20XX年某月某日午前(現地時間)。
アメリガ大衆国の経済、産業のシンボルとも言える建物エンペラー・パブリック・ビルに次々と旅客機が突っ込んだ。
旅客機が突っ込んだのはエンペラー・パブリック・ビルだけではなかった。
アメリガ大衆国最大の軍事基地ハスペル空軍基地、そして巨大なアメリガ大衆国国軍のシンボル的存在である正方形の巨大な建物、通称テトラゴンにも
旅客機がほぼ同時刻に突っ込み、旅客機は木っ端微塵に、建物は大破炎上した。
時の大統領フッシュが居た大統領官邸、通称ブラックハウスには幸い被害はなかったものの、フッシュ大統領は国家非常事態宣言を発令。
直ちに救助、復旧作業に取り掛かると同時に、世界史上例を見ない同時多発テロの実行犯の特定を命じた。
世界の超大国アメリガ大衆国で突如起こった同時多発テロのニュースは、瞬く間に全世界を駆け巡った。
マスコミ各社は1面、社会面全てを使って同時多発テロの瞬間を捉えた写真や映像を配信し、背後関係の推測を書き連ねた。
国際学者や軍事評論家などは、前例のない同時多発テロに驚きの談話を寄せると同時に、背後関係として、ほぼ同時刻に経済、産業、軍事の拠点を
狙ったと見られる今回のテロに、国際的テロ組織若しくは国連決議を無視して少数民族自治地域へ侵攻を続けるイズラヘルへ軍事支援するアメリガ
大衆国に恨みを抱くイズラム過激派を上げた。
テロ発生現場では懸命の救助、復旧作業が行われたものの、膨大な瓦礫と火災に阻まれ、思うように作業が進行しないでいた。
救助に当たっていた消防隊長が、轟々と火炎と煙が上る現場で大声で呼びかける。
「誰か居ないかー!」
「・・・。」
「隊長!これ以上踏み込むのは危険です!火災ガスによる中毒の危険性があります!」
「そんなことに構ってられるか!こうしている間にも被災者が死んでいっているのかも知れんのだぞ!」
「隊長!」
消防隊長は部下の制止を振り切って、黒煙が立ち上るエンペラー・パブリック・ビルがあった、噴火直後の火山のような様相を呈する現場の奥深くヘ
進行していく。部下達も躊躇したものの、人命救助を最優先する隊長の姿に感銘し、その後を追う。
懸命の救助作業が行われたにも関わらず、完全に瓦礫の山と化したエンペラー・パブリック・ビルから生存者を探し出す作業は困難を極めた。
消防隊員が危惧したとおり、火災に伴う有害ガスによって多数の隊員が倒れ、ようやく発見された数少ない生存者と共に病院へ搬送される事態となった。
丁度出勤時刻だったため、エンペラー・パブリック・ビルに入居している企業に勤める家族を持つ家庭の人々は、臨時ニュースや爆発音で惨劇を知り、
家族の写真を持って消防隊員に家族の安否を問い合わせるものの、こんな状況では一人一人の安否を確認する余裕はない。
まさかの惨劇で家族が瓦礫の山に消えた家庭の人々は皆悲嘆し、消防隊員に一刻も早い救助を要請し、危険と隣り合わせで救助活動を続ける消防隊員と
もみ合いになる一幕も随所で見受けられた。程なく国内各地からボランティアが駆けつけ、各被災地での救助作業や瓦礫の撤去作業などに汗を流す。
世界の超大国と自他共に認めるアメリガ大衆国を襲った同時多発テロは、大統領フッシュの怒りを沸騰させるには十分すぎるものだった。
元々国粋主義が蔓延(はびこ)るアメリガ大衆国で、世界最強を誇る軍隊が防げなかったばかりか、その司令部であるテトラゴンまでテロの標的にされた
ことで、フッシュ大統領は緊急の記者会見で怒りをぶちまけた。
「今回の同時多発テロは、我がアメリガ大衆国を狙った到底許せない大規模な国家的犯罪である!アメリガ大衆国は全身全霊を尽くしてテロ指導者の
行方を掴み、制裁を加える!そのためには如何なる選択肢もありうる!」
フッシュ大統領の一見毅然とした態度の演説に、アメリガ大衆国国民のみならず、世界各国の大半の首脳が賛同の意を表明した。勿論、マスコミ各社も
「フッシュ大統領、テロ組織へ宣戦布告」などと威勢の良い見出しを付けてこの演説を配信した。
しかし、この演説には大きな危険が含まれている。
犯罪者、ましてや無差別に市民を襲ったテロの指導者が許せないのは当然の感情である。だからと言って自分達で制裁を加えることは国際法上許され
ない。幾ら残虐非道な犯罪であっても、それを裁くのは国際法に則った刑事訴追によってのみである。
しかもフッシュ大統領は「制裁」のためには「如何なる選択肢もありうる」と公言した。如何なる選択肢の中に様々な兵器、特にその時の破壊力のみならず
何世代に渡っても影響を及ぼす核兵器も存在する。核兵器は、保有国が明確な期限を以って全廃することが国連の場で圧倒的多数で議決されている。
にも関わらず核兵器の使用まで「選択肢」に加えたということは、テロ撲滅に乗じて核廃絶へ向けた国際的潮流に逆らうものである。
しかし、同時多発テロを受けたことで、世界最強、超大国の面目は丸潰れになったということしか頭にないフッシュ大統領に、そんな理性的な、フッシュ
大統領にしてみれば悠長な論理はとても受け入れられるものではない。頭に血が上った国粋主義国家の指導者は、ただ国家、即ち自分の面目を潰した
テロ組織を叩き潰すことしか眼中にないのである。しかし、この問題点を取り上げた報道機関はごく少数であり、事態の緊迫性、重大性の前にかき消されて
しまった。
フッシュ大統領は同じ記者会見で背後関係について問われた際、国際テロ組織バルガイダの存在を上げた。
国際テロ組織バルガイダ。それはコンピュータやハイテク装備を駆使した国際テロ組織のネットワークとして名高く、アメリガ大衆国が「潜在的脅威」として
敵視している国家に潜伏し、世界の過激派やテロ組織と連携してテロを引き起こしていると言われている。
「我がアメリガ大衆国はバルガイダを追い詰め、根絶やしにする!テロ組織をかくまう国家もテロ組織と同様だ!」
フッシュ大統領はこうも言ってのけた。この発言の背景にも重大な危険が含まれている。
如何なる国家であれ、領土保全、主権尊重が存在するのが国際法であり国連の理念であり、テロ組織と同一視して国家体制の転覆を提唱したことは重大だ。
過去にもアメリガ大衆国は、国連でも国際法違反との非難を受けた国家体制転覆のための内政干渉を公然と行っており、更には自国に有利な国家体制で
あれば軍事政権であろうが非民主的政権であろうが、軍事、経済援助を行い、逆に自国に不利な国家体制であれば軍事威嚇、経済制裁も当然との態度を
取ってきて、世界各国やNGOなどから度々批判を受けている。
しかし、今回の同時多発テロという前代未聞の事件を背景にしたフッシュ大統領の演説はアメリガ大衆国の国民のみならず、世界各国の首脳やマスコミ
各社の好評を受け、フッシュ大統領は記者会見の最後を「テロと自由との戦いだ」と締めくくった。
テロとの戦いは良いだろう。しかし、そこに「自由」という枕詞を充てて良いものなのか。その問題に切り込んだ報道機関はほんの一握りで、アメリガ
大衆国支援、同調が大勢を占める論調の前には無力だった。
捜査が進むにつれて、同時多発テロの背景には国際テロ組織バルガイダの存在があること濃厚になってきた。
各現場に突っ込んだ旅客機から回収されたブラックボックスからテロリストに乗っ取られた様子が判明し、更にそれらテロリストが、「アメリガを潰せ」
「アメリカに神の審判を」などという言葉を高らかに叫んでいたことが明らかになった。
これらを受けてフッシュ大統領は、今回の同時多発テロを国際テロ組織バルガイダの犯行と断定、国内に潜伏すると見られるメンバーの身柄拘束と
「自由の槍」作戦と銘打った報復への準備を指示した。
その結果、アメリガ大衆国内部で歪みが生じ始めた。
アメリガ大衆国に在住する有色人種、とりわけバルガイダの指導者とされるウザイ・カン・ラドンが信仰するとされるイズラム教信者やそれを事実上の
国教とする出身者に対して、警察が微罪逮捕や別件逮捕を行い、バルガイダとの関係を執拗に問い質す、否、関係を念押しするような取調べが横行する
ようになった。
その上、白色人種による有色人種、特にイズラム教圏国家出身者に対する嫌がらせが日常化し、店や自宅への投石、放火、果ては銃殺といった明白な犯罪
行為に発展するようになり、被害者が警察に訴えてもまともに相手にされないばかりか、バルガイダとの関連を問い質される事態が続発した。
少なくとも建前上は「自由と民主主義の国」を標榜してきたアメリガ大衆国の深部にある白人優位主義、排他主義が表面化した格好だ。
しかし、この問題点を突いた報道機関は殆どない。世界の超大国アメリガ大衆国で起こった事件、しかも同時多発テロという前代未聞の事件の背後関係
などを考察することに熱中して、本来なら重大な人権侵害であるこれらの出来事は黙殺されたのだ。
時に人権を無視した捜査の結果、同時多発テロの実行犯は国際テロ組織バルガイダのメンバーであると断定された。更に世界各国に派遣されていた
捜査班が、バルガイダのメンバーがアメリガ大衆国を標的にテロを起こすという連絡を取り合っていたことが明らかになった。
拘束されたバルガイダのメンバーの供述により、バルガイダの指導者ウザイ・カン・ラドンが中東アジアの一国、ハルガニズタンの山岳地帯のアジトに潜伏
しているらしいということがフッシュ大統領に報告された。
フッシュ大統領はこれら捜査の進展を受けて緊急演説を行い、国際テロ組織バルガイダの一掃のため、ハルガニズタンへの軍事攻撃を行うと表明した。
「我々は『自由の槍』作戦によって、憎き国際テロ組織バルガイダを根絶やしにする!ウザイ・カン・ラドンを神の名に基づいて抹殺する!」
このフッシュ大統領の演説を受けて、早速同盟国や近隣諸国が動くと思いきや、事態はそうは進まなかった。
捜査の結果、同時多発テロの実行犯が国際テロ組織バルガイダのメンバーだと断定したのは別として、ウザイ・カン・ラドンがハルガニズタンに潜伏して
いるという供述の確証は何一つ得られていない。単に「らしい」という段階に過ぎない。幾らアメリガ大衆国の同盟国といっても、そんなあやふやな情報を
元に他国に軍事攻撃を加えることには二の足を踏んだのだ。しかし、頭に血が上ったままの世界の超大国の大統領は、そんな同盟国や近隣諸国の態度に
業を煮やして演説を繰り返す。
「我がアメリガの同盟国は、次に国際テロ組織の標的になっても良いというのか?!自国民を犠牲に晒す気か?!」
「今動かなければバルガイダは勿論、ウザイ・カン・ラドンを取り逃がしてしまう!奴らを野放しにするつもりか?!」
一見正論を言っているように思えるフッシュ大統領の演説は、大きな問題を孕んでいる。
テロの標的になるのは、テロリストがその標的に対して何らかの憎しみを抱いていたり、以前仲間を殺されたことに対する報復のためである。
テロが起こるのはテロリストの憎しみの対象、アメリガ大衆国に限って言えば、国連諸決議を無視して少数民族自治区に侵攻を続けるイズラヘルの無法を
容認、支援する一方で、少数民族の独立運動に弾圧を加えるためにその国の軍隊を訓練するなどという二重基準−ダブル・スタンダード−が問題の根底に
あり、それを正さない限りテロは増えることはあってもなくなることはない。
テロは言うまでもなく、如何なる理由があろうと許されるべきものではない。関係者は厳しく処罰されて当然である。しかし、テロの標的となったのは
何故か、自分の足元を省みないことには事態が改善しないどころか、テロと報復の悪循環を生むだけである。
もう一つ問題なのが、「らしい」という曖昧な情報を事実と断定し、他国に軍事攻撃を加えて良いのかということだ。国連憲章で軍事行動に訴えて良いと
されるのは、自国に対して明らかな軍事侵略が行われた場合の自衛的反撃か、国連安全保障理事会が認めた場合に限定されている。それは、一国の
勝手な判断で他国の主権や領土が侵害されるという事態を防ぐためであり、二度の悲惨な世界大戦を経て世界がようやく構築した、世界秩序の根本を成す
重要なルールでもある。
アメリガ大衆国は確かにテロ攻撃を受けた。しかし、それ以後明白な軍事攻撃を受けてはいない。自衛権を拡大解釈することは許されないのだ。しかも、
テロ組織の指導者がいる「らしい」国に報復ということになれば、その国に住む何の関係もない国民が巻き添えになるのは避けられない。しかし、超大国、
そしてその国の大統領としての面子を潰されたと思い込んでいるフッシュ大統領の頭には、そんなことに思考を巡らす余地はない。
「世界は今こそ、テロ撲滅に向けて一致団結すべきだ!」
「野蛮なテロ組織を野放しにしておくことは、新たな犠牲者を生む危険性を放置することと等価だ!」
このような調子で繰り返されるフッシュ大統領の演説に加え、アメリガ大衆国は同盟国や近隣諸国に外交圧力を加え始めた。もはや演説だけでは埒が
あかないと判断したためだ。しかし、そんな外交圧力がなくとも、率先してアメリガ大衆国の「テロ撲滅方針」に支持を表明した国があった。極東アジアの
島国、弐本である。
弐本は同時多発テロ発生直後にフッシュ大統領に哀悼の意を表明し、国会ではアメリガ大衆国のいう「自由の槍」作戦を支援すべく、動き始めていた。
太平洋戦争後に弐本を占領したアメリガ大衆国が反共の防波堤とすべく、弐本の右翼軍国主義勢力と協力して育て上げた軍隊、戦略自衛隊。
弐本は憲法で戦争放棄、交戦権の否定を謳っている。しかし、右翼軍国主義勢力にとってこれほど邪魔な文章はない。これまで自衛権を名目にした戦略
自衛隊の拡大を繰り返し、改憲そのものまで目論んできたものの、その目論見は成功しないでいた。そんな状況下で同盟国−安全保障と銘打ってはいる
ものの、実質は軍事同盟だ−で発生した同時多発テロを見逃す筈がない。弐本政府は先に強行成立させた「周辺事態法」を根拠に、「弐本周辺で弐本の
主権を脅かす存在がいる」と唱え、「テロ対策特別措置法」を国会に提出した。
しかし、「テロ対策特別措置法」はテロ対策を名目にしているものの、内容はアメリガ大衆国の軍事行動を支援するために戦略自衛隊を派兵出来ると
いうもので、これを見抜いた共同、社会民主両党が激しく反対した。
「この法律は、周辺事態法で出来なかったアメリガの直接軍事支援を出来るようにする、違憲立法に他ならない!」
「テロ対策というが、日本がテロの標的になるのは、アメリガの無法な軍事行動に手を貸した時ではないのか!」
しかし、これら反対意見は国会内部、そしてマスコミによって封殺され、「テロ対策特別措置法」は与党の他一部野党も賛成して成立した。その審議時間は
10数時間。憲法に関わる法律を審議するにしてはあまりにも短い時間である。
弐本の「準備」が整ったのを受けるかのように、フッシュ大統領は「自由の槍」作戦の決行を軍隊に指示した。この作戦にはアメリガ大衆国の外交圧力に
屈した国やアメリガ大衆国の同盟国という立場上やむなく参加した国に加え、わざわざそのための法律まで整備して加わった弐本も含まれている。
弐本は「テロ対策特別措置法」に基づき、「テロ対策のため」と堂々と宣言して戦略自衛隊の艦船を派遣した。アメリガ大衆国をはじめとする多国籍の軍隊は
インド洋沖に集結した。
「我がアメリガ大衆国は多数の同盟国の支持を受け、ここに『自由の槍』作戦の実行を宣言する!」
フッシュ大統領の威勢の良い演説を受け、アメリガ大衆国所有の航空母艦から続々と戦闘機が離陸していく。そして陸上からは、ウザイ・カン・ラドン
暗殺の極秘司令−表向きには「身柄確保」となっている−を受けた特殊部隊が続々とハルガニズタンへ上陸する。
こうして、陸と空から、国際テロ組織バルガイダ殲滅へ向けた報復戦争が始まった。長年の他国侵略と内戦で疲弊していたハルガニスタンは、今再び
他国の手によってその大地に国民の血を染み込ませることになった。
しかし、一部を除いて、テロ組織撲滅と今回の報復戦争との関連を指摘、批判する報道機関はない。「大本営発表」によって配信される国際紛争、否、
軍事攻撃が、親も同じ経験をもつ一国の大統領の元で繰り広げられる・・・。
戦争の惨禍を生み出すのは、何時も野望や執念を抱いた一握りの人間である。しかし、その惨禍は激しく、酷い。