女性帝国

written by Moonstone

〜この作品はフィクションです〜
〜登場人物、団体などは実在のものとは無関係です〜

第1章

「『彼女達』がやって来る」。

 この知らせが届くや否や、陣和興産本社ビルに緊張の空気が瞬く間に広がる。
いや、正確に言うと緊張感の広がり具合は一様ではない。
男性社員は管理職は勿論、役員クラスまで落着かない様子でそれまでの仕事を中断し、身辺の再点検を行う。
抜打ちで行われる「彼女達」の来訪−男性社員には「来襲」というべきか−の前には、事前の入念な点検が欠かせない。
引き出しを開け、パソコンの内容を確認し、書類や雑誌が乱雑に積まれた机は勿論、ロッカーも点検を怠ってはならない。
何せ、「彼女達」の点検は隅々にまで及び、一切の弁解を許さず、その判断は非情の一言だ。
管理職から浴びせられるノルマ関係の叱責や、人事部が発する異動命令など、「彼女達」の判断に比べれば天使の囁きに等しい。
 総務部に置かれた「彼女達」の対策部署は文字通りビル全体を駆け回る。
談話室、社員食堂、トイレといった共同空間は勿論、普段は社員が立入るはずのない機械室や屋上、そして誰も気に留めることもない名もない小さな
部屋にいたるまで、その内部を隅々まで引っ掻き回して「問題点」がないかどうかを確認してまわる。
「問題点」が見つかれば即座に回収し、携帯用シュレッダーで寸断した上で手持ちのライターやマッチで焼却処分しなければならない。
何せ、「彼女達」の「問題点」への憎悪は凄まじいの一言に尽きる。
「問題点」を「彼女達」の目に触れさせることは、即ち「処分」の対象となるのだ。
 一方、女性社員は平然と、中には見下すような視線で男性社員の焦り、慌てる様子を眺めている。
別に仕事をするわけでもなく、ただ、菓子やジュースを啄ばみ、雑誌を読み、同僚と話し込んでいる。
というより、これが女性社員の日常なのである。

「ほらほら、また男供が慌ててるわよ。」
「普段からの心構えがなってない証拠ね。」
「こういうところも評価に加えてもらえないかしらねぇ。」

 煎餅を齧りながら、不満そうに顔を歪めながらひそひそと話す。
別の女性社員のグループは、互いに嫌そうな素振りを見せながら−実際は見せたいのだが−手帳を見せ合い、時折男性社員と手帳の中身を
見比べながら、驚いたり羨ましがったり、或いは露骨に不快そうな表情を作る。
この光景は「彼女達」が来訪する際にしばしば見られる。
この手帳の内容もまた、男性社員には恐怖の対象である。
 女性社員達は常に不満を感じている。そしてそれを解消する手段を持っている。
それが「彼女達」が来訪するこの時なのだ・・・。

「『彼女達』がやって来た」

 その知らせが届くや否や、陣和興産本社ビルに漂う斑な緊張感がピークに達する。
正面の自動ドアが開き、一様に眉を吊り上げた女性の一団が入って来る。
皆、厚手のファイルを抱え、頻りに視線だけが動いて辺りを見回している。
そして左腕には濃い目のピンクに白色で「女性の権利擁護委員会」と書かれた腕章を付けている。
この腕章を付けた一団こそ、男性社員が恐れ戦き、女性社員が待ち侘びる「彼女達」である。
 社長が人事部長他役員クラスを従えて、一団を愛想笑いと共に出迎える。
内心では既に容量の限界に達した冷や汗が、全身に吹き出る機会を窺っている。

「これはこれはようこそ。遠路お疲れ様です。」
「挨拶は結構。早速点検に入ります。」

 先頭の女性は社長の営業的な挨拶を意に介さず、さっさと歩き始める。
それに一団が続き、それから数m程の距離を置いて社長達が続く。
一団は1階からくまなく点検してまわる。勿論、「問題点」を引き摺り出すためだ。
ロビーに置かれたソファの裏側、観葉植物の鉢植えの下、壁や天井と、点検は入念に行われていく。
社長達は緊張した面持ちでその様子を見詰めている。
 点検が終わると、一団は携帯していたファイルに何かを記録する。
一団はそれからトイレ、談話室、機械室などをそれこそ隅々まで点検に回る。
吊り上ったままの眉は、「問題点」を狙っているというより、「問題点」が出て来るのを望んでいるようにも見える。
 いよいよ各部署のオフィスへと点検の舞台が移る。
先頭の女性が「総務部総務1課」のドアを開け、続々と中に入る。
男性社員は隅の方で緊張感で強張った表情で、女性社員は拍手で出迎える。
 一団は「点検待ち」と書かれた小さな旗がCRTの上に掲げられた机に手分けして近付く。
そして遠慮なく引き出しを開き、無造作に引っ掻き回す。
それが済むとファイルに記録して、パソコンで「ファイルを検索」を実行する。
少しの間の後表示されて来る画像ファイル、文書ファイルを一通りチェックしていく。
それが済むと「点検待ち」の旗を倒して、やはり「点検待ち」の旗が掲げられたロッカーへ近づき、徐にドアを開け、またも中身を引っ掻き回す。
ハンガーに掛けられていた上着のポケットも、バッグの中身も勿論、点検の対象である。
 全ての点検が終了するまで約1時間。
その間、鳴った電話は手持ち無沙汰の女性社員が適当に処理する。
「適切」ではない。「適当」に、である。
一団はファイルに記録すると、女性社員達と同じ様に不満そうに小さく溜め息を吐く。
一団もまた、常に不満を抱えている。そしてそれを解消する手段を持っている。
内心ほっとしていた男性社員は、これからが「本番」であることを思い出して緊張感を再び背負わされる。

「・・・所持品点検は終了です。では、権利侵害に関する報告がありましたらどうぞ。」

 一団の一人が言うと、女性社員が続々と手帳を持って一団に歩み寄る。
差し出される手帳を一団は手分けしてその内容を見る。

「・・・はい、そうですね。」
「・・・貴方には拒否の意識があったんですね?」
「・・・これについてもう少し詳しく。」

 小声で話す内容が僅かに男性社員にも聞こえて来る。
それだけでも神経を掻き毟られ、引き千切られるような感覚を覚える。
 暫く後、女性社員達が手帳を戻されて一団の脇に立つ。
一団と共に男性を見詰めるその視線は、勝利と侮蔑に満ちている。

「大北、鈴見、川霧。この3名について女性から権利侵害の告発が有りました。」
「な、何だって?!」
「ど、どうして俺が!」
「この3名を女性保護と権利侵害防止法の『女性に対する不快感防止義務』違反で連行します。」

 一団の中から数名と女性社員達が、男性社員の集団へ歩み寄る。
女性社員達が指差した3名の男性社員を、一団の代表者が集団から引っ張り出す。
そしてバッグから強化ゴムと手錠という拘束具を取り出し、3名を次々と後ろ手に縛る。
彼らは抵抗しようにも出来ない。
抵抗しただけで「点検執行妨害」、抵抗の際に万が一にも暴力を振るわれたとされれば−暴力かどうかを判断するのは「彼女達」だ−、
「暴力禁止義務違反」という最も重い罪が待っている。

「ちょっと待て!どうして俺が違反なんだよ!」

 「違反者」の一人、鈴見が叫ぶ。
彼には勿論、違反者として連行される覚えなどない。

「原川さんから、意志がないにもかかわらず食事に行くことを強要された、という告発を受けました。」
「そ、そんな馬鹿な!食事に連れて行けといったのは彼女だぞ!俺は高級レストランでバカスカ食われて散財したんだ!」
「貴方は自分の罪を女性に押し付けるんですか?男のくせに情けない。」
「本当だ!ちょっとはこっちの言うことを信じろ!」
「・・・女性への責任転嫁、並びに女性侮辱・・・。懲役は確実ね。」

 鈴見は歯をぎりぎりと軋ませる。その怒りの視線を受ける「告発」の当事者、原川は見下ろすように勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
正しいのは鈴見の主張である。
半月程前、帰り際にいきなり原川から「食事に連れて行って」と持ち掛けられた。
鈴見は、これまで女性から声を掛けられたことなどない。
お世辞にも容姿が人より優れているとは言えないから無理もない、と鈴見自身が当然視していたのもあるが、何より迂闊に女性を食事に連れて行くと
どうなるかを噂で聞いていただけに、驚きや嬉しさより疑問や不安が先に出た。
友人と待ち合わせがあるんだ、とやんわり断った鈴見に、原川は鼻で笑いながらこう言った。

「何よあんた。男のくせに女の子一人食事に連れて行けないの?甲斐性ないわねぇ。」

 プライドを傷付けられた鈴見は渋々OKしたが、原川は行き付けの店という高級レストランへ赴き、定番のメニューとか言いながら鈴見が今まで
口にしたこともないようなメニューを次々注文しては食べていった。
その後ホテルは勿論、バーや居酒屋に出かけたわけでもない。
数万円の散財の翌日、原川が友人達に昨日○○で食事したと自慢げに語っていたのを聞いた。
それだけだ。どれだけ記憶の糸を手繰り寄せても思い出せるのはそれだけだ。
なのに「不快感を与えた」と言われ、挙げ句の果てに「食事に行くことを強要された」とまで決め付けられれば、怒って当然だろう。

「俺の違反理由は何だよ!」

 もう一人の「違反者」である大北が言うと、驚くべき返事が返って来る。

「宮尾さんから、私の気持ちに応えず、精神的に多大な負担を強いられた、という告発を受けました。」

 大北の場合はこうだ。
かなり前−前回の点検より前だった−宮尾からいきなり付き合ってくれ、と告白された。
当然大北は驚いた。これまで話したこともなかったどころか、その前まで部署も違ったのだから。
大北は交際中の相手が居ることを話し、その告白を最大限丁寧に断った。
それだけだ。どれだけ記憶の引き出しを引っ掻き回しても思い出せるのはそれだけだ。
なのに「不快感を与えた」と言われ、挙げ句の果てに前回の点検でも告発しなかったことを「精神的負担を強いられた」といきなり告発されてはかなわない。

「じゃあ!じゃあ私の違反理由は何なんだ!」

 もう一人の「違反者」川霧が叫ぶ。彼は総務1課の課長である。

「貴方は複数の女性から、態度について口五月蝿く注意された、些細なミスで不当に厳しく注意され、精神的に深い傷を負った、と告発を受けています。」
「な、そ、それでか?!」
「傷付き易い女性に頻繁な攻撃を行ったことは重大ですね。厳罰を覚悟なさい。」

 川霧は愕然とする。
分担した仕事もせず−その量は男性社員の10分の1程度だ−、茶菓子を啄ばみながら大声で談笑している女性社員に、仕事をしている社員の迷惑に
ならないよう、声量を絞って下さいと幾度となく懇願したのは事実だ。
でたらめな計算結果が原因で経理に厳しく注意されたことと、今後十分注意して欲しいと丁寧にお願いしたことも事実だ。
それだけだ。どれだけ記憶の広大な大地を掘り返しても思い出せるのはそれだけだ。
なのに「不快感を与えた」と言われ、挙げ句の果てに「精神的に深い傷を負った」とされたら、何もせずに野放しにしておけというのだろうか?
 3人のできる限りの抗議も全く聞き入れられることはない。
代表であろう女性が顎をしゃくると、女性社員達が「違反者」の背中を蹴って連れ出していく。
晴れやかな女性社員達とは対照的に、男性社員は悔しさと怒りを隠し切れずに俯いて唇を噛み、ぎゅっと拳を握る。
どれだけ理不尽でも、どれだけ不当でも、男性社員達は「違反者」を黙って見送ることしか出来ない。
何故なら、女性達の主張や判断は絶対正しいのだから・・・。
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