Saint Guardians

Scene 11 Act3-3 混迷-Confusion- 渡航前の交錯と思案

written by Moonstone

 ルイは一礼してリルバン家執務室から退室する。ドアが静かに閉じた後、フォンとロムノは胸を撫で下ろす。ルイが招聘されるのではなく自ら執務室を訪れる
のは恐らく初。そうしてまでルイが伝えたことが「聖地ハルガンでの任務を終えたら一度帰還する。それまでリルバン家継承の回答は保留したい」だった
ことは、フォンとロムノの懸案を大きく先送りするには十分だ。
 アレンとの関係への不干渉やリルバン家による確固たる保護を持ち出しても、ルイの態度は変わらなかったどころか硬化の様相さえ呈した。渡航への
カウントダウンが進む中、事態打開の糸口を見出せず苦悩していたところに、ルイの方から問題の先送りの方針が伝えられた。解決ではないものの、
リルバン家とランディブルド王国からの出奔は時間の問題と思われた状況からルイに大きな心境の変化があったと見るのが自然。その要因はある人物と見て
間違いない。

「やはり…アレン殿のお力でしょうな。」
「うむ…。」

 フォンとしては複雑な心境なのは否めない。
自分は1対1の対面すらも警戒心を露わにされるのに対し、アレンは自らアレンの部屋に赴いて2人きりになり、心の奥底まで曝け出す。自分とアレンが一字
一句同じことを言ったとしても、ルイが耳を傾け受け入れるのはアレンだろう。顔を合わせた時期はアレンとそれほど大きく変わらないのに、対応のあまりの
違いに落胆させられるばかりだ。
 何がルイをそうさせるのかと問えば、信頼の違いはさることながらアレンに対してのみ存在する恋愛感情だと言わざるを得ない。親としては存在しえない
感情も背景にしたアレンへの篤い信頼が、リルバン家の問題についての進言や提案を受け入れる唯一の窓口を構成している。アレンと引き離すことは
すなわちルイのリルバン家と王国との絶縁を呼ぶことは容易に想像出来る以上、アレンを含めずして問題の解決はあり得ないと見なければならない。年頃の
娘を持つ男親としては何とももどかしいが、厳然たる事実であることは覆せない。

「ルイ様とアレン殿は、語弊を恐れずに申し上げるなら一体の関係にあられます。ルイ様を後継と位置づけられるなら、アレン殿も含めて検討や交渉を行わ
なければなりますまい。」
「…イアソン殿もそのようなことを言っておられたな…。」
「ルイ様をリルバン家にお迎えする唯一の課題は、アレン殿をどのようにリルバン家にお迎えするかということかもしれません。」

 ロムノの展望はイアソンも言及したことだ。
ルイをリルバン家に迎えるには幾つかの課題がある。私生児、しかも母は故人であることが、正室側室問わず婚姻の上で出生した嫡子であることが当主
継承の前提である一等貴族における最大の懸案事項だ。しかし、これらは一等貴族当主と教会幹部、更には国王も解決に向けて最大限の協力を約束して
いる。立場や思想の相違はあれど、新たな後継候補に期待するよりルイを次期リルバン家当主に据えるのが最適であるとの考えは一致している。言わば
ランディブルド王国の国家中枢が総出で協力するのだから、強硬派の二等三等貴族を沈黙させつつ課題を解決するのは大して困難ではない。
 それより、一介の外国人であるアレンを娘婿として迎えるのが困難だ。王国中枢の誰からの招聘もなく、遠い異国から何時終わるか知れない旅の最中に
偶然入国した若者、しかもその異国とは調べた限り国交はなく−あったとしても国王一族が全滅して政権も「赤い狼」が掌握した以上継続したかどうかは
不明−、その国の国王や貴族の一員でもない、ごく平凡な農民の子息であるアレン。ルイの婿としてリルバン家に迎えようとしても、こればかりは他の一等
貴族などから異論や反対が噴出するのは避けられないだろう。
 過去に農民出身の側室が産んだ子どもが当主を継承した事例はあるが、それはシルバーローズ・オーディション本選の上位入賞者である女性の話。娘婿と
して迎えた男性が異国の高貴な血統でなかった事例は、調べた限り存在しない。
 建国神話まで遡る歴史を有することで、一等貴族当主継承にはどうしても前例主義が付きまとう。前例がないことを実施しようとすれば激しい反対に遭う
のは必然であるし、妨害も覚悟しなければならない。しかし、側近中の側近であるロムノも、オーディション本選前にはルイの安全保障に尽力し、最近は
王国に迫っていた悪魔崇拝者と食糧危機を打破した国家的英雄と言えるイアソンも、ルイをリルバン家に迎えることはアレンを同時に迎えることと同じである
という見解だ。
 ルイが自分に警戒心を露わにするのは、一等貴族当主後継を盾にしてアレンと引き離そうとすることを最大限警戒しているからに他ならない。その意図は
ないと繰り返し宣言しても変わらないのだから、アレンと一体での解決を望まないなら、ルイとアレンが別れることを期待するという消極的な方策しかない。
しかし、交際を始めて10年以上とかならまだしも、まだまだ熱が高まる時期だ。その方策を取るのは望み薄と言わざるを得ない。
 それに、フォン自身ルイとアレンを引き離すことには及び腰だ。年頃の一人娘の交際相手が気になるのは男親ならではの感情だが、アレンと引き離せば
ルイがリルバン家継承に本腰を入れるとは到底思えない。それは取りも直さず、かつての自分の二の舞にはしたくないという思いがあるからだ。
 やむを得なかったとは言え結果的にローズとルイに塗炭の苦しみを齎したことが、現在のルイとの深刻な溝となっている。過去に戻って溝の要因を解消する
のは不可能だ。ならば、やはり自分が矢面に立ってでもアレンと一体でルイをリルバン家に迎えるべく対策を講じるのが最適かつ唯一の選択肢ではないか。
 複雑な心境の中、フォンはルイの帰還後に向けて自らが取るべき態度を見定めていく…。
 ハルガンへの渡航が刻一刻と近づく中、首都フィルの港ではパーティーが乗船する船への物資積み込みが大詰めを迎えていた。
ランディブルド王国と国交がない国が大半を占めるため、寄港先は限られる。その上赤道を超えて南半球の深くに及ぶ長旅になる。食料と真水は多めに積載
しておくに限る。ルイとクリスを加えたことで、パーティーは総勢8人となった。人数はむしろ少数だが、今回はルイの強い意向でパーティー以外は乗船
しない。本来数十人規模が乗船可能な船は、物資に埋め尽くされていく。

「何だか…、いよいよって感じだね。」

 燦々と日差しが降り注ぐ中、アレンは自分も乗る船が横付けする桟橋をカフェテラスから一望している。その向かい側には勿論ルイが居る。

「船に乗るのは久しぶりだから、船酔いがちょっと不安かな。慣れてしまえばどうってことないんだけど。」
「私は船に乗るのは初めてですから、船酔いが不安なんです。」
「良い薬があるそうだから、後でシーナさんに聞いてみるよ。」

 カフェに事実上の一等貴族後継が異性と2人きりで語らうのは、ゴシップ記事を得意とするマスメディアが存在しない−したとしても即座に発禁と関係者が
厳罰に処されるだろうが−この世界でも、存在が知れれば好奇の視線に晒されるし、賊に狙われる危険を孕む。しかし、アレンとルイはリルバン家邸宅から
出るにあたって少し服装や髪形を意識して変更している。どちらも市民が着るような平服で、アレンは帽子を被り、ルイは髪を後ろで纏めて前に回している。
 ルイの髪型は、この世界では散髪や手入れなどに費用をかけられない階層の女性がするものだ。平服でこの髪型だともっさりした印象になる。加えて、
アレンはややゆったりした服装にしている。元より少女的な顔立ちでこの服装だと、ボーイッシュな少女という印象になる。写真がなく、人相や出で立ちの
伝搬はドローチュアか口コミしかないこの世界では、これだけ風貌が変われば当人を知る者以外は識別出来なくなる。
 渡航まであと3日だし、今後はこうしてゆったり街を巡ったり出来ない恐れもある。詳しい情報が少ない南半球、しかも状況が全く不明なハルガンへの渡航の
前に、もう一度外でルイとデートらしいことをしておきたい。ルイがフォンに任務完了後の一時帰還と後継問題への回答の保留を伝えた後、そう思った
アレンはルイを誘った。フォンとの親子関係のあり方を思い悩んでいたところに羅針盤となったアレンの誘いをルイが断る筈もなく、相談の末今回の服装で
リルバン家邸宅から出た。
 デートの服装にしては一風変わっているが、アレンもルイもただ浮かれるだけではなく、3日後に控える一大事業への一歩を意識している。その直前に
事業と無関係な厄介事を抱え込むわけにはいかない。無駄なトラブルを未然に防ぎつつデートを楽しむには、着飾ることの優先度を下げるべきであること
くらい分かっている。
 フィルの町はオーディション本選終了後にドルフィン・シーナ以外の面々と出歩いたことはあるが、意外にも2人きりでは初めてだ。ルイの国王や国家中央
教会総長との謁見があったし、フィリアの牽制や妨害があった。正式に交際を始め、ルイのヘブル村への一時帰還を経てアレンが公式にルイが好きだと宣言
したことで、2人きりで外出する心理的・人間関係的環境は整った。かなり出遅れた感は否めないが、2人きりのデートが出来ればアレンとルイは満足だ。
 勿論、2人の及び知らないところではロムノの指示によりリルバン家の私設部隊が周囲に目を光らせている。こちらも平服で剣も所持していないが、
ドルフィンやクリスと同じく肉弾戦を得意とする者が選抜されている。

「前に世界地図で教えてもらったのを憶え違えてなければ、アレンさんも山間の村の出身なんですよね?」
「うん。俺もつい最近まで村を出ることはなかったから、初めて海を見て船に乗った時は、別の世界に行くんだって気持ちが強かったよ。」
「海の向こうには別の国があって、別の人々が暮らしている…。当たり前のことですけど、世界が広いってことを感じますね。」
「この国に来るために結構長い時間船に乗ったけど、まさか次は赤道を越えて南半球に赴くなんて思わなかったな…。」
「私も、聖地ハルガンに赴く機会を得られるとは思いませんでした…。つい二月三月前まで、村を出ることすら想像だにしませんでしたが…。」
「不思議だよね。何がどうなるかなんて1週間先でさえも分からない。予想していたことが全然違う方向に向かうことも珍しくないし…。」

 アレンとルイは運ばれてきたティンルーを飲みながら語らう。
交易商人や一部の富裕層を除いて、この世界の人々の大半は生まれた土地で育ち、一生を過ごす。カルーダ王国のように魔術研究の一大拠点であったり、
ランディブルド王国のように聖地ハルガンとの定期交流があり、全国的なイベントが大々的に開催される国家はあっても、遠距離を移動する交通手段が
基本的に船しかなく、料金と時間がかかるため、人々の移動はせいぜい近隣の町村くらいに留まる。ランディブルド王国のように聖職者や軍人が全国規模で
異動するキャリアシステムが存在するのは少数派である。
 アレンもルイも、つい1年ほど前は毎日見る村の風景の中で暮らし続けることを少しも疑わなかった。それがアレンは複数の国を渡り海を越え、ルイは聖地
ハルガンへ王国教会全権大使として渡航を控えるに至った。目まぐるしく変化する情勢は、ついひと月前でも全く予想しなかったことの連続だ。今後
どうなるかなど予想するだけ無駄かと思えてしまう。
 情勢の猛烈な変化は人間関係にも当てはまる。アレンはこのまま半ばなし崩し的にフィリアと結婚するのかと思っていたし、ルイは母の菩提を守りながら
聖職者としてこのまま村で慎ましく暮らすつもりだった。それが同じ言語を話し、キャミール教が生活のバックボーンにあるくらいしか共通項がない遠い異国の
異性と出逢い、交際にまで至った。
 アレンは少女的な外見と自分の理想とする「男性」との乖離に強い劣等感を抱いていたし、ルイは物心つくと同時に始まる激しい迫害と、立身出世と肉体の
成長に連動する欲望を剥き出しにした視線の強まりに、特に男性に強い不信を抱いていた。それぞれ異性と自ら向き合って交際することはないと踏んで
いたが、今では目の前に居る相手なくして自分の未来は考えられない。
 偶然の出逢いが此処まで発展することも全く想像しなかったし、あの出逢いで一気に自分の世界が広がり、更に広がろうとしている。アレンとルイは、少し前
まで想像もしなかった世界を齎してくれた目の前の相手に感謝せずにはいられない。

「…割り込みたい。」
「気持ちは分かるが止めておけ。衆人環視のトラブルになって余計な危険も呼び込む。」

 港が一望出来る2人席で、爽やかで和やかな雰囲気を醸し出すアレンとルイを、私設部隊とは別にやや奥の4人席から見詰める4人−フィリア、リーナ、
イアソン、クリスの目がある。クリス以外はケーキセット、クリスはカーム酒とつまみを注文して、運ばれたものを口にしながらアレンとルイを観察している。
 発端は、執務室から戻ったルイにアレンがデートの誘いをして、ルイが即答で快諾したのをフィリアが目撃したことだ。アレンに悪印象を植え付けるのは
避けたいが、ルイとデートするのを黙って送り出すのは癪だ。悶々としつつ追跡を開始したところをイアソンが目撃し、フィリアの暴走による思わぬトラブルを
防止するために監視名目で尾行することを持ちかけた。
 フィリアが承諾したのを受けて、イアソンはリーナを誘った。イアソンは元々リーナをデートに誘うつもりだったが、まだリーナの心に手が届き切っていない。
しつこく誘うと好転し始めた情勢が一気に元の木阿弥と化す。アレンとルイだからデートスポットを調べて回るという用意周到なことはしないだろうし、揃って
内陸部の出身だし渡航の日が近いから海や港を一望出来るカフェにでも行くだろう。その店には心当たりがあるし、そこにリーナを誘うついでにフィリアを抑止
するという名目なら誘いやすくなる。そう読んでイアソンが誘うと、リーナは意外とすんなりOKした。薬剤師の実技試験対策としての実験は残り時間の関係で
出来ないし、薬草や実験器具の片づけに取り掛かるところだったが、それほど片付けが得意ではないのでリーナは少し憂鬱だった。フィリアはどうでも良いと
して、気分転換にはなるだろうと思ったのが承諾した理由である。
 フィリアと再び合流したところでトレーニングの休憩をしていたクリスと出くわし、イアソンが訳を話すとクリスの方から加わった。休憩がてら外で酒でも
飲みたいというのがその理由だが、アレンとルイ、そしてフィリアを肴にして酒を飲みたいだけだろうとイアソンは思ったものの口にはしていない。

「完全に周りに溶け込んどるなぁ。普通に庶民のデートや。」
「どちらも庶民の出だから、豪華なデート自体肌に合わないんじゃないか?宝石店よりマーケットの方がしっくり来そうだ。」
「あー、それは言えとる。その日のメニューを話しながらマーケットを巡るんがイメージにぴったりやな。」
「…貧乏くさい。」
「アレン君と同郷のフィリアが言うことやないで。」
「五月蠅い。酔っ払い。」
「ふられた腹いせに他人に絡むあんたの方が、よっぽど酔っ払いよ。」

 殆ど常時アレンとルイに刺すような視線を向け続けるフィリア。アレンとルイの様子など素知らぬ顔でマイペースでケーキを食べるリーナ。フィリアを監視
しつつ時折リーナに視線を向け、更に周囲にも目を配るイアソン。アレンとルイを見物しながら酒を楽しむクリス。4人の特徴が今回も如実に表れている。
ただ、偶にリーナがアレンとルイに顔の向きは変えずに視線だけ向けることがあるのが、これまでと異なる。
 そもそも、これまでなら他人のイチャツキに付き合う趣味はない、などとしてイアソンの誘いを一蹴しただろう。それ以前にイアソンの誘いを応諾することすら
なかっただろう。リーナの僅かな変化を感じ取れるのは、今のところイアソンのみだ。

「それにしても、あたしが船に乗って聖地ハルガンまで行くことになるとはなぁ…。人生何が起こるか、分からへんもんや。」
「クリスもハルガン渡航は初めてか。」
「聖地ハルガンへはなかなか行けへんでな。お金の問題もあるし、時間の問題もある。上級幹部候補の聖職者以外やと、一線退いた金持ちとか、暇と金
持て余しとる二等三等貴族くらいしか行けへんよ。」
「宗教には聖地がつきものだけど、聖地に行って何をするわけ?」
「聖地ハルガンには、神が預言者に『教書』に書かれとる教えを託した山があるんよ。それが聖地の中心部、聖地の中の聖地で、そこに造営された神殿に参拝
しに行くんや。聖職者には研修や修行の施設があるし、衛魔術の研究施設もある。聖地ハルガンにある街は、神殿への参拝者や聖職者が宿とか食事とか
取るためにあるようなもんやな。」
「聖地全体が巨大なキャミール教の総本山とその城下町ってわけね。」
「そうやな。」
「衛魔術の研究施設、か…。」

 リーナが珍しく会話に参加する一方、イアソンはクリスの解説の一節に引っ掛かるものを感じる。衛魔術は炎や稲妻など派手な視覚効果を伴ったりしない
ため見た目は地味だが、その効果は絶大だ。ヘブル村に帰省中に一気に大司教に昇格し、ザギの攻撃を防ぎ、更にはかつてないほどのダメージも与えた
ほどというから−アレンから聞いた−、今後の伸びしろも含めてルイは貴重且つ重要な戦力であり、ルイの加入は防御や治癒面の強化が課題だった
パーティーには朗報だ。
 「やられる前にやる」では、その攻撃を防がれたり凌駕される攻撃を加えられた場合成す術がない。魔術師の称号が三大称号の1つNecromancer以上である
ことが継承の1条件であるセイント・ガーディアンと攻守両面で対峙するには、強力な力魔術を防ぎうる衛魔術がどうしても必要不可欠と見るべきだ。

では、クルーシァを支配するガルシア一派から見て、衛魔術はどう映るか?

 1つの戦闘に向かわせる戦力の頭数を少なくし、武器では不可能な複数同時攻撃や超遠距離攻撃が可能な力魔術が、戦闘では有利だ。その力魔術を
防がれれば戦力を消耗するばかりになる恐れもある。ラマン教内紛で経験したパラライズなど支援系の衛魔術は、やはり力魔術と比較して見た目は地味
だが、敵の戦力を大きく削ぐ可能性を有する。衛魔術の直接の攻撃力は乏しいが、使い方次第では力魔術と肩を並べる攻撃性を発揮させることも十分
可能だ。
 それは、「力の聖地」と称されるように武器と力魔術の使い手、つまりは魔道剣士を養成し、その中から頂点であるセイント・ガーディアンの継承者を選抜し、
「7の武器」と共に継承することを使命とするクルーシァにとって、非常に目障りな存在ではないか?
 ハルガンはクルーシァと同じ南半球にある。しかも海を隔てているとは言え直線距離は十分遠いとは言えない。衛魔術の向上や開発が行われている研究
施設もあるというハルガンは、現在のクルーシァにとってまさに目の上のタンコブではないか?
 今後パーティーやクルーシァを追われたセイント・ガーディアン−ルーシェルの他、ドルフィンの師匠ゼント、シーナの師匠ウィーザと手を組み、クルーシァの
脅威になる前に殲滅させておくべきと考えはしないか?
 だとすれば、ハルガンを覆う事態を把握し、解決することは、戦力で圧倒的に不利な対クルーシァ情勢を大きく変える可能性を孕んでいる。
ハルガンは地理的にもクルーシァに近いから、クルーシァを牽制しつつ聖職者を伴う複数のパーティーを編成して各地に派遣することで、暗躍する
クルーシァの先兵−特に活発なザギを捕捉し、抑え込むことも現実味を帯びる。となれば、アレンの旅の目的を達成出来るし、ザギからガルシア一派の目的
などを尋問することも出来るだろう。また、パーティーに加入したルイに修業してもらうことで能力を向上させ、更に強大な戦力にすることも可能だ。
 大きな危険と同時に大きな可能性と展望を有するハルガン。危険の中に打開の糸口を見出し、隙や弱点を突いて突破することを長く生業としてきた
イアソンは、ハルガンの情勢にクルーシァに絡む様々な陰謀や暗躍を一気に打開する可能性を感じずにはいられない。

「そう言えば、ハルガンの言葉は何なの?」
「フリシェ語…やろな。キャミール教の総本山なんやし。」
「そう。言葉の面は安心なわけね。幾つも語学講習を受けたくないから。」
「あんだけ毎日小難しい実験やっとったんやから、基本テキスト読んで繰り返すだけの語学講習なんて訳ないやろに。」
「興味のないことには極力手間と時間を割きたくないのよ。」
「幅広いことに興味持った方が、人生楽しいで。」
「確かにあんたは人生楽しそうね。」
「まあなぁ〜。」

 唐突にリーナとクリスの会話が始まる。しかも切り出したのはリーナ。異例中の異例だが、クリスは大して驚きもせず何時もの調子で応じる。フォークの先に
引っ掛ける程度の量でケーキを食べて、殆ど表情を変えないのは相変わらずだが、兎角排他的で攻撃的だったリーナは明らかに変わって来ている。
 ハルガンに関する深い考察を終えたイアソンがリーナに視線を向ける。クリスとの会話を終えてケーキに専念していたリーナが、視線に気づいたのかふと
顔を上げる。イアソンと視線が合うと、リーナは視線を逸らして再びケーキに向かう。これだけならこれまでどおりだが、露骨なまでに嫌そうな顔をしたり、
「あたしを見るな」と突っぱねたりはしない。むしろ視線を合わせるのが恥ずかしいというか照れくさいと言うか、視線の合わせ方が分からないというか、そんな
感じだ。やはりリーナは着実に変わって来ている。イアソンはそんな微かな、しかし確かなリーナの変化が嬉しくてならない。
 一気にカップル関係になるのは、リーナの性格からして到底無理だ。焦って強引に迫ったりすればたちどころに強い拒否に遭い、一気にリーナの感情は
最悪に転じるばかりか今後一切の改善は見込めない。最悪今度はその場で殺される恐れすらある。リーナの強い警戒心を粘り強く解しながら、自分の
気持ちがからかいや一時の気の迷いではなく本物だとリーナに理解させることが、王道かつ唯一の道だろう。更なる長期化が確実なハルガンへの旅の
過程で、少しでもアレンとルイの関係に近付けることをイアソンは夢に描く。
 複雑な様相を呈している人間関係を、クリスは酒とつまみを嗜みながら堪能する。父ヴィクトスの唯一の願いが叶うのは、当分先の話になりそうだ…。
 パーティーでリルバン家に残っているのは、年長組のドルフィンとシーナだけ。先んじて荷造りを済ませた2人は、居室で世界地図を広げて今後の計画を
練る。防御に関しては、高位の魔術師でもある2人の結界にルイの結界と防御系魔術が加わるからほぼ問題ない。最大の問題は航路と役割分担を決める
ことだ。
 今度の船旅は全て自分達で行う必要があるが、中型と言う触れ込みながら総勢8名のパーティーには大型の船を安全に航行させるのは至難の業だ。
ドルフィンとシーナはクルーシァでの訓練19)で航行技術を習得しているし、イアソンもラマン王国への渡航でかなり熟練した航行技術を見せた。しかし、
過半数の5名は航行技術など知る由もない。操舵はゴーレム20)である程度カバー出来るが、緊急時などには対応出来ない。危険をいち早く察知して迎撃
態勢を取るには見張りも必要だ。船内の食事や掃除もしないと伝染病発生の恐れがある。伝染病が発生した状態で寄港するなどテロ行為でしかない。
 船内の役割をきちんと分担してローテーションする必要があるが、アレンを巡るフィリアとルイの対立が今も激しいし、フィリアとリーナの諍いも未だに健在、と
パーティーの人間関係はお世辞にも円満とは言えない。ならば、全体に影響力を発揮出来る年長組の2人が決めておくのが無難だが、問題が生じる組み
合わせを避けたり、特定の役割がある人物に集中するのを避けるように決めるのは、これまた至難の業だ。

「当分は海岸線沿いに進むのが最善ね。聞いたところだと、ルイちゃんとクリスちゃんは初めての船旅らしいし。」
「ああ。緊急時に最低でも一時停泊出来る沿岸部に近い方が良い。船酔いが酷いなら一旦上陸して休ませないと、肝心な時に動けなくなる恐れがある。」
「実質最初の寄港先になるタリア=クスカ王国までの所要日数は…2週間からひと月、ってところかしら。物資面は大丈夫そうだから、問題は健康面ね。何せ
赤道越えだから暑さは半端じゃないし、その分体力低下と伝染病罹患の危険も高まるし…。」
「滋養強壮薬を多めに備蓄しておいた方が良いな。丁度リーナが実験室として合成環境を展開してるし、片付けを手伝ってやると約束すれば自分で合成
するだろう。」
「そうね。確かイアソン君達と一緒にお出かけ中だから、戻ったら私が言うわ。」

 航路は必ず赤道を越える。年中常夏という気温の高さもさることながら、湿度の高さが問題だ。単に気温が高いだけなら物陰でかなりやり過ごせるが、高い
湿度は回避出来ない。病原菌やそれらを媒介する蚊や蝿などの害虫が発生しやすい環境は、高い気温より高い湿度だ。しかもこのような環境では体力が
低下しやすいから、伝染病の罹患リスクが高まる。悪循環を防ぐには人間側で体力≒抵抗力を維持するのが最善だ。
 南下するにつれてハルガンから遠のく形を描く海岸線に沿った航海を基本に据えるから、健康維持も大きな課題に据えなければならない。パーティーに
課せられた課題はどれも大きく、難しい。

「クルーシァは…どうするつもりなのかしらね。」

 合成すべき薬品と必要な薬草を書き出したところで、シーナが言う。

「ガルシア一派が世界征服を企てているとしても、あれだけ人前に出ることを嫌っていたガルシアがその手の思想に傾倒する理由が分からないのよね。世界
征服なんて大がかりなことをするなら、自軍他国問わず頂点にある者が前面に出ることで、自軍には統率力やカリスマ性をアピールして、他国には威圧感を
与えるのが常だから。」
「人間の思想が生涯変わらない保証はないとは言え、指導者に求められるその辺のことまでガルシアが含めてクルーシァを支配下に置いたとは考え
難いな。」
「じゃあ、ザギやゴルクスが本体ってこと?」
「否、その可能性は低い。奴等は強大な権力、平たく言えば優位な側の走狗として動いて、その威光に自分を同化させる方が性に合ってる。ザギはまさしく
それを体現してる。頭領自ら率先して組織の目標実現に必要な活動に奔走するなんてのは、空想の産物でしかない。」
「それもそうね…。」
「クルーシァを制圧したのは一時の気の迷いじゃないのは確かだろう。クルーシァを抑えることで可能なこと、抑えないと出来ないことは多い。」

 「力の聖地」と称されるクルーシァを支配下に置くことで、軍事的には間違いなく優位に立てる。
各国には軍隊があるが、基本的に国内の町村を襲撃する魔物や賊を撃退する治安維持と防衛が基本で、国同士での交戦を行うほどの規模ではない。
人類は「大戦」後の魔物や他種族との長い闘争の果てにようやく都市国家群の集合体から脱し、法律や税制などを統一した段階の国家を樹立するに至った。
その過程で、人類同士で行う交戦は人類の生存そのものを脅かすと学習し、対立の極限は交戦ではなく無視へと転換した。内政干渉の可能性はまったく
ゼロではないものの、他国を影響下に置こうとするだけの人員や資金があるなら、魔物や賊による被害を少なくする方向に注力する。
 甚大な犠牲の果てにようやく交戦権の否定が人類の共通認識となるに至ったわけだが、そのため各国の軍隊は別の軍隊を敵として交戦することを想定して
いない。片や魔物や賊の迎撃と町村の防衛を前提とする軍隊。片や侵略を前提とする軍隊。これらの衝突では後者の方が心理的に有利だ。侵略は常に
先制攻撃から始まることが、それを如実に証明している。

では、クルーシァを制圧したのに何故近隣諸国から侵略の手を伸ばさないのか?

 今のところクルーシァに近い南半球トナル大陸南部の国家がクルーシァの侵略を受けたという情報はない。伝搬が遅いから現在の状況と食い違う可能性も
あるが、侵略は近隣諸国が最初の対象にされるものだ。幾ら比較的近いとは言え、キャミール教の聖地として高い防御能力を有しているであろうハルガン
より、軍事面で圧倒的に優位であろう他の近隣諸国を先に侵略して、兵力や物資の増強を図り、侵略の拠点を構築する方が賢明だ。その方が同じく周囲を
海に囲まれたハルガンを陥落するのは容易になる。
 ザギが各国で暗躍しているのは、ガルシアの命令を受けて非軍事的に他国をクルーシァの影響下に置こうとしていると見ることも出来るが、わざわざレクス
王国やランディブルド王国など距離的に遠い国家に大した支援もない状況で出向くより、近隣諸国を侵略して拠点を構築してからの方がずっと効率が
良いし、人員や物資・資金面の支援も期待出来る。幾らガルシアの命令でも、ザギがそんな無駄手間を率先して実行するとは考え難い。
 クルーシァを制圧する過程はあまりにも急で、あまりにも機敏だった。だからこそドルフィンもシーナも、その師匠ゼントとウィーザ、そしてルーシェルも反撃や
結集の間もなく散り散りになって脱出するしかなかった。それだけのクーデターを確実に実行・実現するほど用意周到な準備をしてまでクルーシァを制圧して
おいて、クルーシァを制圧したら手始めに近隣諸国から、とせずに座して待つような暢気な素振りなのはどうにも理解出来ない。
 そもそも、シーナが提示したように、頭領のガルシアは人前に出ることを嫌っていた。それは他人を従えてある目的を成し遂げるべく行動するタイプとは
正反対であることを示している。いきなり方針転換してクルーシァの制圧と世界征服など未踏の領域に踏み出すだけの理由は考えられない。ザギや
ゴルクスが唆した可能性もあるが、そうだとしてもあれだけ用意周到な準備をして指揮するだけの能力が、対人関係を拒否するタイプのガルシアに一気に
備わるとは考え難い。

何者かがガルシアの背後に居る?では、それは誰なのか?
ガルシアを操って間接的にクルーシァを動かせるだけの力を持った存在があるのか?

 間もなくその日を迎えるハルガンへの渡航の旅は、あまりにも謎が多い。クルーシァの動向を含めて今後も十分な警戒が必要だ。クルーシァと比較して
戦力が圧倒的に不利なのは変わらないし、その不利な状況で戦闘に不慣れなアレン達を保護出来るのは、ドルフィンとシーナしか居ない…。

用語解説 −Explanation of terms−

19)クルーシァでの訓練:基本は武器を使っての白兵戦と力魔術を使っての遠距離・複数同時攻撃の訓練が主体だが、遠距離を移動して戦闘するための
様々な技術や知識の習得も訓練に含まれる。この世界では船が唯一の大量輸送手段なので、船の扱いは重視される。


20)ゴーレム:RPGでお馴染みの魔物。土や木、石などを人型に組み上げて呪術で脚から順に覚醒させて(逆だと制御不能に陥る)術者に使役させる、一種の
使い魔と言える。材質によってクレイゴーレム、アイアンゴーレム、ストーンゴーレムなど名称が変わる。一般に身体が駆動出来れば戦闘出来るため攻撃力と
生命力(相当分)は高いが、敏捷性と知力は低い。


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