもんなのかな・・・。」
弁当を食いながら思う。時間的、金銭的な損得勘定だけで考えれば、晶子は明らかに損をしている。だが、晶子は作ることを前から仄めかしていたとは言え、
俺が頼むより前に秘密裏に作って当日は実験室に出向いてまで弁当を手渡しして、以降俺が止めるのも聞かずに作り続けている。俺の家に泊まる時は出かける前に、
それ以外は俺の家に来た時に、弁当が入った小さな鞄を手渡す。それが試験期間中の今でも続いている。
する気もないが、俺が隠れて二股かけていたら、晶子はそれこそ「都合の良い女」でしかなくなってしまう。俺は過去の恋愛で「一時的な確保」「次の恋愛に向けての
待機場所」にされて、最後にはいきなり一方的に最後通牒を押し付けられた苦い経験を持っている。そのショックで相当荒んだ。晶子でなかったらとうに諦められて
いるだろうし、俺もそれが当然だと思っていただろう。
晶子を尽くすことに徹しさせる原動力は何なんだろう?「愛してるから」「信じてるから」・・・それだけで、もしかしたら「都合の良い女」にされているかもしれないことの
リスクを乗り越えられるんだろうか?
離せって言っても離しませんからね。
晶子は何度かそう言っている。前に宏一が電話で言ってたな。晶子の俺との付き合いが、俺にくっ付いてれば生涯安泰の保証が得られるっていう計算に基づいての
ものじゃない、って。そうじゃなかったら、未だに進路で迷っている俺と付き合ってられないだろう。その美貌を生かせば別の男に乗り換えるのも容易い筈だ。
そうしないで、その上、俺が晶子のステータスや勲章にならない職に就いても一向に構わない、ただ一緒に暮らせればそれで良いとまで言い切るのはやっぱり・・・
過去の恋愛が破局に終わった経験がそうさせるんだろうか?
俺は絶望して女を嫌悪する方向に走った。晶子は逆に次に掴んだ幸せこそは絶対手放してなるものか、というある種の執念を生んだ。そうだから、俺にとことん尽くし、
前の耕次の表現を借りれば俺と一緒なら地獄の底へでも行くつもりになれるんだろうか。
・・・つい昨日の出来事と考え事を、今更ながらに思い出す。昼飯という単語がキーワードになったんだろうか。ふと台所を見ると、晶子がフライパンを細かく動かしている。
その横顔は普段と同じだ。晶子は・・・俺をどう思ってるんだろう?晶子の横顔を見ていてふと生じた疑問が、さっきの回想と重なって休息に俺の心の中で膨らんでいく。
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