雨上がりの午後
Chapter 149 ある日曜日の顛末
written by Moonstone
「間もなく終点、小宮栄でございます。」
日曜日の午前。混み合う車内に抑揚に乏しいアナウンスが響く。
昨日、銀行の通帳記載で今の預金残高を知った俺はPCを買う決断をして、高校時代に何度か出かけた経験がある小宮栄行きの電車に乗り込んだ。
晶子を誘ったら喜んで一緒に行く、と答えが返って来たから、晶子も車内に居る。
晶子のゼミの連中への披露会となった日の翌日は丁度研究室の週1回のゼミの日でもあったから、その終わりに研究室を束ねる教授である久野尾先生を訪ねた。
久野尾先生は、俺が今受講している通信工学の講義を担当している。
俺は率直に4年の卒業研究で配属を希望していること、PCに関する知識や技術はどのくらい必要か、と尋ねた。
すると久野尾先生は、俺が希望するなら大歓迎する、PCに関する知識や技術は出来れば講義レベルのものが使える程度、プラス、ワープロソフトや
表計算ソフト、データベースソフトやプレゼンテーション用ソフトの使い方を覚えておいて欲しい、と具体的にアドバイスしてくれた。
最後に、他所の研究室の誘いに乗らないように、と熱烈な勧誘を受けてしまった。
そんな背景が重なったことで、今使っているPCとは別に新しいPCを買うことを決めたわけだ。
晶子の事前のアドバイスで、ノートPCを買うことにしている。
値段的にはデスクトップの方が安い傾向があるが、場所の制限もあるし、持ち運びが出来るノートPCの方が何かと便利が良いのでは、と言う。
確かに俺の今の家には、もう図体のでかい物体を置くスペースがない。レポートの続きを図書館とかでしたりすることも出来るだろうから−大学の図書館は
飲食物持ち込みは禁止だがPCは構わないらしい−、多少割高になってもノートPCにした方が良いだろう。
晶子がデジカメを買ったのも小宮栄だ。
高校時代に何度か来た経験がある俺ほど地理に詳しくはないだろうが、何件も店を回って選ぶのには苦を感じないと言うし、買い物ついでに食事したり
するつもりだし、実際に自宅でPCを普遍的側面から活用している晶子のアドバイスは何かと参考になるだろう。
電車が止まり、空気が抜けるような音に続いてドアが開く。人波に乗って俺と晶子は電車から降りる。
広いホームは見る限り人でいっぱいで、その流れは一定の方向、すなわち改札口へと向かっている。
俺はズボンのポケットから切符を取り出し、晶子と共に改札を潜る。
「さて、どの店から行こうかな・・・。」
俺は駅の出口と主な行き先を示す掲示板の前で考える。
小宮栄はこの辺りの一大繁華街でもあり、彼方此方の電車の路線が交わる一大交通拠点でもある。
単純に出口、と言っても数十はある。出口によっては途方もない大回りを強いられることもある。
「祐司さんが買いたいPCって、今祐司さんがシンセサイザーを操作するのに使うPCの後継機種なんですか?」
「否、まったく別物。シンセサイザーを制御するPCからは何も引き継がないし、引き継げない。OSが完全に別物だから。」
「それだともう、予算との相談だけですね。」
「ん・・・。こんなところで迷ってても始まらないから、知ってる手近なところからぶらついてみるか。」
俺は晶子の手を取って、去年ICレコーダーを探しに回った経路を辿ることにする。
あの時も今の町に引っ越す前に父さんと回った家電量販店を思い出しながら回ったし、そこでもPCは探さなくても目にしたから、探すより選ぶ方に
迷うと考えた方が良いかもしれない。
流石に休日だけあって、何処も混んでるな・・・。
店を探すと同時に人とぶつからないようにしないといけない。今は目が合っただけで刺されたりする物騒な時代だし、俺だけならまだしも晶子を
巻き込むわけにはいかない。
一番近い家電量販店に入る。小宮栄の店は大学近辺の店と違って、横は狭くて縦に長い構造になっている。
まあ、これは小宮栄に限ったことじゃないだろうが、どのフロアに何があるか分かりやすい分、俺としてはこっちの方が好きだ。
上り下りはエスカレーターなり階段なりを使えば済むことだ。
2階、PC関係のフロアに着く。流線型を帯びたスマートな筐体のPCがデスクトップ、ノート問わずずらりと並んでいる。
俺のPCがごつく見えて仕方ないが、技術進歩と世代交代の速さを考えれば当然だろう。
俺は晶子と一緒に店内を歩き回って物色する。値段は似たり寄ったりだから、変なブランド意識がない分目移りしてしまう。
「祐司さんが買うPCで使うソフトはどんなものですか?」
「よく使われてるデスクワークソフトが使えれば良い。講義で使ってるデータベース関係のソフトもその一つだし。」
「それだったら、最初から入っているものを買っても良いですね。」
「そうだな。でも、あれこれ入ってても使わなかったら意味ないし・・・。」
「それもそうですね。」
「晶子が使ってるノートPCはどんなタイプなんだ?」
「私のは最初から入ってるタイプです。PCに詳しくないですから、必要なものが最初から使えるようになっている方が良いと思って。」
「そうか・・・。俺もPCに詳しいか、って聞かれればそうです、とは言えないし、かと言って、色々入ってるおかげで値段がつり上がってるのはちょっとな・・・。」
後で買い揃える手間を惜しむか、今此処で金が減るのを惜しむかのどちらかか・・・。
ソフトは確か生協でも買える筈だから−PCも買えるらしいが−、PCは基本性能がしっかりしていてソフトは何も入ってない「すっぴん」にしておいて、
生協だと安く買える利点を生かしてソフトだけ後で買う、という方針にするか。勿論、財布の中身とも相談しないといけないが。
色々調べてみるが、どうもこれ、といったものがない。
R
色々入っているものも「すっぴん」のものも、さほど値段の差がないと来た。メーカーブランドがついて回るせいもあるんだろう。
これでソフトが入ってなければ、とか、これでもう少し値段が安ければ、というものなら腐るほどあるんだが・・・。
とりあえず目ぼしいものの値段と概要を携帯のメモに−この機能を使うのは今日が初めてだ−記録して、別の店に向かう。
この辺は店の数が豊富だし、幸い今日は時間の余裕もあるから−レポートは昨日仕上げてある−、幾つか回って手頃なものを選んで、必要に応じて
値段交渉することにした。晶子は嫌な顔一つせず承諾してくれたことは言うまでもない。
・・・5件回ったところで携帯のメモを見るが、どれももう一発の決め手に欠ける。
ノートPCは同等性能のデスクトップPCより値段が高い傾向なのは、どのメーカーでもさほど変わらないことだけはよく分かった。
俺は溜息を吐く。此処まで来ておきながら手ぶらで帰る、っていうのも癪だし、かと言って下手な金の使い方をしたくないし・・・。
携帯を畳んで溜息混じりに時計を見る。もう昼前か・・・。彼方此方歩き回ったからな。
ちょっと早い気もするがこの混雑を考えると、丁度良い頃だろう。気分転換も兼ねて。
「晶子。何処かで食事にするか。」
「あ、はい。PCの方は良いんですか?」
「昼飯食いながら考え直すよ。妥協するか止めにするかも含めて。」
「今日じゃないといけない、ってものじゃないなら、その方が良いですね。」
方針転換。俺と晶子は昼飯を食べる場所探しを始める。
俺一人ならそれこそきちんと食べられるものが出てくるなら何処でも良いんだが、デート気分の−化粧はしてないが目と横顔がそれを物語ってる−
晶子が居るから多少なりとも神経を配らないとな・・・。食い物関係は駅近辺の方が多いから、まずはそこへ向かう。
店を物色すること少し。俺と晶子がバイトしている店の雰囲気に近い喫茶店らしい店を見つけた。
メニューも色々あるし、晶子と一緒に入るにしても良い感じだと思う。
「此処にするか?」
「はい。」
店探しに時間を食って昼飯を食いそびれたら話にならない。晶子の承諾も得られたから、俺は店のドアを開けて中に入る。
いらっしゃいませ、という声と若い女性の店員に迎えられる。壁際の二人席を案内してもらって晶子と向かい合って腰を下ろす。
「悪いな。彼方此方引っ張りまわして。」
「一緒に行く、って言ったのは私ですから、気にしないでください。」
歩き回って疲れているだろうに、晶子はそんな様子を少しも見せない。
バイトは立ちっ放しだし、歩き回ることにも慣れているから問題ない、と言えばそうだが、こう言ってもらえると連れ回している方としてはありがたい。
程なく水とお絞りと共に運ばれて来たメニューを眺めて、俺はフライセット、晶子はハンバーグセットを注文する。
店員がメニューを抱えて去った後、俺は携帯を取り出して改めてメモを見る。店の名前と機種、値段と性能の概要がずらりと並んでいるそれは、結構圧巻だ。
「どれも決め手に欠けるな・・・。何も入ってなくても高かったり、機能は適当なんだけど色々入ってて値段が割高になってたり・・・。」
「まだ時間はありますし、お昼食べながらゆっくり考えましょうよ。」
「そうする。」
物事をスパッと決められない俺の性格にも決まらない要因があるんだろうが、候補はたっぷり揃ったし、安い買い物じゃないから、晶子の言うとおり
ゆっくり考えるとするか。俺は一先ず携帯を畳んでシャツの胸ポケットに仕舞う。
改めて店内を見回すと、俺と晶子と同じくカップルが多い。
別に意識して選んだわけじゃないが、ある雰囲気の店にはそれぞれ客層が決まってくるんだろうか?
バイトしている店は、俺が入った頃は塾帰りの中高生や仕事帰りのOLが多かったんだが、今じゃ年齢層はバリエーション豊富でごった煮状態とも言える。
おかげで毎日忙しいが、空いてて暇を持て余すよりは良いだろう。
「でも、祐司さんが講義以外では今のPCとは別の世界って言うんですか?そうだったのはちょっと意外ですね。」
「俺の家にあるPCは型が古いからな。まあ、携帯にしろPCにしろ、半年経ったらもう古いって言われる状態だけど。」
「あれだけ綺麗にシンセサイザーを動かせるんですから、直ぐ使いこなせるようになりますよ。私でも家計簿は表計算ソフトを使ってますし、日記は
ワープロソフトですし。ホームページも文法を少し覚えたら、結構見栄えの良いものが出来ますよ。自由に使えるイラストなんかを集めたホームページが
あって、私も講義やゼミでそれを使ってるんです。」
「へえ・・・。色々あるんだな。」
自由に使えるものを陳列しておくだけのホームページってのあるのか・・・。
使われるようなものにするにはそれなりに手間隙かける必要があることくらい、シンセサイザーをあれこれ弄くっている俺には何となく分かる。
それから考えると随分太っ腹だな。俺にはとても真似出来そうにない。
「あ、祐司じゃない!」
自分の名前を呼ばれたことで反射的に晶子を見る。だが、その晶子は辺りを見回している・・・と思ったら、視線が固定される。
その方を見ると・・・、あ、宮城じゃないか。紺のスーツに黒のハーフコートという服装の宮城が、俺と晶子の席に駆け寄って来る。
ん?宮城の隣に居た男は誰だ?新しい彼氏か?
「久しぶりー。どうしたの?買い物?」
「ああ、ちょっとな。それより、お前こそどうして此処に?」
「お昼ご飯に決まってるじゃない。もう12時過ぎちゃってお店探してたら、偶然此処が空いててね。」
「優子さん。一緒に居た方が・・・。」
「ああ、大丈夫。あの人にとってはこの辺なんて自分の庭みたいなもんだから。」
「かと言って、いきなり連れを放り出すのはどうかと思うが。」
割と高めの男性の声が、俺と宮城の後方からかかる。
びくっとした宮城が恐る恐るといった様子で声の方を向いて、その場を誤魔化す笑顔を作る。
「宮城君。君の知り合い?」
「あ、はい。高校の同期です。ほら、前に話したじゃないですか。この前の夏、この辺のジャズバーとかに出入りしているミュージシャンと、
新京市の公会堂でセッションした、凄腕のギタリストのこと。それが彼なんです。」
「ほう。これは奇遇だね。」
男性が宮城の後方から姿を現す。
明るいグレーのスーツにネクタイ、やはり明るいグレーのトレンチコート。見た目20代後半から30代前半って感じだ。宮城の会社の先輩か?
「君が安藤君かい?」
「あ、はい。はじめまして。」
「はじめまして。私、宮城と同じ会社の青木と言います。・・・ふーん。見た限りでは何処にでも居そうな感じだね。」
ま、確かに俺の身なりはこれと言った特徴がないから仕方ないと言われればそうだが、初対面なのにいきなりそんなこと言うか?普通。
「失礼ですけど、何をなさってるんですか?」
「ああ、これは失礼。・・・奥さん?」
「はい。」
迷わず即答した晶子が、青木という男性を見る表情はやや険しい。
いきなり割り込んできて何のつもりだ、と言いたげなのが分かる。無理もない。
自分の相手の前の彼女が馴れ馴れしく−俺が晶子の立場だったらそう思うだろう−近寄ってきた上に、連れの男に品定めされたんだからな。
「え?祐司、本当に結婚したの?」
「・・・ああ。式はまだしてないけどな。」
ここで照れ隠しにでも否定したら、晶子の立場を悪くするばかりか傷つけてしまうことくらいは分かる。
既成事実を重ねることになっちまうが、俺にはそれくらい必要だろう。左手薬指に馴染んでいる指輪の意味を確固たるものにするためにも。
「うちの宮城が失礼したね。元気が良いのは結構なんだが、どうもまだ勝手を知らないもので。では、またの機会に。行くぞ、宮城。」
「はい。祐司、またね。」
「ああ。」
宮城は俺に手を振って、青木という男性の後をついて店の混雑の中に消える。突然現れてあっさり消える・・・。にわか雨みたいだな。
「ありがとう、祐司さん。」
正面に向き直ると、嬉しそうな微笑を浮かべている晶子が映る。
「私の言葉を裏付けてくれて。」
「正式なプロポーズとかは・・・もう少し待ってくれよな。」
「はい。」
プロポーズを何処でするか、何と言うか、そんなことは思い出を振り返るときの飾りに過ぎない。
大切なのは、何時言うかということ。
それはすなわち、俺が場合によっては親に勘当されることも覚悟の上で進む道を決めて、晶子と一緒に暮らす足場を整えた時。
晶子も夢が現実になることを望んではいるが、拙速な二人三脚の開始を望んでいやしない。
やっぱり俺がしっかりしないといけない。自分の人生は自分のものなんだから・・・。
「ふーん。で、結局決められなかったわけか。」
「はい・・・。」
その日の夜。バイトが終わって掃除をした後の「仕事の後の一杯」の席上、今日の顛末を話した。
情けないことに、あれだけ豊富に揃っていながら一つに絞り込むことが出来なかった。
俺にしてみれば決定打に欠けたからなんだが、振り回された晶子にしてみれば、良い迷惑でしかないだろう。勿論、晶子はそんなこと欠片も言わないでいるが。
「あれだけ彼方此方晶子を連れ回したのに決められなかったのが何とも・・・。」
「私は全然気にしてないですよ。無理に妥協して後悔してからじゃ遅いですし、決して安い買い物じゃありませんし。」
「晶子ちゃんの言うとおりよ。今日買わないといけない、ってことじゃないんだし、じっくり選んで買えば良いんじゃない?」
「家電製品でもそうだが、今の電子機器は機種交代のペースが速いからな。納得して買ったつもりでも、少ししたら同じくらいの値段で性能が良い機種が
出て来てたりするし、携帯みたいに気軽に機種変更なんて出来るものじゃないから、迷うのは無理もない。」
「そうかもしれませんけど、即断出来ない自分が何だか情けなくて・・・。」
「まあ、そんなに自分を責めないことだな。井上さんは祐司君と一緒に出かけられたことで楽しめたそうだし、さっき潤子も言ったように今直ぐ必要だから
R
直ぐ買わないといけないというものじゃないんだから、色々情報を集めて納得出来た段階で買えば良い。」
「大学でも売ってるかもしれないわね。本やCDも取り寄せて買えるくらいだから、パソコンも買えるんじゃないかしら?」
・・・それは言えるな。雑誌やCDが組合員証を提示さえすれば取り寄せ手数料とかもなしで割引で買えるんだし、ソフトも売ってるくらいだから、
ソフトが動く場所であるPCが買える可能性は十分ある。否、買えると考えた方が自然だ。
となると、今日迷うに迷って結局買えなかったのはある意味正解だったのかもしれない。
今日わざわざ小宮栄に出て来たんだから買わないと、と変に凝り固まって妙なところで妥協して、後日大学で同等以上の性能のPCがもっと安価に買えることを
知ってがっくりするより、精神衛生上も良い。
「今時ちょっとした事務処理でもPCを使わない方が珍しいくらいだから、大学に居る間に一般的なソフトの使い方やホームページの作り方の基本は
覚えておいた方が良いだろうね。」
「祐司君は理数系だからある意味PCは必須の道具だし、晶子ちゃんも卒業研究をインターネットで公開するっていうから、祐司君は尚のこと、早い段階から
使えるようにしておいた方が良いわね。卒業研究をしながら此処のバイトもしながら、っていうのは今でも講義やレポートで大変なんだから、
尚更大変だと思うわ。」
「PCを買う時のコツっていうのか基本っていうのか、そういうのってありますか?」
この際だから聞いておこう。
今日買えなかったのは、色々あり過ぎて目移りしてしまったことも一つの要因だ。
何かポイントのようなものがあれば、それを踏まえて買う方が間違いがない。
「祐司君がPCを買う目的ってのが卒業研究に配属を希望している研究室の要望に応えることだから、それが十分こなせる基本性能を持っていることかな。
CPUの速度や性能も大切だが、メモリも見落とせないね。」
「メモリ、ですか。」
「祐司君の家にあるPCは昔のものだからあまり実感が沸かないかもしれないが、今のソフトは兎に角肥大化してる。そうでなくても、幾つもソフトを
同時に動かすとなるとどうしてもメモリが必要だ。メモリ不足で動かせるものも動かなくなってしまうどころか、PCがハングアップしてしまう。」
「私は自宅では複数のソフトを同時に使うことはまずないんですけど、ゼミや講義とかで使うPCは、幾つか同時にソフトを動かすと動作が遅いな、って
思うことがあります。」
「それにメモリを増やすのはHDDの容量を増やすより金がかかる。HDDなんて今じゃ何GB単位で最初から持っているのが当たり前だし、後で簡単に増設出来る。
それより最初に買える範囲でメモリをたっぷり積んでいる機種を買った方が良いね。ソフトは後で順次買い足してインストールしていけば良いし、
余分なソフトでHDDを食われる心配もないし。」
「CPUの性能が出来るだけ高くてメモリが出来るだけ多い、ってことを選ぶ基準にすれば良いんですね?」
「そういうことになるね。後は財布の中身と相談ってことになる。」
やっぱり今日買えなかったのは結果的には正解だったようだ。
大学で安く買えるならその方が良いし、必要なソフトももっと情報を仕入れて絞り込むことも出来るだろう。
晶子を散々連れ回した上に買えなかったことに落胆していたが、ものは考えようかもしれないな。
「まあ、上を見ればきりがないし、安く上げようと思えば選り取りみどりだから、ノートなら大体30万を目安にすれば良いんじゃないかな。
ソフトは別にして。現金なことを聞くけど、祐司君の予算はどのくらい?」
「マスターが言ったとおり、30万を目安に考えてます。今日見て回って調べたところでも大体その辺りでしたし。」
「そうか。今日調べて大凡の傾向も分かっただろうし、さっき言ったような選ぶ基準をしっかり持って、ソフトのことは一先ず考えないで理想に近いものを
選ぶようにすればまず後悔することはないだろうな。」
30万は単純にキリの良い数字ってことで今日持って行ったんだが−ひったくりに遭わないかと内心ヒヤヒヤしていた−、30万以内、そしてCPUの機能が
出来るだけ高くてメモリを出来るだけ沢山積んでいる、という基準を満たすものを選ぶようにすれば良いか。
どうやら今回は、優柔不断とかはっきりしないとか言われる俺の性格が幸いしたようだ。
決して安い買い物じゃないし、ましてや使い捨てするものじゃないから−そんな金の使い方が出来る家ならバイトで生活費を補填するわけがない−、
多少なりとも詳しい人の意見やアドバイスを少しでも多く聞けるに越したことはない。
大学で買う、か・・・。今まで色々と生協を利用して来たが、雑誌やCDを買ったり食堂で昼飯を食うこと以上の利用はしてこなかったな。
する機会がなかったというのもあるんだが、明日は実験で時間の使い方には割と余裕があるし、昼休みにでも店舗でチラシを集めたりして選ぶとするか。
お値打ちものが予算内で十分買えるかもしれない。
あれから程なく店を出た俺と晶子は、晶子の家にで紅茶を飲んでいる。
明日からまた大学との行き来が始まるのか・・・。何だか最近、時間の経過がやたら早まったように思う。
年末が近付いているのもあるんだろうが、そんな忙しない時間の中でこうしてゆったり寛げる時間があるのはありがたい。
「私、生協でチラシやパンフレットを集めておきますよ。」
紅茶を半分ほど飲んだところで晶子が言う。
「明日実験の祐司さんは何時生協に行けるか分からないでしょうし、行けたとしても休み時間くらいゆっくり休みたいでしょうから、チラシや
パンフレットを集めるくらいのことは私がしておきますよ。」
「良いのか?」
「ええ。お昼は同じゼミの娘と一緒ですし、その行き帰りにでも立ち寄りますよ。祐司さん絡みと分かれば、同じゼミの娘も納得してくれる筈ですし。」
「納得、ねえ・・・。」
俺は思わず苦笑いする。
前の披露会で晶子が俺と付き合っていること、お揃いの携帯を持っていることや左手薬指に指輪を填めていることに注目が集まっていることが良く分かった。
そんな晶子が俺のためにPC関係のチラシやらを集める、と言えば連中がどういう反応を示すかくらい簡単に想像出来る。
「明日の実験も時間がかかりそうですか?」
「ああ。まだ電動機関係の実験だからな。あの手の実験はどうしても時間がかかるんだ。」
「本当に大変ですね。」
「俺は当事者だからまだ良いさ。それより晶子は何時終わるか分からない俺の実験終了を何時間も待つんだから、その方が大変じゃないか?」
「いえ、祐司さんと一緒に大学と自宅を行き来出来ますから、それ自体が楽しみなんです。月曜の夜は一緒に晩御飯が食べられますし。」
晶子は少しも嫌そうな様子を見せない。俺と一緒に居ること。ただそれだけでも満足してくれる。
バンドの面子の言葉じゃないが、こんな燃費の良い女はそうそう居ないだろう。何だかんだ言っても俺は恵まれているな。
「明日も腕によりをかけて美味しい料理を作りますからね。」
「それを期待して実験を終わらせるようにするよ。」
明日の実験も終了が何時になるかまったく予想出来ない。
研究室や進級の実情を知っていることを明かした智一は勿論、他の二人も程度の差はあってもその手の情報を仕入れているんだろう。
奴等がどれだけ言っても説教を食らっても動こうとしない理由は分かった。だが、俺はそれに便乗する気になれない。要領が悪いと言われればそれまでだが。
紅茶を啜りつつこの前の披露会を思い出す。
携帯や指輪を見て着信音を聞いて歓声を上げた。俺が晶子をエスコートしたら羨望の声が上がった。
晶子はそういうことに幸せを感じて学生生活を送っているんだろう。
俺は早くその幸せをもっと確固たるものにしないといけない。研究室を絞り込んで進級や配属の条件を整えるのもそうだが、何より俺が進路を決めないといけない。
晶子。お前が抱いている、他人から見ればささやかな、ちっぽけなものかもしれないが、お前が何よりも大切にしているその幸せを壊して笑顔を
涙で濡らすことは絶対しないからな・・・。
だから・・・もう少し待っててくれよな・・・。
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