雨上がりの午後

Chapter 36 想い人が持つ秘密の小箱

written by Moonstone


 結局会話は何もないまま、晶子の済むマンションの前に辿り着いた。晶子が先に自転車を降り、俺は晶子の先導を受けて自転車置き場へ向かう。
晶子が通学や買い物に使うというまだ新しい自転車の隣に、俺の使い古された自転車を並べておく。何気なしに密着できる自転車が少し羨ましく思う。

「今日は腕によりを入れて作りますからね。」

 晶子は手を後ろで組んで少し前屈みになった姿勢で微笑みながら言う。本当に良い笑顔だ・・・。
これが他の男のものに、智一のものになったときのことを考えると・・・否、考えたくない。

「・・・どうしたんですか?難しい顔して。」

 姿勢はそのままで晶子が表情を変えて尋ねてくる。
不安にさせてはいけないし、何より爆弾を−勿論、智一の万全たる誘いのことだ−晒すわけにはいかない。
俺は首を横に振って極力さり気なさを装う。

「いや、ちょっとコンサートのことを考えててさ・・・。」
「私よりコンサート慣れしてる祐司さんらしくないですね。」
「経験あるっていっても、今回のは今までのと勝手が違うからな・・・。」

 そう言いながら苦笑いを浮かべる。日が押し迫るコンサートに多少不安があるのは事実だし、嘘は言ってないから表情も自然に出てくる。
これなら何かある、と敏感な晶子に悟られることはないだろう。

「良かった。祐司さんでもそう思うって。」
「何で?」
「私、本番でちゃんと歌えるか不安で、今日もCDに合わせて練習してたりしてたんですよ。」
「二人揃って同じか・・・。」

 俺と晶子は顔を見合わせて軽く笑いあう。こういうのって本当に友達みたいだよな・・・。
こういう関係のままで居られるのも良い。けど、この関係を二人だけのものに留めておくには・・・やっぱり俺が一歩踏み出さないと駄目だろう。
晶子が手袋を外してセキュリティを外してドアを開ける。俺はドアが閉まらないうちに晶子に続いて中に入る。
管理人の中年の男性と目が合って会釈しあう。何度も足を運ぶうち、流石の俺も顔を覚えてしまった。
この管理人は俺と晶子のことをただの友人とは思ってないだろうな・・・。
最初の頃は別にして、今は足しげく彼女の元に通う男、と映っているんだろうか?やっぱり・・・。
そう思われても仕方ないし、それでも良いと思う。既に周囲で既成事実は続々と出来上がっている。
後は・・・結局俺次第なのか。
 井上がドアの鍵を開けて俺を先に中に入れる。
既に部屋は暖房が行き届いている。台所には俺が絶対使わないような調理器具が色々と出ている。
ラップをされた状態でタレに漬け置きされた肉も見える。随分と手の込んだメニューになりそうだ。

「私は料理を始めますから、祐司さんは向こうの部屋でくつろいでて下さい。」
「一人で料理させるのもなんだし、手伝えることがあれば手伝うけど?」
「あ、大丈夫です。何時もやってることですから。」

 そうか。晶子は俺と違って自炊してるんだったな・・・。
料理といえばパンを焼くことと湯を沸かすことくらいしか知らない俺が手伝うといっても晶子の指示どおりに動くのが精一杯だ。
何所に何があるか勝手を知らないからそれすらも出来るかどうか怪しい。そういう人間は大人しくしているのが賢明だろう。

「CDとか・・・聞いてて良いか?」
「良いですよ、勿論。気に入ったのあったら借りていっても良いですから。」

 晶子はそう言いつつ早くもエプロンを着けて臨戦体勢に入っている。邪魔にならないようにと、俺はドアを開けてリビングに向かう。
相変わらず綺麗に片付けられて、それでいて生活感のある部屋だ。俺の部屋もこれに少しは近づけられたら良いんだが・・・。
CDのある場所は知っている。コンポがある棚の下の方に整然と並べられている。
俺なんか最近聞いたCDが上に積まれていって地層みたいになっている。
なるほど、縦に積むところを横に並べていけば良いのか・・・って、そういう問題でもないか。
適当にCDを2、3枚物色して俺がマスターとペアを組んでコンサートで演奏する「Jungle Duncer」が入っている『FOURTH DIMENSION』から聞き始める。
軽快なリズムの「Flip Out」が流れる中、俺はクッションの一つに腰掛けて部屋をぼんやりと見回す。
晶子の部屋にはポスターとかが一切貼られていない。だから壁に見るようなものはカレンダーくらいしかない。

 ふと窓際の方を見ると、机が目に入る。
こちらもノートパソコンと筆立てと蛍光灯が置かれているくらいのもので、俺の部屋のように楽譜やアレンジのメモやらが散乱した「作業机」じゃない。
どちらかというと洒落たオフィスの机という印象だ。
 その中でノートパソコンが気になる。あの中に・・・何があるんだろう?
日記とか家計簿とかつけてそうだな・・・。几帳面な晶子のことだから。
そう思うと尚更ノートパソコンが気になってくる。あの中に何があるのか・・・。
ちらっとダイニングの方を見る。ドアが閉じているから晶子の姿は見える筈もない。今は料理に勤しんでいることだろう。
ならば・・・この隙に・・・。
否、人の秘密を勝手に覗くなんて・・・。

 CDの演奏などもうお構いなしに、視界に映る画面の閉じられたノートパソコンの中身を見ようか見まいかで激しい葛藤が始まる。
あの中に俺の知らない晶子の一面があるかもしれない・・・。それならそれを知りたいと熱烈に思う。
だが、もし俺にとって衝撃的なものだったら・・・きっと覗き見たことを後悔するだろうし、もしかしたら晶子への印象が大きく変わるかもしれない。
それなら最初から見ないほうが賢明だ。
俺は、半ば無理矢理ノートパソコンから視線を逸らして適当に室内をさ迷わせる。だが、流れてくる音楽は殆ど耳に入らない。
あのノートパソコンの中にどんな秘密があるのか、それが気になって気になって・・・。
 もし日記でもあれば、そこで晶子の本音が分かるかもしれない。
だが、それで俺への気持ちが嘘偽りで固められた虚像だったと分かったら・・・俺はどうなってしまうか分からない。
もう人間なんて二度と信じるものか、と固く塞ぎこんでしまうかもしれない。
 ・・・しかし・・・どうしてこう、俺は良い方向へ物事を考えられないんだろう?日々綴られてる俺への想いとか・・・。ま、そんな柄じゃないか。
中学時分なんて暗いって女子に陰口叩かれてて、ギターを始めたのを小耳に挟んだら急に態度が変わったのを見て、何だこいつら、と思ったのが
ことの始まりかもしれない。
 そんなことを思っているとドアがノックされる。晶子か・・・。
別に自分の家なんだからノックなんてしなくても良いと思うんだが、その辺の律儀なところが俺と違うところなんだよな。

「はい。」

 その律儀さに応えてきちんと応答すると、ドアが開いて晶子が顔を出す。
様子を伺う、といった表情だ。

「どうしたんだ?」
「退屈じゃないです?」
「いや、CDいっぱいあるし・・・。それより、火から目離して良いのか?」
「今オーブン使ってるんで、ちょっと手が空いてるんです。それで・・・。」

 俺は暇を持て余していないか、と様子を見に来たってところか。
俺は実際ノートパソコンのことが気になって暇を持て余すどころじゃなかったんだが。
晶子は中に入ってドアを閉めると、俺の横に座る。
晶子の顔を見ると、あのノートパソコンのことがどうしても聞きたいという衝動が内側から激しく襲って来る。
こんなプライバシーに踏み込むようなこと、聞けるような間柄じゃないのに・・・。

「祐司さんって、月曜日の夕方から何してるんですか?」

 と思ったら、晶子の方から突っ込んだ質問が投げかけられる。
少し頭が混乱したが、直ぐに平常に戻って少し考えてから答える。

「まあ・・・夕飯食べて、後はCD聞いてバイトで演奏する曲を探したり、アレンジしたり・・・。テレビは滅多に見ないな。」
「私とよく似てますね。」
「似てる?」
「夕飯作って食べたら、大体CD聞きながら本を読むかパソコンしてるんですよ。家計簿つけたりとか小説書いたりとか・・・。」

 実に呆気ない形でノートパソコンの「正体」が明らかになった。
家計簿をつけていたのは予想どおりだが、意外というか驚きなのは小説を書いてるってことだ。そんな趣味があったとは・・・。
初めて知った晶子の意外且つ高尚な一面に、俺は思わず感嘆の溜息を漏らす。

「へえ・・・。小説書いてるんだ。凄いなぁ。」
「別に凄くないですよ。本を読んでたら自分でも書いてみたいって思って書き始めたのがきっかけですし・・・。祐司さんのギターの方がずっと凄いですよ。」
「俺、国語はまるで駄目だったからな・・・。読書感想文なんて大嫌いだったし。」
「私もあれは嫌いでしたよ。本読んでそれでどう思うかって、その人の自由じゃないですか。なのに優等生的なものを求めてくるでしょ?あれが嫌で・・・。」
「で、どんな小説書いてるんだ?」

 小説を書いているとなると、やっぱりその内容が気になる。
晶子だと純文学か恋愛小説ってイメージがあるけど・・・どうなんだろう?
晶子は視線を少しさ迷わせて、言いたそうな、逆に言いたくなさそうな複雑な表情で尋ねる。

「・・・知りたいですか?」
「そりゃあな。折角書いてるんだったら見てみたいってのもあるし。」
「人に見せられるようなものじゃないですよ・・・。半分日記みたいなものですから・・・。」
「?私小説ってやつ?」
「まあ、そんな感じですね。それが下手だから余計に恥ずかしくて・・・。」

 私小説という甘美な響きの言葉に加えて、文系学科に在籍する晶子の文章力をもってすると日記がどう変貌するのか、興味は尽きない。

「下手でも俺が書く文章よりはずっとましだと思うけどな。」
「やっぱり・・・見せられないですよ。まだ家計簿の方が良いです。」
「家計簿って、そんなの見せてもらってもまともな感想は言えないぞ。」
「遣り繰りを知ってもらうのも良いかな、とは思うんですけどね。」
「?」

 晶子の言葉に何か意味深なものを感じたところで、ドアの向こうからチンという軽やかな音が聞こえて来る。
晶子が使っているといっていたオーブンが時間いっぱいになったことを告げる音だろう。
晶子は即座に立ち上がり、機敏な動きでキッチンへ戻っていく。俺が声をかける間もないくらいだ。
流石に普段、バイトで日が俺より浅いにも関わらず、キッチンに接客、そして演奏をてきぱきとこなせるだけのことはある、と感心さえしてしまう。
 料理も上手くて朗らかで、その上容姿も合格点・・・。
本当にどうしてこんな「出来の良い」女が、この見た目の冴えない俺に執拗なまでに追い縋ったんだろう?
兄に似ている、とか前に言ってたが、それが理由じゃないような気がする。
あくまでも兄に似ているというのはきっかけを作るために持ち出した口実で、実際は俺に一目惚れした・・・なんてことはあるわけないよな。
まさに自惚れだ。口に出して誰かに聞かれたら大笑いを食らうのは必至だ。
 でも、本当のところ、あれだけ邪険にされても諦めなかったストーカーばりのしつこさの源は何なんだろう?
その秘密が・・・あのノートパソコンの中にあるのかもしれない。書いてる小説が私小説だと言ってたし・・・。
視線が再び机の上に置かれたノートパソコンに注がれる。
あの中に晶子の秘密があるかと思うと、どうしてもその中身を見たくなってしまう。
他人の日記とかはどうしても読んでみたいと思うものだから、などと自分の衝動を正当化していたりする。
 だが、プライベートのことだから、パスワードとか使ってそうだな・・・。
それに如何にもこれ、というような分かりやすいファイル名にしているとは限らない。
そうなるとドキュメント関係のファイルを一つ一つ探して、その中身を確認していくという原始的な手段しかないが、
そんな悠長なことをしてたら幾らなんでも晶子に見つかってしまうだろう。
そうなったら・・・どうなるか分からない。
今まで続いていたこの曖昧で心地良い関係が一気に崩れ去るかもしれない、否、崩れてしまうだろう。
それだけは・・・絶対嫌だ!

「祐司さん、ドア開けてもらえますか?」

 CD『FOURTH DIMENSION』が最後から2曲目の「Up Close」が流れる最中、ドアの向こうから晶子の声が聞こえてきた。
多分、料理を両手に抱えているんだろう。

「分かった。今開ける。」

 俺は立ち上がってドアを開ける。
エプロン姿の晶子が両手に持った盆に彩り鮮やかなサラダと縁の辺りがぐつぐつと煮えているグラタンを乗せて立っていた。
晶子はありがとう、というと直ぐに俺の横をすり抜けて、サラダとグラタンをテーブルの上に置く。
グラタンは出来て間もないから、先に小さな鍋敷きを置いて、そこに盆に乗せていた鍋つかみでグラタンの皿の両脇を持って素早く置く。
流石に自炊してバイトでもキッチンを担当しているだけあって、動きは手早くて無駄がない。

「あとロースとチキンと御飯持ってきますから、先に食べてても良いですよ。」
「いや、折角だから待ってるよ。」
「・・・じゃあ、急いで持ってきますね。」

 晶子は空になった盆を小脇に抱えて俺の横を通り過ぎていく。
随分忙しないといえばそうだが、その表情が何処か嬉しそうなので、俺まで良い気分になってくる。
今まで座っていたベッド脇の席に再び腰を下ろして、晶子の料理の到着を待つ。
間もなく、盆にこんがり焼けたローストチキンと白いご飯の乗った皿を乗せて晶子が部屋に入ってきた。
そして料理の皿を手早く、そして整然と並べる。この辺りの配慮も晶子ならではだろう。
 晶子は俺の右横に腰を下ろす。あまり広くないテーブルにこれだけの料理が犇めき合っているから、隣に座るのはちょっと無理がある。
・・・並んで食べたいという気持ちもなくはないが・・・。
いただきます、の挨拶もそこそこに、早速食べ始める。
味の方は・・・何時ものとおり、いや、何時も以上に格別だ。

「美味いな、これ。」

 思わずこの一言が料理を含んだ口から漏れる。
晶子がぴくっと反応して俺を見る。嬉しさがじわじわと表情に染み出してくるのが分かる。

「嬉しいです・・・。作った甲斐がありました。」
「料理が出来る人って憧れるんだよな。俺自身、包丁一本まともに使えないから。」
「本を買ってそれを見ながら少し練習すれば、ある程度のものはできるようになりますよ。私だって、最初から出来たわけじゃないんですから。」
「俺も・・・多少は出来るようになった方が良いかもしれないな。」
「私も、その方が良いと思いますよ。」

 晶子が意味ありげな表情で言う。俺はふと思ったことをただ言っただけなんだが・・・。

「何で?」
「だって、私が寝込んだとき、看病してもらうのに料理が出来た方が良いでしょ?」

 そういうことか、と呆れるよりと妙に納得してしまう。
確かに常に付き添って病状を観察して薬を飲ませたりするのも大切だが、料理が出来ることも大切だ。
まともに食欲がないとき、いきなりコンビニの弁当やサンドイッチを差し出したり、飲み物だけ飲ませるのも看病になってないような気がする。
俺が食べた晶子手作りのお粥・・・。うっすら効いた塩味に梅肉の旨み、そして心に染みるような温かさは今でも覚えている。
あれらは全て手作りがなせる技だろうか?

「・・・そう・・・だな。」
「少しずつでもやってみたらどうですか?私だって、キャベツの千切りが出来るようになるまで何度も指切ったりしましたよ。」
「そうなのか?」
「ええ。それに千切りしたつもりが全然千切りになってなかったり・・・。お母さんに呆れられたことも珍しくないですよ。」

 バイトでは潤子さんと一緒にキッチンを切り盛りしたり、こうして美味い料理が作れる様子からは、そんな失敗を重ねたことは容易に信じ難い。
だが、俺も今のレベルまでギターを弾きこなせるようになるまで、結構四苦八苦した覚えがある。
今の腕前の裏には秘められたそれなりの努力があるってことか・・・。
 今まで家の調理器具は単なる置物か或いはガラクタ同然の存在だったが、これから少しずつ使う練習をしてみようか・・・。
確かに晶子が寝込んだとき、今度は俺が看病する番だし、季節柄それが何時来てもおかしくない。
コンサートが間近に迫った今は、極力そんなことにはなって欲しくはないが・・・。
 夕食は平穏無事に終わり、晶子は早速食器を纏めてキッチンの方へ向かった。
片付けくらい俺がするべきだろう、と思ったが、言うより早く晶子が行動したから言いようがなかった。
今の俺と晶子の関係を象徴しているように思う。
俺の方から何かしようとするとさり気なくかわされたり邪魔が入ったり、緊張感で身体が縛られて何も出来なかったり・・・。
かと思えば一昨日の映画を見た後のように、思い切った行動も出来たりする。どう動けば良いのか、未だに分からない・・・。
 だが、分からないことを理由に何時までも曖昧なままであるわけにはいかない。
智一は万全の体制を整えて宣戦布告してきたし、今の関係がそのまま続くという保証はどこにもない。
所詮友達でしかなかった、となるかもしれない。
そうなれば・・・それぞれの心のベクトルは別の方向を向いていくだろう。
 それが必ずしも悪い結果だというわけではない。
前の優子のときに潤子さんに言われたが、縁がなかったと解釈することも出来る。
だが、俺はそれで良いのか?と問われれば、絶対嫌だ、と答える以外ない。
これが最後の巡り合いじゃないという可能性だって、何処にもないんだから・・・。

 あれこれ考えていると、ドアがノックされる。ノックするということは何か手に持っているか俺の様子を伺いに着たかどちらかだ。
俺は敢えて返事をせずにドアを開ける。
晶子は両手にトレイを持っていた。
トレイには芳しい匂いを漂わせるティーポットと、二人分のティーカップが乗っている。

「何で分かったんですか?」
「今まで晶子がドアをノックするときは、大抵手に何か持ってるときだから。」
「分かってくれて嬉しいです・・・。紅茶飲みましょうよ。」

 晶子は柔らかい微笑を浮かべてリビングに入り、片付いたテーブルにティーカップを並べ、そこに均等に紅茶を注いでいく。
注がれた紅茶から心安らぐ独特の匂いが鼻を擽る。この匂いは・・・ダージリンか?
俺と晶子はティーカップを手にとって口に運ぶ。
紅茶ならではの仄かな渋みと豊満な香りが俺に自然と安堵の溜息を吐かせる。

「使い古された言葉だけど・・・ほっとするよ。こうして晶子の紅茶を飲むと。」
「学校で辛いこととかあるんですか?」
「そういうわけじゃないけど、何て言うのかな・・・今まで心の中で張り詰めていた何かがふっと緩むって言うか・・・。そんな感じがするんだ。」
「私が入れた紅茶で祐司さんがそういう気分になれるなら、私も少しは紅茶の入れ方が上手くなったかな・・・。」

 最初の頃は匂いこそ良いが苦い飲み物と言う印象しかなかった紅茶。
飲み慣れたというのもあるが、こうして晶子が入れた紅茶は日に日に味がまろやかで、喉の通りが良くなっていっているような気がする。

「上手くなったと思うよ、俺は。」
「嬉しい・・・。祐司さんにそう言って貰えて。」
「どうして?」
「だって祐司さん、良いものは良い、悪いものは悪いってはっきり言い分けるタイプだから・・・。」

 俺ってそんなタイプなんだろうか?自分では分からないが・・・。
確かに練習のときは問題点を見つけると即座に指摘して直すように指導するけど・・・。
それも最初の頃は厳しいというより粗を見つけてそこを叩くというような感じだった。
 落ち着いたところで、これからの身の振り方を考える。
今日は家に寄らずにそのまま晶子の家に着たからギターやアンプを持ってきていない。だから練習は出来ない。
今から取りに帰るのは面倒だし、晶子にも二度手間を強いることになる。
かと言ってコンサートまであと少しと迫った今、長時間練習できるこの日を逃すのはあまりにも勿体無い。
晶子のヴォーカルだけチェックしても。自分と一緒にステージに立つのだから自分もギターを弾いていないと感覚が掴めない。
 それに・・・自分の気持ちもはっきりさせなければならない。
近いうち、智一が万全の準備を背景に晶子にアタックしてくるだろう。
コンサートに出ることが決まっているからまず断られると思うが、そのアタックが晶子の心に何らかの影響を与える可能性は否定できない。
心の傾きなんて不変のものじゃないってことは、俺自身思い知ったことだ。
そうした智一のアタックを受けていくうちに、晶子の心の傾きも変わってくるかもしれない。
また逃すのか?ほんの少しの勇気が足りなかっただけで・・・。
そんなわけにはいかない。絶対そんなの御免だ。ならば・・・。

「・・・晶子。」
「はい?」
「今から・・・俺の家で練習しないか?」
「・・・祐司さんの家で・・・ですか?」
「ああ。コンサートの本番も間近だし、今日は練習しておいた方が良いかと思ってな。」

「・・・。」
「べ、別に家に連れ込んでどうこう言うんじゃないから。」

 最後は余分だったか・・・。
晶子が俺の家に来るなんて、前に俺が熱を出して寝込んだとき以来だから、どうしてもその辺を意識してしまう。
何せ前は・・・健常な状態だったら思わず抱き締めたりしてたようなことが多かったから・・・。

「そうですね。今は一分一秒を惜しんで練習しておくべきですね。」
「また寒い思いをすることになるけどな。」
「私はそんなに寒くないですよ。祐司さんとくっついてれば。」

 最後の方は声が弾んでいるように聞こえる。俺と二人乗りするときは合法的に密着できるからな・・・。
まあ、俺も悪い気はしないし・・・良いか。

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