Saint Guardians

Scene 10 Act4-4 -転機-Turning point- 事態を切り開く1つの楔

written by Moonstone

 ルイには国家中央教会への出頭命令が、ヴィクトスには大佐昇進辞令とルイの護衛命令が下された日の翌日。ルイは職務の合間を縫って村の中央教会で
称号確認室に赴いた。
 聖職者も賢者の石を術者の肉体に埋め込んで−魔術師との区別のために埋め込む場所が伝統的に異なる−いるから、称号が上昇可能な水準にあるか
どうかの検証は魔術師と同様に行う。聖職者は魔術師と異なり称号上昇のペースが全般的に遅く、ヘブル村は称号上昇の可能性が生じる聖職者の数が
少ないから、称号確認室には常駐の聖職者は居ない。検証の際には総務部が行う毎週水曜日の定例検証日を利用するか、総務部長に申請して検証を
依頼する必要がある。ルイが利用した手段は後者だが、これまでの称号昇格の実績があるから総務部長は渋るどころかむしろ乗り気で、中央教会総長と
村長にも同席を求めた。それだけ称号上昇の可能性が高いと見込んでのことだ。
 称号確認室にはルイの依頼を受けたアレンとクリスが同行している。魔術師とは異なり、関係者以外の称号確認室への立ち入りは出来ないため礼拝堂で
待機している。

「ルイさんの今の称号は司教補だよね。次の称号って何?」
「司教や。上昇したとすると、村では…半世紀41)ぶりとかの話になるな。」
「半世紀って…、そんな長期間司教になった人が居ないのか…。」
「元々ポンポンと上がるもんでもないし、ルイの仕事ぶりを見ればそうなるんは必然ってもんよ。」

 一村の中央教会祭祀部長という要職とは言え、復職して直ぐ村の全域を駆け回るほどの職務が出迎えるのは、完成された組織形態の下では職務分担が
非常に偏っている悪い事例だ。個人の負担を軽減するためにも、部下や新人に経験を積ませる人材養成のためにも、個人若しくは少数に職務が集中する
のは組織運営では回避すべきである。このような事例が改善されないと、集中する職務をこなす人材が不在になったり何らかの事情で職務が出来なく
なったりするとたちどころに職務が滞る。それだけなら組織の自業自得で済ませることも可能だが、往々にして組織には社会との交流が付きまとう。職務の
停滞は例えば職務進捗の大幅遅延、問い合わせやクレームの店晒しとなって表面化し、対外的な信用を失墜する大きなリスクを生じる。
 聖職者の職務である聖職者の養成や慈善施設の運営、社会保険がないため全般的に高価な医療を受けられない庶民の負傷治療や解毒、現代では
精神科が担うカウンセリングなど精神医療は聖職者の独占分野であるし、衛魔術のように聖職者でなければ不可能かつ重要な事象も多いから、聖職者の
組織である教会の職務停滞が市民の教会からの離反を招くことはない。だが、その独占状況に甘んじていると独占状況を崩す環境が生じた場合、大量かつ
継続的な離反を招き存亡の危機に陥る。その具現化事例の1つは、インターネットの普及によるTVや新聞の視聴者数や購読者数の漸減である。
 不在の間は教会職務がしばしば停滞寸前の危険水域に達するほど職務の遂行能力が高いルイが自ら称号上昇を検証するのは、これまでのルイしか
知らない者から見ればかなり不思議に映る。聖職者の称号上昇は、特にランディブルド王国においては、役職の昇進や良い条件で他の町村の教会に異動
するための基本条件とされる。ルイが司教補で一村の中央教会祭祀部長に就任したのは、待遇不相応との批判や国家中央教会の人事介入を回避する
ための特例措置であり、通常だと司教の1つ上の大司教が基本条件である。言うなれば、称号上昇の検証は昇進や他の町村の教会への異動の条件を構築
するものでもあるが、昇進やヘッドハンティングに興味がなかったルイは、定例検証日にクリスに促されて検証する程度のものだった。
 それが自ら、しかもアレンとクリスに同行を依頼して検証に臨むのだから、ルイは称号上昇に相当な確信を持っていると言えるし、称号上昇に積極的な
心境は推測の域を出ないがやはりアレンに褒められたいという意志の表れだろう。

「えらいこっちゃー!!」

 アレンとクリスが黙って待機していると、村長が礼拝堂の奥から半狂乱で駆け出してくる。村長は総務部長の招聘でルイの称号上昇の検証に同席している
から、検証の結果何か重大なことがあったと考えるのが自然だ。

「村長。何があったんや?」
「え、えらいこっちゃ!!」
「だから何があったんや?えらいこっちゃ、って言われても分からへん。」
「ル、ルイちゃんの称号が、一気に大司教になったんや!!」
「え?!」
「な、何やて?!それはホントか?!」
「本当に決まっとるやろ!!こ、こんなことしとる場合やない!!えらいこっちゃ!!ただちに村全体に告知せんと!!」

 衝撃的な事実を知って呆然と立ち尽くすアレンとクリスを尻目に、村長は全速力で礼拝堂から出ていく。
聖職者で一挙に2つ称号が上昇することは希少な事例。しかも、前回の上昇から2年も経過していない。村生え抜きの司教輩出が半世紀ぶりと目されるくらい
だから、その上の大司教輩出となれば1世紀分の記録を探らないと発掘出来ない可能性は十分あり得る。生え抜きの高位の聖職者を輩出することは町村の
大きな名誉だし、次の輩出はそれこそ1世紀後になると考えても無理はない。村長が村全体に告知すると宣言したのは決して大袈裟なことではない。

「…村の歴史に残るんは確実やな。」

 ようやく内心の激しい混乱から脱したクリスが言う。混乱は収束しても興奮は収まる気配がない。

「こないな歴史的瞬間に立ち会えるなんて、あたしの運もなかなか捨てたもんやないな…。」
「…凄いよね…。」

 聖職者のシステムには疎いアレンも、数々の記録を塗り替えて新たに歴史に名を刻んだルイの偉業を前に、それだけ言うのが精いっぱいだ。
礼拝堂の外から歓声や驚嘆の声が聞こえて来る。面積は広くとも人口は少ないヘブル村で、ルイの偉業が村民に周知されるには1日も必要としない。
司教補昇進時にも村中がお祭り騒ぎになったくらいだから、前回を上回る称号の格と昇進速度を加えた今回は、シルバーカーニバルや生誕祭を凌駕する
村全体での祝賀会になるのは時間の問題だ。
 一方、偉業を成し遂げたルイは称号確認室で真新しいブレスレットを不思議そうに見つめている。称号の上昇には確信を持っていたが−そのためアレンと
クリスに同行を依頼した−、まさか2つも上昇して大司教に達するとは想像もしていなかった。つい先ほどまで展開された、賢者の石とこれまでの
ブレスレットの光の共鳴現象が幻ではなかったかと思う。しかし、半狂乱で部屋から飛び出して行った村長や、驚愕の色を露わにしている賢者の石の前に
座する中央教会総長と総務部長を見ると、やはり事実と認識するしかない。

「…これまでの経験による魔力の安定の度合いと増強が、ついに表面化したと言えるでしょう。」

 驚愕故の絶句状態からようやく脱した中央教会総長が口を開く。

「前回−と言ってもまだ2年も経っていない最近の話ですが、その時にも司教に相応する魔力の規模を感じてはいました。ですが、その表面化を阻んでいた
ものがありました。一点の、しかし広く深い闇です。」
「広く深い闇…。」
「はい。心に光と闇を持つのは人間の性。如何に心に宿る光と闇を制御し、魔力とその根本を成す心に関与する光の比率を高めるか。それが聖職者の称号
上昇に必要な内心の制御です。これはルイさんなら十分承知のことでしょう。」

 聖職者の称号上昇を鈍らせる最大の原因は魔力の安定化と増強が難しいことであるが、その背景には魔力の安定化と増強のシステムが魔術師と大きく
異なることがある。
 魔術師は使用する魔術である力魔術が攻撃主体であることからも想像出来るように、攻撃的な心の要素である怒りや嫉妬、果ては憎悪など心の闇と
称されるものが強いほど魔力が高まる。無論攻撃的な面を制御出来なければ強力な魔術ほど制御不能になりやすいから称号上昇には直結し難くなるが、
重要な要素を揃えやすいことには違いない。
 対する聖職者は魔術師とは逆に慈悲や庇護、信頼や愛情など心の光と称されるものが強いほど魔力が高まる。しかしそれらを維持するのはなかなか困難
である。その上、中央教会総長が言うように、人間である以上心の全てを光で満たすことは不可能であり、光と闇が共存するものだ。闇を心と心が重要な
基幹を成す魔力に関与させず、光の面のみを作用させるように制御する術を体得するのは高度な自律作用の体得が必須だが、それは言うほど簡単では
ない。ルイへの嫉妬で数々の嫌がらせや職務の押しつけを行って来た他の聖職者が、悉くルイに称号も役職も追い抜かれたのは必然である。

「ルイさんがシルバーローズ・オーディション本選出場のために首都に赴いた理由は、ルイさんの出生事情が中央教会から伝達された今ではおおよそ推測
出来ます。しかし、ルイさんの称号上昇を阻んでいた心の闇を制御可能にするに至ったのは、首都に赴いたことが理由ではないでしょう。」
「…はい。」

 ルイが自覚出来る心の闇と言えば、母ローズが塗炭の苦しみに喘ぎ、そこから脱する間もなくこの世を去ったこと、そしてその原因を作ったフォンへの
激しい怒りしかない。当初は前者のみだったが、ローズの死の間際に出生とローズの不可解な戸籍の事情を伝え聞いたことで、前者を凌駕する後者が
生じた。
 いかに職務に没頭しても、クリスに強く推されてシルバーローズ・オーディション予選に出場しても、心の闇を制御するどころか強まるのを感じた。
シルバーローズ・オーディション本選出場のためとして首都フィルに赴くことを決めたのは、母の形見となった指輪をフォンに渡すことで心の闇の原因で
あるフォンと決別するためだった。
 しかし、その過程でアレンと出逢ったことでルイのシナリオは大きく修正された。
 クリスにも明かさなかった自分の出生や母の戸籍に関する全てを話した。
 対面してから顔も見たくないほど拒否感情が強まったフォンとの交渉に、母の遺志を全うする観点から臨むことを諭された。
 少なくとも母がフォンの一時の慰みものではなく、2人が確かに愛し合った結果自分が生まれたことを確認するに至った。
フォンを父と認識するには至っていないが、指輪を渡して決別するのではなく人間関係の出発点に立ったのは当初の目的や構想とは大きく異なる。
それだけの大きな変化を自分に生じさせたアレンの存在と交流が、無限の広がりを呈していた心の闇を制御可能にし、阻まれていた魔力の増強と安定化が
強く促進されたと考えるのが自然だ。

「このまま辞職するのは大変残念ですが、教会に属さずとも称号の上昇は可能です。聖職者としてのさらなる高みを目指してください。」
「はい。ありがとうございます。」

 ルイは深々と一礼して退室する。まだ信じられない気持ちが若干残るルイを、礼拝堂で待ち侘びていたアレンとクリスが出迎える。

「ルイ!やったなぁ!」
「おめでとう、ルイさん。凄いね。」
「ありがとうございます。何だか…まだ半信半疑なんですけど。」
「これやと、益々教会としてはルイを辞めさせたくなくなるやろなぁ。15で大司教って、大きな町でもなかなか居らへんやろし。」
「そうかもしれないけど…、私の意志とは別のことだから。」

 聖職者の養成に注力している首都フィルをはじめとする大規模な町では、既成概念や自我が邪魔し難い若年層を正規の聖職者として積極的に
受け入れているが、思惑どおりに成長するほど人間は簡単ではない。10代での大司教は全国的にもごく少数で、全員が現職や前職で大規模な町の教会
幹部職に就き、一部は王国議会議員に選任されるなど出世街道を邁進している。
 ルイもその気になれば十分出世街道でそれらの若手聖職者と切磋琢磨し、国家中央教会総長の地位やその条件の称号である教皇も十分視野に入れ
られるが、ルイの意志はもはや聖職者に留まることにはない。それは日程調整中の国家中央教会総長との面会で慰留されても変わらない。

「家にも話は伝わるやろうし、今日も夕食は盛大になるやろな。ルイも来るやろ?」
「小父様と小母様が良ければ。」
「そんなん、嫌て言うわけあらへんやんか。むしろ金払うてでもルイを招きたいくらいやて。それは他の家でも同じやろけどな。」

 クリスの半ば呆れた説得は決して大袈裟でも誇張でもない。村長が役場を通じて告知したルイの大司教昇格のニュースは早くも村中心部全域に広まり、
職務の関係で行動範囲が広い役場の職員や聖職者を中心に東西の地区教会やその地域に居住している村民に広がりつつある。既に村中心部の商店街は
大規模な売り出しを開始し、二等三等貴族をはじめとする富裕層が最寄りの教会に寄付すべく金貨を袋詰めにしている最中であり、村人はパンパなど
各家庭で出来る限りの最高の料理の準備に勤しんでいる。
 更に、今回はルイの出自が明らかになっている。一等貴族リルバン家当主の1人娘という存在感が加われば、それぞれの立場での将来を見越してルイの
司教補昇格時にも展開された光景が前回を上回る規模で展開されるのは容易に想像出来る。ルイを家庭に迎えて食事会を開催出来れば、とりわけ
小作地の拡大や地位の上昇を目論む二等三等貴族は、リルバン家との強力なコネクションの足がかりとなるから、目論まない筈がない。
 だが、ルイには何れも外野の喧噪に過ぎない。村人からの称賛の嵐に身を置きたいわけでもなく、将来の出世に備えた地盤固めのためでもない。間もなく
村から出るにあたって、より強力な衛魔術を無理なく使える環境を作るために、自分でも可能性が高いと踏んで称号上昇の検証に臨んだに過ぎない。
付け加えるなら、アレンに称賛されたいという意志があったくらいだ。

「アレン君が居るんやから、来るやろ?」
「それなら…。」
「決まりやな。んじゃ、あたしは父ちゃんと母ちゃんに言うてくるわ。お先にぃー。」

 はにかむルイからその意思を把握したクリスは、アレンの背中を軽く叩いてから礼拝堂を出て行く。ルイと2人きりになったアレンは、言葉を考えながら改めてルイと向き合う。真っ直ぐに自分を見つめるルイから強い期待を感じつつ、アレンは最適と思った言葉を口にする。

「昇格、おめでとう。」
「ありがとうございます。」

 他にも「聖職者の鏡」とか称賛の言葉の候補は幾つかあったが、最も端的かつ率直に称賛の意志を伝える言葉はやはり「おめでとう」だとアレンは判断した。
最初にアレンから聞いた「おめでとう」はクリスも加えた話の流れで出たもので、ルイもその流れで応じた。しかし、アレンから直接称賛してもらいたかった
ルイは、クリスが気を利かせて退散した−アレンは言葉どおりにしか捉えていない−ことでアレンに意識を集中させて言葉を待った。得られた言葉は単純な
ものだったが、だからこそルイには取り違えることなくダイレクトに伝わり、ルイに満面の笑顔を浮かべさせる。
 称号確認室から出て来た中央教会総長と総務部長は、礼拝堂に差し掛かったところでアレンとルイが向き合うところを見て足を止めていた。そしてルイが
今まで見たことがない喜び溢れる笑顔を浮かべ、それがアレンの身に向けられているのを見て、ルイの心に広く深く横たわっていた闇の力を弱めて制御を
可能にした要因を完全に理解する…。
 舞台をシェンデラルド王国に移す。
首都カザンの王城だったところに鎮座していた悪魔アバドンを撃破したルーシェルと同行していたフィリアとイアソンは、シェンデラルド王国を探索していた。
フィリアとイアソンが深い眠りに落ちていた間にルーシェルはパピヨンに王城を探索させたが、予想どおり人間の生存者は発見出来なかった。改めて単独で
探索した結果、王家や臣下、近衛兵やその家族らしい人間の惨殺死体を奥に設けられた祭壇で発見した。悪魔崇拝の根城と化していた王城は、新たに
城の主となったアバドンの魔力を高め、配下の悪魔崇拝者に供給する力を増強するための基地と位置付けられていたようだ。
 一般に悪魔崇拝の儀式の生贄には、男性より女性、老人より若者が好まれるが、人間社会における階級や地位が高い者も重宝される。死した一般市民が
復活させられた魔物がゾンビやスケルトンで、死した王侯貴族の遺体が魔物になるとワイトとなることから、悪魔が生贄を介して魔力を高める、ひいてはより
強力な悪魔の力を得るには一般市民より王侯貴族が適していることが推測出来る。
 生存者が皆無だったことから、シェンデラルド王国を牛耳る悪魔の首領、そして今回の−今回「も」か−黒幕であるザギの行方は手掛かりすらない。時折
現れる討伐隊と見られる悪魔の軍勢を撃退しながら、虱潰しに全国を回るしかない。それでも、アバドンを倒したことで悪魔崇拝者は大きく数を減らし、
フィリアとイアソンでも容易に迎撃出来るレベルに落ち込んでいた。
 昨夜壊滅させた海沿いの町ヒュジンだったアジトの外で、一行は少し遅い朝食を摂っている。首都カザンから海岸線沿いに南下し、その行程に存在する
悪魔崇拝者のアジトと化した町村を壊滅させることの繰り返しに、フィリアとイアソンは疑問を抱いていた。

「こうしている際にも、悪魔の首領やザギが居場所を替える可能性があるのではないでしょうか?」
「そうかもしれない。ただ、地上を悪魔やその僕が跋扈するのは気に入らない。探すついでにアジトを根こそぎ壊滅させておけば良い。」
「それですと長期間国中を回ることになるのでは?」
「私はそれでも構わない。悪魔の首領と対峙して撃破することが目的ではないのだからな。この方がはるかに安全でもある。」

 ルーシェルは策略も展望もなくただ虱潰しをしているわけではない。地上を悪魔や悪魔崇拝者が蔓延るのが気に障るのは事実だからアジトごと壊滅させて
いるが、元々シェンデラルド王国の国民性が肌に合わずに出奔した身。郷土愛や愛国心が大して強くないから親玉を叩いて悪魔崇拝者を根絶やしにする
ことにはさほど関心がない。副官だが強力な魔力供給源でもあったアバドンを倒したことで、相当数の悪魔崇拝者が粉砕されたと推測出来る。悪魔崇拝者は
シェンデラルド王国国民のなれの果てであるから、アジトごと壊滅させていけば親玉を倒さずともいずれは悪魔崇拝者を根絶やしに出来る。根気が必要な
作業だが圧倒的な力量を有するルーシェルなら不可能ではない。
 フィリアとイアソンを同行させている状態では、アバドンを上回ることが確実な親玉と対峙せずとも悪魔崇拝者を根絶やしに出来る。言わば安全策を
取ってのことであると勘の鋭いイアソンは察する。

「流石は…セイント・ガーディアンですね。」
「褒めても何も出ないぞ。」

 ルーシェルは素っ気なく返し、水を飲む。頭に疑問符を浮かべるフィリアにイアソンが説明する。事情が呑み込めたフィリアは、イアソンと同じ称賛を熱を
込めて送るが、ルーシェルはやはり素っ気ない。ドルフィンもそうだが、自らを極限まで高めた魔道剣士は余程の事態に遭遇しないと感情を高ぶらせることが
ないようだ。そうでないと、町どころか大陸1つを灰燼に帰すほどの威力を持つ高位の力魔術を使いこなすのは不可能でもある。
 ルーシェルは隠しているが、海岸線沿いに進行していることにはもう1つ理由がある。
このまま進行すれば約半月後にはランディブルド王国との国境に達する。そこでフィリアとイアソンをランディブルド王国に帰還させるつもりなのだ。
ルーシェルは元々単独行動を好む気質であり、力量に圧倒的な差があるフィリアとイアソンを伴って行動しても、進行が遅れるだけで自分にメリットはない。
どうにか気力が持ち直したフィリアは魔力の増強に繋がる魔法の使用経験を重ねるために同行により積極的だが、ルーシェルは後進を養成するつもりは
ない。更にフィリアとイアソンを護りながら悪魔の親玉やザギと対峙するのは共倒れのリスクが高まる。となれば、やはりランディブルド王国にフィリアと
イアソンを帰還させ、単独で行動を続けるのが適切だ。
 国境に到達する頃にはランディブルド王国からの反撃の進軍が迫っている可能性もある。フィリアとイアソンは越境許可証を携帯しているし、アバドン撃破で
悪魔崇拝者が相当数粉砕された筈だから、ランディブルド王国国軍への身柄引き渡しは歓迎すら含まれる中で行える。ドルフィンの代行として越境してきた
フィリアとイアソンに花を持たせ、かつ安全に帰還させるのは、ルーシェルの最大限の配慮に他ならない。

「そういえばルーシェル殿。つかぬことを窺って良いでしょうか?」
「拒否権を私が有するのであればな。」
「それは勿論ですし、ルーシェル様のプライベートに関することではありません。」

 イアソンは一呼吸置いて本題に入る。

「悪魔召還の効力と言いましょうか、悪魔召還で召喚した悪魔をこの世界に留める有効範囲はどのようなものでしょうか?」

 悪魔召還に興味があるとも受け止められるイアソンの問いに、フィリアは耳を疑う。ルーシェルは表情こそ変えないがイアソンに向ける視線を鋭くする。

「…何を聞くかと思えば、くだらぬことを…。」
「純粋な好奇心故の質問です。悪魔の首領やザギの所在を推測する手掛かりになるかと。」
「…今後の貴様の動向次第によっては、生きて帰還することは叶わないと思え。」
「私とて、まさかセイント・ガーディアンの1人であられるルーシェル殿から逃げおおせるとは思っておりません。」

 急激に緊迫した雰囲気が支配した状況に、傍観者のフィリアは息を飲む。イアソンの今後の行動によってはイアソンと共にルーシェルに処刑されかねない。
ルーシェルに殺害されたことをドルフィンに遺し伝えようにも、この広大な土地には悪魔と悪魔崇拝者、そしてそれらに付随する魔物を除けば自分達以外
居ない。証言する者が居なければ全ての事実が闇に消える。ルーシェルが悪魔崇拝者を根絶やしにし続けているのは、悪魔崇拝者の存在自体が気に
入らないためだ。それに加担すると判断されてイアソン共々処刑されても、ルーシェルが「フィリアとイアソンが道中悪魔に取り憑かれたから楽にしてやった」と
証言すればそれが事実になってしまう。

「覚悟は出来ているようだな。…私が知り得る限りで話すが、それでも良いな?」
「勿論です。」
「フン…。」

 呆れか侮蔑か嘲笑か分からない短い鼻での笑いの後、ルーシェルは問いに答える。

「悪魔は人間が想像する以上の力を有する。セイント・ガーディアンでもアバドンクラスの悪魔を召還するなら、魔法陣で自身を防衛するか魔法陣の中に召還
するしかない。魔法陣が少しでも乱れればたちどころに魔法陣は無効になって悪魔に殺されるだろうから、後者は特に多大なリスクを伴う。」
「なるほど…。魔法陣はどのような大きさでも良いのでしょうか?」
「理論上はな。理論と言うと語弊があるが、魔法陣の大きさに制限はない。召還した悪魔に殺されないよう、魔法陣が絶対乱れないようにすれば、の話
だが…!」
「何か気付かれたようですね。」

 ハッとした表情を浮かべるルーシェルに、イアソンは確信を抱いたらしい。
表情を替えたルーシェルは荷物から羊皮紙とペンを取り出し、まずシェンデラルド王国の略地図を描き、そこにアバドンが座していた首都カザンを含めた
主要な町村のおおよその場所を丸印で記載する。

「首都カザンは此処ですね。」
「シャフトと交戦したリブールは此処だ。他にも…此処と此処。」

 ルーシェルは記憶を頼りに、交戦した各アジトの首領クラスと思われる悪魔のランクが高かった、或いは規模からランクが高いと目される町村を優先して
×印を記載していく。すると、シェンデラルド王国の略地図に魔法陣の1つが浮かび上がる。最上級クラスの悪魔召還に有効とされるディスタニア魔法陣42)だ。

「こういうからくりだったとは…。」
「複雑な文様も、規模が非常に大きくすれば微視的には単なる直線や意味不明の点でしかなくなるという典型例ですね。」

 アバドンやそれを上回るクラスの悪魔を召還した魔法陣が何処かに描かれていなければならないが、今までそれは発見出来ていない。それもその筈。
魔法陣はシェンデラルド王国全体を利用して描かれていたのだ。
 魔法陣や風水などの陰陽道的・呪術的思想が建造物や都市全体に含まれることは、我々の世界でも見受けられる。例えば大和朝廷時代の日本が
たびたび遷都を行ったのは皇位継承をめぐる政治闘争を背景とする怨念や呪詛を回避することが一因である。平安京は風水における東西南北を司る四神
−東が青龍、西が白虎、南が朱雀、北が玄武−に対応する地勢−東=青龍が流水で鴨川、西=白虎が山陽道、南=朱雀が巨椋池(おぐらいけ:現在は埋め
立てられている)、北=玄武が船岡山など−が一致する(四神相応)地に造営することで、都の繁栄を祈願すると同時に四神の結界で怨念や呪詛から都を護る
意図があったと見られる。同じ平安京の鬼門の方角には比叡山延暦寺など寺社仏閣を多く配置することで、怨霊や鬼などの侵入を防ぐ結界としている。
 江戸幕府に始まり現代の東京に繋がる江戸の地にも、徳川幕府の本丸であり現在は皇居である江戸城の鬼門にあたる北東には東叡山寛永寺が、
裏鬼門の南西には目黒不動が配置されている。更に、江戸城の周囲には陰陽五行説−水、火、金、木、土の5つの元素で世界が構成されるとする観念−に
相応する名前を持つ、目黒不動(竜泉寺:目黒区)、目赤不動(南谷寺:文京区)、目白不動(金乗寺:豊島区)、目青不動(教学院最勝寺:世田谷区)、目黄不動
(永久寺:台東区)の5つの寺が配置されている。
 陰陽道や呪詛、風水を非科学的と一笑するのは簡単であるが、科学など概念すら存在しない時代においては怨霊や呪詛は決して見えない強力な
暗殺者に等しく、それを避けて自身の政治的・経済的繁栄を図るためにこのような概念をがむしゃらに導入する必要があったのだ。当時の人物や政治の
動向や背景を考察するには、当時の思想や宗教を常識とする−正当性は別−ことが必要だ。思想や宗教を学ぶ機会が少ないのは、日本の教育課程の
重大な欠点の1つと言える。

「ディスタニア魔法陣の効力は全域で均一なのでしょうか?」
「否、ディスタニア魔法陣は特定の位置に近いほど効力が強い。それは、魔法陣の起点を首都カザンと見てその北西方向と、魔法陣の東西を結ぶ直線で
首都カザンと反対側に位置するポスキンの町から見てその西方向の交点。…このあたりだ。」

 略地図で示された、ディスタニア魔法陣の最大効力の地点。そこはランディブルド王国とウッディプール王国の国境に比較的近い場所だ。町村はないが、
ザギがそこにアジトや要塞を造営して悪魔の首領と共に鎮座している可能性は十分ある。
ルーシェルの記憶ではこの地域は気象条件が悪く、作物が満足に育たないため人間が住めない。しかし、それを逆手にとって攻められにくく護りやすい
アジトや要塞を容易に構えることが出来る。

「アバドンを上回る恐らく最上級クラスの悪魔を自由に動かすのは、セイント・ガーディアンでも非常に危険だ。しかし、ディスタニア魔法陣の内部に召還したと
すると、自ずと魔力が最も多く流入する位置でもあるこの場所に留まらせることが出来る。悪魔の力を利用するのが目的だから、悪魔をむざむざ自由に動かす
必要はない。」
「目的地は決まりですね。」
「『戦闘力は武器と魔法のみで決まるものにあらず』か…。なるほど…。」

 ルーシェルは自嘲気味の笑みを浮かべる。
イアソンのひらめきがなかったら、このままセイント・ガーディアンの1人であるルーシェルには何とも単調なアジトの虱潰しで終わっていただろう。
シェンデラルド王国を悪魔の巣窟に替えた意図も、クルーシァを制圧したガルシア一派の意図も、何も知らぬまま再び宛のない旅に出ることになっていた
だろう。ドルフィンの師匠でもあるセイント・ガーディアンの1人ゼントの言葉が、ルーシェルに自戒を求めるように脳裏で反響を繰り返す。

「食事を終えたら、この場所に向かおう。」
「「はい!」」

 膠着状態に陥っていた悪魔の首領とザギの捜索は解決に向けて急展開した。シェンデラルド王国の再興は最早不可能な状況だが、禁忌中の禁忌である
悪魔召還を行ったザギ、ひいてはガルシア一派の意図を明らかにすることが、これから起こるかもしれない災厄を未然に防ぐ力となるだろう…。

用語解説 −Explanation of terms−

41)半世紀:この世界における1世紀は、我々の世界と同じく100年。そのため半世紀は50年に相当する。

42)ディスタニア魔法陣:文中にもあるとおり、最上級クラスの悪魔召還に有効とされる魔法陣。悪魔召還の研究に生涯を捧げた著名な闇魔術師(悪魔召還や
死者復活など禁忌事項を犯す魔術師の総称。無論魔術学会などからは除名・追放される)ディスタニアが発見したため、その名を冠している。


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