雨上がりの午後

Chapter 108 雨の夜、二人語らい音紡ぐ

written by Moonstone


 俺の大学生活が3年目に突入して久しい。
難関だった2年後期の試験も無事クリアし、大きな関門を一つ乗り越えた。
俺が所属する工学部は3年になると本人の希望で研究室に仮配属となる。
勿論人気の研究室−大体単位が取りやすいという理由だ−に人が集中するから、その際の「ふるい」としてこれまでの成績が持ち出される。
 俺は事前の調査を踏まえて、自分の趣味が多少なりとも生かせると思った音響・通信工学の研究室を希望して、無事配属となった。
進路指導の教官−各学年に一人割り振られるらしい−曰く、俺は非常に成績が良いそうだ。
試験結果の可否は分かっても詳細まではこれまで分からなかったから、それを聞かされた時は思わず聞き返したくらいだ。
 智一はというと、やはりと言うか何と言うか、俺と同じく音響・通信工学の研究室に配属となった。智一が言うにはギリギリのラインだったそうだ。
まあ、事前に試験問題を入手してヤマを張ったり、俺におんぶに抱っこで実験をやってりゃ、配属されたのがずるいと思えるくらいだ。
残る二人の実験での「仲間」は別の研究室に配属になったからまだ良しとするか。
 研究室に配属されたからと言ってもあくまでも「仮」だ。正式に配属される4年の時は3年までの成績が考慮されるから油断ならない。
更に仮とはいえ研究室に配属になったことで、週1コマのゼミに参加させられることになった。
内容はスペクトル(註:周波数成分のこと)とそのサンプリング(註:ある対象を一定時間抽出すること)の原理だ。
専門教科で出てきたフーリエ変換とかが出てきて、俺は早速智一や他の研究室メンバーの質問攻めを浴びることになった。
ゼミと言っても英語の文献を訳して音読するだけなんだから、そのくらい自分でやれ、と何度言っても聞きやしない。
今ではもう言うのも馬鹿らしくなって、何も言わずにノートを放り出すことにしている。
 そんな状況を更にうざったく感じさせるのはこの長雨だ。
今年は5月でも所謂「五月晴れ」らしい日があまりなかった。
中旬以降、それこそ梅雨空を思わせるどんよりした曇りの日や雨が降ったり止んだりはっきりしない日が多くなった。
そして何時の間にやら入梅宣言だ。
学業やバイトの忙しさより先に、この長雨が気分をげんなりさせてくれる。

「今夜もこのまま降りそう・・・。この分だと明日も雨ですね・・・。」

 6月のある月曜日、何時ものようにギターとアンプを持って晶子の家にお邪魔した俺は、夕食後の練習の合間に外を見た晶子の言葉を聞いて溜息を吐く。
雨の日はギターを背負って片手にアンプ、片手に傘を持って歩いて行かなきゃならないから余計に疲れる。
その疲れを癒せるのが晶子との夕食と練習と寛ぎのひと時なんだが、微かに聞こえる雨の音が気分を萎えさせる。

「また駅まで一歩きか・・・。いい加減にして欲しいな、まったく。」
「雨ばかりだと鬱陶しいですけど、降る時降らないとそれはそれで大変なことになりますから、暫くの我慢ですよ。」

 晶子は窓を閉めて、ベッドに腰掛けている俺の隣に腰を下ろす。

「・・・研究室、楽しいですか?」

 晶子が出し抜けに尋ねてくる。俺は一瞬返答に窮したが、直ぐに気を取り直して答える。

「まあな。CDやシンセサイザーと関連があるから、ああ、なるほど、って思うことが多いよ。質問攻めだけは鬱陶しいけど。」
「それだけ祐司さんが頼りにされてるってことですよ。」
「そうかなぁ・・・。何か、良いように使われてるだけ、って感じがするんだけど。」
「それでもきちんと予習したりしてるんでしょ?」
「ああ。何処が自分の担当になるか分からないし、前後関係が読めないとどうしようもないから。」
「私、祐司さんのそういう真面目なところが特に好きなんですよ。」

 そう言って微笑む晶子を見ていると、心なしか気分が晴れてくる。
時々自分がやってることが馬鹿馬鹿しく思えることがあるが、晶子にそんな俺が好きだ、と言われて嬉しくない筈がない。
俺の心は晶子の言葉で救われている部分がかなり多いと思う。
晶子が居なかったら、俺はどうなっていたんだろう?ちょっと怖くなってくる。

「晶子はどうなんだ?」
「ゼミそのものはアットホームな雰囲気で楽しいですよ。」

 晶子は現代英文学のゼミを希望して無事配属になった。
近年大流行したファンタジー小説の原作を読んだりして、その表現方法や過去の英語作品との比較をしているそうだ。
何だか聞いてるだけで気楽な雰囲気が感じられるな。その点、俺のゼミは専門用語だらけで味気も何もあったもんじゃない。
しかし、ちょっとさっきの答えで引っ掛かるところがあるな・・・。

「そのものは、っていうのはどういう意味?」
「・・・聞きたいですか?」

 晶子がやや暗い、真剣な表情になる。ゼミの仲間内で何かあったんだろうか?
何せ去年はあのセクハラ教官のせいで散々な目に遭わされたんだ−俺も余波を被ったが−。その波紋が今尚残っていても不思議じゃない。

「気になるから聞きたい。」
「そうですか・・・。それじゃ教えますね。」

 晶子はそう言って一呼吸置き、俺の目を見ながら話し始める。

「4月にピクニックに行った時、写真を撮ったこと憶えてます?」
「忘れるわけないだろ。定期入れの中に入れてお守り代わりにしてるくらいなんだから。」

 そう、今年の4月にも良く晴れた休みの日にピクニックに出かけ、その時、二人腕を組んだところを晶子が買ったデジカメで通りがかった何処かのおばさんに
撮影してもらったんだ。
それを本物のカメラみたいに−こう言うとデジカメが偽物みたいで語弊があるが−プリントしてもらって、定期入れとわざわざこのためにお揃いで買った
写真立てに入れている。
現に晶子のデスクの上には、そのいわくつきの写真立てが閉じられたノートパソコンと共にその存在感を醸し出している。
 そんな大切な写真の存在を忘れる筈がない。
何せ付き合うようになって1年以上経つというのに、今までツーショットどころか互いの写真さえ撮ったことがなかったんだから。
その写真がどうかしたんだろうか?まさかなくした、なんて言わないだろうな?晶子は俺みたいにずぼらじゃないから、そんなことはまずないと思うが。

「この前、同じゼミの子数人と話をしてたら、何時の間にか私が彼氏の写真見せてよ、って迫られることになったんですよ。」
「で、見せたと。」
「ええ。そうしたら・・・何て言ったと思います?」

 何となく予想はつくが、俺はあえて黙って晶子の話を聞くことにする。

「『貴方はその彼氏には勿体無いわよ。』『髪型も服装も何の色気もないじゃないの』『もっとカッコ良い相手紹介してあげるから』って・・・。
私、祐司さんを馬鹿にされたことが凄く悔しくて、思わずその場で『私の大切な人の悪口言わないで』って叫んだんです。そうしたら今度は・・・
『悪口じゃないわ。本当のことを言ったまでよ。』って。もう私、悔しくて悔しくて何て言ったら良いか分からなくて・・・。」

 晶子は言い終わると視線を床に落とす。
その横顔は悔しさとやり場のない怒りに溢れている。閉じられた唇が微かに震えている。
余程悔しかったんだろう。不謹慎だが、俺はそれが嬉しく思う。

「良いじゃないか。実際そのとおりなんだし。」
「祐司さん。」
「言いたい奴には言わせてやれよ。俺は晶子にさえ気に入ってもらえればそれで十分なんだから。」

 実際そのとおりだ。他人から見て凸凹カップルに見えようが月とスッポンのカップルに見えようが構わない。
それに俺が見てくれも冴えないし服装のセンスもないことくらい自分でよく分かってるし、それに劣等感を感じてなんかいないからどう言われても気にしない。
気にするだけ損だ。
 でも、晶子が俺を悪く言われたことが悔しくてならないと思うのは嬉しい。
俺だって仮に晶子のことを悪く言われれば怒るだろうし、悔しく思うだろう。
前の田畑助教授の件で流れたメールはデマだと分かりきっていたから怒るにも値しなかったことだし、晶子が悪く言われる可能性は俺から見ればその要素がない。
だから晶子になりきれるかと言われれば悩まざるを得ないが、自分のことを真剣に想われて嬉しくない筈はない。

「祐司さんは、自分が悪く言われたことが悔しくないんですか?」
「俺は見てくれも冴えないし、服装のセンスもないことは十分分かってるし、そんなことで劣等感を持ってないから、別に悔しくも何ともないよ。」
「・・・。」
「それより俺は、晶子が俺を真剣に想ってくれていることが嬉しい。その想いさえあれば、他人から俺達のことをどう見られようが、俺のことを何と言われようが
気にならない。さっきも言ったけど、言いたい奴には言わせておけ、ってのが俺の考えなんだ。」
「祐司さん・・・。」
「ただ晶子を中傷されるのは許せない。前のはデマだって分かりきってたから、火消しに回るのも馬鹿馬鹿しいから何もしなかったけど、出所が違ってたら
絶対許さない。それだけは言える。」

 俺が言うと、晶子は俺の肩に頭を乗せてくる。斜め上から見えるその顔は嬉しそうに微笑んでいる。
俺は晶子の肩を抱く。こうしているだけでも日頃の疲れが消えていくから不思議だ。
本当に俺独りだったら、今頃どうなっていたんだろう?ただ缶ビールを飲みまくって寝るだけの不毛な生活になっていたんじゃないだろうか?

「・・・祐司さん。」

 暫く軽やかな沈黙の時間が流れた後、晶子が顔を上げて話し掛けてくる。
表情は深刻さや暗さこそないものの真剣みを帯びている。

「何だ?」
「将来・・・どうするか固まってきましたか?」

 来たか。最近二人になると時々この話が振られる。
ピクニックの時にも話の流れでこの話に行き着いた。俺はその度答えてきたが、その時々によって答えが違うことが分かっている。
その時の気分や状況によって−例えば試験の間だと、やっぱり普通に就職か、という具合−心変わりするんだが、いい加減道を固め始めないといけないとは思う。

でも・・・。

「まだ・・・よく分からないな。どうしたいんだろう、俺・・・。普通に就職するのか、プロのギタリストを目指すのか・・・。天秤に掛けても左右に振れるばかりで
定まりそうにない。」
「重大な問題ですからね。無理もないですよ。」
「自分のことなんだから最終的には自分で決断するしかないのは分かってる。ただ、決断までの過程に親の意向や自分のしょうもない見栄とかが絡んでくる
だろうから、余計に決断し辛くなると思う・・・。」
「親御さんとしては、折角難関って言われる大学に入ったんだから、それを活かして就職先を選んで欲しい、って思うでしょうね。私も親になったら
子どもには苦労する道を歩ませたくない、って思うでしょうし・・・。」
「こういう時に偏差値や成績で進学先を勧められることが恨めしいな・・・。良い大学、良い会社、っていうレールに乗っかって進むように仕向けられるんだから。
いっそ地元の大学にしておけば良かったのかもな。そうすりゃ難関校の学生だ、って親戚中に持ち上げられることも、将来に向けての圧力もなかっただろうし。」
「祐司さんは・・・今の大学に入ったことを後悔してるんですか?」
「そういう妙な持ち上げやプレッシャーの材料を提供した、っていう点ではな。でも、今の大学に入ったことそのものは後悔してない。目標に向かって懸命に
勉強した結果が報われた、っていう充実感が持てたし、大学生活も何だかんだ言ってもそれなりにこなしてるし、何より・・・晶子と出会えたから。」

 晶子の顔が少し驚きのそれになったと思ったら、徐々に嬉しさが広がっていく。その笑顔を見ていると、俺の表情から緊張感が解れて取れていく。
晶子との時間は、日頃の勉強やバイトで疲れた自分の心を癒せる大切な時間なんだとつくづく思う。だからこそ大切にしていかないとな。

「さ、そろそろ歌の練習の続きをしよう。」
「そうですね。」

 晶子は立ち上がり、俺は再びギターのストラップに身体を通す。
晶子のレパートリーを増やそうという意思、否、良い意味での欲は深い。今年に入って10曲近く増やしたんじゃないかな・・・。
正確に数勘定してないし、そんな暇があったら演奏用のデータを作ってるから、正確に幾つかというのは分からないが。
 この鬱陶しい梅雨が明けたら夏だということもあって、夏っぽい曲もあれば、オールシーズン通用する曲もある。
倉木麻衣の曲もあれば俺と同じくギタリストの鳥山雄司の曲もあったりする。選曲の幅は広い。
データを作る俺の方は多忙に多忙が重なっているが、実は結構楽しんでやってたりする。

「さっきの曲からにしましょうか?」
「『ATE SABER』か。俺の方も練習が必要だからな。そうするか。」

 「ATE SABER」。これがあの鳥山雄司の−漢字こそ違うが俺と同じ名前なんだよな−歌ものだ。
勿論と言うか、誰にでも歌えるような易しい曲じゃない。
何と言っても歌詞が日本語でも英語でもない。
晶子が言うにはスペイン語だそうだが、晶子がこれを歌いたい、と言って聞かされたCDを初めて聞いた時は首を傾げた。
ギターのバッキングも流石ギタリストだけあってトリッキーだし、歌は勿論歌い辛い。
 歌はCDを真似るしかないか、と思ったら、この辺り流石文学部というか、晶子は独学でスペイン語の勉強をして、発音もCDの物真似に終わらないものに
していた。俺はそれで安心してギターの音取りに専念出来た。
この曲は殆どギターがバッキングを務めるし、短いがソロもあるから、俺としてもやり甲斐がある。
 晶子が小さく頷いたのを合図にして、俺はギターのバッキングを始める。
シーケンサのデータはギターのバッキングにシンセ少々とベースとドラムを加えた程度のものだから、ギタリストが作った曲らしいと言えばそうだ。
だが、その分ギターの占める比重が大きいから油断ならない。
 晶子の歌声が始まる。芯は普段の歌より太めで音程も女性にしては低い。原曲に近づけるように晶子も歌い方を研究したらしい。
その甲斐あって良い仕上がりになっている。
初めて披露した時は、客が当初頭上に「?」を浮かべていたが−何言ってるのかさっぱり分からないだろうから無理もない−、適度なテンポと晶子の新しい声に
共鳴したのか、直ぐに客から反応が表れた。今じゃオールシーズン通用するタイプの1曲として認識されている。
 この曲はテーマ毎にギターのバッキングパターンが違うし、その上トリッキーな部分が多いから、晶子と共にステージに上がる時は今でもちょっと緊張する。
これくらい簡単にこなせないようじゃ、プロのギタリストなんて夢のまた夢かもしれないな・・・。
何にせよ、晶子に負けないようにしないとな。
 晶子の歌が終わった後の、俺が付け加えたギターバッキングを締めて終わる。
元々忙しい曲なのに湿気の多さが加わってすっかり汗だくだ。晶子も額の汗を拭っている。半袖のシャツから伸びる白い腕にも汗が滲んでいる。
これからの時期は他以上に体力が要るから、練習でしっかり鍛えておかないといけない。
バテてしまって歌えません(弾けません)、なんてみっともないどころの話じゃないからな。

「ふーっ、暑いですね。」
「時期が時期だからな。これからの季節、ギターは大変だよ。湿気と熱で直ぐにチューニングが狂っちまうから。」
「潤子さんもこの時期にピアノを調律してもらう、って言ってましたよね。ピアノもそういうのが必要なんですか?」
「原則1年に1回は必要、って言われてる。ピアノも見た目は鍵盤楽器だけど、発音の形式はギターと同じ撥弦(はつげん)楽器だから、放っておくと音程が狂うんだ。」
「その点、シンセサイザーは良いですよね。」
「まあな。でも、俺と晶子、それにマスターと潤子さんも生き物みたいな楽器を扱ってそれぞれ評判を得ているんだから、手持ちの楽器の日頃のメンテナンスは
大切だよ。それに、生演奏が聞ける夜の喫茶店、ってことで来てる客も多いんだし。」

 この前、来客にアンケートをしたことがある。その質問の一つに、「どうやってこの店を知りましたか」というのがあって、回答の中で目立ったのは
「生演奏が聞ける喫茶店という話を知人から聞いた」というのがかなり目立った。
確かにジャズバーなら生演奏が聞ける店はあるだろうが−行ったことはない−、喫茶店で生演奏付き、というのは珍しいだろう。
 あの店は駅からも繁華街からも距離があるし、客の候補と言えば近くにある塾に通う中高生くらいのもんだ。
にも関わらず社会人の客も多いというのは、この店の特色を耳にして、実際に体験してそれが気に入ったからに他ならないだろう。
客を選別するつもりは無いが、あの店の特色である「生演奏が聞ける」ことを気に入った客の足を繋ぎとめるためには、やはりレパートリーの充実と
演奏技術の向上は欠かせない。

「次は『PACIFIC OCEAN PARADISE』にしましょうよ。」
「俺は良いけど・・・晶子は大丈夫なのか?無理すると喉が潰れるぞ。」
「今は湿気が多いですから、適度に喉が湿って良いんですよ。」
「そうか。んじゃやるか。」

 「PACIFIC OCEAN PARADISE」。これはこれからの季節のための曲とも言える。
この曲が厄介なところは、メロディやソロにハーモニカを使っているところだ。
マスターのソプラノサックスで代用しようかと思ったんだが、「井上さんは君の担当」と一蹴されたから、ギターのエフェクトや演奏方法、ボリューム加減を
色々工夫してハーモニカみたいな音と演奏を作り出した。
今まで何曲もデータを作ってきてギターのパートを練習してきたが、この曲ほどあれこれ試行錯誤した曲はないと思う。
 今はエフェクタなしだからナチュラルトーンで気分だけ、とするしかない。俺は晶子の準備が整ったのを確認して演奏を始める。
ボリュームペダルがないから、せめて足だけでも動かしてその「つもり」で練習しておく必要がある。
アームやビブラート(註:音程が微妙に上下すること)を多用して、ハーモニカの演奏に少しでも近付けるように苦心しつつ演奏する。
 俺が暫く演奏すると、晶子のヴォーカルが入る。
今回は「ATE SABER」とは対照的にウィスパリングを存分に効かせた、漣(ささなみ)のような印象を与える歌い方だ。
倉木麻衣の曲を歌うときより更にウィスパリングが効いているから、無声音にかなり近い。
 しかし、歌は簡単かというとこれがなかなか忙しい。晶子みたいに流暢に英語が発音出来ないと追いつかないだろう。
ウィスパリングが効いているからそれで誤魔化そうと思えば出来ないことも無いだろうが、それは晶子のヴォーカリストとしてのプライドが許さないだろう。
発音は俺でも聞き取れるほど明瞭だ。この辺、流石だと思わせる。

 曲は俺のギターと晶子のヴォーカルを交互にしながら進んでいく。2回交互に繰り返したところで俺のソロが入る。
元々息で鳴らす楽器の音や響きを弦を弾く楽器で再現しようというのだから、かなり難しい。
今はエフェクタが無いから、アクセントやアーム、ビブラートを意識して「聞かせる」ようにする。
それだけでも難しいのに、高温低音を幅広く使ってくれるから余計に難しい。
ソプラノサックスの出番を拒否したマスターを恨めしく思う。
 どうにかソロが終わると、また晶子のヴォーカルが入る。
この曲における晶子のヴォーカルは、同じフレーズの部分で歌詞だけ違うというタイプのものだ。
だから晶子としては割と歌いやすい方だろう。
ウィスパリングで誤魔化さないではっきり聞き取れるようにするのは、晶子ほどの腕前があれば十分可能だろう。
実際傍で聞いていても違和感を感じるところはない。
 晶子のコーラスが16小節ほど続いたところで、俺がダウンストロークで夏の波間を髣髴とさせる締めくくりをする。
やれやれ。どうにか終わったか。
やっぱりこの曲はせめてソプラノサックスを使うべきだ。ギターじゃどうしても無理がある。

「祐司さん、演奏大変そうでしたね。」
「分かる?」
「ヴォーカルが無いところは祐司さんが演奏するじゃないですか。それを見てたんですけど、祐司さんの両手が凄く忙しそうに動き回っていましたから。」
「吹いて音を出す楽器を弾いて音を出す楽器で再現しようってんだから、そもそも無理があるんだよなぁ。出来るだけ近付ける努力はしてるけど、
どう聞こえてるんだろ?知ってる人も居るだろうし。」
「私はCDと聞き比べてみたんですけど、今はエフェクタでしたっけ、それがありませんから音は違って当たり前ですけど、雰囲気は良く出てると思いますよ。
流石はギタリストだなぁ、って。」
「マスターがソプラノサックスを蹴ったから、二人揃ってステージに上がる時は俺がやるしかないし。家でも練習してるんだけど、どうも違和感が拭えないんだよ。
まあ、発音の仕方が根本的に違うハーモニカをギターで再現するんだから、無理があって当然だとは思うけど。」
「・・・演奏したくなかったですか?」
「折角の晶子のレパートリーを崩すようなことだけはしたくないからさ、やるとなった以上はギタリストとしての技術を総動員して演奏する。
それが晶子の歌に音を添える人間の役割だからな。」
「私は、祐司さんと一緒にステージに上がれるほうが良いですから。」

 晶子はそう言って微笑む。
少々不満が−欲求不満に近いものがある−溜まっていた俺だが、晶子のそれを見ていると苦労して演奏するのもまた由か、と思ってしまう。
 晶子を指導するのは、とは言ってももう指導することなんてありゃしないが、それは俺の役割と最初から決まっていたし、晶子のパートナーを務めるのは
俺だという自負もある。
決まったことにガタガタ文句をいう暇があったら、自分の演奏技術の幅を広げると良い方向に考えて練習に励んだ方が賢明だな。

このホームページの著作権一切は作者、若しくは本ページの管理人に帰属します。
Copyright (C) Author,or Administrator of this page,all rights reserved.
ご意見、ご感想はこちらまでお寄せください。
Please mail to msstudio@sun-inet.or.jp.
若しくは感想用掲示板STARDANCEへお願いします。
or write in BBS STARDANCE.
Chapter 107へ戻る
-Back to Chapter 107-
Chapter 109へ進む
-Go to Chapter 109-
第3創作グループへ戻る
-Back to Novels Group 3-
PAC Entrance Hallへ戻る
-Back to PAC Entrance Hall-